アメリカ
う〜ん、だが中国が舞台の本で名前の『小』を付けて親しげに呼ぶというのも読んだことがある。たとえば牛野小雪なら『小雪(シャオシュエ)』・・・・・ごめん。ちょうどいいネタだからふざけちゃった・・・・リンチーリン(林志玲)でたとえるなら小玲(シャオリン)みたいな感じで呼ぶ(たぶん)。シャオちゃんみたいなニュアンスなんだとか。男ならくん。ということはシャオロン(小龍)は龍くん? カンフーの達人っぽくないぞ。それだと小日本は日本ちゃんみたいな感じになるのかと思いきや、やっぱり違うらしい。う〜ん、難しいぞ中国語。
欧米人が自己主張が強くて何でも言いたいことを言うという俗説はけっこう昔から言われているけれど、海外のドラマとか小説とか映画に触れているとホンマかいなという気分になる。もちろんフィクションと現実は違うものだけれど、全く違うということもあるまい。日本の映画やドラマにだってそんなヤツいね〜よ、とか、こんなことありえない、とかいう場面はあるが、人間性みたいなものは現実と重なっているように、外国人の人間性も創作物に重なっているはずで、それを見ている限りでは欧米人だって空気を読んでいるし、当てこすりもあるし、偉い人は無言の圧力をかけてくるし、卑怯者は陰湿なやり方を普通にしているし、まじめな人が割を食っている。同じ人間でそんなに人間性が変わるはずがないではないか。でもアメリカ人は明るそう。たぶんこれは間違いない。あとベーコンとチーズが好き。
でもこれも実はアメリカ人気質があるのではなくて、アメリカという土地にそうさせる何かがあるのかもしれない。日本人だってアメリカに行けば明るくなってベーコンとチーズが好きになったりしてね。そういうことはありえそうな気がする。帰国子女あるあるみたいなネタもあるしね。
隣国の香川に行ったらうどんが食べたくなるんだけど、実はそれってうどん外食産業が強すぎる土地柄だから。一度香川のスーパーでうどんを買って帰ったことがあるんだけど、それですら普通のうどんとは違うんだからあの土地はおかしい。うどんのためにあるような土地だ。あそこではみんなうどんに飲み込まれてしまう。
SMAPの『セロリ』で、育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ/夏がダメだったりセロリが好きだったりするのね、という歌詞があるけれど、実は積み上げられた経験や性格は絶対的なものじゃなくて、セロリが美味い環境に変われば自然とセロリが好きなるんじゃないかな。うどんって普段はあまり食べたいとは思わないけれど香川に行けば食べたくなるんだもの。
(2017/03/15 牛野小雪 記)

今はどうか知らないが、昔読んだ本で日本とアメリカの出版業界の違いについて言及していた本があった。その本によると、日米共に長篇の方が読者に与えるインパクトが強いというのは共通しているが、アメリカの新人作家はまず短篇をいくつも書いて金を稼いだり力をつけてから、アパートに篭って長篇を書き下ろすそうだ。日本ではデビューしてもわりと長篇を書く場合が多く(純文学を除いて)。その代わり文芸誌や新聞に連載を持って、長篇を書いている間の生活費を稼ぐスタイルらしい(連載していれば原稿料が入り、生活ができる。でも最近は枠が詰まっているから書き下ろしも多い)。
KDP界隈でも幻夜軌跡さんはコンビニ戦記をシリーズで書くそうだ(現時点では、まだ一巻しか出ていない)。吉野茉莉さんの藤元杏も二巻目を出している(続編を出していないのは藤井さんぐらい?)。それを見ていて、ああ恐いなあと私なんかは思う。
長篇を書くのはとても負担が大きく消耗が激しいわけで、それを一巻二巻と続けて書くのは考えただけでも恐ろしい。でもそこにはひとつ当たったら続けて同じ場所を撃ち続けて、ペンペン草も生えないぐらい(←この表現は古い!)市場をしゃぶり尽くさないとやっていけない出版不況が関係しているらしい。
