愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

たくぴとるか

『たくぴとるか』で見る恋愛の在り方



小説『たくぴとるか』は、長年引きこもりを続ける青年「たくぴ」と、人気絶頂の配信者「るか」という、対照的な二人の関係性を通して、現代における恋愛の複雑で多層的な在り方を描き出しています。彼らの物語は、単なる恋愛物語にとどまらず、社会との関わり、個人の内面世界、そして現実と非現実の境界線が溶け合う現代ならではの愛の姿を浮き彫りにします。


正反対の二人が織りなす心の共鳴

物語の中心にいるのは、10年以上にわたり引きこもり生活を送る「たくぴ」と、チャンネル登録者数一億人目前の人気ユーチューバーアイドル「花山るか」です。たくぴは社会との接点を極端に避け、ポイ活アプリやゲームの世界に没頭する日々を送っています 。一方、るかはインターネットという仮想空間で絶大な人気を誇りながらも、尽きることのない承認欲求に渇望を感じています


一見すると全く相容れない世界に生きる二人ですが、彼らは魂のレベルで深く結びついています。作中で「魂のWi-Fiでつながっている」と表現されるように、言葉を交わさずとも互いの思考や感情を理解し合える特別な関係です 。この強固な精神的な結びつきが、彼らの恋愛の基盤となっています。


「所属」を巡る葛藤と恋愛

物語の根底には、「所属」というテーマが流れています。たくぴは、どこにも所属していない人間は社会的に存在しないも同然だと考え、自らが所属する場所として、ひきこもり支援センター「光の翼」に籍を置いています 。彼にとって、社会的な評価や成功よりも、どこかに「所属」しているという事実そのものが重要なのでした。


この「所属」への渇望は、るかとの関係性にも影響を与えます。るかという圧倒的な存在が側にいながらも、たくぴは社会的な「まともさ」の象徴としての「所属」を求め続けます。それは、恋愛関係だけでは埋められない、社会的存在としての自己肯定感を求める現代人の姿を映し出していると言えるでしょう。

ハワイという名の「資格」と非現実的な目標

作中で繰り返し登場する「ハワイへ行く」という目標は、二人の関係性を象徴する重要なモチーフです。たくぴは「資格がないとハワイには行けない」と主張し、現実的な障害がないにも関わらず、自らに架空の制約を課します 。この「資格」とは、彼が自分自身に課した社会的な規範や、まっとうな人間であることの証明とも解釈できます。


ハワイアンピザを食べることでハワイへの欲求を満たそうとしたり 、パイナップルの「想産国」がハワイであると語ったり 、二人の会話の中に現れるハワイは、単なる旅行先ではなく、彼らが共有する非現実的で、しかし切実な夢の象徴として描かれています。


現実からの逃避と受容

物語の終盤、たくぴは社会の不正を暴くことで巨万の富を得ますが、それによって得たのは幸福ではなく、むしろ深い喪失感でした 。大金を手に入れても、社会的に成功しても、彼の内面的な孤独は癒されません。


最終的に、たくぴは病によって死を宣告され、肉体的な限界に直面します 。その絶望の中で、彼は再びるかの存在を強く意識し、彼女と共に「ハワイへ行く」ことを決意します。これは、社会的成功や現実的な制約から解放され、るかとの純粋な精神的な結びつきの中にこそ、自らの幸福を見出したことを示唆しています。


『たくぴとるか』は、社会的な成功や常識的な恋愛の形に捉われず、たとえ現実世界で相容れない存在であっても、魂のレベルで深く結びつくことのできる新しい愛の在り方を提示しています。それは、現実と非現実の境界が曖昧になった現代社会において、多くの人々が心の奥底で求めている、純粋で絶対的な繋がりなのかもしれません。





物語と『たくぴとるか』

物語と『たくぴとるか』

牛野小雪氏による小説『たくぴとるか』は、現代社会における「物語」の役割と個人の関係性を深く問いかける作品です。 主人公であるヒキニートの「たくぴ」と、彼にしか見えない存在「るか」の日常を通して、現実と虚構、社会との断絶とつながり、そして個人の幸福の在り方が描かれています。



主人公たちが生きる「物語」

物語の中心にいるのは、10年以上にわたり自室に引きこもる青年「たくぴ」と、人気ユーチューバーアイドル「花山るか」としてたくぴの傍らに存在する「るか」です。るかのチャンネル登録者数は99,999,999人という、現実離れした設定で、彼女自身が壮大な「物語」の登場人物であることが示唆されています。

