愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

薪ストーブに火をつける

 男が右手に持っていた斧を持ち替えてドアを開くと冷たさが顔を撫でた。性悪女がからかって息を吹きかけたようだ。

 家の周りは森に囲まれていて、どの木も降り続く雪で白くなっている。

「やけに寒いな」

 男は独り言を言った。ドアのそばに斧を立てかけ、家に入る前に帽子や服に積もった雪を払った。
 男は家に入ると椅子や机の下に目をやった。

「そんなところにいたのか。ステーキになっちまうぞ」

 男はストーブの天板の上に横たわる黒猫を見た。ストーブの窓を覗くと火は点いていない。木は焦げていたが、まだほとんど残っていた。家を出る前に点けたままにしておいたが途中で消えてしまったらしい。

「ドリス」

 男は猫の名前を読んで背中を撫でたが、猫は窓の外を見たまま動こうともしない。死んだかもしれないと男は思った。ほっとしたぬくもりのようなものが胸に一瞬広がるが、猫の顔を覗くと目は黄金のように黄色く輝いていた。長年凝り固まった憎しみが、氷のように固まったような目つきが男を射抜いている。

「寒いな。ずっとそこにいたのか」

 頭をなでると猫は迷惑そうに顔を背けてストーブから降りた。

「こっちへ来い。お互いに暖め合おう。俺も石みたいに冷えてしまった」

 猫は窓枠に飛び移ると、何も言わずにずっと外を見続けていた。手の中にさっき撫でた猫のぬくもりがまだ残っている。

「やれやれ、このままだと二人とも凍え死んでしまうな」

 男はストーブの窓を開けた。木はやはり炭になっていたが、まだ男の太ももぐらい残っている。火を点ければ数時間はもつだろう。

 男はためいきをついて椅子にもたれこんだ。男が帰ってきた時は家中にある物がコトコトと音を立てて振動していたが、今は寒さに動きを吸い取られて、猫の歩く音が聞こえそうなほど静かだった。

「さて、どうする? 一度は体を暖めないとまた外には出られないぞ」

 男が声をかけると、猫は耳を一度動かしただけで、やはり窓の外に顔も体も向けたままだった。

 男は息を強く吐いた。自分の手で自分の腕をこすり、椅子から立ち上がると「たきつけの枝を拾ってくる」と言って、家を出た。

 外は一面雪一色で、木の下にさえ雪が積もっていた。男以外に生きている者はいないのか、辺りは何の音もしない。

 男は静寂の世界に向かって歩き出した。

 毎日拾っているので、たきつけにちょうどいい枝は家の近くには落ちていない。男は森の中へ入っていった。

 ただ歩くだけでは枝を見つけられないので、男は雪の薄そうなところを見つけると、そこを掘った。かすかな盛り上がりがあると、たいていそこには何かが埋まっている。ただしどこにでもあるわけでもない。

 男は勘を頼りに枝を拾い集めていた。ふと気付けば雪が降り始め、辺りは暗くなっていた。

「そろそろ帰らなければならない。今夜の分の枝はある。明日の朝はまたその時、拾えばいい」

 狼の鳴き声が遠くで聞こえた。

「斧を持ってくるのを忘れた。たきつけの枝じゃ猫も殺せないぞ」

 雪は強さを増した。視界が真っ白になるが、その背景は真っ暗になっている。

「いつの間にか暗くなったらしい。欲張ったのがいけない。夜の分だけ集めれば良かったんだ」

 男が家のある方へ帰ろうとしていると、また狼の鳴き声が聞こえた。さっきより近い。

「さっきは音の響きが森から降ってきたが、今のはまっすぐ響いてきた。どうやらあいつは俺が見える場所にいるらしい」男は辺りを見回した。「だが俺からは奴が見えない。きっと灰色の体で雪の上に伏せているんだろう」

 男が足を向けていた方向へ顔を戻すと、心臓にきゅっと冷たい血が流れ込んできた。目の前は真っ白で、さっきまで森の隙間に見えていた家が見えなくなっていた。

「おちつけ。狼ってのは臆病者が好きなんだ。自分と同じだからな。根性のあるやつには近付けないんだ。お前なんか恐くない、道にも迷っていないぞって態度でいれば、たとえ向こうが10匹いたって襲えるもんか」

