愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

レビュー

貝に続く場所にて/石沢麻依

貝に続く場所にて (講談社文庫)
石沢麻依
講談社
2023-09-15



『貝に続く場所にて』は、東日本大震災から9年後、コロナ禍のドイツの古都ゲッティンゲンを舞台に、震災で行方不明となった後輩・野宮が突如現れることから始まる物語です。主人公は震災の記憶を避けるように生きてきましたが、野宮の出現により、失われた記憶の断片がよみがえってきます。

作品には複雑に絡み合う様々なモチーフが登場します。惑星の小径というゲッティンゲンの太陽系縮小モデル、聖人の名を持つ女性たち、トリュフ犬、かつてこの地に滞在した寺田寅彦と夏目漱石など、これらが記憶や過去を巡る旅の導き手となっています。

物語の鍵を握るのが、9番目の準惑星から外れた冥王星です。冥王星は海王星の内側に入り込む特殊な軌道を描きますが、これは主人公の記憶の揺らぎと呼応しているかのようです。また、貝は聖ヤコブのシンボルであり、巡礼と深い関わりを持ちます。野宮はこの聖地に現れた亡者の象徴とも捉えられます。

文体は錯綜としており、一読では理解が難しいかもしれません。感情を直接言葉にするのではなく、暗示的で詩的な表現が多用されています。震災やホロコーストといった悲劇的な出来事を安易に「文学」の題材にすることへの違和感を覚える読者もいるでしょう。

しかし、この作品が織りなす言葉の綾、時空を超えた奥行きと距離感は見事です。一つ一つの場面には息をのむような美しい描写が散りばめられ、ラストの巡礼シーンは圧巻です。読者を異世界へいざなう文学的イリュージョンは、著者の類稀なる才能を証明しています。

『貝に続く場所にて』は、震災という国民的トラウマに、文学を通して新たな光を当てた意欲作です。記憶と向き合い、悲しみを乗り越えていくためのヒントが随所に隠されています。難解な文体に躓きながらも、再読の価値は十分にあるでしょう。恩田陸の真摯な文学への姿勢と技巧は、日本文壇に新風を吹き込む存在と言えます。

小説なら牛野小雪がおすすめ【kindle unlimitedで読めます】

牛野小雪の小説season3
牛野小雪
2023-10-25



『移動祝祭日"A Moveable Feast"/アーネスト・ヘミングウェイ』レビュー

移動祝祭日(新潮文庫)
ヘミングウェイ
新潮社
2016-04-22


『移動祝祭日』は、アーネスト・ヘミングウェイが晩年に著した自伝的エッセイであり、1920年代にパリで過ごした文学修業時代の思い出を綴ったものである。当時、ヘミングウェイは無名の若き作家であり、最初の妻ハドリーとの慎ましいながらも幸せな日々を送っていた。

作品では、ヘミングウェイの日常生活や執筆習慣、そしてパリで交流した同時代の作家や芸術家たちとの関係が生き生きと描かれている。特に、スコット・フィッツジェラルドとの友情と確執は、作品の中でも重要な位置を占めている。ヘミングウェイは、フィッツジェラルドの才能を高く評価する一方で、彼の性格や私生活についてはかなり辛辣に描写している。

また、作品には、ヘミングウェイの文学観や人生観も随所に散りばめられている。彼は、短く正確な言葉を重ねることで真実を伝えようとし、貧しさや嫌いな人々についても赤裸々に綴っている。しかし、その根底には、若き日の純粋な愛や芸術への情熱がひしひしと感じられる。

『移動祝祭日』は、ヘミングウェイの他の作品を読む上でも重要な手がかりとなる。例えば、短編集『われらの時代』や長編小説『日はまた昇る』などには、パリ時代の経験が色濃く反映されている。この作品を読むことで、それらの作品の背景がより深く理解できるだろう。

ヘミングウェイがパリで過ごした1920年代は、20世紀を代表する多くの芸術家たちが集った時代でもあった。『移動祝祭日』は、そうした芸術家たちとの交流や当時のパリの雰囲気を鮮やかに伝えており、文学史的にも貴重な記録となっている。

