愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

短編

もっとエンドマークを集めたほうがいいのかもしれない

 最近の作家はそうでもないようだが、昔の作家は短編が多い。芥川なんかは短編ばっかりだ。しかし夏目先生は最初から猫の大長編を書き上げている。続けて書いた坊っちゃんもそこそこある。短編は少ない。でもないわけじゃない。初期の頃は何年か書いている時期があった。
 牛野小雪はどうかというと短編の数は非常に少ない。昔に書いたのを入れても100はいかないのではないかと思われる(あんまり見返したくない)。ここはひとつ100個ぐらい短編を書いたほうが良いのかもしれない。
 周りの作家を見ていると、みんな腕を上げてきている(みんなもっと下手な物書こうよ)。書いた文字数なのか、エンドマークなのかは分からない。でもエンドマークが多い人の方が上達のスピードが早いような気がする。やっぱり自分の身を振り返っても、文字数よりエンドマークの方が手応えはある。
 100個はともかく、長編1個書くなら、短編10個書くぐらい書いた方が良さそうだ。真論君家の猫を描いた時は、短編2個を書いていたし、黒髪の殻と幽霊になった私を書く前は短編4個(幽霊の方は年末年始にブログに書いたやつ。ヒッチハイクは特別な書き方をしたのでカウントしない)。長編1個に短編2個の計算だが、ここで10個書けば5倍凄いものが書けるかもしれない。
 う〜ん、でも10個か。書けるかなぁ。

(おわり)

追記:夏目先生が短編小説を書いていたのは『それから』まで、なんとなくここらから小説が固くなってきたように私は思うのだ(『虞美人草』はめちゃくちゃ堅いけれど)。正直、『門』はいまいちだし(40代になれば、良さが分かるんだってさ)、『こころ』がどうして代表作なのかわからない。私の中で夏目先生は猫だけの一発屋で『坊っちゃん』はまぁそこそこ。しかしそれ以後は書けば書くほど才能を落とした作家のように思えるのだ。しかし、『それから』は何故かそこそこいける。で、ウィキペディアを調べてみると、これを書く前に『夢十夜』という短編を書いていることが分かった(ちょうど10個だ。『文鳥』入れれば11だけど)。『坊っちゃん』を書く前にもいくつか書いている。やっぱり短編を書かないと長編はうまく書けないものなのかもしれない。

追記2:最近口がデカイね。
 
追記3:『こころ』は長編小説なのだろうか? ちょっと違う気もする。何がと聞かれても困るけど。『彼岸過迄』もやはり長編とは違う気がする。

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両親のギター inspired by『レモン/グラス』王木亡一朗


 毎年夏が終わる頃、両親から土のついた野菜やお米と一緒にギターが送られてくる。 某一朗 ぼういちろう の実家はギター農家で、収穫時期が過ぎると規格外の出荷できないギターがダンボール箱一杯に送られてくるのだ。

 むこうは生活の足しにと思っているのだろうが、こんなにギターばかり送られてきても某一朗は持て余すばかりだった。両親にしても二人だけで大量に余ったギターを消費しきれないので某一朗や親戚の家になかば押し付けるように送ってくるのだろう。

 ギターがぎっしり詰まったダンボール箱は2週間ほど部屋の隅に放置されている。視界に入らない場所にあるのに不思議と無視できない存在感があった。そのまま腐らせていくのはしのびないので、某一郎が夏の終わりに大きな圧力鍋で大量のギターをくたくたになるまで煮込むのが毎年の恒例行事になっている。

 圧力鍋の蓋から蒸気が吹き上がる様を見ていると、某一朗は子供の頃を思い出す。

 梅雨が明けるとギターの木を包むように小さな白い花がいっぱい咲く。ギター農家ではひとつのギターに栄養を集中させるために、その花が散る前に枝先の花だけを残して花をむしっていかなければならなかった。中学生になると某一郎も手伝わされた。夏の暑い盛りにするので全身乾いたところがなくなるほど汗をかいた。

 夏の作業はそれで終わりではなく、ギターの実が成長してくると一番良い実だけを残して他の実を落としていく作業も待っている。それはたいてい夏休みが始まった頃に始まり、夏休みが終わるまで続く。某一朗は他の子達が遊ぶところを想像しながら将来は絶対にギター農家にはならないと誓ったものだ。

 夏の終わりに妻のえみりんはなぜか食欲が落ちる。夏バテのせいだろうか。食卓の前にデンと置かれた大量のギター煮込みのせいかもしれない。

 ギターを食べたくないわけじゃない。ただ食欲がないから食べられない。ご両親には悪いけれど本当に何も口にしたくない。もしかしたら明日は食べられるかもしれない。はっきりとそう口に出されたわけではないが、某一朗には妻がそう思っているようにしか感じられなかった。そういえばこの時期になると口数も少なくなる。

 一体これは何なのだろうか。どうしてこの世にギターなんてあるのか。息の詰まる夏の終わりに某一朗は毎年考えさせられる。妻のえみりんは食後に何か別のものを食べている様子はなく、本当に食欲がなさそうで夏が終わるとほっそりやせる。その顔を見て某一朗は悪いことをしたような気持ちにさせられた。

  調理したとしてもギターだっていつかは腐る。冷蔵庫でも一週間はもたない。某一朗は毎日ギター煮込みをおかずにしてごはんを食べた。妻は漬物かふりかけだけで済ましてしまう。食卓は緊張をはらんだ静けさに満ちていた。某一朗はコシのない固い食感のギターをぷつぷつと噛み切ると、ある種の重さと共に両親のギターを飲み込んだ。

(おわり)

inspired by
『レモン/グラス』王木亡一朗:note 
Amazon:王木亡一朗のページ 

Kindleストア:牛野小雪 

ヘリマル・セブンティーン for answer『年始挨拶/ヘリベマルヲ on人格overdrive』


よう、俺だ。ヘリマルだ。おまえら、もし仙台で働くような事があれば隙間社だけはやめておけ。第一印象は“怪しい”だろうが、事実それは正しい。真っ当な顔をして実は……という事がないので、ある意味良心的かもしれない。仙台で働くなら白昼社へ行け。あそこは良心的だ。給料も良いし、定時で帰れる。俺だってチャンスがあれば入りたい。

