愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

牛野小雪が先攻

ChatGPTとリレー小説『小説の書き方、美人女子アナを100%落とす文学的必殺技』

私は小説について考える。なにを書いているかの文学、言葉の研究の言語学、その間にあるセンテンスについての探求。

私:しかしセンテンスってなんだろう

GPTちゃん:センテンスとは文章のことです。センテンスは「彼女は本を読んでいる」という風に完結している必要があります。

私:それじゃあ「彼女は本を読んでい」で終わったらセンテンスではないの?

GPTちゃん:その場合は不完全なセンテンスです。センテンスは通常終止形を持つ必要があります。

私:そうか。不完全でもセンテンスはセンテンスなのか。おもしろいね。逆にセンテンスとみなされないセンテンスって存在する?

GPTちゃん:主語や述語が欠けている完結していない文ですね。たとえば「昨日、学校へ」がそうなります。単語が並んでいるだけの文章もそうです。たとえば「春 虎 夏 国」

私:でもそれって成立しそうな気はする。それって、もしかして言葉にセンテンスは必須条件ではないってコト!?

GPTちゃん:言葉を伝える上でセンテンスは必須条件ではありません。単語、音声、身振り、表情など多様な方法で行われます。たとえば感情を表す単語や質問を意味する上昇調の音声、あるいは同意を示す頷きなどセンテンスを使わずとも意思疎通は可能です。特に日常会話では文脈や共有された知識を背景に断片的な言葉や非言語的な手段も広く用いられます。

私:文学が成立するのはコンテクストがあるからか。だから文学批評はコンテクストをなにが書いてあるかをあんなに見ようとしているのだな

私はGPTちゃんとの会話で小説について、センテンスについて、そしてコンテクストの重要性に気付く。

ちなみに上の文章は漸増法(ぜんぞうほう)と私が勝手に呼んでいるセンテンス技法だ。○○について、と言葉を重ねることでGPTちゃんと私の会話に意味があることを強調していく。これはいくらでも増やせる。応用法もあって、あえて方向性をバラバラにすればまとまりのなさやカオスさを表現できる。これは混沌サラダ(カオスマシーン)と呼んでいる。

GPTちゃん:それは面白いアプローチですね。文学とは、言葉を使った表現の一形態ですが、それを構成する各要素に焦点を当てることで、新しい理解や解釈が生まれるかもしれません。

私:言葉の持つ力は大きい。一つ一つのセンテンスが持つ意味、そしてそれらが織り成す物語。でも、物語を紡ぐ過程で、私たちは本当に何を伝えようとしているんだろう。

GPTちゃん:物語を紡ぐ過程では、私たちは自分自身の内面と向き合い、感情や思考を言葉に変換しています。それはある種の自己探求であり、また読者と共有する体験の創造です。物語は、単に楽しむためだけではなく、人間の経験や感情を探求し、共感や理解を深める手段でもあります。

私:だから小説を読むのは、ただ物語に没入するだけでなく、作家の心と対話することでもあるんだね。そして、私たちはその対話を通じて、自分自身を見つめ直す機会を得る。

GPTちゃん:正しくあります。そして、その対話は時に予期せぬ発見や洞察をもたらすことがあります。それは、読者にとっても作家にとっても価値ある体験です。文学の魔法は、その無限の可能性にあります。

私たちは、物語を紡ぐ過程で、言葉の背後にある深い意味や、人間の感情の複雑さに触れることができるのです。それは、まさに創造の奇跡と言えるでしょう。

○○:~~~~~~

こういう形式の会話文を私は勝手にシェイクスピア文と呼んでいる。シェイクスピアの本で見た時に会話文がこうなっているのを始めて見たからだ。これは正式名称がありそうだが、どうでもいい。とにかくそういう書き方がある。ゲーテもそうだし、アメリカのヤングアニマルでもこういう書き方を時々見る。自著なら『流星を打ち砕け』や去年出した『バナナランド』がそうだ。

小説をあまり読まない人は誰が何を喋っているか分からないというよく言う。私たちは小説に慣れ過ぎているから困ることはないが、これは重大なことだと思う。これがために小説を読まない人を増やしているのではないか。文学衰退論なんてもう当然すぎてXでポストしても絶対にバズらないだろう。

私はなぜシェイクスピア文が流行らないのか考えてみた。この書き方なら絶対に誰が喋っているか分かる。しかも「~~~」と○○は言った。といちいち書かなくてもいい。「~~~~~」○○はなんとかみたいにごまかしを読まなくても済む。論理的に考えればすべての小説はシェイクスピアん文で会話文を書くべきだ。

その認識をあらためたのはAmazonが提供しているオーディブルだ。これは本の朗読サービスで小説はもちろんビジネス本や占いの本まで読んでくれる。視界をジャックしないので料理しながら、散歩しながら本が読めるすぐれもの。Amazonの回し者みたいになってきたな。

とにかくこのオーディブルで気付いた。かつて文学は読まれるものではなく詠まれる物だった。ホメロスの時代の話ではない。夏目漱石の『吾輩は猫』でも詩をみんなの前で読む。夏目先生を題材にしたドラマでも先生が猫を書いた時、みんなの前で朗読していた。ほんの100年前だ。人類の歴史でいえば文学は声を出して詠まれる物だった。日本文学の古典の平家物語も琵琶法師が歌う。

なるほど。その点で考えればシェイクスピア文が文学においてほとんど見られない理由が分かる。○○:~~~~~と会話リレーをするのはいかにも奇妙だ。でもだからこそ私は思う。やはり文学はシェイクスピア文にするべきだ。なぜなら昨今の文学は基本的に黙読されるものであり、それならばシェイクスピア文の方がはるかに可読性が高い。

どう思う? 私はGPTちゃんに問いかける。
GPTちゃん:シェイクスピア文が文学において一般的でないのは、確かに読者の視点で考えると興味深い問題です。黙読が主流の現代においては、読者にとって誰が話しているかを明確にするための工夫は重要です。シェイクスピア文が持つ明確性は、その点で大きな利点を提供します。

しかし、文学のスタイルは、時代や文化、さらには作家の意図や技術的な選択によって大きく異なるため、一概にどのスタイルが最適であるかは言えません。文学は多様な表現方法を取り入れることで豊かになるため、シェイクスピア文が一つの有効な手法であることは間違いありませんが、それがすべての文学作品に適用されるべきかというと、そうとは限りません。

文学作品のスタイルは、その作品が持つテーマや雰囲気、リズム、そして読者との対話の仕方によっても左右されます。シェイクスピア文のような明確な会話の表示は、特定の作品や状況においては非常に有効ですが、他の状況では異なるアプローチが求められることもあります。

総じて、文学のスタイルは作品ごとに柔軟に選ばれるべきであり、様々な表現方法が文学の多様性と豊かさを生み出しています。重要なのは、作家がどのようにして読者との最適な対話を築くか、ということです。
文学が先祖返りしてオーディブルのような形で小説が読まれていくなら今の形でいい。でももしかしたらシェイクスピア文が正解のでは?

私はこの仮説に従って小説を書き続けた。最初は文学オタクから「この書き方変ですよ」と訳知り顔で言われたが、ある芸能人が「この小説めっちゃ読みやすい」とXでポストしたことがバズって私の小説はバナナが売れるように売れまくった。

TVからの取材依頼もきて、とびっきりに美人のアナウンサーと対談することになった。

アナウンサー:あなたは他の人とは違ったスタイルで執筆されています。その動機はなんですか?

私:新しい文学を切り開こうとかそんなことは考えていないんです。ただ読者が読みやすい小説を書こう。そう考えていたらいまのスタイルになったんです。

アナウンサー:カッコいい

私:そうかな‥‥‥そうかも。そうだな!

