「私達って女として終わってない?」と恵は言った。目の前には玲美と一子が座っている。四角いテーブルには、なめろうと一升瓶が置かれていた。


「普通、女が三人集まったらさ。間接照明のおしゃれなお店でワインをたしなみながら、ナイフとフォークで食べるような料理を食べて、上品におしゃべりするんじゃない?」と恵は言った。


 玲美と一子は顔を真っ赤にして、歯を見せながらにやにやしている。お酒が完全にまわっている証拠だ。


「そういうのは夜遊びに慣れていない子が背伸びしてやるもんでしょ。私達ぐらいになるとそういう堅苦しいことはやめて楽しくやるの」と玲美は言った。



 三人は油が染み付いた黒い看板の居酒屋にいた。女だけで入るにはためらわれるような店だが、半年前に酔った勢いでこの店に入ったのが通うようになったきっかけだ。店内の壁は看板と同じように長年酔っぱらいの酒くさい息を浴びて黒くなっていたが、ちゃんと手入れしているのか、きれいに黒光りしていた。店のおやじはやけに礼儀正しく、出てくる料理は他の店より一段上の美味さなのに値段は一段下の安さだった。あまり繁盛しないのは場所のせいもあるが店の外観が油で黒いことも一役買っているに違いない。


 三人は赤星病院という総合病院で事務の仕事をしている。残業がない職場なので、お金と暇があれば女子会ならぬ飲み会をした。


「おしゃれな女子会に似合うお酒と食べ物って何がある?」


 恵はなめろうをほおばりながら言った。


「やっぱりワインかな、それかシャンパン」と玲美が答えた。「それにおしゃれなお店でチーズフォンデュとかどう?」


「それ古いよ」と一子が言う。


「そうかな?」と玲美がわざとらしく頭をかいた。


「今時の女子会って何を食べるんだろう?」と恵は言った。


「チョコフォンデュ」と玲美がすぐに答えると


「またフォンデュ?」と恵はひやかすように言った。


「バーニャカウダっていうのもあったね。すぐに廃れたけれど。三つに共通するのは野菜かフルーツを何かにつけて食べること」と一子が考察した。


「それじゃあ、次も何かにつけて食べるものが話題になるの?」と恵が言った。


「分からないけれど、なめろうフォンデュじゃない?」


 玲美が箸でなめろうをすくって口に入れた。


「無い、無い、無い」と恵は顔の前で手を振った。


「私分かった」と一子が言った。「何かドロッとした液状のものに、食べ物を絡めて食べるものよね。それでおいしいもの」と一子は言葉を切った。恵と玲美は一子の方を見る。


「それは串カツ」と一子が言うと「無い、無い、無い」と恵と玲美は声を揃えた。


「そういえばチョコフォンデュもチーズフォンデュも二度漬けは禁止。串カツも一緒だね」と恵が言うと二人は笑った。


「話は変わるんだけれど、女子会ばっかりやっている人って彼氏がいないイメージじゃない?」


「彼氏がいたら女子会なんてやっている場合じゃないでしょう」と一子は言った。


「二人は彼氏いる?」と玲美。


「それがいないのよ」と恵が言うと「私もいない」と一子も言った。


「玲美は彼氏いるの?」と一子が言うと玲美は含み笑いをした。


「なに隠してるの、変に笑わないで言ってしまいなさい」と恵が問い詰めると「実はね、彼氏がいる」と玲美はあっさり白状した。


「え~、いつから?」と恵は声を上げた。


「三ヶ月前から。友達の期間を入れると五ヶ月かな。病院に彼が来た時に声をかけられた。よくある話で、最初は友達から始まって、落とせそうになったら彼女にするっていうあの手。まぁ、私はそういう手段だって始めから気付いていたけどね」と玲美は鼻を高く上げた。


「どんな仕事をしている人?」


「ドアを売る会社に勤めているんだって。住宅用から、工場、美術館、県庁に売り込むって前に言ってたよ」


「年収ってどれくらいあるんだろ?」


「一番多い時は九百万に届くかどうかで、もうちょっとで一千万に手が届くって言ってた」
「それってすごいよ」


「でも気をつけないといけないよ。年収九百万でも一千万でも、手取りがいくらあるか分からないし、その年収も基本給じゃなくて、半分以上がボーナスなら何かあった時にガクンと落ちちゃうから」と一子。


「だから、話半分で聞いてる。それに口が上手いってところがちょっと信用できないし」と玲美が言うと、少し間が空いた。


「でもね、話は面白いし、背も高くて、何よりいい男なの」と玲美は言って、にやりと笑った。


「ふーん、そうなんだ。彼氏っていえばさ、夜一人でいる時に欲しくならない? 私って一人暮らしだから、襲われたらどうしようかって恐くなる時がある」と恵が言うと「私もある」と一子が言った。「防犯のために見張りをしてくれる人がいると安心して眠れるのになぁ」


