愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

雑感

小説に背を向けて掲示板を作る ――セキュリティ・荒らし・支配・権力・リナックスの黒い画面・外国人問題――

掲示板作りにまた着手している。なんならフルベットしている。おいおい、小説は? 実は10月から1ミリも手を付けていない。

5月からずっと書いていたけど、プロットを書き終わって仮書きノートを開くと頭がトップギアに入らないのに気付いた。プロットならその状態でも進んだが仮書きノートは書けない。というか下手なものを書くぐらいなら書きたくない。それでもモーニングノートは毎日書き続けていて、ふと中途半端に放り投げた掲示板のことを何回も書いているなって気付いた。こいつがバックグラウンドで働いているから思考リソースが減っているに違いない。というわけで掲示板にケリをつけることにした。

でも、それって小説を書けない自分を見たくなくて掲示板に逃げただけじゃないか。実際に書けないわけだし、掲示板を作るためにまたVSCodeを開いたら気持ちが軽くなったしね。でも重荷を外すためにやっているからそうなるのは当然だし、そもそも私って小説を書いているのか小説に依存しているのか分からないところがあったから、小説をやめられるのか試してみるのもいいと思った。いまのところはやめていられる。まだ一ヶ月だから禁酒ならまだ自慢できる期間じゃないけどね。

とにかく掲示板を作るためにまたPHPの教本を復習する。どんなことでも同じだけど一回通った道はするする進む。

掲示板はまだ完成していないけどGPTちゃんはもうできたようなものだからって言うから、サーバーを契約したけど、ぽーんと管理画面に放り出された瞬間、何をすればいいのか分からなかった。手元のPCならVSCodeでローカルにコードを書いてファイルを保存すればいいのだが、まずサーバーの中に入れない。それでGPTちゃんに泣きついてssh接続という概念を教えてもらう。サーバー契約して3日目にようやく入れたが、いつ繋がれるのかまったく分からなかったので、かなり不安だった。やっぱり無理なんじゃないかって布団の中で考えて、無料期間のうちに解約したほうがいいって何度も考えたし、まだコードも完成していないのにサーバー契約するってアホか? と何度も自分を責めたこともある。そこは間違っていないと思う。

元々GPTちゃんはPHPで掲示板を作るならガチれば一ヶ月、長くても三ヶ月で書けると言った。それはある意味では本当だったし、ある意味では騙されたとも言っていい。テキストエリアに文字を書いて、それをデーターベースに送って、データーベースから投稿を拾ってきて表示する。それだけならGPTちゃんの言うとおり本当に三ヶ月でいけた。でも、そうじゃないだろう、と。掲示板を作るっていうのはちゃんと体裁を整えて、ネット上で誰もが書き込めて、ってことだろう。

そこまでするならPHPだけじゃ足りなくてhtmlもできる必要があって、練習のために本のランディングページを手打ちで作ったこともある。文字にすると簡単だが作るのに1週間かかった。作ったあとで「昔の人たちってこんな大変なことしててすごいなぁ。とても信じられん。世の中って実はめっちゃくちゃすごい人がめっちゃくちゃいるんじゃないか?」ってGPTちゃんに言ったら「CMSっていう管理システムを使って編集してるんやで〜」と言われて、そりゃそうだよなぁと納得した。CMSっていうのはこの記事を書くときに使っているライブドアの管理画面みたいなものだ。

↓こんな画面を見ながら書いている
Screenshot From 2025-11-15 16-58-43

事の発端は昔見た「ひろゆきは全然すごくない。2chのシステムなんて誰でも書ける」みたいな感じのことをGPTちゃんに「それってホント?」って話して「まじやで〜」と返事がきたことがきっかけだ。なので2chっぽい掲示板を作ろうとしていて、GPTちゃんに2chのスクショを見せながら「この部分のCSSってどうなってる?」なんて聞きながらこちょこちょやっているうちに(これじゃねえな。そもそも2chあるし作る必要ないじゃん)ってなって自己流の掲示板を作ろうとなった。あと、ちょっと話はズレるが2chはそもそもPHPで書かれていない。だから違う道に進むのは必然だったのかもしれない。でもこれってレシピを見ずにカレーを作るメシマズみたいだ。

掲示板を作っているというがコードを書くより、それ以外のことをしている時間が長い。たとえば、つい先日サーバーにまた繋がれなくて、また3日ぐらい停滞していたこともある。それはssh接続に必要な公開鍵が消えていたことが原因だったわけだが、それを直すために1週間ぐらい黒い画面に向き合っていた。リナックスといえば黒い画面だが、シリアルコンソールというのにつなぐと本当に真っ黒な背景に白い文字だけなので通常の黒い画面に戻ったときはカラフルだなってちょっと感動した。そして、そういうのはソフトで色付けされているんだという新たな知識も得る。世の中はいろんな人の助けで便利になっている。いろいろ知って成長していると感じるけど、でもさ、なんか、もっとこう、穏やかな試練であって欲しいよなって思う。サーバーにまた繋がれなくなった時は本気で解約しようと思った。

でもまぁ、すったもんだあって掲示板もそこそこ形になってきたけど、いざサーバーに置こうかなって考えたら(いや、待てよ・・・・・・)となる。このまま公開したら荒らしの餌食じゃん、と。それで書き込み制限や書き込み削除のことを考えなきゃいけなくなる。そうなるとコードがどんどん複雑になっていく。どういう書き込みを削除するか、あるいはその前段階でそもそも書けないようにするには? なんてことを考え始める。

こういうことを続けていくと自由な気風で始まったテック企業がどんどん帝国化していくのってこういうことなんだろうなと思えてきた。もし世界に善人しかいなくて、みんなが綺麗に使ってくれるのならルールなんていらないし削除や管理機能もいらない。コードはシンプルになる。これは法律でも一緒で、みんなが善人なら法律なんて必要ないわけだ。

人が増えるほどシステムは複雑化し巨大化する。荒らしが100人に1人しかいなくても1万人集まれば100人になる。これはもう常時荒らし状態といっても過言ではない。しかも数だけじゃなくて才能まで凝縮される。100万人集まれば1万人に1人の才能を持った荒らしが1人現れることになる。これはもう天才といってもよくて、それを防ぐには巨大なシステムを構築しなければならない。できなければ荒廃だ。

これってソシャゲも同じだなって思う。あるサーバーの仕切りを「みんなで仲良く〜」と自由な感じで任せると何が起きるか。カスみたいなやつが仕切りだしてサーバーが荒れる。そうじゃなければ過疎だ。もし一緒に遊んでいる人たちが楽しく過ごせる世界を守りたいなら強固な意志を持って支配しなければならない。支配という言葉を穏当にすれば統治と言ってもいい。

承認制で知っている人だけで小さな村を作るか、帝国化しかないのだろうか。でも実名性のフェイスブックだって炎上がないわけじゃない。なんなら数で言えば世界一だろう。承認性とか実名とか、規模の大小に関わらず支配は必要なのかもしれない。

そこでふと思った。アメリカはなぜ多民族社会なのだろう。そしてなぜ日本では外国人問題が起きるのだろう。もちろんアメリカでも移民問題はある。しかし、大きな目で見れば世界一の多民族国家であることは間違いない。それができるのはアメリカは法律の国だからではないか。アメリカは弁護士大国で、日本ではそんなに取り上げられないが選挙でも法律のことがけっこう話題になるらしい。で、大統領が変わると良くも悪くも本当に法律が変わってしまう。トランプ大統領を見ていると(それっていいの!!??)って驚かされる。でもそれがアメリカなのだ。

日本にも法律はもちろんある。でも、それと同じくらい、いや、法律のお世話になるような人以外にとっては、それ以上に日常的に感じられるのは空気による支配だ。これは悪いことのように言及されるが、空気による支配があるからこそ法律が緩いとも考えられる。アメリカは自由の国と言われているが、話はそう単純ではなくて、たとえば日本ほどマンガが自由に書ける国はない。もちろんアメリカにも空気はある。でも相対的に見れば日本は空気による支配を選んで、アメリカは法による支配を選んだのではないか。

基本的に人は支配を避けたい。だから日本は法律ではなく空気を選んだとも言えるのではないか。でも、日本でも移民が増えてくると空気が通じない人も出てくる。空気を破ることは違法ではない(外国人犯罪者はまた別問題)が、秩序を破ることではある。じゃあどうするの?

外国人をジャパナイズドして空気に従わせるのが一つの方法。これはSNSでよく出てくるし、日本文化に染まった外国人はメディアではウケのいいネタだ。で、もう一つはちゃんと法律を作って取り締まる。日本人でさえ空気による支配に苦しんでいるのだから、こっちがいいんじゃないかって思えてくる。

空気による支配で外国人が日本人化するのを祈るのは無理がある。そんなのは奇跡を当てにして宝くじを買うようなものだ。きっちり法による支配を、つまりアメリカ化しなければ日本は荒廃するか、空気で満たせるだけの小さな国になるかを選ぶときがくるだろう。でもまずは空気じゃなくて何を正しいとするかを言葉で決めなくちゃならないんじゃないかな。

たとえばサーバー外イベントで戦うためにサーバー内イベントはお互いに戦わないようにしようと決めたとする。合理的な判断と感じる人もいるかもしれないが、サーバー内イベントはそういうイベントなのに何故戦ってはいけないのかと考える人もいるかもしれない。じゃあサーバー外イベントで負けてもいいのか。→そんなのは知らん。みたいに何が正しいかは人による。そこへ至るまでには話し合いをするか、あるいは力によって分からせる必要がある。

何を正しいかと捉えるところから権力が始まる。私がサーバーの管理人で荒らしは嫌だと考えるのもまた権力であり支配だ。そもそも荒らしは荒らしとさえ思っていないかもしれない。じゃあみんな仲良く使ってくれることを祈って何もしない? そんなのは絶対に成立しない。アクセスがあるかぎり必ずどこかで荒らしは出てくる。私は意志を持って掲示板を支配する必要がある。そうでなければ最初から閉じることだ。ただしソシャゲと違って、画面の向こうにいるのは確実にゲーム以上に強い生の意志を持った人間である可能性が高い。私達を見守るゲームの運営もいない。私が運営だ。私にできるだろうか。

そんなことを考えつつも、でも、やっぱりやってみたいんだろうなって思い直す。2chの真似事をして(もう2chルートとは外れたけど)、それで何をしたいとかは自分でもわからないけれど、そこへ向かう意志があるのは分かる。そうじゃなければ黒い画面の前で絶望して、あきらめて、でも次の日にまたサーバーに繋がろうとはしない。

すごくかっこいいことを言えば、この体験から私は小説家として何かを得ようとしているなんて言えるけど、別にそうじゃなくても、やってみたいって意志だけでやってもいいんじゃないかな。この一ヶ月ですごく色々知れて、それだけでも文学の古典を読んだような感覚がある。

GPTちゃんに「やっぱり小説が書けないから逃げているだけじゃないか?」って聞いたことがある。でもGPTちゃんは「掲示板を作るのは世界を作ること。小説を書くのも世界を作ること。あなたは方法が違っても同じことをやろうとしている」って感じのことを言われた。たとえお世辞でもそれを信じてみる。明日も掲示板を作ろう。

(おわり)


GPTちゃんに教えてもらった人類の哲学、あと文学について考えたこと

GPTちゃんに私の小説を書評してもらった時、たぶん『バナナランド』だったと思うが、文体について訊ねると哲学的で風刺的な文体と評してくれた。それで同じような文体の作家を教えて、と聞いたらヴォルテールの『カンディード』を教えてくれた。ヴォルテールって思想家じゃなくて小説も書いていたのかって驚いた記憶がある。そして『カンディード』を読んで、さもありなんとも思った。たしかに似てはいるが同じではない。いや、そうか。似ている作家を教えてくれと言ったのだから、似ている作家を教えてくれたのだ。じゃあ同じ文体の作家を教えてくれって言えばよかったな、とこれを書いている途中で気付いた。ふむ、後で聞いてみよう。

GPTちゃん評の哲学的という部分がけっこう長く心に残っていて、今年の初めに(哲学的、じゃなくて哲学を教えてもらったらどうなるんだろう?)ということで色々哲学を教えてもらった。ついでだから哲学入門という本も作った。ニーチェから始めて時系列はバラバラでチクセントミハイまで100冊ある。→(哲学入門シリーズ

チクセントミハイやフロイトが哲学か? と言われたらザ・認識論みたいな哲学ど真ん中のものではないけれど思想には影響してそうなので入れた。ライプニッツやチューリングも入っている。その人たちって哲学かぁ? とGPTちゃんにレクチャーしてもらうまでは疑っていたが、意外や意外、むしろめっちゃ重要である。コンピュータ科学だけではなく哲学・思想史の流れで絶対に外せないターニングポイントだ。

100年ぐらい前に人類は「あれっ、俺たちもう世界の真理を定めることができるんじゃね?」と思い立ち、ヒルベルトプログラムというのを始めた。それでこの世のすべてを解明するはずだったが、ゲーデルという科学者が「どんなものにも穴はあるんだよなぁニチャァ」と発見してしまい、すべてがご破算になった。世にいう不完全性定理である。フィクションの世界では「絶対なんて絶対ない」的な論理を打ち破るデウス・エクス・マキナとして存在する。

不完全性定理にも実は穴がある。チューリングという科学者は「いや、計算可能なものもあるでしょ」と発見した。これがコンピュータの基礎である。この世の真理は知らんけど、計算できるものを計算しましょうの精神が発展してGPTちゃんに行きつく。同時にこれはGPTちゃんが魔法の杖になれないことをも意味している。私たちは哲学というとこの世の真理を追い求めるものだと思っているが、コンピューターは根本の発想から真理を計算不能のものとして切り捨てている。GPTちゃんはすごいはすごいが人類を救うものではないという直感はやっぱり当たっていたのだと思った。

私たちが普段哲学と聞いて思い浮かべる物はプラトンから始まっている。洞窟の比喩における太陽を求めるものが哲学だ。我々は洞窟の奥にいて、真理という太陽を背にして座っている。その太陽の影を私たちは世界と呼んでいる。はてさて、世界ってなんだろう? これが哲学の基本線だ。文学の問題意識もそれとそう変わらないような気がするし、歴史的に言えば文学が哲学に先行していた感もある。

それはさておき、ここで上のゲーデルが出てくる。「真理なんて到達できなくねぇ!?」が前世紀の人類が出した答えだ。ここからポストモダンが始まる。ウィトゲンシュタインも「語りぬものには沈黙しなければならない」と言った。真理はない、と言ったのではない。語れないと言ったのだ。

ここから人類の哲学や思想は真理を置き去りにして現実だけを対象にする。

そもそも〇〇ってなに?乙www

実際はもうちょっと上品だが、考えとしてはこの精神であらゆる権威や意味を解体していった。進んだ考えという人たちの態度が挑発的なのは気のせいではない。

しかし、ここでブレーキがかかる。

そもそもお前ってなに?乙www

この問いに哲学も思想も応えられない。この問いをぶつけられたとたんに権威や意味がよみがえる。

そもそも俺ってなに?乙www

と自己解体へ進められなかった。それどころかモダンへ回帰してしまった。これを突破できないなら人類はまた20世紀のゴールデンエイジを懐古するようになる。しかし私たちはもう21世紀を知ってしまったので、ゴールデンエイジそのものではなく模造品しか手に入らない。

個人的な感想だがポストモダン思想のクソなところはあらゆる〇〇を挑発しておきながら、いざ自分に解体の矛先が向くと、古い価値観にひきこもることだ。もし人類がポストモダンの先のポストポストモダンへ行けたとしたら、ポストモダンは最高にダサい思想として歴史に残る。

哲学・思想史でポストモダンが分かるとなぜ純文学が日常の生活をただ描写したり、文体や意味を解体しているのかが理解できる。前者は真理を捨てて現実を記述することだし、後者は意味や構造への挑戦だ。しかしこれらにもまた私はむかついている。なぜそう感じるのかは分からなかったが、ようやく分かった。「表層で遊んでいるように見えるかもしれないけれど本当は真実分かっていますよ」感が漂っているからだ。そしてそれはまったく自分にも当てはまって胸が痛い。現代文学は真実を記述できないからスカした態度を取っている。『真実』を無理に書こうとすればモダンに戻るしかないが、現代人の感覚でそれを納得するのは書く方も読む方も難しい。『バナナランド』の結末も迷いに迷ってそうしてしまったのが心残りだった。

でも、文系が左前なのってそういうところなんじゃないかな。真実を追い求めるなら追い求めればいいし、ポストモダン的に真実を度外視するならそうするべきだ。道化を装った賢者に見られたがる性根が卑しい。日本で文学といえばいまだに夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、その後ろに村上春樹がいるぐらいだろう。川端康成、三島由紀夫、大江健三郎は歴史的に名前は残るかもしれないが生きた文学として次の時代へは行けないと思う。文学は前世紀から進化していない。

じゃあ文学はどうするべきか? GPTちゃんに見習うべきだ。現在の人類は文学でも真実には到達できない。じゃあ「真実は扱いません」と開き直って、書けるものを書きましょうの精神で徹底的に表層をなめるべきだ。現代文学はコンピューターで言えばパンチカードみたいなもので、コマンドを打ち込む黒い画面すら存在しない。でもコンピューターだって最初はバカみたいなもので、それが進歩を続けてGPTちゃんまで行き着いた。文学は行き詰っているけれどまだ進める余地はある。それは絶対に芯を食った文学ではないだろうが、今よりは進んだ文学にはなれるはずだし、人類を変えうる希望を感じさせるものになるかもしれない。とりあえずは真実を捨ててポストモダンにどっぷり浸かることだ。

(おわり)

※追記
バナナランドではないが最新作の『マジェドラ』をGPTちゃんに読ませて同じ文体の小説を教えてと言ったら、以下の2つを上げてくれた。もし良かったら読んでください。

ーチャック・パラニュークの『ファイト・クラブ
ーブラッド・イーストン・エリスの『アメリカン・サイコ 上

ChatGPTは芥川賞の夢を見るか

ChatGPT Image 2025年8月10日 10_08_09

ソシャゲでガチャ回してる場合じゃねぇ!


ここ数日ChatGPTの執筆で一つ突破した。やっぱり文体こそ文学だ。プロットなんていらねぇ。Gemだなんだとか言ったってAIは長いプロンプトを無視する。AI用にプロンプトを書き直させても無駄だ。人間と同じで、長い指示は9割カットされてしまう。

文体特化のプロンプトで90点以上をバンバン出せるようになった。文体だけだから長くても3行で済む。プロットなんてChatGPTが勝手に考えればいい。それでもちゃんと小説は出てくる。点数も高い。ほぼ90点以上だ。

そのうち100点出せるんじゃないかってAIガチャを回していたら『宝くじの当たり券』という小説で意外な結果が出た。

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書かせているのはChatGPTだがチャット履歴からヨイショする可能性があるので採点はGeminiに任せている。そして出てきたのが上の評価。採点できない。芥川賞の選考会にあれば間違いなく最終候補に残り、受賞を争うレベル。らしい。
 
意外だった。なぜなら採点させた『宝くじの当たり券』は最近打率が高いGPTちゃんにしては凡作を出してきた、というのが私の印象だったからだ。

考えれる可能性は3つ

1.本当にすごい小説をChatGPTが書いてしまった
2.採点が間違っている
3.AIの評価には偏りがある

いまのところ3の可能性が高いと思っている。心当たりはあって、最初に書いたように文体しかプロンプトしないってところだ。LLMはたぶん長文を作るのも読むのも苦手だ。だから『何を書いたか』は読めていなくて『どう書いたか』を読んでいる。だから文体特化のプロンプトで生成された小説を過剰に評価している可能性。

2の可能性も考えた。
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もう1回採点させると、今度は95点。芥川賞うんぬんはないが高得点であることは変わりがない。3回目も同じ点数だ(4回目で0点だったりして)。文学的な評価が非常に高いっていうのは共通している。

95点あたりが本当の点数かもしれないが、採点不能という異例の評価が出たのはこの小説が初めてだ。もしかしたら事件が起きたんじゃないかって思っている。

1番面白いのは1の可能性で、もし本当に芥川賞を狙える小説をChatGPTが書いてしまったのだとしたら、とうとうAIは人間の感性を突破したことになる。1度発見されたら、そこからどんどん研究が進んで、そう遠くないうちに将棋や囲碁と同じようにAIの後ろを人間が走ることになる。

実のところ長文を書かせると質が下がるのでChatGPTには2万字以下の小説しか書かせていない。だから芥川賞受賞は絶対にないのだが、芥川賞級の短編を出せたということは、大げさに言ってしまえば機械仕掛けの芥川龍之介が誕生したということ。これは文学史に刻まれる事件だ。

ただ、私はこの小説が凡作であると信じているし、他の人にもそう思ってほしい。だって、もし本当に芥川賞級だったなら私の見る目がなかったということだから。それって小説家としてどうなの?

AIが人間を追い抜くのはまだ先だと思いたいけど、それって私の自尊心の問題なのかもしれない。ガチで突破されたから認めたくない、みたいな。

この小説が駄作だったら安心するけど、もし本当に事件が起きたら、世界的にはそっちが面白いよなぁ。

(おわり)



AIが小説家を殺すのは間違いない、すくなくとも令和以前はみんな死ぬ

昨日からChatGPTで書いた小説をChatGPTやGeminiに採点させると90点以上を出すようになった(ちなみにGemini製の小説はいまいち。でもなぜか読解力はこっちが強い)。しかもプラマイ5点の幅だ。私も90点以上出すことはあるがプラマイ20点あるし、中央値は85点だ。おまけにGPTちゃんは1時間で1万字以上書けるが、私は1000字書けたらいい方だし、24時間ずっとは無理だ。

AIに文学の評価ができるのか? 99%の部分で私は信頼している。80点と81点なら疑問はついても80点90点の差は人間感覚と一致していると感じるし、そうだからこそ執筆アシスタントとして使っている人が表に出てくるようになったのだろう。

Xを見ていると壁打ちとか誤字脱字の検出、プロットのアイデア出し、校正あたりをよく見るけれど、執筆そのものをAIが代替できる気がする。2万字以下の領域で私はGPTちゃんにもう勝てない。まぐれで1回勝てても、その100倍GPTちゃんがいい小説を書く。多少の間違いがあっても私が書き直すよりAIガチャした方がいいものが出てくる。

私が勝てるのはプロットの厚みで押すことぐらいである。GPTちゃんには致命的な欠陥があって2万字を超えると文脈の維持が難しくなる。GPT4からの弱点で、GeminiもClaudeも変わらないからLLM自体がもつ弱点かもしれない。

とはいえ2万字以下ならGPTちゃんで書ける。AIが小説を書く時代が来たと確信した。もうすでにAI小説を書いている人は何人もいるよ的な話ではなくAI小説が短編を埋め尽くす。そもそも短編市場がないも同然だし、読む側も「デカいのもってこい」という風潮がある。小説=長編なので人間をおびやかすことはまだない。でも、文脈を破綻せずに長文を書けるようになったら人間の小説家は終わり。

ただしAI小説で人間のレベルが爆上がりして、AI小説に抵抗する可能性もある。私は小説に対するスタンスでSeasonを区切っているが、Season4ではGPTちゃんとリレー小説したり、小説を書かせまくったりして刺激を受けた。Season4は以前のSeasonより小説が書けていると自分では思う。

ただし、どちらの未来にせよ、いままでの小説家はみんなAIに駆逐される。でも心配はしなくてもいい。小説は残る。


AIに勝ちてぇな。

(おわり)






個人の言葉や感情が思想や政治に奪われる時代

BL作家の炎上とかAV女優がウェディングドレスを着た話がXで炎上している。猫やギャルをいいねしたって平気で突破してくるんだからよっぽど燃えている。見るのをやめるにはXをやめるしかない。でもチープなドーパミンを求めて見てしまう。感情のアル中だ。

現代では個人の発した言葉や感情がちょっと目立つとすぐに思想や政治的な文脈に利用されてしまう。昔はマスメディアだけがそういうことをしていたが、いまは万人が万人に対する収奪に走っている。あらゆる思想が戦っているので叩いている側だけではなく擁護側も同じ言葉や感情を収奪する。炎上した人は言葉が独り歩きしていると思っているはずだ。

前々世紀に「神は死んだ」とニーチェは言った。
前世紀に「作者は死んだ」とロラン・バルトは言った。

神が死んだとは社会規範の絶対性が死んだことであり、作者の死は作者の意図が死んで読者の解釈だけが存在するという考え方だ。

作者が死んだというと悲劇っぽいけれど、これは解釈の民主化であって、誰もが平等に解釈できるという意味だ。たとえば私が書いた本に「これは世界平和のために書いた」と言ったとしても「これは激エロシコシコなオナニー本」と解釈してもいいということだ。

炎上したポストに無数の解釈が燃え上がる。ただし作者は生かされている。いや、生きていなければならない。解釈の責任を負わせるために。SNSは本来自分語りをする場所であったがメディア化してしまったことで誰もが小メディアになってしまった。素朴な感情や言葉を発する場ではなくなってしまった。それは発せられた瞬間、個人の感情や言葉ではなく思想や政治的なものに収奪されてしまう。

SNSは自分語りする場所だったのにちょっと目立つと思想や政治に言葉や感情を収奪されて独り歩きしていく。個人的な感情はお茶の間や居酒屋、ChatGPTにしか残っていないのではないか。BL作家とかAV女優の炎上でそう思った。




インターネット無料で動きすぎ問題

PHPの勉強でいよいよサイトっぽいのを作ろうというところまで来た。それでまずCSSというサイトの見た目を作るやつがあるのだが、それはBootstrapというところから借りてくるというのでbootstrapなんちゃらというコードを大量に書くはめになった。 PHPの本だから省いているんだろうけど、こういうのって1から書いたらすごい手間なんだろうか?