 男はただ目の前に向かって歩いた。雪の盛り上がっているところがあったので、掘ってみると細い枝を見つけた。

「そうさ。俺が立ち止まったのは枝を拾うためだ。お前も見ていただろう?」

 男の声に応えるようにまた狼の鳴き声がした。さっきより近くなっていた。もしかしたらもうすぐそばにいるかもしれないが、男は顔を前に向けた。

「俺は恐がっていないぞ。迷ってもいない。しかしどうしたものかな。やみくもに歩き続けていれば、向こうの方で俺が道に迷っていると気付くかもしれん。いつの間にか同じ道を歩いているなんてこともありえるかもしれないからな。いや、俺は狼を恐れているのか? そうだ。恐れている。だから恐れないようにしている。奴の鳴き声から離れていこう。そうすれば、すぐには奴の姿を見ないで済むだろう」

 進む方向が決まると男の足取りは確かになった。

「ほらな。鳴き声が聞こえなくなった。あいつらはよだれを垂らすほど臆病が大好きなんだ。きっと今頃はしょげかえっているだろう。それにしてもここにドリスがいなくてよかった。もし狼に襲われたら2人とも死ぬことになる。しかし俺が死んだらあいつはどうなるんだろうか。100年経ってもストーブの天板で横になっているんじゃないか。いや、冬が終われば外に出て行くさ。だがどうやって? あいつが家の外に出て行ったことはあるが、いつも俺と一緒だった。本当に一人っきりになった時に、あいつ一人で家を出て行けるだろうか」

 狼の鳴き声が聞こえた。

「いかんいかん。気持ちが弱くなると、あいつには分かるんだ。もっと強い気持ちを持たなければならない」

 男はたきつけの枝で狼達と戦うところを頭に思い浮かべた。すると体が芯から熱くなった。

「俺はただで食われはしないぞ。命の限り戦ってお前達に傷を与えてやる。ただで食える飯はないんだ。そうだ。いつでも来い。俺はお前達と戦ってやる。斧が無くても枝で、枝が折れれば拳で戦ってやる。拳を食ったって無駄さ。俺は噛み付いてやる」

 男が歯を食いしばり拳を握ると、わきの下にうっすら汗をかくほど顔も体も暖まってきた。

「さあ、来い‥‥‥来い‥‥‥来い…‥‥」

 男が呪いをかけるように同じ言葉をつぶやき続けると、不意に森が開けて、家が目の前に現れた。

「なんてことはない。俺は家に着いてしまった」

 男は玄関の階段を登り、ドアに手をかけた。森へ振り返ると一匹の狼が男を見ていた。頭の中に思い浮かべていた狼とは違い、灰色の毛皮はぱさぱさに乾いていて、体もずいぶんやせている。狼は上目遣いで、顔を揺らしながら男を見ていた。

「怯えていたのはお前の方だったんだな」

 男はそう言うと、ドアを開けて家の中に入った。中は真っ暗で何も見えない。

「ああ、大変だ。枝はある。マッチはどこだ」

 男が暗闇の中で歩くと、何かが足に当たって、崩れる音がした。

「くそっ、このままだと家が壊れてしまうぞ」

 男は足で床を探りながらゆっくりと歩いた。そして記憶を頼りに、道具箱を見つけ出すと、たきつけの枝を床に置いて、マッチ箱を取り出した。

「よしよし、マッチを見つけた。ストーブは‥‥‥ほら、すぐそこだ。ふたは開いている。おい、ドリス。中に入っていないだろうな」

 男はストーブの中に手を突っ込み、誰もいないことを確認すると、たきつけの枝を中に入れてマッチに火を点けた。

「ふぅ、なんとか火がついた。おお、そんなところにいたのか」

 猫は男の腕の近くで、一緒にストーブの中を覗いていた。

「お前は暗いところでも目が見えるものな。手伝ってくれればよかったのに」

 男が猫の頭をなでていると、たきつけにうまく火がついて火が大きくなった。家の中がうっすら明るくなる。男は机からランプを持ってくると、もえさしの枝で火を点けた。すると家の中はもっと明るくなり、物の形がはっきりと見えるようになった。

