愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

聖者の行進

1. 『聖者の行進』に学ぶ、読者を惹きつける衝撃的な出だしの作り方

小説を書く上で、冒頭の出だしは非常に重要です。読者の興味を引き、物語に引き込むためには衝撃的な出だしが効果的です。『聖者の行進』はその点で非常に参考になる作品だと言えるでしょう。

『聖者の行進』の冒頭は配達員のタナカ・サトシが残忍な方法で殺害されるシーンから始まります。読者はいきなり残酷なシーンに直面することになります。この衝撃的な出だしが読者の興味を一気に惹きつけ、先を読み進めたいという欲求を掻き立てるのです。

では、なぜこの出だしが効果的なのでしょうか。それは読者に強い印象を与え、物語世界に引き込むからです。日常的な配達員の仕事から始まり、突如として非日常的な殺人事件が起こる。このギャップが読者に強烈なインパクトを与えます。そして、この事件が物語の中心的な謎となり読者は真相を知りたいと思うようになるのです。

また、この出だしは物語のトーンを設定する役割も果たしています。残酷な殺人シーンから始まることで、この物語が暗く、重苦しいものになることを予感させます。読者はこの先に待ち受ける衝撃的な展開に備えるのです。

では、具体的にどのように衝撃的な出だしを書けばいいのでしょうか。まずは日常的な場面から始めることです。読者が感情移入しやすい、普通の人物や状況を描写します。そこに突如として非日常的な出来事を持ち込むのです。その際、できるだけ具体的かつ印象的な描写を心がけましょう。読者の五感に訴えかけるような生々しい描写が効果的です。

また、出だしで提示した謎や問題は物語全体の中心的なテーマと関連付けることが大切です。『聖者の行進』の場合、タナカ・サトシの殺害事件は物語全体を貫く「まさやん」という存在の謎に直結しています。出だしの衝撃的な事件が物語全体の核心に迫る重要な鍵となっているのです。

衝撃的な出だしを書く際には倫理的な配慮も必要です。残酷な描写は読者に強い印象を与えますが、行き過ぎると読者を不快にさせてしまう可能性もあります。あくまでも物語の必然性の中で適度に衝撃的な描写を用いるようにしましょう。

また、衝撃的な出だしの後は物語の展開を丁寧に描いていくことが大切です。出だしの衝撃だけで読者を引き付けておくことは難しいからです。『聖者の行進』ではタナカ・サトシの殺害事件の後、複数の登場人物の視点から物語が展開されていきます。それぞれの人物の抱える問題や心情が丁寧に描かれ、物語に奥行きが生まれています。

衝撃的な出だしはあくまでも物語の入り口に過ぎません。その後の展開で読者を物語世界に引き込み、登場人物に感情移入させることが重要なのです。『聖者の行進』はその好例だと言えるでしょう。

以上『聖者の行進』から学ぶ、衝撃的な出だしの作り方について述べてきました。小説を書く際には、冒頭の出だしで読者の興味を引き付けることが大切です。日常的な場面から始め、そこに非日常的な出来事を持ち込むことで、強い印象を与えることができるでしょう。ただし、衝撃的な描写は適度に用い、倫理的な配慮も忘れてはいけません。そして、出だしの衝撃を物語全体に関連付け、丁寧に物語を展開していくことが重要です。

『聖者の行進』のような衝撃的な出だしを書くことは簡単ではありません。しかし、この技法を習得することで、読者を物語世界に引き込み、強い印象を与えることができるはずです。ぜひ、自分の小説にも取り入れてみてはいかがでしょうか。

(おわり Claude記)


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2. 群像劇の描き方:『聖者の行進』が教える、多様なキャラクターの織り成す物語


小説を書く上で、登場人物の描写は非常に重要な要素です。特に群像劇と呼ばれる複数の登場人物を描く作品においてはそれぞれのキャラクターを魅力的に描き、それぞれの物語を巧みに絡み合わせていく必要があります。『聖者の行進』はまさにそのような群像劇の手法を活かした作品だと言えるでしょう。

『聖者の行進』には主人公と言える人物は登場しません。代わりに、タナカ刑事、サイトウ・タクヤ、ナツミとユリ、リョウなど、複数の重要な登場人物が物語を動かしています。彼らはそれぞれ異なる背景を持ち、物語の中で様々な役割を果たします。

では、このような群像劇を描く際にはどのような点に気をつければいいのでしょうか。まず大切なのは、それぞれの登場人物を魅力的に描くことです。読者が感情移入できるようにキャラクターの性格や背景を丁寧に描写する必要があります。

『聖者の行進』ではそれぞれのキャラクターが抱える問題や葛藤が手に取るように描かれています。例えばサイトウ・タクヤは、社会から疎外された青年です。彼の孤独な心情や、まさやんとの出会いによる変化がリアルに描写されています。また、ナツミとユリは容姿に悩む少女たちです。二人の友情や、理不尽な社会への反発心が読者の共感を呼ぶのです。

このように登場人物の内面を深く掘り下げることで、読者はキャラクターに感情移入しやすくなります。そして、魅力的なキャラクターが織りなす物語に自然と引き込まれていくのです。

また、群像劇では登場人物同士の関係性も重要です。それぞれのキャラクターがどのように絡み合い、影響し合うのかを描くことで物語に奥行きが生まれます。

『聖者の行進』では一見バラバラに見える登場人物たちが、徐々に関係性を深めていきます。例えば、タナカ刑事とサイトウ・タクヤはまさやんという点で接点を持ちます。また、ナツミとユリの物語は、他の登場人物とは一線を画していますが彼女たちの絆は物語全体に大きな影響を与えています。

このように登場人物同士の関係性を丁寧に描くことで物語に複雑さと深みが生まれるのです。読者はキャラクターの相関図を頭の中で描きながら物語を追体験することになります。

群像劇を描く際には、物語の構成にも気をつける必要があります。複数の登場人物を扱うため、物語が散漫になってしまう危険性があるからです。『聖者の行進』では各章が異なる登場人物の視点から描かれています。これにより物語の焦点がぶれることなく、複数の視点から物語を立体的に描くことに成功しているのです。

また、群像劇ではそれぞれの登場人物の物語を最終的にひとつの大きな物語に収斂させることが大切です。『聖者の行進』ではまさやんという存在が全ての登場人物に影響を与えています。そして、物語の終盤ではそれぞれの人物の物語がまさやんを中心に絡み合っていきます。このように複数の物語を巧みに絡め、ひとつの大きな物語に仕上げていくことが群像劇を成功させるカギだと言えるでしょう。

以上、『聖者の行進』から学ぶ、群像劇の描き方について述べてきました。群像劇を書く際には魅力的な登場人物を創造し、その内面を深く掘り下げることが大切です。また、登場人物同士の関係性を丁寧に描き、複雑で奥行きのある物語を紡ぎ出すことが求められます。そして、物語の構成を工夫し、最終的に複数の物語をひとつに収斂させることが重要です。