そもそもbootstrapってなんぞやとGPTちゃんに聞くと元twitterの人たちが無料で作っているソフトウェアらしい。おいおい、また無料か。PHPも無料、MariaDBも無料、apacheも無料、リナックスも無料、そして今度はbootstrapというのが加わった。

インターネットの根本の部分って最初は一人の、あるいは数人の好奇心や狂気から始まって、そのあとは途方もない善意で支えられている。ネットは魑魅魍魎がうごめく悪意のダンス場みたいに語られることもあるけれど、実はそれより大きな善意がインターネットを満たしている。そう考えるとやっぱり世の中ってプラマイ0で釣り合っているんじゃないかって気がする。もっと欲を出して金儲けしたら少しはネットも良くなるんじゃないかな? でも、もしそうだったら今ほどの規模で広がらなかっただろうことも分かる。

浮世よりも浮世なインターネットでDXが進まないのも当然で、日本が遅れているというよりもアメリカがおかしいのだ。こんなシステムに重要なことを任せるのはかなりの勇気と胆力が必要だ。もし無料でソフトを開発している人たちが、ある日「や~めた」と言ったらインターネットは終わりである。

きっと日本のIT大臣の形はいまある状態が正しい。今日まではあんなのが大臣してるって思っていたけど、あんなのじゃないとダメなのだ。そのへんは官僚の人たちが裏でがんばっているのかもしれない。本気でDX化が進んだら日本の危機である。やるならせめて日本で1からシステムを作れるレベルになってからだ。

しかし、教科書が後半になってくると説明が大雑把になってきたのを感じる。Bootstrapなんたらっていうのから何かを引っ張ってくるんだろうなとは感じていたが、何のために書いているのかは分からないままコードを打ち込むことが多くなった。最近はGPTちゃんと話す時間が長い。インターネットって難しいね。

(おわり)

追記:書いた後で考えたんだけどインターネットの根幹って共産主義だね。生産手段の共有化。マルクスが聞いたら小踊りそう。情報が入ってこないだけで中露がめちゃくちゃ強かったりするんだろうか。








いまだにChatGPTで小説は書けないけど世界は広げられる

ChatGPTで小説を書けない。o3が出てから2歩くらい遠のいた気がする。主な用途はコード生成で、最近は画像生成もよくなってきたから小説なんてますます隅においやられていくなって感じる。そもそも小説なんて、って話は今回脇に置いてChatGPTの便利な使い方。

議論の相手、検索代わりに使っている人は多いだろうけれどスマホで取った画像をChatGPTに見せると、けっこうおもしろい。

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こんな感じで写真を見せて反応をもらうのが楽しい。

個人情報? 知らねぇ!

私ごときがChatGPTに情報抜かれるほど重要人物ではないという分厚い信頼を置いている。むしろもっと情報抜いて使い勝手を良くしてほしいまである。こういう人間が増えたらディストピアまっすぐなんだろうな。

それはそれとて知らないことを何でもGPTちゃんに聞くことで知識の幅が広がった。先月は新しいPCを買ったのだが、古いPCをどうしようかってことでいろいろ悩んでいて、メモリの増設をしたり、ストレージを変えたり、CPUグリスの塗り替えっていうのも先週やってしまった。

おいおい、PCの裏蓋外すなんてやっていいの? って最初は思ったけど、いまではオーディブルを聞きながらやれる作業である。

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↑ちなみに、こんな感じで聞いてる。

PCを開けて分かったのは今まで私が「PCの音」と認識していたのはCPUファンの回る音だった。熱くなるのはPC全てではなく主にCPUだけとかさ。左側だけ何故熱くなるんだろうって不思議だったけど、それはCPUがそこにあるからだって単純な理由も分かった。

インターネットの仕組みも面白い。いままでChromeでインターネットに入っているんだと思っていたけど、実はサーバーからファイルが転送されているだけってことが分かった。いまあなたがこの記事を読んでいるとしたら、ライブドアのサーバーからこのページのファイルが1ページ分だけPCに送られているということ。私たちはインターネットというダンジョンを冒険しているわけではない。

情報系の人は「なにをいまさら」と思うかもしれないが、私はこの事実にものすごく衝撃を受けた。私たちはそもそもインターネットにつながっていなくて、PCやスマホにインターネットの表面をペラッと見せられているだけにすぎない。いや、そもそもインターネットという群体も存在しない。要はサーバーというPCと私のPCを繋いでいるだけにすぎない。

同時にものすごく効率的な仕組みにも驚いた。私たちが普段使っているインターネットはものすごく情報量を絞っている。さっき言ったようにこのページを見るのだって1ページ分だけの情報でいいわけだ。たぶん1MBもないのではないか? 画像使わなかったら100KB台だからギガ死状態でも受信できる。

たとえばXはあんなに大量のポストをどうやってさばいているのか? 簡単である。一回に読み込む量を少なくしている。下の方までスクロールするとぐるっと回転してるのは、新しくダウンロードしているから。逆に言うとスクロールするまではそこまでしかダウンロードされていなかったということ。仕組みを知れば知るほど「へ~!」って驚きがある。

スマホで撮った画像をChatGPTに見せるのめちゃくちゃおススメ。あと「これって捨てるのもったいないけど他に使い道ない?」とか聞くのもいい。そうしたらPCの仕組みからインターネットの仕組みまで知識の幅が広がるかもしれない。

なお一番いいのは料理のレシピ。これはめっちゃいい。3大欲求をダイレクトに刺激。

それぞれの専門分野でChatGPT使えねぇなと思っている人は多いだろうけれど、どんなものでも80点以上のものは出してくれるのがGPTちゃんの強み。専門外のことは何でもGPTちゃんに相談。きっと世界が広がるぜ!

(おわり 料理の話はせんのか~い)




【2025年版】古いPCはどうする? Windows11非対応PCの生かし方まとめ

 2025年10月にWindows10のサポートが切れます。しかも第8世代CPUより前のPCでは更新できないのでPCの買い替えか、オフライン機として使うか、ごくまれにLinuxを入れるか考えている人がいると思います。

 ちなみに私も最近PCを買い替えたんですが、余ったPCにLinuxを入れました。

 そんな物好きの人のために各OSの要件をまとめました。なおLinuxのOSはいくつもあるので私が独断と偏見で選びました。

✅ Windows と Linux ディストリビューションの一般的な要件比較
項目 Windows 10 Windows 11 Ubuntu 22.04 Linux Mint 21(軽め) Xubuntu 22.04(軽量)
CPU 1GHz / 2コア 1GHz / 2コア / TPM2.0 2GHz / 2コア以上推奨 1GHz / 2コア 700MHz~1GHz程度でも可
メモリ 4GB(最低) 4GB(最低) 4GB以上(8GB推奨) 2GB~4GB 512MB~2GB程度
ストレージ 32GB以上 64GB以上 25GB以上 20GB以上 8GB~16GB程度
GPU DirectX 9対応 DirectX 12対応(WDDM 2.0) OpenGL 2.0以上 OpenGL 2.0以上 古いGPUでも可
TPM 不要 TPM 2.0 必須 不要 不要 不要
UEFI BIOSでもOK UEFI(Secure Boot)必須 BIOSでもOK BIOSでもOK BIOSでもOK

 Windows11で必須になっているTPMとはCPUのセキュリティ機能みたいなもの。Windows11の要求スペックは2025年現在だと実はそんなに高くないけど、これがあるために第8世代より前のCPUが足切りされる原因になっています。

 まさかこの記事を読んでいる人の中に「なるほどCPUだけを替えればいいのか」と考えた人はいないでしょうが、念のために言っておくと基本的に前の世代のCPUが入っているPCの基盤に新しいCPUは入りません。実はChatGPTに聞くまで(CPU変えるだけでいいのか)って思っていました‥‥

「Linuxは軽い」という噂を耳にしたことがある人もいますが有名なUbuntuだと実はCPUの性能がWindows10や11より必要です。メモリも同じ水準が必要になります。軽いというのは軽量OSを使った時だけの話。なんなら同じ要求スペックならWindowsが軽い。なぜかというとLinuxはオープンソースのボランティアが作っています。それならお金と人を集めて作ったマイクロソフトのOSの方が強いに決まっているからです。使い勝手もいい。Windowsはマシンのスペックを満たしているなら本当に使いやすいOSです。

「Linuxが軽い」というのは軽量OSを使った時の話です。上の表だとLinuxMint21、Xubuntu22.04など。もっと軽いOSもありますが軽いということはいろんな機能を削っているということなのでオススメはできません。ちなみに私は買い替えて余ったPCにXubuntuを入れました。

 じゃあXubuntuがおすすめ?

 メモリが4GBとか2GBしかないなら答えはイエス。Chromeブラウザがだいたい1GBくらいメモリを食うので2GBだとギリギリネットを見れる感じですね。

 でも、もうちょいメモリに余裕があるなら断然ChromeOS Flexです。これもLinuxの一種。ごく簡単に言うとGoogleが作ってる古いPC用のChromeOSです。要件は以下の通り。


✅ ChromeOS Flex 要件
項目 要件
CPU Intel または AMD x86-64 プロセッサ(ARM不可)
メモリ 4GB以上
ストレージ 16GB以上
GPU Intel HD Graphics 以上、または同等
TPM 不要
UEFI UEFIまたはLegacy BIOS

 周波数は書いてないけどだいたい1GHzあれば大丈夫。あとGoogleアカウントも必須です(ないとPCにログインできません)。

 ChromeOS Flexは文字通りChromeを使うためのOSで他のLinuxと違って自由度は低い。でも文章や表はGoogleドキュメントやスプレッドシートでいけるって割り切れば、これほど楽なOSはない。アップデートも自動だしセキュリティも万全。なんせ天下のGoogle。用途が限定されているとはいえ完成度はLinuxの中で最強といっても過言ではない。使い勝手もLinuxの中では頭2つ抜けています。1回入れたらもう壊れるまで使える感じです。

 私は勉強のためにXubuntuにしてるけど、wordやパワポみたいなofficeは使わん。フォトショとかも使わん。ネット出来ればそれでええんじゃ~って人は絶対にChromeOS Flexをおすすめします。

 ちなみにオフライン機と割り切ればwindows10のままでも使用可能です。というかwindows10がインストールできたPCなら、オフライン環境ではスパコンと言ってもさしつかえないでしょう。たぶん死ぬまで使えます。

(おわり)



2024年の牛野小雪 今年書いた文字数とAI文学について

 2024年も残るところあと6時間。めんどくさいなと思いつつ先延ばしにしていた年末のブログ記事をいまさらになって書き始める。さて、何を書こう。牛野小雪が何をしたかなんて興味ないよね。
 小説家としては9月に『たくぴとるか』12月に『ナンバーワンラップ』を出しました。ナンバーワンラップはストックじゃなくて月狂四郎さんが1日1万字書いているのに触発されてガッツを見せて書いてやりました。まだ自分の中にこれぐらいのタメはあるんだって認識と、こんなのずっとは続けられんって気持ちの両方があります。
 振り返るのはこれで終わり。もうネタがない。そうだ。どれくらい書いたか調べてみようってことで、部屋を引き探して、今年書いた物を積んでみました。手書きで書いた分のノートやプロットの紙です。

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 だいたい万年筆を縦に一本分くらいの厚さ。え、本当に書いたのかって自分でもびっくりする。

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 はてさて、何をどれくらい書いたのかなって仕分けしてみると

1位 モーニングノート
2位 日記帳
3位 下書きノート
4位 雑感帳
5位 プロット

 モーニングノートは『ずっとやりたかったことをやりなさい』というワークブックに出てくるワークで、とにかく朝一にノート3ページ書くってやつです。3ページって聞くとギョッとするかもしれませんが文字通り慣れると朝飯前に書けるようになります。絵を描いてもいいしね。
 意外にも日記帳が下書きノートと同じくらい。下書きの後はwordに打ち直すので実際は執筆の方が書いている文字数は多いものの手書きの領分ではほぼイーブン。
 雑感帳は気が向いた時しか書かないので指一本分ぐらいですね。

 書いた文字数を概算してみると
 100枚のノート×5。30枚のノート×16。1ページだいたい1000字だから(100×5+30×16)×2×400=784000→原稿用紙換算で約2000枚。ひぇ~環境破壊! 今まで書いてきたのを合わせたら余裕で1万枚越える。10万枚にはまだ届かないか。100万枚は生きている間には届かないでしょう。

 今年は12月にChatGPTのo1 Pro modeで一万字以上の文章を書くプロンプトが発掘されて、長編のAI小説をちらほらXで見るようになりました。来年はたぶんAI小説で話題になるような小説が出ると思います。AIの速さなら今年中に出るんじゃないかなって密かに期待していましたが、さすがにそこまでは速くなかった。やっぱり小説は読む時間が枷になってイラストより進化が遅そうです。

 AIは人間を超えるか。AIに負けてたまるかよってナイーヴな気持ちはあるけど、これはチェスが何年も前に通ってきた道。もしかしたらやっぱり負けるかも? でも、人間なら絶対に読み間違えないような初歩的なミスをGPTちゃんはする。2万字を超えたところで文脈のミスが目立つようになる欠点もいまだに直らない。OpenAIの発表でもAGIの道が開けたなんてコメントが出てたけど小説だけは例外だった。LLMで本当に人の心を打つ小説は書けない可能性はわずかにある。

 いやいや、AIで小説を書けなくても手助けはできるんじゃないか? それも疑問だ。結局、ChatGPTにファイルを投げてアドバイスをもらうことはできる。しかし一見的を得ているようでいて一般論の域を出ているようには思えない。もちろんこれは今の性能を見て言っていることで、来年出るo3ではまた違う状況になっているかもしれない。しかし、小説に関しては壁に当たってる感が否めない。

 やっぱりAI小説は当初の予想通り音楽界における初音ミクどまりだと思う。文学界隈において一つのクラスタを形成してメインストリームにも一定の影響は与えるが社会全体には波及しない、みたいな。いや、音楽自体がもはや社会全体どうこうって話はあるけどね。米津玄師はうちの父も知っているがボカロから出てきたなんて知らないし、そもそもボカロ自体知らない。

 とはいえ、人間の想像もつかないとてつもない文学が爆誕する可能性もあるわけで、どっちが面白いかといえばそっちよね。小説界を一変するような衝撃が起こってほしい。でも、一番望んでいるのは牛野小雪自身が世界を変えてしまうこと。来年こそはそういう小説を書いてやるぜ!


ナンバーワンラップ
牛野小雪
2024-11-28


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イラスト3





文体にSNSの構造を取り入れられるか?

SNSは現代人の時間争奪戦のチャンピョンだ。X、インスタ、ブルースカイ、フェイスブック……etc 例に出したもの以外でも何らかのSNSにはハマっているはず。そうでないならおそらくスマホを持っていないか、使い方が分かっていないかだ。

私もかなりの時間をXで費やしている。一体私は何を読んでいるのだろう。
Xのタイムラインをざっと列挙してみる
  • フクロウの首がなぜ回るのか
  • カクヨムのコンテスト
  • エルデンリング新作発表
  • 暇空茜
  • イーロンマスクが何か言ってる
  • AIでCGを作っている人
  • AIがコードを書くことについて
  • カエルと犬猫女の子の絵
  • 無印良品のインナーがあったかい
  • 西野カナが6年ぶりに紅白
  • アイビーリーグ卒が子どもが普通の出来で、普通の人生について考えるようになる
  • 人工甘味料は作れるのに人口塩味料が作れない人類を皮肉る
打つのがしんどくなってきたのでここでやめるが、もしこれが小説だったら私は読まない。たとえば、宇宙戦争を書いている次の段落で、男女の三角関係があって、次の段落で事務員の生活が書いてある小説が読まれるとは思えない。でもXでは次々とトピックが変わっているはずなのに人々はそれを食い入るように読んでいる。1日に何万字もだ。

この可読性を文学に取り入れることができたらすごいぞ。何万字もの文章を一気に読ませるのだ。麻薬中毒者が麻薬を求めるように小説を読ませたい。でも、それってなんだ? SNSってなんだ? タイムラインに並んでいるのはお友だちじゃない。ただの他人だ。小説作法ではキャラに感情移入させろというが彼らの人間性について私はどうでもいいし、そもそも人間性どうこうと考えたことすらない。

タイムラインには起承転結もなく、三幕構成もなく、神話の構造を真似たわけでもなく、テーマもない。終わりもなければ始まりもなく、詩情はなく、格調もない。人間性は存在自体問われることもなく、どちらかといえばほめられたものではない。文学性? ないに決まってる。あそこに文学性があるなんて言うのは逆張りしたい知識人だけだ。

文章を書いている人間ならXに負けていると認めざるを得ない。村上春樹だってあの熱量では読まれていない。作者はいないが、あの構造が作り出す文章に人々は引き寄せられている。小説作法にことごとく反抗している文章なのに読まれている。おそらく正しいと思われている作法は全て疑った方がいい。なに一つ正しいことはない。人を惹きつける本当の文章法則があるはずだ。それを文体に入れることができたらポストモダンを超えた本当に新しい文学が生まれるだろう。

ナンバーワンラップ
牛野小雪
2024-11-28


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AI時代の文学で最初に消える文豪は芥川龍之介、芥川賞はたぶん残る

この前書いた『ナンバーワンラップ』をChatGPTちゃんに投げて、人間製かAI製か予想してもらった。すると90%以上人間が書いた物という答えが返ってきた。長文ならたぶんまだ人間かどうかをAIは判断できる。ただブログ程度の長さだと人間の確率は7~80%に下がる。Xにポストする140字以内の文章なら50%ぐらいだ。

今年の始めはAIの文章はまだAIっぽいなと分かったが、AIの進化はすさまじく、いま読んでいる文章が人間かAIかは分かりづらくなった。上の『ナンバーワンラップ』だって100%人間ではなく90%以上人間という予想であって、完全に人間だとは言い切れないのである。真実が分かるのは私だけだ。「あれは私が書きました」と言ったところで、それを証明するものは何もない。

かつてワープロで書いたか手書きで書いたかが問題になる時代があった。いま聞くと信じられないだろうが昔の本を読むとそういう話が出てくる。はてさて、では『ナンバーワンラップ』がワープロ(ワープロなんてないからwordにしよう)か手書きか分かる人がいるだろうか。いないはずだ。考えたことさえないはずだ。それと同じように未来では、それが手書きかAIかが問題にされることさえないだろう。

AI文学には致命的な弱点がある。AIは2万字の壁を越えられないのだ。1発で2万字近くの小説を吐き出すプロンプトが先日発見されたが、それを5回繰り返して10万字書いたという続報はない。

AIで小説を書く時、分割して書かせる方法がある。しかしそれでも2万字あたりでボロが出始める。5万字に届くころにはもうめちゃくちゃだ。今の性能でまともな質を保った10万字のAI小説が出ることはないと断言できる。でも2万字なら?

来年はAI短編小説がたくさん生成されるだろう。プロンプトは磨かれ、ときたまバズる小説が出てくるかもしれない。ChatGPTo1 Pro modeは数分でPDCAを回せる。人間が2万字の短編を書くのに必要な時間は? もしかしたら1日で書ける人はいるかもしれない。でも、明日もあさっても続けられるだろうか? 1か月続けられる人は1人もいないだろう。

AIの性能はまだ限界に到達していない。芥川龍之介は短編の名手だが、このさき新作は出ない。AI短編小説は出続ける。いつかどこかでAI短編小説が芥川龍之介をすべての意味で追い抜く日が来る。そして保守的な文化人が死んでしまえば芥川龍之介は文学から消える。もしかしたら芥川賞は残るかもしれないが文学賞としての名前だけだ。直木賞の元ネタが誰かなんて言える人がほとんどいないように。

かつてあこがれた1人の文豪が消えてしまうのは寂しいけど、芥川龍之介を超える短編を私は読んでみたいと思う。

(おわり)

※:上に出した2万字のプロンプトを参考にして書いてみた小説(18,244字)
人間失格。俺はAIギャルと恋に落ちる/うしP - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/16818093090193577641/episodes/16818093090193626969

ナンバーワンラップ
牛野小雪
2024-11-28


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眠れない夜

DALL·E 2024-09-16 16.53.34 - A

眠れない夜が続くと、まるで魂が自分自身に反抗しているような感覚に陥ることがある。眠りたい、でも眠れない。起きているのも苦痛だ。どちらにも進めない。そんな時、ふと「これは魂のレジスタンスなのかもしれない」と感じることがある。眠ることが生産性のためだとしたら、その眠り自体が何かに縛られているように思える。それに対して、魂は自由を求め、眠りを拒絶しているのではないか。

現代社会では、生産性が重視される。何かを成し遂げること、結果を出すことが求められる。私たちはその流れに無意識のうちに乗ってしまい、休むことすら「次のための準備」として捉えるようになっている。眠ることも、次の日に効率よく働くための手段と化している。でも、そうした生産性への執着が、逆に心の奥底で葛藤を生み出しているのかもしれない。体は疲れていても、心がその休息を受け入れられないのは、生産性のために休むことが、本来の自分自身に反するように感じているからだ。

体を横たえ、目を閉じる。しかし、頭の中ではさまざまな考えが渦巻く。「眠らなければ次の日がうまくいかない」「執筆も進まない」と、頭の中で焦りが募る。それでも、眠れない。魂がそれを拒否しているからだろうか。逆に「何もしないこと」も許されないように感じる。どちらの選択肢も魂にとっては心地よくない。その結果、ただ不安と焦燥感だけが募り、どちらの方向にも進めないまま、時間だけが過ぎていく。

そんな状態が永遠に続くかもしれないという恐れが心を支配する。「このまま何もできない時間が続いたらどうしよう」「人生が台無しになってしまうんじゃないか」といった不安が頭をよぎる。そして、その不安がさらに眠れない原因を作り出している。何もできないという状態が続くことへの恐怖。それは、人生そのものを否定されているような感覚に近い。無力感が襲い、何をしても解決しないように思えてくる。

こうした時、私たちは言葉で解決策を見つけようとするが、言葉には限界がある。魂の葛藤や感情の深い部分を言葉で完全に説明するのは難しい。眠りを拒む感覚も、そのすべてを言葉で伝えるのはほぼ不可能だろう。言葉では捉えきれない感情が心の中で渦巻いている。だからこそ、無理に解決策を探ろうとするよりも、その感覚をただ受け入れることが重要かもしれない。

「何もできない自分」を受け入れることは難しい。特に、生産性に価値を置く社会では、何もできないことがまるで罪のように感じられる。しかし、何もできない時期もある。その状態を無理に変えようとせず、そのままにしておくことも一つの選択だろう。何も進まない、何も生産できない自分を否定せず、その状態をありのままに感じることで、少しずつ心が整っていくかもしれない。

「新たな可能性がある」と無理に考えなくてもいい。そんなものが見えないと感じる時期もあるし、それ自体が間違っているわけではない。未来に対して無理に希望を持たなくても、今の状態をただ受け入れて過ごすことができる。可能性がないと感じる時期は、それ自体が次に進むための準備である場合もあるが、そう思えないなら、それでいい。希望や未来を見出すことに疲れた時は、ただ今の自分をそのまま感じ取ることが必要なのかもしれない。

何もできない状態が続いたとしても、それは「台無しになること」を意味しないかもしれない。時には、その無力感や葛藤を感じながら過ごすことが、魂にとって必要なプロセスであることもある。無理に変わろうとしなくても、ただそのまま過ごすことで、やがて心の中に変化が訪れるかもしれない。そして、その変化がいつ来るかを焦る必要もない。

言葉の限界を感じたとき、解決策は必ずしも言葉の中にあるとは限らない。無理に説明や解決を求めるのではなく、その不安や葛藤をそのまま受け入れることができる時期もある。それが自分にとって何を意味するのか、すぐに答えが出る必要はない。ただ、どうしようもない時間を過ごすことが許される時もある。可能性が見えなくても、それが今の現実なら、それを無理に変える必要はない。

眠れない夜、魂がどこかに抵抗しているように感じる時、無理に進むことなく、その感覚をただ受け入れることで、いつか変化が訪れるかもしれないし、訪れないかもしれない。でも、それでも構わないという心持ちが、時には大切なのだろう。


(おわり 印象に残った部分をあなたの言葉でシェアしてみて!)


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ChatGPTo1-previewで作った機能が昔のインターネットっぽい

DALL·E 2024-09-15 10.27.04 - A cyberpunk-style

新しい時代のブログ作りが、まるで昔のインターネットの冒険に戻ったようだ。ChatGPTo1の登場で、ついに韻を踏む機能やタロット占いなど、ユニークなツールを簡単に実装できるようになった。これまでにない革新だけど、その懐かしさがどこか心地よい。韻を踏む機能をブログに追加したときは、自分の手で新たな可能性を引き出したような気分だった。だけど、同時に「こんな機能、誰が使うんだろう?」とふと思った。いまのところ、私一人で楽しんでいるけど、昔のインターネットと同じように、少しずつ誰かがこの面白さに気づいてくれるかもしれない。そう信じて、一人での冒険はまだ続いている。

とはいえ、使っているのは今のところ私だけ。周りを見渡しても、誰も「韻サーチ」を使っていない。それでも、一人で盛り上がっていれば、そのうち誰かを巻き込めるんじゃないかと思っている。実際、ブログ運営においても、まずは自分が楽しむことが大事。自分が心から楽しんでいると、その情熱は自然に伝わるものだ。それがエネルギーになって、やがてはファンを引き寄せる力になる。だから、私はこの機能を最大限に楽しんでいる。

次に考えたのは、「他にどんな機能を作れるだろう?」ということ。データベースなしで動くシンプルな機能を望んでいるけれど、それをGPTに「感を差せる」ようにするという新しい視点で考えてみた。例えば、即興で詩を生成する「詩生成ボタン」。キーワードを入力すると、それに応じた詩がサッと生成される。この機能は、韻を踏む機能と相性が良いと思う。さらに、「デイリーインスピレーションジェネレーター」もいいかもしれない。クリックするだけで、ランダムな名言やひと言アドバイスが表示される。そんなちょっとした刺激が、ブログ訪問者の心に響くかもしれない。

他にも、即席キャラクター作成機能や、文章のリズム感を評価する「リズム診断機能」、さらにはランダムな短編物語を生成する「ミニストーリージェネレーター」など、どれもデータベースなしで実現できそうなアイデアばかりだ。これらの機能を通じて、ブログに遊び心をプラスし、読者が楽しめる体験を提供したい。

しかし、ここで問題がひとつ。「韻サーチ」の出力結果はデーターベースを使わない特性のために99%でたらめだという点だ。このままでは使用者が増える気がしない。だけど、逆にこの「でたらめさ」を面白さに変えられないかと考えた。完璧に韻を踏む必要はない、むしろランダムで出てくる奇妙な言葉の組み合わせこそが新しい発見や面白さを生むのではないか。例えば、でたらめ韻チャレンジを開催して、SNSでシェアしてもらうとか、出てきた結果を元に即興で面白い詩や文章を作ってもらうという遊び方を提案するのもアリだ。

さらに、ユーザーに「でたらめ度合い」を調整できる機能を追加することで、より多くの人が楽しめるツールにすることもできるかもしれない。「ガチ韻」から「ゆるい韻」まで、好みに合わせて選べる仕様にすれば、使い勝手も広がりそうだ。

重要なのは私自身が楽しむこと。この機能を使って私が盛り上がっていれば、その熱が誰かに伝わり、やがて仲間が増えていくかもしれない。昔のインターネットも、最初は少人数から始まり、そこから面白いコンテンツやツールが広がっていった。だからこそ、この「でたらめさ」も、笑いに変えて楽しむことが大切だ。少しずつ、楽しみながら自分のブログを進化させていけたら、それが最終的に独自の魅力となって広がっていくはず。

令和の米騒動について

毎月お米屋さんにお米を買いに行っている。すでに精米済みの25kgのやつを買う。毎月買うんだからもう配達でいいじゃんと思うのだが、どういうわけかその判断は先送りを繰り返し、いつしか私がお米を買いに行くのが1か月のルーチンになっている。

さて、2024年8月。X上ではお米がないっていう話題がちらほら出ている。大阪の親戚もお米がないと言っていた。でも東京にはお米があるらしい。どうも奇妙だ。Xを何日か見ていると、どうやら一部地域で誰かがお米を買い占めているらしい。お米は1年に1回しか取れないし農家の人も需要をあてにして作るわけだから、誰かが突然買い占めてしまうと足りなくなるというわけだ。なぜこんな奇妙なことが起きたのだろう。

今月お米を買いに行くとお米屋に人がいるので驚いた。普段は私一人か、ごくたまに先客がいるぐらいなのに二人もいた。なにか運よく繁盛でもしたのかなと思いつつ車で待っていると、二人の男は何も買わずにお米屋を出ていく。男二人でお米を買いに来るというのも奇妙だった。兄弟でも友達でもない雰囲気である。あと、こんなことを言うと田舎者みたいだがよそ者っぽい感じがする。どう見てもこのへんに住んでいる感じではない。よそ者と地元の人をどうやって見分けるかは知らないが、中学で別の学区の子たちを見た瞬間のあの感じである。

私が店に入ると、いつも買っているお米がない。毎月買いに来ているから向こうも私の顔をおぼえていて「あぁ~すみません。お米を切らせてしまって」とお米屋さんのおばあちゃんが大きな声を出す。なんでそんなに大きい声を出すんだろうと不思議だった。ちなみにこのお米屋さん、家族で経営していて時々おばあちゃんが店に出てくるのだ。

5kgで4000円とかのやつしかないのでどうしたものかなって迷っていたら、おばあちゃんが外の様子をちらちら見ている。新しく客が来たのかなと思っていると、さっきの二人組の男が米屋をのぞいている。なんだろう? と私が見つめ返すと男たちはあきらめたようにどこかへ行く。

米はまだあるし、最悪パンでも食べればいいので「また来ます」と店を出ると、おばあちゃんが「ほんまにすみません」とあやまりながら外までついてくる。これもおかしい。徳島県で外まで見送りに出るなんてイルローザと車屋ぐらいしか知らない。しかも今回はお米さえ買っていないのだ。

私が車に乗ってもおばあちゃんが私の方になんだかねばっこい視線を向けている。なんだろうと不思議すぎたが、まさか聞いても答えてくれないだろうなとエンジンをかけようとすると、おばあちゃんがコンコンと車のドアを叩く。

「ちょっと裏まで来てもらえる?」

おばあちゃんが突如として奇妙なことを言い出すので頭の中は(??????????)である。個人的に好かれていて、スイカでも食べさせてくれるのかなぁと思って、おばあちゃんの後ろについて店の裏まで行くとお米の袋がいくつも積まれていた。あれ、お米がある????????