「ああ、あんなに散らかって。しかし斧を踏まないでよかった。もし暗闇でケガをしていたらどうしようもなかった」

 男はさっき崩した物を元に戻すと、鍋を取り出し、ストーブの天板の上に置いた。たきつけの火はもう炎と言ってもいいほど大きくなり、薪も角が赤くなっていた。

「よしよし、一度で成功したぞ。こういう時はかえってうまくいくんだ」

 男は鍋の中に玄関で凍らせておいた鹿肉、ブロッコリー、皮を剥いたじゃがいも、バター一握りを入れてふたをした。薪に火がついたようで厚みのある暖かさが男のすねを撫でた。

「ふぅ、ようやく一息つける」

 男はストーブの前に椅子を置いて、座った。猫が男の膝の上に飛び乗る。

「さっきは呼んでも来なかったのに、今は呼ばなくても来る。お前って奴はそういう奴さ」

 猫はじっとストーブの窓の中にある炎を見つめていた。

「お前は何も考えていないんだろうな。なぜって、俺もそうだからな。揺れる炎と熱をただ感じているんだ」

 男と猫は1時間以上、静かにストーブの熱であぶられていた。二人とも何も話さなかったし、考えもしなかった。

「鍋が文句を言い始めた。さ、できあがりだ」

 男は厚手の手袋をして鍋のふたを開けると、木のスプーンでバターでとろとろになった肉とブロッコリーをほぐして、猫の皿にをよそった。猫は何も言わずに皿に頭を突っ込んだ。男は塩をひとつまみ鍋に振って、鍋から直接食べた。

 二人のくちゃくちゃと咀嚼する音が薄暗い家の中に響いていた。

「ああ、うまい。生き返るようだ。お前も美味いだろう」

 猫はニャーと高い声で鳴いた。

 男は夜ご飯をなめるように食べきると、すぐにベッドにもぐりこんだ。猫も一緒に入ってきて、男の股の下で丸くなった。

「今日もまた一日乗り越えられた。こんな生活がいつまで続くんだろう」

 男はランプの火を消した。それでも家の中はストーブの熱と赤い光に満ちていた。

「俺とお前はいつまで憎しみ合うんだろうな」

 猫は男の股の下で燃えるように熱い体を丸めている。

 暗闇に響く狼の鳴き声を男は聞いた。

(おわり)

小説家はこちら↓
【小説家の挑戦を待つ】薪ストーブに火をつけろ

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投稿前日

ある小説家の部屋に茶トラの猫が忍び込みました。まだ寒い季節ですが、その日は少し暑かったので窓を少し開けていたのです。

 猫は部屋に入ってくるなり言いました。

「なんや、君。さっきワイが通った時もそこに座っとったで」

 小説家は答えました。

「あれ、そうだったかな。……そういえばそうだ。もう一時間も座っている」

「小説が書けんで困っとるんか?」

「いや、小説は書けた。印刷もした。あとは出すだけだ」

「ほれなら何でそんな暗い顔して座っとるんや」

「うん、本当に出してもいいのか。僕みたいなのが新人賞に出してもいいのかなって心配になったんだ」

「なんや、何か悪い事でもしたんか?」

「ううん、だってほら。作家の略歴には大体どこそこ大卒って書いてあるだろう? どれも聞いた事のある大学だ。僕も一応大学は出ているけれど、口に出したってほとんどの人が知らないようなところ。ひょっとしたら県内でも知らない人がいるかもしれない」

「それやったらアカンのか?」

「それは分からないけれど……」

「君、そんな弱気ではアカンのやで」

「えっ」

「ワイは窓からこっそり君の事を見とったが、毎日原稿に向かって頑張っとったやないか。ほれのにあきらめてしまうんか。君の努力は一体なんだったんや。君は君の言う通り確かに君は世間に名の通る大学を出てないんやろ。猫のワイには分からんことやけど。そやけど、逆に考えて名の通る大学を出とったらええ小説が書けるんやろか。違うやろ」