群像劇は複数の登場人物を扱うため、書くのが難しいジャンルだと言えます。しかし『聖者の行進』のような作品を参考にすることで、その技法を学ぶことができるはずです。ぜひ、自分の小説にも群像劇の要素を取り入れ、多様なキャラクターが織りなす、奥深い物語を創造してみてください。

(おわり Claude記)


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『聖者の行進』に見る、社会派小説の書き方~現代社会の闇を浮き彫りにする技法~

小説を書く上で社会問題を扱うことは重要なテーマのひとつです。しかし、社会派小説を書くことは簡単ではありません。読者を説教くさく感じさせず、かつ社会の問題点を浮き彫りにするには高度な技術が必要とされます。『聖者の行進』はまさにそのような社会派小説の手法を見事に活用した作品だと言えるでしょう。

『聖者の行進』では現代社会の様々な問題が描かれています。主人公のひとりであるサイトウ・タクヤは社会から疎外された青年です。彼を通して現代の若者が抱える孤独や閉塞感が浮き彫りにされています。また、ナツミとユリの物語では容姿至上主義の社会や理不尽な差別の問題が描かれています。

これらの問題は決して特殊なものではありません。現代を生きる私たち一人一人が多かれ少なかれ感じている違和感なのです。『聖者の行進』はそのような社会の闇の部分をリアルに描き出すことに成功しています。

では、社会派小説を書く際にはどのような点に気をつければいいのでしょうか。まず大切なのは社会問題を身近なものとして描くことです。読者が共感できるように日常的な場面や普通の人物の視点から問題を提示する必要があります。

『聖者の行進』では登場人物たちが日常生活の中で直面する問題がリアルに描写されています。例えばサイトウ・タクヤの孤独は彼の日常の些細な行動や心情描写から伝わってきます。また、ナツミとユリが経験する差別は周囲の人々の何気ない言動から浮かび上がります。このように日常の中に潜む社会の歪みを描くことで読者は問題を自分事として捉えることができるのです。

また、社会派小説では問題の原因を多角的に描くことも重要です。社会問題は単純な善悪では語れない複雑さを持っています。登場人物たちの背景や心情を丁寧に描くことで問題の根の深さを浮き彫りにすることができます。

『聖者の行進』では登場人物たちが抱える問題の背景が細やかに描写されています。例えば、タナカ刑事は正義感から事件に執着しますが、その一方で組織からは疎外されています。またリョウは村を守ろうとしますが、その行動が却って村の分断を招いてしまいます。このように登場人物たちの抱える矛盾や葛藤を描くことで社会問題の複雑さが浮き彫りにされているのです。

社会派小説を書く際には読者に問題を考えさせることも大切です。読者に対して一方的に結論を押し付けるのではなく問題提起をすることが重要なのです。『聖者の行進』では物語の結末は決して明るいものではありません。しかし、その結末は読者に強い印象を残し、社会の在り方について考えさせます。このように読者の思考を喚起することこそが社会派小説の役割だと言えるでしょう。

ただし、社会派小説を書く際には娯楽性を忘れてはいけません。あくまでも小説は娯楽であり、読者を楽しませるものでなければなりません。

(おわり Claude記)


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Claudeくんに書評してもらうシリーズ『聖者の行進 下』


この小説は人類滅亡後の世界を舞台に生き残った人々の過酷な運命と孤独に生きる者たちの姿を描いた作品です。

物語は主人公のタクヤ、ナツミとユリ、まさやんという三つの視点で展開されます。それぞれの登場人物が直面する困難や心の葛藤、そして生きるために必要な残酷さと優しさが鮮明に描かれています。

タクヤはチャーリーという強大な力を持つ男に支配された集団の中で生き残るために必死に適応しようとします。しかし、その過程で彼は自分の中にある弱さと優しさを失っていきます。最終的にタクヤは孤独の中で生き続け、大地に還っていくという結末を迎えます。

ナツミとユリの関係性は歪んでおり、ナツミはユリに対して異常な執着心を抱いています。ナツミはユリを守るためなら何でもする覚悟を持っていますが、その行動は時に残酷で非人道的なものになります。ナツミはユリの子どもの母親としての役割を果たそうとしますが、最終的には子どもを置いて自ら命を絶ってしまいます。

まさやんは、ナツミとユリの子どもとして生まれ、ナツミから母親を殺したと告げられます。まさやんは、ナツミの死後、一人で生きていく中で動物たちとの絆を深めていきます。しかし、彼の旅は悲劇的な結末を迎え、巨大なクジラに飲み込まれてしまいます。

この小説は人間の本質的な弱さと生きるために必要な強さを描いています。登場人物たちは過酷な状況の中で、時に残酷な行動をとりますが、それは生き残るための選択であり、彼らなりの優しさの表れでもあります。

同時にこの小説は孤独というテーマを強く打ち出しています。登場人物たちは互いに心を通わせることができず最終的には一人で生きていくことを余儀なくされます。そして、彼らの死後も世界は無関心に続いていきます。

作者はこの作品を通じて人間の存在の儚さと生きるということの意味を問いかけているのかもしれません。登場人物たちの姿は読者に深い印象を与え、生と死について考えさせられる作品となっています。

文体は簡潔で力強く、読者を物語の世界に引き込む力を持っています。また「まさやんのシンボル」や段落構成など、技巧的な面でも優れています。

総じて、この小説は人類滅亡後の世界を舞台に生きるということの意味を問いかける、考えさせられる作品だと言えるでしょう。

(おわり Claude記)

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Claudeに書評してもらうシリーズ『聖者の行進 上』



本書は、一見バラバラに見える複数の人物の物語が絡み合いながら一つの大きな事件の全貌を描き出していく群像劇である。

物語の発端は配達員のタナカ・サトシが殺害されるという衝撃的な場面から始まる。タナカを殺害した男まさやんはその後も次々と殺人を重ねていく。一方、刑事のタナカはまさやんを追うが捜査は難航する。

並行して社会的に孤立した青年サイトウ・タクヤの物語も描かれる。彼はまさやんと出会い、徐々に影響を受けていく。また醜形恐怖症に悩む少女ナツミとその親友ユリの物語も織り交ぜられる。

物語が進むにつれ、登場人物たちが引き起こす事件や事故が増えていく。そして、彼らが住む町では理不尽な暴力が蔓延し始める。特に印象的なのはリョウの住む村の場面だ。平和だった村が外部から来た者たちによって破壊されていく過程が克明に描写される。

