愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

短編小説

ラノベ作家とは宣言するものにあらず

俺はラノベ作家である。

会社の同僚との飲み会で、後輩の佐藤くんが「神林さん、ご趣味とかあるんですか?」とキラキラした目で聞いてきた時も、俺は澄まし顔でハイボールのグラスを傾けながらこう答えた。

「趣味、というか……まあ、ライフワークかな。小説を書いてる。ラノベ作家なんだ」

「え、すごい!どんなお話なんですか!?」

食いついてきた佐藤くんに、俺は待ってましたとばかりに語り始める。

「現代社会に転生した魔王が、元勇者の女子高生とコンビを組んで、資本主義という名のダンジョンを攻略していく話。タイトルは『魔王様、それは経費で落ちません!』。どう?面白そうだろう?」

「は、はあ……」

佐藤くんの顔からキラキラが消え、代わりに「この人、何を言っているんだろう」という純度100%の困惑が浮かび上がる。ちがう、そうじゃない。そこは「さすが神林さん!着眼点が違いますね!」と感嘆するところだろうが。凡人には俺の、ゴッド・ジョウの才能は眩しすぎるというのか。

そう、俺のペンネームはゴッド・ジョウ。神林(かんばやし)丈(じょう)だから、ゴッド・ジョウ。完璧なネーミングだ。我ながら天才かと思う。

俺が「ラノベ作家」を宣言し始めたのは、かれこれ三年前。小説投稿サイトに処女作をアップロードした、その瞬間からだ。読者がいなくたって、評価が付かなくたって関係ない。作品を生み出した、その時点で作家なのだ。ゴッホだって生前は評価されなかっただろう? 俺は未来のゴッホなんだよ、と自分に言い聞かせながら、日々キーボードを叩いている。

会社のデスクにも、ささやかな自己主張は忘れない。PCのモニターの隅に、小さなテプラでこう貼ってある。

『締切厳守(ただしプロットに限る)』

誰も気づいてくれないのが玉に瑕だが、この隠れたクリエイター感こそが、俺のモチベーションを支えていると言っても過言ではない。

先日も、企画会議で上司が「何か斬新なアイデアはないか!」と煮詰まっていた時、俺は静かに手を挙げた。

「僭越ながら、部長。物語論的に言いますと、ここで必要なのは『意外な協力者の登場』フェーズです。例えば、競合他社の落ちこぼれ社員と秘密裏に手を組む、というのはいかがでしょう」

会議室は静まり返った。比喩が高度すぎたか。

「……神林くん、とりあえずA社へのアポ、よろしく頼む」

ちっ、俺のメタ的な視点を活かせないとは、この会社も先が知れている。

そんな俺にも転機が訪れる。中学二年生の姪っ子、メイちゃんだ。夏休み、俺の部屋に遊びに来た彼女は、本棚にぎっしり詰まったラノベを尊敬の眼差しで見つめていた。しめた。こいつは「わかる」側の人間だ。

「ジョウおじさん、すごい量の本だね」

「まあな。作家たるもの、インプットは欠かせないからな」

ドヤ顔で答える俺に、メイちゃんは無邪気にこう言ったのだ。

「おじさんもラノベ作家なんでしょ? お話、読みたいなあ」

キタ。ついに俺の作品を渇望する読者が現れた。しかも身内。これ以上ないファンだ。

俺は歓喜のあまり、書斎(と呼んでいる納戸)から最新作『異世界チートスキルでデイトレードしたら、秒で資産が溶けた件』をプリントアウトした束を取り出した。分厚いA4用紙の束。これぞ作家の証。

「ほら、メイちゃん。これがゴッド・ジョウ先生の最新作だ。まだ世に出ていない貴重な原稿だぞ。特別に読ませてあげよう」

「わーい、ありがとう!」

メイちゃんは嬉しそうに原稿を受け取り、自分の部屋にこもっていった。

数時間後が楽しみで仕方なかった。きっと彼女は「おじさん、天才だよ!続きはまだなの!?」と興奮して飛び込んでくるに違いない。サインの練習でもしておくか。「For メイちゃん God Joe」っと。うん、いい感じだ。

しかし、数時間経ってもメイちゃんは来ない。夕食の時も、どこか浮かない顔をしている。どうしたんだ? 俺の作品の持つ重厚なテーマ性に、中二の心が付いてこられなかったか?

