芸術
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多様性の推進は、その善意にもかかわらず、芸術の本質を脅かしている。我々は、多様性という名の下に、芸術から其の革新性、挑戦性、そして普遍的な力を奪ってしまったのだ。真の芸術の復活のためには、個人の独創性と表現の自由を最大限に尊重し、表面的な多様性ではなく、真の創造性と卓越性を追求する必要がある。我々は、芸術を殺してしまった。しかし、我々にはそれを再び蘇らせる力もある。芸術の本質に立ち返り、真の創造性と表現の自由を取り戻すことこそ、我々に課された使命なのである。
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つい先日、月狂さんが出したというので、私も一つ星新一賞に小説を出してみた。案自体は元々あったとはいえ、二日で一万字も書けたのでとても気持ち良かった。普段からこれぐらい書けたら気持ち良いのにというほどするすると書けて、書こうと思えばまだまだ書ける気はしたが字数制限にかかるのできりのいいところで切り上げた。それからエピソードを一つ消して一万字弱に収める。
特設サイトからwordファイルを送った時は(えっ、こんなので100万円貰っちゃっていいの?)と、まるで警察に捕まるような事に手を染めているような気がした(←まだ貰えるとは決まっていない)。
小説の方とは別に7月の末から人物画に挑戦している。本格的にやり始めたのは上の星新一賞の小説を書いてから。本当は家の裏をしょっちゅう歩いている猫にしようかと思ったのだが、そもそも決まった時間に出会えるわけではないと気付いたので、もっぱらCDのジャケットや雑誌の表紙、あるいは自分を参考にしている。
ある本によると、クリエイティブな絵を描いていると評価されている人の脳の中では物を立体的に捉える部位があまり働いていないらしい。なので見た映像を見たまま平面の絵に落としこめるというわけだ。なら絵が上手い人は彫刻や粘土が下手なんだろうか? 私はどっちもひどいものだが……。
とにかく私はそこにヒントを得て、最近は何でも平らに物を見ようとしている。いや、そもそも人間の目は平面にしか見えないのだが、脳の機能により立体であるかのように見えているだけだ。つまりは脳を意図的にさぼらせるという修練。
そうやって物を見ているとなかなか面白い発見がある。
たとえば腕を見てみると一様に肌色をしているのではなく、陰影があり、血管の筋があり、血の気の多少があり、体毛まであることに気付かされる。もちろんそれがあるのは知識としては知っていたが、より深い感覚でその存在を感じることができた。
私が自分の思考を分析してみるに、頭の中ではまず皮膚があり、そこから体毛が生えていて、その中には血が通っている。その腕に光の加減で陰影がついているそんな風に捉えているのではないだろうか。でも絵を書くにあたっては光の部分は白で影は黒だ。
絵を描くときに自分の腕に黒を塗るなんて想像も付かなかったが、指を小さく丸め、影の部分を切り取って見るとそこは薄く青黒い色をしている。また光の当たっている場所はやけに白い部分が多い。二次元的視野で体を見ると意外にはっきり鮮やかな色がついている場所は少ないことを知った。またそれとは逆に意外な場所に朱がさしていることも知り、陰影も思っていた以上にくっきりしているとも知る。
その日は描く時間よりも観察する時間が多かった気がする。というかどれだけ描いたか自分でも分からない。とにかく見て描くことに集中して、気付けば一日中描いていた。すると自分でもなぜ描けたのか分からないぐらい凄いものが描けていた。その日の朝に、お前はこんな絵を描くぞと言われても信じる事はできなかっただろう。あとになって振り返ると私はその絵をいつ描き始めたのか全然覚えていない。切れ切れにここを描いたというのは覚えているが、あとはぼんやりとして掴みどころがない。俗にいうゾーンというやつだったのかもしれない。
たまたま最近借りて読んだ本にゾーンについて書いてあった。それによると今自分にできる事と、今自分がやろうとしている事の難易度が一致している時、人はゾーンという超集中状態に陥り易く、その人の持っているパフォーマンスが最大まで引き出されるそうだ。
確かにその日の私は具体的にこれこれこういう絵を書いてやろうとは考えずに、雑誌や自分の顔を見て、ここはこうなっている。ここはああなっていたのかと色々な試行錯誤と発見を繰り返しながら、何かを書こうという考えは微塵もなく、ただ目の前にある変てこな絵を今よりもっとよくできる事が分かって、ただただ興奮していた。
ある作家が言っていた。どの作家にも頭の中には玉稿があり作家という生き物はみんなそれを目指そうとして辿り着けない、と。私の中でもふたつあるが、ひとつはこりゃどうやっても書けんぞと書く前から半分あきらめて別の話を考えている。もうひとつはもしかしたら書けるようになるかもしれないとは感じている。ちなみにその話を書けなくて火星の話を書いた(牛追いは関係無いよ、デイジー)。えっ、言葉にしてみろ? できたら書いてるさ。できないから寄り道をしているわけで。
何事も恐れずにチャレンジする精神が大事とも言うが、頭の中の玉稿を真っ直ぐ目指すよりは、まずは今自分に書ける物を見つめて、それをどうやったら今より良くできるかを考えた方が結果的には頭の中の玉稿に最短距離で到達できるのかもしれない、なんてことを考えた今日この頃でした。
(2015年8月29日 牛野小雪 記)
初期

