俺はラノベ作家である。
会社の同僚との飲み会で、後輩の佐藤くんが「神林さん、ご趣味とかあるんですか?」とキラキラした目で聞いてきた時も、俺は澄まし顔でハイボールのグラスを傾けながらこう答えた。
「趣味、というか……まあ、ライフワークかな。小説を書いてる。ラノベ作家なんだ」
「え、すごい!どんなお話なんですか!?」
食いついてきた佐藤くんに、俺は待ってましたとばかりに語り始める。
「現代社会に転生した魔王が、元勇者の女子高生とコンビを組んで、資本主義という名のダンジョンを攻略していく話。タイトルは『魔王様、それは経費で落ちません!』。どう?面白そうだろう?」
「は、はあ……」
佐藤くんの顔からキラキラが消え、代わりに「この人、何を言っているんだろう」という純度100%の困惑が浮かび上がる。ちがう、そうじゃない。そこは「さすが神林さん!着眼点が違いますね!」と感嘆するところだろうが。凡人には俺の、ゴッド・ジョウの才能は眩しすぎるというのか。
そう、俺のペンネームはゴッド・ジョウ。神林(かんばやし)丈(じょう)だから、ゴッド・ジョウ。完璧なネーミングだ。我ながら天才かと思う。
俺が「ラノベ作家」を宣言し始めたのは、かれこれ三年前。小説投稿サイトに処女作をアップロードした、その瞬間からだ。読者がいなくたって、評価が付かなくたって関係ない。作品を生み出した、その時点で作家なのだ。ゴッホだって生前は評価されなかっただろう? 俺は未来のゴッホなんだよ、と自分に言い聞かせながら、日々キーボードを叩いている。
会社のデスクにも、ささやかな自己主張は忘れない。PCのモニターの隅に、小さなテプラでこう貼ってある。
『締切厳守(ただしプロットに限る)』
誰も気づいてくれないのが玉に瑕だが、この隠れたクリエイター感こそが、俺のモチベーションを支えていると言っても過言ではない。
先日も、企画会議で上司が「何か斬新なアイデアはないか!」と煮詰まっていた時、俺は静かに手を挙げた。
「僭越ながら、部長。物語論的に言いますと、ここで必要なのは『意外な協力者の登場』フェーズです。例えば、競合他社の落ちこぼれ社員と秘密裏に手を組む、というのはいかがでしょう」
会議室は静まり返った。比喩が高度すぎたか。
「……神林くん、とりあえずA社へのアポ、よろしく頼む」
ちっ、俺のメタ的な視点を活かせないとは、この会社も先が知れている。
そんな俺にも転機が訪れる。中学二年生の姪っ子、メイちゃんだ。夏休み、俺の部屋に遊びに来た彼女は、本棚にぎっしり詰まったラノベを尊敬の眼差しで見つめていた。しめた。こいつは「わかる」側の人間だ。
「ジョウおじさん、すごい量の本だね」
「まあな。作家たるもの、インプットは欠かせないからな」
ドヤ顔で答える俺に、メイちゃんは無邪気にこう言ったのだ。
「おじさんもラノベ作家なんでしょ? お話、読みたいなあ」
キタ。ついに俺の作品を渇望する読者が現れた。しかも身内。これ以上ないファンだ。
俺は歓喜のあまり、書斎(と呼んでいる納戸)から最新作『異世界チートスキルでデイトレードしたら、秒で資産が溶けた件』をプリントアウトした束を取り出した。分厚いA4用紙の束。これぞ作家の証。
「ほら、メイちゃん。これがゴッド・ジョウ先生の最新作だ。まだ世に出ていない貴重な原稿だぞ。特別に読ませてあげよう」
「わーい、ありがとう!」
メイちゃんは嬉しそうに原稿を受け取り、自分の部屋にこもっていった。
数時間後が楽しみで仕方なかった。きっと彼女は「おじさん、天才だよ!続きはまだなの!?」と興奮して飛び込んでくるに違いない。サインの練習でもしておくか。「For メイちゃん God Joe」っと。うん、いい感じだ。
しかし、数時間経ってもメイちゃんは来ない。夕食の時も、どこか浮かない顔をしている。どうしたんだ? 俺の作品の持つ重厚なテーマ性に、中二の心が付いてこられなかったか?
痺れを切らした俺は、食後にメイちゃんの部屋をノックした。
「メイちゃん、おじさんの小説、どうだったかな?」
メイちゃんはベッドに座り、俺の原稿を膝に置いたまま、困ったように眉を下げた。そして、おずおずと口を開く。
「あのね、おじさん……」
「うん、なんだい?どんな感想でもいいぞ。衝撃的すぎたかな?」
「うーんとね……まず、誤字が多くて……」
「ぐっ」
「あと、登場人物の女の子、みんな同じ口調じゃない? なんか、男の人が考えた『女のコ』って感じで……」
「ぐふっ」
「それと、この主人公、なんで五ページもずっと自分のステータス画面の説明してるの? 私、読み飛ばしちゃった」
クリティカルヒット。しかも三連コンボだ。俺のライフはもうゼロよ。
ぐらりと揺れる俺に、メイちゃんは純粋な瞳で最後の一撃を放った。
「おじさんって、本当にラノベ作家なの?」
その瞬間、俺の中で何かがガラガラと崩れ落ちた。会社の同僚にドン引きされても、投稿サイトでPVが伸びなくても、新人賞で一次選考の壁を越えられなくても、決して折れなかった俺の心が、ポッキリと。
そうか。俺は、ラノベ作家じゃなかったんだ。
ラノベ作家になりたいだけの、ラノベ作家ごっこをしていただけの、ただのイタいおっさんだったんだ。
宣言するだけなら、誰にでもできる。だが、本物は宣言などしない。周囲が、読者が、その人のことを自然と「作家」と認めるのだ。
その夜、俺はPCのモニターから『締切厳守(ただしプロットに限る)』のテプラをそっと剥がした。そして、小説投稿サイトの作者ページを開き、ペンネームを「ゴッド・ジョウ」から、本名の「神林丈」に修正した。
誰に言うでもない。ただ、もう一度、一から書いてみようと思った。メイちゃんが、次のページをめくりたくなるような物語を。面白い、と素直に笑ってくれるような物語を。
ラノベ作家とは宣言するものにあらず。
いつの間にか、誰かにそう呼ばれているものなのだ。
……多分な。まあ、知らんけど。
さて、まずは『魔王様、それは経費で落ちません!』の経費の計算が、ガバガバすぎる問題から修正しますか。やれやれ、作家の仕事ってのは、本当に地道な作業の連続なのである。