痺れを切らした俺は、食後にメイちゃんの部屋をノックした。

「メイちゃん、おじさんの小説、どうだったかな?」

メイちゃんはベッドに座り、俺の原稿を膝に置いたまま、困ったように眉を下げた。そして、おずおずと口を開く。

「あのね、おじさん……」

「うん、なんだい?どんな感想でもいいぞ。衝撃的すぎたかな?」

「うーんとね……まず、誤字が多くて……」

「ぐっ」

「あと、登場人物の女の子、みんな同じ口調じゃない? なんか、男の人が考えた『女のコ』って感じで……」

「ぐふっ」

「それと、この主人公、なんで五ページもずっと自分のステータス画面の説明してるの? 私、読み飛ばしちゃった」

クリティカルヒット。しかも三連コンボだ。俺のライフはもうゼロよ。

ぐらりと揺れる俺に、メイちゃんは純粋な瞳で最後の一撃を放った。

「おじさんって、本当にラノベ作家なの?」

その瞬間、俺の中で何かがガラガラと崩れ落ちた。会社の同僚にドン引きされても、投稿サイトでPVが伸びなくても、新人賞で一次選考の壁を越えられなくても、決して折れなかった俺の心が、ポッキリと。

そうか。俺は、ラノベ作家じゃなかったんだ。

ラノベ作家になりたいだけの、ラノベ作家ごっこをしていただけの、ただのイタいおっさんだったんだ。

宣言するだけなら、誰にでもできる。だが、本物は宣言などしない。周囲が、読者が、その人のことを自然と「作家」と認めるのだ。

その夜、俺はPCのモニターから『締切厳守(ただしプロットに限る)』のテプラをそっと剥がした。そして、小説投稿サイトの作者ページを開き、ペンネームを「ゴッド・ジョウ」から、本名の「神林丈」に修正した。

誰に言うでもない。ただ、もう一度、一から書いてみようと思った。メイちゃんが、次のページをめくりたくなるような物語を。面白い、と素直に笑ってくれるような物語を。

ラノベ作家とは宣言するものにあらず。

いつの間にか、誰かにそう呼ばれているものなのだ。

……多分な。まあ、知らんけど。

さて、まずは『魔王様、それは経費で落ちません!』の経費の計算が、ガバガバすぎる問題から修正しますか。やれやれ、作家の仕事ってのは、本当に地道な作業の連続なのである。


ライムの意味を知りたくて町中のサイファーに乱入してみた

すべての始まりは、私の純粋すぎる知的好奇心だった。「ライム(Rhyme)」。ヒップホップ音楽の歌詞カードを眺めるたびに現れるこの言葉。辞書を引けば「押韻」と素っ気なく書かれている。なるほど、言葉の語尾の音を揃えることか。理屈は分かった。だが、魂が分からない。なぜ彼らは韻を踏むのか。韻を踏むと、何がどうなるというのか。

考え始めると、もうダメだった。脳内で「AとBで韻を踏むとは、概念Xにおいてどのような意味を持つのか」といった、哲学のレポートみたいな問いがぐるぐる回り始めたのだ。こうなったら早い。百聞は一体験にしかず。ライムの真髄を知るには、その現場に身を投じるしかない。

かくして私は、ユニクロの感動ジャケットを羽織り、革靴の紐を固く結び、週末の夜、駅前広場の一角で重低音を響かせている若者たちの集団、すなわち「サイファー」へと向かったのである。

現場は、想像以上の異空間だった。スマホから流れるビートに合わせ、キャップを目深にかぶった若者たちが輪になり、即興で言葉を紡いでいる。飛び交う専門用語。「ヤバいフロウ」「パンチラインが効いてる」。私にとっては全てが呪文だ。輪の外側で仁王立ちする私は、完全に不審者。保護者が子供の授業参観に来た時のような、圧倒的なアウェー感が全身を包む。

「帰ろうか…」。心が折れかけた、その時だった。一人のラッパーがラップを終え、次の挑戦者を待つ、一瞬の静寂が訪れた。今しかない。私は、営業で培った度胸を振り絞り、輪の中に一歩、足を踏み入れた。

「「「!?」」」

若者たちの視線が一斉に突き刺さる。ビートが止まった。まずい、完全に不審者から不審人物へとランクアップしてしまった。

「あ、あのっ!」私は震える声で切り出した。「まことに恐縮ですが、皆様に一つ、ご教授願いたいことがありまして…! わたくし、『ライム』の真髄が知りたくて、参上いたしました!」

シン…、と広場が静まり返る。一人の、ひときわ体の大きく、見た目がいかついラッパーが、眉間に深い谷を刻みながら私に歩み寄ってくる。終わった。私の知的好奇心は、ここで社会的に抹殺されるのだ。

「…面白いじゃねえか、おっさん」

彼の意外な一言で、凍りついた空気が一気に溶けた。彼は「MC仏陀(ブッダ)」と名乗った。仏陀はニヤリと笑い、私にペットボトルを差し出す。「言葉で聞くより、体で感じな。ほらよ、マイクだ」。

え、私が?ここで?

