愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

アメリカ

アメリカ文化と幽霊の関係

アメリカ文化と幽霊の関係は、複雑で多面的であり、国の歴史、社会構造、そして文化的多様性を反映しています。この関係は、アメリカの国民性、歴史的経験、そして現代のメディアや娯楽産業によって形作られてきました。

アメリカの幽霊文化の起源は、ヨーロッパからの移民たちが持ち込んだ伝統に遡ります。特に、アイルランドやスコットランドからの移民は、ケルト的な幽霊観や超自然現象への信仰を持ち込みました。同時に、ネイティブアメリカンの精霊信仰やアフリカ系アメリカ人のヴードゥー文化なども、アメリカの幽霊文化に独特の要素を加えています。

アメリカの歴史的な出来事は、幽霊譚の重要な源泉となっています。南北戦争の戦場、西部開拓時代の町、奴隷制度下の古い農園など、歴史的な場所には必ずと言っていいほど幽霊の噂が付きまといます。これらの幽霊譚は、単なる恐怖物語ではなく、しばしばアメリカの歴史的トラウマや未解決の社会問題を反映しています。

アメリカの幽霊文化には、強い「正義」の要素が見られます。多くの幽霊譚では、不当に扱われた人々の魂が真実を明らかにしたり、正義を求めて現れるとされています。これは、アメリカ社会の正義感や個人の権利を重視する傾向を反映しています。同時に、過去の不正義に対する集団的な罪悪感や贖罪の願望を表現しているとも言えるでしょう。

アメリカの幽霊文化には、強い商業的側面も存在します。「お化け屋敷」や「幽霊ツアー」は、多くの都市で人気の観光アトラクションとなっています。これらは、恐怖体験を商品化し、同時に地域の歴史や文化を伝える役割も果たしています。特に、ニューオーリンズやセーラムのような歴史的な都市では、幽霊文化が重要な観光資源となっています。

メディアと娯楽産業は、アメリカの幽霊文化の形成と普及に大きな役割を果たしています。ハリウッド映画やテレビドラマ、小説などで描かれる幽霊のイメージは、アメリカ国内だけでなく、世界中の幽霊観に影響を与えています。「ポルターガイスト」や「シックスセンス」のような作品は、現代的な幽霊のイメージを確立しました。

近年では、「幽霊ハンター」や「超常現象調査」をテーマにしたリアリティTVショーが人気を集めています。これらの番組は、科学技術を用いて超自然現象を解明しようとする試みを娯楽化しており、アメリカ社会の科学主義と神秘主義の両面を反映しています。

アメリカの幽霊文化には、強い個人主義的な要素も見られます。多くの幽霊譚では、個々の幽霊が独自の物語や個性を持っており、これはアメリカ社会が個人の物語や経験を重視する傾向を反映しています。同時に、「孤独な幽霊」のモチーフは、現代社会の孤立や疎外感を象徴しているとも解釈できます。

アメリカの幽霊文化は、宗教との複雑な関係も持っています。キリスト教の影響が強い一方で、ニューエイジ的なスピリチュアリズムや、様々な文化からの超自然的信仰も混在しています。この多様性は、アメリカの宗教的自由と多元主義を反映しています。

学術界でも、幽霊や超自然現象は研究対象となっています。パラサイコロジー(超心理学)の分野では、科学的手法を用いて超自然現象を研究しようとする試みがなされています。また、文化人類学や民俗学の分野では、幽霊信仰を文化現象として研究する取り組みも行われています。

アメリカの幽霊文化は、社会の変化とともに進化し続けています。例えば、テクノロジーの発展に伴い、電子機器を介した幽霊現象(電話やテレビを通じた幽霊の出現など)が物語の題材となっています。また、ソーシャルメディアの普及により、幽霊や超自然現象の体験がリアルタイムで共有されるようになりました。

アメリカの幽霊文化は、しばしば社会批評の手段としても機能しています。例えば、ジェントリフィケーション(都市の高級化)による地域の歴史の喪失を、古い建物の幽霊を通じて表現したり、環境破壊を自然の霊の怒りとして描いたりすることがあります。

