ニーチェとドゥルーズの関係を考えるとき、まず両者が共に「哲学を再発明しようとした思想家」であった点に注目すべきだ。二人は時代も文脈も異なるが、哲学を「真理の探求」ではなく「力の生成」「生の表現」として捉え直した。その意味で、ドゥルーズはニーチェの最も忠実でありながらも創造的な継承者だったといえる。

ニーチェは十九世紀の終わりに、形而上学と道徳の根本を爆破した。彼にとって「真理」とは、固定的な実体ではなく、力の闘争の中で生まれる一時的な仮象だった。彼は「神の死」を宣告し、道徳や理性の支配から自由になった「超人」の出現を構想した。超人とは、価値を外から与えられるのではなく、自ら新しい価値を創造する存在である。世界は善悪の秩序によってではなく、「力への意志」の流動によって動いている。ニーチェは人間を「固定された主体」としてではなく、欲望や力の束として見つめたのである。

ドゥルーズは二十世紀後半に登場し、ニーチェを徹底的に読み直した。彼は『ニーチェと哲学』の中で、ニーチェの思想を「肯定の哲学」として再構築する。ドゥルーズにとってニーチェは、否定や欠如ではなく「差異の肯定」を語る哲学者であった。つまり、存在は同一性の破れの中にあり、世界は常に新しい差異を生み出し続ける創造的な運動だという。ここでドゥルーズは、ヘーゲル的な弁証法の「否定による発展」に対して、ニーチェ的な「差異の反復による生成」を対置する。世界は対立を克服していくのではなく、矛盾や差異そのものを肯定して拡張していくのである。

ニーチェにおける「力への意志」は、ドゥルーズにとって「生成変化(devenir)」のエネルギーへと転化する。ニーチェが「生」を静的な存在ではなく、常に自らを超えていく運動として捉えたように、ドゥルーズもまた「存在すること」とは「生成し続けること」だと考えた。たとえば、蝶が蛹から羽化するように、生命や思考は一瞬も止まることなく、別の形へと流れ込んでいく。哲学とはこの流動の地図を描く行為であり、ドゥルーズにとってそれは「思考の創造」であった。彼の哲学は、世界を表象で捉えるのではなく、「力と関係の網目」として把握しようとする。

しかし両者の間には重要な違いもある。ニーチェは詩人的で孤高の思想家であり、彼の関心は主に人間的な精神の変容にあった。彼は道徳の背後に潜む ressentiment(怨恨)を分析し、人間が自らの弱さを隠すために「善悪」を発明したと見抜いた。彼にとって問題は、「いかに人間はこの怨恨の構造を超えて肯定的に生きられるか」であった。一方ドゥルーズは、より構造的・社会的な視点から世界を分析する。彼はニーチェの「超人」を個人の英雄的理想としてではなく、「多様な差異が共存する生成のネットワーク」として再定義する。つまり、超人はもはや一人の天才ではなく、あらゆる生の接続が生む集合的な創造の力なのである。

また、ニーチェは「永劫回帰」という概念で世界の肯定を極限まで押し広げた。世界のすべてをもう一度繰り返すことを喜んで受け入れられるか――この問いは、存在の完全な肯定を意味している。ドゥルーズはこの永劫回帰を「同一の回帰」ではなく「差異の回帰」として読み替えた。つまり、回帰とは同じものの繰り返しではなく、常に異なる形で現れる差異の再生産だという。時間も直線的ではなく、無限の生成のリズムとして捉え直される。彼にとって、世界は「反復する差異」によって動いている。これがドゥルーズ的なニーチェ解釈の核心であり、彼の後期思想(『差異と反復』『千のプラトー』)へとつながっていく。

両者の違いは、思想のスタイルにも現れる。ニーチェはアフォリズムと詩的な断章で思考を爆発させる作家であり、哲学を芸術の域まで高めた。彼の文章は、論理よりもリズムや情念によって読者を揺さぶる。ドゥルーズもまた文学的な哲学者だが、彼は構造的な思考を通じて「概念の芸術」を試みた。彼は「概念」を作ることを哲学の本質と考え、芸術や科学と並ぶ「創造の実践」として哲学を位置づける。ニーチェが「詩人として哲学した」とすれば、ドゥルーズは「建築家として哲学した」といえる。前者は破壊の閃光によって思考を解放し、後者はそこから新しい思考の建築を立ち上げた。

ドゥルーズがニーチェを愛したのは、彼が「否定の哲学」に抗う思想家だったからだ。ドゥルーズは西洋哲学を「否定」「欠如」「同一性」の系譜として批判し、そこにニーチェを唯一の「肯定の哲学者」として見出した。生は目的を持たず、ただ流れ、変化し、増殖する。そこに意味を見出そうとするのではなく、流れそのものを喜ぶ――この姿勢がドゥルーズにおけるニーチェの核心だった。彼にとって「力への意志」は「生成への意志」であり、哲学とは世界の動きを止めるのではなく、いっそう速めることである。

とはいえ、ニーチェが見つめたのは個人の魂の闘争であり、ドゥルーズが描いたのは「非人間的なネットワーク」の世界だった。ニーチェの「力」はまだ人間的であり、「悲劇的精神」や「芸術的肯定」といった感情の表現と結びついていた。ドゥルーズにおいては、それが脱人間化され、リゾーム的な「関係の場」へと展開する。たとえば『千のプラトー』における「リゾーム」は、根ではなく地下茎のように広がる生成の比喩であり、そこでは中心も始まりも存在しない。これは、ニーチェの「中心なき力の闘争」をさらに抽象化した姿とも言える。

ニーチェとドゥルーズは「哲学とは生をどう肯定するか」という一点で深く共鳴している。ニーチェが「生を愛せ」と叫んだとき、彼の背後には痛みと苦しみがあった。ドゥルーズもまた、戦後の閉塞した理性主義の中で「思考すること自体の喜び」を取り戻そうとした。二人にとって哲学とは、世界を支配する体系ではなく、世界と共に踊るリズムのようなものだった。ニーチェが孤独な預言者として地平線の彼方を見つめたのに対し、ドゥルーズは無数の流れを接続する配管工のように思考した。時代も形式も異なるが、両者を貫くのは「生を肯定する勇気」と「思考の創造への情熱」である。そこにこそ、ニーチェとドゥルーズの真の共通点がある。