愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

音楽

かつては負け犬。コード進行を憶えた俺はスーパースター

俺の高校生活は、いわば「空気」だった。教室の隅っこで気配を消し、体育の授業ではボールが回ってこないことを祈り、休み時間はイヤホンを装着して世界からディフェンス。陽キャグループの「昨日マジ、ウケたよなー!」という会話をBGMに、俺はただただ、卒業までの残り日数をカレンダーアプリで確認するだけの毎日を送っていた。

事件が起きたのは、高校2年の文化祭の打ち上げだった。薄暗いカラオケボックスの中、フライドポテトの最後の1本を誰にも気づかれずに食べきれるかという、地味なミッションに集中していた俺に、クラスの一軍女子美咲ちゃんが声をかけてきたんだ。

「佐藤くんってさ、何してるときが一番楽しいの?」

時が止まった。ポテトを持つ指がプルプルと震える。楽しいこと?ええと…ソシャゲのログボ(ログインボーナス)回収?いや違う。YouTubeで猫の動画を見ること?それもなんか違う。俺の脳内データベースが必死で検索をかけるが、検索結果は「該当なし」。結局、俺は「え、あ、えっと…」と蚊の鳴くような声で呟き、気まずい沈黙の末、美咲ちゃんは「そ、そっか…」と苦笑いして陽キャの輪に戻っていった。

終わった。俺の高校生活、完全に詰んだ。

その夜、俺は決意した。何か…何か一つでいい、武器が欲しい!と。そんな思いで押し入れを漁っていると、親父が昔使っていたという、ホコリまみれのギターが出てきた。これだ!ギターが弾ければ、俺も陽キャの仲間入りができるかもしれない!

しかし、現実は非情だった。教本を開いて最初に現れる最強の門番、コード「F」。人差し指で6本の弦を全部押さえるとかいう無茶な要求に、俺の指は悲鳴をあげ、心は3秒で折れた。「無理ゲーだろ、こんなの…」。

だが、神は見捨てていなかった。ネットの海を漂っていた俺は、ある一つの記事にたどり着く。

『J-POPのヒット曲の8割は“王道進行”で出来ている!』

記事にはこう書かれていた。「F→G→Em→Am。たったこの4つのコード進行を覚えれば、あなたも作曲家の仲間入り!」。…なんだって?たった4つ?あの忌まわしきFはいるものの、これさえ乗り越えれば…?俺の中に、一筋の光が差し込んだ。

それからの俺は変わった。来る日も来る日も「F→G→Em→Am」を繰り返した。指の皮がめくれ、水ぶくれができても、俺はバンドエイドを巻いてギターを握った。そして一週間後、ついに俺は王道進行をマスターしたのだ。

試しに、最近のヒットチャートの曲を口ずさみながら、王道進行を奏でてみた。

ジャラーン(F)→ジャラーン(G)→ジャラーン(Em)→ジャラーン(Am)

……あれ?なんか、めっちゃそれっぽくね!?

次に、別の応援ソングを歌ってみた。

ジャラーン(F)→ジャラーン(G)→ジャラーン(Em)→ジャラーン(Am)

合う!これも合うぞ!まるで全知全能の神の呪文を手に入れたかのようだった。俺は無敵だった。続けて「カノン進行(C→G→Am→Em→F→C→F→G)」、「小室進行(Am→F→G→C)」といった新たな呪文を次々と習得。俺のギターは、どんなJ-POPにも対応できる「魔法の伴奏マシン」と化した。

そして、運命の高校3年の文化祭。クラスの出し物で、ステージの幕間に謎の空白時間ができてしまった。パニックになる担任。その時、あの美咲ちゃんが俺を指差して言った。

「佐藤くん、ギター弾けるよね!なんかやってよ!」

マジか。ここでか。クラス中の視線が俺に突き刺さる。断れる雰囲気じゃない。俺は観念して、ステージの隅にあったギターを手に取った。

「えー、じゃあ、ちょっとだけ…」

深呼吸一つ。そして俺は、静かに“王道進行”を奏で始めた。ざわついていた体育館が、少しずつ静かになる。俺はニヤリと笑い、おもむろに歌い始めた。まず、今流行りのロックバンドのサビ。会場が「おぉ…!」とどよめく。すかさず、次は女子に人気のアイドルグループの曲へ。女子たちが「キャー!」と色めき立つ。

「みんなが知ってる曲、全部この進行でいけるぜ!」

俺は叫び、立て続けにヒット曲メドレーを披露した。曲が変わるたびに体育館は揺れ、いつしか俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。気分が乗ってきた俺は、伝家の宝刀“カノン進行”に切り替え、卒業ソングの定番をしっとりと奏でた。泣き出す女子生徒。グッときている担任。最後に“小室進行”で90年代のダンスナンバーをかき鳴らすと、ノリノリの校長がステージサイドで謎のステップを踏み始めた。

