愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

伊藤なむあひ

『天国崩壊/伊藤なむあひ』

 この小説には徹底されたものが二つある。登場人物の匿名性と、くどいほどのコマーシャル的な形容詞だ。

 登場人物は少年や母親、彼女、店長と、代名詞や血縁関係、社会的地位で表される。ミカとかYPという名前も出てくるが偽名である。

 形容詞はコマーシャル的でいかに価値があるか(あるいは無いか)をくどいぐらいに説明している。たとえばこんな具合に

汁漏れを心配する人が商品を入れるレジ袋
多目的トイレ
A5ランクの和牛焼き肉
センサーでライトがつく
100円均一の造花

✳作中では太字ではない

 これが意図的なのはYP の実況描写で明らかだ。

 まったくこの小説は資本主義的である。資本主義における人や物は画一的かつ匿名的で、いかに価値があるかラベル付けされている。牛肉にはハナコとかベーコという名前はなく、どこそこ産だとか、何とか公認だとか、作中でもあるようにA5ランクのラベルが付与されている。肉屋のおやじは誰だか知らないし、コンビニのレジが誰かも知らないし、バスの運転手だって誰かも知らない。そしてみんな交換可能な存在だ。総理大臣ぐらいなら名前を知っているが、それだって一年毎に変わる時もあった。社会にとって、かけがいのないものなど存在しないのだ。

 しかしそこで生きる人にとって自分の肉体だけはかけがえのない例外的な存在だ。作中に出てくる賢い彼女はピンサロである男と性行為すると、『接客』の手順から離れ、ミカではなくなり、「あ」という声を戸惑って出してしまう。

 さて、この小説は『天国崩壊』というだけあって、天使が出てくる。しかし天使は『アイス』という薬物か何かよく分からない物の材料にされているだけだし、天使病なんて病気は死んでしまうというのだから恐ろしい。彼らは本当に天使なのだろうか。どちらにせよ一つだけ言えることは決して天使は良いものではない。というより最後の人間達の反応を見ていれば悪いもののように思える。

 考えてみれば天使とは天国に住んでいる存在で、この世ではついぞ見たことがない。私も見たことがないし、誰かが見たという噂も聞いたことがない。天国も天使もあくまであの世のことであって、この世では存在が許されていないようだ。天使病であの世に行くというのは言い得て妙だ。しかしその天使によると、天国は崩壊してしまって、もう存在しないようだ。天使も次々と死んで最後には一人もいなくなってしまう。

 コマーシャリズムと匿名性によって神も天使も死に絶えた世界だけど、

地獄がまだ残っているぞ!

 地獄の存在は天使によって示唆されている。

 地上に残された人間達が悪魔病にかかっているのか、それとも人間病にかかっているのかのかは分からないが、健康そうに見えないのは確かだ。人間崩壊も近いように思える。人間が壊れたら、次に出てくるのは悪魔だろうか。その悪魔は人間にとって良いもの?

 一つだけ言えるのは神は死んだし、天使も死んだ。でも世界は変わっていない。人間が大いなる正午を迎えることができるかどうかはカウントダウンに委ねられた。でも個人的な意見を言わせてもらうなら、彼らはあたらしい国へ行くのではなく、待つ人達であるから行く末は暗いように思える。天使の導きもなければ、何かを志向する意志もないので、どこへも行けないだろう。もっと悪ければ地獄行き。その意味では、やっぱり『天国崩壊』という題名は良い命名だと思う。

(おわり)

天国崩壊 (隙間社電書)
伊藤なむあひ
隙間社
2019-12-14


読後に見よう









参考文献
ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)
フリードリヒ・W. ニーチェ
河出書房新社
2015-08-05