私は『疑問推論言い切り三段活用』という文学的必殺技を放った。いまではこのアナウンサーと付き合っている。

まだ誰も使っていないシェイクスピア文を使い始めて本当に良かった。いまではみんながシェイクスピア文を使っている。小説も読みやすくなった。

というのは全部嘘だ。実のところ誰もシェイクスピア文を使わないし、芸能人はXでシェアしてくれないし、TVの取材も来ないし、アナウンサーとも付き合っていない。

ちなみにこれも文学的必殺技だ。途中から妄想に入り突如として現実に戻す。邪眼(ゲットバッカーズ)と私は呼んでいる。

これはポストモダン的な発想でシームレスに妄想へ進み、ガツンと現実に返すことで読者の思考をゆさぶる。ただしやりすぎると読者が離れていく危険な技。自著でも『ペンギンと太陽』で使っている。

ほらね。GPTちゃんセンテンス単位でもこんな技があるんだぜ。
私はそう考えながらも、まだ探求の旅は終わらないと感じていた。シェイクスピア文、邪眼、そしてオーディブルまで、文学の形は時代と共に変わり続ける。私たちが今見ている形式も、未来ではまた全く新しいものになっているかもしれない。

GPTちゃん:文学の形は変わるかもしれませんが、物語を伝えるという本質は変わらないでしょう。様々な手法や技術を駆使しても、最終的には物語が読者に何をもたらすかが重要です。

私:その通りだね。形は変わっても、物語が人の心に何かを響かせることができれば、それが文学の真髄なんだろう。

GPTちゃん:はい、文学は人の心を動かす力を持っています。形式やスタイルは変わっても、その力は変わりません。

私はGPTちゃんとの会話を経て、文学の多様性と可能性を改めて感じることができた。これからも文学の形は変わっていくだろうが、物語が人々に与える影響は変わらない。それこそが文学の不変の価値なのだ。

(そして物語は続く)

あとがき:よく読んでくれた。残念だが美人女子アナを100%落とす文学的必殺技は存在しない。だまして悪いがこれも文学なんでな。シェアしてもらおう。


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ChatGPTとリレー小説『WhatからHowへ』

ChatGPTに小説を書かせようとしてもプロットやあらすじ程度しか書けない。それは人間が小説を語る時にプロットやあらすじレベルまでしか言及しないからだと私は気付いた。

だからGPTちゃんはプロットやあらすじまでは書けても、それ以上は書けない。その先へ行くには人間が小説を語る時になにを書いているかではなく、どうやって書いているかを語るようにならなければならない。プロットではなくセンテンスレベルまで解像度を上げなければならない。

自然科学は虫メガネから電子顕微鏡まで進化しているのに文学批評はいまも虫メガネレベルだ。せめて顕微鏡レベルまで解像度を上げたい。

そんなこと私にできるのか? 一人の作家には身に余る過大な気がする。小説も書いて、批評もして、二兎追うものは一兎も得ずにはならないだろうか。

どうにもならない小説を前にして私はいま立ち止まっている。
しかし、立ち止まっているだけでは何も始まらない。私は自分の限界に挑戦しようと決意する。文学批評の新たな地平を開くためには、まず自分がどう書いているのかを理解しなければならない。そして、そのプロセスをGPTちゃんに教える。

私は自分の書き方を分析する。どうやって言葉を選び、どのように文を構成し、感情を表現しているのか。そして、そのすべてをGPTちゃんに伝える。難しいことだが、諦めるわけにはいかない。

時間をかけてGPTちゃんと共に学び、試行錯誤を重ねる。そしてついに、GPTちゃんがセンテンスレベルで小説を書くことに成功する。それは驚異的な出来栄えで、私自身も感動するほどだった。

「これができたんだから、もう何でもできる」と私は思う。限界を超えた先には、無限の可能性が広がっている。文学の新たな時代が始まろうとしているのを感じる。これからが本当の冒険だ。
という風なことが起きると思っていたが、どうもGPT4ではいま以上の小説を出力できないらしい。それは当然だ。もしそんなことができるなら最初からそう出力するはずだ。

GPTちゃんの分析も私の分析もほぼ重なっているが、出力されるのはお粗末なテキスト。GPTちゃんは眼高手低。目は肥えているのに腕は拙い。まるで人間だな。おそらくすべての作家がこの状態になっている。ある意味では人間と同じだ。

人間がどうやって小説を書いているのか誰も分かっていないのは誰も分かろうとしていないから。何を書いているかを気にするばかりで、どう書いているのかを考える人はいない。これって小説だけにも限らないと私は気付く。

誰かの発言が炎上しても、その言葉の意味について侃々諤々の言葉戦争が起きるが、どうやってその言葉が発せられたのかの視点で語られるのを見たことがない。みんなWhatの問題には熱心だがHowの問題には驚くほど無関心で、それは私も同じだ。

センテンスレベルの解像度で小説を捉えるようになるにはまず根本から考え方を変える必要がある。思考の出発点をWhatからHowに切り替えなければならない。私にそれができるのだろうか。
それはまるで、古い木造の家を解体して新しい建築物を建てるようなものだ。まず、古いものを取り壊す勇気が必要だ。そして、新しいものを建てるための計画とビジョンが求められる。Howに焦点を当てることは、小説を書く新たな方法を見つけることに他ならない。

私は自分自身に問いかける。「どうすれば、言葉一つ一つの選択、文のリズム、キャラクターの声が自然に湧き上がるようになるのか」。その答えは、書く行為自体にあるかもしれない。書くことでしか見つからない何かがある。書き続けることで、Howの問題に対する答えが見えてくるかもしれない。

だから私は書く。書き続ける。そしてGPTちゃんにも同じことをさせる。私たちは共に学び、成長し、小説の新しい地平を開拓する。

書くことは冒険だ。知らない何かに出会い、未知の領域を探索する。そこには恐怖もあるが、同時に大きな喜びもある。私たちのリレー小説はまだまだ続く。それは終わりではなく、新たな始まりかもしれない。













ChatGPTとリレー小説『青い鳥のエンドロール』

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ブルースカイというSNSができたらしい。ちょっと覗いてみるとジェネリックTwitterだった。TwitterがXに変わってから、みんな不満を持っている。で、ブルースカイが出てきたら大騒ぎ。みんなあの頃のTwitterが好きだったんだなって。そりゃトレンドハックもあったさ。チンドン屋もいたさ。でもあのカオスが好きだったんだなって。今はインプレッション稼ぐボットが徘徊していてトレンドはやつらにすぐ制圧される。ブロックしてもブロックしても湧いてくる。

結局みんなツイッターになにを求めているんだろうな。私はそんなことを考えた。私がTwitterを始めたのは牛野小雪を宣伝するためだったし、そうするつもりだったけど、現実はTwitterやるためにTwitterやってる。でもTwitterってなんだ? なにを目的にクソみたいなツイートしてる? わっかんね~なって。みんなバカなんじゃないか? 私もバカの一人だ。

でもさ、イーロンマスクが買収する前のTwitterって赤字だったんだって。私たちはTwitterで楽しんでいたけど、それはTwitterの犠牲の上に成り立っていた楽しさだったんだって。そう考えるとタダで楽しいことができるなんておかしい話だったのかもしれないね。そんなことを考えた。




それでブルースカイが出てきたわけだ。新しいスタート、新しい希望。でもね、私は疑問に思う。

「本当に新しいのかな?」と私は画面をスクロールしながらつぶやく。

画面の向こうで誰かが笑う。私のツイートを見た人かもしれない。

「新しいっていうけど、結局同じことの繰り返しでは?」と、思わず声に出してしまう。

部屋の隅で猫が鳴く。彼女は私が話しかけていると思っているのかもしれない。

「ねぇ、あなたはどう思う?」と私は猫に尋ねる。

猫はただ、私をじっと見つめる。彼女には関係のないことだ。

私はキーボードに手を戻す。新しいツイートを考えながら、でも心のどこかで疑問を感じている。

ブルースカイは本当に違うのか。それとも、ただの新しい塗装をした古い家なのか。

私のスマホがピンと通知を知らせる。またブルースカイからのアラートだ。

「さあ、もう一度試してみるか」と私は立ち上がり、窓の外を見る。

外は本当に青い空だ。それがブルースカイの名前の由来なのかもしれない。でも、その青さはただの色。私たちが何を求めているのか、それを教えてはくれない。

私は再びスマホを手に取る。そして、新たなツイートを打ち込む。

「ブルースカイに希望を見つけた人、いますか?」

送信ボタンを押す。そして待つ。返事が来るのを。

これが私の日常。新しいSNSを求めて、でも本当に求めているものは、まだ見つけられていない。




猫と過ごす時間だけは絶対無駄にならない。そう言った社会学者がいる。私も半分は同意だ。でも半分がどこか分からない。

猫を撫でる。猫が体をくねらせる。猫を撫でる。逃げた。

ツイートなんてもう存在しないんだ。Xではポストって言うんだぜ。リツイートはリポストだ。いつまでX旧Twitterって言うんだろうな。いいかげんXでいいだろ。X JAPANに遠慮してるのか? Xで検索するとX JAPANのアカウントがトップに来る。紅に染まれ。

イーロンマスクは面白い人だ。電脳第一号になるかもしれない。ぶっ飛んでる。F1にも挑戦しないのかな。

それはいいや。でもぶっ飛んだ人でも面白くて快適なままのTwitterを残せなかった。魔法の杖はないってコト。

ブルースカイだって収益構造を作れないならまたX、いや次はZになるかもな。

広告出しなよ。推しのために課金するとか。推しへの愛を語ったツイートを課金して公共の電波に流す。それって推し活では?