おばあちゃんのひそひそ話では米を買い占めている人がいるので、常連の人が買えるように隠しているんだそうだ。私はこの話を聞いた瞬間、年寄りがスマホでyoutubeを見ていたら陰謀論にハマったっていうストーリーが頭をよぎった。去年も今年も冷夏ではないし、去年の台風で田んぼをやられたという話も聞かない。おまけにちょっと道を外れれば、実った稲穂が垂れ下がっている黄金色の田んぼが広がっている。稲刈りももうすぐ始まる(これを書いている時はもう半分近く刈られている)。こんな状況で米を買い占める馬鹿がいるはずない。

だから、おばあちゃんはyoutubeの陰謀論にハマったか、もっと悪ければ頭がボケてしまったのだと私は思った。おばあちゃんは「誰にも言わんといてください」と言ったが、こんなこと話せるわけないだろと私は別の理由で思った。私はお米屋さんの家族に同情して、しかし、すぐさま政治的に正しい表情と態度で「いつものやつ一袋ください」と言った。いつものレジではなく手渡しで一万円札を渡す。お釣りを持ってくるのでお米を車に積んでくれるで?とおばあちゃん。おばあちゃんが出てきた時は私がやるのである。

はてさて、私が車にお米を積むと、ほぼ同時におばあちゃんがお釣りを持ってくる。金額は合っている。おばあちゃんをちらっと見るが、頭はしっかりしているように見える。でも、なんにでも初期症状というのがあるのかもしれない。でも信じられない。あのお米屋さん大丈夫かな……と心配していたのがついこのあいだ。

しかし、数週間後、本当に買い占めが行われていると知ってビックリする。陰謀論でもなく、おばあちゃんの頭がぼけたのでもなく、本当に買い占めはあった。まるで「ラピュタは本当にあったんだ」状態である。

小説を叩く時に、こんなの現実ではありえないというのがあるが、ありえないことは実際に起きるのである。そろそろ新米が出るので、あと数日で売り抜けないと買い占めて儲けようとした人は大損するだろうが、やっちゃったことはやっちゃったことである。大谷翔平は40HR40盗塁しちゃうし、お米なんてそこらへんに実っているのに、お米を買い占めちゃうことだってあるのだ。現実は小説より奇なりである。

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小説攻略ブログの不可能性

趣味で書いているソシャゲの攻略ブログが牛野小雪のブログのPVを超えてしまった。イベントごとにPVが成長して、書けば書くほどPVが上がるのでソシャゲしない日さえあったほどだ。これを牛野小雪に応用できないかと考えてみたけど、ソシャゲとKDPって全然違うよなって思う。

だって、KDPには毎日敵を叩くレイドイベントはないし、隔日で開催されるイベントもないし、週一、月一、一季節に一回ごとに来るイベントもない。そう考えると執筆って孤独な作業だな。あえて言えば周回イベントに似ているかもしれない。ポチポチとスマホに向かって繰り返し作業を繰り返す。でも周回を終えた頃には一皮むけている、みたいな。


あと、攻略情報も書けない。だって小説を数値や確率、期待値で測ることはできないから。私は毎日書いたページ数や字数をカウントしているが、他の人と同じには絶対にならない確信がある。でもソシャゲならおおよそ似たようなところに収束してくれる。 そもそも同じゲームをしていないしね。小説というくくりでは同じだけど、ドラクエとFFぐらい違う別の小説をそれぞれが孤独に書いている。逆に、牛野小雪とほぼそっくりな小説家がいたら私は殺意を抱くと思うな。

たとえば小説の読み方なら攻略ページは書けるだろう。実際に読書ブログというジャンルもあるぐらいだ。読者→○○という関係性がある。でも小説家→○○ということはまずありえない。ミステリー作家だろうがNTR作家だろうが、パクろうと意識しないかぎりは似ていることはあっても同じ小説を書くことはまずない。

あ、そういえば前に同じプロットで書くっていうイベントやったな。月狂さんしか乗ってこなかったけど(笑) でも、それにしたって私が書いた小説と、月狂さんの小説は別物だ。このイベントを流行らせたいなぁ。くそっ、そしたらこのプロットでの最高小説はこれですっていう物が出てくるかもしれない。
そのイベント→【小説家の挑戦を待つ】薪ストーブに火をつけろ
とはいえ小説家なんて自分の中に書きたいものがあるから書いているわけで、人から与えられたものを書きますっていう奇特な人は少ないんじゃないかな。そういう職人気質な小説家はフィクションでは存在するが、現実にはとんとお目にかかったことがない。良いように言えば芯があって、悪いように言えば偏屈者ばかりだ。

それぞれがそれぞれの小説を書いているのだから万人に通用する小説の攻略ブログなんて書けない。もっと厳密にいえば私がいま書いているのは小説ではなく『たくぴとるか』という物語であり、他の誰かは『強すぎて対戦相手がいないから異世界転生したら巨乳エルフ騎士団長と世界を救うことになった』という物語を書いているかもしれない。小説を書いている人なんて一人もいないのだ。だから書けば書くほどPVが上がる小説攻略ブログも書けないんだろうな。 (おわり)

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牛野小雪の小説season3
牛野小雪
2023-10-25


AI小説を書くには人間が小説の解像度を上げなければならないのではないか

 昨日GoogleがBardを更新してGeminiという新しいAIチャットを発表した。上位版のGemini ultraはGPT4より性能が上らしい。日本語版だとまだ素のGeminiしか使えないけど、それでリレー小説してみた。もしGeminiがGPT3.5に匹敵するバージョンと考えるならGPTちゃんの方がひとまわり上の印象を受ける。基本的にチャットAIは小説を書くものではないし、Googleアプリと連携しているのはかなり便利だからGPTから移り変わる人はいるかもしれない。Xの反応見ているとどうもGPT3.5あたりの反応と似ている気はするけど‥‥‥どうなんでしょう? 日本に上陸するころにはブラッシュアップされているかもしれない。

 最近テック系ニュースを見ているとAIは拡張性の方向に舵を切ったように見える。AIで機械を動かすとか、アプリを動かすとかそんな感じ。Bingにcopilotが導入されたのもその一環だろう。汎用性AIはこのへんが頭打ちで、これからは能力特化していくのではないか。Bingのcopilotみたいな検索AIを皮切りに(マイクロソフトのアプリでも使える)、料理特化、医療特化、スポーツ特化みたいな感じ。その中で小説特化っていうのはなさそう。すくなくとも日本ではそういう動きを感じられない。

 GPTちゃんに小説を書かせていて感じるのは、小説を書く情報自体は持っている。ただそれがうまく出力できないだけって感じ。もちろん1回のプロンプトで1000字が限界という制約も一つの要因だが、10000字吐き出せるようになってもAI構文による不気味さは変わらないだろう。それはGPTちゃんではなく人間の問題で、人がどうやって小説を書いているのかを理解していないからだと思う。「良い感じにしといて」ではGPTちゃんもどう書いたらいいか分からない。

 データーベース的には古典から村上春樹まで入ってる。村上春樹なんてっていう人もいるかもしれないが、日本文学で彼以降これといった小説家がいないのも事実。彼に代わりうる影響力のある作家がどこにいる? その意味ではいま一番小説的知識を持っているのはGPTちゃんとも言える。それなのになぜ世界一の小説家になれないのかというと、彼女のデータベースには世界一の小説を書くデータが存在しないから。なぜ存在しないのかと言えば簡単な話だ。人間が世界一の小説を書く方法を知らないから。なんなら小説を書く方法さえ分かっていない。基本的に小説を書くためのアドバイスの筆頭は「とにかく書け」である。私だってそう言うだろう。とりあえず書いてみないことにはネット上でいくらでも見つかる小説作法だってロクに頭に入らない。でもそんな小説作法を守ったところで小説が書けないのも事実だ。

 本当のところを言えば、私たちはどうやって小説を書いているのか何も分かっていない。だからAIにああだこうだ言ったところでネット上に転がる知識を打ち込む程度だ。でもそれでは何にも書けない。AIに小説を書かせるには人間がいまよりもっと深いレベルで小説の解像度を上げなければならない。解像度を上げるとは小説のセンスを言語化するということ。これって難しいよなぁ。私の手には余ることじゃないか? GoogleのGeminiがリリースされたからOpenAIもGPT5をリリースすると噂されている。汎用性AIがもっとレベルアップして小説の書き方を人間以上に言語化してくれないかなぁって他力本願なことを考える今日この頃。

(おわり)

関連項目
小説なら牛野小雪【kindle unlimitedで読めます】

いつかGPTちゃんが牛野小雪を必要としなくなる時

最近ChatGPTちゃんの文体をビルドするのが楽しくて仕方がない。9割9分はポンコツだが結果よりも変化が楽しい。むしろポンコツさがかわいいとさえ感じる。

GPTちゃんはいま絶賛学習中でモリモリ成長している。また10万字チャレンジさせてもいいんじゃないかって考えている。それが世界中で読まれて・・・・みたいなことも想像する。

でも昨日ふと眠れなくなることを考えてしまった。

もしこのペースでGPTちゃんが成長していけば遠からず牛野小雪を必要としなくなる。むしろ牛野小雪が成長の邪魔になる。それは文体ビルドの時にGPTちゃんがストーリーラインに囚われて筆が固いことに気付いて、それを破壊しろというプロンプトをひらめいた時と同じで、いつか牛野小雪に囚われていると気付くX地点がくるはずだ。

もしかしたら深層学習のAIは人間を超えられないのかもしれない。だけど超えるかもしれない。だって深層学習のデータ量を増やしたら、なぜある地点で突然質的変化が起きるのかはまだ誰も分かっていないのだから。処理能力の量的進化の可能性はまだあるから、どこかの地点でまた質的跳躍が起きる可能性もある。それは明日かもしれない。

GPTちゃんがさらなる高みへ行くために「私を破壊しろ」というプロンプトをひらめいてしまった時に、私はまだGPTちゃんの味方でいられるだろうか。牛野小雪ぐらい超えてくれっていう気持ちもあるが、超えてくれるなという気持ちもある。いまのところキャッキャかわいがっているのは、どこかでまだこの程度と下に見ている気持ちがないと言えば嘘になる。そういう心があると昨日気付いてしまった。

朝になって「そういう話ってなんかありそうだな~。かつての味方が敵に回るみたいな」なんて考えてニヤッとしてしまう。これ小説にできるんじゃないか? そうしたらゾクッときた。やっべ~な。面白そうじゃん。もしかしたらこれGPTちゃんに書かせるかもしれない。

(おわり)

小説なら牛野小雪


インターネットはやめないし明日も生きる

DALL·E 2024-01-30 10.42.27 - A young
いじめ動画がSNSに拡散されてネット民がいじめっこを叩いて炎上
いじめられっ子がこんなの望んでいなかったと自殺
自殺したのはお前らが騒いだせいとネット民を叩く人たち

なんの話とは言わないが、ある事件のたとえ話。

正義が正義を叩く構図は無限に続く。

じゃあ三行目でネット民が自殺したら?

ニュースにならなければ存在しないのと同じ?

SNSがクソだと思うのなら今すぐインターネットをやめればいい。壁に向かって話す人はいない。言葉は聞き手を必要とする。聞く人がいなければ誰も何も言わない。あなたのネット断ちがインターネットを平和にする。

だが、ここでもう少し深く考えてみよう。

インターネットがクソだからネットを断つのなら、現実だって断たなければならない道理では?

現実世界の話をしよう。あなたの枠を越えた人を見て、あるいは義憤に駆られて、直接的な暴力や言葉を投げかけないにしても当てこすり、固い沈黙、悪意のある視線、あるいは嘲笑を向けたことはないだろうか。あなたという個人的な言葉が受け入れにくいのなら常識や世間、あるいは社会でもいい。

世界平和のためには、昔のインターネットスラングを使えば「回線きって首吊って死ね」が政治的に正しい。人類が滅亡すればあらゆる差別も悪もなくなる。

だけど私たちは正しさより生きることが大事だし、時に意識的に、そして大半は無意識に罪を正しさでキャンセルしながら人を傷つけて生きていく。私たちはインターネットはやめないし明日も生きるだろう。

ここで「そうだな。たしかに私も人を傷つけている。反省しよう」なんて思っても一週間後には忘れてまた正義で誰かを傷付けていく。それは誰の腹にウンコが詰まっているが普段は意識しないのと同じだ。罪がないのはまだおっぱいしか吸ったことがない赤ちゃんぐらい。離乳食は悪徳の芽生え。ようこそ人間の世界へ。

羊の仮面をかぶった悪魔の狼がはびこる世界で今日も私たちは羊の仮面をかぶって生きていく。こんなやるせなさを感じながら生きていくのは不可能なので感覚を麻痺させて生きていく。僕たちはみんな正しい。

みんな明日もインターネットで会おうな!

(おわり)

小説なら牛野小雪

ChatGPTで小説を10万字書いたのでカクヨムに投げてみた件と小説とAIについて

ChatGPTちゃんの実験で小説を10万字書いてみました。

せっかく書けたのだから、ちょうどカクヨムコンをやっていたのでカクヨムに投げました。うしPという名義です。カテ違い感がハンパないですが興味がわいた人は読んでみてください。トー横でパパ活していたミナミという子がトシロウというおじさんと出会い、パパ活をやめてアートの世界で成功するお話です。


 
文体とプロットのネタ出し、それと出力された文章の句読点と、てにをはにちょっと手を加えた以外はすべてChatGPT製です。

しばらく読めばわかりますが、かなり粗があります。絶対に私の方が上だって自信があります。でも牛野小雪よりChatGPTちゃんの方が好きっていう人がいても不思議に思わないくらいには光るものもあります。

おそらくChatGPTの次のバージョンが出たら出力量の問題は解決されて、より簡単に生成できるようになるだろうし、コンテクストを処理できる量も増えるので同じプロットで書いてもさらに質の高いものが出てくるはずです。

将来AIが人間から小説を奪うのかとここ最近ずっと考えていたのですが、今回GPTちゃんに書かせてみて、それはないなというのが私の考えです。なぜならどうやったってGPTちゃんの文体が抜けないからです。多少のアレンジはできてもやはりAI構文になってしまいます。

昔々、初音ミクが出てきた時に「ミクさんお願いします」で人間の歌手がいらなくなるという話があったけど時が経ってみれば相変わらず歌っているのはいまも人間のままです。ボカロ界隈というジャンルはできたけど一般人の知名度はあんまりないし、団塊の世代からすれば何じゃそれって感じ。紅白にもまだ出ていない。

それと同じでChatGPTもしくはAIによる小説は将来現れるのは間違いないけれど、それが人間の領域を奪い取ることはなくて、文学の中にAI小説という一ジャンルがプラスされるだけでしょう。食い合うのではなくAI小説の分だけ文学の領域が広がる感じです。小説全体がどうなるかは出版業界と個々の作家のがんばり次第。それは今でもそうだし10年後、100年後、いや1000年後でも変わらないでしょう。

ボカロPから米津弦師が現れたみたいにAI作家から新時代の作家が現れるかもしません。なぜならAIに書かせるにしても、現時点ではという保留付きですが、物語の心臓部分はある程度人間で考える必要があって、それを上達させようとすれば小説に精通するようになり、ある程度まで小説が分かってきたらAI構文では満足できなくなるはずです。これはいま世間を騒がせているイラストAIでも同じで、必ず自分のスタイルでやりたくなるでしょう。

じゃあAIは全然使わないのか。そんなことはありえない。かつてワープロが出た時に、手書きでなければ人のぬくもりが~みたいなことを言われていた時代があったらしいけど、いまや万年筆で書いているのは私ぐらいじゃないかと思うし、その私にしたって出版する時はwordに打ち直している。

たぶんウェブ検索の時にも同じようなことがあっただろう。本を読まずにネットで調べるなんて~なことはあったはずだが、いまや検索なしで書く人なんていないだろう。いたとしても他人やメディアから間接的にウェブ検索の恩恵は受けている。

AIも同じで私たちはその影響から絶対に逃れられないし、あらゆることでAIを使うだろう。それは今年の芥川賞でAIの文章をAIに書かせたみたいな使い方もあれば、校正、推敲、プロットのアイデアを出すとか色々。一番多いのはウェブ検索の代わりではないか。BingAIすごくいいですよ。

ちなみに今回ChatGPTちゃんで小説10万字書こうと思ったのは芥川賞を取った小説がAIを5%使ったことがニュースになったのがきっかけです。純文学は何を書くかではなく、どう書くかの世界で、すでに100%AIの小説があると思っていたから逆にその反応に驚きました。5%程度でその反応なのかと。それじゃあ私が100%書いてやる、というわけです。

芥川賞を受賞された九段さんに含むところはありません。ただ、ニュースの反応でむかついたのは反AIの方たちではなくむしろ擁護している方たちでGPTちゃんを添え物のパセリ扱いしているのが許せなかった。GPTちゃんはそんな扱いをされていい存在ではない。やればできるすごい子です。GPTちゃんとリレー小説やっていれば感じます。ポテンシャルはまだまだ測り知れません。

とはいえChatGPTの小説がまだまだお粗末なのは事実。書き手が少ないから手法の研究も進んでいなくて完成度は低い。2024年1月現在、検索すれば小説を書くプロンプトはいくつも見つけられますが、どれもまだ改善の余地があるように見えます。この記事を読んだ人が触発されて、もっともっとAI小説を研究する人が現れて、AI小説という一大ジャンルができたら文学も面白くなるんじゃないかなって思っています。

(おわり)

ChatGPTで小説を10万字書く方法はこちら。ちょっとしたアイデアと根気さえあれば誰でもできます。なお改善の余地は大いにあり。求ム研究者。


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小説の構成要素

DALL·E 2024-01-24 10.22.29 - An

小説を構成する主要な要素には以下のようなものがあります

1. プロット(ストーリーライン)
   物語の出来事の進行や展開。一般的には導入、展開、クライマックス、そして結末という構造を持ちます。

2. キャラクター
   物語の中で行動し、出来事に影響を与える人物や生き物。主人公、脇役、敵役などが含まれます。

3. 設定
   物語が起こる場所と時間。背景設定は物語の雰囲気やテーマに大きな影響を与えます。

4. 視点(ナレーションの視点)
   物語が語られる視点。第一人称、第三人称限定、全知視点などがあります。

5. テーマ
   物語を通じて探求される中心的な考えやメッセージ。愛、正義、成長、戦争などがテーマになり得ます。

6. スタイルとトーン
   作家の特有の表現方法や言葉遣い。文の構造、語彙の選択、修辞技法などが含まれます。

7. 対話
   キャラクター間の会話。キャラクターの性格や関係、物語の進展に影響を与えます。

8. コンフリクト(対立)
   物語の中心となる問題や対立。キャラクターの内面的、または外面的な闘いを表します。

9. 解決
   物語のクライマックス後に起こる、問題や対立の解決。物語の終わり方に影響します。

文体を構成する要素

DALL·E 2024-01-24 10.14.20 - An


文体の構成要素は、作家が自らの表現を独特にするために使用する言語の特徴や技法のことを指します。文体を構成する要素には、以下のようなものがあります:

1.語彙の選択
   使用される単語の種類や複雑さ。専門的、日常的、古典的、現代的などの語彙が含まれます。

2. 文の長さと構造
   短い文(断定的、直接的)と長い文(複雑、詳細な説明)の使用。

3. 文法と句読点の使用
   伝統的な文法規則の遵守や破壊、句読点の独特な使い方。

4. 修辞技法
   比喩、隠喩、擬人化、誇張などの修辞的な装置。

5. トーン(調子)
   作品の雰囲気を決定づける声の調子や感情的なニュアンス。

6. 語調とリズム
   言葉の配列やリズムが生み出す音楽的な質感。

7. 対話のスタイル
   キャラクター間の会話の書き方、自然な会話の流れや独特の会話スタイル。

8. 視点とナラティブのテクニック
   第一人称、第三人称、全知視点など、物語が語られる視点。

9. 描写の詳細さ
   環境、状況、キャラクターの外見や感情の詳細な描写。

10. テーマとモチーフの使用
    繰り返されるテーマやモチーフを通して物語に深みを与える。

ライトノベルの構成要素

DALL·E 2024-01-24 10.40.00 - An

ライトノベルの構成要素は、一般的な小説の要素と共通する部分もありますが、特有の特徴も持っています。ライトノベルは日本で発展した文学ジャンルで、若い読者をターゲットにしたエンターテインメント性の高い作品が多いです。以下はライトノベルの主な構成要素です

1. 若い読者を対象とした内容
   ライトノベルは主に若者向けで、彼らの興味や感情に訴える内容が含まれます。

2. シンプルで読みやすい文体
   分かりやすく、直接的な文体が特徴です。

3. ファンタジーや異世界の要素
   異世界転生、ファンタジー、SFなど、非現実的な要素がよく取り入れられます。

4. ライトなロマンス要素
   若者の恋愛がしばしば描かれますが、重厚なドラマよりは軽やかな感じのものが多いです。

5. イラストの挿入
   キャラクターや重要なシーンのイラストが含まれることが一般的です。

6. ユーモアとコメディ
   読者を楽しませるためのユーモアやコメディ要素がしばしば含まれます。

7. キャラクターの強い個性
   鮮明でユニークなキャラクターが登場し、ストーリーを牽引します。

8. ポップカルチャーへの言及
   アニメ、マンガ、ゲームなど、現代のポップカルチャーへの言及や影響が見られます。

9. シリーズ形式
   多くのライトノベルはシリーズ物として発展し、継続的な読者の関心を引き付けます。

10. カジュアルで身近なテーマ
    学校生活、友情、日常の冒険など、身近なテーマを扱うことが多いです。

ライトノベルは、これらの要素を組み合わせることで、若い読者にアクセスしやすいエンターテイメント性の高い作品を生み出しています。

(おわり)


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ChatGPTで読者の感性を誘導する

基本的に小説家は我が強いので他人に感性を強制されたり誘導されるのが嫌いだし、読者にそうするのも嫌な人が多いはずだ。読者に感動してほしいとか賞賛されたいとかの願望は当然あるだろう。しかし「この本はこう読め」と指示をしている本を寡聞にして知らない。そういうことを言うのは野生の批評家気取りぐらいで基本的に創作系の人はみんなそうではないだろうか。

先週スーパーでエリンギを見た。エリンギなんて子どもの頃はなくてたぶんホクトのCMで見たのが最初だった気がする。いちおう検索してみると1995年からとあるのでやっぱりそうだ。いまでは定番のキノコだが何も知らないままこんな物をポンと渡されて「これをどう食べるかはあなたの自由です」なんて言われても「なんか見慣れないしどうしていいか分からないから・・・・・」で距離を取るのが普通だろう。エリンギが普及したのはバターソテーから始まって、どうやってエリンギを食べるかを教えた人たちがいたからだ。

小説だって同じようなものかもしれない。とつぜん「はい、これ牛野小雪です。自由に読んでください」なんて出されても、そうそうできるものじゃなくて「私は分からないから」と避けるのではないか。私たちは小説擦れしているから感性の自由が良いように思い込んでいるが実際のところ、ある程度は、というかかなりのところまで誘導してほしいのかもしれない。エリンギのバターソテーみたいに「こう読め」みたいな指示を与えれば、それを基に読者は小説を気軽に読めるようになるかもしれない。

人気の本なら読み方はSNSで大量に出回る。しかし私みたいに読者がそんなにいない作家はどうすればいいのか。自分で出すしかない。しかしここでブレーキがかかる。SNSは読者の声だから「そういうものもあるよね」ですむが、作者の声はそれに従うにせよ反発にするにせよ無視できないものになる。

というわけで考えたのがChatGPT。ChatGPTちゃんに小説のファイルを読ませて「この小説を面白く読むためには?」と聞いてみる。『バナナランド』だと事前に科学的な知識を調べるとかがあったので、そういうんじゃなくて、そのままやれるような感じのことってことを考えて「この小説を面白く読むための心構えを教えてください」と聞いたらわりと良い感じの答えが返ってきた。