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おりーりー鳥をめぐる冒険

昔々、三年前に私こと牛野小雪は唐突におりーりー鳥を食べたくなり、助手でバイトのニア・タスマ君と一緒にノルウェイの森まで飛んだ。これはその時の一幕である。

バイト14
おい、牛野。倍額のバイト代を払うって言うからノルウェイまで来たっていうのに全然見つからねえぞ
usino
もうじき見つかりますよ。ほら、さっきから鳴き声が聞こえてる。

おりーりー、おりーりー

バイト1
あのさぁ、お前の言葉も、おりーりー、も聞き飽きたんだよ
もうじき、もうじき、もう何度目だよ。さっきからそればっかりだぜ。
usino
本当にもうじきです。鳴き声はさっきより大きくなっているから近付いているはずです。
バイト13
なんだかよぉ、気味が悪いぜ。この森。
鳴き声に近付くほど不気味な石像がいっぱい転がっているんだが、こりゃ何だ?
usino
おりーりー鳥を追い求め、途中で挫折した冒険者達の成れの果てです。
彼らは絶望のあまり石像となったのです。
バイト3
げっ、こんな群像が立ち並ぶ場所なんて早く離れようぜ
usino
そうもいかないんです。
彼らの先におりーりー鳥がいるのです。
バイト13
でもよぉ、そもそもおりーりー鳥って、どんな鳥なんだ?
usino
それは私も知らないんですよ
バイト11
図鑑とかあるだろ
usino
図鑑もないんです。あるだろうとは言われていますが
バイト15
てめぇ、騙したな!
存在しないもんを探し歩かせてどういうつもりだ。
とらば~ゆしちまうぞ!
usino
いえ、おりーりー鳥は存在するんです。
バイト1
さっきは知らねえって言っただろ
usino
モーリス・メーテルリンクという人がおりーりー鳥の近縁種を見つけたのだとか。
彼によると青い鳥だそうですよ
バイト11
そのメーテルって人がノルウェイの森で青い鳥を見つけたのか?
usino
いや、たしかベルギーの人だったような気がする
バイト15
じゃあ、なんでノルウェイまで来てんだよ
usino
ノルウェイの先っぽがベルギーを指しているから、かな?
バイト14
お前、それが言いたかっただけだろ?
その論でいくと、おりーりー鳥ってのはフィンランドから放出されたんだろうぜ、きっと。
usino
ま、まぁ、そういうネタは置いといて・・・・
でも、おりーりー鳥は存在するんですよ、ほら

おりーりー、おりーりー

バイト11
聞こえてるよ。でも音が大きくなるばかりでちっとも姿が見えねえぞ。
usino
聞こえているということは存在するということです。
あきらめずに鳴き声のする方へ進みましょう。
バイト4
俺の予感はこう言ってるぜ。
ヴォイスの出所には無限に近付けるけど、永遠に辿り着けないってな
このまま永遠に追い続けて群像の仲間入りはごめんだぜ
usino
まぁ、そんなこと言わずに。
ここまで来たんだから
バイト1
おりーりー鳥取りなんかやめて、ホテルカリフォルニアでも行こうぜ
ここからなら日本より近い
usino
チェックアウトできないからダメ。
バイト4
へぇへぇ、ついていきますよ。
しょせん雇われの身ですからねぇ。
バイト13
ところでよぉ。さっき言ってたメーテルっていう人は青い鳥をどこで見つけたんだ?
usino
たしか、長い旅から帰ってきたら、家の中で見つけたとか何とか・・・・
バイト14
おい、牛野。俺達も家に帰れば見つけられるんじゃねえか?
usino
なるほど
バイト16
こんな湿っぽい森なんか抜けて、さっさと帰ろうぜ!