ハロウィンは、アメリカの幽霊文化が最も可視化される機会です。元々はケルト系移民の伝統でしたが、現在では完全にアメリカ化され、商業的かつ娯楽的な祭りとなっています。この祭りを通じて、幽霊や超自然的存在が日常生活の中に取り込まれ、恐怖と娯楽が絶妙にバランスを取っています。

アメリカ文化と幽霊の関係は、国の歴史、多様性、そして現代社会の特徴を反映した複雑なものです。幽霊は、恐怖や娯楽の対象であると同時に、社会批評や歴史の記憶を保持する手段としても機能しています。この関係は常に進化し続けており、アメリカ社会の変化とともに新たな形態や意味を獲得し続けています。幽霊文化は、アメリカの国民性や社会の複雑さを映し出す鏡として、文化研究や社会分析の重要な対象となっているのです。


204幽霊になった私2

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アメリカの幽霊の特徴

アメリカの幽霊文化は、その国の歴史の若さと多様性を反映して、ヨーロッパや日本の幽霊文化とは異なる独特の特徴を持っています。アメリカの幽霊は、国の歴史的背景、多文化社会の特性、そして現代のポップカルチャーの影響を強く受けています。

アメリカの幽霊の外見は、多くの場合、生前の姿で描かれます。これは、個人の個性や生前の状況を重視するアメリカ文化を反映しています。南北戦争の兵士、開拓時代の人々、ネイティブアメリカン、アフリカ系アメリカ人の奴隷など、アメリカの歴史を象徴する人物の幽霊が多く報告されています。

アメリカの幽霊は、特定の場所と結びついていることが多いですが、その場所の性質はイギリスとは異なります。古い邸宅や城だけでなく、ホテル、病院、刑務所、戦場跡、墓地など、比較的新しい建造物や場所にも幽霊が出現するとされています。これは、アメリカの歴史が比較的短く、近代的な建物でも十分に「古い」と感じられることを反映しています。

出現の理由も多様です。悲劇的な死、未解決の殺人事件、不正義や人種差別の犠牲者、自然災害や事故の犠牲者など、アメリカの社会問題や歴史的出来事を反映した理由が多く見られます。また、ネイティブアメリカンの聖地や埋葬地に関連した幽霊の話も多く、これは土地の歴史と先住民の文化に対する意識を反映しています。

アメリカの幽霊は、しばしば物理的な影響力を持つとされます。物を動かす、音を立てる、温度を変化させるなどの現象が報告されています。また、電子機器に影響を与えるという現代的な特徴も見られ、これは技術社会であるアメリカの特性を反映しています。

時間的には、夜間に現れることが多いという点で他の文化と共通していますが、特定の日付や記念日に出現する幽霊も多く報告されています。例えば、南北戦争の戦場では、戦闘が行われた日に幽霊が現れるとされることがあります。

アメリカの幽霊文化には、多文化社会の影響が強く見られます。ヨーロッパからの移民の伝統、アフリカ系アメリカ人の文化、ネイティブアメリカンの信仰、ヒスパニック系の伝統など、様々な文化的背景を持つ幽霊が存在します。これは、アメリカ社会の多様性を反映しています。

宗教的背景としては、プロテスタントキリスト教の影響が大きいですが、同時にネイティブアメリカンの精霊信仰、アフリカ系の呪術的要素、カトリックの聖人崇拝など、多様な宗教的要素が混在しています。また、近年では、ニューエイジ的な霊的概念も幽霊文化に影響を与えています。

アメリカの幽霊譚には、しばしば「正義の実現」や「真実の解明」のテーマが含まれます。未解決の殺人事件の被害者の幽霊が真犯人を明らかにする、不当に扱われた人々の幽霊が正義を求めるなど、社会正義のテーマと結びついた物語が多く見られます。これは、アメリカ社会の正義感や個人の権利を重視する傾向を反映しています。

