愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

言語学

【小説】言語学のシニフィエとシニフィアンが分からなくて脳が死んでいます

脳が死んでます。正確には、死んでるふりをしている。私が「シニフィエ」と「シニフィアン」の違いを説明できと迫られるたび、脳は机の下へ潜り込み、ランドセルに入った小学生のふりをする。鈴のような沈黙が鳴る。私の口は開く。なにも出ない。蝉だけ鳴く。八月の図書館は、紙の匂いでできた海だ。

言葉は船だと誰かが言った。沈む船もある。今日は沈む番の日である。私はページをめくる。ページは薄い氷だ。そこに「能記(シニフィアン)」と「所記(シニフィエ)」が並んでいて、二人は夫婦の顔をしているが、寝室は別だと書いてある。仮面夫婦、という言葉が頭に浮かぶ。浮かんだ瞬間、仮面が先で夫婦があとか、夫婦が先で仮面があとか、とにかく順序に頸椎が折られる。ばきっ。

脳が机の下から出てこない。私は懐柔策としてコーヒーを買い、砂糖を二つ落とす。甘さは言葉を柔らかくする。するはずだ。カップの中で角砂糖が崩れる音はしない。かわりに「ざらっ」という概念が舌に広がる。擬音語の暴力。自然は言う――音と意味はくっついている。ほら、熱いものは「はっ」と言わせるし、冷たいものは「ひゃっ」と言わせる。幼児は世界の翻訳家だ。幼児こそ真理であり、私は堕落した翻訳家である。そう思うと、脳は少しだけ机の下から鼻を出す。ああ、単純さの誘惑。危ない。私は危ない。

とにかく、図を描くことにした。円を二つ描く。左が音形、右が概念。二つの円は重ならない。重ねると楽になるが、学問は楽をさせない。両者をむりやり結ぶ線を引く。鉛筆が震える。私は震えの理由を説明しようとする。これはメタ言語だ。ここから泥沼が始まる。言葉を説明する言葉を説明する言葉を説明する、という化けダルマ。私は語尾に螺旋を付けて回す。回りすぎて、机が回る。椅子も回る。目が回る。語彙が倒れる。お手上げ、というジェスチャー(これもシニフィアン)を天井に掲げる。天井は返事をしない。天井はいつも沈黙を守る。見習いたい。

幼い頃、母が私に「りんご」と教えた日のことを思い出す。母の口は丸く、私の目も丸く、テーブルの上の果物は赤かった。音と色と味がひとかたまりになって、溶けた飴みたいに舌の上に広がった。私が「りんご」と言えば、甘さが来た。呼べば来る犬のように。あれが幸福だった。幸福は誤解の別名だ。誤解はぬくい。私はぬくさに戻りたい。だが戻れない。学問は冬である。凍った地平の向こうに、黒い板でできた「恣意性」という看板が立っている。風に鳴る。がたん。がたん。列車は行かない。線路だけが遠のく。

恣意性。そう、音形と概念の結びつきは偶然で、社会的な取り決めに過ぎない、という冷たい宣告。冷たいので、私はマフラーを巻くふりをする。ふりはよく効く鎮痛剤だ。もし「犬」を「ねこ」と呼ぶ村があって、村人がみんな頷くなら、それが正しい。正しさは点呼で作られる。私は点呼が苦手だ。朝礼で声が小さいと言われ続けた人生は、概念に向かっても声が小さい。概念は聞こえないふりをする。私の声はにじむ。ああ、言葉もにじむ。にじむと言えば、詩もにじむ。詩は許しだ。学問は赦さない。

私は救いを求めて、付箋を大量購入した。世界に札を立てていけば、意味の草原が整地される気がしたのだ。机の上のペンに「書く棒」、スマホに「触るやつ」、窓に「外とのうすい関係」、自分の胸に「未定」。貼る。貼る。貼りながら、私は貼っている行為そのものに札を付けたくなる。「貼る」には何が貼り付いている? 指? 意図? 不安? 「不安」と書いた付箋はよく剥がれる。剥がれやすい概念だ。不安は粘着力が低い。だが皮膚には残る。ややこしい。私は付箋の海に溺れ、コーヒーをこぼし、「うわ」と言う。うわ。これが最も真実に近い発話である。意味と音が肩を組んでいる。短い。強い。救いだ。救いは三文字で来る。

