愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

夏目漱石

修理に出した万年筆と夏目漱石

去年の12月に修理に出した万年筆が帰ってきた。

「今年中には無理かもしれん。いつもそうだから」

文具店の店長に万年筆を渡した時にそう言われたが、なんぼなんでも年が明けて5日ぐらい。まさか20日までかかるとは思っていなかった。

修理が待てなくなったので『たくぴとるか』という小説を書き始めたのだが、家にある黒のボールペンをすべて使いきって、さぁどうすると思っていた矢先に「修理終わりました」と電話が来た。すぐ取りに行く。

修理内容はペン先の交換、クリップ交換、頭冠リング交換、鞘組立直し。元のパーツどれだけ残ってるの感があって税込み8,635円だった。

万年筆はパイロットの10000円(税抜)する物で「これ修理するより新しく買った方がいいんちゃう?」と見積もりを出された時につい言葉が出てしまったが、長年使ってきた物だし直して使い続けることにした。

家に帰って万年筆でちょっと書いてみる。壊れる寸前より固い。あの万年筆とは別物なんだなってちょっと寂しい。それと同時に昔の記憶を思い出す。

万年筆を買ったのはまだ小説なんて原稿用紙10枚でいっぱいいっぱいだった頃だ。それでも、この世にはドストエフスキーとかヘミングウェイとか偉大な作家がいるにはいるが、それらは書き続けていればいつか超えていくもので世界で一番才能があるのは私だとうぬぼれていた。信じられないほど尊大な自尊心があった。

高いボールペンでも3000円くらいだから5000円あれば万年筆を変えると思っていたところに10000円ときたので一瞬たじろいだが、私は世界一の小説家になるのでこれぐらい買って当然と思い直したぐらいだからその自信がうかがえる。

ちなみに万年筆を買ってすぐあとに、紙幣になったぐらいだから夏目漱石もいちおう読んでおかないとな、と100年前の作家なんて大したことないと侮りながら読み始めてベキベキに自信を折られた。こんな作家がいるなら私なんて必要ないじゃないか、と数年小説を書かなかった時期がある。

夏目漱石は私の中に何年も癒えない傷を残した。ふたたび書き始めたのに理由はなくて、夏目漱石を超えられる自信が湧いたとかでもなく、自分の至らなさを受け入れたとかでもなく、なんとなくまた書き始めた。

あの頃と比べると10倍以上は小説を書けるようになったけれど、あの自信のまま走り続けられていたらどんな小説を書いていたんだろうと考える時がある。きっといまとは全然違う物を書いていただろう。

(おわり)

小説なら牛野小雪

夏目漱石の『こころ』を読みながらブログを書く

『こころ』を読みながら色々と書いてみる

 

夏目先生の『こころ』をたびたび引用しながらブログを書くことにした。

集英社文庫版である。

 

上 先生と私

 

1

 

私はその人を常に先生と読んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。

 

『こころ』の主要人物には名前がない。『吾輩は猫である』の猫にも名前がない。名前を付けるのが恥ずかしいのかと思いきや『三四郎』という主人公の名前をパーンと前面に出しているのもある。変幻自在のようだ。『こころ』の中ではもう一人、Kという名前の知れぬ人物がいる。夏目先生の本名は金之助だし、お墓はどちらも雑司が谷にある。(ちなみに『坊ちゃん』の清の墓は小日向の養源寺にある)。Kを中心にして読んでみると面白いかもしれない。

 

私が鎌倉について三日と立たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。

 

のちに主人公の私も父親が病気になって国元に帰ることになる。これが一個のテーマかもしれない。

 

友達はかねてから国許にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。

 

昔の小説を読んでいるとよく出てくる話。若いうちから結婚しなければならないというのも嫌だなと思う。でも親からの援助で好き勝手できるというのはいいよなとも思う。昔は親の強制で生き方を選べなかったところはあっただろうが、別のところでは子どもに金を与えて好き勝手にさせてやるというところもあって、昔は自由がなかったとは一概には言えない。あるところではガチガチに固めていたが、それ以外のところは大らかだったというところもあるのではないか。でも嫌なものは嫌らしい。しかし自由に振舞えば『それから』の代助みたいに親からの援助を打ち切られてしまう。庇護と強制がセットであるように、自由と追放もセットなのである。庇護されながら自由というのは、どこの世界にもないだろう。現代は自由を素晴らしいことのように言うが、自由だってしんどいのである。

 

玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。

 

玉突きはビリヤードのこと。この時代にビリヤードとかアイスクリームがあるんだと、ちょっと驚くけれど『こころ』が書かれたのは大正時代で、大正時代には第一次世界大戦があったのだと聞くと、それぐらいのものはあって当然という気になる。この時代にはすでに飛行機だって飛んでいた。電話もあった。令和から数えると元号が二つも前の時代だが現代との繋がりは深い。

 


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漱石、ハンパないって!

 小説を書き終わったから久しぶりに絵を描いている。kindle本の表紙も手直しした。腕は上がっているけれど、ぽっ、とプロの手で作られた物と比べると全然ダメでがっくりくる。まぁ片手間のたった数年で、トータルすれば実質一ヶ月もないような人間が超えられるようなものじゃないんだろうけど。

 脳みそが絵を描くモードになっていて読む本も美術の本が多くなった。するとそこに夏目漱石の名前にぶつかって非常に驚いた。
 夏目漱石って美術も語れるのか。そういえばと『吾輩は猫である』を開くと第一章にアンドレア・デル・サルトとかいう画家のことが書いてある。というか自分で絵も描いている。漢文ができて、英語ができて、詩も、俳句も、美術も、何でもできる。明治の文豪は教養ありすぎ。しかも小説まで書けるときた。一体どうやったら太刀打ちできるんだ・・・・・。

 未完ということで今まで読んでいなかった『明暗 』を読んだ。今の時代なら取り立てて騒ぐほどでもないが、この時代に三人称の他視点で書かれていることに驚いた。何かもう小説については夏目漱石が全てやりつくしてしまったんじゃないかという気がした。現代人にできるのは先生の型に従って時代性がどうの~批評性がどうの~とこねくり回すぐらいしかないのではないか。
先生とぼく5

 こうして私はまた夏目先生マジハンパないってことを改めて思い知らされるのであった。

(おわり)

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