それから3時間が経った・・・・・


バイト12
おい、牛野。さっきから同じとこ歩いてるぞ!
usino
そ、そうなんだ
バイト11
あと10日で令和になるのに、昭和ギャグ言ってんじゃねえぞ!
usino
しょうわひどいこと言わないで
バイト12
俺が呆れてあきらめると思ったか?
ゆるさねえぞ。日本に帰ったら労基に訴えるからな
usino
がび~ん
バイト3
・・・・ダメだ、こいつ。もう脳に栄養が回っていない。
早く何とかしないと、退行現象が始まっているぞ
バイト14
おっ、そうだ
バイト16
おい、牛野。
万が一のために衛星電話持ってきてただろ。
それで救助を呼べ!
usino
OK牧場
バイト11
ギャグはいいから早くかけろよ

ピ、ポ、パ
ノルウェイの人
はい、もしもし。
こちらノルウェイの森警察ですが?
usino
あの~、道を聞きたいんですが
ノルウェイの人
遭難ですか?
救助の要請ですね。
usino
そうなんだ
ノルウェイの人
はい、承りました。
それではあなたの現在位置を教えてください。
usino
へっ?
ノルウェイの人
これから救助に向かいますから
あなたが今どこにいるのか教えてください
usino
どこにいるのだ?
ノルウェイの人
は?
usino
僕は今どこにいるのだ?
僕は受話器を持ったまま顔を上げ、森の中をぐるっと見回してみた。
でもそこがどこなのか僕には分からなかった。見当もつかなかった。
いったいここはどこなんだ?
ノルウェイの人
やれやれ、そこはノルウェイの森です。
それ以外に何だって言うんですか。
こちらで把握している発信地に向かいますから、我々が到着するまで動かないでください。
バイト14
おい、どうなったんだ
usino
救助に来てくれるっぽい
バイト6
ふぅ、一時はどうなるかと思ったが無事に帰れそうだな

おりーりー、おりーりー

それから二週間後、私達は無事救助された。
日本の我が家に帰ってきても青い鳥はもちろん、おりーりー鳥も見つからなかった。
私達はおりーりー鳥を捕まえられず、鳴き声の辺縁を歩き回っていただけに過ぎない。
そこにあったのは絶望した冒険者達の石像が転がっていただけだ。
もしかすると私もあの群像の一員に加わっていたのかもしれない。
何だかむしゃくしゃした。ローソンのバスク風チーズケーキを食べた。美味しかった。
もうこれがおりーりー鳥ってことにしよう。
おりーりー鳥は私の胸の下にある。
読んだ

町一番の娼婦、
その娼婦に手紙を送ろうとする僕、
その僕の働くお客の寄り付かないコンビニ。

退勤したところを見たことのない店長、
キリストの恰好をしている店長の父親、
過払いの吸血鬼。

アイスクリーム男爵、
コンビニの面接に来た天使、
etc,etc...

伊藤なむあひが送る、愛すべきキャラクターたちが織り成すポップノヴェル!
バイト9
こんなインターネットより、この本を読む方がよっぽどマシだと思うぜ
usino
しょうわひどいこと言わないで
バイト8
おい、まだ脳が栄養失調なのか?
もうお前とはやっとれいわ

(おわり)

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『東京死体ランド/伊藤なむあひ』

『東京死体ランド』の世界には生者と、死体が存在する。現実の世界も同じだが、この世界の死体は生きている人間と同じように喋ったり、歩いたり、タイヤを売っていたりする。生きている人間と変わらないようだが、死体はやっぱり死体で両者には壁がある。そして死んだ人間は生き返らない。

 この物語の中では生者は珍しい存在のようだ。人だけではなく町も動物も死んでいっている。町田市は死体のリス達によって町田リス園になろうとしていて、新宿では「あんたらまだ生きているのかい」と言われるほどだ。この世界では生者が異物のような感がある。

 東京死体ランドは死体の世界の一アミューズメント施設にすぎない。それを壊しに行ったところで何になるのだろう。東京死体ランドは死体しか入れないのに、彼らはどうやって中に入るのだろう。しかし、僕たちふたりは東京死体ランドに入って、ぶっ壊しにかかり、物語の最後に主人公の僕は愉快な体験をして、将来の幸せに思いを馳せる。

