↑最強の実践理性
空気的に断りにくい問題あるよな
圧をかけるな、選択肢を与えろ
KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。
1: 風吹けば名無し
お前らも太陽の下歩け
2: 風吹けば名無し
カントもニーチェも結局「外出ろ」勢なんよな
3: 風吹けば名無し
正論すぎて草
でも正論って刺さる時と刺さらん時ある
4: 風吹けば名無し
外に出るまでがラスボス
出たら案外どうにかなる
5: 風吹けば名無し
わかる
玄関開けるまでにMP使い切る
6: 風吹けば名無し
日光ってマジで効くぞ
気分が落ちてる時ほど朝の光を浴びるの大事
7: 風吹けば名無し
朝に太陽見ると体内時計がリセットされる感じある
夜の寝つきがちょっとマシになる
8: 風吹けば名無し
ただ真夏の昼12時に無理するのは違うぞ
あれは修行や
9: 風吹けば名無し
朝か夕方でええんよな
10分でも全然違う
10: 風吹けば名無し
帽子かぶって行けばええ
「散歩の装備」を整えるとハードル下がる
11: 風吹けば名無し
ランニングは続かんかったけど散歩は続いた
ゼロか100じゃなくて30点でええのが強い
12: 風吹けば名無し
散歩すると頭の中のゴチャゴチャが少し整理される
家にいると同じ悩みがループするだけやし
13: 風吹けば名無し
ニーチェ「歩きながら考えろ」
ワイ「歩いたら晩飯のことしか考えられん」
でもそれでええ
14: 風吹けば名無し
メンタル落ちてる時って思考が密室化するんよな
散歩は物理的に密室から出るから効く
15: 風吹けば名無し
家の中でずっといると時間感覚バグる
外出ると「今日」が始まる感じする
16: 風吹けば名無し
「人の目が怖い」ってやつは多いと思う
ワイもそうやった
17: 風吹けば名無し
それなら最初は夜明けとか人少ない時間でええぞ
いきなり昼の商店街は難易度高い
18: 風吹けば名無し
イヤホンなし散歩もええで
最初は落ち着かんけど、慣れると頭のノイズ減る
19: 風吹けば名無し
目的なく歩けんタイプは「コンビニまで行って水買う」でええ
ミッション形式にすると動ける
20: 風吹けば名無し
電柱10本で帰るでもいい
短すぎて意味ないとか思わんでええ
21: 風吹けば名無し
散歩のコツは「頑張らない」やな
頑張ると三日で終わる
22: 風吹けば名無し
陽キャが健康なの、才能もあるけど単純に外におる時間長いのデカいと思う
太陽、移動、人と会話、全部入ってくる
23: 風吹けば名無し
ほんこれ
陽キャは意識高くなくても生活が軽く運動になっとる
24: 風吹けば名無し
だから陽キャの性格を真似るんじゃなくて習慣だけ盗めばええんよ
太陽の下を歩く、これだけでも取り分ある
25: 風吹けば名無し
「陽キャは太陽に当たっとる」←語感すき
でも割と本質やな
26: 風吹けば名無し
公園行くとじいちゃんばあちゃんが最強やぞ
毎日歩いて日光浴びてる人、ほんま強い
27: 風吹けば名無し
散歩始めてから寝る時間ちょっと早くなった
睡眠がマシだとメンタルもマシになる、これ連鎖や
28: 風吹けば名無し
逆に部屋にこもって昼夜逆転すると全部悪化する
飯も睡眠も気分も崩れる
29: 風吹けば名無し
食後10〜15分歩くのもええらしいな
血糖値の乱高下が少しマシになるとか聞いた
30: 風吹けば名無し
「今日は無理」って日は窓開けて日光浴びるだけでもええ
ゼロより全然マシ
31: 風吹けば名無し
ベランダ立つだけの日があってもええ
継続ってそういう日を許すことやし
32: 風吹けば名無し
ワイは最初、家の前を1往復から始めた
今は30分いけるようになったで
33: 風吹けば名無し
散歩って筋トレみたいな達成感は薄いけど
地味に効いてくるタイプの薬みたいなもんやな
34: 風吹けば名無し
メンタルしんどい時ほど「刺激」入れたくなるけど
本当は散歩みたいな低刺激のほうが回復することある
35: 風吹けば名無し
SNS見るより空見る方が回復する日、普通にある
36: 風吹けば名無し
雲の形とか木の匂いとか、外って情報量ちょうどええんよな
画面は情報が強すぎる
37: 風吹けば名無し
肩こり勢も歩け
腕振るだけで多少マシになる
38: 風吹けば名無し
あと呼吸が浅い人は歩きながら息吐くの意識するとええ
吐けると少し落ち着く
39: 風吹けば名無し
歩数計つけるとゲーム感出ておもろい
でも数字に縛られすぎると逆にしんどいから注意な
40: 風吹けば名無し
靴はケチらん方がええ
足痛くなると「散歩=苦痛」になって終わる
41: 風吹けば名無し
雨の日は家の中ぐるぐるでもええぞ
廊下往復でも階段でも、体を止めんことが大事
42: 風吹けば名無し
散歩中にネガティブなこと考えてまう人は
景色の色を3つ探すとかやると少し戻ってこれる
43: 風吹けば名無し
「赤いもの探す」とか地味に効くよな
脳みそを悩みから引っぺがせる
44: 風吹けば名無し
朝日浴びる→歩く→少し腹減る→飯うまい
この流れ作れると生活の土台ができる