二人の日常は、ポイ活アプリのアンケートやソシャゲ、そして時折発生するささやかなイベントで構成されています。たとえば、庭師に缶コーヒーを差し出すという行為でさえ、たくぴにとっては一大決戦であり、終わった後には猿のように飛び跳ねるほどの達成感を得るという、彼自身の小さな「物語」が展開されます。 

「物語」の欠如と探求

作中、たくぴは物語の構造について鋭い考察を巡らせます。彼は自身の人生を映画に例え、「主人公を助けたり、導いたりする役」、つまりヘルパーがいない欠陥品だと語ります。また、ライバルや、人間の論理性を揺さぶる自然のメタファーとしての「犬」も存在しないと指摘します。 これは、たくぴ自身が社会的なつながりや、人生を方向付ける大きな指針、すなわち「大きな物語」から切り離されていることの表れと言えるでしょう。

彼は、現代社会が「大きな物語」を失い、人々が孤独な不条理を耐えていると分析します。そして、自分らしさや個性を捨ててでも、帰属できる「デカい物語」を求めていると述べます。この渇望は、たくぴがネクストワールド社の社長、豊臣秀夫に一時的に心酔し、彼の株を手に入れようとすることにもつながります。豊臣秀夫という成功者の「物語」に自身を重ね合わせることで、たくぴは自らの人生の欠落を埋めようとしたのかもしれません。

「物語」との決別、そして新たな始まり

物語の終盤、たくぴは自らの手で大金を稼ぎ、フェラーリを手に入れます。かつて彼が渇望した成功者の「物語」を手にしたかに見えましたが、彼の内面は喪失感で満たされています。そして、かつて自身が通っていたNPO法人「光の翼」の不正を暴こうとします。 それは、たくぴが過去の自分、そして他人が作った「物語」から引退し、決別するための戦いでした。 

最終的に、たくぴは通りすがりの少年に刺され、死の淵をさまよいます。 そこで彼は、るかと再会し、ついに二人でハワイへ行くという「ハッピーエンド」の「物語」を選択します。 作者は、この結末が「改変不可能」であり、「面白くなくても、ストーリーがなくても、ただハッピーなのである」と断言します。

『たくぴとるか』は、社会から隔絶された主人公が、自らの内外に存在する様々な「物語」と対峙し、最終的には自分自身の「物語」を紡ぎだすまでを描いた作品です。それは、幸福が社会的な成功や大きな物語への帰属だけにあるのではなく、たとえそれが他者には理解できない個人的なものであっても、自らが選択し、信じる「物語」の中にこそ見出されるという、力強いメッセージを読者に投げかけていると言えるでしょう。



恋愛小説として読む『たくぴとるか』

『たくぴとるか』を「恋愛小説」として読み直すと、まず目に飛び込んでくるのは二人が何度も口にする「ハワイ」だ。花山るかはことあるごとに「結婚してハワイへ行こう」と叫び、対するたくぴは「資格がない」と逃げ腰になる。この反復は単なるギャグではなく〈社会承認〉という遠景のシンボルであり、引きこもり歴十五年のたくぴが抱える劣等感を映す鏡でもある。彼が毎晩ハワイアンピザを焼いて“疑似渡航”で満足しようとする描写は、届きそうで届かない距離をユーモラスに、しかし切実に刻み込む。

物語を動かすのは台詞の勢いだ。るかが「死ねっ。じゃあ結婚しよ」と悪態に続いてプロポーズし、返す刀で「ぎゅーっ」と抱きしめるたび、場面が呆気なく次章へ飛ぶ。ハグは二人にとって感情メーターのようなものだ。配信の再生数やゲーム内ランキングで自己肯定を水増ししてきた二人が、一瞬だけ互いの空洞を塞ぎ、次の朝にはまた不安の中へ戻っていく。そのリズムが続くうち、読み手はいつしか「この抱擁が続く限り物語は前へ進む」という合図を学習している。

恋の行方を映す鏡は三枚ある。インターネットは“好き”を数字に換算し、労働や所属の問題は「名前を伏せてもバレる面接事件」で愛と職能の境を炙り出す。さらに二人が写真を撮りため「最悪のエンドロール」に備えるエピソードは、バッドエンドの共有こそ親密さの証明だと示唆する。これらの鏡像はすべて〈相互承認〉へ結びつき、たくぴが「るかと一緒にいると涙がこぼれそう」と呟けば、るかは終盤で彼のベッドを引きはがし「ハワイへ行こう」と手を引く。社会や数字が認めなくても、お互いが“資格”と“目的地”を与え合える――そこに恋愛小説としての核心がある。