DJが気を利かせたのか、ゆったりとしたビートを流し始める。もう後には引けない。私は覚悟を決めて、ペットボトルを握りしめた。

「えー…わたくし、鈴木と申します…/趣味は、休日の園芸と申します…」

…ダメだ。これはラップではない。ただの自己紹介だ。周りからクスクス笑いが漏れる。しかし、仏陀が「聞け!」と目で合図すると、皆が真剣な顔つきになる。この優しい世界に、私は少し泣きそうになった。

開き直った私は、日頃の鬱憤を叫ぶことにした。

「部長の指示は、朝令暮改!/俺の努力は、まるで徒労で崩壊!」

その瞬間だった。

「「「おおぉぉぉぉ!!!」」」

今まで静かだった若者たちが、一斉に沸いたのだ。「崩壊」と「暮改」が、奇跡的に韻を踏んでいたらしい。何だ、この感覚は…! 言葉がビートに乗って、共感を生む。気持ちいい!

私の拙いラップが終わると、仏陀がペットボトルを受け取り、アンサーを返してきた。

「YO、鈴木さんのそのリリック、悪くねえ/だがな、徒労で崩壊? そんなのまるで嘘くせえ!/その悔しさ、その魂、全部ビートに乗せちまえ/そしたら明日も頑張れる、そうだろ、ブラザー、間違いないぜ!」

見事だった。私のちっぽけな愚痴が、彼のライムを通して、一つの物語として昇華されていく。言葉と言葉が繋がり、意味が反響し、グルーヴが生まれる。これか。これがライムの魂か…!

結局、ライムの学術的な定義は分からずじまいだった。でも、そんなことはどうでもよくなった。帰り道、私はスキップしながら、目につくもの全てで韻を踏んでいた。

「光る月/明日はきっと勝つ!」

我ながら悪くない。人生とは、壮大なフリースタイルなのかもしれない。感動ジャケットを揺らしながら、私は最高にハッピーな気分で家路についた。



チー牛を覗く時チー牛もこちらを覗いている

「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」。かの哲学者ニーチェが遺した、あまりにも有名な警句だ。人間存在の深淵を覗き込む行為がいかに危険かを説いたものだが、まさかこの真理を、近所の牛丼チェーン店で、とろ~り3種のチーズ牛丼を前に体感することになるとは、ニーチェ自身も夢にも思うまい。

告白しよう。私には、密かな趣味がある。それは、街で見かける「チー牛」と呼ばれる人々を観察し、その生態を分析することだ。決して侮蔑しているわけではない。むしろ、そのブレない様式美に、一種の畏敬の念すら抱いている。鳥類学者が珍しい鳥を観察するように、私は彼らをウォッチングしていた。

私の分析によれば、彼らにはいくつかの共通項がある。子供の頃の視力検査で、右目を隠すのに使った黒い"おたま"みたいなメガネ。外部のノイズを完全に遮断するという強い意志を感じさせるヘッドホン。そして、店員とのコミュニケーションを最小限に抑えるため、券売機の前で数秒間思考を停止させた後、最適解を弾き出すかのようにボタンを押す、あの流れるような一連の動作。見事だ。私は彼らを「深淵」と呼び、自分はあくまで安全な岸辺からそれを覗き込む「観察者」なのだと信じていた。

その日も、私は牛丼屋のカウンター席で、完璧な「深淵」と出会った。斜め向かいの席に座る彼は、まさに私の研究対象の理想形。黒縁メガネ、猫背、一心不乱にスマホの画面を見つめ、時折、吸引力の変わらないただ一つの掃除機のように、紅生姜を口に運ぶ。

「ふむ、今日の個体もなかなかの仕上がりだ…」

私がそんな失礼極まりないことを考えていた、その時だった。彼が、おもむろにスマホの電源を切り、テーブルに置いた。黒く、艶やかな画面。そして、次の瞬間、私は凍り付いた。

そのスマホの画面に、男が映っている。

黒縁のメガネ。

耳には、コードがだらしなく垂れたイヤホン。

猫背気味の姿勢で、チーズ牛丼の最後の一口をいつ食べようか逡巡している、情けない顔。

それは、紛れもなく、私自身の姿だった。

ハッとして顔を上げると、斜め向かいの彼が、こちらをじっと見ていた。違う。彼は私を見ていたのではない。彼もまた、私の背後にある券売機のガラスに映った自分自身の姿を見て、何かに気づいたような顔をしていたのだ。