文化産業における幽霊の表現も豊かです。ハリウッド映画、テレビドラマ、小説など、様々なメディアで幽霊は重要なモチーフとして使われ続けています。特に、ホラー映画における幽霊の描写は、世界中の幽霊のイメージに大きな影響を与えています。

アメリカの幽霊文化には、「幽霊ハンター」や「心霊調査」といった現代的な要素も強く見られます。これらは、科学技術を用いて超自然現象を解明しようとする試みであり、アメリカ社会の科学主義と神秘主義の両面を反映しています。また、これらの活動がテレビ番組や動画配信サービスで人気を集めていることも、アメリカの幽霊文化の特徴と言えるでしょう。

心理学的・社会学的な観点からは、アメリカの幽霊は、国の歴史的トラウマや社会問題を反映していると解釈されることがあります。例えば、奴隷制度や先住民に対する迫害、戦争の記憶などが、幽霊の形を借りて表現されているという見方があります。

アメリカの幽霊は、しばしば「アメリカンドリーム」の裏側や、社会の闇を象徴する存在としても描かれます。豪華な邸宅に住む悲劇的な運命の幽霊や、成功を追い求めて非業の死を遂げた人々の幽霊など、アメリカ社会の矛盾や問題点を浮き彫りにする役割を果たしています。

現代のアメリカ社会においては、幽霊の存在に対する態度が二極化している傾向があります。科学的・合理的な説明を求める傾向が強い一方で、超自然現象への興味も依然として高く、幽霊ツアーやハロウィンイベントなどが人気を集めています。

アメリカの幽霊は、その国の若い歴史、多文化社会、社会問題、そしてポップカルチャーの影響を強く受けた、独特の存在です。恐怖や神秘の対象であると同時に、社会批評や歴史の記憶を保持する手段としても機能し、アメリカ文化の重要な一部を形成しています。その多様性と現代性は、アメリカ社会の複雑な性質を映し出す鏡としての役割を果たしているのです。アメリカの幽霊文化は、常に進化し続けており、社会の変化とともに新たな形態や意味を獲得し続けています。


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カウボーイ

カウボーイの起源:
カウボーイの起源は、19世紀半ばのアメリカ南西部にさかのぼります。スペイン語で「牛飼い」を意味する「バケーロ」(vaquero)がその原型とされています。メキシコからテキサスに広がった牧畜文化が、アメリカ独自のカウボーイ文化へと発展していきました。

カウボーイ文化の発展:
1830年代から1860年代にかけて、アメリカの西部開拓が本格化しました。広大な草原地帯(グレートプレーンズ)が牧畜に適していたことから、大規模な牧場経営が始まりました。この時期、多くの若者がカウボーイとして働き始めました。

カウボーイの黄金時代は1866年から1886年頃とされています。この時期、テキサスからカンザスやワイオミングなどの北部の州へ、数百万頭の牛を長距離移動させる「ロングドライブ」が行われました。これは、南北戦争後の北部の牛肉需要に応えるためでした。

カウボーイの仕事:
カウボーイの主な仕事は、牛の世話と移動でした。具体的には以下のような作業を行いました:

1. 牛の放牧と監視
2. 牛の群れの移動(ドライブ)
3. 子牛への烙印付け
4. 病気や怪我をした牛の手当て
5. 牧場の柵の修理
6. 野生動物や盗賊からの牛の保護

カウボーイの生活:
カウボーイの生活は厳しいものでした。長時間労働、危険な作業、厳しい自然環境との闘いが日常的でした。彼らは多くの時間を馬上で過ごし、野外で寝泊まりすることも珍しくありませんでした。

給料は決して高くありませんでしたが、多くの若者にとって、自由と冒険の象徴としてカウボーイの生活に魅力を感じていました。

カウボーイの装備:
カウボーイの装備は、その過酷な仕事に適したものでした:

1. 幅広のつばを持つ帽子(保護と日よけのため)
2. バンダナ(ほこりよけや汗ふきとして)
3. 革のチャップス(脚を保護するため)
4. スパー付きのブーツ(馬の制御のため)
5. 拳銃(自衛用)
6. 投げ縄(牛を捕まえるため)