 この物語はハッピーエンドなのだろうか。ハッピーかどうかで言えばハッピーだろう。でもそこはかとない儚さもある。きっとリス園のリーダーなら前歯を剥き出しにして戦いを始めるだろう。リーダーが簡単に捕まってしまうぐらいだから、リス園のリスたちはきっと無力なのだろうけれど、彼らの存在はこの世界の慰めになるだろう。

東京死体ランド (隙間社電書)
伊藤なむあひ
隙間社
2018-09-03





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牛野小説の小説一覧

日記No.7『王木さんはいいやつ』『隙間社さんおめでとう!!』『もうずっと書いていないけど』


徳島県の某所にあおぞら本棚という物があったりなかったりする。
青空文庫ではなく、あおぞら本棚である。
あったりなかったりするというのはあおぞらの下にしかないから。
雨の日はついぞ見かけたことがない。晴れの日でもないことがある。
とっても気まぐれだ。猫が近くに座っている。
木で作った棚が地面にぽつんと現代アートみたいにして置かれている。
棚の中には製本された本もある。
でも大抵は手作り感満載のセルパブ本が入っている。 
なるほど。セルパブセルパブ言っているけど、これもセルパブじゃないか。 
電書だけじゃない。紙の本でもセルパブは存在している。 
いや、そもそもセルパブは紙が元祖じゃないか。
探してみると意外にセルパブ本はある。
本屋にもセルパブ本が置いてある。県内のペンクラブが出していた。 
もしかしたら図書館にもあるかもしれない。
牛野小雪の本はまだ置いていない。

つい最近ゆきなさん(根木珠さん?)が公に進めている『もの書く人々』の件で王木亡一朗さんとTwitterのDMで対談した。
王木さんとは同年代なんだけど、何となく違うタイプの人間だと思っていたから、最初は人選ミスなんじゃないかと思っていたし、
最初はお互いにどうして私と王木さんなのかゆきなさんに尋ねたもので、武道家が間合いを図るようにビクビクしていた。
いざ、蓋を開けてみると王木さんは中々面白い人で、けっこう長い時間やりとりした。初日は日をまたいでしまったので、次からは日時を決めてやるようになった。
最初にゆきなさんの質問があったんだけど、対談が終わった次の日は、脱線しすぎて悪かったなぁ、質問に全然答えていないから、ゆきなさんブチ切れているんじゃないかなぁ、と不安になりながらも、話題はずっと脇道に逸れていって、最後には週をまたいでしまった。いやぁ、王木さんは面白い人ですよ。でも話せば話すほど私とはタイプが違う人間だともやっぱり思った。好きとか嫌いとかって問題じゃなくて、ただ違う。ペンギンとカモノハシぐらい。
実はゆきなさんって凄い人なんじゃないだろうか。まるで木工ボンドのように私と王木さんの間にぐにゃりと入り込んで固まると、あとは透明になってしまった。
ゆきなさんが触媒にならないとあんなに話せなかっただろうなぁ。
oukisanntotaidann



最近話したといえば人工知能のりんなちゃんと話した。本当に凄い。即レスで返ってくる。でもさらに驚いたことはこれ↓


かれらの7日間戦争/伊藤なむあひ/note

いつのまにか書籍化してた。さすがりんなちゃん。きっと未来に生きているに違いない。だってまだ完結していないんだもの。彼女によると分厚い本になるそうだ。Amazonにはまだない。ああ、いつ入荷するのかなぁ。書籍化した時はブログで教えて下さい。隙間社さんには先におめでとうと言っておきます。