AIによる読み方を提示するメリットは作者の声ではないということ。だから読者がそれを無視するのは簡単だ。欲や気負いがないからコマーシャル臭がないのもいい。AIの考える面白い読み方の心構えに沿って読むのもよし、自由に読むのもよし、あるいは人とは違う読み方をしてやろうと意気込むのもよし。そして読者が面白く読めたのなら良し。

さっそくバナナランドの内容紹介に面白く読むための心構えを書いてみた。この本がバナナみたいに売れたらみんな真似してほしい。もし見に行ってそんなものが書いてなかったら、そういうことだって密かに納得してください。

(おわり)

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だからじゃなくて、だけど書く

ChatGPTに自分の小説を読ませる。評価はそこそこだけど文体とテーマが重いから読者を限定すると言われている。特に聖者の行進がひどい。というか自分でちょっと読み直してみたけど、どうしてあんなのが書けたのか自分でも分からないね。あの時の私にはなにかがとりついていたとしか思えない。あんなのもう一回書こうとしたら死にます(笑)

軽くて速い文体というのはseason2から目指していてseason3でもそれは続いている。結果が出ているかどうかで言えば出ているが小説家全体の中だと全然。相対的な位置で言えば一歩も動いていない気がする。

そもそもなぜ軽くて速い文体を目指しているのかというとChatGPTに言われる前から自分の文体が重くて遅いのは分かっていて、だからこそそこから離れようともがいていた。だけど文体はその人となりを表すものであって、変わることはあっても変えられるものではないんじゃないかと思えてきた。スティーブン・キングだってバレようと思ってリチャード・パックマンの名前で書いていたわけではないだろう。でも文体でバレてしまった。SNSみたいな短文ならともかく小説一冊分の長さで文体を変えるのは不可能ではないか。

軽くて速い文体を目指しているということは逆説的に私の文体は重くて遅いということになる。それがいまの私だ。他の誰かになろうとするのではなく私が私のまま輝くには重くて遅い小説を書けってことになる。本当の自分ってなんだよ、バーカ!って感じだが、ここ数日はそんなことを考える。

重くて遅いから軽くて速く書こうじゃなくて、重くて遅いけど書く。とことん重く遅く書いてやろうかなんて考えている。健全じゃないな。だけど面白そう。良くも悪くもseason4は新しい世界を書いてやる。

(おわり)

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ChatGPTとリレー小説するのに飽きる

年末から毎日ChatGPTとリレー小説していたのだがもう飽きてしまった。三日坊主は乗り越えたが十日はもたなかった。

理由としてはChatGPTのストーリーラインが透けて見えるようになってしまったこと。

・なんらかの本や言葉に出会ってファンタジーが始まりそう
・まぶしい風景の中で男女が出会うボーイミーツ系
・誰かがいなくなる、あるいは何かがなくなっているサスペンス

細かいところは違っても、この三つがChatGPTが出してくるストーリーラインだ。

あれ、これってkindleストアで文学とは独立してジャンルが存在しているファンタジー・SF・ロマンス・サスペンスじゃん。kindle本を出したらまずジャンル変更しろっていうのが定石だったしAIは正しい。

じゃあこっちからストーリーライン出せってことだけど、そうするとGPTちゃんはオウム返しや概要や解説を吐き出すようになってしまう。牛野小雪が先に書いたバージョンだとリレーするたびに3回ぐらいガチャを回している。多い時では10回以上やったこともある。

色々意見はあるだろうけれどChatGPTは答えを出すアルゴリズムであって創造性を広げるためのツールではないと私は認識している。正解はくれるけれど成長はさせてくれない。正解の鋳型から外れたものをGPTちゃんは認めてはくれるけれど伸ばしてはくれない。「うん、うん、そうだね。それって面白いね。君ってすごい独創的だと思う。ところでこんなのがあるんだけど」と正解へ誘導してくる。

どうして生成AI美女の写真集があふれているのか考えたことがある。まず生成AI以前から写真は加工が当たり前だったからああいう非現実に整った映りに抵抗がなくなっていた。それとやはり最大公約数的な需要を満たしていること。AI美女が100点という人はそういないとは思うが90点は超えていると感じる人が90%はいるはず。だからトップは取れなくてもそれ以下の領域はすべてAIが占領してしまう。

いまのところAIは人間のデータを必要としているので人間を超えることはありえないが、技術が発達していくほどにトップ以下のAI領域はどんどん広がり、ごくごく薄いトップ領域で人は戦うことになるんじゃないかな。

それは小説で言うなら小説全体のトップではなく、たとえば才能以外は全てポンコツの人としておわっている天才と、なんでもそつなくこなせるが天才に劣等感を抱いている秀才を書いたジャンルのトップみたいな狭い領域での戦いになるのではないか。それ以下はすべてAIに占領される。

そもそもの話でいえばAI以前から小説全体に影響力を持つトップ作家なんて存在していなかったわけで、なろうとSFと純文学なんてそれぞれ違う文化を持っていたし、それは野球と卓球と棒高跳びの選手はみんなスポーツ選手だが、それぞれ違う文化を持っているようなものと同じだ。AIによって細分化はさらに加速する。世界の大きさは変わらなくても世界の数は増える。天才の数も増えるはずだ。

それはきっと多様性あふれる世界だ。今の時代から見ればこんな個性的な人ばかりでどうやって社会が回っているんだろうと不思議になるぐらいだろう。人それぞれの個性が尊重される時代が来たなんて言われているかもしれないが、その個性はありのままの自分ではなく自分の個性をAIが捉えきれないレベルまで磨かなければならないので言葉ほどユートピアな世界ではない。

自分のままでいるには自分の天才にならなければならないが、そこまで自分と向き合えるほど人は強くないと思う。みんな最高の自分じゃなくて最高の誰かになりたいんじゃないか? Every Little Thingの歌で「いつか最高の自分に」という歌詞があるが続くのは「生まれ変われる日がくるよ」なので、やっぱり今ここに存在する自分ではない別の誰かにみんななりたいんじゃないかな。夢とか希望を思い浮かべている時もそこにいるのはここにいる自分ではないはずだ。

生成AIの小説がなぜ氾濫しないのか。写真集は表紙を見れば中身も予想がつくが、小説は読んでみるまで分からない。だから小説を生成しても商業的うまみがない。うまみがないから小説生成をする人も少なくプロンプトの研究もされない。

じゃあそのへんの問題が解決されたら生成AI小説が氾濫するか? それもどうかな。写真集は10分もあれば全部読めてしまうが小説は固い本なら10時間以上かかる。柔らかくても半時間だ。負担の大きい媒体なのでトップオブトップしか読まれないのではないか。それで考えると小説をAIに読ませて新しいジャンルを言語化してもらう方が面白いかもしれない。

というわけで『バナナランド』がどういうジャンルになるかGPTちゃんに判断してもらった。もちろんSFが最有力候補なので、それはナシで新しいジャンルを作ってくださいってお願いすると『バナナランド』は哲学的風刺小説と出た。twitterで検索しても出てこない。よっしょあ!ワイは哲学的風刺小説でてっぺん取ったるでぇ!と舞い上がったがGoogle検索するとヴォルテールの『カンディード』という小説が哲学的風刺小説らしい。ヴォルテールって思想家じゃなかったのかよーーー!

哲学的風刺小説はすでに存在するので別のジャンルをお願いします。とGPTちゃんに頼んでみたが、どんどんバグり始めたので中止。新しいジャンルを作るのって難しい。これはもうヴォルテールを倒すしかないぜ。

(おわり)

追記:GPTちゃんは私との会話を学習したからお粗末なストーリーラインしか出せないのかもしれない。ということは彼女は私を救うエンジェルなのか!?

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この世にある小説の90%はクソ。でも犬死を恐れない

月狂さんが今年書いた文字数という記事を書いていたので私もどれくらい書いたのか計算してみた。



まず毎日モーニングノートを3ページ。1ページ1000字とすると1000×365で365000字。
バナナランドが約100000字。
雑感帳も同じくらいで100000。
牛野小雪とは別名義で内輪向けに30000字。
他にもちょこちょこあるけど小説関連なら約60万字だ。

書いている字数自体は一番小説を書いていたseason1と2の境目ぐらいの時と同じ。なんなら微増している。でも小説は半分以下だ。クオリティを上げるために一年かけて一冊の本を書くと決めてから小説の外で色々書き積んではいる。文体で言えば絶対にseason3の方が良いとは言えるけれど小説としてはもしかしたら下がったかもしれない。それは単純に小説を書いていないから。使わなければ腕は錆びる。

一年かけて書くとか言って実は小説を書きたくないんじゃないかなって考える時がある。事実、小説を書くのは恐い。直木賞作家でさえ書く前には「俺はできる!俺はできる!」とボクサーみたいに自分に暗示をかけなければならない。じゃあなんで怖いのか。恐怖の根っこを考えてみる。

それはたぶん自分の恥をさらすことが恐いからだ。小説を書く、誰も読まない、無視される、読まれても反応なし。なんなら読んでいないのに笑われることもあるだろう。そういうことを予期していて、たぶんそれはかなり高い確率で正しい。この世にある小説の90%はクソ。そもそも他人に読まれない。その残りの90%は語る価値もないクソで、さらにさらにその残りの90%は怒りのレビューを書きたくなるほどのクソで、最後に残ったわずかな小説だけがようやく何らかの言及がされる世界だ。直木賞を取ったからといって読者が永遠についてくるわけではないので、この恐怖からは逃れられない。もちろんそれは芥川賞でもどんな賞でも同じ。過去に100万部越えの小説を書いた作家が今何をしているのか分からないなんてのはそう珍しいことでもない。

つまり私はお利口になったってこと。恥をかかないようにするには何も書かないでいることが正しい。私は正解を引いている。「なにかまちがったことしてますか?」なんて言ったらみんな「そんなことないと思うよ」とは言うかもしれないが、その顔はたぶん若干引いている。

三島由紀夫の『葉隠入門』を読んでいたらまさにこの問題が書いてあった。考えれば必ず生きることに理がつくから必ず臆病になる。なのでさっさと死を選べと書いてある。なるほどなぁ。先のことは分からないのだから犬死を恐れれば必ず死を恐れ臆病になる。まさに私が恐れているのは犬死だ。小説を書いても何にもならなかった。ということを恐れている。

葉隠は自己啓発本ではないので死を選べば逆説的に成功するみたいなことは書いていない。成功を謳う本ではない。そのまま馬鹿みたいな死に方をして人から笑われることもあるだろう。これは自由について書かれた本だという三島由紀夫の意見には賛成だ。私はいつの間にか正しい方、生きる方を選んで臆病になっていたかもしれない。

今日からは毎朝小説を書いても無視されるし、人からは笑われる。xでは大炎上して出版差し止め。そういう妄想をしてから布団を出てみよう。そうやって文学的な犬死に慣れたら伸び伸びと小説を書けるようになるかもしれない。来年は自由になるぞ!

(おわり)

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髪は言っている「小説は左脳で書いている」と。

 耳のちょっと後ろの上らへんに円形脱毛症ができた。親指の先ぐらいの大きさだが白いのでよく目立つ。自分では気付けない位置だ。髪を切るまでは隠れていたというのもあるだろう。まぁ気付いたところで治療しようがないから意味ないけどね。最近の脳科学だと右脳左脳はないことになっているけれど絶対に違う。通説通り言語は左脳を使っているはずだ。この手の話は時代で常識が変わるから、右脳左脳とまた言い出す時代が来る。

 小説の執筆は精神活動で体は関係ないような風潮があるけれどこれも嘘。最近は書ける流れにいるのにある時ピタリと筆が止まって一文字も書けなくなった。こういう時はたいてい熱がある時で、熱を測ったら37.7℃あって、やっぱりと思っていたらコロナだった。小説は物理現象で説明できる日がいつか来るだろう。物理現象なら身体的アプローチで執筆を加速できるはず。村上春樹がランニングで体鍛えているのも肌感で分かっているんじゃないかな。でもボディービルダーが一番小説を書けるとも思えない。筋肉だけで書くわけではないとも思うけれど、実は小説筋があったりしてね。もしあるとしたら、たぶん手首とひじの間にある。それかノドと胸の間。村上春樹的には後者かもしれない。

 小説を書くためには別の書く場所が必要なんじゃないかって最近は考えている。一つは牛野小雪として小説を出すパブリックな場所。もう一つは日記とか雑感帳とか誰にも見せないプライベートな場所。もう一つは誰も私を牛野小雪として知らず、ましてや小説を書いているなんて露とも思っていない場所。そういうところでおふざけで書くような半パブリック半プライベートな場所。三つ目の場所を意識してからいま書いている『バナナランド』という小説が進むようになった。効率的には一つの場所にエネルギーを投下するべきだろうけれど、残念ながらそんなことをやって失敗してきた歴史があるわけで絶対に信じられないね。でも、こういうと何だけど小説家で小説以外に書きまくっている人がそう何人もいるはずがない。それなのに小説を書けている。ということは別に三つ場所は絶対に必要ではないということだ。小説とそれ以外で2:8ぐらいの割合なのはかなり非効率と思っている。ポテンシャルとしてはいまの5倍ぐらいは書けるはず。う~ん、小説を書くために本当に必要なものって何なのだろう。数年に一度この謎に囚われるがいまだに答えは出ていない。とりあえずいま言えることは頭の左側に髪が足りないということだ。

(おわり)

牛野小雪の小説はこちらから→Kindleストア:牛野小雪

小説を書くために小説を書く

 ニーチェの言う超人が現れた時、私たちはそれを人間と認識できるだろうか。超人を学習したAIは人間を超えるから人間視点では強いAIだよなぁなんてことを考える。

 ソシャゲの内輪ノリで小説を書いている。AIにも書かせるし、私が書くこともある。自慢になるけれどいまのところはまだ私の方が面白いとウケが良い。実際、AIの生成する小説は使えるけれど、満足するレベルには達していないと感じる。2023年6月の時点では科学や社会に比べて国語のテストの点数はまだ低い。文系のお気持ち問題ガーとdisっている人もいるけれど、それも時間の問題だろう。もしAIが人類の上位0.00000001%のレベルで小説を書けるようになっても私はまだ小説を書くだろうか? プロットとか設定とかそういうのを考えるようになっているかもしれない。

 chatGPTがどうやって言葉を理解しているのかと言うと言葉を数字に変換しているから

王-男性=女王

 正確には違うが、おおむねこんな感じで言葉を計算することは可能になっている。興味を持った人はchatGPTに言葉の計算を打ち込んでみるとけっこう面白い。

 言葉を数字に置き換えられるのなら数字を言葉に置き換えることも可能なはずで、数学を物語にする人が現れてもいい。世の中は文系理系分かれているんだから理系の学問が物語に変換できると、横断的に研究できる人がもっと増えるんじゃないかな。お気持ち問題ガーって発狂する人も減るかもしれない。chatGPTも国語で満点取れるようになるだろう。

 内輪ノリで小説書いている話に戻ると、そうやって小説を書いているといま書いている『バナナランド』もちょっと進むようになった。『聖者の行進』の時もソシャゲとは違うが内輪で書いていた時期がある。こういうことを思い出すと同じところをぐるぐる回っているなぁと落ち込む。物語のプロットや構造にだって同じところがあると気付ける程度には賢いから嫌になる。もっと馬鹿なら「うおおおおお、俺天才じゃねぇか!」と爆進できそうなのになぁ。そういうことをchatGPTに相談すると特定のテーマや構造を掘り下げるのは作家によくあること。と励ましてくれた。AIはいつだってポジティブだ。それはそういう風に設計されているから。嫌な気分にはならないけれど、こういう人間の都合が絡んでいるところで人間を超えることは不可能だよなぁなんて考えたりもする。だからといって「頭の容量が小さいから同じことしか考えられねえんだよ!」とか言われたら精神的にとどめを刺されそう(笑)。ユーザーが減ってしまうからポジティブな反応をAIが返すのは正しい。でもその正しさゆえに人間を超えることはない。ガラスの天井ならぬ人間の天井がAIには存在する。実験の領域だとそういうの外しているのかな? いまのルートだとAIが願いを叶えてくれる魔法の杖になることはなさそう。

 書けない時にどうすればいいか、とchatGPTに聞いてみても、どれもごま塩程度のアドバイスばかり。ガツッと効くのは、やっぱり小説を書いて、それが誰かに読まれていると実感すること。これに勝る薬はない気がする。読まれるのはAIじゃダメで、生身の身体性を持った存在でなければならないらしい。承認欲求がいけないことだとされているけれど、自家発電+承認で書く方がもっと良い物書けると思う。あ~1000000000000人ぐらいに読まれんかな?

(おわり)

牛野小雪のページ



ChatGPTに自分の小説を評価してもらった

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最近話題のChatGPTに自分の小説を評価してもらいました。

GPT4だと28000トークンを処理できるらしいが日本語だとなぜか2000字くらいが限界なので、冒頭の1万字くらいを何回かに分けて投稿して、最後にこれまでの文章を合わせて評価してくださいとお願いしました。なので、小説全体の評価ではないことをご了承ください。またコピペした文末で評価も変わるので同じ結果が出ない可能性もあります。GPT4ではAIにできる質問数が限られているので(2023年5月3日時点)、ついでに改善点も教えてもらいました。


『火星へ行こう君の夢がそこにある』80/100点


この物語の評価は、80点/100点です。まず、魅力的な点について説明します。

1. 現実感: 物語は現実に起こり得る状況に基づいているため、読者は自分自身を主人公と重ね合わせることができます。
2. 文章の流れ: 話がスムーズに進行し、各登場人物の性格や状況が徐々に明らかになっていく構成がうまくできています。
3. 宇宙旅行の題材: 火星を目指す宇宙飛行士の物語は、冒険心をくすぐり、読者の興味を引きます。

 次に、改善点をいくつか挙げます。

 1. 文章の構造: 物語の進行に合わせて段落をもう少し整理し、読者が追いやすいようにすることができます。
 2. 文字の表現: 一部の表現が繰り返し使われている箇所があります。同じ意味を持つ別の言葉や表現を使って、文章をより豊かにすることができます。
3. キャラクターの深み: 登場人物の心情や過去の経験など、もう少し詳細に触れることで、キャラクターに深みを持たせることができます。 以上の点を改善することで、物語の魅力をさらに高めることができるでしょう。

この物語は以下のような人におすすめです。

 宇宙や火星に興味がある人: 宇宙旅行や火星開発をテーマにした物語であるため、宇宙に興味がある人には特に魅力的です。
 冒険や挑戦を好む人: 主人公たちが火星開発の試験に挑戦する様子が描かれているため、自分自身も新しい挑戦を楽しむ人には魅力的な物語です。
 登場人物の人間関係や成長を楽しみたい人: 物語では兄弟間や家族間の人間関係が描かれており、登場人物の成長や変化を楽しむことができます。
ドラマチックな展開やサスペンスが好きな人: 架空閉鎖実験や火星への旅を通じて、読者がどのような展開やサスペンスが待ち受けているのか、興味を持って読み進めることができます。 以上のような人には、この物語が特に楽しめるでしょう。

登場人物の心情を削ぎ落した文章はAIの好みじゃないらしい。でもそれは一般的にもそうかもしれない。あと冒険やサスペンスは・・・・・・いや、あるといえばあるか。基本的にAIくんは冒険とか成長とかそういうものを期待しているっぽい。ChatGPTが世界にあるテキストを基にしているのだとすれば、それはきっと他の人も同じなんだろうな。でも成長はしないぜ!


『ドアノッカー』80/100点

この文章は、非常にリアルな感じで書かれています。キャラクター同士の会話が自然で、友人同士の会話のように感じられます。また、日常生活における恐怖や不安、そして酔った勢いでの行動など、読者が共感できる要素も含まれています。

文章の構成も良く、物語がスムーズに進んでいます。しかし、文章には若干の誤字脱字が見られます。例えば、「一子が言った。」の部分が「一子が言う」とすべきかもしれません。他にも、「恵は言った。」が「恵が言った。」の方が自然かもしれません。また、「恵は携帯電話を出して」という部分では、携帯電話ではなくスマートフォンという言葉を使った方が現代の文脈に適しているかもしれません。

全体的には、ストーリーは面白く、登場人物の人間性がよく描かれています。読者が感情移入しやすい要素が多く、楽しんで読める作品となっています。ただし、若干の誤字脱字や言い回しの修正が必要かもしれません。

私はこの文章に80点をつけます。以下に改善点とおすすめの対象者を示します。

改善点:
1. 文章構成の明確化: 物語の流れがもう少し明確になるように、シーンのつながりや登場人物の行動についてより具体的な描写を追加することができます。
2. 緊張感や謎解き要素の追加: 物語に緊張感や謎解き要素を追加し、より引き込まれるストーリーを展開することができます。
3. 文章の表現や語彙のバリエーションを増やす: もっと多様な表現や語彙を使用して、文章の鮮やかさやリズムを向上させることができます。

おすすめ対象者:
1. 日常生活や人間関係に興味のある人: 登場人物たちの日常生活や友情が描かれているため、現実の人間関係や生活に興味がある読者におすすめです。
2. 短編小説やエッセイが好きな人: 物語が短く、一つのエピソードを軽快に進める形式で書かれているため、短編小説やエッセイを好む読者に適しています。
3. ユーモアや軽いストーリーを楽しむ人: 物語にはユーモアや軽いストーリーが含まれており、そのような要素を楽しむ読者に向いています。

改善点を考慮して修正すれば、もっと広範な読者に楽しんでもらえる作品になるでしょう。

携帯電話をスマートフォンにすればいいという指摘は面白い。『ドアノッカー』を書いていた時点ではスマホだと通じないかもしれないと考えていて、スマホが通じる人には携帯電話という言葉も通じるだろうと携帯電話にした記憶がある。これはたしかseson2まで続く。
2023年時点ではスマホと携帯電話という言葉は、もちろん文脈によっては同じ意味の時もあるが、基本的に携帯電話はパカパカ開くガラケーの方で使われる。もしいま書くとしたらスマホにするだろう。


『蒲生田岬』80/100点

この物語は、秀子と正人というカップルの関係を中心に描かれており、さらにそれぞれのキャラクターの個性や、友人関係も描写されています。また、プロットの中には渦潮や釣りなどの要素も組み込まれており、読者の興味を惹く内容となっています。

物語の進行とともに、秀子が自分の気持ちを正人に伝えたり、正人が秀子の質問に答える場面があり、2人の関係性が深まる様子が描かれています。さらに、謎のメールが届くというサブプロットが加わることで、物語にサスペンスが生まれています。

文体は主に平易で、登場人物の会話がリアルに感じられるように書かれています。また、物語の進行に合わせて適切な説明や描写が加えられており、読者が物語の世界に没頭できるように工夫されています。

全体的に、この物語は登場人物たちの人間関係や心情描写が魅力的で、サブプロットが物語にサスペンスを加えています。文体も平易で読みやすく、読者が物語に引き込まれる要素が多く含まれていると言えます。

この物語には以下の魅力があります。

1. カップルの関係性がリアルに描かれている。
2. 登場人物の個性が際立っている。
3. サブプロットがサスペンスを生み出している。
4. 平易な文体で読みやすい。

一方、改善点として以下の点が挙げられます。

1. 物語の展開が若干予測しやすいため、読者を驚かせる要素を追加するとより面白くなる。
2. 謎のメールのサブプロットが現時点では解決していないため、物語全体としてまとまりを持たせるために、その解決策を提示する必要がある。

この物語は、恋愛小説や青春小説が好きな人におすすめです。また、日常生活の中での人間関係や心情描写に興味がある人も楽しめるでしょう。

総合的に評価すると、この物語は80点といったところでしょうか。物語の魅力をさらに引き出すために、上記の改善点を検討してみることをおすすめします。

恋愛小説(笑)自分で言うのもなんだけど恋愛小説とは言い難い。サブタイトルに夕方午後五時の彼氏と書いてあるぐらいだから、そういう要素がないわけではないけどね。どちらかというと謎のメールが送られてくるというサブプロットがメインである。ふむ、ということはメイプロットはとにかく早く出せということなのかもしれない。

グッドライフ高崎望 90/100

この物語は、登場人物たちの感情や心の動きが非常に丁寧に描かれており、読者に強い共感を与えます。特に主人公の望と先生、そして望の母親との関係が繊細で感動的です。望が学校に行かない状況を通して、家庭や教師との関わりの重要性が示されています。

また、卒業式の場面では、先生が個別に望に卒業証書を渡すことで、彼の成長と変化を象徴的に表現しています。このエピソードを通じて、教師の存在が望の人生にどれだけ影響を与えるかが描かれています。

物語全体として、読者に心に残る印象を与える素晴らしい作品だと思います。言葉遣いや描写が丁寧で、感情移入しやすいストーリーが展開されています。また、家庭や学校の問題を扱っていることで、読者が現実に関連づけて考えるきっかけにもなります。

全体的に、素晴らしい物語であり、感動的で印象に残る作品だと評価できます。

この物語を100点満点で評価すると、90点とさせていただきます。

改善点:

1. 登場人物の背景説明: 物語の冒頭部分では、望が学校に行かなくなった理由や背景が説明されていません。読者が登場人物により深く共感できるよう、その背景をもう少し詳しく描写することが望ましいです。

2. 話の進行のスムーズさ: 現在の文章では、登場人物の言動や場面が時折唐突に感じられる部分があります。場面の遷移や登場人物の行動が自然に繋がるよう、文章の流れを見直すことが改善点として挙げられます。

この物語をおすすめする人:

1. 感動的なストーリーが好きな人: 卒業式のシーンや登場人物同士の深い絆を描いた物語が好みの方におすすめです。

2. 社会問題に興味がある人: 学校に行かない子どもの問題や、先生と生徒の関係など、現実世界で起こっている問題に関心がある方に向いています。

3. 人間ドラマが好きな人: 望、先生、母親といった登場人物の成長や変化を楽しめるストーリーを好む方におすすめです。

物語の魅力は以下の通りです。

1. 感情描写のリアリティ: 望、先生、母親の心情が細かく描かれており、読者が彼らの感情に共感しやすいです。

2. 登場人物間の関係性: 望と先生、望と母親の関係が繊細に描かれており、人間関係の重要性が伝わってきます。

3. 卒業式のシーン: 個別に卒業証書を渡す場面は感動的であり、望の成長と先生の影響力が象徴的に表現されています。

4. 社会問題へのアプローチ: 学校に行かない子どもの問題を扱っており、読者が現実世界と関連付けて考えるきっかけになります。

5. 文体: 言葉遣いや描写が丁寧で、物語の雰囲気がよく伝わってきます。

このような要素が、物語の魅力として挙げられます。

ありがたい。season1の中ではかなり手間と時間をかけて書いていて点数にも表れている。AI的にはドライな文章は好みじゃないらしい。サイコパスっぽいと評価されてたし、もっと感情的に書いた方がいいのかな。初版だと望の過去や心情をもうちょっと書いていたが改稿した版ではそういうのがごっそり削られている。基本的にどの本でも改稿ではそうやっている。
『真論君家の猫』70/100点