私は机に額を置き、額の冷たさに「額」という字の無力を思う。骨と皮と神経の集合にたった二文字。人類はミニマリストだ。いや、浪費家だ。どっちでもいい。脳が少し笑う。机の下から半分出てきた。私はノートを開く。書く。書ける気がする。私は物語を始める。「言語が分からなすぎて脳が死んでます」。書き出しは悲鳴でよい。悲鳴は説明を要らない。説明を要らないものは強い。強さはときどき暴力だが、今日は許す。許すのもまた言葉で、私はすでに言葉の監獄から出られないことを、監獄の中から書き記す囚人みたいに理解する。理解だって囚人だ。

メタ言語の誘いが来る。「今あなたが書いている『理解』という語は、どの階の理解ですか?」と階段が訊く。階段はいつも質問する。私は踊り場で座り込む。踊り場は休戦地帯だ。そこに「沈黙」を置いてみる。沈黙は重い。重いものは安心させる。私は沈黙を抱いて、言葉の背骨を一本一本触る。頚椎。胸椎。腰椎。言葉にも骨があると信じたいが、実際はゲル状だ。ゲルは器に従う。器は社会だ。社会は顔色だ。顔色は天気だ。天気は恣意的だ。つまり、大抵のことは雲ゆきで決まる。こんなふうに連想が勝手に歩き出すと、私の小さな脳は息切れして、膝に手を置き、ゼエ、と言う。ゼエ。これは擬態語か。いや、擬音語か。どちらでもいい。どちらでもいいと言える瞬間が、意外に勉強のご褒美である。

午後、図書館を出る。蝉。暑さ。コンビニで水を買う。ボトルに「天然水」とある。どこまでが天然で、どこからが名札か。名札を剥がせば水は水で、名札を貼れば水は商品になる。私は名札まみれの町を歩く。歩くたび、靴底に小さな言語が潰れる音がする(気がする)。交差点で信号が青になる。青は進め。これを学んだのは幼稚園で、つまり青は経験のシニフィエであり、光は物理のシニフィアンで、でも本当は逆かもしれず、いやそもそもこの二分法を見送るべきで、などと考えているうちに、車がクラクションを鳴らし、私は跳ねる。跳ねた身体が勝手に「すみません」と言う。謝罪は反射だ。反射のうちに意味は宿る。私はやっと笑う。ありがとう、危機。あなたは哲学の家庭教師だ。

夜。部屋。扇風機の回転は世界の回転と等速だと信じたい。私は机に戻る。頁をもう一度開く。恣意性、差異、線条。頭に針金を巻くような言葉たち。私は今日で諦めるべきか、いや続けるべきか、と自問する。自問はいつだって多弁で、答えは一語だ。たいてい「まあ」。私は「まあ」と言って、ノートをめくる。すると、白紙が出てくる。白紙は最大の比喩だ。白紙は最強の皮肉だ。白紙は全ての概念を招くホテルで、チェックアウトはない。私は白紙に、一本の線を引く。線は単独で意味を持たない。持たないから美しい。私はもう一本引く。交差。交差すると、そこが事件になる。事件は物語を呼ぶ。物語は、意味しようとする衝動の温室だ。温室のガラスは曇る。指で円を描く。円の中に「り」と書く。「り」はどこへも行かない。「ご」もどこへも行かない。私が呼ばない限り。

呼ばない、という選択肢。説明拒否。これは乱暴で、しかし慈悲でもある。私は今日、いくつかの言葉を呼ばないことにする。「定義」「厳密」「一次性」。代わりに呼ぶ。「うわ」「まあ」「ふう」。それらは床に落ちて、転がり、ベッドの下に消える。また机の下か。脳は笑って、今度は出てくる。机の上に座る。小さな足をぶらぶらさせている。私は聞く。「まだ死んでますか?」 脳は首をふる。「死ぬふりは飽きました」と脳は言う。飽きる、という語の曖昧さを脳が持ち出さないのは、きっと優しさだ。