極初期。使用する色を決めて題名と著者名を打ち込んだだけのもの。
日本地図を挿入した。
ここに正木忠則君も付ける。元の絵はWEBから拾ってきたものだが、それを元に自分で書いている。拡大すると輪郭ガクガク。どうやって滑らかな直線や曲線を曳いているのか今でも分からない。ドット打ちの要領で一点ずつ打ち込んだ箇所がいくつかある。この時点で牛野小雪の造形的な技術限界に達し『ヒッチハイク!』の原型はここから進化を見せない。
中期

背景の色を明るくしたり暗くしたりの試行錯誤が見られる。

中期終盤の作にはグラデーションが多い。これが後期の手腕に繋がる。
後期



後期の作品にはとにかく光がテーマになっている。彼曰くこの時は迷走期であったと告白している。だがこの光を求める姿勢が後のマークロスコ以後の作品に繋がるのだ。
マークロスコ以後前期



技術とセンスに限界を感じていた牛野小雪は現代美術の巨人マークロスコから学ぶことにした。彼の絵に刺激を受けた彼は初期から後期まで変えることのなかった正木忠則のシルエットの色を変える。色にこだわることに意味がないと気付いた彼は、すぐに日本地図の色も変える。色を濃いものから薄いものへ、暗さから明るさを求めていく。
マークロスコ以後後期





大胆にも海の色を変える。これによりインパクトが非常に増した。目にまぶしい。忠則君も分身させて賑やかにした。
完成期

海の部分が青に戻る。
彼曰く『やべーわ。まじやべーわ。海は青に決まっとるわ。マックでスタバ開いてドヤ顔するぐらい意味分らんかったわ~。ホント、どうかしてた』
でもまるっきり無駄ではなかったかもしれない。たとえば海の色は後期最後のものでは(RGB=180、0、0)だったのを(RGB=0、0、180)にしているから、実は色の数値的にはさほど変わっていないのである。マークロスコ以後前後期で得た知識はちゃんとここに活かされているのだ。
最終的にどちらにするか迷っていた。kindle PW は白黒表示なので、グレースケールだとどう見えるのか試した。その結果は以下の通り。

うむ、左の方はちょっと分りづらい。右の方はすっきりしている。『ヒッチハイク!』はどうも右の表紙案になりそうだ。テストに出るから復習しておくように。(2015年8月7日 牛野小雪 記)
と書いたのだがやっぱりこれにすることにした。
マックでスタバを開いてドヤ顔をしてみたいのだ。
(おわり)
(2015年8月8日 牛野小雪 記)
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