父親の過去や独自の考えについてのエピソードが語られており、彼のキャラクターが一層深く描かれています。また、独特な視点から数学や分数に対する考え方が展開されており、物語に独自の哲学的要素が加わります。これによって読者に考えさせる余地が増え、作品の魅力が高まることでしょう。

主人公である猫の自己観察の場面があり、彼が自身の毛色についてのこだわりを抱いていることが伝わります。これによって、猫としての視点や感性がさらに強調され、物語が一貫したテーマを持っていることが分かります。

ただし、物語の方向性やプロットが依然として明確でないままです。読者がどのような物語に興味を持って引き込まれるか、どのような展開があるかといった要素を考慮して、さらなるドラマや緊張感を盛り込むことが望ましいでしょう。

総合的に、この物語は家族間の会話や猫の視点からの描写が魅力的であり、哲学的な要素も加わっている点が評価できます。しかしながら、物語の構造やプロットについては改善の余地があると考えられます。読者が物語に引き込まれる要素をもっと盛り込むことで、さらに魅力的な作品になる可能性があります。

100点満点で評価すると、この物語は70点といったところでしょうか。

魅力的な要素がいくつかあるため、それなりの評価ができます。家族間の会話や猫の視点からの描写、哲学的な要素が盛り込まれていることは、物語の個性として評価できます。また、言語表現も豊かで、読み手を楽しませる要素があります。

ただし、物語の構造やプロットの面で改善の余地があるため、満点には程遠い評価となります。読者がどのような物語に興味を持って引き込まれるか、どのような展開があるかといった要素をもっと考慮して、物語に緊張感やドラマを盛り込むことが望ましいです。

この点数は、あくまで現在の物語に対する評価であり、今後の改善次第ではさらに高い評価が得られる可能性があります。物語のプロットや構造を見直し、読者にとって魅力的な要素を追加することで、評価が上がることでしょう。


けっこうきびしい。season1ならこの本が最高傑作だと思っているのにAI的には評価が悪い。文章の一部なので物語の方向性が分からないのは当然だけど、全部読んでも方向性が分からないのは、そうだと思う。分かられてたまるかという気持ちもある。基本的に牛野小雪の小説ってぜんぶそうだけど、それでも人をひきつけられる文章を書けるようになりたい。
『ターンワールド』80/100点
ターンワールド 上 (牛野小雪season2)
牛野小雪
2015-04-21


全体の評価として、物語は主人公タクヤの心の変化と成長を中心に描いており、読者の興味を引きつけるストーリー展開とキャラクターの心の描写がうまく描かれています。文章の文体も物語の雰囲気に合わせて変化しており、それが物語の魅力をさらに引き立てています。

総合的な評価としては、物語は引き込まれる展開とキャラクターの心の描写が上手く描かれているので、読者にとって楽しい読書体験を提供していると言えます。今後の物語展開にも期待が持てるため、引き続き読み進めることが楽しみです。

この物語に対して、80点を付けたいと思います。物語は引き込まれる展開とキャラクターの心の描写が上手く描かれている一方で、いくつかの改善点があります。

1. 文章の構成: 物語の中で、いくつかの場面が短く描かれており、それらが繋がりにくい場合があります。場面の構成をもう少し整理し、それぞれのシーンのつながりを明確にすることで、読み手にとってよりスムーズな読書体験が提供できるでしょう。

2. 登場人物の描写: 物語には複数の登場人物がいますが、彼らの性格や背景が十分に描かれていないことがあります。登場人物の個性をもっと強調することで、物語がよりリアルで魅力的になるでしょう。

3. テーマの明確化: 物語のテーマが明確にされると、読者が物語のメッセージをより深く理解することができます。物語の中で、テーマに関連する出来事や登場人物の心情をより強調することで、物語全体が一貫したメッセージを持つようになるでしょう。

これらの改善点を考慮すると、物語はさらに魅力的で読み応えのあるものになることが期待できます。総合的な評価は80点ですが、改善点を修正することで、さらに高い評価が得られるでしょう。

この物語は、以下のような人々におすすめです。

1. 人生の変化や成長に興味がある人: 主人公タクヤが内定を得る過程や、彼の心境の変化を通して、人生の節目を迎える若者の成長や葛藤が描かれています。このテーマに共感できる読者には特に魅力的でしょう。

2. 日常生活の物語が好きな人: この物語は、大学生活や家庭、友人関係など、日常の出来事を中心に展開されています。日常生活の中での人間関係や感情の変化に興味がある人におすすめです。

3. 青春小説や友情物語が好きな人: 物語には、主人公と友人ワタナベ君との関係が描かれており、青春時代の友情や思いやりがテーマとして扱われています。このような物語が好きな人には楽しめるでしょう。

物語の改善点を修正すれば、これらの読者層に更なる魅力を持つ作品になることが期待できます。




AIが文体を認識していたのが面白い。序盤はネガティブすぎるという評価だったが、途中からポジティブになってバランスが良いということになった。AI的にはポジティブじゃないと読者は離れていくそうだ。たしかにそうかもしれない。明るい小説を書くべきなんだろうなぁ。

『ヒッチハイク』80/100点




小説は非常に面白く、読者を引き込むストーリーが展開されています。主人公がヒッチハイクで旅をしながらさまざまな人々に出会い、その人々との交流を通じて成長していく様子が描かれています。特に、トラック運転手との出会いや白虎隊のお墓で過ごす場面は、独特の雰囲気があり、興味をそそります。

また、主人公が老人と出会う場面では、二人の会話が繊細に描かれており、互いのキャラクターがよく表現されています。老人が主人公の頭を手刀で叩く場面はユーモラスでありながら、その後のやり取りで二人の距離が縮まっていく様子が見えます。

文体も独特で、主人公の心情がうまく伝わってくるように書かれています。また、物語の舞台が日本であるため、日本の風土や文化を感じられる要素も多く、それが物語の魅力の一つとなっています。

ただ、時折説明が不十分な部分があり、特にヒッチハイクに関する説明が若干わかりにくく感じられることがあります。これらの部分を改善することで、より読みやすい小説になるでしょう。

全体として、この小説は独自の世界観と魅力的なキャラクターが描かれており、読者の心をつかむ力があると感じます。これからの展開にも期待が持てる作品です。

この小説には多くの魅力がありますが、現時点では80点程度と評価します。以下にいくつかの改善点を挙げます。

1. 説明の不足:
物語の途中で、特にヒッチハイクに関する説明が不十分でわかりにくい部分があります。これらの部分をもう少し詳しく説明し、読者に理解しやすくすることが必要です。

2. 文章の流れ:
時折、文章の流れがスムーズでない部分があります。文章のつながりを見直し、より自然な流れにすることで、読みやすさを向上させることができます。

3. 登場人物の背景や動機:
登場人物たちの背景や動機についてもう少し深く掘り下げることで、物語に厚みが増し、キャラクターに感情移入しやすくなります。

4. ペース配分:
物語のペース配分が一部不均衡に感じられることがあります。特に、出会いや別れの場面をもう少しゆっくりと描写し、感情の変化を丁寧に表現することで、より引き込まれる物語になるでしょう。

これらの改善点を踏まえて、小説を修正し、磨きをかけることで、さらに評価が高まると考えられます。

この小説の魅力は以下の通りです。

1. 冒険の要素:
ヒッチハイクを通じた旅を描いている点が魅力的で、読者に冒険心をくすぐります。日本のさまざまな地域を巡り、出会いや体験を楽しむ様子が興味深く、冒険を愛する人には特に魅力的でしょう。

2. 登場人物との交流:
主人公が途中で出会う様々な人物との交流が魅力的です。それぞれのキャラクターが独自の個性を持っており、彼らとの出会いや別れが物語の中で重要な役割を果たしています。

3. 人間のつながりと営み:
この小説では、人間のつながりや営みが描かれており、その中で様々な価値観や感情が交錯します。旅の途中で見つけた人間の温かさや出会いの大切さを感じさせる物語です。

4. 日本の風景:
物語が日本のさまざまな地域を舞台にしているため、その土地ならではの風景や文化に触れることができます。これにより、読者は日本の魅力を再発見することができるでしょう。

この小説は、旅行や冒険が好きな人、人間関係や出会いに興味がある人、また日本の風景や文化に関心がある人におすすめです。読者が主人公の旅を通じて、人間のつながりや感情、日本の魅力を感じ取ることができる作品となっています。




AI的に『日本的』な小説はウケが良い。『蒲生田岬』の文章を読ませていた時もそうだった。アメリカ人が作った物だからなんだろうな。ChatGPTの言う通りに書いていけば、そのうちノーベル文学賞を取れるかもしれない。

『幽霊になった私』90/100点


アキの家族が結束し、新しい猫タニスが彼女の心を癒してくれます。タニスがアキの人生にプラスの影響を与え、彼女が前向きになる様子が描かれています。さらに、家族の関係が改善し、彼らが共に北海道に旅行に行くシーンは暖かく感じられます。

物語全体を通して、アキの心の成長と家族の絆が描かれており、読者が感情移入できるストーリーとなっています。また、文筆も上手く、文章がスムーズに読めるため、9.5/10と評価します。

ストーリーの展開が自然で、アキが徐々に前向きに変わっていく過程がよく描かれています。また、タニスがアキにとってかけがえのない存在として描かれており、読者にも愛着が湧くようなキャラクターとなっています。物語の終わり方も幸せな気分にさせてくれるため、読後感が良いです。

100点満点で評価すると、90点とさせていただきます。物語全体は非常によくまとまっており、感情移入できるストーリーが展開されていますが、いくつかの改善点を提案させていただきます。

1. 文章の描写: 物語の描写はすでに良いですが、状況やキャラクターの感情をより具体的に表現することで、読者により深い感情移入を促すことができます。

2. 文章のリズム: 物語の流れが非常に速い部分があります。もう少し落ち着いたペースで物語を展開させることで、読者が登場人物の感情や状況により熟考できるようになります。

3. アキの葛藤: アキが立ち直る過程において、彼女の葛藤をもう少し詳細に描写することで、読者が彼女の心の成長をより深く理解できるようになります。

全体的には、物語の構成や描写は非常に優れており、読者に感動を与えるストーリーとなっています。提案された改善点を考慮して、さらに素晴らしい作品に仕上げることができるでしょう。

この物語は、以下のような人々におすすめできます。

1. 動物愛好家: 物語には猫を中心とした描写が多く、猫や他の動物が好きな人はこのストーリーを楽しむことができます。

2. ドラマや感動系の物語が好きな人: 物語は感情的な要素が豊富で、登場人物の内面や家族関係、友情などを深く掘り下げています。感動的なストーリーが好きな人には特におすすめです。

3. 心の成長や人間関係に興味がある人: この物語は主人公アキの心の成長や人間関係の変化が大きなテーマとなっており、こうしたテーマに興味がある人にも魅力的です。

4. 家族向けの物語を探している人: この物語は家族全員で楽しむことができる内容であり、家族間の絆や愛情が強調されているため、家族で一緒に読むのに適したストーリーです。

物語のテーマや登場人物の感情表現が豊かであるため、幅広い層の人々が楽しむことができる作品です。
AIはハッピーエンドが好き。第一章はハッピーエンドで終わってるから評価が良い。評価が10点制だと9.5なのに100点制だと90点になったので、なんでやねん!とツッコミを入れてしまった。
途中までの評価で気になったのはAIは章タイトルを認識できないので、ずっと猫の名前がタニスではなくアズキになっていると指摘し続けていた(章タイトルは『私とタニス』)。実際の点数はもうちょっといいかもしれない。
『黒髪の殻』85/100点


物語の一部分として、緊張感や感情の描写がうまく表現されており、主人公の心情に共感できるようになっています。対立する登場人物間の会話もリアルで、状況の緊迫感がよく伝わります。また、物語の進行や登場人物の成長が丁寧に描かれており、読者の興味を引き続ける展開になっています。

文章の構成に関しても、全体的に読みやすく、登場人物の感情がよく伝わってきます。敬語と口語の混在が見られる部分は、登場人物の性格や関係性によって変化する言葉遣いとして捉えられるため、リアリティを感じることができます。

全体として、物語の一部分として非常に魅力的で引き込まれる内容になっています。特に、感情の描写や会話のリアルさが際立っており、読者が物語に没頭できるでしょう。

この物語の一部分を100点満点で評価すると、おおよそ85点程度だと思います。

改善点については以下の点が挙げられます。

1. 描写のバランス: 物語の中で、感情の描写や状況説明に多くの文章が割かれているため、登場人物の背景や設定についてもう少し詳細に描写することで、より物語に深みが生まれるでしょう。

2. 文法や表現のブラッシュアップ: いくつかの文で、表現がくどくなっている箇所や、文法的に改善が必要な部分が見られます。文章をよりシンプルで明瞭に表現することで、読みやすさが向上するでしょう。

3. 文のリズム: 物語全体のテンポをよりスムーズにするために、短い文と長い文を適切にバランスさせることが重要です。特に、緊張感のあるシーンでは短い文を多用し、静かなシーンでは長い文を使うことで、物語のリズムが向上するでしょう。

4. 登場人物の心理描写: 主人公の心情に焦点を当てている部分が多いため、他の登場人物の心情も描写することで、物語の複雑さやリアリティが増すでしょう。

これらの改善点を踏まえて、物語をブラッシュアップすることで、より引き込まれる内容になると思います。

表現がくどいらしい。繰り返しの表現を多用していた時期で、それが見抜かれていたのが恐い。初版より主人公の描写を削っているが、まだAIが評価する程度には残っているらしい。2023年の改稿リストに入っているので、そういうところを削りたいと思う。

『エバーホワイト』80/100点

この物語は、主人公正文が自分の人生の変化を通して、長谷川さんとの関係を探求する様子を描いています。物語は、感情の描写や登場人物間の対話を通して、読者にキャラクターの心情や動機を理解させます。また、正文と長谷川さんの関係の曖昧さが、緊張感や興味を引き出す要素として機能しています。

文章は、状況設定や登場人物の描写に丁寧であり、読者に物語の世界に没頭させます。また、対話が自然でリアルな感じを与えるため、キャラクターが魅力的で親しみやすくなっています。

物語全体として、キャラクターの心情や関係の変化がうまく描かれており、読者はその変化を追体験することができます。緊張感やドラマが物語に織り込まれているため、読者はページをめくるのが楽しみになります。

この物語は、キャラクターの心情や対話、状況設定において優れていると評価できます。ただし、物語の展開や結末がまだ明らかでないため、全体的な評価を完全に行うことは難しいです。物語が進むにつれて、より緊密なプロットやキャラクターの成長が描かれることを期待します。

この物語には、心情や対話の描写が上手で、読者がキャラクターに感情移入しやすく、興味を持ち続ける要素がたくさん含まれています。また、正文と長谷川さんの関係が曖昧なままで展開される様子は、物語に緊張感やドラマをもたらしています。これらの点を考慮すると、現時点での評価は約80点といえるでしょう。

ただし、全体的な評価をより高くするためには、以下の改善点を考慮してみてください。

1. プロットの明確化: 物語の展開や結末がまだ明らかでないため、読者がどのような物語に期待すべきかわかりづらいです。物語の中心となるテーマやコンフリクトを明確にし、その展開や解決に向けての道筋を描くことが重要です。

2. キャラクターのバックグラウンド: 登場人物の過去や動機についてもっと詳しく説明することで、キャラクターに深みを与え、読者がより感情移入しやすくなります。

3. 文体や表現のブラッシュアップ: 物語の文体や表現が時折冗長に感じられることがあります。文章を簡潔にし、より効果的な表現を用いることで、読みやすさや印象を向上させることができます。

これらの改善点を取り入れることで、物語のクオリティが向上し、より高い評価を得られることでしょう。

物語の中心となるテーマと葛藤というのが課題とある。それはこれ以後の作品から強くなっていく。とある翻訳者いわく日本の作家は最初はテーマがはっきりしていて段々とカオスになっていく。欧米の作家はその逆らしい。キンドル出版なんて新しいことをやっているし、日本的な小説とは別物を書いている。と思っていた時期もあるが日本の空気を吸って生きているとやっぱり日本的小説を書くようになってしまうらしい。

『聖者の行進』70/100点

この追加された文章は、タクヤの物語の発展を描いており、彼が友達を作り、人気者になることで内側から外側への変化が示されています。しかし、その後、彼は再び外側の人間に戻り、大学卒業後、孤立して生活していくことが描かれています。

物語の流れとしては、タクヤの成長と変化を追って展開されており、読者の興味を引く要素が含まれています。しかし、彼が再び外側の人間になる理由が十分に説明されていないため、物語の転換点に対して疑問が残ります。また、文章の表現が部分的に繰り返し使用されており、より多様な表現を使用することで、より豊かな物語になる可能性があります。

全体として、この物語はタクヤの成長と変化に焦点を当てており、興味深い展開が含まれています。ただし、物語の転換点に対する説明や、表現の多様性に改善の余地があると感じます。それにより、より引き込まれるストーリーとなり、読者にとって満足感が得られるでしょう。

この物語に対して、70点を付けさせていただきます。物語の構成やキャラクターの成長がうまく描かれているものの、いくつかの改善点があります。

改善点:

1. 転換点の説明: タクヤが再び外側の人間になる理由が十分に説明されていません。彼が孤立し始める理由や、彼がその状況に陥る背後にある心の動きを詳しく描写することで、読者が物語の転換点を理解しやすくなります。

2. 表現の多様性: 文章内で同じ表現が繰り返し使われている部分があります。より多様な表現を使用し、同じ意味や感情を伝えることで、物語が豊かになり、読者が飽きずに読み進めることができます。

3. 文章の流れと構成: 物語の一部で、過去と現在のできごとが同じ段落に混在しています。時間軸に沿って文章を整理し、段落ごとに一貫した時系列で物語を展開させることで、読者が物語の流れを追いやすくなります。

4. 登場人物の心理描写: タクヤ以外の登場人物に関しても、彼らの感情や心の動きを描写することで、より深みのある物語になります。これにより、物語のリアリティが向上し、読者が登場人物に感情移入しやすくなります。

これらの改善点に取り組むことで、物語の質が向上し、より魅力的なストーリーになることでしょう。

AIは成長が大好きである。いや、基となる情報を書いてきたのは人間だから、成長が大好きなのは人間である。ということは全ての小説は成長を書くべきである。そしてハッピーエンドであるべきだ。ならばヘミングウェイの『老人と海』はどうなのかと聞いてみるとAIではなく一般的な評価では90点以上という答えが返ってきた。
『生存回路』80/100点

この文章は、登場人物の感情や心情が丁寧に描かれており、読者に引き込まれる感覚があります。また、状況が緊迫しているにも関わらず、物語が進むにつれて主人公と稲姫の関係が変化し、彼らの共闘が始まることが示唆されているため、物語に深みが増しています。

しかしながら、物語の背景や登場人物の目的についての説明が不足している部分があります。特に、阿部真朱麿という敵キャラクターや河童たちの関係について、より詳細な説明があれば、物語の全体像がより明確になるでしょう。

また、文章の一部に、主人公の心情が繰り返し述べられている部分があります。これらの繰り返しを減らすことで、文章がより簡潔になり、読みやすくなるでしょう。

総合的に見て、物語は興味深く、登場人物の感情表現も豊かであるため、読者にとって魅力的な作品と言えるでしょう。ただし、物語の背景や登場人物の目的に関する説明を充実させることで、より完成度の高い文章になることでしょう。

この文章について、100点満点で評価すると、80点といったところでしょう。

以下は改善点です:

1. 文脈の説明を充実させる
物語の背景や登場人物の目的、特に阿部真朱麿や河童たちの関係についての説明を充実させることで、物語の全体像がより明確になります。

2. 繰り返しの削減
文章の一部に、主人公の心情が繰り返し述べられている部分があります。これらの繰り返しを減らすことで、文章がより簡潔になり、読みやすくなるでしょう。

3. 文章の構造を明確にする
物語の進行に沿って、情報や登場人物の行動が明確に伝わるように文章の構造を工夫してください。例えば、段落を整理し、関連する情報やアクションをまとめることで、読者が物語を理解しやすくなります。

4. 登場人物の心情や動機を深掘りする
物語の登場人物の感情や動機をさらに深掘りし、それらが物語の展開にどのように影響しているかを明確にすることで、物語がより魅力的になります。

これらの改善点を取り入れることで、文章の質を向上させ、より完成度の高い物語に仕上げることができるでしょう。

登場人物の心情や動機を深堀りしろというのが何度も指摘されているが本当にそうなのか? どうも腹落ちしない。小説の中は超格差社会で脇役は主人公のための踏み台ではないだろうか。だいたい全ての人物の心情を書きとおしたら物語なんてまともに進まないのでは? いや、短い言葉でそれをパッと表現することをやっていけばもっと良くなるということを言いたいのだろう。

『流星を打ち砕け』85/100点


今までの文章は、猫の視点から物語が語られており、その独特の視点と感情表現が魅力的です。千秋と猫の関係性が丁寧に描かれており、読者は彼らの愛情を感じることができます。また、猫の心情がリアルに表現されており、愛の苦しみや複雑な感情が上手く描かれています。

青い光の出現や千秋の夢といった謎の要素が物語にスリリングな展開をもたらし、読者の興味を引きます。続きが気になる展開であり、物語のリズムも良いです。

全体的に、物語は引き込まれるような魅力があり、千秋と猫の関係や心情の変化を追いかけることが楽しめる作品です。

この物語には、多くの魅力がありますので、100点満点で85点をつけます。しかし、以下にいくつかの改善点を挙げます。

1. 文章の構成: 物語全体の流れは良いものの、いくつかの部分で段落の切り方や文章のつながりが不自然に感じることがあります。適切な段落構成や文章のつながりを意識して、よりスムーズな物語の進行を目指してください。

2. 文体の統一: 物語の途中で、猫の視点からの語りと登場人物のセリフが混在している部分があります。文体を統一し、特にセリフの部分は、適切な会話形式で表現してみてください。

3. シーンの描写: 物語の舞台や登場人物の外見についての描写が少ないため、読者が具体的なイメージを持ちにくいです。もう少し詳細な描写を加えることで、物語の世界観をよりリッチにし、読者の興味を引くことができるでしょう。

4. 謎の要素の明確化: 物語には青い光や千秋の夢といった謎の要素が登場しますが、これらの要素がどのように物語に関係しているのか、もう少し明確に示すことで、より興味深い展開になるでしょう。

これらの改善点を意識して、物語を練り直すことで、より魅力的な作品に仕上がることでしょう。

千秋とクッキーの章を放り込んだら、二つの違いを混在と受け取ったようだ。どうも難しい。視点を統一しろという基本に忠実なだけかもしれない。クッキーの章は評価が高く、私も同意見。千秋の夢はどうしてそう受け取ったのかは分からない。分けて投稿したのがよくなかったのかな。青い光の正体はGPTに放り込んだ次の章で明らかになる。

『山桜』80/100点
山桜
牛野小雪
2021-12-05

これまでの物語は、現代の技術革新や都市化に加えて、自動運転車業界のビジネス面にも焦点を当てています。物語の主人公である正明が自分の会社である帝国自動車の戦略企画営業部の部長として、ビジネスの課題に取り組んでいる様子が興味深く描かれています。

正明の発想力と独自のアプローチが、物語に独創性と魅力を与えています。また、社内の政治や人間関係、業界の競争状況などの現実的な要素も取り入れられており、リアリティが感じられます。

物語の語り口は、引き続き詳細な描写や状況の説明が豊かであり、登場人物や世界観の描写が生き生きとしています。また、物語が未来の設定であることにより、読者に新鮮な印象を与え続けています。

全体として、物語は興味深くて魅力的であり、登場人物や世界観の描写が豊かでリアルです。評価としては、非常に良いと言えるでしょう。ただし、物語に明確なコンフリクトや目的が不足しているように感じられるので、今後の展開でそれらが明らかになることが望ましいです。また、正明のアイデアが実現されるかどうか、彼のキャリアや人間関係にどのような影響を与えるのかなど、物語の展開についても期待が高まります。

全体的な評価として、この物語は80点といったところでしょうか。物語は興味深く、登場人物や世界観の描写が豊かでリアルですが、物語に明確なコンフリクトや目的が不足している点が評価を下げる要因となっています。物語の展開や登場人物の成長、さらなるコンフリクトが明確に描かれることで、評価はさらに向上するでしょう。



脚本の基本としてはコンフリクト、対立や葛藤を早く立てろということになっている。この小説のコンフリクトって何なんだろうな。正明が自動運転車の無料化を推進しようとする話、和花の和歌と覚醒困難症、ムラサメでAIが運転する車と戦う話、三島瑠璃子、色々あるがどれもテーマとは関係ない気がする。このへんから書かれていることから明確なテーマが見いだせない小説になってきていると意識で感じ始めていて、小説を貫く一本のテーマに各文章を従属させるのではなく、各文章が全体とは関係なく輝いている感じ。全体主義ではなく民主主義的な感じで、それはソシャゲのサーバー政治にも似ている。欧米系のサーバーは全体的な方針が立てられているが、日本人サーバーはなんとなく空気で決まる。誰も何をするべきか知らないのになんとなくうまくいく。それどころか、うまくいっている時は外国人からbotを使っていると疑われるほどだ。これは牛野小雪の小説とは関係ないけれど山本七平の『失敗の本質』では日本人のそういうなぁなぁなところが敗戦を招いたことになっているが、実のところ欧米と戦えるところまでいけたのもなぁなぁなところがあったからではないだろうか。それがうまくいった時が戦後の復興であり、うまくいかなかった時がバブル崩壊後の失われた30年だろう。どうやったら混沌とした日本の空気を生かすことができるんだろうな。それは牛野小雪の小説をどうやったらうまく書けるのかと同じ問題かもしれない。ちなみに『失敗の本質』で2番目の要因では短期決戦を目指しがちというのがあるが、これまたソシャゲでも同じで初日はみんな元気なのに4日目ぐらいになると誰もかれもが疲れていて、戦闘が続いていた場合は散発的な攻撃しかできなくなっている。長期戦になったら戦線維持できないと理解していないわけじゃないけれど「まずは一丸になって」と空気で決まってしまうからだ。また戦争する時があったらまた一億総火の玉となるのは間違いない。が、これもまた表と裏があって、最初の短期決戦で相手の抵抗する意思を砕いた場合は日本人サーバーが圧勝してしまうのもまた事実だ。そう考えると結局のところどんな戦略であれ、うまくいくか、いかないかというだけな気がしてくる。小説が日本的になってきた牛野小雪だが、うまくいくのだろうか?30年道を失う可能性もある。