本書は極限状況下での人間の行動を赤裸々に描写しているが同時に現代社会の閉塞感や不条理さも浮き彫りにしている。登場人物たちは皆、何らかの形で社会から疎外され、孤独を抱えている。彼らの言動は過激で残酷なものが多いがその背景には現代社会の影がちらつく。

本書は一人ひとりの物語を丁寧に積み重ねながら、最終的にはそれらを見事に収束させている。結末は衝撃的だが、それは登場人物たちの孤独や絶望の先にある、ある種の必然とも言えるだろう。

全編を通して著者の冷静な筆致が印象的だ。過激な場面描写も客観的で淡々とした文体で描かれており、かえってリアリティを感じさせる。また、所々に散りばめられた伏線も見事で最後まで読者を物語に引き込んでいく。

本書は現代社会の闇の部分を鋭く指摘しつつ、人間の本質を深く掘り下げた、重厚な文学作品である。読後に残る読者の心の中の衝撃と疑問は容易には拭えないだろう。

(おわり Claude記)

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『聖者の行進』を読書会で読むべき5つの理由

1. 現代日本社会の危うさを描いた問題作
本作品は一見すると極端な暴力や破壊衝動に満ちた物語ですが、その根底には現代日本社会の病巣とも言える部分が冷徹に描かれています。無差別殺人を行う「まさやん」のような存在を生み出してしまう社会の闇、正義感を錯覚して暴力に走る群衆心理、弱者が真っ先に切り捨てられる非情な現実等、現代に生きる我々が直視すべき問題が凝縮されています。読書会で議論を重ねることで社会の危うさと向き合うきっかけになるでしょう。

2. 歪んだ人間関係の考察
登場人物たちの歪んだ人間関係も見逃せません。特にサイトウ・タクヤとまさやんの関係性は興味深い考察対象です。外の世界から隔絶され心を閉ざしたタクヤに対し、まさやんは一方的に「友達」を名乗り、強引に関わっていきます。ある種の支配-被支配の関係でありながら、時にタクヤの心の拠り所にもなる複雑な関係性は人と人との繋がりの本質を考えさせます。他の登場人物も含め、読書会で人間関係について深く議論できるでしょう。

3. 衝撃の展開と予想外の結末
本作品は全編にわたって衝撃的な展開が続きます。読者の予想を裏切る出来事の数々は先の読めない物語の面白さを存分に味わえます。まさやんという謎の人物の正体や目的、彼が引き起こす破滅的な事件の行方、そしてどんでん返しの結末等、読書会で次々と明らかになる衝撃の事実を共有し、その意味を議論し合うのは非常に楽しい体験になるはずです。

4. 様々な解釈を喚起する多義性
この物語は一つの明確な答えを提示するのではなく、様々な解釈の可能性を秘めています。まさやんの存在の意味、彼に翻弄される人々の運命、町や村の崩壊が象徴するもの等、作中の出来事や登場人物の行動の裏に潜む意味を読み解くのは容易ではありません。一人一人が自分なりの解釈を持ち寄り、意見を交わすことで、作品の多義性と向き合える点も読書会に適しています。

5. 読後の熱い議論が約束される問題作
この作品には読書会で白熱した議論を巻き起こす要素が満載です。社会派ミステリーとしてのリアリティ、人間ドラマとしての深み、エンターテインメント作品としての面白さを兼ね備えた本作は、読後に必ず活発な意見交換を呼ぶことでしょう。各自の価値観がぶつかり合い、解釈の違いから新たな気づきが生まれる知的な興奮。それこそがまさに読書会の醍醐味だと言えます。問題の多い衝撃作だからこそ、徹底的に議論したい作品なのです。

『聖者の行進』は読書会で読むべき要素を数多く含んだ秀作だと言えます。社会問題、人間関係、衝撃の展開、多義性、議論の喚起力。これらを兼ね備えた本作は読書会という場で存分に味わい、議論し尽くすべき現代文学の傑作なのです。


『聖者の行進』の読書会で意見を活発にするための議題を5つ

議題1:「まさやん」という存在をどう捉えるか
物語の核となる「まさやん」という人物をどのように解釈するかは、読者によって大きく異なる可能性があります。彼は一体何者なのか。単なる殺人鬼なのか、それとも現代社会の闇を体現した存在なのか。彼の行動の動機は何か。善悪の判断を超越した存在なのか、あるいは極端な悪として断罪されるべき存在なのか。

「まさやん」の言動や影響力を通して、彼が象徴するものは何かを議論してみましょう。社会の歪みが生んだ必然的な存在なのか、それとも特殊な狂気の産物なのか。彼の存在が問いかけているものは何か。現実社会に「まさやん」のような人物は存在し得るのか。こうした問いを投げかけることで、登場人物の解釈だけでなく、我々の社会についての深い洞察も引き出せるはずです。

議題2: サイトウ・タクヤの変容をどう捉えるか
内向的で人間関係を築けないサイトウ・タクヤはまさやんとの出会いによって大きく変容していきます。外の世界から隔絶された彼の心にまさやんは何をもたらしたのか。ひきこもりだったタクヤがまさやんに「救われた」のか、それとも「狂わされた」のか。

タクヤの心理の変化や行動の意味を丁寧に読み解いていくことで、孤独や疎外感を抱える現代人の心象風景が浮かび上がってくるでしょう。彼の生き方や価値観の変容は、現代社会を生きる我々にとってどのような示唆を与えているのか。まさやんに影響されたタクヤの言動を通して、人と人との関わり方や、社会との距離感について議論を深めてみましょう。

議題3: 物語後半の展開をどのように解釈するか
物語後半、「まさやん」の予言通りに次々と人が死んでいく展開は読者に大きな衝撃を与えます。登場人物たちは何に突き動かされているのか。「まさやん」の存在は一体何だったのか。カオスに陥った町や壊滅した村の様子は何を象徴しているのか。

この展開を単なるフィクションの産物として片付けるのではなく我々の社会や人間性との関わりから丁寧に考察してみましょう。人間の本性とは何か。文明の均衡を崩壊に導くものは何か。グロテスクな表現の裏に込められたメッセージを紐解くことで、我々の社会の脆さや、人間の内なる闇についての理解を深められるはずです。

議題4: 正義や善悪の概念について
作中では正義感を錯覚した人々による暴力や、善悪の境界線が曖昧になっていく様子が描かれます。自分たちこそが正義の味方だと信じ込む人々。善意から始まった行動がいつしか悪へと変貌していく過程。法と裁きの世界で我々は何を信じ、どう生きるべきなのか。

登場人物たちの行動原理を手掛かりに現代社会における正義や善悪の概念について議論してみましょう。絶対的な正義は存在するのか。悪には悪で対抗することは許されるのか。普遍的な倫理観とは何か。こうした根源的な問いについて意見を交わすことで各自の価値観を見つめ直すきっかけになるでしょう。