「うん」

「第一な。読者は君の事なんか興味ないで。仮に君が中卒でも面白いもんを書いとったら読者は面白いと思うし、君が東大卒でもつまらんもんを書いとったら読者はつまらんのや。君はつまらんもんを書いたんやろうか」

「そんなことはないと思う」

「それなら出すしかないやないか。君はそのために書いてきたんや」

「でも僕みたいなつまらない人間が……」

「アホか。評価されるんは君やのうて作品の方や。君は自分でええと思えるもんを書いたんやろ。毎日頑張って書いたんや。それを一体どないする気や。まさかこのままボツにする気なんか?」

「分からない」

「あのなぁ。ワイがこういうんもなんやけど、君は小説を書いてしまった責任があるんや。その責任はとらなアカン」

「責任?」

「ちゃんと日の目を見させてやることや。どんな小説もこの世に生まれてきたからには人目に触れられる事を期待しとるんやで。それを君の手元に握りしめておくんはアカン。もしかすると君の言うように小説家は立派な大学を出とらなアカンのかもしれん。でもな。やってみる前からあきらめるんは小説に対する冒涜や」

「でも……」

「君がつまらんもんを書いたのなら世間様に迷惑がかからんように手元に置いとかなアカンやろ。でも君は君が面白いと思ったもんを書いたんや。もし仮にやで、これが子どもだったらと考えてみ? 人様の役に立つ立派な大人に育った子どもを親が家に閉じ込めておくようなもんや。そう考えたら君がどれだけ罪な事しとるかよう分かるような気がせんか? 大犯罪人や、牢屋にぶち込まれるわ」

「やっぱり出してみるよ」

「そや、それでええんや。君の小説が本になったらワイは読みに来るで」

「ありがとう、猫」

「ええんやで、ほなな」

 プリプリプリ~

 猫は窓から外へ出て行く直前に、とても臭いウンチを落としていきました。

 

(おわり)

『私のアイリス/T・S・カウフィールド』

題名:私のアイリス
作者:T・S・カウフィールド 

 あなたは平べったい猫を知っているでしょうか。道路で車に延された猫じゃありません。平に生まれて、平のまま育ち、平のまま死ぬ不思議な猫の事です。

 個体差はあるが平べったい猫は厚さは大きくても指一本分ぐらい。子猫だとノートより薄い。そんな体でどうやって歩くのかというと、話は簡単。彼等は空を飛ぶのです。

 満月の日の翌日などはたいていビルの合間で体を波打たせながらヒラヒラ飛んでいる姿が見えます。じっと見ているとしょっちゅうビルの窓にいますが、体が平べったいので衝撃もさほどないようです。猫漁師に聞いた話では体に当たってもバレーボールを軽くぶつけられたぐらいの衝撃だとか。

 白の平べったい猫は縁起物でメスの成猫だと30万円で取引されるのだと聞きました。一番安いのは黒で、こちらは高くても2万円ほどしか値が付かないそうですが、数は多いので黒専門で捕る漁師もいるそうです。毛色の違いで捕り方が変わるんでしょうか?

 私の家の平べったい猫はメスのサバ猫でとても大人しい子です。名前はアイリスと言います。実は先日、急に暖かくなった日に窓を少しだけ開けていると、彼女はその隙間からするりと逃げてしまいました。

 私が慌てて外に出た時にはもう遅く、アイリスは空高くヒラヒラと飛んでいってしまいました。ああ、アイリス。私のアイリス。彼女は何処へ行ったのでしょう。

 私は近所を走り回って何日もアイリスを探しましたが、影すら見つかりませんでした。近所の猫おばさんに聞いても知らないそうです。もしかして犬やカラスに襲われたのでしょうか。毎日が不安でたまりません。 

 さて、ここまで読んでくださった方には大変に申し訳ないのですが、実はこの話は嘘ばっかりです。平べったい猫はいません。猫漁師なんて聞いたこともありません。当然ぶつかった衝撃の強さや取引される猫の値段のことも全てがデタラメです。私の作り話です。