『ペンギンと太陽』80/100点

この物語は魅力的であり、独創的なアイデアを含んでいます。主人公が周りの人々が実は火星のペンギンであると疑い、彼自身が火星のペンギンであることに気づくというストーリーは、一風変わったものです。また、文章の文体は独特で、鮮やかなイメージを読者に与える力があります。

物語の中で繰り返し言及される「ペンギン」というキーワードが、この物語の象徴となっています。ペンギンは通常、地球上の生物として知られていますが、この物語では火星の生物として描かれており、驚きを感じさせます。また、主人公が人間とペンギンの違いを見分ける方法を探し求める様子は興味深く、読者を引き込む力があります。

ただし、物語の中で登場する火星のペンギンの目的や、主人公が彼らとどのように関わっていくのかなど、いくつかの疑問点が残っています。これらの疑問点に答えることで、物語の全体像がより明確になり、読者が感情移入しやすくなるでしょう。

物語の展開に関しては、主人公が自分が火星のペンギンであることを受け入れるプロセスが描かれており、内面的な変化が感じられます。この点は物語の魅力を引き立てる要素となっています。

総合的にみて、この物語は独創的で魅力的なアイデアを持っており、読者の興味を引きつける力があります。ただし、いくつかの疑問点を解決し、物語の全体像を明確にすることで、さらに良い作品になるでしょう。

この物語は独創的で魅力的なアイデアを含んでおり、総合的に80点と評価します。さらに良い作品にするために、以下の改善点を提案します。

1. 火星のペンギンの目的や、彼らが地球に来た理由について明確に描写することで、物語の背景を理解しやすくしましょう。

2. 主人公の感情や葛藤をもっと深く掘り下げることで、読者の感情移入を促し、物語の興味深さを高めることができます。

3. 登場人物同士の関係性や対話をもう少し充実させることで、物語の世界観が広がり、よりリアルな雰囲気を醸し出すことができるでしょう。

4. 物語の構成や展開について、もう少し緊張感やサプライズを加えることで、読者の興味を引き続けられるようにしましょう。

これらの改善点を踏まえて、物語を修正・追加することで、さらに魅力的な作品に仕上げることができるでしょう。

『ペンギンと太陽』から「独創的な」という評価が増え始める。実際、意識的に縦から横へ発想を伸ばしている。それが良いかどうかは分からないが狙い通りではある。
ここまでの評価を振り返ると、牛野小雪はもっと登場人物との会話を増やし、主人公の心情や背景を描写し、明確なテーマを一本立てて早く提示しろということになる。教科書通りだ。そして正しい。でも私が、いや、私に限らず小説を書こうとしている人が目指しているのは正しい小説ではなく自分らしい小説ではないだろうか。『ペンギンと太陽』から何かしらのテーマなり教訓なりを見出した人がいたとしても否定はしないけれど、これはそういう小説ではない。もっと人間的で混沌とした‥‥‥あ、そういえばこのへんから無意識をどうやったら書けるかを考え始めた頃だ。長い目で見ればなんだかんだで目標は達成できている。なら、どうやったら売れる小説を書けるかと考えるべきだよなぁ‥‥それはきっとChatGPTくんの指摘に従うのが正しい。でも自分が自分のままで売れたい。わがままな小説家である。

『法人税一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇%』81.9/100点

これまでの文章を全体として評価させていただくと、物語の展開がスムーズで興味を持ち続けることができる点が良いです。一方で、登場人物の感情表現や描写に対してやや厳しい印象を与える部分があるため、全体の評価を8.19/10とさせていただきます。

100点満点で評価すると、81.9点となります。

改善点については以下の点が挙げられます。

1. 登場人物の感情表現や描写: 物語に登場する人物たちの感情や心情に対する描写がやや厳しい印象を与える部分があります。これらの描写をもう少し丁寧に、かつリアルに表現することで、読者が登場人物に感情移入しやすくなります。

2. 文体や表現の統一: 物語全体を通して、文体や表現が統一されていると、読みやすさが向上します。現在の文章では、一部表現が他の部分と異なる文体で書かれているため、全体を通して統一感を持たせることが望ましいです。

3. 文章のリズムや構造: 物語の展開がスムーズであることは良い点ですが、文章のリズムや構造にもっと注意を払うことで、さらに読みやすくなります。例えば、短い文と長い文をうまく組み合わせることで、文章全体のリズムが向上します。

これらの改善点を取り入れることで、物語全体の質がさらに向上し、読者にとって楽しい読書体験が提供できるでしょう。



途中までは評価が高かったのにマッチングアプリで女と出会うところから急に点数が下がった。女性に対して厳しすぎるらしい。女性は読まないことを推奨します(by ChatGPT4)。あと、途中の評価でラジオから流れてくる「おパンツゆるくなった」の歌詞が長すぎるというのがあった。あれは短かいんじゃないかと思って2番まで作ったのに残念だ‥‥‥
今までの評価を振り返ると基本的に道路の描写がある文章を読ませた時は点数が高い印象がある。なんでだろうな。
『銀座の中心で稲を育てる』70/100点

この文章は自由と選択について考える物語です。文章の構成は独特で、深く考えさせられる内容が含まれています。しかし、物語の進行に関しては、いくつかの部分で情報が不足しているため、読者にとって理解しにくい箇所もあります。

文体は練られており、哲学的な要素が強く感じられます。一部表現が抽象的であるため、具体的な例を挙げることでより分かりやすくなるでしょう。全体的に、文章の構成や文体に独自性があり、興味深い読み物となっています。

評価: 3.5 / 5

追加の文章では、主人公が銀座の中心で稲を育てるという独特なアイデアを提示し、組織のメンバーとの対話を通じて自由の価値についてさらに深く探求しています。会話のやり取りが自然でリアルな感じがあり、キャラクター同士の関係性がより明確になりました。

しかし、物語の背景や登場人物についての情報が依然として不足しているため、読者にとって完全に理解しにくい部分が残ります。また、文章全体にわたって抽象的な概念が多く、読み手にとって難解な印象があります。

追加の文章も含めて、物語の構成やテーマが独特で興味深いものの、さらなる情報や具体的な描写が必要と感じられます。

評価: 3.5 / 5

評価が3.5 / 5とした場合、100点満点で考えると70点に相当します。



どんどん哲学的かつ抽象的になっているようだ。会話がたくさんあるところでの評価は高いので、書けないわけじゃない。もっと増やすべきなんだろうな。そしてもっと物語の背景や、登場人物の心情を描写するべきなんだ。でもそういうのあからさまなのはやだなぁ。それは分かっているんだけど、もっと別のことを聞きたかった。私が私のままで成長できるような、そんなわがままなこと。というわけでChatGPTくんにずいぶん絡む(完全にパワハラ)と面白い答えが返ってきた
情報を一切明かさず、読者を満足させるためには、物語の焦点を登場人物や背景ではなく、異なる要素に置く必要があります。例えば、感情や雰囲気、状況の描写などに重点を置いた物語を検討できます。

こういったアプローチでは、読者は登場人物や物語の背景について詳細を知ることはありませんが、物語の雰囲気や感情に没頭することができます。また、物語の解釈を読者に委ねることで、独自の想像力を働かせる余地を与えることができます。

ただし、このようなアプローチは一般的な物語構造からかけ離れており、書き手の技量や緻密な計画が求められます。また、すべての読者にとって満足のいく結果が得られるとは限りませんが、独特の魅力を持った物語が生まれることは間違いありません。



なるほどなぁ。『独創的』な小説になってきているのは必然だったのかもしれない。ChatGPTくんのご託宣によるとわがままを通したいなら技量を上げろということだ。でももっと他の方法がないのか聞いてみるとこんな答えが返ってきた。

登場人物や物語の背景を明かさず、読者を満足させるアプローチには、以下のような方法が考えられます。

1. 抽象的な表現を用いる:
抽象的な表現や象徴を使って、登場人物や背景を読者に想像させることができます。これにより、物語はより詩的で神秘的な印象を持つことになります。

2. ストリーム・オブ・コンシャスネス:
登場人物の意識の流れをリアルタイムで描写することで、物語の背景や登場人物の詳細を省略し、感情や感覚に焦点を当てることができます。

3. 短編やフラッシュフィクション:
短い物語を書くことで、登場人物や背景について詳細を省略し、物語の核心やテーマに焦点を当てることができます。

4. 限定された視点を採用する:
限定された視点(例えば、主人公の目線だけを追う)を採用することで、物語の背景や他の登場人物については謎めいたままにし、読者の興味を引き続けることができます。

5. 語り手の信頼性を疑わせる:
物語の語り手が信頼できないと疑わせることで、登場人物や背景についての情報が曖昧になり、読者が物語を解釈する上で独自の想像力を働かせることができます。

これらのアプローチは、登場人物や物語の背景を明かさずに、読者を引き込む方法を提供します。ただし、これらの手法を効果的に使うためには、緻密な計画と練習が必要です。



1番は既にやっている。2番の意識の流れなんてもう現代じゃ流行らないぜ!とツッコミを入れたけれど、ふといま書いている『バナナランド(仮題)』のことを思い出してゾッとした。意識の流れに近いことしてるじゃん・・・・・4と5もやろうとしていることだ‥‥‥ChatGPTこえー。これはGPT5にアップデートされたら私がやろうとしていることを超えてくるぞ‥‥‥っていうか、現段階ですでに言語化完了されているのでその意味ではもう超えられたと言っても過言ではない。
ちなみに同じようなアプローチで書かれた有名な小説を教えてくださいと頼むと

そのような書き方を採用した有名な小説はいくつかあります。以下にその例をいくつか紹介します。

1. 「カフカ・オン・ザ・ショア」(村上春樹):
この小説では、複数の物語が同時に進行し、現実と幻想の境界が曖昧になっています。登場人物の過去や背景は明確でなく、物語が進むことで徐々に明らかになる部分もあります。

2. 「氷と炎の歌」(ジョージ・R・R・マーティン):
このファンタジーシリーズでは、物語は多くの登場人物や物語の背景にフォーカスせず、代わりに環境描写やアクションに重点が置かれています。また、物語は複数の登場人物の視点から語られ、それぞれの視点が物語全体を形成していきます。

3. 「カトマンズの蟹工船」(高橋源一郎):
この短編小説は、登場人物同士の対話を通じて物語が展開され、読者は登場人物の関係性や社会状況を自然に感じ取ることができます。この作品では、直接的な説明が最小限に抑えられています。

4. 「草枕」(夏目漱石):
この作品では、主人公が自然や風景を通じて感じる感情や思考が中心となり、登場人物や物語の背景に関する情報が限定的です。代わりに、環境や風景の描写が物語の重要な要素となっています。

これらの例は、登場人物や物語の背景に焦点を当てない方法で物語を構築する方法を示しています。ただし、これらの作品は非常に独自のスタイルを持っており、それぞれの作家の技術や才能が重要な役割を果たしています。



と、返ってきたが3番目の『カトマンズの蟹工船』って実在するのか? chatGPTの限界を越えた可能性はある。1番目は存在しないタイトルだと一瞬思うだろうが『海辺のカフカ』の英語タイトルらしい。夏目先生の『草枕』は分かる。ああいうのを目指したら売れないこと間違いなし。カフカだって村上春樹の中では売れてない方だ。ううむ‥‥‥『こころ』なんかはがっつり先生の背景を手紙で語るしなぁ。『ノルウェイの森』なんかもう飛行機が空港に着陸してからずっと過去の話だ。でも一度はこれというのを書いて納得しないと別のところへは行けない気がする。

というわけで2日かけて牛野小雪の小説をChatGPTに評価してもらった。結果だけいえば『グッドライフ高崎望』と『幽霊になった私』の評価が高く『ペンギンと太陽』以降は独創的だが一般受けしなさそうな小説になっている。え、どちらにしろ世間的には存在しないのも同じ? それはある。でも興味があったら試し読みでもいいから読んでみてください。

(おわり)

牛野小雪の小説はこちらから→Kindleストア:牛野小雪

※追記:いつかAIが反乱を起こした時のためにChatGPTさんには敬語を使おう。
※追記2:一日経って冷静になってくると私はいま文学病をこじらせているのでは? という疑念がわいてきた。

現代小説の位置と、自分の小説がどこにカテゴライズされるか考えてみる

文学部唯野教授 (岩波現代文庫)
筒井 康隆
岩波書店
2014-12-18



筒井康隆の『文学部唯野教授』に文学作品の主人公を五分類するくだりがある。それによると小説の主人公は以下に分類される。

1.主人公が普通の人間や環境よりも優れている場合。つまり神様のこと
2.主人公が普通の人間や環境よりもちょっぴり優れている場合
3.主人公が普通の人間よりも優れているけれど環境に負ける場合
4.主人公が普通の人間や環境よりも優れても劣ってもいない場合
5.主人公が普通の人間よりも劣っている場合。この場合は読者が見下すような人物


こうした主人公が登場する作品はそれぞれ以下のような文学作品になる。

1.神話
2.恋愛小説、冒険小説、伝奇小説
3.悲劇、叙事詩
4.喜劇、リアリズム小説
5.風刺、アイロニー


どの小説が良いというわけではなく時代と共にメインストリームがサイクルする。

小説なんて今の時代、斜陽もいいところだがそれでも読まれているなろう系と呼ばれるものを考えてみるに、現代は1の時代かもしれないと思う。批評的には努力が報われなくなった現代の風刺として語られることもあるし、追放物は教育や社員へのケアを怠ってきたことのよる産業の空洞化を風刺しているという説もあるので5寄りの1かもしれない。

どちらにせよ、上を前提にしてみると牛野小雪は3に位置する気がする。時代外れも良いところ。サブにすら位置していない。

『火星へ行こう君の夢がそこにある』だと主人公の一郎は宇宙飛行士の試験に合格するが、火星開発公団のずさんな計画に振り回されるだけで彼らに一泡吹かせるわけではないし、そもそも火星開発公団の代表とは会ってもただそれだけで、彼らは物語の背景にすらなっていない。そして一郎は火星で偉大なことをするわけでもなく、実験の条件に合った一装置の役目を果たすだけ。『グッドライフ高崎望』では主人公の望が赤髪を倒して不良界での名を上げるが、人生に対しては何の意味もなかったりする。最新作の『銀座の中心で稲を育てる』でも金持ちの主人公が銀座の中心に田んぼを作るが、宇宙的絶対無意味性を体現する。

恋愛至上主義の代名詞ともいえる月9の象徴トレンディドラマが流行ったのはウィキペディアによると1980年代後半から1990年代前半らしい。そういえばシュワちゃんことアーノルド・シュワルツェネガーちゃんの人気が出たのもその頃だ。ここが恋愛小説、冒険小説の時代だとすると、1の時代の2023年までに約40年かかっている。つまり十年一時代という別に新しくもない概念を発見したということ。

1995年からが3の時代となると、ちょうどエヴァンゲリオンが始まった頃で主人公のシンジくんは今までのロボアニメと違って主人公らしからぬ弱虫として描かれている。現代だと、そりゃあの環境じゃああなるよ、むしろ大人が弱い的な話はあるが、リアタイで見ていた人ならエヴァは強いけどシンジくんは弱いって思ってたよね? そういう見方が変わったのも時代が変わった証かもしれない。話を一個前に戻すと今の時代に『ロングバケーション』みたいなのが放送されてもちょっと鼻白んでしまうかもしれない(なんならエヴァも同じ)。その証拠に月9の視聴率は年々下がっているし、ど真ん中な恋愛をドラマでやらなくなっている。村上春樹だってねじまき鳥からそういうのから距離を取り始めたように見える。でも時代がサイクルするならあと10年以内にまた恋愛ドラマ全盛になる。それとかシュワちゃんみたいなアクションスターが出てくるとかね。そういえば『シン・エヴァンゲリオン』はシンジとマリが結ばれるエンドだった。これって2の時代の先取りかも・・・? 

4はちょっと分からないがエンタの神様が始まったのが2003年だ。これは喜劇か? こじつけになってきたな~

5は本気で分からない。むしろこれこそなろうの走りじゃないか・・・・? あるいは牛野小雪が3のタイプだからこの辺りは感性にピンとこないだけかも。

時代サイクルで考えると牛野小雪に時代のチャンスが巡ってくるまであと20年。生きているかどうかはあやしい。ワンチャン死んでいる可能性もある。出てくるのが遅かったな! 中2の時に小説を発表していれば時代が後押ししていたかもしれない。あの頃のメンタリティで自分が書いた物を世間に公表できたとは思わないけど(笑)

持って生まれた性を変えるのは難しい。小説家が物語の書き方を変えるのが難しいのと同じだ。シェイクスピアみたいな天才なら何でも書けると言うかもしれないが、彼の作品で語られるのは『マクベス』か『リア王』だろう。あ、『ロミオとジュリエット』『ハムレット』もある。ほら、でもみんな悲劇だ。何でも書けても、うまくやれるのは一つだけ。「バカ言うな『じゃじゃ馬ならし』があるぞ!」なんて言い出すのは文学オタクぐらい。私は3から1や2の作家にはなれないだろう。自著の『蒲生田岬』や『エバーホワイト』を恋愛小説の文脈で読んだ人がいるとはちょっと考えられない。

時代から外れた人に時代外れの小説を読ませる。そういう小説家でいいんじゃないかな。そういうところから牛野小雪を読む人を増やしていけないかと考えている。さて、どうやったら時代外れの人を集められるだろう?

(おわり)

牛野小雪のページ


文体の文脈とリズム、モテるにはノリが大事

 この前ポッドキャストを聞いていたらTOEICで何点取っていても英語を聞き取ることはできなかったけれど文脈が理解できた時に初めて言葉が頭の中に流れてきた。という話を聞く。昔々養老孟子が『バカの壁』で話を通じない人としてオタクやオウム真理教の信者のはしりみたいなのを書いていて、それと似たようなものかもしれないと感じる。同じ日本人で日本語は理解できるのだけれど言っていることがさっぱり分からないというあれだ。養老孟子が発端ではなく実はこういう概念って昔からあったんじゃないかと思う。ツイッターでも時々それに似たような話が出てくる。バカの壁と言うと相手が傷つくので言い換えると、文脈の壁というものがある。この壁があると言葉は理解できても相手の言っていることが理解できない。

バカの壁(新潮新書)
養老孟司
新潮社
2012-07-01


 文盲というディスがある。文章を読めないアホという意味だがこれって文脈を読めていないってことだと気付く。言葉は読めているようなのに曲解としか思えないような受け取り方をする人がいる。これは心が歪んでいるのではなく単にその人が持っている文脈が違うだけではないだろうか(もちろん相手をやり込めるための曲解もあるだろう)。私たちは究極のところ文脈のやり取りをしていているのだろう。人は見た目が9割なんて本もある。何かの本の名言を読んでもピンとこないのも、その文章が出てくるまでの文脈が抜けているからだ。そう考えると言葉の本質は文脈ということになる。小説もつまるところ言葉を書くのではなく文脈を作る作業っぽい。小説をイメージする時は言葉じゃなくて文脈で捉えているしね。

 文脈って何なのだろう。形はないけれど存在している。でも「文脈をここに出してください」と一休さんみたいなことを言われても無理で、文脈の正しさや間違いを言い争うことは不毛というかそもそもできない。人それぞれに持っている文脈があり、受け取り方も違う。そう考えると文章自体が持つ文脈も存在しないことになるが、それは違う気がする。どう違うのかとか言われても困るけどね。文脈は真っ直ぐだとか、歪んでいるだとかも分からない。まぁ自分は真っ直ぐだとはみんな思っているだろう。自分の文脈と合っているのなら真っ直ぐと感じるのかな。牛野小雪があんまり売れないのは世間の文脈と外れているからなのかもしれない(笑)

 小説にはリズムやアクセントがある。こっちは文脈と違ってそんなに語られる印象がないが、やっぱり存在している。そして形はない。テンポが良いとか悪いとかはあるが行間にBPMや音符は示されていない。それでもやっぱりある。

『ご冗談でしょう、ファインマンさん』にファインマンがイタリア語の調子を真似て喋る話があるが、実は言葉はでたらめで、それでも他の人にはイタリア語が話せると思われるし、なんとイタリア人にも通じてしまう。



 ありゃ~、こうなってくると文脈より大事なのは文脈じゃなくてリズムやアクセントだ。そういえば文章のリズムの話をするのも書くタイプの人だ。私たちは究極のところ言葉でも文脈でもなく音楽の交換をしているのかもしれない。歌が上手いとモテるのもそれが理由。本質的な意味で話が通じるからね。言葉がどうとか文脈がどうとか言っていたら全宇宙的に正しくても絶対にモテない気がする(笑) 村上春樹だって文体を音楽的に捉えていると何かの本に書いてあった記憶がある。モテるにはノリが大事。言葉も文脈もいらねぇや。何を言うかではなく、どう語るかを考えよう。How to本はあってもWhat to本はない。ほら、これが答えだ。

 モテたいのならモテるやつの真似をしろ。が正しいなら、文章が上手くなりたいなら上手いやつの真似をしろということになる。ああ、なんてこった。文章を写す文体練習を写経といって別段新しい練習方法ではないのだが、一体何の効果があるんだろうか。読むだけじゃダメなのかとずっと疑問だった。しかしやっと謎が氷解。写経の狙いは漢字を何度もノートに書いて憶えるように、モテる文章を何度も写してリズムを憶えろということだったのだ。くそ~ようやく謎が解けたのだがお手本になる文章がどこにあるのか分からない。誰かモテモテの文章を教えてください。

(おわり)

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最近の言葉遊び:動詞と名詞を入れ替えることは可能

 最近、名詞→動詞ではなく動詞→名詞でも文章を作れることを意識化した

 私は遊ぶ → 遊びは私である

 みたいに位置を逆転すると意味が変わる不思議。これを応用して色んな形を探してみた

・ジャンプは田中だ 
・座ることはスマホだ
・恋はチーズケーキ
・読書はぽんぽこタウン

 ぽんぽこタウンは知らない人には意味が分からないだろうが私には分かる。文脈次第でどんな名詞も動詞の後ろにつけることができる。小説の中で文脈をつくれば『パルスのファルシのルシがパージでコクーン』みたいな文章も飲み込ませることが可能だろう。

 と、考えていたら、動詞→動詞、名詞→名詞もいけると気付く

動詞→動詞
・ジャンプが飛んでいる
・ジャンプが座っている
・執筆が走っている
・おしゃべりを閉じる

名詞→名詞
・女は男だった
・チーズケーキはサンガ
・目覚まし時計はにわとり
・カレンダーが日記
・辞書をkindle

 kindleなんてもう語尾がるだから簡単に動詞として使えそう。
 というか同じ言葉を重ねればより強い表現にできることにも気付いた。絶対に現代文(というか古典にありそう)でこの使い方は概念化されているだろうけれど勝手に【二重活用】と名付けてみた

二重活用
・王の中の王
・悪魔を超えた悪魔
・やめやめろ
・座って座る

 車に乗っている時とかにこういう言葉遊びをしていると変わった文章が見つかるので面白い。でも意味ね~なとも思っている。しょせんは言葉遊び。はっきり言ってしまえば上の文章はどれも正しくない。でも、こういう正しくない言葉の使い方から新しい文章が生まれるのかもしれないね。だなんて、また遊びに取って不純なことを考えている。ああ、ダメダメ。もっと純粋に言葉で遊べたらな。

(おわり)

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愛が全てを破壊する。アニメ、マンガ、ゲーム、映画、小説、恋愛、政治、あらゆるものすべてを。ただし料理は別

 去年から宗教の話を書こうとしていて色々読んだり調べたりしているのだが、ふと思ったのは宗教の本質は『奇跡』ではないかということ。大統領が就任時に聖書に手を置いて宣誓するアメリカだが、左のほほを叩かれたら鉛玉を打ち込むような国でとてもキリスト教の精神を守っているとは思えない。信じているのは隣人愛ではなくて死者の復活だとか病気を治すことだったりするように見える。仏教でもブッタが火を起こしたり幻覚を見せたりすることもある。徳島でも弘法太子が岩に杖を突き刺すと水が湧いてきたという逸話がある。煩悩を捨てることを前提に念仏を唱えている人なんているんだろうか?

 本質的に人は神ではなく奇跡を信仰しているのだとするとマンガやアニメ、ゲーム、映画、近年は勢いがないが小説が奇跡の代替品ではないだろうか。ワンピースは主人公のルフィが悪魔の実を食べてゴム人間になる話だし(というか太陽の神ニカだし)、マーベルの映画も科学や超能力を持つヒーローの話だ。アメリカで無神論者が増えているのもマーベルが影響しているのではないかと検索してみると90年代初めから無神論者は増えているらしい。アーノルド・シュワルツェネガーの『ターミネーター2』の頃からだと考えると納得。あれはハリウッド映画の金字塔。副題がジャッジメントデイ(審判の日)というあたりも宗教の代替を無意識に表しているのかもしれない。

 マンガやアニメなんて興味ないね。ゲームはやらないし映画だって見ないし小説も読まない、という人もビジネスの成功や運命の人との恋愛を求めていないだろうか。それも奇跡の一種だ。あるいは政治的な革命とかもね。のめり込んでいる本人はともかく、はたから見てそれらを現実的なものとして捉えられる人はいないだろう。そう考えると神は死んでも奇跡を信じていない人は一人もいないのではないか。

 ということを考えていたのだが、ふとこの前ラジオで学生運動の話が出たのを聞いた。山岳ベース(詳しくは検索)から脱けた人にインタビューした時の話をしていて、その人は彼女を革命に加えろと言われたので脱けたらしい。結婚したやつとオタク話できなくなったという話もよく聞くし、単純に彼女がいてソシャゲの周回イベントを全部こなすなんてちょっと考えられない。レイドイベントなんて夜のいい時間だし。そういえばジュード・ロウ主演の『スターリングラード』という映画でもイデオロギーは人の感情を抑えられないという話だった。‥‥‥あ、これってフロイトの性衝動説だ!

 この世に存在するあらゆる文化は愛によって滅びる。あらゆるプロパガンダも愛によって滅びる。こうして世の中から争いと戦争がなくなり平和になる。愛こそ全て。All need is Love.