作品の随所に登場するカフェやバーでの飲酒、競馬や旅行など、ヘミングウェイの日常生活の描写からは、彼の人間的な魅力も感じられる。一方で、別れた妻への後悔の念や、フィッツジェラルドへの複雑な感情は、作家という職業の孤独や苦悩をも浮き彫りにしている。

『移動祝祭日』は、ヘミングウェイという作家の素顔に迫る貴重な作品であり、20世紀前半のパリの文学シーンを知る上でも欠かせない一冊である。若き日の情熱と苦悩、そして晩年の郷愁が入り混じった、ノスタルジックな回想録として読み継がれるべき作品だと言えるだろう。

訳者の高見浩氏による丁寧な訳注と解説も、作品の理解を深める上で大いに役立つ。作中に登場する人物たちの作品を併せて読むことで、『移動祝祭日』の世界により深く入り込むことができるはずだ。ヘミングウェイが愛したパリの街並みと、彼が好んで飲んだお酒を傍らに置きながら、この作品を読み返してみるのもまた一興だろう。

(おわり)



小説なら牛野小雪がおすすめ【kindle unlimitedで読めます】

牛野小雪の小説season2
牛野小雪
2020-07-11

 

『武器よさらば"A Farewell to Arms"/アーネスト・ヘミングウェイ』レビュー

武器よさらば (新潮文庫)
アーネスト ヘミングウェイ
新潮社
2006-05-30



『武器よさらば』は、第一次世界大戦下のイタリアを舞台に、アメリカ人青年フレドリック・ヘンリーとイギリス人看護師キャサリン・バークリーの熱愛を描いた作品である。ヘミングウェイ独特の簡潔で畳み掛けるような文章で、生死の境をさまよう過酷な日々の中で芽生えた二人の愛を鮮明に浮かび上がらせている。

作品は、ヘミングウェイ自身の戦争体験がベースとなっており、戦争の悲惨さや人生の無常さを伝えている。しかし、タイトルから受けるイメージとは異なり、戦争そのものは背景の一部として存在し、物語の軸となるのはラブストーリーである。兵士たちが戦場でワインを飲み、パスタを食べ、仲間とジョークを交わしながら過ごす姿は、我々が想像する悲惨な戦場とは少し違う印象を与える。それでも、兵士たちは次々と負傷し、命を落としていく。

主人公フレドリックは、戦場で負傷しながらもどこか乾いたような戦争観を持っており、それがより戦争の無意味さを浮き彫りにしている。そんな戦争下で生まれたキャサリンとの愛は、明日の命も知れない身だからこそ熱烈なものになっていく。

物語のクライマックスでは、フレドリックとキャサリンが戦争から逃れ、自由を手に入れたかに思えた。しかし、キャサリンは難産の末に死産し、自身も出血多量で命を落とす。この結末は、ヘミングウェイ自身の過去のトラウマを反映しているようにも感じられる。

『武器よさらば』は、戦争文学というよりも、悲劇的な恋愛小説としての印象が強い。直接的な内面描写を排したハードボイルド的な筆致が、一人の個人の目を通して戦争の悪と運命の不条理を告発している。また、絶望的な状況下で人々が何に縋るのかを探っている。

作品には、ヘミングウェイが終生抱えていた信仰への揺らぎも表れている。無神論を強調する主人公が神に祈る場面は、作者自身の内面を映し出しているようだ。

『武器よさらば』は、戦争と愛という正反対のテーマを巧みに織り交ぜ、愛の輝きと戦争の悲惨さを浮き彫りにした作品である。ヘミングウェイの簡潔な文体と緻密な描写が、読者を物語の世界に引き込み、登場人物たちの感情を生々しく伝えている。

(おわり)



小説なら牛野小雪がおすすめ【kindle unlimitedで読めます】

牛野小雪の小説season2
牛野小雪
2020-07-11


『日はまた昇る"The Sun Also Rises"/アーネスト・ヘミングウェイ』のレビュー

日はまた昇る (新潮文庫)
アーネスト ヘミングウェイ
新潮社
2003-06-28

「日はまた昇る」は、ヘミングウェイの初の長篇小説であり、第一次世界大戦後のパリとスペインを舞台に、失われた世代の若者たちの虚無感や満たされない思いを描いた作品です。

