どうも、私です。年齢32歳、職業はそこそこの事務職、趣味は推し活とNISAの積立設定。世間様が言うところの「そろそろ本気で結婚を考えるお年頃」というやつだ。かくいう私も、その「本気」とやらを出すべく、ここ数年というもの、広大なサバンナ、いや「恋愛市場」という名の荒野を彷徨い続けている。
最初は希望に満ち溢れていた。プロフィール写真は、友人に「奇跡の一枚」と称された、実物の3割増しで撮れたあの写真。自己紹介文には、好感度を狙って「休日はカフェ巡りをしたり、料理をするのが好きです♪」なんて、年に2回しかしないことを高らかに宣言した。そう、気分はまるでサバンナに降り立ったばかりの、好奇心旺盛な若き草食動物だったのだ。
しかし、月日は流れ、サバンナの厳しさをその身に刻み込むことになる。
まず、こちらの渾身の「いいね!」が、ライオンの縄張りに迷い込んだシマウマのごとく、既読スルーという名の闇に葬り去られる。やっとマッチングしたかと思えば、「こんにちは!」の挨拶の後に続くのは、年収と貯金額を探る巧みな尋問。まるで、こちらの肉質を確かめるハイエナのようだ。
そして、ようやく漕ぎ着けた「はじめまして」の食事会。写真では爽やかな塩顔イケメンだった彼は、実物ではただの塩分過多な顔色のおじさんだったりする。それだけならまだいい。パスタをすする音が、まるで掃除機。クチャラーという名の肉食獣が、私のなけなしの恋心を吸引していく。彼の口元についたミートソースが、闘牛士の持つ赤い布(ムレタ)のように見えてきたら、それはもう末期のサインだ。
最近の私は、どうだろう。スマホを握りしめ、獲物を探すメスの豹のように目を光らせている。友人の「彼氏がさ〜」という惚気話には、「フンッ!」と荒い鼻息で返事をしてしまう。インスタグラムで流れてくる結婚報告のキラキラした写真には、スマホ画面が割れんばかりの力で「いいね!」を押し、心の中で「せいぜい幸せになるがいいサ…」と呪いの言葉を吐きかける。
私の心の中には、もう一頭の私がいるのだ。日に日に大きく、そして凶暴になっていく、黒々とした「牛」が。
その牛は、プロフィール写真の加工が甘い異性を見つけては、「実物はもっと酷いぞ、気をつけろ」と警鐘を鳴らす。メッセージの返信が3時間ないと、「ナメられている! 他のメスと戯れているに違いない!」と、怒りに蹄を鳴らす。
そして先日のことだ。カフェで対面に座った男性が、悪気なくこう言ったのだ。
「いやー、アプリの写真、すごく上手に撮れてますね(笑)」
その瞬間、私の中でブツンと何かが切れた。目の前の男性の、その笑顔が、ニヤリと笑う闘牛士に見えた。
「モー!!!!!!!!」
心の中で、私は叫んだ。いや、もしかしたら、喉の奥から「モ…」くらいの声は漏れていたかもしれない。
気づけば私は、マシンガンのように質問を浴びせていた。
「上手に、とは具体的にどのあたりがでしょう? 光の加減ですか? 角度ですか? それとも、実物との乖離率について言及されていますか? ちなみに、ご自身のプロフィールに記載の年収800万というのは、どの時点での源泉徴収票に基づいた数字でしょうか? まさか、希望的観測で記載されているわけではないですよね?」
男性は、目を白黒させていた。完全に怯えている。そうだろう、そうだろう。まさか目の前の、おとなしそうな草食動物(の皮を被った女)が、突如として猛る暴れ牛に変貌するとは思わなかっただろう。
私は、ひとしきり角を振り回し、鼻息荒くまくし立てた後、ふと我に返った。目の前の怯えた男性と、テーブルに置かれた手付かずのパンケーキ。そして、ガラスに映る自分の、般若のような形相。
あ、これはいけない。
このまま恋愛市場という名の闘牛場にいれば、私は完全に理性を失い、ただただ目の前の赤い布に突進するだけの「暴れ牛」になってしまう。人間としての尊厳を、私は失う。
私は静かに席を立ち、震える声で「ごちそうさまでした」とだけ告げ、カフェを後にした。そして、帰り道、全ての元凶であるマッチングアプリを、指が震えるのも構わずにアンインストールした。
「私、恋愛市場から、一時撤退します!」
空に向かってそう宣言すると、不思議と心が軽くなった。そうだ、荒野で彷徨うのはもうやめだ。これからは、自分のためだけに生きよう。積立NISAの額を増やすもよし、推し活に全財産を捧げるもよし。
とりあえず、まずは穏やかな心を取り戻すために、緑豊かな場所に行こう。そうだな、例えば、牧場なんてどうだろう。のんびりと草を食む、穏やかな牛たちを眺めて、この荒れ狂う心を鎮めるのだ。
……あれ? 結局、牛からは逃れられないのかもしれない。まあ、いいか。少なくとも、闘牛場の牛よりは、牧場の牛の方が、ずっと幸せそうだから。