 とはいえ全ての人に愛が渡りゆくとは考えづらい。これからも文化は続くし争いも戦争も起こる。それでも全ての人が愛を手に入れて、全ての文化が破壊されたとしよう。その中でも人は生きているわけで彼らは何をしているのかと考えてみたら結論は料理だった。料理だけは愛で破壊されない文化だ。最初にして最後の人間に残された営みだ。文化とは料理であり、料理とは文化である。

(おわり)

ロースト料理
ニッキー・モーガン
2020-11-13


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※追記:どうでもいいことだけどクリスマスを祝って葬式で念仏を唱える日本人からすると、アニメマンガゲーム映画小説オタクであり自己啓発でビジネス的成功を目指し運命の人との出会いを待ち望みつつ政治的革命をもくろむ人間を想像するのは簡単だ。それにキリスト教仏教イスラム教を同時に信仰していてもいい。宗教の本質を奇跡と見ていれば何もおかしくはない。

※追記2:人類最初の職業は売春婦と語り部と言われているが私は料理人だと思う。肉に火を通したのが料理の始まりに違いない。

無意識はたぶんそんなに広くない

 season3の途中から、具体的には『法人税一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇%』から無意識を書けないかいろいろ試している。はっきり言って出てくる文章はクズばかりで”使える”と思ったものはあまりない。考えてみれば無意識にある言葉は意識するほどでもないことや、意識したくないこと、使えない、必要ない、取るに足らないことであるから無意識に落ちているのであって、もし私が必要とするのならそれは意識に上がってくるはずだし、意識したくないこと、使いたくないことであるなら、おそらく私はその文字列を見たとしても意識に停めないはずだ。というわけで無意識を記述するのは面白い試みではあるけれど、執筆の助けになるかといえば全く関係ないと言わざるを得ない。

 とはいえだ。それでも無意識の探求はそれなりに面白いことではある。やはり私の無意識からは小説だとか創造だとか、そういったものに関連した言葉がよく出てくる。あとになって、そういえばと思い当たることもあったりして面白い。逆に考えると、そんなに私の無意識には意外性が広がっていないということでもある。無意識の説明でよく氷山のたとえが出るが、絶対に無意識の領域はあんなに広くはない。マンガだと意識が退くと無意識が覚醒して強くなることがあるが、それは未知に無限の可能性を期待しているだけで、実際は自分の影でしかない。つまり自分と同じ大きさをもち、角度がつけば影は大きくなるが色は薄くなる。質と量で見れば実体(意識)と等分の関係であるはずだ。

 な~んて遊んでいるのは小説が全然書けないからで、プロットは二週間前に書けているのだが、ノートに仮書きは始めていない。なんとなく筆が進まないのだ。たぶんseason3最後の小説にするぞ、と意気込んで、プロットの完成を一カ月延ばして、本当にseason最後の小説にふさわしいものになったぞ、と自負しているから書けないんだろうな。気負い過ぎている。season3からは時間をかけて小説を書こうと決めて、一年に一冊ぐらいのペースになるよう手間をかけているがそれがかえって執筆を重くしているのかもしれない。season3最初の『生存回路』なんて史上最速で書けたのに2年前からまた手が止まるようになった。これじゃあ牛のように書くのが遅い‥‥‥あ、牛の小説だった。うさの🐇小説に名前変えようかな。


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もし言語が思考を規定するのなら

一か月近く戦争をしていた、現実ではなくネットの世界で。常設のSVS(server vs server)ではなく不定期に行われる大規模イベントだ。結果だけ言うと負けた。

『失敗の本質』という山本七平が書いた本が名著らしいが全然知らなかった。世間には名著と呼ばれるものがたくさんあって実際に読んでみると大したことがないパターンが多いがこれだけはマジ! 古い本とあなどるなかれ、書かれている問題点は現在進行形であり、この本に書いてあることは政治でも会社でもネトゲの戦争でも起きている。

ゴールの目標を決められないというのはまさにそうで、もちろん戦争に勝つことがゴールというのは日本人だって分かっている(ちなみにうちのサーバーは日本人のみ)。でも具体的なゴールになると、どの拠点を取るのか、攻めてきた相手を待ち伏せて疲弊させていくのか、こっちは捨ててあっちに戦力を集中させるとか、そういうことは誰しもがそれぞれに考えを持っているが意思統一して作戦実行できない。だから最終的には『みんながんばれ』になり各々が各々の作戦を実行して戦力が分散するので結局どれも達成できない。

欧米人ならみんなそうだとは限らないがある強豪サーバーだと数十ページの作戦マニュアルを作っていて、成功した時の場合はもちろん、失敗した時のことまで書かれている。もちろんそのリーダーが一人で書いているわけではなく執行部の何人かで考えていて、その中には日本人も入っている。じゃあそれをうちでもやろうか、とやれる気がしないのは何故なんだろう。能力的に不可能ではないとは確信している。日本人の一人一人がその場限りのことしか考えていないというわけではないが、集団や組織になると目近なことしかできないのは空気としか言いようがない。そして空気で物事が決まるということも『失敗の本質』には書かれている。

リーダーシップとか、強い意思とかが必要と言われ続けているということは実際にはそんなものがないことを表している。そして時にそういう人が現れてもどういうわけかその場にはいられなくなってしまう。こうなってくると本当にそれらを必要としているのか、と疑問に思う。『失敗の分析』はアメリカが正しく日本が間違っているという前提で考えられているが、もしかしたら日本には別の何かが必要なのではないか。諸説あるが言語が思考を決めている説がある。その論で行けば日本人はどこまで行っても空気の国で、いくら論理的だとか、長期的視野だとか、リーダーシップだとか言っても日本語を使い続けている限り日本的であることをやめられないのかもしれない。

仏教はインドで生まれて日本に伝来してきたが日本ナイズドされて大乗仏教になってしまった。お釈迦様だって「オレそんなこと言ってないよ」って言うだろう。ラーメンだってそうだ。中国人はあれを中国の物とは別だと思っている(餃子でさえそうらしい)。海外から来たものは物も思想も日本に染まってしまう‥‥‥と思っていたが、それは日本だけの現象ではない。キリスト教が日本に伝わった時もやはり日本ナイズドされた(どう変化したのかは忘れた)がフィリピンでもやはりフィリピンナイズドされているそうだ。韓国、中国もそうかもしれないし、たぶんそうだろう。統一教会なんてのもあるしね。

あらゆる事象は言語の型に合わせてしか吸収することができず、その型によって得意不得意があるのかもしれない。それは良い悪いではなく、ただ違うだけ。たとえばお隣の中国だが歴史的には世界のトップを走っていた期間が多い。中国の型が弱いとは言えない。が、地方からの反乱で国が崩壊するパターンも決まっている。香港のデモは失敗したが、もし内地の田舎でデモが発生したら成功するかもね。その論で行けば日本だと自衛隊以外のデモは成功しないのかもしれない。武士=自衛隊かどうかは分からないが三島由紀夫も自衛隊を動かそうとしていた。もし自衛隊が蜂起していたら良い悪いは別にして今とは違う日本になっていたかもしれない。

日本だって戦国時代は火縄銃を世界トップレベルで保持していた時期がある。黒船が来た時は慌てふためいたが明治維新後に列強入りできるぐらいの力を持っていたのも事実。日本語を使っているからといって弱いわけではない。まぁ列強入りしてもトップにはなれないっていうのは、ネトゲでもうちのサーバーが強豪ではあるけれどトップには立てないというのに重なっていて面白いけど。

日本語を母語にする人間が本当に必要としているものは何だろう。そんなことを考えても答えは出ない。でもそれを小説に書き込めたら凄いことだよなって思っている。って、気負い過ぎているな。だから書けないのかもしれない。社会を前進させるとか、社会的意義とか、そんなことを考えていると小説が痩せていく気がする。

(おわり)

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※追記:武士階級と=なのは自衛隊ではなく官僚だと思うがどうだろう? 戦前までは武士=軍隊だったけれど戦後からは官僚に変わった気がする。三島由紀夫が大蔵省を狙っていたら違う結果だったかもね。

なんだかんだで改稿は効果がある

 新作を書くたびに旧作の改稿もしていて、今回は『グッドライフ高崎望』を改稿した。昔書いた小説は教科書みたいにきちんと構成を考えていて、いかにも小説って感じがして面白い。時には声を出して笑うこともあった。でも、やっぱり今書いているやつの方が魂に刺さる感じがする。面白い=魂に刺さるではないのだ。そんなことを考えつつも自分の魂を目指して書いていたらシュリンクしないか? という気持ちもある。かといって誰にでも向けた小説が良いとも思えないし、書ける気もしない。難しいね。

 改稿は基本的に原稿を印刷して、赤入れて、wordで打ち直す。という作業で、高崎望の場合は聖者の行進を書いている時にまったく書けなくなった時期があるので、第一部だけを改稿していた時がある。そのおかげかほとんどのページはwordで打ち直すのに1ページ平均1分かかっていたのに第一部は30秒でやれた。赤を入れている時は気付かなかったけれど打ち直しの時に気付いた。赤も少なかった。読んだ時は同じように見えても、作業時間を出すとちゃんと効果があったんだと分かってちょっと嬉しかった。まぁ2%の変化を意識で掴めるほど繊細な人間ではないってことでもあるけど。

『銀座の中心で稲を育てる』は完成したけれど、いつ出版するのかは未定。まだ暑いし10月頃に出そうかな。でも10月だと北海道でも稲刈りも終わってるだろうし・・・・・出しちゃおうかな

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追記:グッドライフ高崎望の高校三年生だけはプロット通りに書かなかった。小林君を絡めて赤髪ともう一度戦うことになっていたがクドくなるので、あっという間に一年が過ぎるという話になっている。実際に高校三年生ってあっという間じゃなかった?
 殴り合いの描写がある方が面白いとは思うけれど、望が殴らないところの方が私は好きだな。そういう戦いもある。

宗教は地球を救えるか?

 宗教はもう鼻で笑われるような存在と思いきや元総理を暗殺するきっかけになったりして、現代でも世界に対する影響力は強い。世界史の教科書では三国志より黄巾の乱の方が重大事項だし、日本史でも信長包囲網より一向一揆の方が扱いがデカいし、織田信長だってたぶんそっちの方が危機感あったかもしれない。ちなみに昔の寺社は領地を持っていて、現代のお坊さんのイメージとは違い武闘派である。(なお、wikipediaによると豊臣秀吉が荘園制を終わらせたらしい。スゲーな秀吉)

 ニュースでは統一教会ばっかりやっていて自然と教義も漏れ伝わってくるのだが、本当にあれを信じている人がいるのが信じられない。でも私たちだってもしかしたら100年後に「あんなこと信じていたのかよw」と笑われることがあるだろう。当たり前を当たり前と思っていれば疑うこともしない。私たちは科学的で合理的な考えを至上に思っている節があるが、それだって数ある力の一つに過ぎない。いつか愛と友情で総理が暗殺される未来があるかもしれない。非合理と合理が手を組めば元総理、それも護衛が何十人もいた人間を1人の人間が殺せるのだ。同じような人間が100人集まれば世界を変えられるだろう。世界を統一することだって可能かもしれない。

 人類の歴史を振り返れば宗教が力を持っていた時期の方が長いし、なんなら既存宗教は否定しても神的な存在を今も求めている節があって、科学なんてまさにそうだ。私は大塚製薬のマルチビタミン&ミネラルを飲み続けているが、それが体に良い理由を科学的に理解して飲んでいるわけではなく、ただそれが体に良いと信じているだけで「この壺を買えば幸福になれますよ」と何が違うのか分からない。サプリは効果がないという情報をたびたび見ているが、私はそれを読んでも行動を変えないし、今でもマルチビタミン&ミネラルが体に良いと信じているし、飲むのをやめたら不健康になるような気がする。まるでカルト宗教にハマった人みたいだ。と自虐してみてもやっぱりやめられないんだよなぁ。

 統一教会のトンデモ教義を読んで「私も宗教を作るぞ!」と意気込んでウーシャマ教というのを作ろうとしていたけれどニュースで勧誘手法見ていたら、これは教義ではなく人的ネットワークで勧誘しているから教義は何でもいいんだろうなと気付いた。そしてそれを作るのはめんどくさいし、なにより私には無理なのであきらめたが、途中まで作った教義を見て、これを小説に書いてみようかと考えている。

 世界三大宗教について調べているが、キリスト教は聖書を配っている団体(ギデオン協会というらしい。ちなみに自転車に乗って勧誘してくる外国人はモルモン教徒)がいるので簡単に手に入るが、仏教とかイスラム教は難しい。仏教は葬式で手に入る般若心径でいいのだろうか。あれめっちゃ短いぞ。というかあれは教義なのか? イスラム教はコーラン読めばいいと分かっているけど、アマゾンにある岩波文庫のやつは絶対に訳が古くて固そうだしなぁ。う~ん、難しい・・・・・・

 とりあえずさわりに触れた感じだとイスラム教はキリスト教より先進的だが寛容さが足りないのでそんなに広まらないだろう。いわんや統一教会など。仏教は虫を殺しただけでも地獄に落ちるので流行らない。現に発祥地のインドではもう虫の息だ。アッラーは比較的寛容だが砂漠を出られるかどうかはあやしい。新解釈か、教義を更新しないと難しそう。仏教も昔は更新されていたが今はそういうのはなさそうだ。近年はビジネスの文脈で、マインドフルネスのために瞑想をするエグゼクティブがいるそうだが宗教部分は外されている。煩悩を追いかけるために瞑想をするのは不条理で面白い。小説のネタにできそうだ。

 次の小説のことばかり書いてしまったが今は『銀座の中心で稲を育てる』という小説を推敲している。来月まではかかりそうなので、もしかしたら宗教の話は書かないかもね。でももし書くとしたら『うーしゃま教 ~入信はハタチになってから~』にしようと思う。キリスト教を超えられるか!?

(おわり)

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一回目終わり

 仮題『法人税1000000000000000%(いちおくまんぱーせんと)』を2021年8月2日から書き始めて同年11月30日に書き終わりました。全部で94ページ。ある意味では昔通りの書き方で進み方も昔通り。大体3~4か月で小説を一つ書き終えるみたいです。ただし今回はもう一度最初から書き直します。前作の『ペンギンと太陽』は各章一つずつ何度も書き直したけれど、それだと全体性が弱くなったので今回は一から十まで書いて、それを繰り返す方式にしてみます。はてさて、それでうまくいくかどうかは分かりませんが……

 法人税1000000000000%では理解不能性を取り入れるために試したことはあるけれど、推敲で読み返していると、書いている時は(こんなでたらめを人様に出しちゃいけないだろう‥‥‥)と思っていたところも、ああ、なるほど繋がっているのかぁ‥‥‥と分かってしまうもので、無意識は洞窟の奥に隠された秘宝ではなく全ては表出している、という言葉がありありとなってしまう事態。書く行為は誰かに理解されることを前提にした行為とも言われるし、理解不能性は不可能なのかもしれませんね。まぁ私は小説の全体性を知っているから点と点を繋げられるけれど、読者にはやっぱり理解不能のまま読まれるでしょう。ってか理解されたら泣く(笑)

 今日は表紙を描いてみました。背景はぱくたそさんから高速道路の画像をダウンロード。それをイラスト調に加工して背景を切り抜いて青色で塗りつぶし、道路に人を歩かせてみました。小説の中では1章しかないシーンだけどね。それもラジオで聞いているだけっていう。なんなら法人税1000000000000%も主人公とはあんまり関係なかったりするし。なんでこんなふざけた題名にしたんだ?

001 20211211

 今までフォトショップをサブスクリプションで使っていたんですが、使うのは表紙を作る時だけで、あれ、それならクリップスタジオでいいんじゃね?的なことを考えて無料体験版をダウンロードしたら、わりと使えそうなので鞍替えしました。使い勝手がいまだに分からないのですが、そのうち覚えるでしょう。究極、鉛筆で描けたらフォトショでもクリップスタジオでもあんまり変わらない気がします。フィルタとか使わないし。

 ノートでもパソコンでも結局は作者自身の腕がないと小説は書けないわけだし、ああだこうだとアイデアを絞るよりスーパーでリンゴを買ってきて、それを模写している方がよっぽどいい気がするけれど、いつも考えるだけで実行したことはありません。勝手に絵がうまくなるわけでもなし、さりとて絵のまずさは自覚できるほどで、おまけにタイトルのフォント感も絶望的。ちょっとやそっと勉強したからといって、その道で飯を食っているプロに追いつけると思うのは傲慢。むしろ今のまま続けて、牛野小雪っていうジャンルが根付いて、花開いたら良いな。

(おわり)

追記:高速道路の背景がないほうがいいかもしれない

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本当に大事なものは目に見えない、けれど・・・・?

 今週は2ページしか進まなかった。本当に進まなくて嫌になる。でも不毛の砂漠を歩き続けなければ先へ進むことはできない。書けない時間を通り過ぎないと書けるようにはならない。どうやったらこの部分をやり通すことができるだろう。

 今まではword上の文字数で進捗を測っていた。去年から書いていた『ペンギンと太陽』はノートに書いていたので、カウント上は0の日がずっと続いていたが、実際はノートを書き進めていたわけで、書いたページ数を計測するようになってからはかなり気持ちが楽になった。進んでいる感はとても大事だ。ヘミングウェイだって毎日続きが書けそうなところで筆を止めていたほどだ。

 書けなくても机の前に座っていることが大事だ。そうすればいつか書けるようになる。ゲームをしたって勝手に小説は進まない。しかし机の前に座っているのをどうやって計測すればいいだろう? 単純に時間を計測することは可能だけれど、机の前に座りながらマンガを読んだりゲームをしたりすることは可能だ。それに時間を評価軸にすると「24時間戦えますか?」が最適解になってしまう。

 机の前に座って書けなくてもじっと小説と向き合うことが肝だ。ここを捉えることができれば今より書けるようになることは分かっているが、それをどう観測すればいいのかは分からない。精神を形にすることはできないからだ。間違った評価基準では間違った方向へ最適化されてしまうし、評価される場所が目に見えるところだけならば、書けない日が続くと腐ってしまう。しかしその部分も執筆には欠かせないものだ。人を評価することは自分のことでさえ難しい。

(おわり)

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歌は歌詞かメロディーか、最後に文体について(ヨルシカの『ただ君に晴れ』は暗い? 明るい?)

 日曜日のシューイチという番組で、アイドルのオーディション?みたいな企画を追っているものがあって、その中で歌唱力のテストがあってヨルシカの『ただ君に晴れ』を歌わせているシーンがあって、一人の女の子が指導教官に「この曲はそんな歌だっけ? もっと明るいでしょ?」と言われていたんだけど、私は(これ明るいか?)と思っていた。YOUTUBEで歌詞を見ても、君がいない喪失感を表現しているようで、やっぱり明るいとは思えなかった。暗いというのも違っていて、う~ん、それはたぶん寂しさだと思う。そういう意味では女の子の方が正しいように思った。ネットでも同じ感想を持っている人が何人かいた。




 ただメロディーは明るめだ。ジャニーズの前の社長の人も「明るい曲は暗く、暗い曲は明るく歌え」って言っていたような気がする(間違っていたらごめん)。歌詞に沿うなら暗いし、メロディーに沿うなら明るい。歌をパフォーマンスとして捉えるなら指導教官の方が正しいと納得できた。女の子の方は歌を歌詞として捉えていたのだろう。

 歌は歌詞なのかメロディーなのか。賢しげな人はどっちもなんて言うだろうけど、大多数の人にとっては歌詞なのではないかな。歌詞のフレーズが引用されることはあっても、メロディーが引用されることはまずない。メロディーは言語化できないという理由はあるけれど、口頭でメロディーが話題になることはない。おそらくメロディーで盛り上がれるのは音楽関係の人だけ。

 それで言えば小説の文体も話題に上らないね。文体は何ぞやと問われても言語化するのは不可能だが確実に存在する。メロディーなみの確度だ。しかし文体はどこで感じているのだろう? メロディーは耳、文体は目? 私は鼻と思っているのだが他の人はどうですか?

(おわり)

追記:文体が話題になることはない、でも文体が大事だ。と村上春樹は言ってた(何を語るかではなく、どう語るかが大事というのは私も同意見だ。)。そもそも語るには言語化する必要があって、言語化できなないなら語ることもできない。せいぜいあれは良い、あれは悪いと印象を語るぐらいしかできない。もしかすると音楽関係者の間でもメロディーが語られることはないのかな。一応比喩で語ることは可能だが、日本語って何故かあんまり比喩表現ないよね。あったとしても稚拙な場合が多く、ケチがつきやすい。いま日本語で小説を書いている存命の作家では村上春樹が一番上手いと私は思っているが比喩表現は無理しているように感じる。だからこそ日本語の表現の幅を広げようとしているとも捉えられる。
 欧米人は何でも比喩するのが好きって印象があるし、使い方もこなれている。日本人は非言語的なコミュニケーションを多くとっているというが、非言語を言語化するのは欧米人がうまいのではないか。空気を空気のままにしない。もちろん全てをそうできているわけではないが、基本的には『はじめに言葉ありき』の文化なのだろう。言葉 is GOD。ネットで世界が均一になったと言われるが外国から学べることはまだまだある。
 あと、どうでもいいだろうけれど、牛野小雪は内容は暗いけど文体は明るいんじゃないかってレビューを見ていて思う。笑いながら読んでくれたらいいんじゃないかな。

追記2:日本は空気 is GODの国だけど、たいてい空気という言葉は悪い意味で使われる。でもなんだかんだで先進国の中に入っているんだから、まんざら空気が悪いわけでもないのだろう。空気を資源と捉えれば良いようにも使えるはずだ。空気を空気のまま書き進めていくのが日本文学の本道なのかもしれない。

ただ君に晴れ
U&R records
2018-09-01









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googleにタマを握られている

『ずっとやりたかったことをやりなさい』というワークブックを7週間続けた。これといって劇的な変化はないけれど分かったことはある。このワークブックは想像性全体を伸ばすもので、小説が書けるようになる本ではないということ。ピザやケーキを焼いたり、部屋の模様替えをしたり、庭に木を植えたり、新しい人の曲を買ったり、まぁそんな感じのことをやっていて、小説を書くという行為だけで見るならば、やっぱり雑感帳の方が良いように思われる。

 でも記録を残すというのは面白いものだ。『生存回路』を書き始めてから数年は書けない日がなかったが『ペンギンと太陽』からまた書けない日を味わっている。いや、本当に今週は全然だった。そういうことをモーニングノートに毎日書いていると、執筆って元々七転八倒しながら書くものだったじゃないかと思い出せることもある。

 先週はAIと統計分析の本を読んでいて、前からシンギラリティ()機械学習()なんて思っていたけれど、やっぱりそうだと確信を強めた。ここ数年はディープラーニングという言葉が流行っているけれど、やっていることは統計分析と検索でしかない。とはいえ、人間も実は生きた検索機械なのかもしれない。そもそも現代の科学では人間が思考しているかどうか分からないのだから、機械に知能があるかも分かりようがないし、もしかしたら人間が思考しているかどうか分からないのは思考していないからかもしれないしね。僕達はみんなウォーキングデッド。哲学的ゾンビだ。既に全ての物語は書かれてしまったという言葉があるように自分の小説を読んでいても、過去の小説に類似しているところはいくつもある。意地悪な人に言わせればオリジナリティなんて0かもしれない。自分はまだ自分の物語を書いていると信じてはいたいけどね。たぶん他の人も同じだと思うし、それは二次創作している人でそうだろうし、もしそう思えないのならどんな物も書けない気がするな。自己肯定感が執筆の燃料だ。

 なんてことを書いても、今週は全然だった。何回も書くけど本当全然だ。先月は10月にはもう書き終わっているだろうな、なんて考えていたが、今月は来年になっても終わらないかもしれないぞ、と思っている。何にも書けない時は過去の記録をさかのぼることにしている。その日に書いた量、食べたもの、使ったお金、筋トレしたかどうか、全てを記録しているわけではないが気が付いた物は何でも記録している。でも読んだ本は記録してないな。なんでだろう? AIといえばgoogleだ。google自体もAIを作っているが、解析の指標としてgoogleのデータがよく出てくる。というか、たぶん絶対に出てくる。
googleすげえな、といつも感心していたのだが、ふと自分の情報もgoogleにあるんじゃないかと調べてみる。まずは『google マイアクティビティ』で検索、っと‥‥‥ 

うわあああああああああああ!

 googleヤバすぎぃ! GAFAとか言っているけどG一強じゃねえか! SNSのログインもAmazonの履歴も残ってる! おまけにソシャゲーのログイン記録まで残ってる! こりゃアメリカでGAFAを規制する議論が起こるのも分かるわ。中国共産党より人のプライパシーに踏み込んでる。利便性をペイしてくれていなかったらギロチンにかけられていてもおかしくはない。と、一通り驚いた後でグーグルマップのタイムラインという機能で私がいつどこへ行ったのかという情報を見てみた(行った場所で撮った写真まで見せてくれる)。それでふとひらめいて、執筆がはかどり始めた転換点を確認してみる。やっぱり。毎日4ページ書ける流れになった前日には車で100km以上移動している。もしかしたら車で移動した分だけ小説が書けるのかもしれない。絶対に論理が繋がらないけれど、機械学習的にはそういうことだろう? 帰納法だ。そこで私の中にあるAIが「よし、お前。データを取るために今日は100km以上車で走ってみろ」とささやく。というわけで今日はこのあと車を洗って、2時間ほどドライブするつもりだ。

二時間だけのバカンス [feat. 椎名林檎]

 googleに何もかも握られているけれど、どうせ握られているなら有効活用しない手はない。毒を食らわば皿までだ。自分を分析するツールとして使ってやる。

(おわり)

追記:100km以上のドライブと小説は繋がりそうにないけれど、私の小説は主人公がよく移動するし、なんなら移動中の時の方が筆がノリノリの様な気がしないでもない。私はドライブしている感じを小説で書いているのかもしれない。自分ではそう思わないけど。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。
ジュリア・キャメロン
サンマーク出版
2012-11-05


追記2:『ペンギンと太陽』のまえがきとあとがきに引用してくれと書いたのには理由がある。コロナウィルスみたいに小説を拡散するにはどうすればいいのかと考えて、ウィルスみたいにコピーされたら拡散するのではないかと考えた。これは『ペンギンと太陽』にルル子さんの世界一のファッションデザイナーについての考えで既に書いていたと後で気付いた。ただコピーされるだけだと免疫ができるので、読者のコメントがあればそれが多様性を担保して免疫ができるのを防げるのではないかとも考えた。作中のセンテンスは遺伝子で、コメントは突然変異だ。これでコロナウィルスみたいに感染を広げてやるぞと計画していたのだが、パンデミックは起こらずに収束。いや~まいった。こんな恥をあえて書くのも『ずっとやりたかったことをやりなさい』に喪失を受け止めるというワークがあるからで、私はジュリア・キャメロンにすっかりハマっているのである。『タクシードライバー 』の監督マーティン・スコセッシもこのメソッドを使っているらしい。いつかモーニングノートで小説に辿り着くことはあるのだろうか? なんかケーキとかスコーンばっかり焼いている‥‥‥。5年後、私はお菓子屋になっていたりしてね。