主人公のジェイクは、戦争での負傷により性的不能になっており、美しく奔放な女性ブレットと愛し合っているものの、彼女と結ばれることができません。ジェイクの友人たちも、ブレットに惹かれ、彼女を巡って争います。彼らはパリで酒に溺れ、スペインではフィエスタや闘牛を楽しみますが、その享楽的な生活の中にも虚無感や満たされなさが漂っています。

作品は、ヘミングウェイ特有の簡潔な文体で書かれており、登場人物の心理描写は最小限に抑えられています。しかし、会話やアクションを通して、彼らの内面が巧みに表現されています。特に、ジェイクとブレットの切ない関係や、ロメロという優れた闘牛士の登場は印象的です。

作品のタイトル「日はまた昇る」は、一見ポジティブな印象を与えますが、実は皮肉が込められています。失われた世代の若者たちにとって、新しい日が訪れても、彼らの抱える問題や虚無感は消えることがないのです。

ヘミングウェイ自身の経験を基にした作品であり、登場人物のモデルには彼の友人たちがいると言われています。作品には、第一次世界大戦後の若者たちの惑いや、戦争による心の傷、そして1920年代のパリとスペインの雰囲気が見事に描かれています。

文体は読みやすく、スペインの街並みやフィエスタの様子が鮮やかに描写されています。一方で、登場人物たちの行動や会話からは、彼らの内面の闇や満たされない思いが伝わってきます。

「日はまた昇る」は、失われた世代を代表する作品の一つであり、ヘミングウェイ文学の特徴を示す重要な作品です。戦争によって傷つき、方向性を見失った若者たちの姿を通して、人生の儚さと、愛の複雑さが描かれています。作品の魅力は、その簡潔な文体と、登場人物たちの生き生きとした描写にあります。

しかし、一部の読者からは、登場人物たちの自堕落な行動や、筋立ての希薄さを指摘する声もあります。また、ヘミングウェイ特有の文体が、一部の読者には読みにくく感じられることもあるようです。

総じて、「日はまた昇る」は、第一次世界大戦後の失われた世代の姿を鮮明に描き出した傑作であり、ヘミングウェイ文学の魅力が存分に発揮された作品だと言えるでしょう。時代背景や登場人物たちの心情を理解することで、作品からより深い感動を得ることができるはずです。



小説なら牛野小雪がおすすめ【kindle unlimitedで読めます】

牛野小雪の小説season2
牛野小雪
2020-07-11

 

荒地の家族/佐藤厚志

荒地の家族
佐藤厚志
新潮社
2023-01-19



『荒れ地の家族』は、東日本大震災から10年が経過した被災地を舞台に、そこに暮らす人々の日常と心情を描いた作品です。主人公の坂井祐治は、震災後にインフルエンザ脳症で妻を亡くし、小学生の息子啓太と自身の母和子と共に暮らしています。再婚した女性との間に子供を授かるも、流産により関係が破綻し、離婚に至ります。

祐治の幼馴染である明夫は、震災で妻子を失い、生きる喜びを見出せずにいます。一方、祐治は造園業に従事し、懸命に働くことで生きている証を求めているかのようです。しかし、彼らの心には癒えない傷が残り、日常生活の中で虚無感や焦燥感に襲われることがあります。

作品全体を通して、失ったものが戻らないという現実と、それでも生きていかなければならない辛さが描かれています。登場人物たちは皆、震災という巨大な傷を抱えながら、表面上は普通の生活を送っていますが、心の奥底では未だに復興できずにいるのです。

作者は、美談としてではなく、被災地の現実を直視することを選択しました。徹底して簡明な表現で描かれた日常は、虚飾を排したリアリティを感じさせます。津波を「海の膨張」と表現するなど、被災者の目線に立った描写も印象的です。

明夫の死に際して、祐治が「消える時を自分で決めて何が悪い」と感じる場面は、生き残った者の複雑な心境を表しています。一方で、ラストシーンにおける啓太の笑い声と和子の何気ない一言は、わずかながらも明るい未来への希望を感じさせます。

『荒れ地の家族』は、東日本大震災という未曾有の災害が、被災者一人一人に与えた影響の大きさと、そこから立ち直ることの難しさを、丁寧に描き出した作品です。読者それぞれが、登場人物たちの心情に寄り添い、考えさせられる小説となっています。