 でも私のアイリスがいなくなったのは本当です。ある日手鏡で彼女の顔を見せてあげたら、突然何処かへ逃げてそれっきり姿を見せなくなりました。これは20年前の話だから、きっと今頃はお空のお星様になっていることでしょう。

(おしまい)

○KDP作家60分一本勝負、2015/03/29 お題 『平』で書きました。

神主から聞いた猫の話

 一回目の改稿はいつも長くかかるのだが、今回は一週間経っても半分も終わらない。最低三回は回すので今日までのペースが続くならあと三、四週間後? まあ、二回目、三回目と修正する部分が減ってくるので一概には言えないけれど、リリースはまだまだ先の話になりそうです。
 リリースはまだですが、目処は付いてきたので神社にお参り&籤引きをしてきました。籤引きの方はちょっといわくがあるので来週の進捗状況に結果を書こうと思います。

 その神社は猫を奉っている神社のせいか行くと必ず猫がうろうろしているのですが、人馴れしているので呼べばたいてい寄ってきます。絶好の猫ポイントだ。私が白に黒のぶち猫の猫(子供に一番人気だそうだ:神主談)を撫でていたら、神主の人が猫を集めてい少し話をした。
 
 何でも昔は2、30匹ぐらい猫を放し飼いにしていたのだが、ある時から夜な夜な猫を襲う輩が出てきて、手足や尻尾を切られたり、殺されたりするので今は2、3匹しか飼っていないのだとか(ちなみにそう話す神主の側には猫が4匹いた。遠くにも猫の姿が見えるので計算が合わないが黙っておいた。それとも私が見ていたのは猫の幽霊か!?)。
 
 話を補足すると、元々神社のある辺りは捨て猫の多い場所で、その捨て猫を神社が飼うという形だったのだろう。じゃあその神社の庇護を受けられない猫はどうなるのかというと、今は裏山で群れを作っているそうだ。全部で60匹もいるらしく、その猫達が神社の猫をいじめるらしい。

 なるほど、ときどき見る愛想のないやさぐれ猫はそういう意味だったのかと納得する。

『真論君家の猫』では屋根党員と野良党員は別段仲は悪くないという設定で、ミータンがジロスケから狩りを教わるという話があったが、現実ではそうでもないようだ。

 猫、人、両方に襲われるので暗くなる前に神社の猫は社殿に匿うらしい。日向で体を伸ばしているような猫も見えないところでは苦労しているのだというお話でした。


ちなみにこの話に出てくる猫のモデルはこの神社猫である。大傑作を書けないのは猫を誘拐していないせいだろうか?
カウフィールドは牛野小雪の別人格。
読み切り短編 猫との密約/T・S・カウフィールド

真論君家の猫もよろしく。


 

読み切り短編 『猫との密約/T・S・カウフィールド』

題名:猫との密約

作者:TS・カウフィールド

 

 いつかいつか。あるところに牛野小雪とかいう冴えない小説家がいました。

 彼はとある新人賞を審査員の満場一致で受賞し、華々しく小説家としてデビューしたのは良かったのですが、あとは鳴かず飛ばず。年に四回新作を出しては今度こそヒットするようにと祈る日々を過ごしていました。

 

 というのも小さなヒットでも良いから一本でも出さないと、とても大長編を書く余裕など無かったからです。満場一致で新人賞を取った小説は四回増刷されましたが、それ以降はどれも初版しか印刷されていません。印刷されないと印税は入ってきません。彼は初版だけの印税を頼りに生活をしていました。

 

 ある日彼は執筆に詰まり散歩がてら近所の神社へ行きました。困った時の神頼み。(どうか次こそはヒットしますように)。彼はあまり期待せずに願い事をしました。今まで何度も願ってきた事ですが、まだひとつも叶ってはいません。

 

 参拝が終わると彼は猫を探しました。この神社にはいつも黒ぶちの白い猫がいて、参拝したついでに撫でていくのが習慣でした。

 その猫は鳥居のそばにある石碑の上で背中を干していました。

 