「彼氏じゃないけどさ、こういうのがあるよ」


 玲美がケータイを操作して、二人に画面を見せた。画面には丸いプラスチックの物が映っていて、その上にマモルクンと書いてあった。


「これを家に付けておくと、誰かがこれの近くを通った時にケータイにメールが送られてきて、誰かが家の中に侵入しましたって教えてくれるの」


「へえ~、どこで売ってるの?」と恵は言った。


「ここのサイトからでしか買えないみたい」


「値段はどれくらい?」


「五千円。配達は二週間後だけど、時間指定はできるし、代金引換か、銀行振込でお金を払えるから、クレジットカードを使わないで済んで安心だよ」


「まあ、考えておく」


「私は時間指定で夜八時に送ってもらって、お金はその時に払った。設置の仕方は任せて。私でも付けられるように丁寧に教えてもらったから私が付けてあげる」


「彼氏に教えてもらったんでしょ」と一子が言うと、玲美がエヘヘと笑った。


 時計を見るとこの店に来てから一時間半が経っていた。


「私ちょっとトイレに行ってくる」


 恵がそう言うと、一子が「私も」と言ってついてきた。二人でトイレに入ると、玲美も一緒に入ってきた。


 この店のトイレは意外に広くて、男女別になっているし、女子トイレに個室は三つあった。丁度三人で使える。それぞれ別々の部屋に入った。


「そろそろこの店出ない?」と恵は壁越しに言った。


「今飲んでいる焼酎が片付いたらね」と玲美の声が天井から返ってきた。


 三人同時にトイレの水を流して再び席に戻ると、玲美が瓶に残っていた焼酎を三人のコップへついだ。


「さっきトイレに行った時に思い出したんだけど」と玲美が言った。「ちょっと恐い話をしてもいい?」


「急になに」と一子は言った。


「私、呪われているかもしれないんだよね」


 玲美がそう言うと恵と一子の眉が上がった。


「場所はこの店なんだけどね」と玲美は語り始めた。


「私が一人でトイレに行った時にね、トイレに入ると個室は全部空いていたのよ。それで真ん中のトイレに入って用を足していたらドアをノックされたの。コンコンって。だから、入ってま~すって言ったんだけど、またコンコンってノックしてくるの。だから、もう一度、入ってま~すって言った後に気付いたの。隣は空いているのに、どうして私の所を叩くんだろうって。最初はあなたたちのイタズラかと思って、名前を呼んでみたんだけど返事がなくて、すごく恐かった。だけど勇気を出してドアを開けると」玲美はすうっと息を吸った。


「開けたら?」と恵は合いの手を入れた。


「そこには誰もいなかった。・・・・・・恐いでしょ?」


 玲美は焼酎のコップに口をつけた。


「そこそこね」と一子が言った。


「話はまだ終わっていないの」と玲美は続けた。「今度の話はね、自宅の話。トイレでノックがあった後の話」


「またトイレ?」と一子が言った。


「話の腰を折らないで、すぐ終わるんだから」


 玲美がそう言うと、一子は黙って話を聞こうという体勢になった。


「夜の八時ぐらいかな、一人でテレビをつけながらインターネットをしていたら、玄関を叩く音がしたの。その日は誰も呼んでいないし、親が娘の顔を見に来るには遅い時間だし、一体誰なんだろうって思った。変だなって思いながら玄関へ忍び寄って、そっとドアの覗き穴から外を見るとびっくりした。ドアの外には知らない男が立っていて、ドアをノックしているの」


「どんな男だった?」と恵は訊いた。


 玲美は恐怖に襲われたように目を大きくした。


「その男は青い制服を着ていて、その服と色が同じ帽子を目深に被っていた。そして、その手にはダンボールを持っていたの……」と言って玲美は二人を見た。「つまり宅配便の男がいたってわけ」と玲美は言った。


「なにそれ」と一子は焼酎に口をつけた。それを見た玲美はニヤリとした。


 三人はコップに残っていた焼酎を一気に飲み干した。


「宅配便のお兄さんがね。さっき言っていた防犯グッズ。あれを届けてくれたの。時間指定で八時にしていたのを忘れちゃってた」と玲美は言った。


「変な話しないでよ」と恵は言った。


「でもね、時々夜にドアをノックされたりしない?」


「私はないよ」と一子が言った。


「私もない、多分酔っぱらったおじさんが部屋を間違えたんじゃない? 私そういう話聞いたことがある」と恵は言った。


「そうだよね、私もそう思った。でも恐かった。一人暮らしは気楽で良いけど、こういう時は心細くなるんだよね」と玲美は言った。


 三人はそれで腰を上げて店を出た。三人の帰る場所は別々なので店の前で解散した。


 恵は部屋に帰ると玄関の鍵を上下二つあるうちの一つを閉めた。恵の住んでいる部屋はオートロック無しのエレベーター無し。六階建ての築十五年。部屋は四階で玄関に入ると廊下があって、突き当たりが居間とキッチン。その脇に寝室と物置があった。


 ドアには上下二つの鍵とチェーンがついていたが、毎回二つとも閉めるのは面倒なので下の一つだけを使っている。チェーンは一度もかけたことがなかった。この辺りは道路がきれいだし、不良がうろついていることもない。何なら鍵をかけなくても良いのでないかと思うぐらい治安が良かった。


 恵は居間に入ってソファーに倒れ込んだ。明日は休日なので、このまま眠ろうと思っていた。


 恵は携帯電話を出して、玲美が言っていた防犯器具を調べた。マモルクンという名前を思い出したので『防犯器具 マモルクン』と打って検索した。検索ページの一番上にマモルクンと出ていたので、そのサイトを見た。『マモルクンはあなたの代わりに家を見張ります。』と書いてある。


 恵は酔った勢いで画面の下の購入と書いてある場所を押した。代金の支払い方法が、代金引換、銀行振込、クレジットカードの三つの選択肢が出たので、代金引換を選んだ。画面が切り替わると、時間指定便になさいますかと出てきたので、はいを選んだ。ご希望の配達時間を選んでくださいと出てきたので夜八時を選んだ。すると画面が変わり、お買い上げありがとうございました。商品の到着は二週間後の予定になります。という画面になった。

(ドアノッカー 試し読み おわり)