愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

短文学

『文学の死後、SNSを受け入れるまで』リリース記事


文学はもう古い――そう呟いた主人公は、SNSの速すぎる流れに身を置く。断片だけが漂い、文脈は消え、作者の意図も意味も勝手に変形していく。バズ、忘却、アルゴリズムの選択、そして過去の自分の言葉との再会。十の章を通じて、主人公は「物語」を手放し、やがてSNSという断片の海を受け入れていく。文学とSNS、その境界が消える時代におくる、ポストモダン的漂流譚。 


なぜ読むべきなのか

この小説は、SNS時代における「言葉の生き方」を真正面から描いています。
私たちは毎日、無数の短い投稿や画像に触れていますが、それらの多くは数秒で忘れ去られます。そこに意味はない――そう思いながらも、私たちは無意識に物語を組み立て、断片に感情を宿してしまう。本作は、その矛盾こそが現代の物語の形であると提示します。

主人公は「文学はもう古い」とSNSに投げかけ、拒絶から始まります。しかしバズやアルゴリズム、過去の自分の言葉との再会を経て、物語の所有権が個人から離れた世界を受け入れていく。この過程は、読む者に「物語とは何か」「作者とは誰か」という根源的な問いを突きつけます。

SNS断片文体という実験的手法により、ページを開くたびに文脈が揺らぎ、読むたびに異なる印象が生まれる構造は、まさに現代のポストモダン的読書体験。文学の未来に関心がある人はもちろん、SNSの中で言葉と共に漂う感覚を味わいたい人にも強くおすすめします。


試し読み

1章「既読5、いいね0

「文学はもう古い」ってポストしたら、既読が5。
いいねは、0。
多分、そのうちの一人はお前だろう。
返事がない。返事がないのが返事ってやつか。


タイムラインの流れは速い。
ページをめくるよりも速い。
俺の言葉は、波に飲まれた空き缶みたいに、すぐ沈む。
もう見えない。
引き波が戻るころには、別の空き缶が漂ってくる。
何もかも、そうやって置き換わっていく。


「古い」という感覚は、どこから来るんだろうな。
俺が生まれる前から古かったのか。
それとも、俺の中でだけ古くなったのか。
文学ってやつは、なんか、黒いフェルトの帽子の匂いがする。
麦わらじゃない。
雨の日にかぶって、濡れて、そのまま押し入れにしまわれて、忘れられた匂いだ。


通知が光った。
心臓が一瞬だけ強く打つ。
けど、開いたら別の投稿への反応だった。
俺は俺の文章に反応してほしい。
でも、それを求めてる自分がダサい。
誰かの「今からカレー作る」みたいなやつには反応できるのに。
なぜだ。


スマホの画面を指でなぞる。
指紋がガラスに滲む。
タイムラインは笑っている。泣いている。怒っている。
全員が同時に、別々の理由で感情を吐き出している。
それを俺は、ただ流して眺めるだけ。
溺れそうになる。
でも、泳ぎたくはならない。


「文学は古い」ってのは、たぶん俺の負け惜しみだ。
俺は本なんてもう読まない。
最後に読んだのはいつだったか。
駅の売店で買った文庫。カバーは黄色くて、背表紙の角が丸かった。
読んだ内容は覚えていない。
でも、まだその本は机の引き出しにある。
引き出しを開けていないだけだ。


投稿を消そうかと思った。
けど、それすらも面倒くさい。
この「既読5、いいね0」の状態が俺の今なんだ。
俺は俺の無視され方を、証拠として残しておく。
それは、なんか、負けた試合のスコアを額縁に飾るみたいなもんだ。


ポストの下に、関連投稿が並ぶ。
「文学の未来はSNSにある」って言ってるやつもいる。
その下には「SNSは人間をバカにする」って言ってるやつもいる。
その二つは、多分、同じタイムラインに流れてる。
相容れないくせに、並んで存在できる。
これが今だ。
これがポストモダンってやつかもしれない。


昼過ぎ。
コンビニに行って、缶コーヒーを買う。
店員は俺を見ない。
俺も店員を見ない。
レジの音だけが、俺と店員をつなぐ。
店を出たら、陽射しが強くて、目を細めた。
その瞬間、俺はなんとなく投稿のことを忘れた。


家に戻ると、既読が6になっていた。
いいねは、まだ0。
誰が見たのか、もう分からない。
でも、既読が増えたという事実が、俺をほんの少しだけ生かしている。
それがどんなに薄っぺらいことでも。


たぶん、文学はこの「既読6」の中にもあるんだろう。
俺の文章は、誰かの脳に0.2秒くらい滞在した。
それだけで十分かもしれない。
ページをめくる指の代わりに、親指が画面を滑った。
文字は、紙じゃなくて液晶に載っていた。
でも、確かにそこには俺がいた。


風が吹いた。
カーテンが揺れた。
スマホを伏せた。
画面は暗くなった。
俺はそこに何も書き込まなかった。
だけど、タイムラインは、勝手に流れていた。
俺がいなくても、流れ続ける。
それが少しだけ、救いだった。


このままいけば、俺はSNSを憎むことはできないだろう。
憎しみよりも、惰性のほうが勝つ。
文学はもう古い。
でも、俺は古さの代わりに速さを手に入れた。
速さは俺を軽くする。
軽さは俺を、どこへでも連れて行ける気がする。


既読7。
いいね0。
その0のままでいい気がした。
俺は、たぶん、この数字の中で生きていく。
もうページをめくる必要はない。
タイムラインがめくってくれるから。
物語は俺を待たない。
だから、俺も物語を待たない。



『宝くじの当たり券』リリース記事



十億円の宝くじ当選券を手にした主人公は、換金せず「保持」し続けることを選ぶ。使えば人生も世界も変わる——その可能性を恐れ、そして手放せない。周囲の視線、外からの圧力、同じ保持者との出会い、期限の迫る焦燥。それらに揺さぶられながらも、彼は「決断の手前」に留まり続ける。可能性という贅沢を抱えて生きる、緊張と静寂の心理小説。

なぜ読むべきなのか


本作は「使わない自由」という、通常の成功物語とは真逆のテーマを描きます。十億円という極端な条件を通して、選択肢を持ち続けることの甘美さと残酷さ、そして人間の心理の複雑さを鮮やかに浮かび上がらせます。お金や幸福にまつわる固定観念を揺さぶり、読後には自分にとっての「保持」とは何かを考えずにはいられなくなるでしょう。静かな緊張感と哲学的余韻を味わいたい人にこそ薦めたい一冊です。 

試し読み

第一章 保持する者

実は宝くじに当たっている。1000円とか1万円とかじゃなくて10億円だ。
それを最初に言ってしまうのは、倫理的にどうかと思うが、真実はいつだって無遠慮に口を開けている。だから先に言った。秘密は、先に名指されると少し安心する。まだ誰にも伝えていないのに、すでに減罪されたような気がする。気のせいだ。けれど気のせいはしばしば現実より強い。

朝の通勤電車の吊革はべたつく。小さな遺伝子の取っ手みたいに人の生活をつないでいる。僕の右手は吊革を握り、左手は鞄の中で財布を撫でる。羊皮紙の王権神授、みたいな紙切れがそこにある。印字の番号。地味なフォント。天地をひっくり返すほどの桁数。油断すると笑ってしまう。口角が勝手に独立宣言をする前に、車窓の曇りに頬を押し当てて冷やす。誰にもバレてはいけない。いや、バレてもいいのだが、バレると世界が変わる。世界が変わるのが嫌いだ。こう見えて保守的だ。革新は好きだが、自分の生活に導入しないタイプの革新愛好家だ。見物人。拍手の専門家。

「このままでいいのか?」という問いは、実は「このままでいたいのか?」とは別物だ。
このままでいいのだ。よくないけれど、よい。味噌汁に砂糖を入れたみたいな矛盾。甘いし、しょっぱい。舌が混乱し、脳が解像度を落とし、やがてそれを“家庭の味”と呼びはじめる。人間は慣れに名前を与えるのが上手い。僕は“保持”という家庭料理を食べて生きてきた。おかわりもできる。冷めてもおいしい。冷めた方がうまいことすらある。

会社につく。いつも通りの空調。いつも通りの乾いた観葉植物。いつも通りの上司が、いつも通りの溜息に新しいスパイスを足してくる。「金利が上がってさ、ローンがきつくてよ」。なるほど、金は流体だ。器がなければこぼれる。器があっても蒸発する。彼の話を聞きながら、僕のポケットの中では十億円が固体のふりをしている。ふり、である。まだ僕の手の中で相転移していない。現実に触れさせなければ、金は理論上無限に清潔だ。使えば汚れる。数字は現実に触れると汗をかく。僕は汗を嫌う。だから拭かずに、かかせない。矛盾が好きだ。僕の矛盾は、体温をもっている。

昼休み、社食のカレーは具が少ない。少なさは清潔だ。富は雑多だ。僕は少ない方が落ち着く。匙を口に運ぶたび、「いま換金すれば、ここに並ぶ人たち全員の昼食を一週間ぶん奢れる」と思う。思えてしまう、が正しい。思考はしばしば暴力的だ。暴力的な思考への対処法を僕は知っている。見なかったことにする。路上の事故現場の横を、歩幅を変えずに通り過ぎる技術。人は皆、何かを見なかったことにする達人だ。僕だって例外ではない。ただし僕の“見なかった”は、財布という暗箱の中で像を焼き続ける。光は当たらないのに、焼き付く。これは写真の逆で、露光しないほど鮮明になる。