カウボーイ文化の衰退:
1880年代後半から、カウボーイ文化は衰退し始めました。主な要因は以下の通りです:

1. 鉄道網の発達により、長距離の牛の移動が不要になった
2. 有刺鉄線の発明により、オープンレンジでの放牧が困難になった
3. 厳しい冬や干ばつにより、多くの牧場が経営難に陥った
4. 西部の「フロンティア」が事実上消滅し、開拓が完了した

カウボーイのイメージと神話化:
実際のカウボーイ文化が衰退する一方で、カウボーイのイメージは、アメリカの大衆文化の中で理想化され、神話化されていきました。

1. 文学:オーウェン・ウィスターの「バージニアン」(1902年)などの西部小説が人気を博しました。
2. 映画:1903年の「大列車強盗」を皮切りに、数多くの西部劇映画が製作されました。ジョン・ウェインやクリント・イーストウッドなど、カウボーイ役で有名になった俳優も多くいます。
3. テレビ:1950年代から60年代にかけて、多くの西部劇テレビシリーズが人気を集めました。
4. 音楽:カントリー音楽やウェスタン音楽が、カウボーイ文化を反映し、発展させました。

これらの大衆文化を通じて、カウボーイは自由、独立、勇気、正義の象徴として描かれ、アメリカ人のアイデンティティの一部となっていきました。

現代のカウボーイ:
現代でも、牧畜業に従事する人々はカウボーイと呼ばれることがあります。しかし、その仕事の内容は19世紀のカウボーイとは大きく異なっています。現代のカウボーイは、トラックや四輪バギー、ヘリコプターなどを使用し、より効率的に牧畜を行っています。

また、ロデオなどのイベントを通じて、カウボーイの伝統的な技術や文化が継承されています。ロデオでは、牛の捕獲、野生馬の乗馬、仔牛への縄掛けなど、かつてのカウボーイの技術を競います。

カウボーイ文化の影響:
カウボーイ文化は、アメリカ社会に深い影響を与えています:

1. ファッション:ジーンズ、カウボーイブーツ、カウボーイハットなどは、カウボーイ文化から生まれ、世界中で人気のファッションアイテムとなっています。
2. 言語:多くの英語の表現やスラングが、カウボーイ文化から生まれました。
3. 価値観:自立心、勇気、正直さなどの価値観が、カウボーイ像と結びつけられ、アメリカの理想とされてきました。
4. 観光:テキサスやワイオミングなどの西部の州では、カウボーイ文化を観光資源として活用しています。

批判的視点:
一方で、カウボーイ文化の理想化には批判的な見方もあります:

1. ネイティブアメリカンの視点の欠如:西部開拓の過程で、先住民の土地が奪われた歴史が軽視されがちです。
2. 人種的多様性の無視:実際には、多くの黒人やメキシコ系のカウボーイがいましたが、大衆文化では白人男性のイメージが強調されがちです。
3. 暴力の美化:西部劇などで描かれる暴力的な解決方法が、現実の歴史を歪めているという指摘もあります。

結論:
カウボーイは、アメリカの歴史と文化の重要な一部です。実際の歴史的存在としてのカウボーイと、大衆文化によって創られたカウボーイのイメージの両方が、アメリカのアイデンティティ形成に大きな影響を与えてきました。現代でも、カウボーイ文化はアメリカの文化的アイコンとして、ファッション、エンターテイメント、観光など様々な分野で影響を与え続けています。同時に、その神話化された側面に対する批判的な視点も重要です。カウボーイの歴史と文化を理解することは、アメリカの歴史と社会をより深く理解することにつながるでしょう。