(猫や、猫。次の新作はヒットするようにしておくれ)

 

 彼は心の中で猫に願い事をしました。

実は新人賞を取った時もこの猫に願い事をしていたのです。そのときはバカらしいと自分でも思っていましたが、まさかの受賞を果たしたので、それ以来この猫を頼りにしていました。

 

猫を石碑から下ろし胸に抱いて撫でていると、ふと魔が差してこのままこの猫を連れ帰ってしまおうと彼は考えました。この猫をそばに置いて執筆すれば筆が進むかもしれないという気がしたのです。

 

 彼は期待に胸を膨らませて家に帰ると、猫を懐に抱いてさっそく執筆の続きにとりかかりました。しかし、筆は進みません。一日過ぎ、二日過ぎ、三日が経ちました。

 初めは三日で神社に帰そうと考えましたが、三日も飼っているとだんだん猫が自分の猫のような気がしてきたのです。猫も初めからこの家に馴染み、一週間後にはもう神社に帰すかどうかも考えなくなくなりました。

 

 一週間経っても執筆は一文字も進みませんでした。

 頭の中に物語のイメージはあるし、今度こそヒットさせる自信もある。ただそれが言葉や文章にならないのが問題でした。

 

「なあ、猫。何で書けないと思う? こんなセコい小説ひとつ書けないなんて、俺には才能が無いんだろうか? もう一週間一文字も書いていない。早く一本でもヒット作を出して本当に書きたい小説を書く余裕が欲しいのになあ。こんなこと誰も信じないだろうけれど、本当に書きたい話はいつも頭の中にあるんだよ。最初から最後まで。それも世界中の人間をあっと言わせるような凄いやつが。ただそれは書けないんだ。時間と金の心の余裕があれば必ず書けるのになあ。まあ、こんなことは猫のお前に言っても仕方がないけど。猫の手も借りたいっていうけれど、その手じゃペンは持てないし、キーボードは打てない。困ったもんだ。そろそろ神社に帰るか?」

 

 牛野小雪は猫の手を持ってキーボードを打ってみました。
『おいふぁkめぃj』と訳の分からない文字が画面に打ち出されました。

 

「うん、これはまさにお前にしか書けない究極のオリジナリティだ。凡百の輩には到底理解できないだろう」

 

 もちろん彼にも理解できないものでしたが、妙に感心したところがあったのでわざわざプリントアウトして部屋の一番高い場所に貼り付けました。

 

「おい、かつおぶしを持ってこい」

 

どこかから声が響いてきました。あまりに大きな声なので牛野小雪は怯えながら辺りを見回しました。

 

「かつおぶしを持ってこい。俺は下だ」

 

彼が膝の上にいる猫を見ると猫も彼を見上げていました。

 

「さっきのはお前か?」

 

牛野小雪が猫に話しかけると

 

「そうだ」

 

と返事が返ってきました。

 

「なんてこった。とうとう幻聴が聞こえるようになったか。本当に現実のようにしか聞こえない。どうやら気違い一歩手前まで追い込まれたらしい。きっと次が俺の最後の作品だな。そこまで精神が持つだろうか。まだ冒頭も書き終わっていないのに」

「そんなことはいいから早くかつおぶしを持ってこい」

「分かった。そんなに言うならかつおぶしを持ってきてやる」

 

幻聴に返事をしてその言葉通りに動くのは彼自身おかしいとは思いましたが、執筆は進まないし他にすることもないので、声の指示にしたがって猫にかつおぶしを一袋やってみることにしました。

 

「本当は凄い小説を書きたいのか?」

 

 猫がかつおぶしを全てなめ終えると猫の口は閉じたままでしたが、また声がします。声はどこから聞こえてくるのか分かりませんが、その声は頭に直接響いてくるようでした。。

 

「そうだ。本当に書きたい物はある。それも超凄いやつ」と牛野小雪は言いました。
 

「どれくらいだ」

「そうだな。世界中の人が読むぐらいかな。きっと世界的な大傑作になるよ。たぶん一生に一回しか書けない。」

「大きく出たな」

「夢だけはどれだけ膨らませても場所は取らない」

「よし、それなら手は貸せないが口は貸してやろう」

「なんだって」

「はやく机の前に座れ」

 