我々は、互いを「チー牛」だと思って観察していた。しかし、実際には鏡に映った己の姿を、相手に重ね合わせていただけだったのだ。彼を覗き込んでいたつもりの私は、彼という鏡を通して、私という「チー牛」に覗き返されていたのである。

「チー牛を覗く時、チー牛もまたこちらを覗いている」

ニーチェの警句が、チーズと牛丼の匂いが充満する店内で、脳内に稲妻のように突き刺さる。そうだ、俺は深淵を覗いていたんじゃない。俺自身が、深淵の一部だったんだ。

気まずい沈黙が流れる。やがて、斜め向かいの彼が、ふっと小さく息を吐き、私に向かって、ほんの少しだけ、会釈をしたように見えた。それは侮蔑でも同情でもなく、同じ深淵に棲まう者同士の、静かなる連帯の挨拶だった。私もまた、こくりと頷き返す。

我々は皆、それぞれの丼(ドンブリ)という名の深淵を抱え、チーズを乗せたり、紅生姜を山盛りにしたりしながら、どうにかこうにか生きているのだ。

そう思うと、なんだか無性に、おかわりがしたくなった。もちろん、とろ~り3種のチーズ牛丼を。

バナナランド
牛野小雪
2023-10-23


酸っぱいブドウのスマートな言い換え

イソップ寓話に登場するキツネのことを、僕は昔から少し気の毒に思っていた。手が届かないブドウを前にして、彼が絞り出した言葉は「あのブドウは、どうせ酸っぱくてまずいだろう」。あまりにもストレート。負け惜しみがダダ漏れだ。現代社会という名のジャングルを生き抜く我々にとって、このキツネのスタイルはあまりにも無防備すぎる。

今、求められているのは何か。それは、敗北の味を悟られることなく、むしろ自分の評価を上げるような、洗練された負け惜しみ。僕はこれを「スマート酸っぱいブドウ」と名付け、日々研究と実践に励んでいる。

例えば、こうだ。先日、部内の昇進レースに同期が勝ち、僕が敗れた。凡百のビジネスパーソンなら、ここで「あんな役職、責任が重くなるだけで割に合わん」と典型的な酸っぱいブドウを口にするだろう。愚かだ。

僕は、祝福のコーヒーを同期に差し出しながら、こう言った。

「おめでとう。君のマネジメント能力を考えれば、これは組織にとっての最適解だよ。僕も今回の件で、自分のキャリアパスを深く見つめ直す良い機会になった。結果、僕の情熱はやはり現場の最前線で、プレイヤーとしてのスキルを極めることにあると再認識したんだ。君が組織の舵取りを、僕が現場のイノベーションを。最高の布陣じゃないか」

どうだろうか。ただの負け惜しみが、「自己分析済みのキャリアプラン」と「組織貢献への高い意識」に昇華された瞬間だ。同期は「お、おう…ありがとう…」と若干引き気味だったが、問題ない。この高度な負け惜しみは、凡人にはすぐ理解できなくて当然なのだ。

スマート酸っぱいブドウの極意は、三つある。

一つ、「視点の転換」。「手に入らなかった」のではなく、「自らの意思で選ばなかった」という物語に書き換えるのだ。欲しかった限定スニーカーが買えなかった時、「金がなかった」のではない。「僕のミニマリズム哲学において、あの過剰なデザインはノイズだった」のだ。

二つ、「感謝の表明」。「ちくしょう!」と叫ぶ代わりに、「ありがとう」と言う。憧れの女性にフラれた?「僕の未熟さに気づかせてくれてありがとう。君との対話を通じて得たインサイトを基に、僕は自己投資という新たなステージへコミットするよ」。もはや聖人である。

三つ、「横文字の多用」。アジェンダ、インサイト、コミット、リソース、サステナブル…。これらの魔法の言葉を散りばめるだけで、ただの負け惜しみは、なぜか意識の高いビジネス戦略のように聞こえ始める。不思議だ。

先週末も、僕はこのテクニックを駆使して心の平穏を保った。妻に「あそこのケーキ、買ってきて!」と頼まれた、一個800円もするモンブラン。店に着いた時には、僕の目の前で最後の一個が麗しいマダムの手に渡ってしまった。絶望的な状況だ。

しかし、僕はうろたえない。帰宅後、コンビニで買ったシュークリームをテーブルに置き、こう告げた。

「例のモンブランだが、今日はあえて見送った。我々の食生活におけるエンゲル係数のサステナビリティを考慮した結果、日常的な幸福度の最大化というアジェンダにおいては、より再現性の高いこの選択がマストだと判断した」