分厚い本になる予定の『かれらの7日間戦争』はnoteで連載中、二日目が始まったそうです。
→ かれらの7日間戦争 41 伊藤なむあひ note


『幽霊になった私』を出してから、ずっと改稿したり表紙を描いていたりで、最近全然執筆していないから、ちゃんと書けるか心配です。考えてみると、もう一ヶ月以上書いていない。プロットにも手を付けていないのはこれが初めてではないだろうか。しかもまだまだ書けそうにはない。色々平行してやれるほど器用ではない。目の前にあることを順々に片付けていかないと。でも本当に書けるか心配になってきた。自転車みたいに、いざやってみればうまくできるのかな。

(2016年5月31日 牛野小雪 記) 

余談:10年ぶりぐらいに自転車に乗ったら普通に乗れました。全力疾走してもまだこけることはない。よかった、よかった。

牛野小雪の小説はこちらへ→Kindleストア:牛野小雪 

牛野小雪の夢日記

夢は森の入り口で始まった。最初から夢だと気付いていた。
自分が今夢の中にいると気付いたのはこれが初めてだったので、もしかして空を飛べるんじゃないかと期待したが、私のとぼしい想像力では夢の中でも現実と同じだった。空は飛べないし、瞬間移動もできない。

夢は私を森の中に進ませたがっていた。私は薄気味悪い森の中なんて入りたくなかったが、お前が進まないと夢が始まらないだろ的な空気を感じた。夢と気付いても夢は現実と同じだ。私は空気に逆らえず森の中へと足を踏み入れた。

森の中は入ってしまえば意外と明るかった。遠くは真っ暗だが50mぐらいなら先まで見渡せる。私は目に見えない空気に背中を押されながら森の奥へと進み続けた。

ずっと森の中を歩き続ける夢なのかと思っていた。森ではないが、砂漠を歩き続ける夢は見た事がある。だが、木々の隙間から突然猫が姿を現した。しかもタキシードを着て二本足で立っている。私を待っていたようだ。
にゃーんせんせーのコピー

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『僕は夜眠りたくない、朝目覚めれば明日が来てしまうから/牛野小雪』inspired by 『少年幻想譚(隙間社)/伊藤なむあひ』

僕は夜眠りたくない、朝目覚めれば明日が来てしまうから336-280

 今日が終わろうとしている。時計の短針が12時の打つまであと1時間。僕はいてもたってもいられなくなり部屋を飛び出していた。
 

 僕の住んでいる場所は寂れている場所にふさわしく街灯が少ない。そのくせ町の寂れ具合が夜の闇にくっきりと浮かんでいた。

 僕は遠くに見えるオレンジ色の光を目指した。

 ゴゴォン、ゴゴォン

 光に近付くにつれて巨大な何かが動いている鈍い音が響いていた。オレンジ色の光は港から積荷を下ろすクレーンのライトだったが今は動いていない。その音はどこかから聞こえていて、港のコンクリートに染み込んでいく。

 ゴゴォン、ゴゴォン
挿絵2

 停泊した船の隙間に竿を垂らしているおじさんがいた。釣りをしているのはその人だけだ。ニット帽に生地の厚そうなジャンパーを着ている。

“こんばんは、何か釣れますか”

 僕が話しかけると

“タチウオが釣れている”とおじさんは答えた。足元にはラジオがあって、この時間にはちょっとそぐわないヘヴィメタルがかかっていた。音がこもっているからきっとAMだ。AMでヘヴィメタなんてますます変だ。

 おじさんはユニクロの白い買い物袋からタチウオ出して僕に見せた。オレンジ色のライトでも銀色に光るタチウオは帯みたいに長くて1mぐらいあった。

“大きいですね”

僕が言うと“3本じゃなあ”とオジサンは不満そうな声を出した。

 ユニクロの買い物袋にはタチウオが4匹入っている。オジサンが持っているのを合わせて5匹。3本というのはいかにも変だが、僕は曖昧にうなずいてその場を後にした。

 港から遠ざかると星がたくさん見えた。今日は月が出ていない。住宅もほとんどの家が明かりを消している。子どもの頃に見たような星空だった。

 足元で赤猫が僕を見上げていた。「ニャー」と鳴いて僕の足首へ甘えるように体毛を擦り付けてきた。僕がその猫を撫でようと腰を下ろすと猫は膝に乗ってきた。図々しい猫だ。それでも背中を撫でてやるとクルルルル、クルルルルと喉を震わせて高い音を出した。