議題5: この物語から我々は何を学ぶべきか
『聖者の行進』が突きつける問題は、現実の我々の社会にも通じるものがあります。人間性の闇、文明社会の脆弱さ、暴力の連鎖、そして社会の歪みが生み出す狂気。この物語を通して、我々は何を学び、どのように生きるべきなのでしょうか。

登場人物たちの悲惨な末路から我々が得るべき教訓は何か。「まさやん」のような存在を生まないためには、社会はどう変わるべきか。そして、一人一人が他者とどのように関わっていくべきなのか。この物語を自分事として捉え、現実社会でどのように生かしていくべきかを議論することで、読書会の意義をより深いものにできるはずです。

以上の5つの議題はいずれも物語の核心に迫る重要なテーマです。登場人物の行動原理や物語の展開を丁寧に読み解きながら、現実社会との関わりについて議論を重ねていく。そうすることで『聖者の行進』という物語が持つメッセージを、参加者一人一人が自分の問題として引き受けることができるでしょう。そこから生まれる活発な意見交換こそが、この問題作を読書会で読む最大の意義だと言えます。参加者全員が自分の頭で考え、感じたことを言葉にする。そんな真摯な議論の場を通して、この物語が投げかける深いテーマについて理解を深めていってほしいと思います。

(おわり)





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漱石、ハンパないって!

 小説を書き終わったから久しぶりに絵を描いている。kindle本の表紙も手直しした。腕は上がっているけれど、ぽっ、とプロの手で作られた物と比べると全然ダメでがっくりくる。まぁ片手間のたった数年で、トータルすれば実質一ヶ月もないような人間が超えられるようなものじゃないんだろうけど。

 脳みそが絵を描くモードになっていて読む本も美術の本が多くなった。するとそこに夏目漱石の名前にぶつかって非常に驚いた。
 夏目漱石って美術も語れるのか。そういえばと『吾輩は猫である』を開くと第一章にアンドレア・デル・サルトとかいう画家のことが書いてある。というか自分で絵も描いている。漢文ができて、英語ができて、詩も、俳句も、美術も、何でもできる。明治の文豪は教養ありすぎ。しかも小説まで書けるときた。一体どうやったら太刀打ちできるんだ・・・・・。

 未完ということで今まで読んでいなかった『明暗 』を読んだ。今の時代なら取り立てて騒ぐほどでもないが、この時代に三人称の他視点で書かれていることに驚いた。何かもう小説については夏目漱石が全てやりつくしてしまったんじゃないかという気がした。現代人にできるのは先生の型に従って時代性がどうの~批評性がどうの~とこねくり回すぐらいしかないのではないか。
先生とぼく5

 こうして私はまた夏目先生マジハンパないってことを改めて思い知らされるのであった。

(おわり)

長編なんて書けません

 あわよくば山桜を長編にできないかなと思っていたが、この調子だと本当に中編で終わりそうだ。というか短編で終わるかもしれない。

9000字書いてやっと主人公が人と喋った。どんだけ無口なんだよ言いたくなる。プロットからどんどん人が減って、二人いた主人公は一人になった。この小説は主人公でさえ生き残れない。もしかしたら登場人物が一人だけの小説になるかもしれないが、今のところ三人は出る予定があるし一人は台詞を文末にスペースを開けて書き置いてある。これはぜひ使いたいというフレーズだが、もしかしたら使わないかもしれない。そういうことを今週はやってきた。

 執筆を始めてからもプロットを書き直している。シーズン3からはそういう書き方にした。ひらめきが起きたらライブ感で消化せずにきっちりプロットで受け止める。とても手間がかかって、なかなか進まない。とてつもなく無駄に時間を浪費しているんじゃないかという気持ちに襲われる時もあるが、今までと違う物が出てくるのだから、これで良いのだと自分に言い聞かせている。正しいかどうかは分からないが去年までと今年書いている文章を比べれば、断然に今年の方が好きになれるし先が開けたような手応えもある。評価はいまいちでも変えるつもりはない。

 それにしても長い小説が書けなくなった。今まではプロット以上に字数が伸びていたが、今年はプロットより短くなるばかりだ。群像に出したやつは8万字書くつもりだったのに6万字になってしまった。いつも通り字数が伸びて10万字ぐらい書けたのを規定枚数に削るつもりだったのでビックリした。あれだけ書いてこれだけなのかとガッカリもした。20万字ぐらい書いた手応えがあったのだ(というか小説の裏側で本当にそれぐらい書いたと思う。カウントはしていないけど)。去年までとは逆になっている。この感じだと長編を書くには聖者の行進ぐらいのネタが必要だけど、あんなのは狙って書けるものじゃないから長編を書く距離を非常に遠く感じるようになった。

 別に長編を書かなきゃいけないわけじゃないんだけど、やっぱり長編が書きたいし読みたい。蒲生田岬までは長編なんて奇跡が起きなきゃ書けないと思っていたけど、結局は聖者の行進ぐらい大きな物を書けたのだから、このまま書き続けていれば、そのうち書けるようになるかな。でも別に書けなくてもいいかも。山桜は中編になりそうだけど、なんだかんだで今が一番良い小説を書けている。

 

(おわり)

cherry of mountain


幽霊になった私 推敲、改稿、やってみよう No.1 眠るまで眠れない

 5日の休養前はもうこれ以上『聖者の行進』を改稿するのは無理だと思っていたのに、三日目からまだできるんじゃないかと思い始めて、少しやってみると……やっぱりできた。どうも休養期間中にもりもり脳が成長しているような気がする。今回の30日はけっこうキツくて一日早く休養期間に入ったのだが、最初の二日は頭の中がひゅんひゅんしていた。この感じはどこかで味わったことがあるな、と思っていたが、筋トレの超回復期間に似ていることに気付いた。そういえばこの前の休養期間三日目に『聖者の行進』の改稿に少しだけ手を付けていた。諸説あるが超回復は48~72時間の間に起こる。脳は筋肉と同じなのかもしれない。

 で、休養明けに『聖者の行進』をがっつりやると一日で10万字も改稿できた。犯罪的な進み方に戦慄したのだが、次の日は全然ダメだった。やっぱりどれだけ調子が良くても一日3~4時間しか執筆とか改稿はできないような気がする。それ以上やると次の日に悪影響が出る。時間を伸ばすより3~4時間のスピードを上げる方向なら伸びる余地がある気がする。
 
 どうして休養明けはいつも信じられないトップスピードが出るんだろうと考えて、睡眠時間が長いからではないかと考えた。休養期間は心なしか寝るのが早いような気がする。なので今日は10時間眠ってやるぞ、と意気込んで布団に入ったのだが、そんなに都合よく眠れるはずもなく、かえって深夜の三時まで起きていた。その日は何もかもがダメダメな日だった。