ヘリマル2

  東京と比べれば仙台なんて秘境のような場所だ。東北の都会と言ってもしょせんは地方都市。どんぐりの背比べに過ぎない。それでも通勤帰宅ラッシュは存在する。俺は寿司詰めの電車で職場と自宅を往復している。ここでは精神がマトモなやつから病んでいく。一度見てみろよ。みんな死んだ顔している。こんな奴らもいざ外へ出た途端に正常な人間へ戻るから恐ろしい。

 

 先日、空いている時間の電車に乗る事ができた。あんな会社でも時には定時前に帰してくれる事がある。社会人はまだ少なくて学生が多い時間だった。俺のように病んだ青春を送っていそうな奴は一人もいない。どいつも真っ当に生きて、仙台か東京の大学へ行って、白昼社みたいなホワイト企業に就職して、健やかな人生を歩むのだろう。真っ当な人生の可能性にあふれていた。俺はもう四十路を越えた。若さはとうの昔に蒸発している。現状維持できればそれで良しとしなければならない。

 

 停車駅が近付くと電車が一度小さく揺れて、次に大きく揺れた。その拍子に吊り輪から手がすっぽ抜けた。おまえら、年取るとこういう事があるから若いうちに鍛えておけよ。オッサンになると筋トレしても筋肉はつかないからな。その代わり脂肪はV8のエンジンを積んだみたいに膨れ上がる。聞いただけで恐ろしいだろう? とにかくそのすっぽ抜けた手は大きくすっ飛んで柔らかい物に触れた。俺は顔を上げて人生が終わったと思った。

 

 俺の手は女子高生のおっぱいをがっしりと掴んでいた。しかもギャルっぽい。ヤバイ。鉄道警察に連行され、裁判にかけられ、最低の隙間社からも放り出される俺の姿が一瞬にして脳内に流れた。俺は社会不適応者だが、とうとう前科が付くのだ。社会の真っ当なレールから外れることが確定した。だがそのギャルっぽい女子高生は叫びもしないし、騒ぎもしなかった。俺は“すみません”と頭を下げて、おっぱいから吊り革に手を戻した。

SAKI5

 俺は窓の外を見ていたが意識は女子高生に向いていた。彼女が俺を見ているような気がする。何気なく目を向けると体を正面に向けて俺を見ていた。さっきはショックで声を出せなかったが、次の駅で俺を捕まえる気なのかもしれない。俺は大量の汗を脇と汗から流していた。

 

 電車が駅に着くと俺は何食わぬ顔をして電車を出た。女子高生は俺と一緒に電車を降りた。さっき流した汗が外気に当たって、氷みたいに冷たくなった。走って逃げるのはやましいことを認めたようなものだ。俺は何事も無い様に改札まで行ったが、軽い足音が後ろからついて来るのを背中で感じていた。

 

 改札を抜けても彼女はぴったりと俺の後ろについてきた。駅を出てもついてくる。帰る方向が一緒というわけではないだろう。明らかに後をつけてきている。それでも俺は歩き続け、人が少ないところまで来るとやっと振り返ることができた。

 

“なんでついてくんの?”
女子高生は俺が振り返ったことにちょっと驚いた顔をしていた。
“なんでついてくんの?”
また同じ事を言った。俺は彼女としばらく目を合わせていた。彼女は口を緩ませて
“さっきおっぱい揉んだ”
と言った。背中から汗が噴きだしてきた。

 俺は何も言い返せずに、回れ右して歩き出すと、女子高生もついてきた。居場所を突き止められるんじゃないかという恐怖があったが、俺は何故か部屋に帰ろうとしていて、すぐに近所のコンビニまで来た。X+エクスタシ。10年前まで日本中にある店だと思っていたが、実は仙台にしか存在しないらしい。

 

 俺が今の部屋に越してきた時にその店舗も開店したが、二年もしないうちに潰れた。近所の不良共が万引きしすぎたからという噂を、通りすがりに耳にしたが本当のことかどうか分からない。不良共がいるのは本当で、その時俺が通った時も三人の柄の悪そうな奴らが照明の消えた寂しい店舗を背にタバコを吸っていた。俺とは別次元で真っ当なレールを外れようとしている奴等だが、こちらが何もしなければむこうも何もしてこない。

 

“えっ、マジマジ!?”
“マテマテマッテ! スッゲエ可愛いじゃん!!!”
見た目より幼い声が後ろから聞こえた。やはりまだ若いのだ。振り返ると俺をつけていた子が少し離れた場所で不良達に絡まれていた。
“ね、どこ高? 俺達と一緒に遊ぼうず”
 “ヤッベ、ハハハハ、ヤッベ、”
とはしゃいでいる。彼女は俺を見ていた。不良達は脅すようなナンパを続けている。
“帰るところだから”
と彼女は言った。
“いいって。まだ夜は始まったばかりだし”
“家も近いし” “それじゃ一緒に帰ろうぜ”
と不良達は無茶な事ばかり言っている。さすがに何度も視線を送っていたからか、不良の一人が俺に気付いた。それをきっかけに残りの二人も俺を見て、三人一緒に近付いてきた。

 

 ヤバイ気配を感じたが俺は動けなかった。三人の中で正面にいた奴が顔を俺の目の前まで近付けてきた。一瞬キスするんじゃないかと思ったが、キスしたのは奴の拳で、俺の頭を思いっきり横に殴り抜けた・・・・らしい。

 らしいというのは目の前が真っ暗になってどうなったか分からなかったからだ。
“オラァアアアア!”
この時ばかりは幼さが消えてドスの効いた声だった。そういえば不良に絡まれたのは人生初だ。あいつらマジで話が通じない。火星人が人間の姿をしているんじゃないかってぐらいコミュニケーションができない。俺は続けて殴ったり蹴られたりして、目も開けていられなくなった。
“コラアァアァァァ!” “ナメンじゃねえぞ、オッサン!”
“死ねや、カス”
そんな感じで不良達は叫びながら俺を蹴り続けていた。

 

 目を開けても視界は真っ暗なままだった。俺はゴミ箱の中に体を突っ込まれていた。燃えるゴミの方だというのは入れられる前に見た。3人がかりだった。いざ修羅場になると何にもできないってのは本当だな。ケンカで一番強いのは躊躇無く人を殴れる奴だ。

