キルケゴールの「あれかこれか」読んでるんやが、これ要するにラーメン屋で味噌か醤油か決められんワイの話やんけ
草
哲学ってだいたい券売機前の話よな
でもイッチもう名前がみそラーメンやん 結論出とるやん
いや名前は親にもろたんや(適当) 今日は醤油の気分かもしれんのや
キルケゴール「選ばないこともまた選択である」 店員「次の方どうぞー」
後ろに並んでるやつの視線が“不安”や
不安の概念、券売機の前で完成した説
「あれかこれか」って結局どっち選んでも後悔する感じあるよな 味噌頼んだら醤油の香りが気になるし
それを美的実存段階という
いやただの優柔不断やろ
美的段階=その日の気分で食う 倫理的段階=いつものを決めて迷わない 宗教的段階=店主を信じておすすめに賭ける
最後だけ急に命預けてて草
ワイはいま美的段階や チャーシューの照りに心が揺れる
ワイ倫理的段階やから毎回味噌大盛り半ライスや 人生が安定する
半ライスつけるな 倫理を食欲で上書きするな
キルケゴール「快楽に生きるな」 なんJ民「でも味玉はつける」
「あれかこれか」って“どっちでもええ”やなくて “どっちかを自分で引き受けろ”って話やろ確か
なんJにしては理解度高すぎてこわい
せやねん しかも選んだ後に“これがワイの選択や”って背負えって圧がある ラーメン一杯に重すぎる
でもその重さから逃げてると一生サイドメニューだけ頼む人間になるで
枝豆人生は草
キルケゴールってヘーゲル嫌いなんやっけ?
せや 「人生は体系化できるほど整ってないぞ」みたいなノリ つまりラーメンの好みは方程式で決まらん
ヘーゲル派の友達に「味噌も醤油も止揚されて豚骨になる」とか言われたわ
それはただのメニュー増やしや
止揚って便利ワードすぎるやろ 迷ったら全部乗せかよ
「あれかこれか」読んだ時のワイ 前半「なんかオシャレなこと言ってるな」 後半「説教されてる…」
裁判官ヴィルヘルム、だいたい説教強い
あの“ちゃんと生きろ”感すごいよな 深夜2時に読むと効く
深夜2時はだいたい全部効く
でもイッチ、みそラーメン名乗ってるのに醤油に揺れるって それもう“絶望”の入口ちゃうか
自己であろうとして自己であれない、やな 味噌であろうとして醤油を見つめるみそラーメン
哲学J民多すぎ問題
正直、味噌頼んで「やっぱ醤油やったか…」ってなる時より 決められず店出る時の方が虚無なんよ
それやそれ 選択の失敗より、選択放棄の方が削られる
キルケゴール、券売機前で泣いてそう
いやあいつはもっと恋愛で泣いてる
婚約破棄おじさんやからな…
でもあの人、痛みをちゃんと言葉にしてくれるのええわ 「なんでワイこんな迷うんや」ってのに名前つけてくれる感じ
わかる 哲学は解決より命名が強い時ある
「不安」「絶望」「選択」 全部もう味噌ラーメンスレで消費されてて草
で、今日イッチは何食うんや
……味噌や 名前に恥じんように生きる
倫理的決断きたあああああ
なお隣の客の醤油の匂いで揺らぐ模様
揺らぐのも込みで引き受けるんや キルケゴールがそう言ってた(たぶん)
たぶんで哲学を語るな
でもなんか元気出たわ 今日のワイも「あれかこれか」で決めるで
せや、選んで後悔するんやなくて、選んで生きるんや ほな、いただきます