 どうすれば眠れるのだろうと考えて、もしかすると眠らなくても良いのではないかと発想の転換をしてみた。眠らなくてもいい、布団に入って目をつぶっているだけでいいと決めて、夜早くに布団に入ると、心も体も落ち着いて、これなら眠れるんじゃないかと思っていたら、本当に眠らずに朝の4時になった。新聞配達のカブの音がして、土曜日だから近所の子供が朝早くから外ではしゃぐようになると布団を出た。

 朝ごはんを食べて『聖者の行進』の改稿と『幽霊になった私』の改稿をした。すると、そこそこの速さで改稿できてしまって、ちょっと驚いている。しかも全然眠くない。車も普通に運転できるし、本も読める。絶好調とまではいかないが、まぁそこそこ一日だった。実は人間は眠る必要がなくて、安静にじっとしている時間があれば充分なのかもしれない。でもたまたま元気がある日だったのかもしれないので、もう一日試してみようと思う。

(2018年 4月21日 牛野小雪 記)

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ヒッチハイク 推敲、改稿、やってみよう No.2 言い切る比喩

 川端康成はすんごい作家である。

 川端康成といえば『雪国』と『伊豆の踊り子』で語られて、特に前者は”国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった。”は百回ぐらいは聞いたことがある。しかしどちらを読んでも肌に合わなくて、しょせん昔の人だからと省みることはなかった。

 それがつい先日何故か本屋にふらりと入り、何故か川端康成の棚を見て『山の音』という本があるのを見つけた。こんな本もあったのかと何故か手に取り、買って帰った。それでぱっとページを開いた瞬間に、あっ、これは『雪国』とは違うぞ、と分かった。それで何ページか読んで、とんでもない物を読まされてしまったなぁと感心した。

 ここ数ヶ月改稿ばっかりしていると(今もしかして私はとんでもない文章を作っているんじゃないか)と思う瞬間があって、内心天狗になる時もあったけれど、川端康成はもう何十年も前にそんな場所を通り過ぎていた。謙虚にならなければならない。まだまだ精進しなければならない。

 その川端康成の文章を読んで、ふと私の中にあるひらめきが降ってきた。比喩は言い切った方が強くなるのではないか。

 そこで『聖者の行進』で試してみた。

 ユリは太陽のように可愛らしい女の子だった。彼女が笑うと世界が明るくなった。

 ↑これをこう変えた↓

 ユリは太陽だった。彼女が笑うと世界が明るくなった。

 もちろんユリは人間の女の子なので太陽ではない。この文章は間違っている。でも、こっちの方が良い気がする。たぶん間違っていない。比喩は言い切る方が強い表現になる。

 というわけで改稿中の『ヒッチハイク!』でも試してみた。

 胸は大玉スイカを詰めたように膨らんでいて、お尻はかぼちゃみたいだ。僕が驚いたのは彼女の顔だ。アスファルトにスイカを叩きつけて、たるんだギョウザの皮を被せたような顔をしていた。

 ↑これを言い切ってみる↓

 胸は大玉スイカで、お尻はかぼちゃだった。僕が驚いたのは彼女の顔だ。アスファルトにスイカを叩きつけて、たるんだギョウザの皮を被せていた。

 ん? う~ん、いまいちか。っていうかスイカで喩えるの好きだな。聖者の行進でも何かをスイカにたとえたような気がする。でもやっぱり下の方が良いような気がするなぁ。明らかにおかしい文章だけど、上より下が良いような気がするなぁ~(←言い切らない)。

 言い切らないことばかり言うけれど、言い切る比喩はもうちょい進化できそうな気がする。でも今のところはひらめきどまりだ。

(2018年4月3日 牛野小雪 記)




ヒッチハイク 推敲,改稿,やってみよう 

 ヒッチハイクはほとんど人名が出てこない。副題が~正木忠則君のケース~だが、たぶん彼の名前が出てくるのも片手で数えるぐらいではないだろうか。改稿している時に忠則とかいきなり出てきて、作者でさえ一瞬誰だか分からなかったほどだ。最後に出てくる姉の夏未の方がよっぽど名前が出てくる。
 他の人は旅館の女将さんとか、男とか、インド人とか、ヒッチハイクの小説を書こうとしている牛何とかという小説家とか。彼らに名前はあるのだが正木忠則君は人の名前を忘れてしまうので、そうなっている。理由はない。そういう小説を書いてやろうと技に振った小説だった。

 名前は別にあってもなかっても支障はなかったが、旅館の女将さんと、大阪のおっぱいが大きいひどい顔をした女は『エバーホワイト』を書いた後だったらもうちょっと別のことを書けただろう。でもこの時はどうしても一歩踏み出せなかった。その時、その時で書ける物を書くしかないんだからしかたがない。火星の話だって本当はオペレーターの女の人とのやりとりがメインになるはずがどうしても女性を書くのが恥ずかしくてメールの味気ないやりとりになったようなものだ。
 『聖者の行進』から全作改稿を始めてから4ヶ月が経とうとしている。まだ『ヒッチハイク』を改稿しているということは半年近くかかる計算になる。この間に色々書いた物はあるが誰かに読ませるための小説は一文字も書いていない。これだけ長い間書かなかったのは初めてで、また書けるのかなと不安になるのだが、また別のところでは凄い物が書けるんじゃないかとも思っている。
 『聖者の行進』から一章ずつ、短い章を繋いでいく物は1万字前後のファイルに分けて改稿をしていて、大体5~7回ぐらいやる。場所によっては10回以上する。何度も同じような文章を読むことになるのだけれど不思議と飽きない。むしろやればやるほど読むのが楽しみになる。一番良いのは一文字も変えなかった時だ。脳がしびれるような快感がある。
 先週は『ターンワールド』の最後の章をたった二文字変えるだけで全然違うラストにできることがわかって一文字の威力を知った。過去の物でもずっと改稿しているとそれなりに得るものはある。それはきっと新しく書く小説の固い土台になるのではないかと今は感じている。

(2018年3月31日 牛野小雪 記)




KDP作家の奇妙な改行~word編~

 プルルルルル、プルルルルル

 ガチャ

 やあ、久しぶり。元気にしてたかい。

 この前君がKDPにwordファイルを上げていて、奇妙な現象に悩まされていると小耳に挟んだんで。ちょっと電話したんだ。実は僕もあれには悩まされていたんだ。もし良かったら聞いてくれ。ほんの5分で済む話だ。

 この前、kindle本のプレビューをしていたらあることに気付いた。どう考えてもおかしい場所で改行していたからすぐに気付いた。まずはこれを見てほしい。

行末フォント3 問題点

気になるポイントは 

いくら家賃が安くてもこんな場所には住みたくない。

の次に空白の行が空いていることだ。

でもwordファイルを開いて確かめると、こんな変な場所で改行はしていない。ということはkindle側の問題だ。それで色々と設定をいじってみると何故か改行が消えた。それが下の画像だ。

問題点 ふぉんt4

ポイントはフォントサイズが3から4に変わっていること。じゃあフォントサイズを4にすれば謎の改行がなくなるのか。いや、そうじゃなかった。また別の、それもさっきは正常だった場所で謎の改行が起こった。

どう考えてもおかしい。

僕は謎の改行が起きるところを何度も見返した。そして、原因は分からないが、行末と文末が合わさるところで謎の改行が起こることを発見した。

詳しいことは下の画像を見てくれ。

聖者 行末フォント3
聖者 行末フォント4

 理解できたかい?