20240728ブログに貼るようseason1


【詩】トランプとバイデン米大統領選

赤と青に染まる地図
分断された国の姿
一つの国、二つの顔
民主主義の名の下で

トランプの声、雷のように
「アメリカを再び偉大に」
バイデンの言葉、静かに響く
「魂の修復」を誓って

ツイッターは炎上し
フェイスブックは真実を探す
ソーシャルメディアの荒野で
真実は歪められていく

ラストベルトの工場
錆びついた希望を抱いて
シリコンバレーの野望
未来への扉を開く

移民の夢、壁に阻まれ
人種の溝、深く刻まれ
自由の女神は涙を流す
分断された子どもたちを見て

コロナウイルスが蔓延る中
マスクは政治的シンボルに
命か、経済か
二者択一を迫られる国

フェイクニュースの嵐
真実は霧の中
メディアは中立を装いながら
視聴率という名の獲物を追う

銃規制か、修正第二条か
中絶是か、中絶非か
永遠に続く論争
答えのない問いの連続

climate change は現実か幻想か
パリ協定からの離脱
グレタの叫びは
deaf ears に届かず

Black Lives Matter
街頭に溢れる怒り
警察改革の声
しかし、変わらぬ現実

最高裁判事の指名
リベラルか保守か
一人の判事が
国の未来を左右する

郵便投票の是非
民主主義の新たな試練
投票所に並ぶ長蛇の列
パンデミックの中の選挙

ディベートは罵り合いに
政策よりもパフォーマンス
視聴者は娯楽を求め
政治はショーと化す

SNSのエコーチェンバー
自分の意見だけが響く
対話は失われ
分断は深まるばかり

若者のうねり
高齢者の不安
世代間の溝
埋まることはあるのか

ウォール街の思惑
メインストリートの現実
株価は史上最高値
しかし、路上に並ぶ食料支援の列

中国との貿易戦争
覇権を賭けた闘い
世界のパワーバランス
アメリカの影響力は揺らぐ

NATOの存在意義
同盟国との関係
アメリカファーストか
国際協調路線か

核軍縮の行方
北朝鮮との駆け引き
中東和平の夢
複雑に絡み合う国際情勢

宇宙軍の創設
新たな戦場
火星への野望
人類の夢か、無駄な浪費か

AI技術の発展
雇用の未来は
テクノロジーと人間の共存
難しい舵取り

教育の格差
機会の不平等
アメリカンドリームは
まだ生きているのか

オピオイド危機
蔓延る薬物依存
製薬会社の責任
社会の闇に光は差すのか

インフラ整備
老朽化する国土
未来への投資か
財政赤字の重荷か

選挙の夜
テレビの前で息を呑む国民
勝者は誰だ
敗者は結果を受け入れるのか

就任演説
癒しと団結の言葉
しかし、傷は深く
簡単には埋まらない

新大統領の船出
荒波の大海原
アメリカの舵取り
世界が見守っている

民主主義の試練
二百年の歴史が問われる
分断を越えて
新たな時代は始まるのか

赤と青の境界線
いつか溶けて
虹色の国になる日を
胸に秘めて、前を向く

アメリカンドリーム
まだ終わらない物語
希望と変革の風が
再びこの国を包む日まで

トランプとバイデン米大統領選

ワイ、アメリカの大統領選見てて思うんや。これ、ガチで現実なんか?それともなんかの壮大なメタフィクションなんちゃうか?

トランプ「Make America Great Again!」
バイデン「Restore the Soul of America!」

ファッ!? 二人の声が頭の中でグルグル回る。どっちがどっちやねん。アメリカの魂って何やねん。

ワイ「アメリカンドリームってなんやったっけ...」

???「草」

誰や、そこで「草」言うてんの。読者か?作者か?それとも、ワイの心の中の誰か?もはや、誰が誰なんかわからへん。みんな「アメリカ人」やし、誰も「アメリカ人」やないんや。

ワイ「せや、ツイッター見たろ!」

21世紀、全ての真実はSNSにある...はずやった。

ツイッタラーA「トランプは独裁者や!」
ツイッタラーB「バイデンは老害や!」
ワイ「ほーん、せやけど...」

独裁と民主主義の境界線ってどこにあるんや?老いることと経験を積むことは、結局同じことなんやないか?

