断言するが、僕は何も悪くない。
文学を愛する一人の徒(あだ)として、テクスト(本文)に誠実な解釈を試みただけなのだ。そう、ただそれだけだったはずなのだ。僕の平穏な大学生活が、一人の文学少女によって、まったく新しいジャンルの愛憎劇へとリブートされる、あの日までは。
事の起こりは、僕が所属する文学サークルの読書会だった。その日のお題は、夏目漱石の『こころ』。言わずと知れた近代文学の金字塔だ。僕は高校時代からこの作品に心酔しており、先生が抱えるエゴイズムと孤独について、発表の準備も万端だった。
事件は、サークル内で「姫」と密かに呼ばれる、姫宮さんの発表で起きた。彼女は儚げなワンピースに身を包み、長い黒髪を揺らしながら、熱っぽく語り始めた。
「私は、先生とKの関係こそ、この物語の核心だと思うんです。それは友情という言葉では表せない、もっと深い……そう、"愛"ですわ。お嬢さんを巡る三角関係は、二人の悲恋を隠すためのカモフラージュ。嫉妬のあまり親友を死に追いやってしまった先生の、痛切な魂の告白……それがこの『こころ』なんです!」
サークル内に、なんとも言えない生暖かい空気が流れる。ああ、また始まった。姫宮さんの得意技、「名作BL解釈」だ。太宰の『走れメロス』を読んでは「メロスとセリヌンティウスの熱い絆に涙が止まらない」と言い、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読んでは「ジョバンニとカムパネルラの永遠の旅立ちが尊い」と語る。彼女の世界では、すべての友情は究極の愛へと昇華されるのだ。
いつもなら「まあ、そういう読み方もあるよね」と、大人の対応でスルーするところだ。だが、その日に限って、僕の中の"文学警察"がけたたましくサイレンを鳴らした。『こころ』だけは、断じて違う。
「待った、姫宮さん」
僕は、気づけば立ち上がっていた。
「その解釈は、あまりに表層的だと言わざるを得ない」
姫宮さんの大きな瞳が、驚いたように僕を捉える。周囲のサークル員が「やめとけ」「地雷だぞ」と目で訴えてくるが、もう遅い。僕の舌は、研究室の教授のように滑らかに動き始めていた。
「先生の罪悪感の本質は、Kへの恋愛感情などではない。それは、当時の知識人が抱えた『エゴ』という名の業、そのものなんだ。Kの『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』という言葉への強烈なコンプレックス、それこそが先生の行動原理の根源だ。お嬢さんを巡る恋は、あくまでそのエゴを爆発させるためのトリガーに過ぎない!」
僕は立て板に水とばかりに、作中の描写を引用し、漱石が他の作品で描いたテーマとの関連性を指摘し、近代化の中で揺れ動く日本人の孤独を熱弁した。僕の完璧な論理展開の前に、姫宮さんの顔から血の気が引いていく。
「それに……」と僕は、最後の一撃を放った。「先生がKに宛てた遺書、あれは友情の破綻とエゴの告白であって、失恋の嘆きではない。テクストを丹念に読めば、それは自明の理だ。君の解釈は、いわば二次創作。原作へのリスペクトが足りないんじゃないか?」
言い切った。満足感と、少しばかりの罪悪感。姫宮さんは俯いたまま、小さな声で「……わかりました」と呟き、その日の読書会は気まずい雰囲気のまま幕を閉じた。
翌日から、僕の地獄が始まった。
まず、僕の下駄箱に羊羹が置かれるようになった。Kが先生に羊羹を勧められる、あの名シーンのオマージュだろう。ご丁寧に「お詫びです。あなたの解釈、勉強になりました」という、美しい筆跡の手紙まで添えられて。最初は一つだった羊羹は、日を追うごとに二つ、三つと増殖し、一週間後には僕の下駄箱は高級和菓子店のショーケースのようになっていた。甘い匂いが、怖い。
次に、ストーキングが始まった。僕が図書館で本を読んでいると、必ず視界の端に姫宮さんがいる。彼女は何も言わず、ただじっとこちらを見つめている。その手には、いつも『こころ』が握られていた。
そして、ついにLINEが来た。どうやって僕のアカウントを知ったのか。
『あなたの解釈を反芻するたび、胸が苦しくなります』
『あなたは、私の浅薄な読みを打ち砕いてくれた、私の"先生"なのですね』
『今、図書館の二階、日本文学の棚の前にいらっしゃいますよね? その背中、まるで孤独を背負った先生のようですわ』
ホラーだよ。これは純文学じゃなくて、ホラーだよ。
僕は姫宮さんを避けるようになった。だが、彼女はどこにでも現れる。大学の廊下、学食、最寄りの駅のホーム。そして、僕を捕まえるたびに、うっとりとした表情でこう言うのだ。
「逃げても無駄ですわ。あなたは私の解釈を論破した。それは、誰よりも深く私の解釈を理解してくれたということ。私たちの"こころ"は、あの日、あの瞬間から、固く結ばれてしまったのですから」
違う! 理解したからこそ、否定したんだよ!
僕の心の叫びは、彼女の強固な恋愛フィルターの前では無力だった。
かくして、僕は『こころ』のBL解釈を完全論破した代償に、文学的ヤンデレという、まったく新しい概念の粘着質な愛情を一身に受けることになった。先日など、僕が絶望して「もう漱石はこりごりだ…」と太宰治の『人間失格』を手に取ったら、いつの間にか背後にいた姫宮さんに「まあ、太宰。葉蔵の苦悩……ぜひ、あなたの解釈で私を"失格"にさせてくださいまし」と囁かれた。勘弁してくれ。
文学を愛したばかりに、僕はテクストよりも遥かに厄介なコンテクスト(状況)を背負い込んでしまったらしい。この物語の結末は、果たしてどこへ向かうのだろうか。……なんて、漱石風に格好つけてみても、明日、下駄箱に入れられる羊羹の数は減らないのである。