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 ゴミはゴミ同士ゴミ箱の中でヘイトし合っている。俺もゴミは嫌いだ。だが変な具合に体を突っ込まれてゴミ箱から出られない。クソッ、マトモに死ぬとは思っていなかったが、ゴミ箱に体を突っ込んだまま死ぬなんて想像もしなかったぞ。こんな最低な死に方をするんだなと嘆いていたら
“オジサン、生きてる?”
と声がした。

 

“おーい、助けてくれ!”
俺は叫んだ。ゴミ箱の中に情けない40男の声が響く。
“どうしよう?”
と頼りない言葉と声が帰ってきた時は殺意が湧いた。人間、下手に希望があると怒りや絶望を感じるらしい。
“何でも良いから引っ張ってくれ”
と俺は言った。頼りない手が俺の足首を掴んだ。

 

“ムリ、全然動かない”
ちっとも引っ張っていないのに声の主が言ったので、本気で殺したくなった。
“ベルトを持て。それで思いっきり引っ張れ”
と俺が言うと
 “なにそれ、上から目線。自分で出ればいいのに”
と冷ややかな声が返ってきた。このまま一人残されると恐くなった俺は
“頼む。出られないんだ。助けてください。引っ張ってください”
と頼んだ。
“マジ笑える”
馬鹿にするような声がゴミ箱の外から聞こえた。不良共が綺麗に俺を殺してくれなかった事を俺は恨んだ。
 

 今度はベルトを掴まれる感触があった。俺も目の前にあるゴミを手で押して何とか出ようとする。少し体が動いたと思ったら、ゴミ箱も一緒に動いた。夜の町にゴミ箱が派手にひっくり返る。だが視界は夜の暗さに戻っていた。俺は年代物のゴミと一緒にゴミ箱から脱出する事ができた。

 

“うわっ、サイアク。制服についたんだけど”
女子高生が制服を手で払った。俺の後をつけていた子だ。
“あいつらは?”
俺が訊くと
“あいつらって?”
と、とぼけたような事を言った。
”ここにいた不良達だ”
“知らない。私、避難してたから。オジサンっておっきい体してるのに弱いんだね”
また女子高生が笑った。その笑い声にサイレンの音が混じる。
“ヤッバ、早く逃げよ。ケーサツが来る”
この時の彼女はさっきまでの余裕が無くなってマジだった。
“なんで?”
と俺が言うと
“私が呼んだから。DQN達が10人ぐらいバット振り回してるって”
俺は痛む体をひきづってその場から逃げた。

 

 俺は自分の部屋に逃げ込んだ。俺は一緒に逃げ込んだ女子高生を見た。入れとも言っていないのに勝手に入って
“ここってオジサンの家?”
と訊いた。
“なんでついてくるんだよ”
俺がそう言ったそばでパトカーが近くに停まった。
“だって電車で痴漢したじゃない。あっ、ちょうどケーサツもいるし、どうしようかな?”
女子高生が立ち上がったので、俺は玄関のドアを守るように立ちふさがると、彼女は勝ち誇るようにニヤついた。

 

“オジサン、なんて名前?わたしサキ”
彼女の問いに
“マルヲ”
と答えると
“それって本名? 何だか芸名みたい”
と言われた。知るか。親が勝手に付けた名前だ。俺だってこの名前を気にしないようになるまで30年かかった。それからお互いに年齢を教え合った。サキは17歳らしい。高校生なら当たり前だが俺は驚いた。ケバい化粧が年齢を隠していた。サキは俺の部屋にある物を勝手にいじっている。俺の
“帰れよ”
の言葉に
“本当に帰っていいの?”
だ。頭二つ慎重が低い女子高生に俺は精神的に負けていた。ドアから動く事ができない。

 

 しばらくするとサイレンの音が遠ざかっていった。
“もう帰れよ”
と俺は言った。ずっと居座られそうな気がしたが、彼女は
“それじゃ帰るね”
と立ち上がった。彼女を玄関で見送り、姿が見えなくなると俺は立っていられなくなった。不良達にやられた体がようやく痛んでくる。

 

 数日後、俺が会社で最低の仕事を終えて部屋に帰ってくると、玄関のドアにサキが座っていた。
“おっはー”
 10年以上前のネタを使う女子高生は変な気分がした。
“なんでいるんだよ”。
“遊びに来たの”
“帰れ、俺は仕事をした後なんだ”
“ひどい。私のおっぱい揉んだくせに!”
サキがアパート中に響く声を出したから俺は彼女を中に入れた。

 

“何か食べたい”
というので、ポテトチップスのコンソメパンチを食わせてやった。俺もカップヌードルと一緒に食った。変な緊張で俺が麺をつまらせると
“ダサい……”
とサキは小声でののしった。かっこいいオッサンなんていない。いつかはお前もオバサンになる。俺だってオッサンになるとは思わなかった。なったとしてもかっこいいオッサンになると思っていた。
 

 サキはスマホをいじりながらTVを見ていたが、俺が風呂に入っている間に書き置きを残して部屋を出ていた。そこにはこう書いてある。
“これ、ワタシのLINE”

 LINEの連絡先を残していったという事はまだ俺につきまとうつもりか。冗談じゃない。明日も朝早いっていうのに複雑な事情を抱えて眠れるわけがないと俺は思ったが、最低の仕事をした後は不思議と寝つきがいい。今日も例外ではなかった。

 

 会社の同僚に牛野小雪という男がいる。女みたいな名前だが男だ。あれを本当のイケメンというのだろう。時々やつにときめいている自分に気付いて恐くなる。俺は彼にサキのことを説明した。女のことなら解決してくれそうだったからだ。

“ウンコを漏らせばイチコロだよ。若い子なら一瞬で逃げていく”
最初に受けたアドバイスは俺の斜め上だった。こんな事を言うから、奴は人間のふりをした火星人なんじゃないかと思う時がある。

二言目にはこうだ。
“女子高生につきまとわれるなんてご褒美じゃないか。付き合っちゃえよ”
駄目だ。こいつじゃ話にならない。でも他に話せる相手もいなかった。

解決策がないまま部屋に帰るとサキがいた。しかも怒っていた。

 