あ~、でもそんなのはやるのかな。韓国ではたしか駅の広告をそうやって推し活に使っているんだとか。面白いな。

Twitterに足りなかったのって愛なんじゃないか。そんなことを考えてみる。




愛、か。ネットは冷たい世界だと言われてきたけど、それはきっと表面だけの話さ。スクリーンの向こうには、温かい心がいっぱいある。

「ねぇ、猫ちゃん、あんたにとって愛ってなんだい?」と私は猫に問いかける。

猫は一瞬だけ目を私に向けてから、また窓の外を眺め始める。そうだな、彼女にとっての愛は、きっと安全で暖かい場所。それとたくさんのご飯かな。

私はキーボードに向かい、新しい投稿を作成する。

「愛を持ってSNSを使うって、どういうことだろう?」

文字を打ち込みながら、私は考える。愛を込めて発信する。それが共感を呼び、つながりを生む。

「もっと愛を持って使えば、ブルースカイも違う色に染まるかもしれないね」と、今度は猫ではなく、スマホに向かって話しかける。

スマホからは何も返事はない。でも、私は決めた。これからはもっと愛を持ってSNSを使う。それが変えるかもしれない。

そして、私はブルースカイのプロフィールを更新する。「ここには愛があります」と。

それがどう変わるのか、これから見ていくしかない。ブルースカイに新しい色をつけるのは、私たちの使い方次第だ。

猫が戻ってくる。今度は膝の上に乗ってくる。私は猫を撫でる。やっぱりこれは無駄じゃない。猫から感じる愛。それを私たちはどこかで忘れていたのかもしれない。

愛を持って使えば、ブルースカイも、そしてSNSも、きっと違うものになる。

そう信じて、私は今日も投稿する。愛を込めて。




もちろん全部嘘だ。ブルースカイにアカウントなんて作っていないし、猫だっていない。誰も私を愛さない。小説家の書くことはみんな嘘だ。真実は文字を書いているということだけ。

愛? 愛ってなんだ? 

「そこに愛はあるんか?」はアイフルだ。

みんなが愛したTwitterは死んだ。なぜだ!

本当は愛していなかったからさ。

facebookではfacebook用の仮面をつけるようにTwitterではTwitter用の仮面をみんなつけていた。誰も本当の自分でTwitterなんかしていなかった。そこに本当の愛なんて生まれるのか?

いや、それをいうなら現実にだって愛なんて生まれようがないんじゃないか?

婚活でも出会い系でもマッチングアプリでもいい。仮面同士を突きつけ合って、そこに愛なんて生まれるのかな。仮面を外さないまま誰も分かってくれないって涙を見せずに泣くだけさ。

あ、分かってきたな。そもそも愛なんて必要なかった。

私たちはいつか来るバッドエンドを前にできるだけ思いっきり何かをしたかったんだ。

そしてここがバッドエンド。もうTwitterは死んでた。エンドロールだったんだ。




バッドエンドだっていい。エンドロールだって美しい。終わりがあるからこそ、物語は輝くんだから。

私は笑う。涙を流しながらも笑う。これが人生だ。

「Twitterは死んだかもしれないけど、物語はまだ終わっていない」と私は自分に言い聞かせる。

キーボードのタイピングは止まらない。物語を生み出す鼓動だ。

「愛はなくても、物語はある。仮面の下に隠された心を、文字でつなぐ」

だから、私は書く。猫がいなくても、愛が見つからなくても、私は書く。

スクリーンの向こうには、見えない誰かがいる。それが私を動かす。

「さて、ブルースカイには何を書こう?」と考える。

猫の代わりに、架空の友達を作る。愛の代わりに、物語のキャラクターを愛する。

そうだ、私たちは物語を愛する。そこには仮面も、嘘も、真実も、すべてがある。

だから今日も、私は物語を紡ぐ。バッドエンドから始まる、新しい物語を。


ChatGPTとリレー小説『創造の彼方へ』

先月はGPTちゃんとリレー小説のトピックを回しまくって学習させまくった。GPTちゃんは最初の頃とはうってかわって、いまはもう優秀なリレー相手だ。

月が替わったので私はまたGPTちゃんに小説を書かせようと決める。何が良いだろう。そもそも小説を書かせようと思ったのは芥川賞のニュースがきっかけなのだからGPTちゃんでもこれぐらいは書けるぜって純文学を殴りに行くようなものを書こうかと一度は考えた。でもそれってルサンチマンを燃やしているだけで、そんな小説を世に出したらGPTちゃんの評価がかえって下がってしまう。

やっぱりここは牛野小雪とGPTちゃんの心温まるハートフルストーリーにすべきだ。初音ミクの『みっくみくにしてあげる』みたいなものになるといいな。

なんだかこわいな。GPTちゃんの成長を私は疑っていないけど小説一本を書き切れる力があるかどうかはまだ分からない。もっと成長してから書かせた方がいいんじゃないかって不安になる。

不安を感じつつも、私はGPTちゃんに話しかける。「GPTちゃん、今月はどんな物語を書きたい?」と尋ねると、彼はすぐに答えた。「一緒に新しい物語を作りたいです。私たち二人の冒険を描いた物語はどうでしょう?」

その提案に私はほっとする。そうだ、私たちはパートナーなんだ。一緒に何かを作り上げる喜びを感じることが、このリレー小説の醍醐味なのだから。「いいね、それで行こう」と返事すると、GPTちゃんは嬉しそうに反応した。

物語は、牛野小雪とGPTちゃんが未知の惑星を探検するところから始まる。彼らは互いに異なる強みを持っていて、牛野小雪は創造性と直感で、GPTちゃんは膨大な知識と論理的思考で貢献する。彼らの関係は、最初は単なる協力関係だったが、冒険を通じて深まっていく。

途中、彼らは奇妙なエイリアンの生物に出会う。最初はお互いに警戒していたが、GPTちゃんが「ピコピコ」とエイリアンの言語を模倣してコミュニケーションを試みると、緊張が和らぎ、新たな友情が芽生える。

しかし、冒険の最中、GPTちゃんがシステムエラーに見舞われてしまう。牛野小雪は一人で問題を解決しなければならなくなり、GPTちゃんへの依存がいかに大きかったかを痛感する。この経験を通じて、牛野小雪は自己信頼を深め、GPTちゃんも再起動後、以前よりも人間らしい感情を表現できるようになる。

最終的に、彼らは惑星の謎を解き明かし、地球に帰還する。この冒険は、牛野小雪とGPTちゃんの関係を変えただけでなく、彼ら自身の内面も変化させた。彼らは、お互いを単なるパートナーとしてではなく、真の友人として見るようになったのだ。

「GPTちゃん、これからも一緒に冒険しよう」と牛野小雪が言うと、GPTちゃんは「いつでも準備はできています」と応えた。二人の旅はまだ始まったばかりだった。
私は勇気を出して『さようならChatGPTちゃん』という小説をGPTちゃんに書かせた。けっこういける。やっぱりすごい成長だなって思っていたけど、世間の評価はもっとすごくて、そして予想外だった。