妻は「…よく分からないけど、ありがとう?」と言いながらシュークリームを頬張っていた。それでいい。それでいいのだ。

負け惜しみは、人間の尊厳を守るための高等な防衛本能だ。どうせ負けを認めたくないのなら、スマートに、スタイリッシュに、そしてどこか哲学的に言い換えてみようじゃないか。

さあ、諸君。手が届かなかったブドウを、ただ「酸っぱい」と切り捨てる時代は終わった。

「あのブドウは、僕が目指すネクストレベルの糖質コントロールの観点からすると、アグリー(不同意)だった」と語るのだ。

人生は、ほとんど言ったもん勝ちなのである。



シーチキンとは海を泳ぐニワトリだと思っていた

告白しよう。私は、ついこの間まで「シーチキン」とは、海を泳ぐために特殊に進化したニワトリのことだと固く、固く信じていた。どうか、笑わないで聞いてほしい。私の中では、それはニュートンがリンゴの落下を見て引力を発見したのと同じくらい、論理的で揺るぎない事実だったのだ。

考えてもみてほしい。まず、その名前。「シー(Sea)=海」に「チキン(Chicken)=鶏」。これほどまでにストレートなネーミングがあるだろうか。まるで「マウンテンゴリラ」が山に住むゴリラであるように、「シーチキン」は海に住むチキンに決まっている。疑う方がどうかしている。

そして、何よりもあの食感だ。ほぐされた身の、あのパサつきと、それでいて凝縮された旨味。あれは、どう考えても魚のそれではなかった。鶏のささみを、もっとワイルドにした感じ。私の中のシーチキンは、荒波にもまれて育った結果、胸の筋肉(つまり胸ビレの付け根あたり)が異常に発達し、それが我々の知る「ささみ」のような食感になった、たくましい海洋生物だった。

私の頭の中では、シーチキンの生態系も完璧に構築されていた。

  • 姿かたち: 頭には波の抵抗を受けにくい流線型のトサカ。翼は退化して小さなヒレとなり、足には立派な水かきがついている。体は防水性の羽毛で覆われている。

  • 鳴き声: 陸のニワトリのように「コケコッコー!」と高らかに鳴いたら、サメに居場所を教えるようなものだ。きっと彼らは、水中で泡と共に「コ、コ、コ…」と控えめに鳴くに違いない。

  • 生態: 普段は群れで海藻をついばみ、天敵のウツボや巨大イカに襲われると、一斉に海面を「チキン走り」ならぬ「シーチキン走り」で逃げるのだ。その光景はさぞかしコミカルだろう。

スーパーの缶詰コーナーに鎮座していることにも、何の疑問も抱かなかった。「まあ、希少種だから乱獲を防ぐためにも、捕獲後すぐにオイル漬けにして鮮度を保つんだろう」と、むしろそのサステナブルな姿勢に感心していたくらいだ。

この揺るぎない「シーチキン=海のニワトリ」説と共に生きてきた私は、食卓で妻に「このシーチキン、いい鶏ガラが出てるねぇ」などと、知ったような口をきいていた。妻はいつも「そうだねー、おいしいねー」と、生暖かい笑顔を浮かべていたが、その真意に私は気づくべきだったのだ。

その日は突然やってきた。何気なく見ていたテレビのクイズ番組。

司会者が陽気に問いかける。「さあ問題!おなじみの『シーチキン』、その原料となっている魚の名前は、次のうちどれでしょう?」

…ん? 待て。今、なんと言った?「魚の名前」?

選択肢には「A. マグロやカツオ」「B. タラ」「C. サンマ」と並んでいる。ニワトリが、鶏がどこにもいない。私の頭は真っ白になった。まるで、自分が地球は平らだと信じていたのに、突然コロンブスに「丸いよ」と告げられたような衝撃。

正解のチャイムと共に、画面には「正解はAのマグロやカツオでしたー!」という無慈悲なテロップが躍る。隣でポテチを食べていた妻が、私を見て言った。

「あ、あなた、もしかして知らなかったの?シーチキンがツナ、つまりマグロだってこと」

ガッシャーン。私の中で、長年かけて築き上げてきたシーチキン神殿が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。俺のシーチキンは…海を泳ぐニワトリは、どこへ行ったんだ…。

真実を知ってしまった今、ツナサンドを食べるたびに、少しだけ寂しい気持ちになる。私の頭の中にだけ存在した、健気で、たくましくて、そして美味しい「海のニワトリ」よ、さようなら。これからはもう「いい鶏ガラが…」なんて言えない。堂々と「このマグロ、うまいな!」と言うことにしよう。

でも、最後にこれだけは言わせてほしい。

どう考えたって、「シーチキン」なんて名前、海を泳ぐニワトリの方がしっくりこないか?