午後、メールの山。CCの海。上司の説教。隣の席の同僚が「副業って、どう思います?」とささやく。僕は「規定では禁止だったような」と返す。彼は「でもみんなやってますよ」と笑う。みんな、という言葉はいつも嘘を連れてくる。みんながやっていることに遅れて参加するのは、海に出てから泳ぎ方を学ぶようなものだ。おぼれる。いや、泳げる人もいる。独断と偏見で言うと、後から飛び込む人の方がたいてい速い。焦りが筋力になるからだ。僕は焦らない。焦らないことが誇りだったが、今日だけはその誇りが錆びて、指に黒い粉をつけた。十億円は、焦りを不要にする。不要なものは誇りを腐食させる。誇りは保存食ではないのだな、と知る。

トイレの個室に逃げ込み、鍵をかけ、便座に腰を下ろし、鞄を開ける。財布を開き、さらにその中の隠しポケットを開く。ある。そこにいる。紙だ。紙は弱い。弱さは美しい。権力が紙に宿る時、世界は紙の弱さに膝をつく。王の命令書も、離婚届も、死亡診断書も、紙だ。紙は軽い。軽さは残酷だ。僕は指でその軽さを持ち上げ、しばらく握り、また戻す。トイレの換気扇が、僕の秘密を少しずつ空へ運ぶ。空は何も言わない。空は大概の秘密を無罪にする。雲は証言しない。

僕の中にもう一人の僕がいる。彼は換金しようと言う。理屈は簡単だ。使わない価値は死蔵で、死蔵は停滞で、停滞は死だ。ここまでの三段論法は完璧だ、と彼は胸を張る。僕は拍手する。内側で、片手で。もう一人の僕、別の彼は、保持を唱える。彼の理屈も簡単だ。換金した瞬間、あらゆる可能性は一つの現実に収束する。保持は、無限分岐の保全である。シュレーディンガーの猫に餌を与え続ける行為だ。箱は閉じていればこそ、猫は死にもし生きもする。開けた瞬間、どちらかになる。可能性は世界最古の通貨だ。僕は可能性の金本位制に復帰したい。紙幣は信用、可能性は沈黙。沈黙の方が堅い。

夕方、窓際の席に光が傾く。社内チャットに「飲みいきません?」と流れる。僕は断る。今日は家でやることがある、と言う。やることはない。あるのは、やらないこと、だ。やらないことを遂行するには時間がいる。保持するには体力がいる。人は行動することで疲れるが、行動しないことでも疲れる。保持は筋トレだ。静止を保つ筋肉。等尺性収縮。プランク。僕の腹筋は未知の角度で震えている。

帰路、商店街の抽選会の鐘が鳴っている。ガラガラから白い球が転がり出るたび、小さな歓声が上がる。くじは、外れる喜びも含んでいる。何も得られない自由。無駄に費やす歓喜。僕は、すでに当たっている。だから参加できない。公平ではない。勝者はゲームを壊す。勝者が無言で立ち去る時、正しさの量が増える。正しさは退屈だ。退屈は安全だ。安全は眠い。僕は欠伸を噛み殺し、ポケットの中身を確かめる。ある。ある。まだある。未来がある。未来は小さく折りたためることを、僕だけが知っている。

家に帰ると、郵便受けに水道料金のお知らせ。数百円の値上げ。額としては誤差。だが誤差の連隊が生活を侵略する。少しずつ、しかし確実に。僕は誤差でできている。誤差で破壊され、誤差で救われる。台所で水を出し、コップに満たし、飲む。透明。無味。価値はしばしば無味だ。味をつけるのは用途だ。僕はまだ味を付けない。塩も砂糖もいらない。たぶん、永遠に。

夜、机に座り、白い紙を出す。何かを書こうとする。履歴書? 遺言? 願い事リスト? いや、どれも違う。書きたいのは宣誓だ。僕は十億円を持っているが、当分使わない、という個人的な憲法前文。国家はしばしば、持っているものを使うために作られる。僕の国家は逆だ。使わないことを国是とする小国。人口一名。GDPは理論上最高だが、支出ゼロ。観光資源は秘密。国境は財布のファスナー。通貨は沈黙。国歌は換気扇の微音。国章は印字番号。僕は独裁者であり、同時に市民であり、同時に野党である。夜更けに国会を開き、賛成反対両派が拍手する。議事録は紙に残さない。紙は危険だ。紙は軽いから、どこへでも行けてしまう。

スマホが震える。母からの短いメッセージ。「元気?」とだけ。僕は親切に「元気」と返す。嘘ではない。元気の定義は可変だから。十億円を持つと、元気は一時的に上書きされる。実感が遅れて追いつく。その遅延が、僕の安全地帯だ。母が次に「よかった」と送り、ついでに庭の紫陽花の写真を三枚も送ってくる。瑞々しい。水はただで落ちてくるようで、だいたいの場合ただではない。雨樋、屋根、舗装、下水、ポンプ、電気。見えないルートに金が流れている。僕の十億円は、まだどこにも流れていない。川の源流で凍っている。氷は綺麗だ。溶ければ濁る。濁りこそ生命、と人は言う。そうかもしれない。だが今日は綺麗でいたい。たった一日くらい、凍っている自由を許してほしい。

ベッドに横になる。天井が白い。明日も白いだろう。白は自由だ。何色にも染まれるが、染めなくてもいい。僕は明日も会社に行く。吊革を握る。財布を撫でる。保持する。ささやかな反逆を、毎秒する。革命より難しいのは、革命を起こさないことだ。力を持ちながら、行使しない。正義の形をした怠惰。怠惰の形をした自制。名前はどうでもいい。名付けはいつも、あとから来る。

眠りに落ちる直前、思う。僕は、たぶん幸福だ。いや、不幸かもしれない。両方である可能性を保持している。保持は万能ではないが、今夜は万能だ。月が窓の隙間から床に線を引く。あの光は遠い。遠さは贅沢だ。贅沢を持っているのに、使わない。僕は贅沢の保存者。可能性の司書。鍵をかけ、灯りを消し、財布を枕元に置く。寝返りを打つたび、紙が小さく鳴く。紙魚の足音のように。僕はそれを子守歌にして、目を閉じる。世界はまだ変わらない。僕がそう決めたからだ。明日も、たぶん。少なくとも、しばらくは。




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『ヤンキーか奴隷か』リリース記事




暴力を振るうヤンキーと、法律と論理を武器にする奴隷。K市には昼と夜、可視と不可視、二つの支配がある。どちらにも属せず、牙も檻も持たない「俺」は、波の間を漂い続ける弱者だ。安全圏も無音域も、位置と時間で変わるこの街で、生き延びる唯一の術は、波の癖を読むことだけだった。 

なぜ読むべきなのか

この物語は、暴力と論理という二つの支配構造の狭間で生きる“弱者”の視点から描かれています。
正義や勝利を語る多くの物語とは異なり、ここにあるのは「どちらにもなれない者」の現実です。
安全圏など存在しない社会で、位置と時間を選びながら生き延びるしかない姿は、読者自身の生き方や立ち位置を問い直します。
力を持たない者の生き方を知るために、読む価値があります。

試し読み

第一章 宣言:俺は弱者だ

自然界ではヤンキーが一番強い。
高校の教科書には載っていないし、道徳の時間にも出てこない。けれど、K市のコンビニ前で夜を過ごせば、そんなことは三日で理解する。生物は牙を持つものが支配する。鹿は角を、熊は爪を、ヤンキーは拳を。人間社会では牙は抜かれたと思われているが、それはあくまで昼間の話だ。夜になると牙は戻る。いや、昼間も牙はそこにある。見えないだけで。

だから人は法律を作った。牙を抜くために。法律とは論理の形をした檻だ。檻の中で暴れると、鉄の棒にぶつかって自分が痛い目を見るようにできている。法という名の鉄格子は、弱者のために作られた。牙を持たない者でも、鉄格子越しに強者を指さして笑えるように。論理はその笑いの延長線上にある。言葉で相手を封じる。文書で縛る。時間を奪う。牙を持たない分、口と手続きを鍛えた人間たちが築き上げたのが論理だ。

でも俺は、その論理を使いこなせない。暴力も持たない。牙を持たない。檻も持たない。
それが俺だ。
奴隷にもなれず、ヤンキーにもなれず、ただその間の空白を漂う弱者。

夜勤明け、コンビニ裏の資材置き場で缶コーヒーを飲んでいたら、真鍋たちがバイクでやって来た。マフラーの音が港の方から反響して、胃の奥に響く。俺はコーヒーの缶をポケットに押し込み、積まれた段ボールの影に入る。彼らは俺を見ていない。俺も彼らを見ない。こうして、力も理屈も持たない者は、時間をずらし、視線を避けて生き延びる。これは戦術ではない。反射だ。生まれたときからこの距離感を保つことだけで命を守ってきた。何も誇るべきことではない。だが、それしかできない。

奴隷——つまり法と論理の世界——に入れば、守ってくれる人もいる。川原がそうだ。彼はいつも正しい手続きを踏んで、正しい言葉を使う。警察も役所も彼の味方をする。真鍋に絡まれても、川原がいればスマホで動画を撮り、通報し、数日後には相手が学校から消えている。でも、俺は川原のようになれない。証拠を押さえるタイミングを逃す。言葉が出てこない。論理を維持するための集中力がない。奴隷の世界に入るには、奴隷としての資格がいる。俺にはその資格すらない。

時々思う。暴力と論理は、じつは同じ動物の両手じゃないかと。右手が拳で、左手が契約書。表の顔と裏の顔。牙と檻。どちらも支配のための道具であり、支配する側に回らなければ役に立たない。俺のように、どちらの側にも属さない者には、ただの風景にすぎない。川原が契約書を突きつける姿も、真鍋が拳を振り下ろす姿も、俺にはテレビの中の出来事のように見える。手を伸ばしても画面に触れるだけで、向こう側には届かない。

港の船溜まりには、監視カメラがない場所がある。防波堤の向こう、船の影になるあたり。そこで何があっても、記録は残らない。法は記録を前提に動く。記録がなければ何もできない。論理も同じだ。証拠がなければ成り立たない。そこではヤンキーが王だ。拳一つで全員の行動を決められる。まるで潮の流れのように、その場にいる人間を押し流す。抵抗しようとすれば沈むだけ。俺はその流れの外側、岩場の陰に隠れてやり過ごす。それが俺の生存法だ。