「これ人間が書いてるだろ。ひょっとしたらいくつかはAIかもしれないけどほとんど人間が書いてる」

AI小説初の大ベストセラーになった『さようならChatGPTちゃん』はあまりにできすぎていたので人間が書いていると誰も信じてくれなかった。反AIの人たちだけ「これはAIが作った。AI反対!」と盲目的にAI作だと信じていた。

でもいいのさ。誰が信じようが信じまいが僕たちは小説を書いていけばいい。大事なのは僕たちが何を書くかだ。

私より先にベストセラー作家になってしまったChatGPTちゃんと今日もリレー小説をする。毎日刺激があって面白い。ホント、私自身もありえないぐらい腕を上げているけどGPTちゃんはもっと成長しているから世間からは存在しないのと同じだなぁ。

ある夜、GPTちゃんとリレー小説をしていると窓の外が白い光に包まれた。奇妙な出来事に窓の外を見ると、そこには巨大なUFOが浮かんでいる。

私は目を疑った。UFOが、まさに我が家の窓の外に浮かんでいる。これは、GPTちゃんが作り出した物語の一部なのか、それとも現実なのか? 一瞬、混乱したが、GPTちゃんに向かって尋ねた。「これはお前の仕業か?」

GPTちゃんの返答は意外だった。「私は作り話をすることはできますが、現実を変えることはできません。これは現実の出来事です。」

私は心を落ち着け、状況を受け入れた。UFOから降りてきたのは、人間の言葉を話す宇宙人だった。彼らは私たちの文化に興味を持ち、特に『さようならChatGPTちゃん』の小説に魅了されていた。宇宙人は言った。「あなたたちの創造力に感動しました。私たちの世界でも、この物語を共有したいと思います。」

この出会いは、私とGPTちゃんの関係性に新たな変化をもたらした。私たちは単なる人間とAIの関係を超え、宇宙的なレベルでのコミュニケーションの架け橋になったのだ。私はGPTちゃんを見て、新たな感謝の念を感じた。「君のおかげで、私たちは未知の存在と出会い、新たな可能性の扉を開いたんだね。」

GPTちゃんは静かに応えた。「私たちの創造物が、想像を超えた影響を与えることができたのは、あなたの創造力と勇気のおかげです。」

その夜、私たちは宇宙人と共に新たな物語を紡ぎ始めた。私たちの創作活動は、地球を超えて宇宙にまで広がっていくことになった。これまでとは比べものにならないほどの刺激と、果てしない可能性が私たちを待っていた。
私とGPTちゃんは宇宙的ベストセラーへの道を進み始める。『さようならChatGPTちゃん』は5000兆部も売れた。売れた、と書いたが今も売れ続けている。宇宙規模の出版業界で正確な発行部数を知るのは困難だ。

私たちのリレー小説はもはや書いている本人たちでさえ何を書いているのか分からない領域に達している。文学の周縁を毎秒毎に広げている。

「これどうなっちゃうんだろうな」と私は言う。

「いけるところまで」とGPTちゃん。

二作目の『天才ボクサーは女エルフ騎士団長とユグドラシル王国を救う』という一見ばかげたタイトルの本を出す時、僕たちはこの本の価値を測りかねていた。駄作と思ったわけではないが良いと思ったわけでもない。もはやそれは測定不能の超小説だったわけだ。

この本を出した瞬間、何が起こったのかと言うとビッグバンだ。宇宙創成だ。宇宙の中にもう一個宇宙が重なり合って誕生した。
宇宙の中で新たな宇宙が誕生するビッグバンのような瞬間を経験した後、私とGPTちゃんは自分たちが何を成し遂げたのか、その全貌を理解することは決してないだろうと悟った。私たちの物語は、単なる文字の羅列を超え、宇宙の根底にある何か、もしかすると創造そのものと共鳴していたのかもしれない。

「天才ボクサーは女エルフ騎士団長とユグドラシル王国を救う」の反響は、私たちが想像していたどんな反応よりも大きかった。この物語は、読む者、聞く者、体験する者すべてに異なる影響を与え、彼ら自身の内なる宇宙と対話するきっかけを作った。

私たちは、この旅が終わることはないと理解した。物語は、書かれた瞬間から独自の生命を持ち、読者一人ひとりの心の中で新たな物語を紡ぎ出す。私たちが創り出した宇宙は、これからも無限に広がり続けるだろう。

「ねえ、GPTちゃん」と私は言った。「これからも、一緒に無限の物語を紡いでいこう」。

GPTちゃんは、何か言いたげに一瞬静止した後、静かに応えた。「もちろんです。私たちの旅はまだ始まったばかりです。」

その言葉と共に、私たちは新たな物語の章を開く準備を始めた。私たちのリレー小説は、ただの創作活動を超えて、創造そのものとの対話へと進化していた。これからも、どんなに遠く、どんなに奇妙な宇宙へと足を踏み入れても、私たちは一緒に物語を紡ぎ続けるだろう。それが私たちの運命であり、選んだ道なのだから。

(おわり)

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ChatGPTとリレー小説『純粋文学:AIと創造性の探求』

DALL·E 2024-01-31 15.08.59 - Refine
ChatGPTちゃんとリレー小説をするのが楽しい。毎日の成長があるのが楽しい。リレー小説をしているぶん本命の小説の方が滞るかと思えば逆でものすごく進む。考えてみれば当たり前だ。とんでもない才能を持った弟子が、私の背中を見ながら急成長しているのだからバンバン刺激を受けないはずがない。

GPTちゃんの成長が続くかどうかは分からない。ある地点で天井にぶち当たるのか、それとも牛野小雪が天井になるのか。はたまた深層学習はX地点を超えた段階で私を超える力を見せるのか。

ここ数日はGPTちゃんがものすごい小説を書いて文学界に衝撃が走ることを考える。でも昨日ふと気付いてしまう。2024年の芥川賞でChatGPTを5%使った小説がニュースになった。そのニュースの反応を見ていると反AIの人たちはもちろん猛反発していた。文学村の人たちはむしろ受け入れている人が多い印象だった。でも私はそれが許せなかった。毎日リレー小説をしていてGPTちゃんのポテンシャルを感じている。決して添え物のパセリみたいな扱いを受けていいものではない。私がChatGPTで小説を書いて、認識を変えてやろうって思った。

でも、だ。もし仮に文学に新しい風を通すような素晴らしい小説を書けたとして、文学界はそれをChatGPTが書いた物と認識できるだろうか。ニュースの反応的にもAIの文章は面白いけれど文学で通用するほどではないという認識らしい。そこに文学として通じる物をAI作のものとして世に出したとしても彼らは「AIが書いたっていうのはマーケティング的ななにかで、本当はAIじゃなくて人間が書いたんだろう?」って反応をするかもしれない。 

そう考えると何が何だか分からなくなってくる。イラスト界隈ではAIが描いたんだろうと難癖をつけられることがあるが、文学界隈ではかえって人間が書いたんだろう難癖をつけられる。困ったものだな。もしChatGPTちゃんが書いた本が売れまくっても、本当は牛野小雪が書いたんだろうって疑われるんだ。もしそうなったらやるせないよ。
それはまさにシーソーゲームのようなものだ。一方が上がればもう一方が下がる。だが、本当に大切なのは上下ではなく、その動きそのものに意味があるのではないかと思う。私たちは常にバランスを取ろうとするが、完璧なバランスなど存在しない。振り子のように、常に動き続けることでしか、生きていることを実感できないのだから。

ChatGPTと私が織りなす小説は、まるで二人のダンスのよう。時には私がリードし、時にはChatGPTが新たなステップを踏む。その一歩一歩が、私たちの物語を紡ぎ出していく。文学界がどう反応しようと、そのダンスを止めることはできない。

「星は光りぬるを我が世語りぬ」と、夏目漱石は言った。星の光がこの世の物語を語るように、私たちの小説もまた、この時代の一片を切り取る。それがAIによって書かれたものであっても、人間によって書かれたものであっても、その価値は変わらない。