小説なら牛野小雪がおすすめ【kindle unlimitedで読めます】

牛野小雪の小説season3
牛野小雪
2023-10-25



この世の喜びよ/井戸川射子

この世の喜びよ
井戸川射子
講談社
2022-11-09



『この世の喜びよ』は、二人称の語り口で書かれた珍しい小説集です。表題作では、ショッピングセンターの喪服売り場で働く女性を「あなた」と呼びかけ、その日常を描きます。彼女は同僚や客との交流を通して、娘たちを育てた思い出や現在の関係を反芻しながら、人生の甘さと苦さ、愛おしさを感じています。

作品全体を通して、平坦な文体と詩的な表現が印象的で、登場人物たちは皆、何気ない日常の中で思いを巡らせています。普通の生活の中にある、ささやかな喜びや寂しさ、そして人と人との関わりの儚さと尊さが描かれており、読者にも人生の喜ばしさを感じさせてくれます。

一方で、物語の展開に盛り上がりが少なく、わかりにくさを感じる読者もいるようです。また、二人称の語りや主題の珍しさが評価された一方、内容の平凡さを指摘する声もあります。

全体として、『この世の喜びよ』は、日常の中に潜む喜びと人との繋がりの意味を静かに問いかける、技巧的で美しい小品集と言えるでしょう。読者によって受け止め方は分かれますが、現代日本文学の一つの可能性を示した作品と評価できます。

小説なら牛野小雪がおすすめ【kindle unlimitedで読めます】

牛野小雪の小説season3
牛野小雪
2023-10-25



シャイロックの子供たち/池井戸 潤

シャイロックの子供たち
池井戸 潤
文藝春秋
2013-08-02



池井戸潤の小説「シャイロックの子供たち」は、銀行という閉鎖的な世界を舞台に、様々な立場の行員たちの葛藤や人間ドラマを描いた作品です。

著者の緻密かつ人間味溢れる筆致により、読者は登場人物たちの心情に深く入り込むことができます。出世を夢見る者、家族を支えるために奮闘する者、自己の欲望に直面する者など、多様なキャラクターが登場し、彼らの決断が時にスリリングな展開を生み出します。

本作は単なるビジネス小説を超え、人間の弱さと強さ、正義と欲望の間で揺れ動く心理を鋭く描き出しています。読者は自分自身の仕事や人生について考えさせられるでしょう。

作品を読んだ人々からは、最初は入り込みにくかったものの、驚きの展開に次第に引き込まれていったという感想や、終わり方に釈然としなさを感じつつも、人間ドラマとお金の怖さにドキドキハラハラが止まらなかったという感想があります。

また、この作品は苦しさを共感し、生きる活力にするような民間演劇を思い出させるという意見や、池井戸潤の得意分野である銀行を舞台にした安定した面白さがあるという評価もあります。

一方で、もう少し救いがあってほしいというような意見もありました。

全体として、「シャイロックの子供たち」は読者を物語の世界へ引き込む筆力と、読後に残る寂寥感が印象的な作品であると言えます。

(おわり)

小説なら牛野小雪がおすすめ【kindle unlimitedで読めます】

牛野小雪の小説season3
牛野小雪
2023-10-25



『さよなら楓ちゃん/泉由良』レビュー


“思い出”という言葉がある。読んで字のとおり思いが“出る”あるいは“出た”のだろう。出て行った思いはどこへ行くのだろう?


『さよなら楓ちゃん』にはふたりの女の子が出てくる。しずるちゃんとKちゃん。ふたりは小中と一緒だったけれど高校は離れ離れになってしまう。そのせいかしずるちゃんは泣いたり呼吸困難になったりで咽の詰まる思いに苦しめられていた。


しずるちゃんは高校三年間をただ通り過ぎるように終わらせるのだけれど、大学受験に失敗して予備校に通い始める。そこでまたKちゃんと一緒になる。三年間の溝は無かったようでふたりはまた仲良くなる。
 ヤッター、バンザイという感じだが、実はしずるちゃんとKちゃんは希望する進学先が違うので、大学に合格した時点でふたりはまた離れ離れになることが決まっている。実はこのことは物語であまり語られていないことだ。ふたりとも避けていたのだろうか。それとも重要なこととは思っていなかった?