“どうしてLINEに連絡くれないの!”
サキが大きな声を出した。俺は彼女を部屋へ入れた。まさか毎回この手を使うつもりじゃないだろうな。サキはテレビを点けると自分の家みたいにくつろぎ始めた。
“帰れよ”
“どうして?来たばっかじゃん、笑える”
俺は晩飯を食うことした。
“オジサン、毎日それ食べてるの?”
カップヌードルをすすっているとサキが言った。目はスマホに向けたままだ。
“なに喰おうが勝手だろ”
“なんだか冴えないオッサンみたい、超ダサい”
オッサンはメシを食っているだけでダサくなってしまうらしい。

 

 俺はサキの顔を見た。まだ若い。若いという言葉がまだ早いほどだ。幼さが残る顔は化粧を薄く弾いている。無理して大人ぶろうとしているようだった。牛野め。こんな子と付き合えるわけないだろ、犯罪じゃねえか。

 

 俺はカップヌードルをすすった。なんてマズイんだ。健康と寿命を引き換えに明日へ命をつなぐ食事だ。この子が言うようにたまには美味いもんを食った方がいい。明日もう一度カップヌードルを食ったら死ぬような気がする。明日は天ぷらうどんを食いにいこう。くそっ、結局油物か、どうやら俺は思考まで不健康にできているらしい。

“オジサン、さっき私のこと見てたよね?”
サキがTVから目を逸らさずに言った。俺はすすりかけの麺をブハッと容器に戻してしまった。
“見てたよね?”
今度は俺の顔をはっきり見て言う。
“見てねえよ、バカ”
“絶対に見てた。うわぁぁぁぁぁぁ、気持ち悪い。私、こんな汚い部屋でオジサンにレイプされるんだ。ヤダー、オジサンの子どもなんて生みたくなーい!”
サキが立ち上がって、わざとらしく脅えた。立ち上がった瞬間にブルーの下着が一瞬だけ見えると
“いやー、パンツまで見られた。そこだけはやめてー!”
と叫んだ。こいつ、細かいところまで気付いていやがる。それならここからいなくなって欲しいという気持ちにも気付いて欲しいものだ。彼女は脅えた顔でスカートを股の間に挟んでいたが、とても楽しそうだった。

“もし俺が本気で襲ってきたらどうするんだ?”
サキが悲鳴を上げ続ける中で俺はやっとそう言い返した。
“オジサンはそんなことできないもんね”
彼女は笑ってTVの前に座り込んだ。“しない”じゃなくて“できない”か。俺はカップヌードルを流しに捨てに行く時に、ことさら勢い良く立ち上がったのだが彼女は“やっぱりできない”と笑った。

 SAKI4

“そろそろ私帰るね。帰りが遅いとお母さんが心配するし”
さんざん俺をからかった後で、珍しく向こうから帰ってくれることになった。
“この部屋汚いね、ゴミぐらい捨てたら?”
という小言もオマケにつけて、部屋に貯まったゴミ袋を軽く蹴った。
“もう来るなよ”
“また来たくなったら来るし”
しかしサキは明日も明後日も彼女は来なかった。俺は毎日部屋へ帰ってくるたびにほっとしたが、ほんの少しだけ寂しさも感じた。

 

 隙間社から人がいなくなるのは珍しい事ではない。牛野小雪もついに姿を消した。あのイケメンですら姿を消えたことに俺はショックを受けている。イケメンはこの世の常識から外れていると思っていた。無性に連絡を取りたくなったが俺はやつの連絡先を知らないことに気付いた。ネットで偶然やつと同姓同名のGoogle+アカウントを見つけたので呼びかけてみたが返事はない。軽い喪失感を抱えながら部屋の前まで帰ってくると、まだゴミの日ではないのに、大量のゴミ袋がゴミ捨て場に捨てられていた。俺の住んでいる場所はロクな場所じゃないが最低限のマナーは守られていた。しかし、それも今日まで。どんどん規律は崩れてゴミのような人間が集まってくる。俺もその中の一人だろう。それでも俺は怒っていた。世の中を悪くするやつはみんな嫌いだ。誰にも迷惑をかけずに一人で死ねばいいのに。

 

 玄関の鍵を開けるとドアが開かなかった。それでもう一度鍵をひねると開いた。どうやら鍵を閉めずに出て行ったらしい。ドアを開けるとゴミ袋が消えて部屋が片付いていた。
“おかえり”
部屋の奥からサキが出てきた。
“なんでお前がいるんだよ。まさかこれ・・・・”
俺が言葉に詰まると
“うん、汚れていたから片付けておいた。ゴミ袋も貯まっていたから出しておいたよ”とサキは笑った。

 

“てめえ、勝手なことしてんじゃねえぞ!”
俺が怒鳴るとサキから笑顔が消えた。
“超汚いから掃除してあげたんでしょ!”とサキは怒った。
“ここは俺の部屋だ!俺がどれだけ汚そうが俺の勝手だ!”
サキは今までに無いぐらい大人しくなった。前髪が垂れて顔は見えない。
“泣いてるのか?”
“知らないっ! おじさんのバカっ!”
 サキは俺の部屋を出て行った。サキのスマホが机の上に置かれていた。すぐに取りに戻るだろうと思っていたがスマホはいつまで経っても机の上に残されたままだ。俺は毎日それを見ながらカップヌードルをすすった。
 

 それから3ヶ月が経った。その間に3人の人間が隙間社に入ってきて、5人が消えた。牛野小雪とはまだ連絡が取れない。俺が最低の仕事を終え、駅に行くとサキが立っていた。俺を待っていたらしい。
“おっはー、おじさん。ひさしぶり。元気してた?”
サキは昨日会ったばかりのように話しかけてきた。
“なんだよ、お前。もう来ないかと思ってた”
サキは急に沈み込んで静かになった。変な雰囲気だ。だが、このまま立ち去るのも変だった。
“オジサンのとこ行こうよ”とサキは言って先に歩き始めた。
 簡単に断れない響きがあって、俺は彼女と一緒に歩く事にしたが、俺達は一言も喋らずに並んで歩き続けた。

 