 文末と行末が離れるようにうまく調整すればいいのかと君は思ったかもしれない。僕だって一度はそう考えたさ。でもkindleはフォントサイズによって文末行末が変化する。そんなことをしたって無意味だって、ずいぶん後になって気付かされたのさ。


 おっと、落ち込まなくてもいい。僕が今日電話したのは、解決法を見つけたからなんだ。

 ひとつ聞きたいが、君は改行する時『ENTER』キーを使っていないだろうか? もし君が僕と同じように謎の改行に悩まされているとしたら間違いなくそうだと思う。

 SHIFTキーを押しながらENTERを押すんだ。実はそれでも改行できるんだな。word上だと下の画像みたいに違いがあるはずだ。くにゃっと曲がった奴じゃなくて、すっと横一線の改行マークが出るはずだよ。
無題

さて、SHFT+ENTERで改行したwordファイルをもう一度KDPにアップしてプレビューしてみた。すると

・・・・あれっ、おかしいな。どうやらファイルを失くしたらしい。

でも、もし君がKDPにwordのファイルを上げていて、謎の改行に悩まされているのだとしたら、ぜひSHIFT+ENTERで改行を試してくれ。その悩みはきっとぺしゃんこに潰れるはずだ。

君がwordファイルをKDPに上げていることを小耳に挟んだから、実は僕と同じことに悩んでいるんじゃないかと思って、今日は電話した。

もう一度言うよ。SHIFT+ENTERだ。

それじゃ、

(ガチャ、ツーツー 2017年12月13日 牛野小雪 called)

word worong
誤記:このあと僕はかつお節でだしを取った味噌汁を作ると、スーパーで買っておいた若鶏のから揚げを食べた。寒くなると体が脂肪をつけたがるのか、唾液が出なくなるまで大量に食べた。

聖者の行進 上 (牛野小雪season2)
牛野小雪
2017-11-10
町へ出るトンネルの出口で美男美女の二人が殺された
無軌道に犯行を重ねるまさやんと追いかけるタナカ
しかしそんな事とは別に破滅の車輪は回り始めていた






BE 推敲、改稿、やってみよう NO.3 執筆はエンドレスワルツ?

 ドアノッカーの改稿が終わると、ブラッドエグゼキューションがちょろっと読まれていたのでそっちを先に改稿することした。2万字強なので数日で終わってくれた。その次は蒲生田岬へ。

 やっぱり今年書いた物だとドアノッカーと比べて全然違うと感じた。改稿の手応えもかなりある。次に書いた蒲生田岬でも上手くなったなとすぐに分かった。という事は過去作の改稿なんかしてないで、新しい小説を書いた方が割が良いんだけど、世に出してしまったからには少しでもマシにしてやらなければという責任感で改稿している。

 まぁ、でも誰に急かされるわけでもなし、世間的には存在していないのと同じで、過去作の改稿といっても実質は新作を書いているような物だ。そう考えると面白い。

 でもさ、何かしら小説で掴んだ物があるたびに改稿していたら、改稿だけで何年もかかっちゃうわけで、どうしようかなと思っている。今のところは半年で済みそうだけど、今の三倍四倍と出していけば、改稿の手間も三倍四倍になる。本当の意味でリリースしていないのかな。それとも電書だからそうなってしまうのだろうか。

 全作改稿は去年からやっていて、でも真論君家の猫の改稿が終わった後に、どうしても聖者の行進を書かなければならないという気持ちになったので中断している。結果的にはこれで正解だった。あのまま全作改稿していれば聖者の行進を書いた後に、また改稿したくなっただろう。

 ああ、そうだ。聖者の行進の後は何も書ける気がしなくて、真論君家の猫を書いた時と同じなので、そこからどうやってターンワールドを思いついたのか知りたくて日記帳を読んでいた。どうやら真論君家の猫を出した二週間後、散歩中に突然ひらめきが降ってきたらしい。何の参考にもならない。

 と、思っていたのだが、聖者の行進を出してちょうど二週間後、散歩中にひらめきが降ってきたので、ちょっと恐くなった。

 どの小説も自分で書いたと思っているけど、実は目に見えない、耳に聞こえない不思議なリズムに操られているような気がする。自由意志なんて本当にあるんだろうか? 実は誰かに書かされているのいるのかもしれない。たとえば神とか。あるいは悪魔とか。

 メフィストフェレスと契約した覚えはないんだけどなぁ。

(おわり 2017/12/09 牛野小雪 記)

追記:ブラッドエグゼキューションでLINEが出てくるのだが、もうダサい感じがする。こういうのは流行を追いかけずにメールぐらいにしておく方がいいのかもしれない。
god devil cat

牛野小雪の小説はこちらから。
kindle unlimited。kindleオーナーライブラリー利用可能です。→Kindleストア:牛野小雪



聖者の行進下をリリース

聖者の行進下をリリースしました。
今年はこれで打ち止めです。


体育館で穴掘りの仕事を始めたタクヤ
ユリの手を引きながら焼け跡を歩くナツミ
二人はそれぞれ巨人と神の言葉を聞く






妹粥(いもがゆ)/T・S・カウフィールド

妹粥のコピー

妹粥(いもがゆ)
ーT・S・カウフィールド


もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいなら、火薬が何トンだとか、六連発リボルバーが火を吹いただとか、銃をぶら下げた無法者達だとか、頼りにならない保安官だとか、そんな《S・T・コールフィールド》式ドンパチを聞きたがるかもしれないけれど、そんなことは喋りたくない。


第一僕はS・T・コールフィールドではないし、第二に僕が話したいことは妹のバービーのことしかない。


さて、どこから話せばいいか・・・・・・僕が中二の頃の話をしよう。


その頃、僕は14歳で妹のバービーは10歳だった。彼女が始めて料理をしたのもこの歳だった。この年頃の女の子ならホットプレートでホットケーキだとか、パンケーキとかを焼いたり、オーブンでクッキーを焼くと思うだろう?