 物語の途中からふたりに、もうひとりの仲間が加わる。人間ではなく、Kちゃんのぬいぐるみのふゆかちゃん。彼女はKちゃんの巾着袋からひょっこり出てくる。真面目な性格で、ふたりが勉強をサボらないように注意したりする。もちろんぬいぐるみがひとりでに喋りだすわけがないので、本当はふゆかちゃんの姿を借りたKちゃんなわけだ。
 

勉強をがんばるという事はふたりが別れる方向に進むという事である。でもそれはあまりしたくはない。それに真面目な事を言うのは白けるものだから、Kちゃんはふゆかちゃんを通して言いづらい事を伝えている。


物語が進むと、しずるちゃんとKちゃんはまた大学に落ちる。するとKちゃんの巾着袋に、れんげちゃん、なつえちゃん、かえでちゃんというぬいぐるみが増えていく。しずるちゃんの方でもバムセというぬいぐるみを出してくる。こちらはしずるちゃんが元々持っていたぬいぐるみだ。


 Kちゃんのぬいぐるみの中でもかえでちゃんは積極的だ。バムセに対して最初は遠慮がちに、徐々に大胆に好きという感情を表現する。効果音もぴとぴと、ひしっ、っといった感じでとにかくくっつきたがる。バムセのほうでもそれを嫌がることなくお互いに好き合っている。


 もちろんぬいぐるみが感情を持つ事はありえない。動くのも喋るのにもしずるちゃんとKちゃんがいなければならない。ということはぬいぐるみの気持ちはふたりの気持ちということになる。


 冒頭で出て行った思いはどこへ行くのだろう? と書いた。それは物や場所に染み込んでいくものではないだろうか。長年使っていた携帯電話を捨てられないのは何故だろう。ガンダムのプラモデルも押入れの中に沈んでいる。頭ではもう二度と使わない物だと分かっているのに何故か捨てられない。それは思い出が染み込んでいるからではないか。


誰かが長年使っていた物にはその人の思いが染み込んでいる。文字の無い日記帳みたいなもので、愛が着いて愛着になる。しずるちゃんとKちゃんのぬいぐるみはふたりの思い出が染み込んだ『思入り』といえるもので、心の一部みたいなものだ。


 その心の一部であるしずるちゃんのぬいぐるみバムセをKちゃんは借りていく。しずるちゃんも貸したつもりで、貸してしまう。でもバムセは返ってくる事もなく、それどころかKちゃんとも疎遠になってしまう。バムセも返ってこない。


きっとKちゃんもしずるちゃんと離れたくなかったのだろう。もしかするとKちゃんも一度離れ離れになる時、しずるちゃんみたいに傷ついていた可能性はある。でもまたいつかは離れなくてはならないことを頭の良いKちゃんなら察していたのかもしれない。

意識してそうしたのではないだろう。彼女はしずるちゃんのバムセを借りたままどこかへ行ってしまう。しずるちゃんの方でもバムセの思い出はどこかへ行って、いつしか意識することもなくなるが、ある日写真を見て失くしてしまった思い出(バムセ)があったことに気付く。


『さよなら楓ちゃん』は徹頭徹尾しずるちゃんとKちゃんの話である。そして別れの話でもある。最後にしずるちゃんは傷つきながらKちゃんと離れ離れになってしまう。Kちゃんはどうだっただろう。涙のひとつでもこぼしたのだろうか。離れてしまった彼女を知るすべはない。

しかし、ふたりの思い出が染み込んでいるバムセとかえでちゃん達は今もきっとKちゃんの巾着袋の中で一緒にいる。そのことがしずるちゃんにある種の救いを与えているのではないだろうか。ベタな言葉だが離れていても心は一緒にいる。なので、しずるちゃんは失くした思い出を、バムセを取り戻そうとはしないのだ。
 

『さよなら楓ちゃん』はしずるちゃんとKちゃんにとっては喪失の物語であるが、バムセとかえでちゃんにとっては結合の物語でもある。ふたりは思い出のやりとりをしながら混ざり合っていたのだ。

 

(おわり 牛野小雪 記)




レビューについて & もし牛野小雪が友人や会社の上司で『竹薮の柩』にレビューを書かなければならないのだとしたら、私はいったいどうするのだろうと考えたあれこれ

 先週(今週も)twitter上にKDPにはレビューが少ないという話がいくつか出ていた。これは本当にそう思う。二年前はもうちょっとレビューがついていて、名の知れたレビュワーが何人かいた(今も書いてる?)。

 

この件については簡単な話で、ただ単純にレビューに需要がないからではと私は思っている。だって、本屋に行ってアマゾンレビューやブックメーターを見ながら本を買ったりはしない。もちろん行く前にも見ない。たぶん私の人生で書評やレビューを読んでこの本を買おうと思ったことは一度もないのでは? 

