真夏の夜の怪奇現象[NO.2] 闇夜のミドリガメ
真夏の夜に外を歩いていると怪異に遭遇することが珍しくない。
ある日、私が夜の散歩をしていると、道の先の夜行灯が照らす光の端に岩のような物が落ちていた。削れたブロックやレンガではなく岩。まぁ、この辺は田んぼがあって、その土留めに岩が使われているのだが、それにしたって妙だ。なんでそんな物が道の真ん中に落ちているんだろう?
奇妙な思いに駆られながら近づいていくと、影の端がきょろきょろと動いているのが見えた。どうやら岩ではなく生き物のようである。だが、それにしたって私が近付いても逃げない。妙だなとそばまで行き、しゃがんでよく見てみると、それは立派に育ったミドリガメ君だと分かった。彼は甲羅に足をしまって首を左右にきょろきょろさせている。
おりしも車がやって来た。ドライバーが気付かなければちょうど左のタイヤに敷かれる場所である。道路の伸されるのはちょっとかわいそうなので、用水路の方向へ蹴ってやると亀は意外に重くてちっとも動かなかった。本当に岩みたいだ。
蹴った瞬間のぬめっとした感触が気持ち悪かったので持つのは嫌だ。かといって伸されるのもかわいそうだ。しかし、亀ごときのためにドライバーに向かってここに亀がいるぞとアーピルするのは恥かしい。そこで私は亀のそばにしゃがんで、靴紐を結ぶ人を装った。車は私と亀を避けていく。ライトに照らされた亀は光を後追いするように首を動かしていた。
ここに放っておくと何だか車に轢かれそうなので、私は亀の後ろから地面を叩いてせっせと用水路の側へ急かした。すると亀はさっきまで出していた首も引っ込めて、すっかり亀らしくなった。ちっとも動こうとしない。そうこうするうちにまた車が来た。また靴紐を結ぶふりをするのも面倒になったので、今度は地面にいる亀を観察する学者の休日風を装った。車が通り過ぎていく。するとまた亀は首を出した。
私は亀のそばに立ち、そのへんに棒か板でもないかなと探していると、足元からざりっ、ざりっと音がする。やっと亀が歩き出した。私はよし、その調子だと後ろの地面を叩いて亀を急かすと、亀はまたしても頭や足を甲羅にしまい込んでしまった。また車が来て、私を避けて通り過ぎていく。今度の亀は頭さえ出さない。
待てど暮らせど亀は動かない。手も足も出ないとはまさにこのこと。さてどうしようかな。こいつはここで死ぬ運命なのかなと見下ろしていると、亀は思い出したかのように首をにょきっと出し、それに遅れて足も出した。
それからひょっこ、ひょっこと歩き出す。今度は手を出さずにじっと見ていることにした。亀は順調に用水路の方へ向かい、私から離れるほどにその歩みを速くした。といっても猫が地面のにおいを嗅ぎながら歩くときの速さなのだが……。
とうとう亀が用水路との境にあるガードレールとの境目まで来た。もう良かろうと私が動くと亀は急に動きを止めて、また甲羅に頭と足を引っ込めた。車がまた来る。ガードレールのほぼ真下なのでよもや轢かれることはあるまいが、一応私はガードレールのそばまで行って、ドライバーが亀を避けるようにした。
さて、さっきと同じように私が手も足も出さずに静かに見守っていると、亀はしばらくしてまた思い出したように頭と足を出して、道路と用水路の境目まで到達した。
用水路はアスファルトとコンクリートで固められて垂直に切り立っている。どうやって亀が用水路に帰った(どこから来たのかは知らないがたぶん帰ったのだろう)のかというと簡単な話である。亀は道路の端に半身を突き出して前足をパタパタさせると、体が自然と用水路の側へ傾き、宙を半回転しながら用水路の中へ背中から落ちた。バシャンと派手な音が鳴り、先客のウシガエル君達が慌しい音を出した。後に調べたところによると亀はカエルを食うそうである。不倶戴天の天敵が天から落ちてきたので、さぞ驚いたことだろう。
音の主いえば泰然としたもので、用水路の水面を音も立てずにパタパタと泳ぎ暗渠の中へと消えていった。図太い奴だ。きっと長生きするだろう。
火急の危機が迫っているにも関わらず尻を蹴っても亀は甲羅に引っ込んで一歩も動かなかった。だが、手も足も、ついでにいえば口も出さずにただ見守っていると亀は用水路に向かって真っ直ぐ歩き出した。何だか教訓めいた出来事だったので興味を惹かれた私は、帰ってからミドリガメについて調べた。やつは在来種ではなく北アメリカからやってきたそうだ。その名も『ミシシッピアカミミガメ』。在来種を圧倒してきているので社会問題になっている。30年前から問題になっているそうなので、私が在来種と勘違いしてもおかしくないわけだ。寿命は20~30年、もしかすると私より年上だったかもしれない。足蹴にしちゃってごめんね。
ちなみにミドリガメはカエルを食べるが、レンコンもかじるそうである。私が子供の頃、ちょうどその亀を見た辺りにレンコン畑があったのだが、いつしかそこは埋め立てられ、更地になってしまった。今はぼうぼうに草が生えている。もしかするとミドリガメのせいかもしれない。変なところで歴史が繋がってしまった。ちなみに『ぼくとリカルド』に出てくるレンコン畑とは関係ない。もっと広大なレンコン畑が徳島県北部にある。文字通り見渡す限りというやつだ。
さて、その題名に惹かれてここまで読んだ人はどこが真夏の怪奇現象なのかと訝るかもしれない。実は私も帰ってすぐは何とも思わなかった。
さっきも書いたように亀は道路から用水路へ転落した。逆に言えば転落するほど切り立った場所なわけだ。それならどうやって亀は用水路から道路へ上がってきたのだろう? まさかコンクリートの断崖絶壁をよじ登ったはずがあるまい。子供が捕まえて道路に放置したということもありえないではないが、それにしては遅い時間である。大人がしたのならそれこそ怪奇現象だ。
その道路は亀の薄っぺらく伸ばされた死体がときどき落ちているので、道路に上がった亀は今夜の亀君だけではないはずである。水面から足をパタつかせて空でも飛んだのだろうか? 岩のように重い体で(そういえば小亀は轢かれていない)? ちょっと考えてみたが私には分からなかった。
亀が道路に上がるのはまったくの謎だが、何かしらの方法で登ってはいるのだ。手品の仕掛けと同じでいざ知ってみれば、あっけない物かもしれない。でも、ここは謎を解かずに不思議は不思議のまま置いておく方がいいのかもしれない。誰も見ていない場所で亀は空を飛んでいるかもしれないのだから。
謎は分からないから謎である。また謎が必ず解けると思うのは人間の傲慢である。この件は分からないままここに記すことにした。
(おわり)
[2015年7月25日 牛野小雪 記]