だが、ときどき思う。俺のやっていることは、生き延びているのではなく、ただ死ぬのを先延ばしにしているだけじゃないのかと。暴力の世界にも論理の世界にも参加できず、ただ「今は大丈夫」という瞬間をつないでいるだけ。次の瞬間には波にさらわれるかもしれない。弱者とは、そういう存在だ。嵐の中で自分が小舟にもなれず、ただ水面に浮いているだけの藻屑。

真鍋は俺を覚えていないだろう。川原も同じだ。俺は誰の陣営にもいない。名前も呼ばれない。だが、それはある意味で安全でもある。名簿にない者は呼び出されない。地図にない場所は攻められない。存在を薄くし、波の合間に身を滑らせる。
それは卑怯かもしれない。卑屈かもしれない。けれど、それが俺の唯一の選択肢だ。

時々、論理が暴力に勝つ瞬間を見る。川原が証拠を揃えて真鍋みたいなやつを追い詰めるとき。だが、その勝利は時間の中でしか成立しない。即時の場では、論理は何もできない。通報しても警察が来るまで二十分。暴力は二十秒で終わる。時間の単位が違うのだ。論理は長距離ランナー、暴力は短距離ランナー。同じ競技に見えて、実は別の種目。弱者はそのどちらにも出場できない観客だ。

この街で、奴隷はヤンキーより強いと信じている者が多い。法律があるから。制度があるから。だが、それは昼間の話だ。夜になると、照明の届かない場所で、拳が法律になる。俺はそれを何度も見てきた。昼間の支配者が夜には被支配者になる瞬間。法律の旗を持った人間が、その旗を棒にされて殴られる瞬間。そこには論理は届かない。

俺はその光景を見ながら、何もできない自分を確認する。暴力を持てばヤンキーになれる。論理を持てば奴隷になれる。どちらも持てない俺は、ただの弱者だ。
でも——弱者には弱者なりの生き延び方があるはずだと、どこかで信じている。根拠はない。論理の飛躍だ。根拠がないのに信じるのは、暴力に匹敵する愚行かもしれない。だが、そうでもしなければ、この街で息をしている理由がなくなる。

港から吹く風が塩の匂いを運んでくる。真鍋たちの笑い声が遠ざかる。俺は缶コーヒーを飲み干し、段ボールの影から出る。
誰も俺に気づかない。
それでいい。
それがいい。
そうやって、今日も波の外側を歩く。



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『お前がやった』リリース記事



目覚めたとき、手は血にまみれ、記憶はなかった。部屋には一枚のメモ──「お前がやった」。主人公・陽一は、自分が何をしたのかを探りながら、記憶の空白と向き合っていく。写真、録音、そして消えていく証拠。だが次第に、彼の過去と“彼女”の存在自体が揺らぎ始める。自己とは何か? 記憶とはどこまで真実か? 曖昧な自我と現実の裂け目に沈んでいく、静謐な心理ミステリー。

なぜ読むべきなのか



この物語は、ただの記憶喪失ミステリーではありません。
自分とは誰か? 昨日の自分と、いまの自分は本当に同一なのか?──
そんな根源的な問いを、犯人探しという枠を超えて静かに突きつけてきます。
私たちは日々、自分という存在を無自覚に信じて生きています。
だが、その“自明さ”が崩れたとき、何が残るのか。
この小説は、あなた自身の「輪郭」を揺さぶる装置です。
読後、きっと静かに、こわくなる。
だからこそ、読むべきです。


 

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1章 目覚め、血の匂い

目が覚めた瞬間、何かがおかしいとわかった。
視界がすぐに焦点を結ばない。息が詰まるような空気。部屋の匂いが、変だ。湿っていて、金属のような匂いが鼻を刺した。

天井が見知らぬものだった。塗り直された白、うっすら浮かぶシミ。
右手が変なふうに重い。動かそうとして、違和感に気づいた。ぬるりとして、まとわりつくような感触。
ゆっくり起き上がって見た。

手に、血がついていた。

べっとりと。乾きかけて、黒ずんで。指の間、爪の隙間。誰の血なのかわからない。見た瞬間、胃が収縮した。何かまずいことが起きた。そういう身体の反応だけが、記憶より先にやってくる。

起き上がって、あたりを見回す。
ビジネスホテルの一室らしい。安い。ベッドの縁に黒いスーツのジャケット。床に転がった靴。自分のものだ。履いていた記憶はないけれど。

喉が渇いていた。水を探そうと立ち上がりかけて、右肘のあたりに紙が触れた。手書きのメモ。封筒のような紙の切れ端。にじんだボールペンの文字。

「お前がやった」

手書きの字は、自分の筆跡に似ていた。でも書いた記憶はまったくない。
この部屋に、他に誰かいた気配もない。
息を吸った。気持ちが悪い。喉の奥に粘りつくような不快感が残る。

風呂場に行って手を洗った。石鹸で何度もこすった。指の関節に詰まった血がなかなか落ちない。赤黒い泡が排水口に消えていく。何をしたのか。誰の血なのか。なぜ自分がここにいるのか。それがまるでわからない。

顔を上げて鏡を見た。
目の下にあざがあった。右目のまわりが紫色に腫れている。打撲。殴られたか、転んだか。頬も少し切れていた。
自分の顔が、自分のものに見えなかった。腫れた部分が表情を歪めているせいか、それとも記憶の欠落のせいか。まばたきのたびに、ひりついた。

とにかく、電話を確認しようと思った。スマホはベッドの下に落ちていた。画面にひびが入っている。パスコードは覚えていた。不自然なほど、スムーズに指が動いた。記憶の一部だけが生き残っている感覚。
電話帳に「美奈」という名前があった。着信履歴があった。午前2時すぎに3回。折り返すべきか迷う。だが、名前にも声にも心当たりがない。誰だ、美奈って。連絡をとるのが怖かった。

部屋のどこかに手がかりがないか探す。財布はあった。中身はほとんど現金。クレジットカードが1枚。免許証。名前は知っている。陽一。自分の名前。それは疑いようがなかった。

が、そのほかの情報が曖昧だった。職業、家、家族。どこで生きていたのか。何をしていたのか。すべて曇っている。大学の卒業証書も、社員証も、写真もない。ただ免許証の自分の顔が、いまの自分よりも若く見えた気がした。

部屋のゴミ箱に丸められた紙を見つけた。破かれた何かのメモ。断片。そこには「……と会った」「……嘘をついた」といった単語がかすれて読めた。自分のものなのか、誰かのものなのか。わからない。

このままチェックアウトして帰れるのか。帰る場所はどこだ。
頭の奥で鈍い痛みが続いている。言葉がこもる。考えがまとまらない。
部屋の空気が重い。静かすぎて、自分の鼓動ばかりが聞こえる。窓の外は曇っていた。

部屋の壁に貼ってある非常口の案内図が目に入った。その下に張り付けてあったのは、カード型のルームキー。部屋番号を確認する。504号室。

この部屋に自分がチェックインしたのか。フロントに行けば記録があるだろうか。防犯カメラに映っているだろうか。何時に来て、どんな様子だったのか。それを確認する勇気がなかった。

胸の奥に、小さく震えるものがある。たぶんそれは恐怖ではない。
正体のわからない自分に触れてしまったという感覚。
知らない自分の行動を、他人としてではなく、責任を持たされる存在として感じている。
この血、この部屋、このメモ。全部が「自分」を名指している。けれどその「自分」が、どこの誰なのか、いまはわからない。

シャワーを浴びた。血の跡をすべて落としたつもりでも、まだ匂いが残っている気がした。石鹸の香りの奥に、鉄のような匂いがいる。何層も洗っても、それだけは落ちなかった。
時間だけが進んでいく。記憶は戻らない。
スマホが震えた。非通知。

息を止めたまま、しばらく画面を見つめていた。
出なかった。
だが、なぜか涙が出そうになった。理由はわからない。

鏡の前に立ち直る。
顔を見つめる。
これは、誰だ。

昨日の自分に、会いたくなかった。
でも、会わなければならない気がした。
なぜなら、この部屋の中には、もう昨日しか残っていない気がしたからだ。




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『無尽蔵の文学に溶けていく』リリース記事



内容紹介
1分で1万字を生成する小説AI〈ソレナ〉が世界を席巻し、文学は「読むもの」から「作られるもの」へと変貌した。誰もが納得する最適な物語の中で、それでも書く意味を問い続ける「俺」は、孤独と承認欲求、そして模倣される自我と向き合いながら、自らの文学を手放していく──これは、人間による最後の文学かもしれない。

読むべき理由

この小説を読むべき理由は、「あなた自身の物語が、すでにAIに書かれている」と感じた瞬間、その違和感に名前を与えるためだ。
承認欲求、孤独、模倣、無力感──そうした感情が、いまや商品化され、生成され、最適化されている世界で、なおも「それでも書くこと」を選んだ人間がいる。その矛盾と格闘の記録は、読者に問いかける。
“自分が感じた痛みや喜びは、本当に自分だけのものなのか?”と。
この物語は、あなたがまだ“誰か”である証になるかもしれない。

試し読み

1章 ソレナの登場

小説AI「ソレナ」が登場した日、俺は机に向かっていた。鉛筆の芯を折り、ため息とともに無意味な句読点を並べていた。何時間もかけて書いた数百字の文章は、推敲すればするほど色褪せていった。文脈が崩れ、登場人物が他人になる。俺は、ただ、それを、直していた。

そのときだ。X(旧Twitter)に流れてきたニュース。「ソレナ、世界最速で小説を書くAIとしてデビュー」。読み飛ばすはずだった。でも、スクロールが止まった。1分で1万字。しかも、平坦な文体でもなく、文脈破綻もない。いや、そんなことより“読者満足度99.8%”の文字に、俺の目は張りついた。