 

そこまで行ったときはもう買うかどうかが決まっている段階か、もしくは読んだ後で、本を買うときの決め手は書評よりも評判じゃないかなと私は思った。(4千字の書評1個より、40字以下の読書メモ100個に訴求力があるということ"数は力だよ兄貴!")

私も評判の本は内容を知らなくても手に取ることがある。というより読んでみるまで本当に中身を知ることはできないのだから、ある本を手に取る決め手は評判と表紙のふたつしかないんじゃないか?

 

今日はレビューについての話。これはKDP本だけに限る話ではないけれど、星一個をくらった作者からは狂おしいの声が聞こえてくる。実を言うと私も食らったことがある(そのレビューは何故か消えてしまったが、星4個も消えたからこの件についてはあおいこかな。でもいつかは完全に食らわなきゃいけない。そうでなければ全部無視するか。KDPは編集者が感想の選別をしてくれないのだから)。

 

星一個をくらってしばらく思ったのは、どうして星一個のレビューはあんなに情熱的な文章なのかということだ。星一個と五個のレビューの信憑性は同じぐらいだが、読んでいて真に迫るものがあるのは星一個の方だ。本当に良く書けている。この調子で書けば良い短篇になると思えるぐらいの出来だ。

では、その星一個の情熱的なレビューを書いた人が星五個のレビューを書くとどうなるのか。不思議や不思議。文章が固くなっている。私自身も五個のレビューを書くときはどこかうまくいかない。これはどういうことなのか考えてみた。

 

実生活で「いや~、本当に素晴らしいですね!」と声に出す時は、全然素晴らしいと思っていない時だ。若い人に「若いですね」とは言わないし、綺麗な人に「お綺麗ですね」とは言わない。

それとは逆に「最低な奴だな、さっさと死ねよ」は私より先に死んで欲しくない最高な奴にしか言わないし、「まぁ、悪くはないんじゃない?」は良いときに使う。


 んっ? 待てよ?


 なにか悪い物を見たときに私がなんと言うかといえば「まぁ、良いんじゃないか?」と何かが奥歯に挟まったような口調で言って、そのあとに
でもがついてくる。
 ・・・なんてこった。
何々が良いという時はきまって何か悪いことがあるときだ。良い=悪い”でこれは凄く良いよ!=どうにかしないとヤバイぞ!だと気付いた。

 

私が思うに、これは良い物を素直に良いと表現する文法を持っていないからなのではないかと考えた。

 "悪い+否定" → 悪くない → つまり良い

 最近使われるようになった二重否定だと、ちょっと複雑になって

 "良い+否定+否定" → 良くないことはない → つまり良い

 どうして何でも否定形を使いたがるのだろう。どうしてこんなにツンデレなんだろう。ひどい言葉ばかり使い方が上手くなっていく。

 まぁ、もしダイレクトに良いと表現する時は"マジ"とか"ヤバイ"を使うかな。でもよく考えると、それは文脈として良い意味になっているだけで、言葉本来の意味では悪いということになる。なんだ、やっぱり素直に良いとは言えていないんだ。

 でも"とてもいい"とか"すごく素晴らしい"はなんだかうさんくさい。
 なので、私がときどき書いている書評は文脈の提示にとどめて、良いとも悪いとも書かないようにしている(だから、良いか悪いかなんて聞かないで欲しいな。)。

 

そこで私は考えた。もし仮に牛野小雪が気の置けない友人で"マジ"で"ヤバイ"物を書いてきたとしたら、どう書くのか。

本当は他の人の本でやろうと思ったのだが、KDP界隈で実際に顔を知っている人はいないし、誤解から戦争に発展するのは嫌なので自分の本でやることにした。レビュー対象は『竹薮の柩』。レビューを書きやすく、多少しくじってもダメージが少ない物を選んだ。