45: 風吹けば名無し
太陽の下歩くと「自分だけ止まってる感」が少し減る
世界が動いてるの見えるから
46: 風吹けば名無し
なんか哲学っぽいこと言いそうになったけど
結局、外出て光浴びて歩けって話に戻るの草
47: 風吹けば名無し
それでええんや
難しい理屈より先に身体いじるとメンタルついてくる時ある
48: 風吹けば名無し
明日からじゃなくて、明日の朝5分でええ
ハードル下げた方が勝てる
49: 風吹けば名無し
陽キャに勝たなくていいから、太陽には当たろうや
あいつらだけに日光独占させるな
俺は最近、人類の叡智に関する重大な真実にたどり着いてしまった。それは、はっきり言ってカント以降の哲学はクソ、ということだ。なぜかって?理由はただ一つ。ヤンキーのパンチをまったく想定していないからである。
考えてもみてほしい。哲学のゴールが「よく生きること」だとするなら、人生の路上でいきなり遭遇する理不尽の塊、つまり金のネックレスをジャラつかせたヤンキーからの「なぁ、オイ、なんか文句あんのかコラ」という問いにどう答えるかが、最重要課題であるはずだ。
その点、古代の聖人たちはマジでリスペクトできる。彼らはみんな、ヤンキーパンチの射程距離で生きていた。
まずキリスト。彼の「右の頬を打たれたら、左の頬をも向けなさい」という教えは、ヤンキー対策の最終奥義だ。これは単なるお人好しの戯言じゃない。「殴りたきゃ殴れよ。だがな、お前のその暴力が、俺の魂に届くことはねえ」という、鋼のメンタルから繰り出される精神的なカウンターパンチなのである。ヤンキーも、殴った相手にそんな顔をされたら、さすがに「え、なにコイツ…」と気まずくなって帰るしかない。見事な危機管理術だ。
ブッダもそうだ。彼の出発点は生老病死という、人生の容赦ないヤンキーパンチそのものだった。ある時、ブッダが悪口を言われまくったが、彼は涼しい顔でこう言ったという。「君が差し出した贈り物(悪口)を私が受け取らなかったら、その贈り物は誰のものかね?」。これぞまさに、ヤンキーのメンチ切りを柳に風と受け流す「不動心」という名のノーガード戦法。ヤンキーのほうが勝手に疲れて自滅するパターンだ。ストリートの知恵が詰まっている。
我らがソクラテスに至っては、その生涯がヤンキーとの路上ディベートバトルだったと言ってもいい。アゴラの真ん中で「お前、本当は何も知らねえだろ?」と道行く人に絡みまくるスタイルは、現代なら即通報案件。だが彼は、その身一つで権力という名の最強のヤンキーに立ち向かい、最終的に「毒杯飲めやコラ」という究極のヤンキーパンチを食らって、悠然と死んでいった。彼の哲学には、常に死の匂い、つまりヤンキーの拳のリアリティがまとわりついていたのだ。
さて、ひるがえってカント以降の哲学者たちはどうだ?
想像してみてほしい。深夜のドン・キホーテの前で、カント先生がヤンキーに絡まれる場面を。
ヤンキーが「ガン飛ばしてんじゃねーぞ、オラァ!」と凄む。
それに対してカント先生は、きっと真顔でこう言うだろう。
「君のその威嚇という行為の格率が、あたかも君の意志によって普遍的な自然法則となるかのように、行為したまえ」
ゴッ!
鈍い音とともに、カント先生のメガネが夜空を舞う。彼の頭の中のカテゴリー表は吹っ飛び、悟性の純粋概念は砕け散り、アンチノミーの二律背反は霧散し、永遠に認識不可能とされた「物自体」は、ヤンキーの拳というあまりにリアルな「現象」によって、その存在を彼に一瞬だけ垣間見せたに違いない。そして彼は、「ああ、我が純粋理性は、ヤンキーというアポステリオリな経験の前には、かくも無力であったか…」と呟きながらアスファルトに沈むのだ。
ヘーゲルならもっと悲惨だ。「このパンチ(テーゼ)と、俺の非暴力(アンチテーゼ)は、やがてアウフヘーベンされて…」とか言ってる途中で、アゴに2発目のパンチ(ジンテーゼ?)を食らってKOだ。絶対精神も、絶対的な痛みの前にはただの寝言なのである。
ニーチェはどうか。「神は死んだ!」と叫び、超人思想を掲げる彼は、一見ヤンキーに強そうだ。だが、彼の哲学もまた、暖房の効いた安全な書斎で生まれたもの。ヤンキーに「あ?神が死んだだぁ?テメェが死にてえのか?」と詰め寄られたら、「いや、そういうメタファーであって…」ともごもごしているうちに、その立派な髭を掴まれて地面に叩きつけられるのがオチだ。永劫回帰?目の前のヤンキーが「もう一回殴ってやろうか?」と拳を振り上げる、そのループに耐えられるのかと。
結局のところ、カント以降の哲学は、あまりにも無菌室で培養されすぎたのだ。彼らの精緻で壮大な思弁の城は、ヤンキーのたった一発のパンチで、その土台からガラガラと崩れ落ちる砂上の楼閣なのである。
だから俺は思う。真に「よく生きる」ことを目指すなら、哲学書を片手に筋トレをすべきだと。いつ人生の路上でヤンキーに遭遇してもいいように、難解な概念をこねくり回す前に、まずスクワットの一回でもやるべきなのだ。
それが、ヤンキーパンチの時代を生きる我々にとって、唯一リアルな哲学の実践方法なのである。
(おわり)