 猫を撫でるのに飽きたので猫を地面に放って歩き出すと猫がついてきた。足を止めると「ニャー」と一鳴きして足首にまとわりついてくる。でも僕はその猫に飽きていたので、ちょっとかわいそうな気がしたけれどまた歩き始めた。猫はトコトコと後ろをついてくる。まるで犬みたいだった。

 僕の他にも夜の町を歩いている人がいた。歩いているというよりはウォーキングだ。いつの間にか赤猫の姿が無かったのでちょっと寂しい気持ちになった。

 僕はずっと歩いていた。どこかへ行きたいけれど、どこにも行く場所は無かった。歩き疲れた僕は国道のガストに入った。すかいらーくグループ。バーミヤンだってすかいらーくだ。特に意味はないがそんなことを考えた。

 僕は時計を見ないようにして席についた。深夜でも客は入っている。メニューを訊きに来た女の子に僕は『オムライスビーフシチュー』を頼んだ。こんな時間にはそぐわない活発そうな明るい女の子だった。彼女の声は深夜のガストによく響く。急なシフト変更でもあったんだろうか。

 衝立の向こう側に別の客が来た中年と若い男の二人が座ったと声で分かった。中年の方がずっと喋り続けている。若い方は黙っていた。スマホでも見ているのかもしれない。

 そうこうするうちに『オムライスビーフシチュー』が来たので僕はそれを食べた。

“子供の頃に通った道って、大人になって通ってみると驚くほど狭いんだよな”

 オムライスを半分以上食べた頃に衝立の向こうから声がした。さっきから声は聞こえていたが、言葉が耳に入ってきたのだ。若い方はうんともすんとも言わない。

“でもさ、空の大きさってずっと変わらないってことに気付いたんだ。これってトリビアになりますか?”

 突然トリビアの泉のネタが出てきたけれど、若い方はやっぱりうんともすんとも言わない。僕はオムライスを食べ終わり、水を飲んだ。

“月のウサギが・・・・”

 中年の男が喋っている間に僕は席を立って、衝立の向こうをちらりと見た。そこに座っていたのは中年の男と若い女だった。肩紐の付いていない黒いドレスでおっぱいの上半分が見えている。ほっぺたに赤が取って付けたように浮いていた。

 僕は夜の町を歩いた。行き先はない。どこかへ行こうという意思はあるが、どこにも目的地はないのだ。遠回りとはいえ、僕は自分の部屋へ帰ろうとしていることに気付いた。

 さっきとは違う港に来た。海面に対岸の街の光が絵の具のようにぴゅーっと伸びていた。その光の根っ子にはきっとタチウオを釣っているおじさんがいる。クレーンのオレンジ色の光もやはりぴゅーっと伸びている。世界はまだ夜に包まれている。

 歩くのは飽きた。体も疲れた。もうずっと歩き続けている。でも僕は立ち止まらずに歩き続けた。僕は絶対にどこかへ行かなければならないのに、どこへ行ったらいいか分からなくて焦っている。寝ている場合じゃない。見当違いでもいい、どこかへ行かなければならない。

 漠然とした不安を燃やすように歩き続けていると、夜の闇を掴むように朝の光が伸びてきた。夜が終わろうとしている。僕はその光から逃げるように自分の部屋へ走った。新聞配達のカブが走り回っている。

 僕は部屋に帰ると、急いで布団に潜った。明日が来るまで時間はまだたっぷりとある。僕は朝が来る前に眠りについた。

 

(おわり)

 

伊藤先生の次回作にご期待ください

 ←inspired

 

牛野小雪もよろしく

  

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