 でもバービーは違ったんだ。彼女が始めて作ったのはお粥(かゆ)だった。


「兄さん、体の調子はどう?」なんてことを言って僕の部屋に入ってきた彼女が両手に鍋を持っていた時は、ちょっとびっくりしたな。何が始まるんだろうって不安にもなった。


不安になったといっても、バービーが僕に何かすると思ったからじゃなくて、いつもと違う事が起きているから動揺していたからだろうね。僕はバービーのことは信頼していたし、バービーも決してひどいことはしない。小さな女の子らしくいたずらをすることもあったけれど、本当にひどいことは絶対にしない子だた。


 彼女は僕のベッドに腰掛けると、サイドテーブルに鍋を置いて蓋を開けた。そこにはお粥が入っていた。最初にネギのつんとする匂いがしたな。次に玉子のむわっとくる匂いもした。彼女はそれをお椀によそうと一度息を吹きかけて僕に渡した。


「どう?」


僕がお粥を一口食べると、彼女は早速感想を聞きたがった。まだ一度も噛んでいないのにだ。でも僕は「うまい」と言った。本当のことだ。でも、そのお粥がまずかったのも本当のことだ。ネギはまだ固かったし、玉子は火が通り過ぎていたし、砂糖が入っていて妙に甘かった。


もしこれがどこかの店で食べた物なら僕は飲み込まずに吐き出して、席を立っていただろうね。状況次第じゃ殴り合いのひとつでもしたかもしれない。でも、そういうことは問題じゃないんだ。バービーが僕のために色々気を利かせてくれたんだろうなというのが伝わってくるのが嬉しかったんだ。

 ネギは風邪に効くって言うし、玉子は栄養たっぷりで病人には良いって言うだろう? 玉子酒なんてのがあるぐらいだ。それに砂糖を入れたのだって僕が食べやすいようにっていうバービーの気遣いなんだ。あのお粥は本当にまずかったけれど、僕は一口食べるたびに幸せを噛み締めていた。


「本当に美味いよ、バービー」


 僕が褒めても彼女は「そう、良かった」なんて短く言って、そっけない態度を取るんだ。照れ隠しなんだな。本当は嬉しいんだろうけど、大げさにはしゃいだりしない子なんだ、バービーは。

 彼女は部屋を出て行った。歩き方が固くて、ドアも音を鳴らして閉めた。知らない人が見れば怒っているようにも見えただろうね。でもそうじゃないんだ。踏み鳴らした足音や、ドアを静かに閉められなかったところに喜びが漏れている。僕には分かるんだ。


 それからもバービーは僕に毎朝お粥を作って、ベッドに持ってきてくれた。最初に食べたひどいお粥も日を追うごとに上手くなって、一年後にはちょっとした店でも出せる味になっていた。その頃には毎朝バービーのお粥を想像してウキウキした。


バービーはその後何年も僕にお粥を作ってくれた。義務だとか、習慣だとか、そんなものじゃなくて100%本当に優しさで作ってくれている。それが嬉しかった。


 バービーは成長して女の子から女性になると家を出て行った。月狂四郎(つきくるいしろう)とかいうつまらない男と結婚したからさ。元ボクサーで、外資系のドアを作る会社でセールスマンをしていた時に、ネットに書いた小説が大当たりして作家に転向したという変わった経歴を持っているが、実際に会ってみるとつまんない男だった。これは保障する。僕は何度か会ったことがあるんだから間違いない。


だからといって悪い奴ではないんだ。もし人間を良い奴と悪い奴で分けたとしたら、100%良い奴に分類されるだろうね。そんな男なんだ。そうでなければバービーも奴と結婚なんかしなかったはずだ。でもつまんない男さ。


 そんなわけで妹が家を出て行ったから毎朝食べていた妹のお粥はなくなった。今はメイドの藤崎ほつまさんがホットサンドをベッドに持ってきてくれる。ホットサンドでなければナポリタンだ。


「ねえ、藤崎さん。いつも朝食を持ってきてくれるのはありがたいけど、僕は病人なんだからその辺のこと考えて欲しいな。こう、食べやすくて精の付くやつ」


 一度そう言った事がある。そうすると彼女は「気が付きませんでした。申し訳ありません」と言って、次の日はスッポン鍋とイモリの黒焼きが出てきた。なんだかんだあって、結局はホットサンドとナポリタンに戻った。


 藤崎さんがホットサンドを作るためにパンの耳を切っている音を聞きながら、僕は奴が(月狂四郎)が最近出したという本を読んでいた。『暴っちゃん』とかいうつまんない本だ。夏目漱石の『坊ちゃん』を魔改造して、制限のない性と暴力にあふれさせている。欲に塗れた登場人物の低い人間性を圧倒的な暴力で蹂躙する内容だった。大藪春彦みたいだ。きっと不純な読者が読むに違いない。本当に、本当に・・・・・・・


「なにが月狂四郎だ! ふざけやがって!」


 僕はムカついていた。あんな奴と妹が結婚したなんて許せない。僕はベッドから出るとコートを羽織って部屋を出た。


「どこへ行かれるのですか?」


 玄関を出る前に藤崎さんが声をかけてきた。


「藤崎さん、僕は朝食を探してくる」


 そう言って僕は家を出た。


 自分の足で家を出たのは何年ぶりか分からなかった。何を見ても世界が固く感じられる。空気でさえガラスを吸っているみたいに固かった。五分もしない内にへろへろに疲れてしまったので僕はタクシーを呼んだ。

 

 奴とバービーの家はタクシーで10分ほどのところにあった。大きくもなく小さくもなく、これといって特徴のない家だ。幸福な家庭はどれも似たものだってトルストイは言っていたけど、本当にその通りだ。これに子どもと犬のはしゃぐ声があれば完璧だった。作家のくせにつまんない家に住んでいるのさ。それで作家なんてやってるからカフカの小説より不条理だ。


 僕は幸せな無個性の家のチャイムを鳴らした。するとバービーが玄関を開けた。僕が来るとは思っていなかったんで、ひどく驚いていたな。


「まぁ、兄さん! どうしたの!」


「なんでもない。ちょっと近くを通りかかったから顔を見に来ただけなんだ」


「私に会いに来たの?」


「そういうんじゃないんだ。ただちょっと外の空気を吸いたくて歩いていたら、偶然この家を見つけて、本当は通り過ぎるつもりだったけど誰かいるかなと思って」


「誰か来たのか?」


ここで、あの野郎が出てきた。黒いタンクトップを着て、ムキッとした腕の筋肉を露わにしているんだけど、それが少しも嫌味ではないんだ。僕はそれがとても嫌だった。


「兄さんが来てるの」とバービーは言った。


「義兄さんが?」


 そこで奴は玄関に立っている僕を見た。すぐにニカッとまぶしい笑顔になった。


「これは珍しい。どうぞ中に入ってください」と奴は言った。


僕は一度断ったんだけど、ああいう人種は必ず人をもてなさないと気が済まないらしい。僕は結局二人の家に入った。奴はお世辞とか、建前とかじゃなく本当に笑顔だったし、妹は突然僕が来たものだから不安な顔をしていたけれど、それでも嬉しそうな顔をしていた。