  


 5364645人中、28114人の人が、「このレビューは参考になった」と投票しています。

★★★★★ まあまあ

投稿者 沈黙のサイレンサー

 

私の率直な感想で言えば凄く悪いということはない。

ただ主人公がただ苦しむ様を読んで楽しめる読者がどれだけいるのか私には疑問だ。この小説にはヒーローもヒロインも出てこない。主人公が貧しい境涯から脱出するわけでもなければ、救いがあるわけでもない。冒頭で死んだ父親から遺産を受け取っても、生活費にあっさり消えてしまうところなど、とうてい読者の共感を得られる人物像ではない。作者はまず物語のいろはを学んだ方がいいだろう。

ロマンスなし、サクセスなし。短篇なのに作中の登場人物はたくさん死ぬし、主人公の状況はどんどん悪くなっていく。良いところはひとつもない。遺産で受け取った山が最後の伏線になるのかと思っていたが本当に何もなかった。作者は何を思ってこんな話を書いたのだろうか。理解できる人は誰もいないだろう。

だがもう一度読めと言われたら読んでもいいかもしれない。まぁ、それぐらいの出来ではあった。そんな物好きは私だけだろうが。

 



 なんというツンデレ。ケンカを売っているようにしか見えない。でも現実に気心がしれた相手で"マジ"ならこれぐらい書くと思う。でもこの書き方で星五個というのはおかしい。星三個にするだろうな。レビューって本当に難しい。なかなか書く人がいないわけだ。(個人的にはAmazon の星システムを無くした方がいいと思う。もしくは星の選択がないレビューを書けるとか。星一個と五個はそれを選択した時点でレビューが極端に走っているように見える)



 もし仮に牛野小雪が会社の上司で、『竹薮の柩』が"とてもいい" & "すごく素晴らしい"小説だったならこう書くだろう(こう書くと変ですが『竹藪の柩』は良い小説ですよ、皮肉じゃなくて:作者談)。


16人中、3人の人が、「このレビューは参考になった」と投票しています。

★★★★★ 大傑作です!とんでもないのが出てきた!

投稿者 激甘チリソース


 超傑作です!読んで感動しました!!
 貧しい労働者が苦悩するさまは誰もが共感できるでしょう。私は『竹薮の柩』にこの世の真実を見ました。
 冒頭の父親の死から結末まで緊張感が途切れることなく、最後の結末まで読者を良い意味で裏切り続ける作者の力量に脱帽です。これを読まずにいるのは人生もったいない。
 この短編には人生が詰まっています。世に溢れる凡百の小説よりはるかに中身が詰まっています。文章をインクで伸ばしたような物では決してありません。文章の一語一語に作者の血と汗がにじんでいます。
 よくぞ書いてくれました。これは人類の宝になる小説です。
 みなさんも『竹薮の柩』を読まれることを期待します。
 これは真実絶対に超傑作です。


 ちょっと大げさ過ぎたが我ながら良い出来。これこそ、うさんくさい星五個のレビュー。

 ちなみに、もしこれがシニカルレビューだとするなら、意訳するとこうなるだろう。


6911人中、5888人の人が、「このレビューは参考になった」と投票しています。
すくいようのないクソ
投稿者 塩辛ソルジャー

 超駄作で最後まで読めた自分に感動した。
 酒の席でくだを巻くような誰にも共感してもらえない話で、何度も夢の世界へ落ちそうになった。酒の席で目下の人間から賞賛を勝ち取ったような下らないネタをいくつも披露して、最後の結末まで読者を退屈させた力量には怒りすら覚える。どの段落を読んでも人生の浪費になるだろう。嫌いな相手に読ませるのがいい。
 この小説にはクソが詰まっている。作者の内臓で発酵したクソネタが、クソを煮詰めて作ったインクで書かれている。よくこんな恥ずかしいネタを他人に読ませる気になった。その度胸だけは本当に素晴らしい。押入れから出さなければもっと良かった。