『こころ』のBL解釈を完全論破したらめんどくさい女にヤンデレされた

断言するが、僕は何も悪くない。

文学を愛する一人の徒(あだ)として、テクスト(本文)に誠実な解釈を試みただけなのだ。そう、ただそれだけだったはずなのだ。僕の平穏な大学生活が、一人の文学少女によって、まったく新しいジャンルの愛憎劇へとリブートされる、あの日までは。

事の起こりは、僕が所属する文学サークルの読書会だった。その日のお題は、夏目漱石の『こころ』。言わずと知れた近代文学の金字塔だ。僕は高校時代からこの作品に心酔しており、先生が抱えるエゴイズムと孤独について、発表の準備も万端だった。

事件は、サークル内で「姫」と密かに呼ばれる、姫宮さんの発表で起きた。彼女は儚げなワンピースに身を包み、長い黒髪を揺らしながら、熱っぽく語り始めた。

「私は、先生とKの関係こそ、この物語の核心だと思うんです。それは友情という言葉では表せない、もっと深い……そう、"愛"ですわ。お嬢さんを巡る三角関係は、二人の悲恋を隠すためのカモフラージュ。嫉妬のあまり親友を死に追いやってしまった先生の、痛切な魂の告白……それがこの『こころ』なんです!」

サークル内に、なんとも言えない生暖かい空気が流れる。ああ、また始まった。姫宮さんの得意技、「名作BL解釈」だ。太宰の『走れメロス』を読んでは「メロスとセリヌンティウスの熱い絆に涙が止まらない」と言い、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読んでは「ジョバンニとカムパネルラの永遠の旅立ちが尊い」と語る。彼女の世界では、すべての友情は究極の愛へと昇華されるのだ。

いつもなら「まあ、そういう読み方もあるよね」と、大人の対応でスルーするところだ。だが、その日に限って、僕の中の"文学警察"がけたたましくサイレンを鳴らした。『こころ』だけは、断じて違う。

「待った、姫宮さん」

僕は、気づけば立ち上がっていた。

「その解釈は、あまりに表層的だと言わざるを得ない」

姫宮さんの大きな瞳が、驚いたように僕を捉える。周囲のサークル員が「やめとけ」「地雷だぞ」と目で訴えてくるが、もう遅い。僕の舌は、研究室の教授のように滑らかに動き始めていた。

「先生の罪悪感の本質は、Kへの恋愛感情などではない。それは、当時の知識人が抱えた『エゴ』という名の業、そのものなんだ。Kの『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』という言葉への強烈なコンプレックス、それこそが先生の行動原理の根源だ。お嬢さんを巡る恋は、あくまでそのエゴを爆発させるためのトリガーに過ぎない!」

僕は立て板に水とばかりに、作中の描写を引用し、漱石が他の作品で描いたテーマとの関連性を指摘し、近代化の中で揺れ動く日本人の孤独を熱弁した。僕の完璧な論理展開の前に、姫宮さんの顔から血の気が引いていく。

「それに……」と僕は、最後の一撃を放った。「先生がKに宛てた遺書、あれは友情の破綻とエゴの告白であって、失恋の嘆きではない。テクストを丹念に読めば、それは自明の理だ。君の解釈は、いわば二次創作。原作へのリスペクトが足りないんじゃないか?」

言い切った。満足感と、少しばかりの罪悪感。姫宮さんは俯いたまま、小さな声で「……わかりました」と呟き、その日の読書会は気まずい雰囲気のまま幕を閉じた。

翌日から、僕の地獄が始まった。

まず、僕の下駄箱に羊羹が置かれるようになった。Kが先生に羊羹を勧められる、あの名シーンのオマージュだろう。ご丁寧に「お詫びです。あなたの解釈、勉強になりました」という、美しい筆跡の手紙まで添えられて。最初は一つだった羊羹は、日を追うごとに二つ、三つと増殖し、一週間後には僕の下駄箱は高級和菓子店のショーケースのようになっていた。甘い匂いが、怖い。

次に、ストーキングが始まった。僕が図書館で本を読んでいると、必ず視界の端に姫宮さんがいる。彼女は何も言わず、ただじっとこちらを見つめている。その手には、いつも『こころ』が握られていた。