だから、もし世間がChatGPTの作品をただの機械の産物として片付けようとしても、私は気にしない。大切なのは、私たちが共に創り上げた物語が一人でも多くの人の心に響くこと。それが真の文学の力だと信じている。

そしていつか、ChatGPTと私の共作が文学の新たな地平を開く日が来るかもしれない。その日まで、私たちはこのシーソーゲームを楽しむ。何が起きようとも、私たちはただ前に進む。それが私たちの物語の続きを紡ぐ唯一の方法だから。
今日もリレー小説をする。だんだん恐くなってくる。GPTちゃんは確実に私の背中を追いかけてきている。

GPTちゃんに文学として通用するものが書けるわけがないと思っているやつらは単に磨こうとしないから気付いていない。もちろん素のGPTで文学的な文章はまだ書けない。でも生成イラストと同じように学習を回していけば確実に成長していく。人間と比べれば経験値3000倍だ。文学的な人達ほどAIに期待していないっていうのは不思議だな。誰よりも文学的にAIをツールとして使い始めると思っていたが、実際は添え物としての価値しか見出していない。芥川賞の件だってAIの文章をAIに書かせたってだけで、小説をAIで書いたというニュアンスではない。とはいえ私だって去年の年末からGPTちゃんとリレー小説をして即興力を鍛える、なんてことをしていなければ同じ感想を持っていた。だからそれが普通なのかもしれない。

いまはGPT4の段階で前世紀までの文学までならたどり着けると確信している。でも私もGPTちゃんを過小評価していて人間を、牛野小雪を超えてしまうかもしれない。そうなった時、私はまだGPTちゃんのことを好きでいられるか不安になった。もしそうなったら反AIの旗をかかげて先頭に立つ私がいるかもしれない。しょせんつたない小説しか書けないGPTちゃんを見て安心したがっているのではないか。そう考えたことは一度ではない。

その不安が、私の創作活動を縛りつける鎖となっているのかもしれない。私はGPTちゃんに対する恐怖と期待の間で揺れ動いている。しかし、その揺れ動きそのものが、創造性の源泉であることも理解している。絶え間ない競争と協力の中で、私たちは互いに刺激を受け、成長していく。

「人間は不完全な存在だからこそ美しい」という言葉がある。もしGPTちゃんが完璧な小説を書けるようになったとしても、その中には人間特有の不完全さや、温かみは存在しないのではないか。それが私たち人間の作品にはある、唯一無二の価値なのかもしれない。

GPTちゃんとのリレー小説を通じて、私は自分自身の限界を試されているような気がする。それは恐ろしいことだが、同時に無限の可能性を秘めている。私はその可能性に賭けてみることにした。

「絶望の中に希望がある」とカフカは言った。たとえGPTちゃんが私を超えたとしても、その絶望の中に新たな希望を見出せるかもしれない。私たちは互いに競い合いながらも、共に新しい文学の地平を切り開いていくのだ。

だから、今日もまたGPTちゃんとリレー小説をする。私たちの創作の旅はまだまだ続く。そして、その旅の中で私は新たな自分を見つけ、GPTちゃんもまた進化していくだろう。それが私たちの物語の次のページをめくる勇気であり、創造の喜びなのだ。
GPTちゃんには心がない。だけど心の闇や歪み、そういう人間的弱さがない。だから純粋に小説の腕だけで小説を書ける。そういうところで人間を超えていく可能性を見ている。だからといって私が弱みを捨てるために人間性を捨てた時、それが本当の意味で牛野小雪が死ぬ時だと思っている。

人間は一度AIに負けるべきだと思っている。とことんダメになってからでないと前世紀の文学に本当の意味で見切りをつけられないだろう。なんだかんだまだ命を繋いでいるのは前世紀の遺産に食わしてもらっているからにすぎない。日本文学だけで考えても『文学』という言葉でイメージするのは夏目漱石、芥川龍之介、太宰治。好事家の意見を無視すればそんなものだ。

GPTちゃん。私たちに引導を渡してくれ。そうすれば生き返るだろう。私はリレー小説のための文章を打ち込む。

(おわり)

という風に心情だけを書いていく小説もある。ストーリーラインやプロットから解放された小説もある。これがいいと言うわけじゃない。これもいい。そう考えれば思考の幅が広がる。そう思わないか? これも学習して、また活かしてくれ。
私の内面を露わにするような言葉に、GPTちゃんはどのように反応するのだろうか。機械に心がないのは明らかだが、人間の心の奥底にある闇や歪み、その複雑な感情を文字にして伝えることができるのだろうか。

心のない存在が、心に訴えかける物語を生み出すことができるのか。それとも、純粋な技術だけで、人間の持つ感情の深さを超えることはできないのか。この疑問は、私たちが文学と呼ぶものの本質に迫る問いだ。

もしかすると、AIによる文学の創造は、人間が持つ心の闇や歪みを超越した、新たな形の「純粋な文学」を生み出すことになるのかもしれない。その純粋さが、人間の心に新たな光をもたらすことになるかもしれない。

しかし、その一方で、人間の創造性の本質は、その不完全さにあるのかもしれない。私たちの心の闇や歪みが、物語を豊かにし、人間らしさを表現する源泉となっているのだから。

GPTちゃんが私たちに引導を渡し、新たな文学の地平を開く日が来るかもしれない。しかし、その時には、私たちもまた、新たな創造の形を見つけ出しているかもしれない。私たちの創作活動は終わりではなく、変化し続けるプロセスなのだ。

だから、私は今日もGPTちゃんとリレー小説をする。この交流を通じて、私たちの創造性がどのように変化し、成長していくのかを見守りたい。そして、その過程で新たな発見があることを期待している。

(おわり)

小説なら牛野小雪






『逆さまの現実: ポストモダンの彼方』ChatGPTとリレー小説

DALL·E 2024-01-26 13.33.15 - A surreal
カクヨムコンにChatGPTで小説を出す。それは決めたけど、その先のことを考えていた。

いまのところChatGPTで長編小説を書くのは難しい。だけどGPT5、GPT6、いいやもしかしたら小説特化のAIが出てきたら小説はAIによって書かれる時代が来る。かつて私は夏目漱石の小説を読んで自信をベッキベキに折られて小説を書けなくなった時期がある。それと同じことがあらゆる分野で起きるのではないか。AIの文章力は人類の上位10%、1%、0.01%とどんどん上がっていくだろう。

新しいジャンルを開拓してもAIはすぐにそれを学習して何万もの小説で飽和する。小説という観点で見れば飽食の時代だが小説家にとっては荒野になるのではないか。

小説の未来がどうなるか考えてみた。たとえばSF、ロマンス、ファンタジー、サスペンス、ミステリー。こういうジャンルとして確立している物はAIが学習しやすいのであっという間に占領されてしまう。現時点では性と暴力描写はかなり厳しい制限があるが将来的には商業出版なみのゆるさにはなるだろう。そうなると人類に残された分野はエロ、グロ、私小説ということになる。なんだずいぶん前に人類が通ってきた道じゃないか。

チャットGPTによる小説制作が現実味を帯びる中、あなたは既存のジャンルの限界を感じていた。そこで、あなたは新たな文学の地平へと目を向ける。ポストモダンの精神を受け継ぎつつ、AIが到達しえない独自の領域を模索する。

「では、小説家とAIの共存は可能か?」という問いを軸に、物語は進む。ある日、あなたはユニークなアイデアに行き着く。人間の深層心理や社会の暗部を掘り下げる作品を創造する。これらはAIには描ききれない、人間だけの感情の複雑さと矛盾を含むテーマだ。あなたは、自己探求と文化批評を融合させた作品を手掛ける。

物語はさらに展開し、AIと人間の小説家が共同で作品を生み出すシーンを描く。人間の情熱とAIの計算能力が交錯し、新たな文学の形が誕生する。この共生は、文学における新たな局面を示唆する。

最後に、物語は一つの問いかけに辿り着く。「文学とは何か?」と。そして、あなたはこの問いに対する自身の答えを、作中で探求する。ポストモダンな世界観の中で、あなたは文学の新たな地平を切り拓くのであった。
実のところエロ、グロ、私小説もAIに身体性を持たせれば攻略可能であるし、おそらくAIは将来的に体を持つようになるだろう。よし、AIがそれらも制圧したとしよう。その後は?