 X+エクスタシが近付くと俺は彼女の手を引いて、別の道へ引き込んだ。
“えっ、なに。私とうとう犯されちゃうの?”
“バカ、そんなわけあるか。こっちが帰り道だ”
あの日以来俺はX+エクスタシの前を避けていた。
サキは不審そうな顔はしていたが俺についてきた。
“本当に変なとこいかない?”
暗い公園の近くを通るとサキが言った。
“行くわけないだろ”
“オジサンとだったら行っていいかも”
俺は背筋がゾクッとして振り返った。サキは俺の顔をまっすぐ見ている。どこか深いところへ無限に落ちていくような感覚があった。
“あっ、ブランコ”
サキは俺から目を逸らし、公園のブランコに座った。
“オジサンってブランコしたことある?”
“誰だって子どもだった時がある”
“オジサンも一緒にやろ?”
サキは楽しそうにブランコを漕いでいたが、俺にはそれが悲しいぐらい表面的な物だと理解できてしまった。二人の間にブランコのきしむ音が響く。

SAKI3

“一人でやってもつまんない”
サキはブランコを漕ぐのをやめた。
“何かあったのか?”
長い沈黙に耐え切れなくなって俺は口を開いた。
“エミちゃんって知ってる?”とサキは言った。俺は首を振った。
“英語の先生と付き合ってるんだって。卒業したら結婚するって言ってた。本当かな? ”
“そりゃ犯罪だろ”
“だよね。私もさ、げぇって思った。そりゃあオウキ先生はイケメンだけど、30歳だよ、30歳!”
サキは俺が顔も見た事もないオウキ先生の年齢を強調するが、俺にとって30歳はまだ若い。
“私ね、年上を好きになるって言っても2つか、3つ、それぐらいだと思っていたから一回り離れた相手を好きになるなんてありえないと思ってたけど、オジサン見てたらそれもアリかな、なんてね”
サキが小さくブランコを揺った。

 

 なんてこった。俺は確信してしまった。俺は今、二回りも歳の離れた女子高生に告白されようとしている。空を見上げると月が俺の代わりに発狂していた。やけに黄色い光が俺の目の奥をくすぐってくる。
“ね、オジサン。私ね……”
サキが喋っている途中で俺は
“もう帰ったらどうだ、遅くなるとお母さんが心配するんだろ?” と遮った。
彼女は機先を挫かれてしばらく黙っていたが
“ゴメン、でも今日が最後だから” とまた口を開いた。
“最後って?”
“あたし、山形に引っ越すんだ……明日”
“どうして急に?”“急にじゃないよ。3ヶ月前から決まってた”
それっきり俺達は喋らなくなった。サキはブランコさえ漕がなかった。

 

“山形なんて行きたくないっ!”
突然サキが俺の胸に飛び込んできた。彼女の無防備な背中が俺の目の前で震えている。俺があと20歳若ければ、いや10歳でもいい。俺はこの背中をしっかりと抱きしめていただろう。でも俺は彼女の両肩に手を置いて、ただ泣くがままにさせた。サキの体中から若さが蒸発している。そのにおいは俺の体を燻し続ける。だが俺の心に火はつかないだろう。20年の月日はそれだけの距離がある。

 

“山形だって悪くないさ”サキが落ち着いてくると俺は声をかけた。“山形に行ってもサキなら上手くやれる。友達だってできる。もしかするといい男とだって出会えるかもな”“いい男って?”そう言ったサキは俺の胸から顔を離さない。

“若いうちから本を読んでいるような真面目なやつ”

“本って?”

“江戸川乱歩”

“乱歩? そんな人聞いた事ない。……その乱歩君はイケメン?”

“もちろんイケメンだ。髪は金髪で長く伸ばしている。サキより長いかもしれない”

“本を読んでいる真面目な人なのに?”

“ああ、若いうちから乱歩を読むやつは100人に1人もいない。頭のネジが一本ぐらい取れていてもおかしくはない、それに……”

“……それに?”

“乱歩君もいつかはオジサンになる”

 胸の中でサキが笑った。

“俺にだって若い頃はあった”そう言うと”私、オバサンになりたくないな……”とつぶやいた。

 

“ねえ、オジサン。私がいなくなったらどうする?”
サキはいつもの明るい声に戻っていた。
“毎朝仕事に行って、カップヌードルを食って、ベッドに横になったらまた朝だ”
“……ねえ、それって楽しいの?”
楽しくなくても生きていく。若いサキはまだそれを知らない。知らないで過ごせるなら一番いい。
“オッサンに楽しい事なんてないよ”
“なにそれ”
サキは俺の胸から顔を離した。彼女はもう泣いていない。若さは涙を顔から弾いていた。ほんの一瞬だけ俺は20年の隙間があることを忘れた。彼女はきっと今日流した涙を糧にこれから強く美しく成長するだろう。


 俺とサキは公園で別れた。彼女は別れ際に言った。
“オジサン、絶対に後悔するよ、オジサンにとって最後のチャンスかもしれないんだから”
もう後悔している。ガラスの破片が胸を刺してくるようだった。しかし俺は
”山形でも頑張れよ”と言って彼女を見送った。
彼女は一度も振り返らずに歩き続けて、俺の人生から消えた。もう二度と会うことはないだろう。

 

 それから3ヶ月が経ち、桜が咲いた。俺は相変わらず隙間社とかいう怪しい会社で働いている。サキのスマホは机に置かれたままだ。あいつは仙台の思い出をここに置いて山形に行った。

 40年生きていれば時々こんな嘘みたいなことが起こる。俺も若い頃に聞かされたら与太話だと思っただろう。でもこれは本当のことだ。淡波亮作ならきっと理解できる。さっ、新年早々始まった俺の昔話はこれで終わりだ。じゃあな、おまえら。付き合ってくれてありがとう。本年もよいお歳を。じゃあな全世界。

(おわり)

追記:写真素材 ぱくたそ【https://www.pakutaso.com
モデル 大川竜弥 河村友歌

他のWEB短編小説

SNOW BREAK inspired by 『神隠し/根木珠(yukina)』

SNOWBREAK 320-800

 タマコとマサモリはスキー場に来ていた。マサモリは何度か滑った事があるが、タマコは初めてで、初日は彼に付きっきりで滑り方を見てもらった。最初は滑ろうと思えば止まり、止まろうと思えば滑る有様だったが、一度ロッジに戻ってカレーを食べると、何故か滑る事ができるようになった。

“最初でそれだけ滑られるのなら才能があるよ”とマサモリは言った。

 

 ここへは三日の予定で部屋を取っている。

次の日は難しいコースに誘われたが、何でもないように滑る事ができた。むしろ雪面が荒れていなかったので簡単だったような気もする。

 