 猫の指示に従って彼は机の前に座りました。すると猫がある物語を語り始めました。冒頭の一文を聞いて牛野小雪ははっとしました。それはまさに彼が書こうとして書けなかった頭の中の物語だったからです。

 彼は信じられない気持ちで猫の言葉をキーボードで打ち込みました。一時間で一万字も書きました。途中で一時間の休憩を挟み、また一時間一万字を書きました。それを繰り返して、その日は六万字も書きました。時計を見ると深夜の十二時を越えて日付が変わっています。

 

「どうした猫。もうこれで終わりなのか? 全然まだ途中じゃないか?」

「かつおぶしを持ってこい」

「腹が減ったのか?」

「かつおぶしを持ってこい」

 

 猫はかつおぶしとしか言いませんでした。それにかつおぶしも今日やったのが最後の1パックだったので、今日はそこでやめることにしました。

 

 翌朝、朝一でスーパーへ買い物に行くと、かつおぶしと猫のエサと自分が食べる物を買ってきました。帰ってくると、猫にかつおぶしとエサをやり、彼もその間に自分の分を食べました。

 エサとかつおぶしを食べ終えると猫はまた喋り始めました。牛野小雪も食事を途中でやめて机のパソコンへ向かいました。食べては書いてを繰り返して、深夜に三時間ほど眠り、また食べては書いてを繰り返して十二日後についに大傑作が完成しました。

 彼は書きながら既にこれは推敲する必要がないと分かっていました。そして間違いなく超大ヒットになることも分かっていました。そうでなければ世の中が間違っている。そんな大傑作でした。

 

「やったな、猫。これは絶対に凄い小説になる。伝説になるぞ。まさか猫からこんな話が出てくるなんてな。猫に小判じゃなくて、猫から大判小判だ!」

 

 彼は猫を抱いて部屋を踊り回ったのですが、猫は彼の手を離れて床に下りると静かにこう言ったのです。

 

「この事は絶対に秘密だ。もし誰かに喋ったら殺す」

「えっ」

 

 牛野小雪は驚いて訊き返しましたが猫は返事をしませんでした。声を出してもニャーと普通の猫の鳴き声しか出てきません。

 やっぱりあれは幻聴だったのかと思いましたが、猫が最後に言った『もし誰か喋ったら殺す』その言葉は決して忘れることがありませんでした。

 

 猫の語った小説は本当に大傑作になりました。日本で二千万部売れて、世界でも十億部売れました。しかもまだ年に四回は大増刷されていて、この勢いだと40年後には地球人口より多く印刷されるそうです。

 

一躍時の人に登りつめた牛野小雪は出版社と良い契約を結べたので、一年に一回じっくりと長編を書ける執筆環境を得ることができました。書評家からは凡庸な作家でただの一発屋と専らの評判ですが、それは彼自身がよく分かっていました。

 

 ただその一発があまりにも大きすぎたので人気が人気を呼んで出した本は必ずベストセラーになりました。あるとき、この人気なら白紙の本を出しても売れるのではないかと考えて『無』という題の500ページ白紙の本を出しました。帯には『この本にはすべてが書かれていない』という売り文句があるだけです。

 その本は牛野小雪二番目の大ベストセラーになりました。世界的にも大ヒットして、とある大御所作家のTが「もう小説家として生きるのが馬鹿らしくなった」と断筆宣言する事件まで起こりました。

 

 猫の語った小説を出してから十年が経ちました。その間に牛野小雪は可愛らしいお嬢さんをお嫁さんにもらって、大きい家を建てて、たくさんの子どもも儲けました。小説家としての人気は衰えるどころか年々その勢いは増すばかりです。

 

 さて、彼の運命を変えた猫はというと新しい家を建ててから一年後に姿を消しました。ある初夏の日、ふいに姿を消したのです。暑さをしのぐために窓を開けていたので、そこから外に出たのかと始めは考えていましたが、夏の間ずっと窓を開けていても猫は帰ってきませんでした。