KDPというのはページ数に関係なく出版できて、大体の傾向として長篇を出している作家は少なく、短篇が多い印象がある。もしかするとアメリカの文学界みたいにKDPから未来の大作家が短篇を書きながら育って、いつか歴史に残るような大長篇を世に出してくるかもしれないな、なんてことを考えた。
まあ、別にその場所はKDPでなくても良いわけだけど、ここから出てくると良いな(そういえば上記の三人共KDP 以外の場所で活動してたね)。界隈がホットになれば、もっと面白くなりそうだと思う今日この頃でした。
(おしまい)
幻夜さん、吉野さんの本
僕は新作を書きあげる度に県外のある本屋に行く。その本屋は日本最大の売り場面積を謳っているだけに、売れ筋の本はもちろん、誰が買うのか分からないような本まで置いてある。
それで僕はそこで意外な発見をした。海外文学といえば新潮文庫とハヤカワ文庫、このふたつの文庫レーベルが独占していると思っていたんだけど、この前その本屋に行った時に海外文学の本がハードカバーで売られているのを発見した。
どうしてハードカバーが無いのか不思議に思っていた頃があった。この瞬間になるまで見かけなかったんだから、それは無い物だと思って当然だ。でもそれは単に近所の本屋に置いてなかったというだけで、あるところにはあったというわけだ。
値段を見るとどれも当たり前の顔をして2,000円を越えていた。分厚い本があって、上巻の方を取ってみると4,200円とあって手の力が抜けそうになった。何とかピンチョンという変な名前の人だった。ピケティ本が6,200円で高いとニュースになっていたが、翻訳物は著者+翻訳者だから基本的に高い物だ。逆に言うと新潮文庫とハヤカワ文庫が安すぎる。
僕はそこでシンプルな表紙の本を一冊だけ買った。今調べてみると中央公論新社とかいうこれまた聞いた事の無い出版社。うん、こういうところだ。普段は見る事の無い名前に出会うところがこの本屋の良いところだ。しかも三年前に印刷された本が初版で手に入るのはここぐらいだろう。これがあるから車を二時間飛ばすわけだ。
そうそう、これだけは言っておかなくてはならないが香川でうどんを食べるときは二時までに食べること。そうしないと僕みたいにローソンのドーナツ二個が遅めのランチになってしまう。本当だよ、あそこは二時になるとうどん屋らしいうどん屋はみんな店を閉まっちまう土地だ。
でもそういうところもやっぱり好きなんだ。四六時中店を開けているなんて狂気の沙汰だ。むしろ日本全国でうどん屋に合わせて活動するべきだ。
その日から買ってきた本をちびちび読んでいたんだけど、ふとアメリカ人作家の本を僕はどれくらい持っているのかなと、気になった。海外文学といえばイギリス・ロシアの二大巨頭があって、そのひとつ下にフランスとドイツがあるみたいな印象が僕にはあった。
さっと思い出せるのはヘミングウェイぐらいで、アメリカ人に作家なんているのかなと疑問に思っていたけど、調べてみると結構いた。ハリウッド映画と同じで身近にある物だから、すぐにそれと気付けないものなのかもしれない。でもやっぱり印象は薄い。ハリウッド映画だってすぐに思い出せる物は少ない。
そういうわけで、というのはおかしいけれど、僕は今アメリカ人作家の本を枕の脇に積んでアメリカ文学にどっぷり浸かっている。
ヘミングウエェイはやっぱり短篇が良い。『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』これだけは何度読んでもいい。でも何だかんだで、やっぱり読みやすいのは『老人と海』だ。みんなの意見は案外正しい。
(おしまい)
ヘミングウェイの本
(老人と海が評価されてノーベル文学賞を取ったらしい)
ついでにこれも
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