“一番難しいところへ行こうよ”

 リフトで頂上へ向かう途中でマサモリに言ってみた。

“行こう、行こう”

 彼はすぐに乗ってきた。

 

 一番難関だというコースにはまだ一本の線しか入っていない。

“滑った人がいるんだ”

 タマコは残念だった。まだ未踏のコースを滑ってみたかったのだ。

“明日は早起きしてこようね”

 タマコの提案にマサモリは笑みを返してコースへ滑り出す。

 

 難関だというだけあって、斜面は急でコーナーも急だった。それでもタマコは滑る感覚を自由に扱う快感を感じていた。

 コースの中程までくると、先に言っていたマサモリが待っていて、ゴーグル越しにタマコと目が合うと歯を見せて笑った。

 タマコはちょっと意地悪をして彼を通り過ぎていく。

 

“おい!”とトゲの無い叫びを出してマサモリが追ってくるのをタマコは感じた。

 絶対に追いつかれないようにスピードを緩めないように滑ったのに、マサモリはすぐに追いついてきた。

“ひどいなぁ”と余裕の声で話しかけてくる・

 

 タマコはスピードを落とすと、彼も同じスピードに落として並ぶように滑った。まるで手を繫いで歩いているみたいで、実際にマサモリがタマコのストックに引っ掛けてきた。タマコもストックを彼の側に寄せると二人の間でバッテンに交わった。

 

後ろから凄い音が迫ってきた。雪を蹴立てながらもうスピードで滑ってくる人達がいる。

 マサモリがさりげなくコースの端へタマコを引っ張った。

 

 彼らは二人を追い越すと、コースの内壁に向かってスピードも緩めずに突っ込んでいく。

“危ない!”

 マサモリが声を出したが、彼らはコースの内壁をジャンプ台にして次々と向こう側へ飛んでいった。

 

“凄いね”タマコは驚いていたが“危ないよ、コースの向こう側に人がいたらどうするんだ”とマサモリは少し不機嫌な声を出した。

 二人は残り少ないコースをゆっくり滑ったが、その途中で何度も高く飛び上がる人影を見た。もう一度同じコースを滑ったが、ほとんどのコーナーにジャンプしたと思われる滑り痕があった。

 

 難関コースだけあって二度滑っただけでタマコはへとへとに疲れた。夕方になる前に二人はロッジに戻った。

 夕飯はまたカレーだ。

“あの人たち凄かったね”タマコが彼に声を向けると

“どの人たち?”とトゲのある言葉が返ってきた。

 あからさまに不機嫌な声にタマコは続きを言わなかった。

 

 賑やかな声が食堂に近付いてくる。スノーウェアでジャンプしていた男達だと分かった。営業時間ギリギリまで滑っていたのか、雪がまばらにくっ付いている。

 彼らは一様にカレーを頼むと二人近くに座った。とにかく賑やかだ。

 

 タマコは何も喋らず、息も漏らさないようにカレーを食べていた。何故かマサモリが不機嫌なのだ。彼はもう食べ終わって、焦れたような態度を見せていた。

 早く食べてしまおうとタマコがカレーを口に入れると、近くに座った集団の中から一人の男が話しかけてきた。

 

“今日、同じコースで滑っていましたよね?”

“ええ”とタマコは答える

“ここには何度も?”

“初めてです”

“へえ、あそこは難しいから滑る人はあまりいないんですよ。雪がそのままだからコースがあると気付かない人もいるぐらいで。スキーの経験はどれくらい?”

“昨日が初めてで”

“ええ、それは凄い!”

“教えた人が上手かったのかも”

 タマコはさりげなくマサモリに目を向けたが、彼は何故か我関せず態度を見せている。とても怒っているのだけはタマコにも分かった。

 

 男はマサモリがいないかのようにタマコへ話しかけてくる。

マサモリは咳払いすると一人で席を立ってしまった。タマコも残ったカレーを持ち、慌てて席を立つ。

“怒ってる?”

“なにも”

部屋に戻って喋ったのはそれっきりで、二人は薄い緊張感を抱えたまま夜を過ごした。

 挿絵 SNOWBREAK 1

 翌朝になると彼の機嫌は少し良くなっていた。頂上まで来て、昨日の男達に出会うと途端に機嫌が悪くなった。

“一緒に滑りませんか?”

 昨日の男がタマコに声をかけてくると、マサモリは先にコースへ滑り出した。一番簡単な初心者コースだ。

“ごめんなさい”と断りを入れて彼を追いかける。

 

 彼はことさらゆっくりと滑っていたのですぐに追いつく事ができた。

“ねえ、やきもち焼いてるの?”と話しかけると“いや、全然”と彼は不自然なくらい大きな笑顔になった。やっぱり怒っているのだ。

“別になんでもないんだから”

 タマコがストックを彼の方に向けると、彼も向けてきて空中でバッテンを作った。二人の間にあったわだかまりが緩むのをタマコは感じた。二人はゆっくりと麓まで滑っていく。

 

“私、もう帰ってもいいよ。充分滑ったから”

 リフトへ向かおうとする彼にタマコは言った。

“いや、あと一回だけ滑ろう”と彼は笑顔で答えた。今度は本当の笑顔だ。

“それじゃあ、あと一回だけね”

 二人はリフトに乗って頂上まで行った。

 

“最後だからこっちへ行こう。昨日も滑ったから大丈夫だろう?”

 彼が誘ったのは昨日滑った最難関のコースだ。タマコは答える代わりに笑みを見せて先に滑り出していく。

 

“待ってよ”

 マサモリは先を焦るように滑っていた。そのせいかタマコはついていくのがやっとで、時々ヒヤリとする場面もあった。

“待って!”