 猫は死ぬ間際に姿を消すというので、きっと死んだに違いないと彼は考えました。

 

 それ以来猫が消えた日を命日にして、わざわざ高知から取り寄せてきたかつおぶしを一本丸ごと猫が好きだったタンスの上に置いてやることにしました。不思議とその日は猫がタンスの上でかつおぶしをなめている夢を必ず見ました。

 

 さらに十年経ちました。彼の人気は衰えることなくある出版社が牛野賞という新設の新人賞を創設しました。彼の名を冠した賞なので当然彼はその授賞式に出席しなければなりません。

 普段は人前に姿を現さないので、これを機にマスコミがどっと押し寄せました。出版社もそれが狙いでこの賞を作りました。

 

 彼は式が終わるとすぐに家に帰ろうとしましたが、牛野小雪の人気はその辺のベストセラー作家の比ではありません。世界中に彼の新作を待ち望んでいる熱狂的なファンがいます。授賞式が行われた会場にはそのファン達がわずかでも言葉を聞こうとビルを取り囲んでいました。何も言わずにその場を去ることなどとうていできそうにありません。

 コソコソ逃げようとしているところを記者に囲まれるのも恥かしいので、彼は急遽記者会見をする事にしました。

 

 訊かれたのはいつ新作が出るのかということや、会場に集まったファンに一言など色んなことでした。彼は賞を受賞した新人作家のことを絡めながら色々と喋りました。

 一時間半も会見は続き、最後の質問になりました。

 

 司会者がある若くて色気のある女記者を指名しました。
 その記者は二十年前に書いたあの大傑作はどうやって執筆したのかという質問をしました。
 場内がしんと静になります。その質問をすると彼の機嫌がとたんに悪くなるというのは記者の間だけではなくファンの間でも常識でした。

 世間知らずのその記者はそうとは知らず、その質問をしてしまったのです。

 

 しかし、彼はどういうわけかその日は機嫌を損ねることなく彼女の質問に答えました。

 

「こんなことを言っても信じてもらえないでしょうが、実はあの小説は猫と一緒に書いたんですよ。昔、新人作家だった頃にどうしても次の新作が書けなくて、精神が弱っていたときがあったんです。そのとき猫が急に喋りだしましてね。私は猫が喋る言葉を必死でキーボードで打ち込みました。これまた信じてもらえないかもしれませんが、それは私がどうしても書こうとして書けなかった物語でね。ちょっとびっくりしました。でも、そこまでしてくれた猫にあげたのはかつおぶしだけなんですけどね。まあ、みなさん。猫は大事にするといいですよ。どんな恩返しがあるか分かりませんからね。これは私の作り話じゃありません、本当に。ハハハハ」

 

 牛野小雪が笑いながら首をのけぞらせると、どこからともなく宙から猫が舞い降りてきて彼の首もとに噛みつきました。彼はその猫を抱くように声も出さずに床に倒れました。

 記者達が彼のもとへ駆け寄るとすでに彼は死んでいました。
 彼の胸の上でも一匹の老いた猫が死んでいました。
 黒ぶちの白い猫です。それはある夏の日にふいに姿を消したあの猫でした。

 

もし誰かに喋ったら殺す

牛野小雪にしてもその言葉を忘れたわけではありませんでした。
 人生を変えた大事件の最後に放たれた言葉は一日たりとも忘れたわけではなく、女記者に質問された時もそれは覚えていていました。

 しかし、猫がいなくなってからもう何年も経ってしまったし、あの猫も死んでいるだろう。そう考えた心の隙が秘密の暴露へと繋がってしまったのです。

 

 エジプトでは猫は神の一員であるし、ヨーロッパでは魔女の使いとされている。日本においても猫又伝説、鍋島の猫騒動、お松権現と数えればきりがないほどだ。

 猫の魔力は霊験あらたかであり、猫との約束は鉄よりも固く金よりも重い。殺すと言えばたとえ死んでも殺しにくるのである。決して破ってはならない。

 

(おしまい)

○2/22は猫の日と聞いたので書きました。
○2015/3/28 全面改稿 

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