愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

眠り

眠れない夜

DALL·E 2024-09-16 16.53.34 - A

眠れない夜が続くと、まるで魂が自分自身に反抗しているような感覚に陥ることがある。眠りたい、でも眠れない。起きているのも苦痛だ。どちらにも進めない。そんな時、ふと「これは魂のレジスタンスなのかもしれない」と感じることがある。眠ることが生産性のためだとしたら、その眠り自体が何かに縛られているように思える。それに対して、魂は自由を求め、眠りを拒絶しているのではないか。

現代社会では、生産性が重視される。何かを成し遂げること、結果を出すことが求められる。私たちはその流れに無意識のうちに乗ってしまい、休むことすら「次のための準備」として捉えるようになっている。眠ることも、次の日に効率よく働くための手段と化している。でも、そうした生産性への執着が、逆に心の奥底で葛藤を生み出しているのかもしれない。体は疲れていても、心がその休息を受け入れられないのは、生産性のために休むことが、本来の自分自身に反するように感じているからだ。

体を横たえ、目を閉じる。しかし、頭の中ではさまざまな考えが渦巻く。「眠らなければ次の日がうまくいかない」「執筆も進まない」と、頭の中で焦りが募る。それでも、眠れない。魂がそれを拒否しているからだろうか。逆に「何もしないこと」も許されないように感じる。どちらの選択肢も魂にとっては心地よくない。その結果、ただ不安と焦燥感だけが募り、どちらの方向にも進めないまま、時間だけが過ぎていく。

そんな状態が永遠に続くかもしれないという恐れが心を支配する。「このまま何もできない時間が続いたらどうしよう」「人生が台無しになってしまうんじゃないか」といった不安が頭をよぎる。そして、その不安がさらに眠れない原因を作り出している。何もできないという状態が続くことへの恐怖。それは、人生そのものを否定されているような感覚に近い。無力感が襲い、何をしても解決しないように思えてくる。

こうした時、私たちは言葉で解決策を見つけようとするが、言葉には限界がある。魂の葛藤や感情の深い部分を言葉で完全に説明するのは難しい。眠りを拒む感覚も、そのすべてを言葉で伝えるのはほぼ不可能だろう。言葉では捉えきれない感情が心の中で渦巻いている。だからこそ、無理に解決策を探ろうとするよりも、その感覚をただ受け入れることが重要かもしれない。

「何もできない自分」を受け入れることは難しい。特に、生産性に価値を置く社会では、何もできないことがまるで罪のように感じられる。しかし、何もできない時期もある。その状態を無理に変えようとせず、そのままにしておくことも一つの選択だろう。何も進まない、何も生産できない自分を否定せず、その状態をありのままに感じることで、少しずつ心が整っていくかもしれない。

「新たな可能性がある」と無理に考えなくてもいい。そんなものが見えないと感じる時期もあるし、それ自体が間違っているわけではない。未来に対して無理に希望を持たなくても、今の状態をただ受け入れて過ごすことができる。可能性がないと感じる時期は、それ自体が次に進むための準備である場合もあるが、そう思えないなら、それでいい。希望や未来を見出すことに疲れた時は、ただ今の自分をそのまま感じ取ることが必要なのかもしれない。

何もできない状態が続いたとしても、それは「台無しになること」を意味しないかもしれない。時には、その無力感や葛藤を感じながら過ごすことが、魂にとって必要なプロセスであることもある。無理に変わろうとしなくても、ただそのまま過ごすことで、やがて心の中に変化が訪れるかもしれない。そして、その変化がいつ来るかを焦る必要もない。

言葉の限界を感じたとき、解決策は必ずしも言葉の中にあるとは限らない。無理に説明や解決を求めるのではなく、その不安や葛藤をそのまま受け入れることができる時期もある。それが自分にとって何を意味するのか、すぐに答えが出る必要はない。ただ、どうしようもない時間を過ごすことが許される時もある。可能性が見えなくても、それが今の現実なら、それを無理に変える必要はない。

眠れない夜、魂がどこかに抵抗しているように感じる時、無理に進むことなく、その感覚をただ受け入れることで、いつか変化が訪れるかもしれないし、訪れないかもしれない。でも、それでも構わないという心持ちが、時には大切なのだろう。


(おわり 印象に残った部分をあなたの言葉でシェアしてみて!)


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図書館で調べたこと 主に眠れる森の美女のこと

 おぼろげな記憶では王子がドラゴンを倒して、姫にキスをすると彼女が目覚めるという話だった。
 当初、『眠り姫』と思っていたのでなかなか見つけることができなかった。司書の人にあれこれ説明してから『眠れる森の美女』という題だと教えてもらう。
 私はまずガリバーになった気持ちで童話の棚へ行き、そこから絵本を抜き取ってくると、哲学の棚の近くにある席で『眠れる森の美女』を読んだ。多少違うところもあったが最後にキスをして姫が目覚めるというのは記憶通りだった。
 さて、次に原作の方を読んでみると、王子は出てくるけれど扱いはちんけな物だった。藪の中(バラだったかな?)にある城を見つけると、そこへ入っていくだけ。冒険らしい冒険も無し。ついでに言うとドラゴンは出てこないし、キスも無し。王子が姫の眠っている部屋までいくと、ちょうどその時に100年の呪いが解けて姫が目覚めるという話だった。
 最後に教訓的な物があって、あなたの王子様が現れるまでは静かに眠るようにじっと待っていなさい。そういうことができる人は最近いないけど、とあった。三年寝太郎の逆バージョンみたいなものかな。
 そういえば何故西洋のおとぎ話では王子様なのだろうと、今これを書いている時に思った。別に王子さまでなくてもいいが、恋の相手は権力者の息子と決まっている。
 日本だと権力者とダイレクトに繋がる話が多いし、その時はまだでも話の途中で権力者になるパターンが多い気がする。気がするというのは調べていないから。案外日本でも同じなのかな。

 真論君家の猫でピグマリオンの話が結局どうなるのかは分からないと書いていた。何せ本当に分からないのだから仕方がない。だが、ついに後日譚まで書いた本を偶然見つけた。聞いたこともない出版社(正確にはある協会が出している本。自費出版だろうか。それにしては装丁が豪華だった。いや、そういう儲けを度外視したところが却って自費出版っぽいのかな。正直いうと文章がかなり古くて読みづらかった。)によると、ピグマリオンと彫刻から人間になったガラテアは結婚して子供を儲けた。その子供は神の加護によりキプロスの王となった。ざっと書くとこんな結末で、結局ピグマリオンとガラテアが幸せに暮らしたかどうかは明言されていなかったので、ほっとしたのを覚えている。

 他にも色々と調べ物をしたけれど、身に付いた物はほとんど無いので忘れてしまった。収穫は眠れる森の美女ぐらいかな。たぶんこれをネタに使うのは大分後になりそう。


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