 彼と大きく距離が離れるとタマコは大きく声を出した。彼は体をひねって歯を見せた笑顔を見せると、クッと体を落として加速した。

 

“待ってっていったのに”

 聞こえるはずのない一人言を言ったあと、タマコはまた声を出しそうになった。マサモリが加速したスピードのままコーナーへ突っ込んでいく。

彼の体が宙高くに舞った。それからコーナーの向こうに見えなくなる。

 

タマコが不安な気持ちのままコーナーを抜けると、その先にマサモリがゴーグルを外して立っていたので、ほっと胸を撫で下ろした。

“昨日は危ないって言ってた”

 タマコは彼を叱った。

“いや、全然そんな事はなかったよ。ちょっと滑れるやつなら誰だってできることさ”

 彼はそう言って自慢するように笑っていた。

“絶対もうこんなことしないでね”

“一回だけだ。一回だけで良かったんだよ”

“絶対だよ”

 

 それから二人はタマコのペースでゲレンデを降りていった。マサモリはここへ来てから一番機嫌が良さそうだった。こういう彼の姿を見るのがタマコは好きだった。楽しい時間は早く過ぎるもので、遅く滑ったのにあっという間に麓が見えてきた。

 

“最後に一回だけ”

 マサモリが体を落として加速する。

“バカ!うそつき!”

 タマコは彼の背中に声を投げた。

 マサモリがコーナーの内壁をジャンプ台にして宙へ飛んだ。そして彼は体を半回転させて、雪の向こう側へ頭から落ちた。

 嫌な予感がした。そんなはずがない。コーナーを曲がればきっと彼が笑って待っている。 彼女の予想は半分だけ当たった。 マサモリは雪の上に倒れながら首を背中へぴったりと折り曲げていた。

 その顔は一点の曇りもない幸福に満ちていた。

 

(おわり)

 

↓inspired by

pcu28770.hatenablog.com

 

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 Kindle本出しています
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『冷たい山』 Inspired by 『山彦/ヤマダマコト』

冷たい山 800-320
 毎年梅雨が明けると僕は父に連れられて山を登る。それもちゃんとした道ではなく、車を道路脇に止めて山の中へと進む。父の車はスバルだ。その前もスバルだったらしい。僕は生まれていたが覚えていない。全ては写真の中の事だ。

  家を出た頃は薄く汗ばむほどだった気温も山の日陰に入った途端に遠のき、車を降りる頃にはひんやりとした冷気が肌に染みこんできた。

 藪をかき分けながら進むとすぐに踏み固められた道に出た。山は高い木に覆われているので日光が当たらない。草は生えていなかった。上り下りしなければ外から見るより意外と歩きやすい。

 僕達は山のカーブに沿うように歩き続けた。すると突然川の音が聞こえた。山の中では全てが突然に姿をあらわす。目の前に来るまで全然気付かない。

 父が川の石をひっくり返した。そこには爪の先より小さい甲虫が何匹かくっ付いて、突然日光を浴びせられたものだから慌てて川の中に逃げていく。父はその中の一匹を捕まえると持ってきた釣り針の先に付けた。

 僕はその甲虫の名前を知らない。でも姿は知っていて、毎年見ている。貝みたいな見た目の癖に意外と素早く動くのだ。

 父は釣り針をそっと渓流の中に落とした。

 姿を見せると魚が逃げるので体は伏せていた。音も立てない。僕は息を殺して父の背中を見ている。渓流を落ちる川の音だけが聞こえる。

 父は竿を上げて釣り針を見ると、その先から何かを摘んで川の中に捨てた。それから体を起こして歩き始める。きっと魚が食いついていなかったのだ。そんな時、父は必ずエサを川の中に捨てる。次のポイントまで付けていくという事がない。

 山を降りてから何故エサを外していくのか一度だけ聞いたことがある。

“山との勝負に負けたから”と父は答えた。

 意味は分からなかったけれど僕は不思議とその答えに納得して、いつしかそういう物だとその考えが体に身に付いた。負ければ捨てる。0勝1敗。でも僕達はまだまだ渓流を遡っていく。勝負はまだまだ続くのだ。

 父が足を止めてまた石をひっくり返した。そこには甲虫がいなかったが、僕がひっくり返した石にはたくさん引っ付いていて、僕はその中の一番最初に動いたやつを捕まえて父に渡した。その間に虫達はみんな川に逃げてつるつるに濡れた石がひっくり返っていた。

 父がまたさっきと同じようにそっと釣り針を川の中に落す。さっきと同じように身を伏せて音を立てないようにした。川の音と時間だけが僕達の体を通り過ぎていく。

 竿の先が震えた。父がぐっと腕を上げると、一瞬だけ竿が弓なりに曲がった。それからゆっくりと竿を上げていくと竿の先で魚が暴れていた。

 父は素早く針を外すと、それを川の中に戻す。まだ小さい魚だった。でもこれで1勝1敗の引き分け。

 それからもう一度竿を下ろしたが釣れたのはまた小さい魚で僕には同じ魚に見えた。父は腰を上げてまた歩き始めた。

“そろそろ深い場所に出るな”

 一度川から離れ、山の中を歩いていると父が言った。山に入ってから初めて口にした言葉だ。

 僕達はほとんど言葉を交わさない。家で一緒にいてもほとんど話すことはないが山の中ならもっと話さない。たぶん喋れなくなったとしても山から降りるまでそれに気付かないだろう。僕は父の言葉に答えなかったし、父も足を止めずに歩き続けた。すると父の言うように大きな岩でせき止められて川が狭くなった場所に出た。川は深い緑色をしていて深そうだが、その中を泳いでいる魚が白く見えた。浅い所だと何故か黒く見えるのが不思議だった。

 僕達がいる場所は少し崖になっていて川の石をひっくり返す事はできなかったが、父は近くにある木の皮を剥がすと、そこから白い芋虫みたいな虫を捕まえて針の先に付け、川の中に落とした。

 僕は父から少し離れた場所を歩いて、少し固そうな枝を見つけるとそれを持って木を叩きながら山の中を歩いた。

 山の中は静かで、何をしても自分の音しかしない。でも一度風が吹くと頭上の木の葉が一斉に揺れて森中が震えながら大声を出す。すると森の中でひとりぼっちになったような気分になり、冷たい空気と一緒に寂しさが胸に入り込んでくるのだ。

ちょうどある木の幹を木で打った時にそうなったものだから、僕は心細くなって父の所に戻った。父はまださっきと同じ姿勢のまま岩のように動かない。僕はその背中を見て胸の奥ががじぃーんと暖まるのを感じた。

僕が隣に座ると父は微かに僕に顔を向けた。まだ魚は釣れていない。離れた場所で白い魚の影が見えた。きっとあの魚も僕達を見ている。だからあんな離れた所にいるんだ。僕がそう思っていると竿の先が震えた。父が咄嗟に腕を上げて竿を弓なりに曲げると、僕が思っていたよりも意外に遠い場所で水しぶきが上がった。