深夜、窓を開ける。風。風という語はうまい。音形が軽く、意味が軽い。軽いものは飛ぶ。飛ぶものに私は弱い。飛ぶものは自由だという誤解を、人は長く大切にしてきた。誤解の維持には共同体が要る。私は一人だが、誤解を守るために、机、ノート、脳、扇風機、窓、夜と共謀する。共謀者は少ないほうがいい。人数が増えると、名札が増える。増えすぎた名札は、のぼり旗みたいに風景を窒息させる。だから小説にする。小説は名札の減圧装置だ。物語は、世界の説明を少しだけ遅らせる。遅延は知のマナーである。

私は書く。「意味と形が離婚した世界で、主人公は面会日を決められた」。いいぞ。皮肉が笑う。笑いはラベルを嫌う。笑いはたいてい、誤読の上に咲く。私は誤読の庭師になり、じょうろで意味に水をかけたり、わざとこぼしたりする。こぼれたところから芽が出る。芽の名はまだない。名前を与えない喜びが、ようやく私に与えられる。

最後のページに、私は短い行を置く。短い行は宣言であり、ため息であり、鈴。行はこうだ。

――呼べば来るものだけが、私の言葉じゃない。

そしてもう一本。

――来なくても、いてほしいものを、私は書く。

扇風機が回る。窓が少し鳴る。遠くの犬が、犬とも別のものともつかない声で吠える。私はそれを「わん」と書かない。書かないことが、今夜の私のシニフィアンである。意味は、たぶん、どこかで眠っている。起こさなくていい。いいのだ。そう決める私の小さな権力が、今夜だけは許される。許されるうちに、私はペンを置く。置く音はしない。見えないところで、鈴だけが鳴った。




シリウス星の女王がうっかりワープしてきたので言語学者の俺に白羽の矢が立つ【SF小説】

東京の片隅にある小さな大学で言語学の講師を務める私、佐藤健太は、いつもの通り研究室で古代言語の解読に没頭していた。その時、突然の轟音と共に、窓の外が眩い光に包まれた。

「なんだ?」と思わず声に出した瞬間、研究室のドアが勢いよく開き、慌てた様子の学部長が飛び込んできた。

「佐藤君! 大変だ! 君の出番だ!」

学部長の興奮した声に、私は困惑しながらも立ち上がった。

「何があったんですか?」

「信じられないかもしれないが...シリウス星の女王が突然ワープしてきたんだ!」

私は一瞬、学部長が冗談を言っているのかと思った。しかし、その真剣な表情を見て、これが現実の出来事だと理解した。

「で、どうして私なんですか?」

「君は地球外言語の研究もしているだろう? 政府が緊急で言語学者を探していて、君の名前が挙がったんだ」

私は呆然としながらも、急いでカバンに必要な資料を詰め込んだ。そして学部長の案内で、大学の正門前に待機していた黒塗りの車に乗り込んだ。

車内で、政府関係者から状況説明を受けた。シリウス星の女王が実験中のワープ装置の誤作動で、偶然地球にテレポートしてしまったという。そして、彼女との意思疎通を図るため、言語学者である私が白羽の矢を立てられたのだ。

到着したのは、都心から離れた秘密施設だった。そこで私は、シリウス星の女王と対面することになる。

部屋に入ると、そこには人間とは明らかに異なる姿の存在がいた。身長3メートルほどの細長い体型、大きな頭部と輝く銀色の肌。そして、何より驚いたのは、その全身から発せられる微かな光だった。

女王は私を見ると、不思議な音声を発し始めた。それは地球のどの言語にも似ていない、複雑な音の連なりだった。

私は持参した機材を使って、彼女の言語の音声パターンを分析し始めた。同時に、非言語コミュニケーションの手法も駆使して、基本的な意思疎通を図ろうとした。

時間の経過と共に、少しずつ彼女の言語の構造が見えてきた。それは地球の言語とは全く異なる論理で構築されており、音の高低や長さ、さらには発声時の体の微妙な発光パターンまでもが意味を持っていた。