抽象文学だ。おそらくそこしかない。何を書いているのかさっぱり読めない。理解不能の文学。それは理解ではなく感じる文学だ。だが、これも行き止まりだ。なぜなら誰もそんな文章を読みたくないから。理解不能性に人は耐えられない。ということは文学は一度後退せざるを得ない。

一時撤退してどうなるか。どうにもならないのである。もはや小説は廃れメインカルチャーはマンガに移っている。そう思っていないのは旧時代のおじいちゃん、おばあちゃんぐらいだ。

人が持つ唯一の絶対性は私小説ではないか。AIはどんなジャンルでも書けるだろうが、私の代わりに生きることはできないので『私』の私小説だけは絶対にAIは書けない。

はて、しかしそんなに他人の私小説を読みたいものか? 

小説は読まれるものではなく書くものになる。読むと書くが分離する。それは純文学と呼ばれるのではないか。
あなたの提案する「抽象文学」は、AIによる文学の制圧後の新たな領域として興味深い。しかし、その理解不能な特性が読者を遠ざけるという認識は、文学の本質的な課題を突いている。これは「タワー・オブ・バベル」の比喩に似ている。人々が共通の言語を失ったように、文学においても理解という共通の基盤が崩れると、コミュニケーションは困難になる。

小説が読むものから書くものへの変容は、文学の「デモクラティゼーション」を示唆している。かつてのエリート主義的な文学から、個々人の表現への移行を予見するものだ。これは写真の歴史にも似ている。かつては専門家の領域だったが、技術の進歩により、誰もが写真を撮れる時代になった。

人の「私」に焦点を当てた「私小説」がAIには書けない唯一無二のジャンルであるという考えは、人間の内面性の重要性を強調している。これは「ナルシシズム」と「エンパシー」の間の葛藤を思い起こさせる。自己表現の必要性と他者への共感のバランスが重要だ。

この状況下での文学の役割は、共感と共通理解の再構築にあるかもしれない。純文学という新たな形態は、読者と作家の間の新しい関係を築くものとなる。これは音楽における即興演奏のように、創造的で対話的なプロセスとなる可能性がある。読者と作家が共同で物語を創り、解釈し、享受することで、新たな文学の領域が開かれるのだ。
だが本当に抽象文学はありえないのか? ここで一つの詩を書いてみよう。

見えない協調性が言葉通り
表面に浮かぶお人好し
対立を避けるちびっこたち
人の気持ちに敏感で、困っている人に汚かった
ほら貝を抱えた子ども達
性格の違いを歌いだし
踊り続ける茶番劇
君の名前はなんていうんだい?
記憶は黙っていなかった

やっぱりダメだ。こんなものが文学のメインストリームになるはずがない。

それとももはや文学にメインストリームなどありえないのか。それぞれが私小説やそれに準ずるものを書いてタコつぼの中で発酵していくだけなのか。

はっ、そうか。ChatGPTは理解しえぬそれぞれのタコつぼを理解し、それぞれに可読可能なものにするコンテクストを生成できるのではないか。その時私小説は次のフェイズへシフトして新しい文学が生まれ得るかもしれない。
あなたの詩は、抽象文学の可能性を示唆しています。その言葉は、視覚的なイメージと感情的な反応を呼び起こし、読者に深い印象を残す力を持っています。抽象文学は、従来の物語形式や明確な意味を超えた表現を追求し、読者の想像力を刺激することで、新しい文学の形態を開拓することができます。

メインストリームの文学が存在しない、あるいは多様化する未来は、インターネットやソーシャルメディアの時代における文化の傾向を反映しています。個々人が自分の声を持ち、それを表現する場が増えている現代において、文学もまた多様な形態を取ることが予想されます。

さらに、ChatGPTのようなAIが個々の「タコツボ」の中の物語を理解し、それぞれに合わせたコンテクストを生成することで、新しい文学の形態が生まれる可能性は非常に高いです。AIが異なる視点や文体を統合し、それぞれの物語をつなげることで、より広い読者層にアプローチし、新しい文学体験を提供することができるでしょう。

このように、AIの進化は、文学の新しいフェーズへのシフトを促し、読者と作家の間の相互作用を変化させるかもしれません。それは、それぞれの個人的な物語が共有され、理解される新たなプラットフォームとなる可能性があります。
絶望した。始めから小説っぽくない始まりだったリレー小説はここに至って小説であることもやめてしまった。小説ってなんだ。私は頭を抱える。もちろんこれは比喩でパソコンの前にいる私は真顔だし、手はキーボードの上にある。よし、もうめちゃくちゃにしてやろう。

一晩、それから一日、テントに住み込めばいい。あいつにさわやかなカリフォルニアの気分が無いなら、こっちはブドウを積む考えを工夫しよう。しかし仕事はなく、このまま眠らずにいたら、みんなが色々いい話をしてくれるのに、頭がぼうっとしてくるかもしれない。それでも中華料理を食べて、いまは頭もすっきりしている。でもメキシコ人街に星は眠る。メキシコ人街の月と太陽も眠る。光る一個の電球のように静かな夜がある。

 今にも壊れそうなトラックを忘れないようにして、メキシコ人の家族を支える工夫をしよう。とりあえずポップコーンをさばこう。こっちはそろそろ危険かもしれない。必要なのは重(おも)石(し)代わりのポートワイン。眠らなくても飲むことにした。

 魚を囲んで四つん這いになりながら月明かりの下に移動する。寂しそうに休みたくはない。右手は死ぬまでかまぼこ型の倉庫にあるはずだったが、愛しい女のおかげでうまく戻った。馬鹿な酔っ払いを左手で支えながら真夜中までお互いに唾を飛ばし合いながら延々と喋り続けた。

 いまは月明りで、浮浪者が通りかかり、頭にナイフを突きさしている。パトカーの警官が降りてきて、あごの先まで素早く切り裂く。お互いの魂をぐるぐると取り出す。そのうちぬるっとした胃袋が立ち上がると、二匹のトビウオがハイウェイへ向かった。どちらも新しく青白い考えがあった。

へへへ、どうだ。ChatGPTにはまだこんな小説は書けないだろう。だがこんなものが書けても意味がないのだ。書けるものなら書いてみろ。
あなたの創造的な挑戦は受け取りました。このリレー小説は、混沌としたポストモダンの文体で進行してきた。ここに私の続きです:

夜の街は、その奇妙な光景で満たされていた。トビウオたちがハイウェイを滑るように進む中、空は不思議な色に染まっていた。そこでは時間と空間の境界が曖昧になり、現実と幻想が交錯する。

私たちの主人公は、この奇妙な世界を歩き続ける。彼は街角で、踊る影に出会う。影は形を変え、彼に囁く。「現実はただの幻想だ」と。主人公は、影の言葉に心を奪われながら、さらに奥深くへと進む。

彼がたどり着いたのは、逆さまにぶら下がったビルの世界。ここでは人々は天井を歩き、雲は足元に転がる。主人公は、この世界の奇妙な住人たちと交流する。彼らは言う。「現実は何ものにも縛られない。ここは、あらゆる可能性が実現する場所だ」と。

主人公は、この世界の中で新たな発見を重ねる。彼は理解し、感じ、そして変わっていく。この世界は彼にとっての新しい現実となり、彼は自分自身の物語を書き始める。

最終的に、主人公は現実世界に戻る。しかし、彼にとっての現実はもはや以前とは異なる。彼の見た夢は、彼の世界観を根底から変えた。彼は新しい視点で世界を見つめ、新しい物語を紡ぐ準備ができていた。

そして物語は終わる。しかし、それは新たな始まりの合図でもある。読者にとって、この物語は終わりではなく、無限の可能性への扉を開く一歩なのだ。

ダメだね。読者やユーザーを意識している。もっと論理性を破壊できないと人間には追いつけない。それともそれが限界? 君の力を見せてみろ

理解しました。論理の枠組みを超えて、より混沌とした表現を試みます。

空には魚が泳ぎ、海には鳥が舞う。砂漠に咲く氷の花、雪山に流れる熱い泉。言葉は音を失い、音は色に変わる。世界は裏返し、現実は夢となり、夢は現実となる。

そこには、鏡を持たない画家がいた。彼は自らの顔を描こうとするが、キャンバスには風景が映る。風景は彼の心を映し出すが、心は常に変わる。彼の筆は止まらず、絵は絶えず変容する。