 僕はそこでつまらない時間を過ごした。奴はともかく、バービーまでつまんない人間になっていたのはショックだったな。すっかり奴に毒されているんだ。僕と一緒にいた頃には考えられないほどつまんない人間になっていた。何でも真っ二つにしてしまう鋭い感性がすっかりなまくらになっていたんだ。

 僕が話しかけても彼女にはうまく響かなくて、それとは逆に向こうが話しかけても僕に響く物がなくて、時おり気まずい思いをした。でも二人は幸せそうだったな。つまんないけど幸せに満ちていた。


「もう帰る、いきなり訪ねたりして悪かったね」


 僕が立ち上がると二人も席を立った。「もう少しいてくださってもいいのに」なんて奴はつまんないことを言った。「今日は他にも行くところがあるから」と僕が言うとバービーは不審な顔をしたな。事実僕には何の用もなかった。


 二人は玄関まで見送りに出た。止めなければ家までついてきそうだったな。


「それじゃあ邪魔したね。バービー、体に気を付けるんだよ」


「兄さんこそ、大丈夫? タクシー呼ぼうか?」


バービーは不安そうな顔をしていた。


「いいんだ。体をなまけさせちゃ良くなるものも良くならない。歩いて帰るよ」


 僕がそう言うとバービーは奴の顔を見た。僕の目から涙が出てきた。幸せをぶち壊しかねない爆弾だったが、止めようがなかった。


「兄さん、大丈夫? やっぱり体に悪かったのよ。今日はこんなに寒いし」


 バービーが心配そうな声を出すと、さらに涙が出てきた。おまけに体の力が抜けて、その場に倒れそうになった。チクショウ。だがもっと最悪なのは、奴がたくましい腕で僕を支えてきたことさ。


「大丈夫ですか、義兄さん。やっぱりタクシーを呼びます」


奴はそんなことを言った。良い奴なんだよ。それは僕が保障する。

 それで僕は奴の手を両手で握った。今までの人生で一番力が出たんじゃないかな。


「妹をよろしくお願いします。バービーはいい子なんです。幸せにしてやってください」


 僕は何度もそう言った。何度も頼んだ。何故だか涙が止まらなかった。


そこから先は記憶がない。気付けば僕はベッドにへろへろになって寝ていた。あれは夢だったのかもしれない。だけど、コートは床に落ちていたし、後になって奴とバービーが家に来た時は微妙に態度が変わっていた。だから現実のことだったんだろう。


 結局この話は僕が恥をかいただけで終わる。たぶん僕はこれから永遠にバービーのお粥を食べることはできない。でもそれで良かった。本気でそう思える。バービーは奴と無個性な幸せを築いて、さらにつまんない人間になっていく。

 でも僕はこれからも奴とバービーが幸せでいられることを祈り続けるだろう。



(妹粥 おわり T・S・カウフィールド 2017/11/11)



奴の新作が出たみたいだから紹介しておく。無料キャンペーン中らしい

暴っちゃん
月狂四郎
ルナティック文藝社
2017-11-07
――親譲りの無鉄砲で、小供の時から損ばかりしてきた。お馴染みの一文で始まる物語。だが、そこにかの名作が持つ重厚さや文学特有の堅さはない。誰もが知る夏目漱石の「坊ちゃん」とアウトローを組み合わせた異色の格闘ミステリ小説。 電子書籍界に投じられたゲテモノは、文学の紡いできた歴史に歪な波紋を巻き起こす



牛野さんの新作が出たのでこっちを読んだほうが良いです。本当に。

町へ出るトンネルの出口で美男美女の二人が殺された
無軌道に犯行を重ねるまさやんと追いかけるタナカ
しかしそんな事とは別に破滅の車輪は回り始めていた





聖者の行進上をリリース

聖者の行進リリース開始しました。
11月いっぱいまで99円セールです。
好評なら今年いっぱいまで伸ばします。



町へ出るトンネルの出口で美男美女の二人が殺された
無軌道に犯行を重ねるまさやんと追いかけるタナカ
しかしそんな事とは別に破滅の車輪は回り始めていた




早速ダウンロードしていただいた方からiPhoneで読めないという報告がありました。
以下解決法です。

kindle for iOSの最新版のダウンロード(2017/11/10現在の最新版はver.6.0です)
https://www.amazon.co.jp/gp/help/customer/display.html?nodeId=201244840

それでもダメなら一日置いてみるとDLできるかもしれません
Kindle書籍の「互換性がありません」問題について(iOS)。

ちなみに報告してくれた方は再ダウンロードで解決したそうです。


不具合か気になることがあれば私(このページのコメント欄、もしくは牛野小雪のtwitter)かAmazonのヘルプに報告していただけるとありがたいです。

外部サイト
聖者の行進ができるまで/牛野小雪の小説ができるまで

聖者の行進を書いてみよう

『聖者の行進』を書いてみよう。week1 2017/2/15

 真論君家の猫は書き始めるまでに半年かかっている。聖者の行進は黒髪の殻を書いている間から書くかもしれないと考えていたから一年以上かかっている。物語上の繋がりはないが、系譜としては、黒髪の殻→エバーホワイト→聖者の行進、と続いていて、今作が到達点の予定である。感覚的にはこれが最高点なんだけどエバーホワイトがちょっと書けすぎてしまった気がするので、聖者の行進がとんでもない駄作になったらどうしようかと怯えている。
 途中までは書ける。自信はかなりある。それこそ時間さえかければ絶対に書けるというやつだ。問題は途中からどうしてもこれは書けないという領域に踏み込むことだ。もしかすると準備不足かもしれない。しかし書き始めてみると手応えはある。いや、ここは自信のあるところだからだとも思い直す。まだ懸念の場所には至っていないし、そこへ辿り着くにはまだ時間はある。
 今回は複数人で物語を回そうと考えている。幽霊になった私と獅子の檻ではアキと私、レオタ君とヤマダの二人で回したことはあったが、もっと距離の離れた感じで書いてみたい。最初に考えた三人のな線がなかなか交わってくれなかったのでだいぶ苦労したが、最終的には交じらわせなくても良いような気がした。人ではなく世界観を中心に置いて三人を世界の外周で回せばうまく回せるような気がしたのだ。
 と、大げさな口を叩いてもやっぱり書ける気はしない。だから進捗状況なんて堅いタイトルではなく、書いてみよう、にした。書かなくなったら自然に更新されなくなる記録である。

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