演奏が終わると、体育館は割れんばかりの拍手と「サトー!」コールに包まれた。俺はギターを掲げ、人生で初めて、心の底からのガッツポーズをした。

その日から、俺の世界は180度変わった。下駄箱には「ギター教えてください」という手紙が入り、休み時間には俺の机の周りに人だかりができた。美咲ちゃんからは「今度、2人でセッションしない?」とLINEが来た。もちろん、OKした。

卒業後、俺がSNSに投稿した『どんな曲でも王道進行で弾き語ってみた』動画がバズりにバズり、気づけばフォロワーは数十万人に。ついにはテレビの情報番組から「話題のコード進行マスター」として出演依頼まで舞い込んだ。

キラキラしたスタジオで、大物司会者が俺にマイクを向ける。

「健太くんの、その自信の源は一体なんですか?」

俺はカメラに向かって、最高のキメ顔でこう言ってやった。

「コード進行、っスかね」

スタジオは大爆笑の渦に包まれた。かつて教室の隅で空気に徹していた俺は、たった数パターンの魔法の呪文で、日本中を笑顔にするスーパースターになったのだった。マジで、人生って何が起こるかわかんねーよな。



昭和-平成-令和のヤンキーミュージック

昭和のヤンキーミュージック
昭和のヤンキー文化において、音楽は重要な役割を果たしていました。1970年代から1980年代にかけて、ロックやポップスがヤンキーの間で人気を集めました。特に、日本のロックバンドであるキャロル、ムーンライダーズ、RCサクセションなどが、反抗的な歌詞やサウンドでヤンキーの心を捉えました。また、西城秀樹や郷ひろみなどのアイドル歌手も、ヤンキー文化に影響を与えました。彼らの歌う演歌調の曲は、義理人情や男気といったヤンキーの価値観を反映していました。

昭和のヤンキーは、音楽を通じて自己表現や仲間意識を育んでいました。彼らは、音楽を聴きながらバイクで暴走したり、カラオケボックスで熱唱したりすることで、連帯感を深めていました。当時の音楽は、ヤンキーのライフスタイルやファッションにも影響を与え、彼らの生き方そのものを表現していたのです。

平成のヤンキーミュージック
平成に入ると、ヤンキーミュージックは多様化していきました。1990年代から2000年代にかけて、ヒップホップやレゲエ、パンクロックなどの音楽ジャンルがヤンキー文化に取り入れられました。特に、ヒップホップは平成のヤンキーミュージックを代表するジャンルとなりました。EAST END、RIZE、RIP SLYMEなどのアーティストが、ストリートカルチャーを反映した音楽を提供し、ヤンキーの間で支持を集めました。

また、レゲエやダンスホールも人気を集め、MIGHTY CROWN、FIRE BALLなどのサウンドシステムがヤンキーのパーティーを盛り上げました。パンクロックやハードコアシーンでは、BLUE BEATやGAUZEなどのバンドが、反抗的なメッセージを発信し、ヤンキーの共感を得ました。

平成のヤンキーは、音楽を通じて自分たちのアイデンティティを表現し、仲間との絆を深めていました。彼らは、ライブやクラブイベントに参加し、音楽を体感することで、一体感を味わっていました。平成のヤンキーミュージックは、昭和の音楽的基盤の上に、新たなジャンルや表現方法を取り入れることで、独自の発展を遂げたのです。

令和のヤンキーミュージック
令和時代に入り、ヤンキーミュージックはさらなる多様化と進化を遂げています。ヒップホップやレゲエ、ロックなどの従来のジャンルに加え、トラップやドリルなどの新しい音楽スタイルがヤンキー文化に取り入れられています。また、インターネットの普及により、ヤンキーアーティストがSNSを通じて自己表現や発信を行うようになりました。

令和のヤンキーミュージックは、グローバルな音楽トレンドの影響を受けつつ、日本独自の文化や価値観を反映しています。ヤンキーアーティストたちは、自分たちの生き方や思いを音楽に込め、リスナーに共感を呼び起こしています。音楽を通じた自己表現は、令和のヤンキー文化において重要な役割を果たし続けているのです。

ヤンキーミュージックは、昭和、平成、令和と時代とともに移り変わりながら、常にヤンキー文化の一部であり続けてきました。反抗的な精神性や仲間意識、自己表現の手段として、音楽はヤンキーにとって欠かせない存在なのです。これからも、ヤンキーミュージックは時代の変化に合わせて進化し、新たな形で表現され続けていくでしょう。


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