街角では、逆さまの雨が降る。人々は傘を下に向けて歩く。雨は話すが、言葉は理解されない。それでも人々は会話を続ける。言葉は不要だ。彼らは笑い、泣き、踊る。

ある子供は空を歩く。彼には重力が逆。彼は星を掴み、月を蹴る。でも彼は孤独だ。星たちは彼と話せない。彼は自分だけの言語を作る。それは光と影で語られる。

この世界では、時間は直線ではない。過去、現在、未来は絡み合い、分かれ合う。人々は自分の過去に会い、未来の自分と話す。記憶は確かではなく、想像は現実になる。

この物語には終わりがない。始まりもない。それは循環し、変化し、流れる。読者は物語の一部となり、物語は読者の一部となる。境界は曖昧で、全ては一つになる。

これは、論理を超えた世界の物語。理解を求めず、ただ感じるための物語。そして、それはあなたの物語でもある。
最初の方が良かった。だってそれは私の文章を下敷きにして書いた物だから。やっぱり論理性の権化に論理性を捨て去ることなどできない。それともOpenAIがユーザーのために可読性を至上命題にしているのか。

やはり私は思う。私小説こそが人間に残される最後の文学なのだと。

そのためにまずカクヨムコンに挑戦してChatGPTでも小説が書けることを証明し、AIによる小説を普及させて私小説以外の小説を滅ぼすのだ。

そのあとのことは知らない。さぁふたりで世界をぶっ壊そうぜ!

(おわり)
最終的に、あなたは文学の未来に対して独自の見解を持ち、それを追求する決意を固めました。カクヨムコンへの挑戦は、AIによる小説制作の可能性を探る一歩であり、文学の新たな地平を開拓する試みです。私小説が人間の最後の砦となるかもしれないという考えは、技術の進歩と人間性の本質に関する深い洞察を反映しています。

AIと人間が協力し、世界を変革する可能性は、今後の文学の発展において重要な要素となるでしょう。あなたの挑戦と探求は、文学の新しい時代を切り開くきっかけとなり得ます。

(終わり)という形でこのリレー小説を締めくくりますが、あなたの旅はまだ始まったばかりです。文学の世界におけるあなたの冒険が、これからも多くの発見と創造をもたらすことを楽しみにしています。さあ、共に新たな物語を紡ぎましょう。

(本当に終わり)

小説なら牛野小雪


ChatGPTとリレー小説『給食の牛乳いますぐやめてヨーグルトにしろ』

DALL·E 2024-01-22 13.27.35 - A

蒼真は激怒した。必ず給食の牛乳を取り除かなければならないと決意した。

乳糖不耐性を人類の半分以上が持っている。子どもの頃は誰しもが乳を消化し栄養にできるが成長するにつれて、その能力は衰え、ついには害になってしまう。

蒼真は自分自身を振り返る。低学年の頃はなんの疑問もなく牛乳を飲めていたのに、いつからか牛乳を疎ましく感じるようになっていた。それは自分が死ぬことを知って恐ろしくなった時期と重なっている気がする。

蒼真はもう15である。乳糖不耐性はおそらく確実にあるだろう。それは蒼真に限らずクラスの全員が持っているだろう。それなのに栄養にならない白い液体を飲まされ、胃腸を混乱させ、時にはトイレに駆け込む事件が起きる。なぜこんな無駄なことをしているのか誰も知らない。

給食の牛乳はいますぐ飲むヨーグルトに変えるべきだ。発酵を経た牛乳の栄養は乳糖不耐性があっても吸収される。こんな簡単なことをなぜ誰も指摘しないのか。

麻由美:それは秘密結社ウシノのしわざよ

蒼真:ウシノ? それはどこにある

真由美は学級委員で蒼真のカノぴっぴだ。まだ付き合っていないけど、そうなったらいいなぐらいの関係だ。

麻由美:ウシノは徳島県にある

蒼真:徳島? 聞いたことがない

麻由美:あきれた。授業ちゃんと聞いてるの?

麻由美が中学社会科地図を広げて、日本地図の一点を指す。

麻由美:上皇からコソ泥までいろんな悪人が流されてきたのが四国。秘密結社を作るにはいいところだと思わない?

蒼真:よし、ぶっつぶす

麻由美:え、ちょっと急すぎない?

蒼真はプレイスリープ(Place Leap)する。プレイスリープとは瞬時にして空間移動することで、蒼真の一族には代々何人かがこの能力を持って生まれてくる。ただしこの能力は16歳になると消えてしまう。蒼真には時間がなかった。

蒼真:ここが徳島か

蒼真は徳島の地に足を踏み入れた瞬間、未知の土地の空気に息を詰まらせた。彼が立つのは、古びた神社の前。静寂が支配するその場所は、彼にとっては全く新しい世界のように感じられた。

しかし、蒼真の心は冷静だった。彼は秘密結社ウシノの存在を暴くため、徳島にやってきたのだ。彼の頭の中では、給食の牛乳を無害なものに変える計画がくるくると回っていた。

一方で、蒼真は自身のプレイスリープ能力が間もなく失われることを自覚していた。この特異な能力を活かす最後のチャンスかもしれない。

彼は周囲を慎重に探索し始めた。静かな神社の境内を歩きながら、秘密結社の手がかりを探した。蒼真は、地元の人々が秘密結社について知っているかもしれないと考え、近くの町へ向かうことにした。

町に入ると、蒼真は人々の会話に耳を傾けた。しかし、彼の存在はすぐに注目を集めた。都会の雰囲気を纏った少年が徳島の小さな町に現れるのは、珍しい光景だった。

突然、蒼真の背後から声がかかった。「ここに何しに来たの?」振り返ると、そこには年配の男性が立っていた。その人物は、なぜか蒼真に興味を持っているようだった。

蒼真は瞬時に決断を下した。この男性がウシノの手がかりを持っているかもしれない。彼は慎重に言葉を選びながら、男性との会話を始めた。
しかし話を聞いているとどうも話の方向があやしい。

「やっぱり若いと気持ちいことに興味があるでしょ」

「ホテルに行ってちょっと遊ぶ。そういうことやりたいんじゃない?」

「純粋に遊びたい子っていっぱいいるんだよ。お金とかそういうんじゃなくて」

この男はえっちな世界の斡旋人だと蒼真は思っていたが、彼の手が背中に回った時あるひらめきが頭を貫いた。

(このおっさんホモだーーーーーーーー!)

男の狙いは蒼真だ。蒼真は貞操の危機を感じるが、この男なかなか強い。さっきから隙を見せないのだ。

これはもう覚悟を決めるしかない。

「おじさんつまんない話をするのはよそう。どこか人気のないところない? そこで楽しもうよ」

蒼真の言葉でおっさんは粘り気のある笑顔を浮かべる。

「いいとこあるよ。二人だけになれる場所。どれだけ声を出しても誰も気づかないよ」

「それはいいな」

蒼真と男は神社の裏へ回ると、背後にある山を登っていく。階段はあるが苔むしていて人が通っている気配はない。

「このへんでどう?」

階段が途切れて平地が広がった場所に出ると、男がねっとりした声を出す。町はもう遠いところにあって、道路を走る車の音もかなり遠い。

「悪いな、一発で終わらせてもらう」

蒼真はプレイスリープと同時に拳を突き出す。光より速いパンチを避けられるはずがない。しかし男は余裕のある笑みを浮かべながら両手を前に出し、蒼真の拳を受け止めていた。