3日後、ついに基本的なコミュニケーションが可能になった。女王の名前はザイラ。彼女の話によると、シリウス星では高度な科学技術と芸術が発達しており、銀河系の様々な文明と交流していたという。しかし、地球はまだコンタクトすべきでない未発達な文明として分類されており、今回の事故は大問題だったのだ。

ザイラは急いで帰還する必要があったが、ワープ装置の修理には時間がかかるという。その間、私は彼女との対話を通じて、シリウス星の文化や科学について学んでいった。

彼女の話す宇宙の広大さと、そこに存在する無数の文明の話は、私の世界観を大きく揺るがした。同時に、言語学者として、銀河規模の言語体系の存在に心躍らせずにはいられなかった。

しかし、この出来事は極秘中の極秘。外部に漏らすことは許されなかった。私は通常の生活と、シリウスの女王との対話という非日常を行き来する日々を送ることになった。

1ヶ月が経ち、ようやくワープ装置の修理のめどが立った。出発の前日、ザイラは私に言った。

「健太、あなたとの対話は、私たちにとっても貴重な経験でした。地球の文明は、私たちが思っていた以上に興味深いものでした」

彼女の言葉に、私は誇らしさを感じずにはいられなかった。

「いつか、地球が銀河の仲間入りをする日が来ることを楽しみにしています」

そう言って、ザイラは私に小さな装置を手渡した。

「これは、私たちの言語を学習するための装置です。あなたなら、きっと使いこなせるでしょう」

翌日、ザイラはワープ装置と共に消えていった。残されたのは、信じられない体験の記憶と、小さな装置だけだった。

それから2ヶ月が経った頃、私のもとに一通の暗号化されたメッセージが届いた。解読してみると、それはザイラからのものだった。

「健太、約束の日を忘れていませんか?」

私は思わず笑みがこぼれた。そうだ、彼女との別れ際に、冗談交じりで約束したのだ。「90日後に、地球の美味しい食べ物をご馳走します」と。

メッセージには続きがあった。

「私は変装して地球に来ています。90日目の夕方、東京・新宿の吉野家で待っています」

私は時計を見た。約束の日まであと1週間。心臓の鼓動が高まるのを感じながら、私は準備を始めた。

そして、ついに約束の日がやってきた。私は緊張しながら、新宿の吉野家に向かった。店内に入ると、隅のテーブルに座る見覚えのない女性が手を振った。近づいてみると、確かにザイラだった。完璧な人間の姿に変装しているが、その目の輝きは間違いなく彼女のものだった。

「見事な変装ですね」と私が言うと、ザイラはくすりと笑った。

「これも高度な科学技術のおかげよ。さて、約束の牛丼を楽しみにしていたわ」

私たちは牛丼を注文し、地球とシリウス星の近況について語り合った。ザイラは箸を器用に使いこなし、牛丼を美味しそうに頬張った。

「本当に美味しいわ。地球の食文化も素晴らしいものね」

彼女の言葉に、私は誇らしさを感じた。小さな牛丼屋で、銀河の女王と食事を共にしている。この非現実的な状況に、私は思わず笑みがこぼれた。

「これからも、地球とシリウス星の橋渡し役として頑張ってください」とザイラは言った。「そして、いつかあなたをシリウス星に招待したいわ」

私は頷いた。「その時は、今度は私が吉野家の牛丼をご馳走しますよ」

私たちは笑い合い、それぞれの星への思いを胸に、夜の新宿の街へと消えていった。

宇宙の広大さと、異文明との出会いの素晴らしさ。そして、それを象徴するかのような一杯の牛丼。私はこの経験を、これからの人生の糧としていくことを心に誓った。

そして、いつかまた彼女と再会し、新たな冒険に出られる日を夢見ながら、家路についたのだった。


901総集編season3

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