 これぐらいの文章は本当に星一個のレビューでしか読めない。
 そういえば前に村上春樹のレビュー(星一個のやつね)で本を出した人がいた。なかなか書く人だと思っていたが、彼のブログを読んでいると"マジ"な文章を書こうとして書けずに苦しんでいて、ついにはブログが止まってしまった(ちなみにブログを読んでいると彼は村上春樹に対してツンデレしているようにしか見えなかったので、途中から素直になれよと言いたくなった)。

 どうして私達は素直に人を誉める文章を持ち合わせていないのだろう。うまいのは人をけなす言葉ばかりだ。ちょっと悲しいねというお話。


(おしまい) 



補記:最初のレビューの意訳は恥ずかしくって一行も書けなかった。恥ずかしいというのがうまく賞賛の言葉を出せない理由かもしれない(素直に好きとは言えないのと一緒?)。



 

2014年に読んだキンドル本

推薦文『未来劇剣浪漫譚 Human Possibility』

 退廃的な未来で巻き起こるSF剣豪小説2作目

 今回は作者が商品紹介に書いてある通りにエンタメの要素を強く打ち出していて前作と比べてかなり読みやすいです。また続編なので登場人物や世界観が共通していて、早い段階から物語に入り込めます。

 前作で元々一般人だった凛が姉の仇討ちとはいえ人を殺したのに、ちょっと明るい雰囲気で終わったのが少し気になった。
 しかし、今作では人殺しの代償として一般人の友子から拒絶されていたという展開が待っている。
 凛がどうやってその傷を乗り越えるのかが一つのよみどころ。

 もう一つは無二さんが天心流の心構えを会得できるかどうか。
 師匠お墨付きで天心流の技を極めた無二さん。前作では余裕のある強さで負ける姿を想像できない男だったが、今回はそんな無二さんでも勝てそうにない相手が出てくる。(ついでに言うと嫌な奴だ)
 その相手に勝つには全てを捨てて天心流の心で立ち向かうことなのだが、それができないといういかにも剣豪小説的な展開がよみどころ。

 読み終わってから、いや後半辺りでずるいっ!と思った。この時から続編を匂わす展開だと分かったからだ。最後まで読むとやはりそうだった。無二さんが父親の仇討ちをするためにウォールの内側"ラスパラ"へ入ったところで終わるという続編を期待させるラストだった。ああ、ずるいっ!



 

続きを読む

2013年に読んだkindle本のレビュー

『魔女と機械と遺世界と/舟渡攻』を読んで考えてみた

『魔女と機械と遺世界と/舟渡攻』を読んで

 主人公は殺戮機械。旧世界を滅ぼした張本人である。機械というが、後に遺伝子がどうたらこうたらと出てくるので完全な機械ではなく人間と機械が合わさったような物のようです。なので物語中で感情が描かれているのも当然です。というか主人公の感情の移り変わりがこの小説の肝です。
 主人公の心中では自分が滅ぼした旧世界と、文明が滅んだ現在の世界の二つに分けられていて、自分は旧世界の人間(話がややこしくなるので人間とする)と思っている。今の世界は自分のいうべき世界ではないと思っている。それで、今の世界を遺世界と呼んでいる。
  
序盤の魔女が寝たあとに主人公はその異世界を旅してユズという女の子と出会う。異世界の様子を調べるために主人公と彼女と行動を共にしていきます。遺世界なりにも問題が起こるのですが、主人公は旧世界の人間なので、なるべく遺世界に影響を与えないように手助けはせず見守るだけに徹しようとします。しかし、成り行きで竜の生け贄にされたユズを助けてから、まあ色々あって村と村の戦争が起きる。その中でユズは命を落としそうになる。
 主人公は旧世界に関わらないようにしようと決めていたのだが、ユズの死を前に何もしないでただ見ているだけで良いのかと迷う。まあ結果はハッピーエンドです。
 
 この小説のテーマは主人公の心の中で分けられた旧世界と遺世界、現在と過去の融合。それを繋げたのは愛っていう話でした。
 ラーメン同盟の話にちょっと似ていると思った。執筆時期はかなり近い作品だと予想する。 


続きを読む
記事検索(なんでも単語を入れてみて)
カテゴリ別アーカイブ
月別アーカイブ
このブログはAmazonアソシエイトに参加しています。
Googleアナリティクスでアクセス情報を分析しています。