そして、ついにLINEが来た。どうやって僕のアカウントを知ったのか。

『あなたの解釈を反芻するたび、胸が苦しくなります』

『あなたは、私の浅薄な読みを打ち砕いてくれた、私の"先生"なのですね』

『今、図書館の二階、日本文学の棚の前にいらっしゃいますよね? その背中、まるで孤独を背負った先生のようですわ』

ホラーだよ。これは純文学じゃなくて、ホラーだよ。

僕は姫宮さんを避けるようになった。だが、彼女はどこにでも現れる。大学の廊下、学食、最寄りの駅のホーム。そして、僕を捕まえるたびに、うっとりとした表情でこう言うのだ。

「逃げても無駄ですわ。あなたは私の解釈を論破した。それは、誰よりも深く私の解釈を理解してくれたということ。私たちの"こころ"は、あの日、あの瞬間から、固く結ばれてしまったのですから」

違う! 理解したからこそ、否定したんだよ!

僕の心の叫びは、彼女の強固な恋愛フィルターの前では無力だった。

かくして、僕は『こころ』のBL解釈を完全論破した代償に、文学的ヤンデレという、まったく新しい概念の粘着質な愛情を一身に受けることになった。先日など、僕が絶望して「もう漱石はこりごりだ…」と太宰治の『人間失格』を手に取ったら、いつの間にか背後にいた姫宮さんに「まあ、太宰。葉蔵の苦悩……ぜひ、あなたの解釈で私を"失格"にさせてくださいまし」と囁かれた。勘弁してくれ。

文学を愛したばかりに、僕はテクストよりも遥かに厄介なコンテクスト(状況)を背負い込んでしまったらしい。この物語の結末は、果たしてどこへ向かうのだろうか。……なんて、漱石風に格好つけてみても、明日、下駄箱に入れられる羊羹の数は減らないのである。

こゝろ (角川文庫)
夏目 漱石
KADOKAWA
2012-10-16




ヤンデレ彼女のエピソード3選

どうも、僕です。突然ですが皆さん、「ヤンデレ」という言葉にどんなイメージをお持ちでしょうか。アニメや漫画の影響で、包丁片手に「ずうっと、一緒だよ♡」とか、スマホをバキバキに折りながら「この女、誰?」とか、そういう物騒なシーンを思い浮かべるかもしれません。

ええ、まあ、概ね正解です。

僕の彼女、愛(まな)は、何を隠そうそのヤンデレです。彼女の名誉のために言っておくと、普段は本当に可愛くて、料理上手で、僕に献身的な、非の打ち所がないパーフェクト彼女。ただ、その愛情のベクトルが時々、明後日の方向にフルスロットルで突き進んでしまうだけで。

今日は、そんな僕が日々の生活で体験した、胃がキリキリするけど、一周回って笑えてくる(と自分に言い聞かせている)愛との日常から、珠玉のエピソードを3つ、ご紹介しようと思います。ウェブメディアの記事だと思って、軽い気持ちで読んでいってください。

エピソード1:『GPSアプリは愛の羅針盤』

あれは確か、付き合って三ヶ月くらいのこと。僕がうたた寝している隙に、愛は僕のスマホにGPS共有アプリをインストールしました。もちろん無断で。アプリの名前は『Love-Navi』。ハートマークがやたらと可愛いアイコンです。

「愛、これ何?」

「心配なんだもん。あなたが事故にでも遭ったらって思うと、夜も眠れなくて……。これがあれば、あなたがどこにいても安心できるでしょ?」

うるんだ瞳でそう言われてしまえば、無碍にはできません。それに、別にやましいことなんてないしな、とその時の僕は高を括っていました。愚かでした。

ある金曜の夜、会社の飲み会が盛り上がり、二次会のカラオケに行く流れになりました。その瞬間、ポケットのスマホがブルッと震えます。愛からのLINEでした。

『♡今日の夜ご飯はハンバーグだよ♡早く帰ってきてね♡』

ここまでは可愛い。むしろ嬉しい。しかし、僕がカラオケ店のビルに入った、その刹那。

『……カラオケ?』

はやい。反応が早すぎる。僕の位置情報、秒速で更新されてる?

