死
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生きていくなら虚構を積み上げていくのがいい。それも徹底的に嘘で塗り固めるのが良いような気がしてきた。じゃあどんなのを書けばいいのかなと考えて、ふと未完が前提で書いてみてはどうかと思いついた。夏目先生は死ぬ前に「いま死んじゃ困る」と言っていたそうだから『明暗』を未完で終わらせるつもりはなかったはずだ。未完で完成。そんな小説が書けたら夏目超えをできるのではないか。と、思いつつも、じゃあそれってどんな小説と聞かれても、まだ全然思い浮かばない。未完で完成というイメージがあるだけ。でも、何か書けそうな気がしている、たぶんね。
そんなことを考えて書いたわけではないのですが、今度出る新刊の題名は『生存回路』です。嘘というか虚構だらけの内容なのは、やっぱりこういうことを考えていたからなのかな、と思ってみたりする。というより『生存回路』を書いたから私小説が書けなくなったのかもしれない。少なくとも今はこっちが私の書く方向性だな、と感じる。『生存回路』を一言で表すなら『私の無い小説』だ。一体何を言っているのか自分でも分からないが、私という概念は牛野小雪も含んでいて、牛野小雪抜きで牛野小雪の小説が書けないかと考えている。メタファーで一個小説が書けそうだが、掛け値なしで作者不在の小説を書けないかと本気で考えている。禅問答みたいだけど、いつか誰かがそういうのを書くような気がするし、それが次の時代のスタンダードだろう。それってAIが書くのかな。それは分からないけど100年後か200年後には小説は存在していても、小説の作者は存在していない気がする。現代まで書かれてきたような小説は一部の人の趣味になるのではないか。過去からよくある突飛な未来予想かもしれないけど、今はそういうヴィジョンが見えている。
『山桜』はヘミングウェイに倣って一年寝かせてみます。それにもう桜も散ってしまったし。
もし出すとしたら来年の4月1日かな。内容的には秋に咲く桜の話だから9月10月でも良いんだけど。一応桜とついているしね。
(おわり)
追記:作者不在の小説は誰が書くのか。読者が書くのである。というところまでは考えているけど、じゃあどうやって読者が小説を書くのかというのは全然見えてこない。
追記2:作者が存在する小説としてjhon to the world というのをいつか書いておきたい。もう4年前から考えているけれど、これというプロットが決まらない。johnと僕という大黒柱が一本立ったままで、足場を組んでは崩すことを繰り返している。もしかすると牛野小雪では書けないのかもしれない。

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作家といえど作中の人間を勝手に殺すことはできない。○○は死んだ。おわり。みたいにはできないもので、彼らは作家に対して抵抗を試みる。
作家から書く意欲を失くしてみたり、物語自体をつまらないと思わせたり、突然部屋の掃除をさせたり、財布に溜まったレシートの整理、預金通帳の記帳、車両保険の払込み、まだ見ていない映画のことを思い出させ、人生に対する大いなる不安を抱かせ、この先一生書くことすら無理なように思わせる。彼らも必死なのでなりふり構ってはいられないのだ。
意識の裏側ではこんなやりとりがあったのかもしれない。
『なぁ嬢ちゃん、死んでくれや。キミが死んでくれたらすべてが丸く収まるんや』
『嫌です。死にたくありません』
『ああ〜、そんなこと言わんといて〜だ。ホンマになっ?これが最後やから。いっぺんだけでええから』
『他の人に頼んでください。どうして私なんですか?』
『そんなこと言われても困ったなぁ〜。どないしようもないなぁ〜』
一週間ぐらい一文字も書けずにいたのだが、昨日朝起きると、あっこれは書けるなという感覚があった。こういう時は案外落ち着いているもので、ゆっくり朝ごはんを食べて、ちょっと歩いてから本を読んで、太陽も完全に登った頃に机に座る。すると、今まで書けなかったのが嘘みたいにかけて嬢ちゃんはあっさりと死んだ。きっと彼女がクビを縦に振るまでオジサンが粘り強く待っていたんだろう。一度うなずけば『よっしゃ、まかせとき』という風に一肌脱いだのかな。別に夢に見たわけでもないし、想像したわけでもないけれど、こういう風に考えれば妙に納得がいく。
(おわり)
実際の話じゃなくて小説の話。今書いているところで人ひとり殺さなければならなくなったんだけど筆はピタリと止まってしまった。筆力はまだあるのを感じるけれど気力が出てこない。
話の内容的には殺されるんじゃなくて死ぬわけだが、作家が文章を書いて殺さなければ相手は死んでくれないわけで、死んでくれないと話が進んでくれない。だからずっと止まっている。殺すのは人どころか猫でも難しい。真論君家の猫でもずいぶん筆が止まった。ある種の狂気がなければ人(猫)は殺せないようだ。
始めから死んでいるとか、気付いていたら死んでいたとかは書くのが簡単だ。でも物語に関わっている人間はかなり難しい。そんなことを考えていると現実でもそうなんじゃないかと思えてきた。ニュースで何人死んだと聞いても胸に迫ってくるものはないのと同じで、案外無差別大量殺人は心の抵抗が少ないのではないだろうか。銃身越しに相手を撃つのは難しいが、迫撃砲で狙ったり、上空から爆撃するのは良心の葛藤がないと聞く。そういえば死刑執行するときは顔を隠すんだとか。
やっぱり顔が見える相手は殺しづらいみたい。それでいうと通り魔に遭った時は相手と目を合わせて、身の上話をすると案外助かるのかもしれない。もっとも向こうはこっちの顔を見ないように後ろから不意打ちで襲ってくるんだろうけど。
心神喪失状態で責任能力を失くさないとこの先書けないのかな。それか顔を見ないで書くか。文字だけの世界なのに顔の感覚があるのが不思議に思う。
(おわり)
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