トランプ「Fake News!」
バイデン「C'mon man!」

フェイクとリアルの境目はどこや。そもそも、現実ってなんなんや?

ワイ「民主主義ってなんやろ...」

民主主義の定義なんて、誰が決めるんや。トランプ?バイデン?それとも、一般市民?そもそも「一般」ってなんや?

テレビ「今日は大統領選挙の特別番組です」
ワイ「はぁ...」

メディアは選挙をエンターテイメント化しとる。でも、それって本当に民主主義なんか?ショーと政治の違いってなんや?

ワイ「せや、専門家の意見聞いたろ!」

政治学者に聞いても、結局のところ答えは出ーへん。トランプもバイデンも、結局は「イメージの戦い」やと。

トランプ支持者「アメリカを取り戻す!」
バイデン支持者「アメリカを癒す!」

取り戻すんか、癒すんか。結局、どっちもアメリカが「病んでる」って認識なんやないか?

ワイ(独り言)「ワイがアメリカ人やったらどっちに投票すんねん...」

自己とアイデンティティの境界線が溶けていく。鏡に映るワイは、トランプ支持者なんか?バイデン支持者なんか?それとも、ただの傍観者なんか?

ネッコ「にゃーん」
ワイ「お前には選挙権あらへんな...」

動物には、共和党も民主党もあらへん。それとも、人間が勝手にそう決めつけてるだけなんか?

ワイ「せや、選挙シミュレーションゲームでもやったろ!」

現実で理解できへんなら、バーチャルの中で理解したらええやん。でも、それってまた一つのハイパーリアリティに過ぎへんのやろか。

ゲームの中のトランプ「We will win!」
ゲームの中のバイデン「We will win!」
現実のワイ「結局どっちも勝つ言うてるやんけ!」

勝利という言葉で全てが一緒くたになる。トランプもバイデンも、結局は権力を求めてるだけやないんか?

ワイ「トランプとバイデンの違い...わからんわ」

わからんことがわかった。それが、政治理解の始まりなんやろか。

???「もしかして、お前...」
ワイ「ん?」
???「アメリカの民主主義の本質がわかったんちゃう?」

突然の啓示。でも、これって現実なんか?それとも、ワイの妄想?もしかして、ワイはずっと選挙広告の夢を見続けてるだけなんやろか?

テレビ「速報です!大統領選の結果が...」

ワイ、現実に引き戻される。また新しい大統領の時代が来る。トランプもバイデンも、結局は同じシステムの中の駒なんやないか。

選挙は終わっても、分断は続く。でも、一つになるんもアカンのかもしれん。トランプ支持者もバイデン支持者も、そして無関心な人も、みんな同じアメリカ人や。

ワイ「よっしゃ、今日も生きていこ!」

トランプでもバイデンでもない、ただのワイとして。でも、どっちの政策も影響受ける、複雑な世界の住人として。

結局、トランプとバイデンの違いなんて、そこまで本質的やないんかもしれん。大事なんは、お互いの意見を聞こうとすることや。

ワイの物語は続く。保守とリベラルの狭間で、普通の市民であることの難しさと向き合いながら。アメリカンドリームは、まだ終わっとらへんで。

本当かもと信じてしまう外国の話

 ある本に日本と中国では漢字の意味が違って『小人』というのは、日本では小さい人という意味だが、中国では小さなことにも気付く情が細やかな人という意味があるらしいと書いてあった。なるほど中国ではまず大きな人間という器があって、そこに『小』の概念が入るのだなと文化の違いに感心していたのだが、ふと反日デモの時に『小日本』という言葉が蔑称で使われていたのを思い出して、もしかしてあれは褒め言葉だったんだろうか。いや、そんな風には見えなかったけどなぁ・・・・というので調べてみるとやっぱり蔑称だった(ちなみに発音はシャオリーベンというそうだ。カッコイイ響き。もうひとつの蔑称日本鬼子はリーベングイズ。やっぱりカッコイイ。ネット上で萌え絵に還元されたのはこういうところに理由があったのかもしれない)。

