
眠れない夜が続くと、まるで魂が自分自身に反抗しているような感覚に陥ることがある。眠りたい、でも眠れない。起きているのも苦痛だ。どちらにも進めない。そんな時、ふと「これは魂のレジスタンスなのかもしれない」と感じることがある。眠ることが生産性のためだとしたら、その眠り自体が何かに縛られているように思える。それに対して、魂は自由を求め、眠りを拒絶しているのではないか。
現代社会では、生産性が重視される。何かを成し遂げること、結果を出すことが求められる。私たちはその流れに無意識のうちに乗ってしまい、休むことすら「次のための準備」として捉えるようになっている。眠ることも、次の日に効率よく働くための手段と化している。でも、そうした生産性への執着が、逆に心の奥底で葛藤を生み出しているのかもしれない。体は疲れていても、心がその休息を受け入れられないのは、生産性のために休むことが、本来の自分自身に反するように感じているからだ。
体を横たえ、目を閉じる。しかし、頭の中ではさまざまな考えが渦巻く。「眠らなければ次の日がうまくいかない」「執筆も進まない」と、頭の中で焦りが募る。それでも、眠れない。魂がそれを拒否しているからだろうか。逆に「何もしないこと」も許されないように感じる。どちらの選択肢も魂にとっては心地よくない。その結果、ただ不安と焦燥感だけが募り、どちらの方向にも進めないまま、時間だけが過ぎていく。
そんな状態が永遠に続くかもしれないという恐れが心を支配する。「このまま何もできない時間が続いたらどうしよう」「人生が台無しになってしまうんじゃないか」といった不安が頭をよぎる。そして、その不安がさらに眠れない原因を作り出している。何もできないという状態が続くことへの恐怖。それは、人生そのものを否定されているような感覚に近い。無力感が襲い、何をしても解決しないように思えてくる。
こうした時、私たちは言葉で解決策を見つけようとするが、言葉には限界がある。魂の葛藤や感情の深い部分を言葉で完全に説明するのは難しい。眠りを拒む感覚も、そのすべてを言葉で伝えるのはほぼ不可能だろう。言葉では捉えきれない感情が心の中で渦巻いている。だからこそ、無理に解決策を探ろうとするよりも、その感覚をただ受け入れることが重要かもしれない。
「何もできない自分」を受け入れることは難しい。特に、生産性に価値を置く社会では、何もできないことがまるで罪のように感じられる。しかし、何もできない時期もある。その状態を無理に変えようとせず、そのままにしておくことも一つの選択だろう。何も進まない、何も生産できない自分を否定せず、その状態をありのままに感じることで、少しずつ心が整っていくかもしれない。
「新たな可能性がある」と無理に考えなくてもいい。そんなものが見えないと感じる時期もあるし、それ自体が間違っているわけではない。未来に対して無理に希望を持たなくても、今の状態をただ受け入れて過ごすことができる。可能性がないと感じる時期は、それ自体が次に進むための準備である場合もあるが、そう思えないなら、それでいい。希望や未来を見出すことに疲れた時は、ただ今の自分をそのまま感じ取ることが必要なのかもしれない。
何もできない状態が続いたとしても、それは「台無しになること」を意味しないかもしれない。時には、その無力感や葛藤を感じながら過ごすことが、魂にとって必要なプロセスであることもある。無理に変わろうとしなくても、ただそのまま過ごすことで、やがて心の中に変化が訪れるかもしれない。そして、その変化がいつ来るかを焦る必要もない。
言葉の限界を感じたとき、解決策は必ずしも言葉の中にあるとは限らない。無理に説明や解決を求めるのではなく、その不安や葛藤をそのまま受け入れることができる時期もある。それが自分にとって何を意味するのか、すぐに答えが出る必要はない。ただ、どうしようもない時間を過ごすことが許される時もある。可能性が見えなくても、それが今の現実なら、それを無理に変える必要はない。
眠れない夜、魂がどこかに抵抗しているように感じる時、無理に進むことなく、その感覚をただ受け入れることで、いつか変化が訪れるかもしれないし、訪れないかもしれない。でも、それでも構わないという心持ちが、時には大切なのだろう。
(おわり 印象に残った部分をあなたの言葉でシェアしてみて!)
小説なら牛野小雪がおすすめ【kindle unlimitedで読めます】
(おわり 印象に残った部分をあなたの言葉でシェアしてみて!)
小説なら牛野小雪がおすすめ【kindle unlimitedで読めます】