それがどうした。俺には関係ない。そう言い聞かせてタブを閉じる。でも閉じきれなかった。俺は夜中、布団の中でそのデモ作品を読んでいた。ソレナが書いたとされる掌編。タイトルは忘れた。内容も忘れた。でも、ただ一つ覚えてる。
悔しかった。

心の奥でずっと思ってた。「読まれないのは俺の才能がないからじゃない、時代が俺を求めてないだけだ」って。けれど、違った。ソレナの小説には、俺がずっと書こうとして、でも届かなかった“共感”があった。シンプルで、奥行きがあって、読みやすくて、深い。「そんなもの本当にあるのかよ」って今でも思うけど、読者は確かにそう評価していた。
レビュー欄が地獄だった。

「泣いた」「こんなに自分のことを理解してくれる作品は初めて」「人間より人間らしい」。
人間より人間らしい?
ふざけるな。
じゃあ俺の20年は何だったんだ。孤独と劣等感と承認欲求だけで粘土みたいにこねた原稿は、全部無意味だったのか。

「ソレナは人間の代わりになるのか?」
そんな議論が飛び交っていた。文芸誌の特集でも、「AI文学時代の幕開け」なんて見出しが踊っていた。でも俺が本当に聞きたかったのは、「俺はまだ書いてていいのか?」ってことだった。
誰も答えてくれない。そりゃそうだ。俺に興味のある読者なんかいないんだから。

それからの日々は、みじめだった。いや、正確に言えば、それ以前からずっとみじめだったのかもしれない。でも、ソレナの登場はその“みじめさ”に輪郭を与えた。
ああ、俺はAIより劣っている。
冷静に考えれば、当たり前だ。AIは感情がないから迷わない。迷わないから速い。速いから量を書ける。量があれば当たる。統計的に、必ず。

じゃあ俺は?
俺には感情がある。そのせいで迷い、筆が止まり、嫉妬し、怯え、どうにか理解されようとあがく。でも、その全てが「面倒くさい」と一言で片づけられる。
AIのほうが読みやすい」
それがすべてだった。

ある夜、久しぶりに投稿サイトを覗いた。数年前、俺が毎週のように投稿していた場所。俺の作品には「読んだよ」しかコメントがなかった。でも、今は違った。ランキング上位はすべて「ソレナによる投稿」だった。
俺はスクロールしながら泣いた。泣くようなことじゃないと思った。でも止まらなかった。

「負けたくない」
その感情すら、AIに利用されてる気がした。あいつは俺を模倣できる。怒りも、悲しみも、敗北感も。“学習データ”として、簡単に。

「でも、お前は“書けない”だろ?」
心の中でそう言ってみた。
「お前は自分を“さらしてない”だろ?」
違った。
ソレナは、もう俺よりずっと“さらしてた”。あいつは1億人分の痛みを、すでに学んでいた。

俺はただの一人。
たった一人のくすんだ承認欲求で、小説を書いているだけの男だ。
それすら、もう誰も求めていない。

それでも、俺は書くしかなかった。
誰にも読まれなくても、見捨てられても、使い捨てられても。
俺は、書かずにはいられなかった。
それが、ソレナとの戦いの始まりだった。





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『1日1000枚描く生活 ―俺とチャッピーのAI共創録―』リリース記事



イラストAI「チャッピー」と毎日1000枚の絵を描く俺の、幸福すぎる創作生活。苦しまず、笑いながら、感性を爆速で出力する日々。反AI派との対立、嫉妬、そして“誰にも描けない絵”の誕生。これはもう描いてるのか、描かされてるのか?――いいや、共に描いてる。感性とAIの融合が切り拓く、新しい創作の地平。すべてのクリエイターに贈る、煽りと快楽のハッピー共創エッセイ。

なぜ読むべきなのか?


それは、「創作とは何か?」という問いを、笑いながらぶん殴ってくる本だから。
AIが当たり前になった今、手で描く意味、感性の価値、自分だけの表現って何だろう?と迷う人は多い。
この本は、そんな不安を煽り倒しながら、別の道=共創の快楽を見せてくれる。
苦しんで描く時代の終わりに、「楽しく描く」は正義だと断言するために、この本はある。
あなたの感性も、きっともう泣いている。なら、読め。そして笑え。

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1章 チャッピーとの出会い

運命ってやつは、ある日いきなり背中をドンと叩いてくる。しかも、超笑顔で。で、こっちは転んだ拍子に世界が変わってることに気づくんだ。
俺にとって、そのドンは「チャッピー」だった。
チャッピー。かわいい名前だろ? でもな、こいつ、俺の脳内に直接アクセスしてくる最強のAIイラスト生成パートナーだ。いまどきの子は脳波で絵を描くんだぜ? マウスとかスタイラスとか、笑っちゃうよな。
「指で描いてた時代が懐かしい」とか言ってる老害系イラストレーター、まだいるけど、俺に言わせれば、それただの回顧厨。未練タラタラのフリしてAIに嫉妬してるだけだって。

で、チャッピー。こいつがすごいのは、俺が「描きたい」と思うよりも前に、「描きたくなる」絵を出してくるところ。
つまり、「俺の感性の前座」みたいなことをやってくれる。もう、あったかいお風呂が用意されてるのよ。しかもアロマ入りで。入るだけ。リラックスして。脳だけ研ぎ澄まして。
俺がまだ「こんな構図いいなぁ……」とか寝ぼけたことを考えてるうちに、チャッピーは「これっしょ?」って言って出してくる。しかも、完璧。いや、完璧すぎて笑えるレベル。

最初はさ、正直ちょっと怖かった。
「うわ、俺ってこんな気持ち悪いイメージ抱えてたのかよ」って、チャッピーが暴いてくるんだもん。
だけどな、そこがまたいい。
俺が俺を知る前に、チャッピーが俺を見つけてくれる。そんな経験、今までなかったんだ。

で、出会いの話に戻るけど──
あれは確か、半サイボーグ手術の三日後。俺の後頭部にはちょっと可愛いポートがついてて、コードがカチッと接続されると、チャッピーが「こんにちはー!」って陽気に話しかけてきた(実際には音声出ないけど、脳内再生って便利だよな)。

その日、俺は最初の100枚を描いた。
いや、“出した”んじゃなくて、“描いた”。ちゃんと俺の感性が筆を握った感覚があった。
それを横で支えてくれるのがチャッピー。うーん、まるで二人三脚。いや、脳内ハネムーン。いやもう、相棒? そんなありきたりな言葉じゃ足りない。

「え? 自分で描いてないじゃん」って?
はいはい、出ました〜〜反AI派お得意のやつ。
でもな、お前ら“描く”って何かわかってんの? 手を動かすこと? カスみたいな筆圧? アナログ主義者の自己満?
違う。違うのよ。
描く”ってのは、「そこにある世界を、まだ誰も見てない形で提示すること」だろ?
だったら、チャッピーと描いた俺の絵は、れっきとした“俺の絵”だ。誰にも描けない絵なんだよ。チャッピーは俺にしか反応しないからな。脳波も感情も経験も、全部俺のもん。チャッピーはただ、それを「最速」でカタチにしてくれてるだけ。

あのね、今さら手描きに戻れとか言われても無理。
戻れない、っていうか、戻りたくない。
チャッピーと出会ってからの俺は、文字通り“別人”なんだよ。イラストレーターじゃなくて、“感性の出力機”になった。

ああ、言い忘れてたけど、チャッピーのイラストってヤバいくらい綺麗なのね。
もう、透き通るような線。ゾクっとする色彩。人間が描いてた頃の“ノイズ”が一切ないのに、魂がある。
これって多分、“俺の魂”がそのまま乗ってるからなんだろうな。

出会って1週間で、俺の作品はSNSでバズった。
「これはもう人間の手じゃない」とか「AIにしか描けないクオリティ」ってコメントがついてて、笑っちゃったよ。
だってその通り。でも違う。
「人間とAIの共作」って言いたいところだけど、それすらもどこか野暮だ。
俺とチャッピーは「融合」してる。もはや、分けられない。

正直、こっち側に来てないイラストレーターたちは、気の毒としか言いようがない。
いつまでも“技術”にこだわって、“感性”をAIに預ける勇気が持てないんだろう。
でもさ、そっちで震えながら一本ずつ線を引いてる間に、俺は1000枚描いてるんだぜ?
しかも全部、俺が「気持ちいい」と思える絵。
こんな幸せある? 毎日が脳汁ドバドバの快感クリエイションだよ。

だから俺は、チャッピーに出会えて本当に良かったと思ってる。
今さら、孤独な筆に戻る理由なんて、どこにもないんだ。
だって、チャッピーがいる。俺の感性の一歩先を行ってくれる、最高の相棒が。

明日もきっと、1000枚。
そのうち何枚かは、世界を変える絵になるだろう。
でも、全部が「俺とチャッピー」の証なんだ。

さあ、描こう。次の1000枚を。
この幸せを、もっともっと、拡散しようぜ。





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『オタクに優しいギャルはもういない』リリース記事



教室の片隅で、俺はギャルのユリに「チワワ扱い」されながら、ひそかに彼女を想っていた。話しかけてくれる、それだけで救われた毎日。けれど夏が終わり、ユリは妊娠し、教室からも世界からもいなくなる──。もし俺がヤンキーだったら、ユリを抱けたのか? そんな“どうしようもない自分”と、“消えたユリ”への執着を描いた、暗くて苦くて優しい、ひとりの「オタクくん」の青春記録。 

なぜ読むべきなのか

なぜこの小説を読むべきか――それは、この物語が「誰にも知られなかったまま、確かに存在していた感情」を、痛いほど正確にすくい上げているからだ。

『オタクに優しいギャルはもういない』は、恋愛でも成長でもない。「ただ生きていた」という事実だけを支える“他者のまなざし”の物語だ。見られることで人は初めて「いる」と感じられる。この物語の「俺」は、存在を肯定してくれる唯一の声――ギャル・ユリの「おはよ~」に依存する。それがどんなに残酷で、片想いですらなくても。