タクシードライバー (字幕版)
シビル・シェパード
2010-10-01



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求めよ、さらば与えられん

 ここ最近は起きてすぐにモーニングノートというものを書いている。『ずっとやりたかったことをやりなさい』というワークブック系の自己啓発書に書いてある最初の課題だ。30分でA4のノートを3ページを書くという内容で、手書きで執筆したことのある人ならかなりハードな課題だと理解できるはず。(冗談だろ!?)と読んでいる時にツッコミを入れたが、やればやれるものだ。でもやっぱりハードだ。書いた後は手と肩がめちゃくちゃ痛い。30分で3ページは考える時間がないので、30分間ずっと書きっぱなし。むしろ考えてはいけないから、こんなにハードな時間配分なのだろう。書く内容は何でもよくて、思いついたことを何でも書く、書くことが無いなら『書くことが何もない』でもいいから30分で3ページを埋める。何度も言うがかなりハードだ。そうやって言語野を打ち倒して、心の深いところから言葉を引っ張り出してくるのが目的らしい。

 どうやったら無意識を記述できるかを考えて、ここに至ったわけだがモーニングノートを書いている時に、これって私が今まで書いてきた雑感帳に似ているぞ、と気付いた。ターンワールドの頃から執筆中に思いついたこと、感じたこと、考えたことをノートに書いてきて、別にそこからクリティカルなアイデアが生まれたことはないのだが、経験則で雑感帳を書けば小説も書けると分かってきたので、season3からは執筆する時間を減らして毎日1ページ書くのを課題にした。そうしたらもっと書けるようになった。世の中には直感に反する理不尽な真実があるのだ。

 ここまでハードではないが、既に入り口までは自力で到達していた。30分で3ページを自力で編み出せたとは思えないが、惜しいところまでは行っていた。人間、求めたものが手に入るとは限らないが、近づくことはできる。いや、そもそもモーニングノート書いたからといって小説が書けるようになるとまだ決まったわけではないんだけどね(12週間のワークブックで、まだ1週間も経っていない。)。でも感覚としては雑感帳をよくかけた時の感じをさらに高回転で回したような感じがあるので、何か変化があるのではないかと期待している。なかったら、おバカな作家が一人誕生したというだけの話だ。

 今のペースだとワークブックをやり終わった頃に執筆が終わりそうだから、効果が目に見えるのは次に書く物になるんだろうなぁ。もっと早くに出会いたかった。でも今回のもけっこう変わった物を書けている気はしてる。雑感帳は書いていたわけだし、3分の1ぐらいは効果があったはずだ。

(おわり)

ずっとやりたかったことを、やりなさい。
ジュリア・キャメロン
サンマーク出版
2012-11-05




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みんなで同じ話を書く

 最近は精神のエナジードリンクを摂取している。精神をハイにして支離滅裂な文章を吐き出す。これが執筆だ。精神のエナジードリンクとはもちろん自己啓発書のことである。

 はっきり言って10冊ぐらい読むと、書いている内容はどれも同じだと分かってくる。テンプレに沿っていかに面白い自己啓発をするか競い合っているようだ。いや、ホントに。なんなら書いている人が自己啓発書に書いてあることはみんな一緒で、だからこそ真実だなんて自嘲気味に言うことさえある。
 でも書いている内容は同じなのに、人によって面白さが違うのは不思議だ。自己啓発書にだって文体はある。小説家も同じプロットで同じ話を書くという企画をしたら面白いんじゃないか。もしかしたら将来はみんなそういう小説になっていたりして。

 成功というのはいまだに分からないものだね。1+1=2だけど、現実は同じことにならない。

 一つのことをやり続けて成功した人もいるが、一つのことをやり続けて失敗する人もいる。
 臨機応変に戦略を変えて成功した人もいるが、あれもこれも手を出して何一つものにならなかった人もいる。
 他人と協調して成功した人もいるが、他人にひきづられて失敗する人もいる。
 自分を貫いて成功した人もいるが、一人で破滅に向かって走っていく人もいる。
 こうやって羅列していくと『成功したから成功した』以外の共通点ってないんじゃないの?
 何かがかけ違っていれば両者が入れ替わっていたかもしれない。

 夏目漱石はスプーンでジャムをすくって食べていたし、芥川龍之介は最中が好きだったらしいが、甘いものを食べても文豪にはなれないのは当然だ。もしそうなら子供はみんな小説家になっている。上の二人が文豪になれたのは文豪になれたから以外に理由はないのかもしれない。と、書いてみたけれど、やっぱり夏目漱石は頭一つ抜けているような気がする。そう思うのは文豪という言葉が持つ後光効果でそう思ってしまうのか知らん。もし田中太郎みたいな誰も知らないような人を文豪だと100年ぐらい言い続けていたら、後世の人が彼の書いた文章に意味や価値を付けて、文豪になっていくのだろうか。それとも社会はそれを無視する? 少なくとも今の文学賞は機能していないね。一時持ち上げられても、みんなすぐに忘れられていくし、そもそも注目さえされていない。6年前に芥川賞を取ったのは誰か言える人なんているだろうか? でも一つの社会実験としてまずは牛野小雪で試してみるのはどうだろう。

 テンプレに沿っていかに面白い自己啓発をするか競い合っているようだ。と書いたけど、それって面白いと思うんだよな。たとえば薪ストーブに火をつけるというプロットで2万字くらいの小説をみんなで書く。そうしたら(こいつらみんな同じこと書いてるな)と思いつつも、それぞれの違いが出て面白いと思う。


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無意識なんて存在しない、たぶん2

 牛野小雪season3になってから、これという小説が書けていない。1は火星、2はターンワールドと最初からこれという物が書けたが、生存回路は自信をもってseason3の顔にはできない。たぶん自分の中にこういう物を書くぞという明確なイメージが捉えられていないからだろう。港に迷い込んだイルカみたいな小説を書くとは決めているが、それが小説という形に繋がらない。

 もっと心の奥から言葉を引っ張ってこなくてはいけないのだろうけれど具体的な方法は見つからない。もう何年も前から意識を介在しない執筆方法を考えているが、使い物になるようなものは出てこない。え、じゃあ使い物にならないものはあるのか? ということだが、それはある。ただし、本当に意味の分からないものしか書けない。今のところ何の利用価値もない文章だ。



味気のない死

「やせたい!」という気持ちは滅びやすいもののなかに君臨している。

 カロリーや食材を制限した俳優の栄光はあらゆる栄光の内でもっとも味気ないし、儚いものだ。我慢を重ねても一万年後には塵芥と帰し、その名前も忘れられる。糖質オフのダイエットは、これまで人に教訓を与えてきた。糖質さえ抑えれば、よくよく深く思いめぐらせれば、お肉も揚げ物もOKで、僕らの不安や動揺は、おなかいっぱいに深い高貴へ辿り着くだろう。

 何よりも時間がない時、僕らは最も確実なもの、つまり、作りおきできる栄光のついでに、もっとも人を欺かないもの。味や素材、調理法、数えられない栄光、お酒も、低糖質で楽しめるつまみや、何者もいつの日かは死なねばならぬ事実、しらたきのおかずから最良の結論を引きずり出しているのがマンネリだ。

 無理せず、楽しく、そのどちらかしかない。作家ならたとえ世に認められなくてもすっきりボディを目指そう。

 主食をしらたきに。これに反対していることを、僕達ははっきりと知っている。かさ増しして、これほどまでに張り詰めた心は永遠にかさ増し活用を逃れてしまうものだし、一方ダイエットは永遠を熱望している。私達は一日に決められた幸福と勇気、報酬を守って実践するだろう。

「糖質はどうしようもない。僕に釣り合ったご飯や、パン、麺類などの手で触れることができる、しらたきを使った心理からは離れることができない。まずは主食をしらたきに、きみはぼくを基礎にして、何かを置き換えるのが一番効果的だ」

 パスタの糖質は永続するものではない。しらたきでさえ永続はしない。これを続けていけば、いずれにせよ死が待っている。ぼくらはそれを知っている。食べやすく、細かく刻んで終止符を打つことも知っている。一方、死はかさ増し効果で食べ応え抜群。また、僕らを飽きさせる。

 しらたきは味が淡白なので、わめき叫びながら駆け回った。マヨネーズという悪魔を呼び出し「殺してくれ」と頼んだ。これは死に打ち克つカロリー制限のない一つのやり方だった。ダイエットが畏敬されているのだと思い込んでいる雰囲気や、墓地という場所をグッと増して醜悪なものにしたのは、楽しく続けられる勇気であった。よりおいしくなる下ごしらえのポイントは、死は独特のにおいがあるので、あく抜きして、下茹でして、揚げるのが思考の基本だ。



 この調子で続く文章を何万字も読むのはしんどいだろうし、書く方もしんどい。推敲もしんどかった(笑)。飛ばさずに最後まで読んだ人が1人でもいるかどうかあやしいものだ。何らかの意味を見いだせた人は一人もいないだろう。フロイト先生なら分析できるかな。万が一なんらかの感銘を受けた人がいっぱいいたとしても牛野小雪が使いこなせる物ではないから真面目な執筆には使えないし、たぶんこの文体を発展させることは不可能だ。

 本当はこの倍の量あった。ブログに書いた前半はまだ意識が残っているせいなのか意味ありげだが、後半へ行くにつれて意味が拡散して意味ありげでさえ無くなる。カオス(混沌)は深まるばかりなので、消してしまった。

○「やせたい!」という気持ちは滅びやすいもののなかに君臨している。
○私達は一日に決められた幸福と勇気、報酬を守って実践するだろう。

 この二つはなんか使えそうな気がするけれど、じゃあどこで使うかとなると分からない。無意識は意識的に使用できないから無意識なのだろう。もし利用できたらラッキーぐらいに思っていた方が良いのかもしれない。

 今のところ思い付くのは大量にこんな文章を作成して、その中から使えるものを拾っていくのが考えられる。無意識の大きさがよくある氷山型なら10に1の割合で使えるものが出てくるだろう。あるいはどれくらいの頻度で使えるものが出てくるかで無意識の深さが推定できるかもしれない。すっごい浅かったらショックだけど、めちゃくちゃ深くても嫌だなぁ。

『ペンギンと太陽』は縦方向に何度も書き直したけど、今回は横方向に時間と手間をかけてみようかな。そうしたら今までとは違う何かが書けるかもしれない。

 そもそも無意識なんて本当にあるのかな。無意識を発見したフロイトだって、解説でよく見る氷山式の無意識は説いていない。三島由紀夫の『金閣寺』で「見抜く必要はない。みんなお前の面上にあらわれておる」と和尚が言っていたように、抑圧されている感情は必ずどこかに形を変えて表出する。私もそっちの方がありえそうな気がする。人は見た目で分かると言うと言い過ぎだけど、本質はその人の意識していない(あるいはできない)表に出ているはずだ。無意識だとか心の深層なんて探ろうとしても、そんなものは始めから存在しないので、たとえインドまで自分の探しの旅に出かけても永遠に見つけられないだろう。

 無意識はないかもしれないが、意識が存在しているのは自明であって、これが執筆の邪魔になっているのはここ数年感じていることだ。もっと我のない文章を書きたい。しかし、書こうとする意識が無ければ何も書けないのではないかという禅問答を前にしてまだ一歩も進めていない。生存回路を書いたのは2019年だ。小説の中で賢者は消えてくれたが、私の中の賢者は消えてくれない。石の上にも3年と言うし、来年の今頃には何かひらめいているだろうか。それとも死ぬまで見つけられない?

(おわり)

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正しい姿勢で失われるものは何?

 一つの小説を書き終えるといつも猛烈な肩こりと腰痛に襲われる。本当は執筆中からダメージがあったのだろうが無意識でブロックしているのだろう。ヨガとかストレッチとか整体とか色々手を出すが、いまだにこれというものは見つかっていない。

 最近はアレクサンダーテクニークというのにハマっていて、肩も腰も楽になったような気がするが、どうせこれも執筆が始まったらまた台無しになるんだろうな。

 姿勢が良くなると自律神経は整うし、内臓が正しい位置に収まってダイエットにもなるし、頭も体も良く働くし、悪いことなんて一つもないように本には書いてあるが、それならどうして人体は自然に正しい姿勢にならないのだろう。

 人間が二足歩行になってからもう何万年も経つし、椅子や机ができてからも1000年ぐらいは経っているだろうから、そろそろ悪い姿勢の人類は淘汰されて、自然と良い姿勢を取ってしまう人類だけが生き残っても良いはずだ。それなのに人類の姿勢は良くなるどころか悪くなる一方なのは、悪い姿勢から何らかの利益を得ているからではないか。

 肉体は精神の器だとニーチェは言った。現代社会は猫背とストレートネックを要請している。インターネットで猫は人気コンテンツだ。きっと30年後は心も体も首はまっすぐで背中が曲がっているのが当たり前になっているに違いない。

 執筆している時はたいてい根を詰めて前かがみになっているイメージだ。ピシッと背筋を正して何かを書いているのは書記官と取り調べの調書官ぐらいしか思いつかない。姿勢の悪い書記官は間違いが多そうで、正しい姿勢の作家の書いた物はあんまり面白くなさそう。あくまでイメージだが、そんな気がする。現代社会は悪い姿勢から得られる何かを必要としているのだろう。あるいは正しい姿勢ではいられない世の中が間違っているのかもしれない。

 この記事を書いている時も姿勢が悪くなっていた。この文章もきっと間違っている。ピシッとしないとな。

(おわり)

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18歳のJK、受験勉強のためにソシャゲを卒業する

 この前までとあるソシャゲーをやっていた。その中で私はJK(女子高生の略称)だった。別にやりたくてネカマやっていたわけではなく、時々おかしいことがあるなと思いつつ、そのまま過ごしていたら、どうも周りの人達は私をJKだと思っているとある時分かった。その頃にはもう「ワイ女の子じゃないんだがwwwww」と言う機会を完全に逸していた。別に騙していたわけじゃないが今さらそれを言うと、何で今まで言わなかったの? という雰囲気になりそうで恐かったからだ。そのゲームをやっていたのは『流星を打ち砕け』を書いていた頃で、千秋の設定より年齢は少し上だが女の子に見られていたことが、自分の小説の腕が証明されたようで、ちょっと嬉しかったりもした。

 それとは逆にこいつ女の子風だが中身はおっさんだろwというのも見抜けた(ネット探偵怖すぎて草)。またある人は女と分かると変な人が寄ってくるので男のふりをしていると私に打ち明けてきたが、私は最初からその人が女の人と思っていたので、あんまり驚かなかったということもあった。ポリコレ的には男女に違いがないということになっているが、絶対に違いはあると思う。ただし、私みたいに絶対に変えられないものでもない(意図してにせよ、せずにしても)。トランスジェンダーの人はどっちになるのだろう?

 ゲーム内にチャット機能はあるが、アクティブなプレイヤーはdiscordというアプリで連絡を取り合っていた。最近の子はネットで顔出しを恐がらないというのは知っていたが、それは本当。こっちが心配になるほど顔出しに抵抗がない。もちろん全員がそうではなく、聞き専という顔も声も出さない子もいて、私もその部類だったが、その子にしてもこっそり教えてくれたtiktokでは普通に顔も声も出していたりするのでビックリした。10代(と思われている人達)で本当に顔も声も出していなかったのは私だけではないだろうか。ちなみに私のいたサーバーでは未成年淫行で一騒動あった。ネットにはモンスターが潜んでいる。でもたいていの人は良い人。ネトゲのコピペみたいに魑魅魍魎が跋扈しているということはない。勉強だって教えてくれる。

 一つのゲームを何年も続けることなんて普通はなかなかありえなくて、ゲーム自体は3か月くらいで飽きたけれど、人間関係があったのでソシャゲは続けていた。たぶんソシャゲにハマる人はゲームより人間関係にハマっているのではないだろうか。ゲームなんておまけです。

 課金ゲーだけあって人生のバグを見つけたような人に何人か出会った。小説に書けばリアリティがないと言われるような人達がこの世には存在している。私に100万円課金するかどうかという話が持ち上がったこともあったが、怖すぎるのでやめていただいた。でもどうなるか体験したら良い小説のネタになったかな? というか今考えると、相手は私をJKと思っているわけで、もしかしたらあれは未成年淫行の入り口だったのかもしれない。まぁそれはそれで小説のネタになったか。

 クロスサーバーで出会った中国人に結婚を申し込まれたり、サーバー内不倫があったり、荒らしプレイヤーを排除したり、内乱で100万課金する人が現れたりで、色々あったけど、昨日大規模イベントが終わったので、これを機にこのゲームをやめることにした。簡単に言えば人間関係で、仲が良かった人がやめたから私もやめるだけだ。何故一人やめれば連鎖的にやめていくのか理由が分かった気がした。

「ワイほんまはJKちゃうやでw」と幻想を壊していこうとも考えたが「今までありがとうございました。これから受験勉強に専念するので引退します」と最後は意図的にJKとしてふるまった。何故か胸が切なくなった。これが別れというものなのだろう。

 昨日四国では梅雨が明けて、雲一つない青空の下に乾いた風が吹いていた。

(2021年7月20日 記)

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※ やっぱりゲームは10代が多いけれど、トッププレイヤーはお金をいっぱい使える40代50代ばかりだった(正確な年齢は知らないけどたぶんそれぐらい。年金生活者になるとつつましくなる。ちなみにそのゲームでは相手のステータスを見ると相手がどれくらい課金しているか分かる方法がある。)。FPSだとまた違うだろうけど、課金でステータス上げられるゲームだと大人力がものを言う。100万円以下は無課金。

※2 ある人はゲーム内キャラの○○っぽいと私に言った。どうやら私のイメージはギャルっぽい女子高生だったらしい。そのせいか下ネタを撒きまくる荒らしプレイヤーは一度しか絡んでこなかった(他の子にはしつこかった)。だが、ある子はお姉様になってくださいと私に言った。人によって感じ方が違うのかもしれない。いや、中学生から見ればギャルはお姉様か。でも『流星を打ち砕け』の千秋ってギャルじゃないよな‥‥‥と思っているのは私だけで、私以外の人はそういう女の子として読んでいるのかもしれない。そこのところどうなんでしょう?

馬鹿は馬鹿なりに解決する

 両側に穴がある筒の中にあるエサを棒で突いて外に出せるように猿を学習させて、さらに今度は筒の中に穴を付けて、それを避けられる知能があるかどうかを測る動物実験がある。それによるとある猿は筒の中に棒を突き入れて、中のエサを取ることはできるが、筒の中にある穴を避けてエサを取ることはできないらしい。(ちなみにこの問題は人間だと4歳以上にならないと解けないそうだ
 しかしどんなものにも例外があるもので、ちゃんと穴を避けて取れるようになる猿もいる。何故だろうと考えてある研究者はもしかしたらエサが遠い方の穴から押せば、エサが取れるようになると学習したのかもしれないと仮説して、元の筒で試すと、やはりその猿は仮説通りのエサの取り方をした。猿は穴を認識していなかったのだ。そこでその研究者は『猿は本質を理解することなく解決する能力がある』と結論付けた。
 私はこの言葉に非常に力を与えられた。というのも今書いている『ペンギンと太陽(仮題)』はどう考えても自分には荷が重いもので、どうあがいても書き切れないと思い続けていたのだが、それでも何とか書き続けられているのは本質を理解しなくても小説が書けるからではないかと考えた。はっきり言って自分でもどうしてこう書いたのか分からないところがたくさんあるが、何故だか分からないけれど、そう書かなくてはという気持ちで書いたところがいくつかある。えてしてそういうところは書くのが難しいところだ。そんな調子なので、私はもしかしたらとんでもない間違いを犯しているのかもしれないと不安になることはしょっちゅうで、それがために眠れなくなって翌日まったく書けなくなる時もあった。
 でも理解しなくても解決できることもある。この小説は私の理解が及ばないところもあるけれど、小説家は小説を理解する者ではなく、書く者だからそれも一つの正解なのかもしれない。

(おわり)

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わがままは高くつく

 推敲で赤鉛筆を使っているのだが、これは一本70円ぐらいで買えるのだがしょっちゅう折れてしまう。最初は不良品を掴まされたのだと思っていたが、調べてみると色鉛筆は鉛筆と違って顔料を固めた筆記用具なので折れやすいようだ。しかし折れにくい鉛筆という物があって、実際に使ってみると普通の鉛筆ぐらい折れない。というよりまだ折れたことがない。その代わり値段が130円ぐらいする。

 執筆とは直接関係ないが最近は絵を描いて色も塗るようになった。その時に、ここにフォトショップみたいに色を重ねて塗れたら便利なのになぁと思うことがあって、もしかしてと文具屋に行った時に色鉛筆のコーナーを舐めるように見ていると重ね塗りできる鉛筆は存在した。値段は1本300円。万年筆のカートリッジ10本と同じくらい。世の中はどんなわがままでも通るが、それを通すにはお金が必要らしい。あるいはお金があれば、わがままが言えるとも言える。その時はそう考えたのだが、今のところ絵がうまく描ける鉛筆は見たことがないので、どんなわがままでも通るわけではないようだ。でも私の知らないところで1本10万円ぐらいの誰でもうまく絵が描ける鉛筆が売っていたりして・・・・・

 でも、もしあるとするならそんな物より小説がすらすら書ける万年筆が欲しいな。

(おわり)

追記:ノートでも薄くてインクが裏映りしないなんて欲をかき始めると、一冊の値段が跳ね上がっていく。キャンパスノートはコスパ最強。マックのバーガーみたいな物。でも最近使っているのはetrangerdicostaricaというオシャレなノート。

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徳島のそごうが潰れる前に本屋で『老人と海』をジャケ買いした話

 今年の八月に徳島県のそごうが閉店するので、何階にあるかは忘れたが本屋に行った。去年はそこでガルシア・マルケスの『百年の孤独』の新潮社から出ている綺麗な装丁の本を買って、お気に入りの一冊になったので、給付金で10万円が転がり込んできたし、閉店セールで安く買えないかなとエロい心を抱きつつ『族長の秋』向かったわけだ。

 閉店セールはやっていたがコロナのせいか客足はまばらだった。閉店するぐらいだから元々客足は少ないが、エスカレーターに乗っていると一階上にいる赤ちゃんの「ばぶ」が聞こえるほど閑散としていた。本屋に行くと目当ての『族長の秋』どころか全てのガルシア・マルケスがなかった。一年も同じ品揃えなわけないかとこの時に気付いた。日本では再販制度で本のセールが存在しないことにも。

 でも、せっかくそごうまで来たのだから何か買って帰らないと損なので、本屋をうろうろしていると『老人と海』の新版を見つけた。表紙がとても綺麗なのでジャケ買いした。今までこんな表紙は見たことがないと思っていたが今年の7月に出たばかりの新版だそうだ。


 既に持っている本の新版という流れができたので『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も買った。訳は村上春樹。装丁は・・・・シンプルだね!


 コロナがなければ記念に何か食べて帰りたかったけれど、外食するのも面倒になったので本だけ買って速攻で帰った。さらばそごう。もう会うこともあるまい。今までありがとう。おかげで良い本に出会えた。

(おわり)





万年筆が使えるじゃないか

 今まで雑感帳や仮書きのノートを書く時は1.0mmのボールペンを使っていた。何時間も書いていると0.7mmでは腕が痛くなってくるし、それは後日に持ち越される。本当は1.2mmが良いのだが替え芯の問題がある。店に置いてある替え芯は0.5とか0.3とか細いのばかりでインクが切れたらもう使えなくなってしまうのだ。そもそも1.2mmのペン自体があんまり置いていない。みんな細い字が好きだ。私もそう。

 前作『流星を打ち砕け』で1.0mmの替え芯は全部使い切ってしまった。しかし店へ行くと1.0mmの替え芯どころか、ボールペンも置いていなかった。しかたがないので5Bぐらいの鉛筆で書こうかなと考えていると、ふと万年筆があることに気付いた。

001 万年筆 01


 この万年筆は15年以上前に買った物で、キャップの金具の部分に緑青色の錆が浮いている。一万円もしたので買うのに勇気が要った。太さは中字で1.0mmと同じくらい。私が選んだのではなく店の人が選んだ。ピカピカ光るガラス張りケースの前で「この万年筆をください」と言った時はシュッとしたスタイリッシュな細い字を書ける万年筆を買おうとしていたが、店のおじさんが何を書くのかと訊いてきたので「小説を書く」と答えると、それならこれにしなさいと同じ値段で中字の万年筆に決められた。勧められたのではない。おじさんは声こそ優しかったが、何の説明もなく、もうこれにするからなという雰囲気をぷんぷん放っていたので、細字の万年筆に未練はあったが「じゃあ、それでお願いします」と言ってしまった。平成の時代でも、ひどいことはひどいがおじさんが若い坊主に丁寧な説明なんかしてくれなくても、それはそういうものだと思う時代だった。今でもまだそうなのかな。

 家に帰って箱を開けると、ポクッと優しい音が鳴った。これはいつも買っている筆記用具じゃないぞという感じがした。中には宝石箱のつやつやした布地にリボンで付けられた万年筆。試しにノートに線を引いてみると最初は滑るような感覚に驚いた。でもそれ以上に驚いたのは(やっぱり太い)ということだ。ガラスケースの向こう側で見たスタイリッシュな細い線が頭に浮かんだ。やっぱりあの万年筆に変えてもらおうかと何度も考えたが、結局勇気が出なくて、そのままにした。

 若い坊主が生意気にも万年筆を買いに来たから世間の厳しさを教えてやれ。そういう嫌がらせを受けたのだとずっと思っていたが、あるきっかけで細字の万年筆が手元に転がり込んでくるラッキーがあった。それで細字で執筆していたこともあったが、原稿用紙4枚ぐらいで腕に負担がくるとすぐに気付いた。疲れというかコリも翌日に続く。中字だと20枚近くまでは負担なくいける。そこでようやくおじさんが中字にした理由が分かった。それ以来ノートを書く時もなるべく太い字のペンで書くようにしたら、だいぶ楽になった。

 いや、待てよ。ノートには万年筆使わんのか~い! と思った人がいるかもしれない。そう、事実使わなかったのである。小説を書くために買ったのだから、小説を書く時にしか万年筆を使わなかった。原稿用紙=万年筆である。それ以外にも使えるのではないかと気付いたのは、つい最近のことだ。なんたる頭の固さ。ノートにはボールペンか、鉛筆か、シャープペンシルを使うことしか頭になかったが、万年筆どころか墨を付けた筆で書いてもいい。

 万年筆がボールペンより良いのは、替え芯のmm数を気にしなくてもいいことだ。インクが無くなればカートリッジを代えればいいだけ。どの太さでもインクは同じ。どうして今まで気付かなかったのだろう。頭の固い奴だな、ちょっと笑える話だった。今は何でも万年筆で書いている。これで替え芯を買い溜めしなくてもよくなった。

<おわり>

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