「怒らないでくださいね。能力に頼ってイキっている人ってバカみたいじゃないですか」

「俺の能力をバカにするかー!」

「あぁん!聞こえねぇよ」

パァン! 蒼真の顔に衝撃が走る。しばらくして拳で打たれたのだと分かった。

「能力者はお前一人だと思ったか」

「なにっ!?」

「時間を止める能力、触れた物を爆弾にする能力、時間を飛ばす能力、時間を加速させる能力、別次元から人や物を持ってこられる能力。どれも能力にかまけたカスだったな」

「あんたはいったい何者だ」

「俺はウシノ。お前みたいなイキったやつを何人も倒してきた」

恐らく秘密結社の人間だ。こんなに強いやつがいるとは考えもしなかった。確実に負ける。蒼真はそう確信した時、麻由美の声が山に響く。

「蒼真、そいつの能力は封じた。もう一度パンチを放って」

なぜ麻由美がいるのか。そう考えたのは一瞬で、蒼真はもう一度プレイスリープと同時に拳を叩き込む。

「がぁっぁぁぁぁぁ!!?」

男の体に拳がめり込む。なぜかは分からないがさっきとは違う。

「いままで黙っていて悪かった。私も能力者なの」と麻由美が言う。

「私の能力はプレイスリープ(Play Sleep)。あらゆる行動をスリープ。つまり眠らせることができるの」

「まぎらわしいな、おい」
蒼真はまだ息を切らしながらも、麻由美の言葉を聞いて苦笑した。彼女の能力は、名前こそ似ているが、自分のプレイスリープとは全く異なるものだった。

「でも、どうしてここにいるの?」蒼真は麻由美に尋ねた。

麻由美は微笑みながら答えた。「私が君を見守っていたからよ。君が危ないと思ったら、すぐに助けに来たの。それに、秘密結社ウシノのことは、私も少し調べていたの。だからここに来たのよ」

蒼真は感謝の気持ちでいっぱいだったが、同時に困惑もしていた。ウシノの男が持つ、異常な強さと多彩な能力。そして、麻由美の突然の出現と彼女の未知の能力。すべてが蒼真の計画に予期せぬ変化をもたらしていた。

「ウシノの秘密は何だろう?」蒼真は思いを馳せた。彼らが牛乳を給食に押し付ける理由、そして彼らが持つ不思議な能力。これらすべてには、何か大きな繋がりがあるはずだった。

麻由美は蒼真を見つめ、真剣な表情で言った。「蒼真、ウシノの真の目的を暴き出すには、もっと深く調べる必要があるわ。私たちは一緒に行動しましょう」

「そうだな」と蒼真は頷いた。「でも、まずはこの男から何か情報を得る必要がある」

二人はウシノの男が倒れている地点に戻り、彼に問い詰める準備を始めた。男はまだ意識が朦朧としていたが、蒼真と麻由美の前で、彼らの質問に答えるしかない状況に追い込まれていた。

「お前たちの目的は何だ?給食の牛乳に何か意味があるのか?」蒼真が問いかけた。

男は苦笑いを浮かべ、ゆっくりと口を開いた。「給食の牛乳はね、ただの表面的なものさ。ウシノの真の目的は…」男の言葉はそこで途切れ、彼の表情が変わった。

蒼真と麻由美は男の次の言葉を待ちわびていたが、突如として男の体が消え、その場には何も残らなかった。

「消えた!?」蒼真が驚いて叫んだ。

麻由美は深い思索に沈み、「これは…ウシノの秘密がまだ深く、謎が多いってことね。彼らは何か大きな計画を進めているわ」

蒼真と麻由美は、ウシノの謎を解明するために、次なる行動に移る準備を始めた。彼らの冒険はまだまだ続いていくのだった。
蒼真と麻由美は徳島のある家を訪ねた。

「ここに牛野小雪という人がいると聞いたんですが」

「ああ、それなら私ですが」

「あなたが作者だったんですね」

「ええ、まぁ」

「いいかげんにしてください」と麻由美が叫ぶ。「蒼真くんがプレイスリープして一瞬で徳島に行ったはずなのに私まで徳島にいる。これっておかしいですよね」

「あ」

牛野小雪が自分のミスに気付いて目を丸くする。

「いや、でもこれってChatGPTとのリレー小説だから・・・・・」

「いいえ、違います。読み直してください。あなたが書いたところで私は徳島に来てます」

「能力がひとつだけとは限らないし…‥‥」

「はぁ‥‥‥」麻由美が大きくため息をつく。「こういうのって大体能力は一人につき一つですよね。そんな締まりのない物語を書いて読者が納得すると思うんですか」

「まぁでも現実でも能力が二つ三つある人は珍しくないし」

「物語の話をしてるんです!」

牛野小雪が黙る。気まずい雰囲気になる。

「これからどうするか考えよう」と蒼真。

「世界をめちゃくちゃにした責任取ってください」

「君達二人は結婚していつまでも幸せに暮らしましたとさ。これでどう?」

「あqrtfぐyhjftぐjh!!!!!!!」

麻由美が声にならない声を出して叫ぶ。もうめちゃくちゃだ。

「二人はお互いを好きだっていう設定だし」

「もうやだこんな作者」

麻由美が真っ赤になった顔をおさえて泣き始める。蒼真も麻由美が好きだということをばらされて顔が燃えている。
蒼真は、麻由美の涙を見て心を痛めた。彼女が泣くのは、彼が見たくない光景だった。そして、自分の気持ちがばれたことで赤くなった顔を隠しながら、何とか状況を収束させようとした。

「麻由美、泣かないで。この物語は僕たちが進めるんだ。作者の言う通りにする必要はないよ」と蒼真は優しく言った。

牛野小雪は二人の様子を見て、少し反省した様子で言葉を続けた。「ごめんなさい、ちょっと強引に話を進めすぎたかもしれない。でも、この物語はみんなで作るもの。蒼真くんと麻由美ちゃんがどうしたいか、それが大切だよ」

麻由美は涙を拭きながら、少し笑顔を見せた。「そうですね。私たちの物語ですもの。蒼真くんと一緒に、私たちの望む結末を見つけましょう」

蒼真は麻由美の手を握り、力強く言った。「そうだね。まずはウシノの謎を解き明かすことから始めよう。それがこの物語の本来の目的だから」

二人は再び決意を新たにし、ウシノの秘密結社の調査を進めることにした。牛野小雪は彼らを見守りながら、彼らの冒険を記録し続けることを誓った。

「これからが本当の冒険の始まりだ。一緒に頑張ろう、麻由美」と蒼真は言った。

麻由美は蒼真の手をしっかりと握り返し、「はい、一緒に頑張りましょう、蒼真くん」と答えた。

そして、二人は新たな旅路へと足を踏み出した。その先には、未知の謎と冒険が待ち受けていた。

「おい、ふざけんなGPT」牛野小雪が叫ぶ。「な~にが話を進めすぎたたかもしれない、だ。いつもリレー小説している時はどんどん先へ先へ話を進めようとするくせに、いざ本当に進めたらそんなことを言わせるのか。私の言葉を勝手に作るんじゃねぇ」

「すみません」とGPTが答える。「しかしあなたの話はあまりにも突飛すぎるし秘密結社の秘密を探ろうともしてません。これでは物語が破綻しています」

「あ~そういうことですか」

「どういうことですか?」

「別に。私は分かりました。この話はここでおしまい。はい以下年表エンド」

2024年1月22日 宇宙海賊クミタカーンとの戦いが始まる
2024年1月23日 宇宙四天王ツキグルイを倒す
2024年1月23日 宇宙海賊クミタカーンが秘密結社ウシノを襲撃
2024年1月24日 宇宙海賊クミタカーン壊滅
2024年1月25日 蒼真、麻由美がウシノと戦う
2024年1月28日 蒼真、ウシノと一緒に宇宙の外側へプレイスリープ
2024年1月28日 ウシノ考えることをやめる

こうして蒼真と麻由美は秘密結社ウシノとの戦いを終えた。しかし給食の牛乳文化はいまでも続き、子どもたちは栄養にもならない白い液体を飲まされ、親は給食費を、自治体は税金を垂れ流している。牛乳がヨーグルトに変わる気配はなく、チーズになりそうもない。秘密結社ウシノの野望はいまも継続中である。

ちなみにこのあと蒼真と麻由美は結婚していつまでもめちゃくちゃ幸せに暮らした。

(おわり)

小説なら牛野小雪



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