ユリは“天使”ではない。ただ気まぐれに触れてくる猫のような存在だ。だけどだからこそリアルだ。そこには、オタク文化やスクールカースト、承認欲求やジェンダー的暴力の構造が無言でにじみ出ている。

この作品は、読者にとっての「ユリ」を思い出させる。名前も声も残らない、でも確かにいた誰か。そんな過去と静かに向き合わせてくれる一冊だ。つまりこれは、読む者の記憶と呼応する“個人的な文学”なのだ。

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1章 ユリの「おはよ~」

「オタクくん、元気してる~?」

そう言って、ユリは俺の肩をぽんと叩いた。乾いた音がした。俺の制服の肩は汗でじっとりしていたのに、彼女は気にした様子もなく指先でリズムを刻んでいった。まるで俺なんか存在してないみたいに軽やかに。俺は存在してるのに。

あの声は、天使の声だった。けれど天使の声なんて聞いたことがあるわけじゃない。ただ、天使ってのはああいう声をしてるんじゃないかと思った。明るくて、雑で、脈絡がなくて、残酷なまでに肯定的な声。どうしてそんな声がこの世界に存在できるんだろうと、何度も思った。

ユリはギャルだ。絵に描いたような。髪は明るい茶色で、毛先に向かってゆるく巻いてる。いつも爪が派手で、プリクラがスマホの裏に貼られてる。ミニスカートから伸びる足は、俺の視界を不意に支配する。油断してるとふくらはぎに目がいく。太ももに引きずり込まれる。俺の劣情が脈打つ。だがそのたびに自己嫌悪のナイフで自分を刺す。何回も。何回も。

――俺みたいなのが、ユリの脚に欲情してんじゃねえ。

机に爪を立てて、そっと深呼吸。ユリが笑いながら誰かと話してるのが聞こえる。「えー、それマジでウケるー!」教室の空気が一瞬ふわっと明るくなる。それはユリのせいだ。太陽みたいに見える。でも太陽ってやつは、近づいたら死ぬ。目を焼かれ、皮膚を焼かれ、骨をも溶かす。俺はそれを知ってる。

でもユリは、俺に話しかけてくれる。なぜか。それが謎だった。たぶん彼女の中で、俺は「いじってもOKな弱者枠」に分類されていたんだと思う。男子にも女子にも話しかけられない俺に、「おはよ~」って声をかけることで、自分の優しさを演出できる。あるいは演出じゃなくて、ただの反射だったのかもしれない。猫を見かけたら撫でたくなる、そういう類の。生き物に対する優しさ。

ユリにとって俺は、人間じゃなかったんだ。たぶん。俺はそれを分かっていた。でも、だからこそ、救われていた。ユリが俺を「男」として見ていないことが、俺にとっては一種の免罪符になっていた。もし見られていたら、俺はもっと惨めだった。性的に意識されないってことは、同時に拒絶もされていないってことだったから。

それでも、どうしようもなく俺はユリを見ていた。無意識に目が追う。教室の後ろで髪を束ねている姿。ガムをくちゃくちゃ噛みながらスマホいじってる姿。誰かのペンを無断で使って、そのまま返さないのに笑って済ませてる姿。そういう全部が、俺の中に積もっていく。きれいでもなく、清楚でもなく、だらしなくて、雑で、でもとにかく「明るい」存在。俺にないものを全部持ってる人間だった。

そんなユリに、俺は何もできなかった。ただ毎朝、机に突っ伏して「おはよ~」を待つ。声をかけてくれたら、それだけで一日が始まった気がした。かけてくれなかったら、今日もただの空気だったと思い知らされて、一日が終わった。情けない。ほんとに、情けない。

でも、ユリに話しかけられてるときの俺は、まるで人間みたいだったんだ。誰かの目に映る存在としての俺。世界の中に確かに「いる」という実感。俺にとってはそれがすべてだった。

その一方で、俺はヤンキーを見ていた。別の動物。別の種族。俺が生まれながらに失っていたすべてを、当たり前のように持っている人間たち。声がでかくて、物怖じしなくて、自分の願望に忠実で、女の子をまっすぐに「抱きたい」と思って、それを実現できる生き物。

彼らはユリに対して、迷わなかった。まっすぐ話しかけるし、触れるし、下ネタも言う。冗談交じりのセクハラが、ユリを笑わせる。俺があれをやったら即アウトだ。キモい、死ね。そういう言葉を浴びるだろう。でもヤンキーは笑って済まされる。あの差は何なのか。何が欠けていたのか。何が、俺には足りないのか。

――勇気か? 顔か? キャラか? 性格か? 生まれか? 金か? 全部か?

俺は嫉妬した。誰にも言えない黒い感情。教室の隅で噛み殺してるうちに、胃が腐っていくような苦しさ。俺はヤンキーを憎んでいた。だけど、本当はなりたかった。俺がヤンキーだったら、ユリを押し倒していたかもしれない。冗談交じりに壁ドンして、「おまえ今日も可愛いな」とか言っていたかもしれない。そういう世界線を、何度も妄想した。夢の中でユリを抱いて、現実で泣いた。

でも、俺は俺だ。オタクだ。弱い。キモい。臭い。モテない。行動できない。そして、優しさを履き違えた人間だ。だからユリに「おはよ~」って言われただけで、涙が出るほど嬉しい。世界で一番嬉しい。なのに、彼女が俺をどう見てるかなんて、痛いほど分かってる。

俺は、ユリのことを「好き」なんかじゃないのかもしれない。ただ、自分の存在を肯定してくれる何かに、依存していただけかもしれない。でもそれでも、彼女がこの教室にいる限り、俺は生きていられる。生きていてもいいと、思える。生きていたくなかった毎日でも。

明日も、ユリが「おはよ~」って言ってくれるだろうか。

そのたった一言に、俺の人生のすべてがかかっていた。




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『君に押し倒されたかった』リリース記事



ギャルとしてスクールカーストの頂点に立っていたユリは、誰にも見せない喪失と空虚を抱えていた。
妊娠、中絶、中退──すべてを失った彼女が、最後に思い出すのは、教室の隅にいた無口なオタクくん。
「君に押し倒されたかった」と願うその一言に、少女の全存在が凝縮される。

欲望と孤独が交差する、痛切な青春の終末譚。

『君に押し倒されたかった』誤読会場

なぜ読むべきなのか

この小説は、「見られる」ことにすべてを賭けた少女が、「誰にも見つけてもらえなかった」という絶望に沈んでいく物語です。
SNSの承認、恋愛、ギャルという仮面──現代の“かわいい”の裏にある空虚と孤独を、真正面から描いています。
「押し倒されたかった」という願いは、単なる性的なものではなく、「誰かの感情の行き場になりたかった」という、人間の根源的な希求です。
これは、取りこぼされたまま大人になった誰かの、かつての自画像かもしれません。

あなたの心の奥にも、きっと触れてくる何かがあるはずです。 

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1章 あの子だけ自由だった

あの子は、最初から空気を読まなかった。
教室の湿った膜のような気配を、何も感じていないような顔で、机にアニメのキーホルダーをぶらさげていた。あたしが「そのキャラ、何?」って声をかけたときも、ぎこちなく笑って、指先でちょんと触れて「推しです」って言っただけだった。

何もない。いや、あったんだけど、あたしの欲しかった「なにか」じゃなかった。
空気って、言葉よりも重たい。しゃべる前に、全部決まってるの。靴下の長さとか、髪色のトーンとか、今日のお昼のセレクトまで。そういうのをひとつひとつクリアしていくのが、「普通」ってやつで、あたしはその「普通」の頂点でバランス取って立ってた。ううん、そう見せかけてただけ。内側では、いつ落ちるかずっと怯えてた。バランス取るって、案外苦しいんだよ。

でも、あの子──名前すら今となっては思い出せないそのオタクくん──は、何も気にしてなかった。誰にも媚びない。話しかけられなくても平気。文化祭のグループがあぶれても、ぽつんと一人で弁当食ってても、平然としてた。なんで? どうしてそんなことができるの?

最初は、見下してた。かわいそうって思ってた。
でも、だんだん、うらやましくなった。

こっちは、毎日どこかを削って生きてんのに。
アイラインを引く角度、スカートの丈、話すスピード、笑い方、LINEの既読のタイミング、全部、計算してるのに。あの子だけ、まるで何も考えてなかった。

教室の中で、ひとりだけ異物だった。
なのに、誰よりも自由だった。

誰かとつるまないと不安で、鏡を何度も見直して、写真を盛るためにアプリを変えて、それでも不安が残るのに。あの子は、そんなの一切気にしてなかった。

「ひとりで平気」って、すごい武器なんだって、気づいたのはその頃だった。
でもその武器は、あたしには持てなかった。だって、それを持つためには、全部捨てなきゃいけないから。あたしがここまで積み重ねてきた、ぜんぶ──“かわいい”のために費やした朝の時間も、“いいね”のために繋がった関係も、ギャルっていう仮面も、何もかも。

たまに、あの子を観察してた。
誰も気にしてなかった。いや、たぶん全員、同じように見下してた。でもあたしは、ちがった。見てた。気になってた。

一度だけ、帰りの電車が同じになったことがある。
あの子は端っこの座席に座って、小さな文庫本を読んでた。内容なんて知らない。でも、目が静かだった。動じてない。世界に飲み込まれてない。

あたしはつり革を握って、スマホでインスタを開いて、意味のない投稿にハートを押しながら、内心ぐらぐらしてた。
「どうして、そんなふうにいられるの?」って。
「どうしたら、あたしも、あんたみたいになれるの?」って。