 う〜ん、だが中国が舞台の本で名前の『小』を付けて親しげに呼ぶというのも読んだことがある。たとえば牛野小雪なら『小雪(シャオシュエ)』・・・・・ごめん。ちょうどいいネタだからふざけちゃった・・・・リンチーリン(林志玲)でたとえるなら小玲(シャオリン)みたいな感じで呼ぶ(たぶん)。シャオちゃんみたいなニュアンスなんだとか。男ならくん。ということはシャオロン(小龍)は龍くん? カンフーの達人っぽくないぞ。それだと小日本は日本ちゃんみたいな感じになるのかと思いきや、やっぱり違うらしい。う〜ん、難しいぞ中国語。

 欧米人が自己主張が強くて何でも言いたいことを言うという俗説はけっこう昔から言われているけれど、海外のドラマとか小説とか映画に触れているとホンマかいなという気分になる。もちろんフィクションと現実は違うものだけれど、全く違うということもあるまい。日本の映画やドラマにだってそんなヤツいね〜よ、とか、こんなことありえない、とかいう場面はあるが、人間性みたいなものは現実と重なっているように、外国人の人間性も創作物に重なっているはずで、それを見ている限りでは欧米人だって空気を読んでいるし、当てこすりもあるし、偉い人は無言の圧力をかけてくるし、卑怯者は陰湿なやり方を普通にしているし、まじめな人が割を食っている。同じ人間でそんなに人間性が変わるはずがないではないか。でもアメリカ人は明るそう。たぶんこれは間違いない。あとベーコンとチーズが好き。
 でもこれも実はアメリカ人気質があるのではなくて、アメリカという土地にそうさせる何かがあるのかもしれない。日本人だってアメリカに行けば明るくなってベーコンとチーズが好きになったりしてね。そういうことはありえそうな気がする。帰国子女あるあるみたいなネタもあるしね。
 隣国の香川に行ったらうどんが食べたくなるんだけど、実はそれってうどん外食産業が強すぎる土地柄だから。一度香川のスーパーでうどんを買って帰ったことがあるんだけど、それですら普通のうどんとは違うんだからあの土地はおかしい。うどんのためにあるような土地だ。あそこではみんなうどんに飲み込まれてしまう。

 SMAPの『セロリ』で、育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ/夏がダメだったりセロリが好きだったりするのね、という歌詞があるけれど、実は積み上げられた経験や性格は絶対的なものじゃなくて、セロリが美味い環境に変われば自然とセロリが好きなるんじゃないかな。うどんって普段はあまり食べたいとは思わないけれど香川に行けば食べたくなるんだもの。

(2017/03/15 牛野小雪 記)
無題





アメリカと日本の商習慣について読んだ話(出版業界について)

 今はどうか知らないが、昔読んだ本で日本とアメリカの出版業界の違いについて言及していた本があった。その本によると、日米共に長篇の方が読者に与えるインパクトが強いというのは共通しているが、アメリカの新人作家はまず短篇をいくつも書いて金を稼いだり力をつけてから、アパートに篭って長篇を書き下ろすそうだ。日本ではデビューしてもわりと長篇を書く場合が多く(純文学を除いて)。その代わり文芸誌や新聞に連載を持って、長篇を書いている間の生活費を稼ぐスタイルらしい(連載していれば原稿料が入り、生活ができる。でも最近は枠が詰まっているから書き下ろしも多い)。

 KDP界隈でも幻夜軌跡さんはコンビニ戦記をシリーズで書くそうだ(現時点では、まだ一巻しか出ていない)。吉野茉莉さんの藤元杏も二巻目を出している(続編を出していないのは藤井さんぐらい?)。それを見ていて、ああ恐いなあと私なんかは思う。

 長篇を書くのはとても負担が大きく消耗が激しいわけで、それを一巻二巻と続けて書くのは考えただけでも恐ろしい。でもそこにはひとつ当たったら続けて同じ場所を撃ち続けて、ペンペン草も生えないぐらい(←この表現は古い!)市場をしゃぶり尽くさないとやっていけない出版不況が関係しているらしい。

