愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

難聴製造機

Claude3に小説を書評してもらうシリーズ『難聴製造機』

Claude3くんに自著を書評してもらいました。

難聴製造機 (牛野小雪season3)
牛野小雪
2019-07-07






概要
この小説『難聴製造機』は、戦争の悲惨さと非人道性を風刺的に描いた作品です。主人公のサイトウ・タクヤを通して、戦場での残酷な現実や兵士の心情が生々しく表現されています。

作者は、「難聴製造機」という奇抜な武器を軸に、音と光による感覚的な描写を効果的に用いることで、戦争の不条理さを浮き彫りにしています。また、うんこを漏らすという生理現象を繰り返し登場させることで、戦争により人間性が失われていく過程を象徴的に表現しています。

この小説には、現代社会への鋭い風刺が込められています。バナナランドとオニギリランドという架空の国々の対立は、現実の国家間の争いを彷彿とさせます。また、芸術や文化を「守る」という名目で行われる戦争の愚かしさも風刺されています。メディアが戦争を煽る様子や、政治家の欺瞞的な態度なども皮肉たっぷりに描かれています。

印象的な名言としては、以下のようなものが挙げられます。

「戦場ではみんなうんこを漏らす。遅かれ早かれ一人残らず。」
この言葉は、戦争の過酷さと非人間性を端的に表現しています。

「芸術は戦争の敵だと頭の良い奴には分かっているのさ。」
芸術と戦争の相容れない関係性について言及した、示唆に富む一文です。

「クソみたいな戦争がハッピーエンドで終わるはずがないのだ。」
戦争の悲惨さは簡単には払拭できないという、作者の想いが込められています。

『難聴製造機』は、ブラックユーモアと風刺を巧みに織り交ぜながら、戦争という人類の愚行を鋭く批評した秀作と言えるでしょう。

『妄想の戦争の話をしよう』あらため『難聴製造機』 vol.3

 3月末から書き始めた短編を書き終えた。すんごい着想を得て、表紙まで書けている。とはいえ、すぐに出すつもりはない。新刊のテコ入れにしようと思っている。でもこういうのって先に小さな物を出してから本命を出すのか、それとも本命を出した後でテコ入れにした方がいいのか、どっちが良いんだろう。何となく前者だと思っているんだけど分からないな。

 season3からは、ちょっと新しい試みをしようと思っている。『聖者の行進』の時はグーグルフォームでアンケートを募ったけれど、あの仕組みを利用をして選択式10問で100点満点のテストを作っている。それで、100点取れた! 俺90点! 私0点なんだけど・・・・みたいな感じで盛り上がれないかな、と考えている。

 残念ながらグーグルフォームには拡散機能がないので、構想通りのことはできないんだけど、まぁ、手始めにということ。最終的には牛野小雪の小説をネタにして読者がソーシャルで盛り上がれる仕組みが作れたら良いなと思っている。読書は孤独な行為というけれど、みんなでワイワイしながら読めるようにできないかな。イメージは頭の中にある。

 プログラマ雇うのって何万円必要なんだろうか? 自分で勉強して作る方がいいかな。一番良いのはグーグルに要望を出して作ってもらうことだけど。うん、それが一番良いような気がしてきた。

(おわり)
please googleman
追記:ちょっと頼んでみました。今のところ返事なし。

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『妄想の戦争の話をしよう』を書こう ver2

 ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』という小説がある。映画にもなっている。『オン・ザ・ロード』の結末は、メキシコで分かれたディーンの噂を聞きつけたサルがニューヨークの路地を探し回り、ボロボロになったディーンを見つける。あんまりにひどいんで涙が出そうになる。ディーンは最初サルだと分からなくて物乞いをするんだけど、途中でサルだと気付いて今のはジョークだと恥ずかしがる。気まずい沈黙の中、海岸へ行こうとなり、お互いにどうしているのか話し合って、二人の距離がもう二度と交わらないほど離れてしまっていてサルは寂しくなる。でも、サルはディーンに「西部へ行こう」と言う。絶対に辿り着けないと確信しているけれど、そう言わざるを得なくなる。ディーンは「いつ?」と目を大きくする。「今から」「そうこなくっちゃ」ディーンが缶ビールを一気飲みする。それが致命的な一撃になってディーンの心臓が止まる。それでなんだかんだあって、最後はサルがディーン・モリアーティのことを思い出しているところで終わる。

『オン・ザ・ロード』を憶えている人なら、これが間違いだと分かるだろう。でも、つい最近までこういう終わり方だと思い込んでいた。それで映画の方を見たら全然結末が違っていて(監督の勝手なクリエイティブなんかいらないんだよ!)と憤って、むしゃくしゃして小説の方を読むと、映画と同じ終わり方だったのでビックリした。もしかして世界線変わってない?

 誰もが知っている○○の結末は意外とみんな知らない。というのをTVでやっている。私も分からないやつが結構ある。結末は大事なものだと言われているが、案外みんな忘れてしまっている。というより別のストーリを作り上げてしまっている。それじゃあ最後なんか、もうめちゃくちゃになって、どうしようもないエンドでもいいんじゃないかって気がするけれど、そこまで強気になれなくて悩んでいる。

 もちろん冒頭も悩む。小説の冒頭を集めた本があるぐらい冒頭は大事だと言われている。でも『妄想の戦争の話をしよう』は”ウンコ爆弾が戦争の始まりだった”で始まる。その次は濃縮ウンコが出てくる。こんな汚い始まり方で良いんだろうかと最初は不安だったが、何度も、うんこ、うんこ、の文字列を読んでいると、本来の意味のうんこから意味が離脱して、うんこという純粋な三文字の存在になってくるから、うんこ? ふ~ん。ぐらいの気持ちになる。感覚マヒしている?

 しかし、ノートや雑感帳をつけなければ、わりと分かりやすい話になるんだなと思った。短編だから、さっと書けてしまったんだろうか。もうひとひねり欲しいけれど、短編でも冗長さがあるって言われたから、むしろこれぐらいが良かったりして。


 余談だが、王木さんのnoteに小説が掲載されているのを呼んでびっくりした。

 サインカーブに浮かぶ日①|王木亡一朗 / note 
 https://note.mu/oukibouichirou/n/n3d5672b8b00a
 
 前もnoteに掲載していたレモン/グラスにびっくりしたが、あれ以来の衝撃。考えてみればもう3年前で、そりゃ新しいものを書いてくるなぁ、もう3年も前かぁ、と色々考えた。去年から新しい小説を書くんだ、と意気込んでいるが、そんなことを考えているのは私1人じゃない。いいね、いいね、わくわくする。この小説か、この次が、たぶんめっちゃくちゃ凄いのになる。間違いない。っていうか、もうすでにめちゃなやつを書いていて懐に隠し持っていると予想している。

 あ、そうだ。質問箱で、最近書いていないんだけど、どうしたんですか、と聞かれて、どうやらtwitterは見ていてもブログは見ていない人がいるのだと知った。基本的に情報発信はブログメインでtwitterは記事更新と読んだ本のツイートぐらいにしか使っていないんだけど(読んだ本を最近つぶやいているのはtwitter放置問題の解決のため。質問箱もそう)、twitterだけで完結するような情報発信も考えた方がいいのかも。

とはいえkindleでもう一年以上出版していないのも事実。今年はきっと出しますよ。凄いのが出ます。

どれくらい凄いかというと、これぐらい↓

すごいkindle

というわけで、今年の牛野小雪は要チェックです。よろしくお願いします。

(おわり)

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