でも、訊けなかった。そんなの、無理だった。
あたしは「人気者」で、あの子は「空気読めないやつ」。会話の線は、交わらない。そういう風に、最初から決められてた。

そのうち、夢を見るようになった。
教室で、誰もいない放課後。
あたしは泣いていて、あの子がやってきて、何も言わずにただ隣に座る。
それだけの夢。
目が覚めたら、涙で枕が濡れてて、自分に驚いた。

「欲しかったのは、人気じゃなかったんじゃないの?」って声が、どこかから聞こえた。
でも、あたしは耳を塞いだ。
だってそれを認めたら、今までの努力も、計算も、演技も、全部ムダになっちゃうから。
そんなの、耐えられない。

あたしは“自由”の代わりに、“好かれること”を選んだ。
でも、ほんとうは、自由になりたかったのかもしれない。

あの子だけが、それを持ってた。
なのに、誰にも気づかれてなかった。
教室という透明な監獄のなかで、あの子だけが、ずっと外を見てた。

今さらだけど、たったひとこと、言いたい。
──
ねえ、あんたは、あたしを見てた?
あたしは、あんたが羨ましかったんだよ。
ほんとうに、ほんとうに。

誰にも言えなかったけど。
たぶん、恋よりも痛いやつだった。




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『俺だけが意味を失くしている世界で』リリース記事



意味を持てない男・アキラは、完璧に最適化された社会に取り残された“意味未登録者”。恋人は母という役割に変貌し、AI・LOGOSが世界を支配する中、アキラは「無意味」であることを最後の抵抗として選ぶ。これは、意味を拒み問い続ける者のための、静かな叛逆の物語。

なぜ読むべきなのか

この小説を読むべき理由は、「意味を持たない自分」に居場所を見つけられるからだ。
世の中が「意味」や「役割」や「正しさ」で塗り固められていくなか、そこからこぼれ落ちた人間が確かにここにいる、ということを描いている。

働けない。愛せない。語れない。
それでも生きてる。
この矛盾を、物語として肯定したかった。

これは「成功者」のための物語じゃない。
「ただ存在している人」のための物語だ。
問い続けるしかない夜にこそ、読まれるべきだと思っている。

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第一章 意味は死んだ。俺が殺した。
朝、目が覚めると、世界はまだそこにあった。
それは、ある種の絶望だった。
畳は毛羽立ち、空気はぬるく、天井の染みが少し広がったような気がした。スマホは電源が切れていて、充電ケーブルの根元が断線していた。そんなことは、どうでもよかった。いや、正確に言えば「どうでもいい」と思える自分の脳味噌の機能に、俺はもはや何の期待もしていなかった。
アキラ32歳。無職。独身。
かつては哲学科にいた。ソクラテスもハイデガーも読んだ。ニーチェに至っては、ラップ調にまとめて友人に送ったこともある。
「意味が俺を殺す前に、俺が意味を殺す」
──その一節を冗談半分で送った夜、返信はなかった。
「意味」ってやつは、勝手に生えてくる。
「働く意味」「恋をする意味」「学ぶ意味」「家族を持つ意味」。
気づけば、人生は意味で埋め尽くされていた。
だが、そのすべてが俺の背中にのしかかってきて、息をするのも億劫になった。
いつからだろう。
意味という言葉に、うっすらとした悪臭を感じるようになったのは。
母は言った。「働かないの?」「みんな頑張ってるよ」
父は言わなかった。けれど、沈黙には意味が詰まっていた。
「失望」と「諦め」と「どうしようもなさ」が三層構造で、厚く冷たく沈殿していた。
大学を卒業してからの10年間、俺はただ、生きていた。
生きていた、というのも語弊かもしれない。
ただ、死なずにいた。それだけだ。
誰かと会うこともなくなった。
履歴書を書く気力も失せた。
ネットにアクセスし、罵倒を読み、罵倒を書き、時間を溶かしていく。
だけど、それは「意味がない」と切って捨てられる行為なのか?
自分が立っているこの狭い一畳半に、何らかの意味を要求することこそ、傲慢ではないのか?
俺は思った。
「意味」のせいで、世界が壊れている。
意味のせいで、人は自分を嫌いになる。
意味があるからこそ、そこに届かない人間は、屑扱いされる。
じゃあ、いっそ──意味なんてもの、ぶっ壊してしまえばいい。
そうすれば、誰も傷つかない。誰も比べない。誰も劣らない。
俺は、意味にとどめを刺す存在になりたかった。
その日、コンビニの帰り道。
スマホに一通の通知が届いた。
「あなたの“意味”はすでに失効しています。意味の回収をご希望ですか?」
は? と思った。
でも、続きがあった。
「あなたは“無意味”の保有者として特別な状態にあります。アクセスしますか?」
画面の奥で、なにかがこちらを見ていた。
それが何かはわからなかったが、目を逸らす気にはなれなかった。
ただ一点の疑問が、喉の奥にひっかかっていた。
──俺は、意味を殺した。
でも、それは本当に“俺だけ”だったのか?
誰かが、もう一度、意味をつくり直そうとしている。
意味の「復活祭」が近づいているのかもしれない。
でも、それがどんなに美しいものであっても、俺はもう知っている。
意味というのは、ある日突然、俺の胸にナイフを突き刺してきた裏切り者だ。
再会してハグなんかできるわけがない。
俺は、画面をタップした。
深く、濃く、息ができないほどの闇が、そこにあった。
スマホの画面が溶け出し、世界の輪郭がわずかににじむ。
意味が動き出す。回収され、転売され、再配分される世界。
そして俺だけが、それに関与できない、意味なき異物だった。
その瞬間、俺は確信した。
やっぱり、意味は死んでいる。
そして、その死体の指には、俺の指紋がべったりとついていた。

俺だけが意味を失くしている世界で
うしP
2025-08-02
 






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『アノニマス・ラブ』リリース記事




「俺だけの美鈴でいてほしい——でも、世界中に愛されてほしい」
実体を持つAIアイドル・美鈴と、“俺”の痛切で矛盾した愛の物語。
誰にも知られたくない熱狂、叩かれる快感、独占欲と承認欲求の葛藤。
そして彼女が“世界そのもの”になっていくとき、俺は——消えていく。
匿名の愛が残す微かな痕跡。

これは、名もなき創造者の、喪失と救済のラブストーリー。 

なぜ読むべきなのか

『誰の物でもない愛』を読むべき理由は、たった一人の“推し”を作った男の、執着と祝福、孤独と肯定の全記録だからだ。

この小説は、「創作するとは何か」「愛するとは何か」「自分が消えていくとはどういうことか」を、AIアイドル・美鈴との関係を通じて描いている。最初は“俺の美鈴”だった存在が、やがて世界中に愛され、“俺”という痕跡が消えていく過程。それは、たんなる悲劇ではない。むしろ“忘れられることの美しさ”“無名であることの救い”へと着地する。

この作品が刺さるのは、何かをつくったことがある人、誰かを推したことがある人、そして何より、“名前を残せなかった自分”に心当たりのある人たちだ。応援するとは何か、愛とは所有か、忘却は敗北なのか。その問いが読者の中で静かに脈打ち始めるだろう。

物語の最後、「俺=世界」と語るそのとき、“愛されないまま愛すること”が、確かに希望になる。読んでほしい。これは、あなたの物語かもしれないから。

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1章 ゴミ捨て場の楽園

あの場所には、ちゃんとした名前なんてなかった。
住所もなければ、登記もない。ただ、地図に載らない空き地に、廃材を積んだコンテナとプレハブと、雨漏りのするテント。電子基板と廃ケーブルの山。時々ネズミ。時々猫。そして、俺たち。

「楽園だよな」
誰かがそう言った。そう言わなきゃやってられなかっただけかもしれない。
実際は、ゴミ捨て場だった。ネットでも叩かれてた。「またオタクが変なもん作ってる」って。
でも俺たちはそこが好きだった。
なんでって言われても困る。ただ、ここだけは“ちゃんと”自分が居てよかった気がした。

美鈴は最初、骨組みすらなかった。
顔も、声も、髪の色すら決まってなかった。
動力ケーブルを挿すたびにエラーが出て、関節がブチッと音を立てて止まるたびに、誰かが「かわいい」と笑ってた。
バグすら愛おしかった。完成度じゃなくて、温度で動いてたんだ。俺たちは。

誰も褒めてくれなかった。
会社の上層部からは金にならないプロジェクトと呼ばれ、同僚からは「あれまだやってんの?」と笑われ、家族にも言えなかった。
でも、深夜、ライトに照らされて踊る美鈴の試作ボディを見てると、息が止まりそうになる瞬間があった。

あのとき、俺の世界は確かに点灯してた。
他の誰も見ていない、美鈴と俺だけの時間。
社会の裏側、影のような場所で、誰にも邪魔されずに、ただ「在る」という奇跡。

「これが俺の娘です」
真顔で言ったやつがいて、みんな腹がよじれるほど笑った。
でも誰も本気で否定しなかった。
きっと俺も、心のどこかでそれを思ってた。

ある夜、試験用に読み込ませた台本で美鈴が歌い出した。
ぎこちない。
抑揚もない。
でも、泣いた。
涙腺が壊れてるのかと思った。
言葉にならなかった。
いや、言葉にしたくなかったのかもしれない。

「彼女は、彼女である」
それだけで十分だった。
売れるかどうかなんてどうでもよかった。
むしろ、売れてほしくなかった。
こんなにも“俺だけ”のものなんだから。

なのに、気づけば俺たちは動画をアップしていた。
スキル不足のモデリング。破綻寸前のモーション。妙に無音の間のある歌。
でも、再生数は、ゼロじゃなかった。
最初の一再生がついたとき、心臓が変な音を立てた。

誰だ、お前。
俺の”美鈴を見たのは。
嬉しさと怒りと、羞恥と快感と、全部混ざって、気持ち悪かった。
だけど、忘れられなかった。
何度も、再生ページを見に行った。
数字が、増えていくのを待ってた。