 KDPというのはページ数に関係なく出版できて、大体の傾向として長篇を出している作家は少なく、短篇が多い印象がある。もしかするとアメリカの文学界みたいにKDPから未来の大作家が短篇を書きながら育って、いつか歴史に残るような大長篇を世に出してくるかもしれないな、なんてことを考えた。

まあ、別にその場所はKDPでなくても良いわけだけど、ここから出てくると良いな(そういえば上記の三人共KDP 以外の場所で活動してたね)。界隈がホットになれば、もっと面白くなりそうだと思う今日この頃でした。

 

(おしまい)

 
幻夜さん、吉野さんの本

牛野小雪、アメリカ文学にかぶれる

   僕は新作を書きあげる度に県外のある本屋に行く。その本屋は日本最大の売り場面積を謳っているだけに、売れ筋の本はもちろん、誰が買うのか分からないような本まで置いてある。

 それで僕はそこで意外な発見をした。海外文学といえば新潮文庫とハヤカワ文庫、このふたつの文庫レーベルが独占していると思っていたんだけど、この前その本屋に行った時に海外文学の本がハードカバーで売られているのを発見した。

 どうしてハードカバーが無いのか不思議に思っていた頃があった。この瞬間になるまで見かけなかったんだから、それは無い物だと思って当然だ。でもそれは単に近所の本屋に置いてなかったというだけで、あるところにはあったというわけだ。

 値段を見るとどれも当たり前の顔をして2,000円を越えていた。分厚い本があって、上巻の方を取ってみると4,200円とあって手の力が抜けそうになった。何とかピンチョンという変な名前の人だった。ピケティ本が6,200円で高いとニュースになっていたが、翻訳物は著者+翻訳者だから基本的に高い物だ。逆に言うと新潮文庫とハヤカワ文庫が安すぎる。

 僕はそこでシンプルな表紙の本を一冊だけ買った。今調べてみると中央公論新社とかいうこれまた聞いた事の無い出版社。うん、こういうところだ。普段は見る事の無い名前に出会うところがこの本屋の良いところだ。しかも三年前に印刷された本が初版で手に入るのはここぐらいだろう。これがあるから車を二時間飛ばすわけだ。

 そうそう、これだけは言っておかなくてはならないが香川でうどんを食べるときは二時までに食べること。そうしないと僕みたいにローソンのドーナツ二個が遅めのランチになってしまう。本当だよ、あそこは二時になるとうどん屋らしいうどん屋はみんな店を閉まっちまう土地だ。
 でもそういうところもやっぱり好きなんだ。四六時中店を開けているなんて狂気の沙汰だ。むしろ日本全国でうどん屋に合わせて活動するべきだ。

 その日から買ってきた本をちびちび読んでいたんだけど、ふとアメリカ人作家の本を僕はどれくらい持っているのかなと、気になった。海外文学といえばイギリス・ロシアの二大巨頭があって、そのひとつ下にフランスとドイツがあるみたいな印象が僕にはあった。
 さっと思い出せるのはヘミングウェイぐらいで、アメリカ人に作家なんているのかなと疑問に思っていたけど、調べてみると結構いた。ハリウッド映画と同じで身近にある物だから、すぐにそれと気付けないものなのかもしれない。でもやっぱり印象は薄い。ハリウッド映画だってすぐに思い出せる物は少ない。

 そういうわけで、というのはおかしいけれど、僕は今アメリカ人作家の本を枕の脇に積んでアメリカ文学にどっぷり浸かっている。

ヘミングウエェイはやっぱり短篇が良い。『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』これだけは何度読んでもいい。でも何だかんだで、やっぱり読みやすいのは『老人と海』だ。みんなの意見は案外正しい。

 

(おしまい)

ヘミングウェイの本
(老人と海が評価されてノーベル文学賞を取ったらしい)

ついでにこれも



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