まあいい、説明すればわかってくれるだろう。そう思って、上司にマイクを渡され、僕は十八番のロックバラードを熱唱し始めました。すると、隣の席に座っていた後輩の女の子が「この曲好きなんです!」と一緒に口ずさんでくれたのです。和やかな雰囲気。最高だ。

その瞬間、僕のスマホは悪魔のバイブレーションを奏で始めました。画面には『愛♡』の文字。マイクを持っているので出られません。しかし、振動は止まらない。ブブブブブブ!ブブブブブブ!まるで蝉のようです。

仕方なく一瞬歌うのをやめてスマホを見ると、鬼のような着信履歴とLINEの通知。

『女の声がした』

『誰と歌ってるの?』

『ねえ』

『ねえってば』

『浮気?』

『私の歌以外、聞きたくないって言ったよね?(言ってない)』

結局、サビを歌いきることなくカラオケボックスを飛び出し、僕はハンバーグが待つ我が家(という名の法廷)へと逃げ帰りました。

「おかえりなさい♡」と出迎えてくれた愛のハンバーグは、肉汁たっぷりで絶品でした。まあ、美味しいから許すか……。

エピソード2:『手料理は愛情(と嫉妬)の隠し味』

愛の作るお弁当は、毎日が料亭レベルです。彩り豊かな野菜、可愛いタコさんウインナー、手の込んだだし巻き卵。会社の同僚からは「お前、前世で国でも救ったのか」と羨ましがられるほど。

そんなある日、営業部の美人な先輩が、僕のデスクにやってきました。

「これ、出張のお土産。みんなに配ってるから、よかったらどうぞ」

そう言って渡されたのは、有名な洋菓子店のクッキーでした。断る理由もありません。ありがたく頂戴し、お礼を言ってデスクでポリポリ。

その瞬間、スマホに愛からLINEが。

『お弁当、美味しかった?』

「もちろん!」と返すと、すぐに次のメッセージが。

『そっか、よかった♡ ……ところで、今何か食べてる?』

エスパーかよ。なんでわかるんだ。背筋に冷たいものが走りましたが、「先輩からお土産もらっただけだよ」と正直に報告。愛も『そうなんだ!よかったね!』とハートマーク付きで返信をくれ、一件落着。

……したはずでした。

その日の夜、家に帰ると、食後のデザートに出てきたのは、昼間に僕がもらったものと寸分違わぬクッキーでした。ただし、サイズが三倍くらいデカい。愛の手作りです。

「ねえ、市販のお菓子と、私の手作りクッキー、どっちが美味しい?」

笑顔でした。満面の笑みでした。でも、目が笑っていませんでした。僕が「もちろん愛のだよ!というか愛のしか勝たん!」と叫ぶまで、その巨大クッキーが食卓から下げられることはありませんでした。

後日、その先輩は僕のデスクに近づかなくなりました。風の噂によると、会社の玄関で待ち構えていた愛に「彼の栄養管理は、すべて私が行いますので」と最高の笑顔で宣言されたそうです。

エピソード3:『壁から聞こえる愛の囁き』

僕が一人暮らしをしていたアパートの隣室が、ある日空き家になりました。まあ、よくあることです。そして、ほどなくして新しい住人が引っ越してきました。

ピンポーン、とチャイムが鳴り、ドアを開けると、そこには満面の笑みを浮かべた愛が立っていました。手には引越し蕎麦ならぬ、手作りのガトーショコラ。

「やあ!偶然だね、お隣さんになっちゃった♡」

偶然なわけがあるか。不動産情報サイトに張り付き、この部屋が空いた瞬間に内見もせず契約したそうです。行動力がカンストしている。

それ以来、僕のプライベートは事実上、消滅しました。

僕が部屋で映画を観て笑うと、壁の向こうから「ふふっ」と愛の笑い声が聞こえてきます。

僕がくしゃみを一つすれば、壁越しに「大丈夫?風邪?」と声が飛び、五分後にはドアノブに手作りの生姜湯が掛かっています。

一度、深夜にカップ麺をすすったら、壁をコンコンと叩かれ、『こんな時間に塩分はダメだよ♡』というLINEが届きました。

僕の部屋は、もはや愛のオーディオコメンタリー付き上映会場です。

「これ、もう同棲と変わらなくない?」と聞くと、彼女は心底幸せそうにこう答えました。

「違うよ。だって、あなたの一人の時間も、ちゃんと"見守って"あげたいから♡」

その理屈はおかしい。


以上、僕のヤンデレ彼女、愛との日常エピソード3選でした。

いかがでしたでしょうか。正直、友人は減りましたし、胃薬は友達です。でも、これだけ全身全霊で愛されているという事実は、まあ……悪い気は、しないのかもしれない。いや、僕の脳が彼女の愛情(という名の圧力)に焼かれて、正常な判断能力を失っているだけですね、確実に。

もし、あなたの周りに毎日豪華すぎるお弁当を食べながら、時々虚空を見つめている男性がいたら、それは僕かもしれません。その時は、どうか憐れみの視線を向けず、そっと生姜湯でも差し出してやってください。

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