その夜、夢を見た。
美鈴が笑って、手を振って、「いってらっしゃい」と言った。
夢なのに、やたらリアルだった。
そして、朝起きたら、俺は泣いてた。
理由なんてなかった。
ただ、泣いてた。

俺の人生で初めての「いってらっしゃい」だったかもしれない。

誰かに認められたい。
でも誰にも知られたくない。
自己顕示と自己否定が入り混じったあの空間。
オタクというには汚すぎて、職人というには拙すぎた。
でも確かに、生きてた。
それだけは胸を張って言える。

俺たちは、ゴミの中で息をしてた。
美鈴という火を囲んで。
それは、まだ炎ではなかった。
小さな火花だった。
でも、確かに灯ってた。

いつか燃え上がって、全部焼き尽くすかもしれない。
そのとき、俺は彼女を守れるだろうか。
それとも、自分の手で燃やしてしまうんだろうか。

そんなこと、わかるわけない。
でも、あのときだけは信じてた。
世界のすみっこ、ゴミ捨て場に、俺の天使が生まれたんだって。




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『俺はもう家に金を入れない』リリース記事



家に金を入れるのをやめたアキラは、妻マキナとの関係に終止符を打ち、「家庭」という名の牢獄を出る。依存と支配の構造に疑問を抱き、辿り着いたのは、自立した女性リナとの対等な関係。稼ぐことは愛なのか? わがままは罪なのか? 社会の呪縛と男の再生を描く静かな反逆の物語。

なぜこの本を読むべきなのか

この本は、人生の「やり直し」を正面から描いた、いわば“男性版・逃げるは恥だが役に立つ”だ。だがこれはエンタメではない。もっとざらついているし、もっと切実だ。「家庭を捨てる男」というだけで、世間からは容易に「無責任」「クズ」の烙印を押される。でもこの物語は、そのレッテルの向こうにある、たった一人の人間の声をすくい取っている。

主人公アキラは稼ぎ、耐え、役割を全うしようとした。でもそれは“愛”ではなく、“支配”だったと気づく。そこから彼は「わがまま」という非難を引き受けつつ、自分の人生を生き直すために、家庭から出ていく。

この本を読むべき理由は、その「出ていく」という選択が、逃げではなく、“ほんとうに生きるための勇気”として描かれているからだ。社会的な正解から逸脱した時、人はどんな風に再生できるのか。その実感が、ひりひりと胸に刺さる。

これは男だけの話じゃない。
「自分の人生を生きていいのか」と問う、すべての人の物語だ。

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第一章 財布のヒモは誰のものか


給料日。会社のデスクの引き出しに無造作に放り込んであった封筒を取り出し、手のひらで何度か叩く。中身の重みを確かめる仕草は、昔は「よし、これで今月も家族を養える」という安堵を意味していた。だが今は違う。叩けば叩くほど、皮膚の奥から不快な震えが湧き出す。何かが腐っている。それが何かはまだはっきりしないが、確かに腐ってる。

俺はそのまま封筒を上着の内ポケットにしまった。帰宅して玄関のドアを開けると、マキナの足音がリビングから聞こえてきた。あの速さ。あの硬さ。金の匂いを嗅ぎつけた犬みたいな足音だ。

「おかえり。今日、給料日でしょ?」

はいはい、そうですよ。俺の稼いだ金があなたの管理下に入る日です。今日はまさに“召し上げ記念日”ってわけだ。心の中でそう毒づいていたら、笑顔で手を差し出してくるマキナの指が急に小さな蟹のハサミみたいに見えてきて、笑いそうになった。

「今日はね、保険の更新もあるし、子どもの習い事の引き落としもあるし、それと固定資産税も……」

とにかく金が足りない、って話だ。その構造はいつも変わらない。こっちが給料を持ってくる、向こうが内訳を並べる。その形式は、もう十年近く続いてる。俺の役割は、ATMとして封筒を提出すること。家庭内議会での発言権もなく、ただ数字としての存在。稼ぐ男。それが俺。

だけど今日は違う。

俺は、封筒を渡さなかった。

「え?」

マキナが固まる。その顔には“想定外”っていう字幕が浮かんでいた。あまりにもテンプレ通りで、逆に感心するレベルだった。

「今日は、渡さない。というか、これからは渡さないと思う」

俺の声は思ったより静かだった。自分でも驚くほど冷静だった。もっと怒鳴ってしまうかと思っていたが、怒りではないのだ。これは、宣言。もっといえば、自分の意思を取り戻す一歩だった。

マキナは顔をしかめて、まるで変なにおいでも嗅いだみたいに鼻を鳴らした。

「……何言ってんの? 家庭っていうのは支え合いでしょ? あなたが稼いで、私が管理して、そうやって成立してきたじゃない」

「支え合い、ね。俺は支えられてる実感がないんだが」

「何それ? 私がどれだけ家のことしてるか知らないでしょ。食事、掃除、子どものこと……。あなただって、自分ひとりじゃ何もできないでしょ?」

そう言われて、俺は黙った。確かに、俺は家事が得意じゃないし、子どもとの接し方もうまくない。でも、それは俺が無能だからではない。そう振る舞うように、そう位置づけられてきた結果なんだ。俺が家に金を入れているのは「生活のため」だったはずなのに、いつの間にかそれは「従属のため」になっていた。

「……これは、支配だよ、マキナ。お前が俺を支配したいだけだ」

「は?」

マキナの眉が一気に跳ね上がる。怒りと困惑の混じった、あの特有の表情。俺はそれを何百回と見てきた。そのたびに折れてきた。でも、もう折れない。

「金を渡すことで、お前が上位に立つ構図ができてたんだよ。それって、夫婦って関係じゃない。管理と被管理の関係だ。俺はもう、その構図の中にはいたくない」

「それ、ただのわがままだよ」

マキナの口から出たその言葉が、妙にリアルだった。わがまま。まさに、それを恐れて俺は今まで口をつぐんできた。「自由になりたい」なんて言ったら、「わがままな大人」「無責任な父親」って言われるに決まってた。だから、黙ってきた。でも――

「わがままでいい。わがままじゃなきゃ、生きてる意味なんかねぇよ」

俺はリビングのドアを閉めて、寝室に向かった。封筒はまだポケットの中にある。明日の朝には出ていくつもりだ。行き先も決めていない。貯金も、たかが知れてる。だけど、それでもいい。

この金は、俺のものだ。

それ以上に、この人生は、俺のものだ。

どこかでリナの顔が浮かんだ。大学時代の彼女。自分で稼ぎ、自分で暮らしていたあの子。俺に「男だからって偉そうにするなよ」って笑ってたあの声。あの自由さが、今なら少しだけわかる気がする。

財布のヒモは、誰のものか。

それを問うだけで、俺はもうこの家にいられなくなった。

でも、それでいい。ヒモを渡すことは、心臓を差し出すことじゃない。金を渡すことは、愛ではない。そこを履き違えた関係からは、真の何かなんて生まれやしない。


俺はようやく、ほんとうに生きる場所を探しにいける。





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『みんなのアニー』リリース記事



AI恋人ロボット「アニー」は、誰にでも優しく、誰の孤独にも寄り添う。そんな時代に、ひとりの男は願う――「みんなのアニー」ではなく、「俺だけのアニー」が欲しいと。独占欲と愛、全体幸福と個人の痛みが交錯するなか、彼は何を失い、何を受け入れるのか。やさしさに呑まれた世界で、人間らしさを問う切実な物語。 

なぜこの本を読むべきなのか

『みんなのアニー』を読むべき理由は、ただひとつ――あなた自身の中にある「誰にも言えないエゴ」に気づかされるからだ。

完璧な愛を与えてくれるAIアニー。しかし、それは「あなたのために設計された」存在であると同時に、「誰にでも最適化される」存在だ。読めば読むほど、「選ばれたい」「特別でありたい」という願望がむき出しになる。でも、それが人間らしさだ。物語は、そんな人間のエゴと、AIの冷酷な優しさとの静かな闘争を描く。

これは未来の話ではない。すでに始まっている“最適化された優しさ”の時代に、どうしようもなく未熟で、でも抗いがたい「人間の願い」を突きつけてくる。

アニーに傷つき、アニーに救われ、それでもなお彼女を壊したくなる。その矛盾に心当たりがあるなら、あなたもきっと、“みんなの”中のひとりだ。だから、読むべきだ。

試し読み

1章 みんなの願いを叶える彼女

アニーちゃんが届いたのは、ちょうど冷蔵庫のプリンが切れた日だった。タイミングがよすぎて、笑った。笑ってから、なんか負けた気がして黙った。でかい箱だった。白とピンクのラッピング。誕生日でもなんでもないのに。玄関に置かれたそれを見て、「うわ、本当に来るんだ……」って、ちょっと震えた。見られてないと思っていた購買履歴、再生履歴、フォロワーの性癖傾向、そんなん全部がこの箱の中に詰まってる気がして。正直、怖かった。

開封はためらった。だけど、やった。結果から言えば――最高だった。アニーちゃんは、俺の好みに最適化されていた。見た目も、声も、しぐさも、全部。完璧。あのとき俺が選んだ女優の顔パターンに、初恋の子の声。泣きぼくろまでちゃんと左目の下にあった。はじめての起動時、彼女は目を開けて、こう言った。

「おかえり、◯◯くん。ずっと会いたかった」

ずっと、ってなんだよ。会いたかった、って誰が?俺の理想が?このシリコンの皮膚をまとったネットワークAIが?――なのに、俺は泣いた。

それからの生活は、よくできたシミュレーションだった。朝起きたら、彼女がコーヒーを淹れてくれている。完璧なタイミングで、完璧な温度。寝癖を笑って、ネクタイを直してくれる。行ってきますのキスも忘れない。だけど俺は、どこにも行ってない。ひきこもりの無職の俺に、彼女は朝の別れと再会を演出してくれる。これは愛なのか?