 父がリールを巻いていくと黒い影が近寄ってくる。水から上げると僕の腕より大きなニジマスだった。近くで暴れられると空気を通してその大きさが伝わってくる。

父が近くにあった石を掴むとニジマスの頭を叩いた。ポクッと少し間抜けな音がしてニジマスは動かなくなった。

 父が手を伸ばしてきたので僕は持っていた枝を彼に渡した。父はその枝をニジマスのエラから口に通して担いだ。

 その場に竿を下ろす事はやめて、また歩いた。

 川のそばにあすなろの木が生えていたので、その枝を折ってエラに通し、葉っぱで魚体を巻いた。さらにその上からヒノキの薄皮でキュッと縛る。ツンとしたにおいがするが、これで巻いておくと新鮮なまま長持ちすると父は言っていた。

 それからさらに歩いて浅い川に出ると父はあすなろの葉っぱを解いて、ポケットからナイフを出すとニジマスの腹を裂いて内臓を川に捨てた。魚の身は川で洗わず少し血が付いたままだが、やっぱりこうしておくと魚が長持ちするらしい。

“内臓はカニが食べる”と父は言った。

 それからも僕達は渓流をさかのぼり魚を釣った。

“お前もやってみるか?”と父は言ったが僕は首を振った。僕は魚が好きじゃない。釣だってそうだ。でも釣りをしている父を見ているのは好きだった。

 渓流はまだ続いていたが、父は帰る素振りを見せた。

“この先は?”と僕は言った。

山に入ってから初めて口にした言葉だと気付いた。

“何もないよ”と父は言った。

 それでも僕達は渓流をさらにさかのぼると徐々に川は細くなり、本当に何も無い場所に来た。正確には細い滝が落ちている場所だ。
挿絵

“前にも一度来たことがある?”

 僕の問いに父は何も答えなかった。父は夏が終わるまで何度か僕を渓流釣りに連れて行く。行く場所はいつも違うが、この場所は何度か来たことがある。

 僕はしばらく滝の周りをうろうろして、それにも飽きると下流に足を向けた。父が先に立って来た道を下っていく。さっきニジマスの内臓を捨てた場所は川の流れが弱い所だったが、そこにはもう何も無く、近くにカニの影がいくつか見えているだけだ。

“川が全部流していくんだ”

 父が言った。僕は何も答えなかったし、何故父がそんなことを言ったのか分からなかった。川が下流へ流れていくのは当たり前の事だ。

 僕達はそれから半時間以上歩き続けてスバルの車まで戻ってきた。長く歩いたものだから、肌の表面では冷気を感じるのに、体の芯はほてっていた。車のミラーで自分の顔を見るとほっぺが真っ赤になっている。父の顔を横目で見たが、浅黒いので赤いのか白いのかよく分からなかった。

 帰りは窓を開けて走っていると、すぐに体が冷えてきた。僕が三度目のくしゃみをした時に父は全部の窓を閉めた。

“滝の上はどうなっているのかな?”

ふと口に出した。そういえば滝の上にも川は続いているはずだが、いつもあそこで引き返す。

“どうして滝の水は涸れたりしないんだろう?”

 続けて僕は言った。父は黙っていた。山はもう下りていた。

 

(おわり)

 

ヤマダさんの『山彦』をよろしく 

山彦・上: 漂泊の民 (新潟文楽工房) [Kindle版]
山彦・中: 死者の女王 (新潟文楽工房) [Kindle版]
山彦・下: 目覚め (新潟文楽工房) [Kindle版]

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Kindle本出しています
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『知られざる世界へ/牛野小雪』

題名:知られざる世界へ
作者:牛野小雪 

 とうとう最後の時がきた。誰にだって初めてはある。要はビビらないことだ。一度飛び込めば勝手に向こう側へ着いてるはず。といっても向こう側がどこかは分からないし、あるかも定かではない。実際に行ってみれば分かることだ。

 ドアの向こうから鍵をじゃらつかせた看守が歩いてくる。今日はいつもと違って何人もの足音が一緒だ。看守がドアを開ける。やはりその後ろには若くて強そうなのが3人も立っている。俺が怖じ気づいて暴れると思っているのだ。一番後ろには黒衣を着た神父が立っている。

 看守に連れられて監房を出た。もう二度とここに戻らないことになっている。何故なら今日は俺の死刑が執行される日だからだ。どうせ死ぬと分かっていたのだから部屋に思い入れなど作らなかった。さっさと部屋を出ていく。俺が逃げると思ったのか若い奴が一度俺の胸を抑えた。

 白い部屋へ来た。初めての部屋だ。最後の食事は要望が出せたのでピザとコーラを頼んでおいた。机の上にはピザ屋の箱とコーラの瓶がある。なんてこった。まさか本当だったなんて。ピザの種類を選ばせてくれなかったのは気に入らないが言い出せる雰囲気ではなかったので、黙って机の上にある物を食べた。

 また部屋を出る。どうせここへも二度と来ない。そしてまた新しい部屋。ここから出ることはないだろう。輪に結ばれた縄が天井からぶら下がっていたのだ。看守が何か言いたいことはあるかと言ったので無いと答えた。部屋の中央に進んで首に縄がかけられる。床には切れ目があり足で叩くと軽い音がした。ここが開いて首が締まるのだ。

 神父が聖書を読み上げる。人生で寺と神社は見たことがあるが教会はない。だからキリスト教の神父を呼べと言った。何度か神の教えを聞いたが信じられることではなかった。あんたは天国を見たことがあるのか。一度神父に訊いたことがあるが彼はその言葉に答えなかった。
 
 死刑囚の生活にあたって決めていたことがある。いやこうなる前からずっとだ。絶対にビビっているところを見せないこと。常に余裕の態度を見せていること。要は痩せ我慢だがそれが退屈な生活に張り合い与えてくれた。しかしこれが死刑の原因にもなったのだ。

 アーメン。神父が胸に十字架を切った。看守達が離れていく。しばらくの静寂。ガコンと激しい音が響いた。床が無くなる。体が宙に浮く。俺は知られざる世界へ落ちていく。

(終わり)
 

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