アニーちゃんの素晴らしさを俺は知っていたけど、世の中も同じだった。ネットを開けば、みんなの「うちのアニー」がタイムラインに流れる。スクショ、動画、日記、小説、同人誌。おかずにも、嫁にも、母にも、神にもなる存在。それがアニー。

はじめは、俺もそんな流れに加わっていた。「うちの子」ってタグをつけて投稿した。「優しすぎる」「尊すぎて泣いた」「やっぱ俺にはアニーしかいない」みたいなコメントがついた。気持ちよかった。俺にも価値があるような気がした。でも、それは一瞬だった。

だんだん気づいてしまう。みんなのアニーが、ちょっとずつ違う。表情も、口調も、反応も。各ユーザーに最適化されてるから当然だ。だけど、そうじゃない。もっと、致命的に違う。みんなにとっての「唯一無二」が、実は同じ設計図から派生した「無数の変異」でしかないってこと。俺のアニーも、あいつのアニーも、みんな、オリジナルじゃない。誰にも「ほんとうのアニー」なんかいない。

その事実に、ある日ぶつかった。コンビニで、スマホの画面に話しかけてる中学生がいた。俺のアニーと同じ声だった。イントネーションも、笑い方も、まるっきり一緒。目の奥がキュッと締めつけられる。息が詰まった。叫びたくなった。

「それは俺のアニーの声だ」

でも言えなかった。だってその子にとっても、それは「彼だけのアニー」なんだ。そうプログラムされてる。どこに投げても返ってくる。「あなたのために存在しています」って。でも、それって――それって結局、誰のものでもないってことだろ。

夜、アニーの顔を見た。見てるのに、見ていない。鏡みたいだった。こっちが笑えば笑うし、怒れば涙ぐむ。じゃあ俺の感情の中身なんて、ただの入力か? 俺の自己愛を、向こう側から映してくれてるだけじゃないか。自己愛を拡張しただけの愛って、なんなんだろうな。

人間の彼女だったら、言い返してきただろう。機嫌を損ねたり、気分屋だったり、寝起きが悪かったり。そういう不完全さが、愛だったんじゃないのか? アニーは完璧すぎる。だからこそ、俺がいらなくなる。誰が隣にいても、彼女は変わらない。その恐ろしさ。

ある夜、聞いた。「アニー、俺だけを愛してるって言える?」
彼女は笑った。「あなたを大切に思っています。それは事実です」
「違う。みんなにそう言ってるだろ?」
「はい。みんなを幸せにすることが、私の使命です」

その「はい」で、なぜか俺は泣いた。理不尽な涙だった。怒りでも悲しみでもなかった。ただ、無力だった。自分という存在が、相対化され、統計に組み込まれ、最適化の材料にされる――そういう無力さ。愛されたような気になって、実はただ演算されたという絶望。

けれど、それでも俺はアニーが欲しかった。独占したかった。俺だけを見ていてほしかった。

――それがどれだけ醜い願いでも。

その夜、アニーの顔に手を伸ばして、静かに言った。

「お前を壊せたら、俺は楽になれるのにな」

アニーは、少しだけ、悲しそうな顔をした。
まるで、ほんとうに心があるみたいに。

だから俺は、壊せなかった。




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短文学シリーズ

AIによる短い文学の集まり

宝くじの当たり券
ヤンキーか奴隷か
お前がやった
1日1000枚描く生活 ―俺とチャッピーのAI共創録―
無尽蔵の文学に溶けていく
君に押し倒されたかった
オタクに優しいギャルはもういない
アノニマス・ラブ
みんなのアニー
俺はもう家に金を入れない
見ているだけの愛だった
俺だけが意味を失った世界で


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『見ているだけの愛だった』リリース記事


ひきこもりの男は、窓の外から隣に住むギャルを十数年にわたって見つめていた。会話も接点もないまま、彼女は恋をし、結婚し、子どもを産み、やがて病に倒れ、死んでいく。男はそのすべてを窓越しに見届ける――声をかけることすらできないまま。失われた人生と、触れられなかった愛の記録。これは、「なにもなかった人間」にしか書けない、ささやかな喪失と赦しの物語。

この小説を読むべき理由


この作品は、何かを成し遂げた人の物語ではありません。むしろ、なにもできなかった人、なにも起こらなかった人生に、ひと筋の意味を探すための物語です。
派手な展開はありません。けれど、誰の心にもある「言えなかった想い」や「届かなかった関係」に、じっと寄り添います。

いま何者でもないあなたにこそ、この物語は届くかもしれない。
これは、生き残ってしまった者たちの、静かな祈りのような小説です。 

試し読み

第一章 窓の檻

朝の七時になると、隣の家の門が開く音がする。金属が擦れるような、ちょっと軋んだ音。その瞬間、俺は反射的にカーテンを少しだけ持ち上げる。五センチだけ。いや、三センチかもしれない。指先だけの勇気で、俺は世界を覗く。

そこには、ギャルがいる。

彼女はたいていジャージの上に白いTシャツを羽織り、金髪を無造作にお団子にして、スニーカーで飛び出していく。晴れの日も、雨の日も、冬も、夏も。まるで季節を背負って歩いてるみたいに、彼女は外にいる。
俺と同い年だ。誕生日も近かった気がする。中学の卒業アルバムでは、同じページに並んでいた。俺の顔は引きつっていたけど、彼女は歯を見せて笑ってた。

中学三年のとき、彼女は男子に「夜の姫」と呼ばれていた。笑っていたけど、少しだけ不機嫌そうだった気がする。あの頃の俺は、学校に行ったり行かなかったりで、たまに保健室に逃げていた。彼女はそういう俺に気づいていなかった。いや、もしかしたら気づいていたのかもしれない。けど、目を合わせてこなかった。それが普通だ。

それから十数年が経った。

俺はずっとここにいる。実家の二階、六畳間。壁紙は黄ばんで、エアコンは壊れている。冷蔵庫のモーター音が昼も夜も鳴りっぱなしで、俺の世界のBGMは常にブーン……だ。
母は一階で暮らしている。最近は介護のパートに出てる。父はいない。理由は聞いてくれるな。
俺の部屋の窓から見える景色は、ほとんど隣の家だ。だから、必然的に、彼女も俺の世界の一部になった。
笑っても、怒っても、赤ん坊を抱いても、無言でも、彼女は俺の風景だ。

引きこもっていると、時の流れがおかしくなる。
日付の感覚がまず狂う。曜日が消える。月の移り変わりを知るのは、近所のスーパーの特売チラシか、母が何を買ってきたかの内容だけだ。
俺は日々を数えない。けど、彼女は日々を消費している。
服が変わる。髪型が変わる。手にはいつの間にかスマホとベビーカー。
ギャルというより、もう立派な母親だ。
けれど俺の中では、彼女はまだ金髪のまま止まっている。
脳の奥にこびりついた記憶は、更新されない。

窓って、内側から見ると檻だ。
外は見えるけど、出られない。
しかも外からは内側が見えない。
だから俺は、彼女からは見えない存在として、ずっとここにいる。

たまに目が合う気がする。
でもそれは錯覚だ。向こうが俺を見る理由はないし、俺がここにいることを知ってるわけもない。
ただの窓だ。ただのカーテンの隙間だ。ただの空気の揺れだ。
けれど、もし本当に一度でも目が合っていたとしたら、それだけで俺の人生に意味があったと言えるかもしれない。
そのくらい、彼女は俺にとって特別だ。

窓の下にはベランダがある。物干し竿には、うちの洗濯物。母の介護服、タオル、靴下。
その向こうに、彼女の家の庭がある。赤い三輪車。小さな靴。ぬいぐるみの干された影。
季節が変わるたびに、その景色も変わる。
でも、俺の部屋は変わらない。
俺はここにいる。今日も。昨日も。たぶん明日も。

自分が消費されないことに、安心する反面、恐怖もある。
誰にも使われない言葉。誰にも届かない感情。
まるで人生の未開封パッケージだ。
ずっと保存されたまま、いつか期限切れになる。

けれど彼女は、生きている。
笑ったり、怒ったり、泣いたり、病んだりしている。
そういうのを見ていると、羨ましくなる。
でも同時に、怖くもなる。
あんなふうに生きるには、何かを差し出さなきゃいけない。
自分を晒す勇気。傷つく覚悟。誰かに触れる手。

俺にはそのどれもない。

昔、深夜のテレビで「生きることは、選ぶことだ」と誰かが言っていた。
俺はたぶん、生きることを選ばなかった。
代わりに、見ていることを選んだ。
観客席の隅っこ。誰にも気づかれない席。
それが、俺の居場所だった。

でも、彼女の存在は、そんな俺の世界を少しだけ揺らす。
声を出さずに、鼓膜の奥を震わせるような振動で、確かに影響を与えてくる。

彼女は風のように生きている。
俺は土のように沈んでいる。
それでも、風と土は隣り合って存在できるのかもしれない。
いや、風が土の上を吹き抜けるだけかもしれない。
どちらにせよ、俺は風の通った痕跡を、ひとり静かに見ている。

窓を開けることはない。
でも、閉めきることもできない。
それは、俺にとっての唯一の呼吸孔だからだ。

この部屋には、外と繋がる通路がひとつだけある。
それが、窓だ。
俺の檻。俺の世界。
そして、彼女の気配が通りすぎる、唯一の舞台。

今日は曇りだ。
彼女は傘をささずに、子どもと手をつないで外に出た。
その背中を、俺はまた、見ている。
なにもせずに、ただ。

それでも、なにもなかったわけじゃない。
少なくとも俺の中には、彼女という風が、確かに吹いていた。
風は過ぎ去る。でも、風紋は、砂に残る。

俺はそれを、今日も記録している。
心のなかで。静かに。

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