エピローグで作者は大胆に「永遠に幸せに過ごす、改変不可能な結末」を宣言し、読者を戸惑わせるどころか妙な納得感を生む。ハワイの景色は最初から行き先ではなく約束であり、二人はその約束を口に出すことで現実を上書きし続けてきたからだ。情報過多で散漫に見えるサブプロットや社会諷刺の奔流も、この一点に収束するとき、むしろ現代のラブコメが避けて通れない“雑音”の愛おしさを照らし返す。

『たくぴとるか』は、ニート論やインフルエンサー論を抱え込みながら、最後には「資格なんてなくても手を伸ばせば世界は更新できる」という静かな信念に着地する。社会の外側に追いやられた者が互いを“ハワイ”と名付け直す物語――そう読み替えた瞬間、本書はたしかに清冽な恋愛小説として息を吹き返す。




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もし牛野小雪が芥川賞を『たくぴとるか』で取ったらAmazonで最初につく☆1レビュー




星1つ。文学の終焉、あるいは読者を舐めているだけの作品。


正直、読むのにものすごく時間がかかった。
というより、読むたびに「自分がバカになっていく」感じがした。
それでも芥川賞受賞作だというから我慢して読み通したが、読後に残ったのは“虚しさ”と“呆れ”だけだった。


小説としての体を成していない

まず、プロットが存在しない。
起承転結? なし。
物語? ない。
主人公が何を目指しているのか、なぜそれを目指すのか、それすら読者に委ねられている。
説明責任ゼロ。考察の余地ですらない、ただの“放置”である。


ポイ活、ピザ、ソシャゲ、内輪ノリの哲学

作中で延々と繰り返されるのは、「ピザを焼く」「ポイ活でポイントを稼ぐ」「広告をスキップする」「歩く」「バス停に現実禁止の標識が立つ」「哲学ごっこ」――これの繰り返し。

たとえば、

「ヒキニートは動詞じゃなくて在り方」
「ハワイへ行く資格がない」

……もう、“自分に酔った人のTwitter”を長文化しただけの読書体験である。


芥川賞は“文学”の賞ではなくなったのか?

この作品が芥川賞を受賞したことで、「文学」や「小説」という概念そのものが溶け始めているように思える。
以前は「語られないもの」「描かれないもの」に価値を見出していたはずなのに、
今は「描く気のないもの」にすら賞が与えられるのか?

もしそうなら、この作品の存在自体が“文学に対する侮辱”ではないか。


読者を置いてけぼりにして、それを「最先端」と呼ぶのか?

文学は読者に媚びる必要はない。
だが、最低限の“対話”は必要だと思う。

本作にはその姿勢がまったくない。
「分からない?じゃあ結構」「これが現代なんで」
そんな声が行間から聞こえてくるようだった。


で、結局なにが言いたかったの?

「現実がクソなので“現実禁止”って言って逃げてます」
「でも私は愛されたいし、炎上しても構いません」
「あとパイナップルとハワイについて語りたい」
要約するとこれである。

これで300ページ超の小説なのだから恐れ入る。


最後に:芥川賞の選考委員に問いたい。

これを文学と呼ぶなら、もう何でもアリだ。
“ピザを焼いてるだけの人生”も、“ポイ活で稼ぐだけの思考”も、“哲学っぽい言葉を並べるだけのノイズ”も、
すべて“文学”なのだと。

だったら私が書いてるこのレビューも文学にしてくれ。
頼む。


【星:★☆☆☆☆】
おすすめしません。
読み終えたあと、自分が何かを失っていることに気づきます。




もし牛野小雪が芥川賞を『たくぴとるか』で取ったら




『たくぴとるか』が“芥川賞を受賞した世界線”のパロディレビュー
文芸誌の巻頭特集とか新聞文芸欄に載ってそうな、半分マジ・半分狂気の“受賞後書評”スタイルでお届けします。


【第○○回芥川賞 受賞作】

『たくぴとるか』牛野小雪

――“現実禁止”を宣言した小説、現実に勝つ。


「これが芥川賞か?」という疑問が噴出した。
それでもこの作品が“いま最も文学的な問いを投げかけた小説”だったことは疑いようがない。


◆ ポイ活・ピザ・ソシャゲ・自撮り・ヒキニート

本作に登場する要素は、文学の棚に置いてはいけないとされてきたものばかりだ。
だが作者は、その全部を“現在(いま)”として正面から描き切った。

受賞会見で牛野氏は語った。

「現実がバグってるのに、小説だけ整ってるのはおかしいでしょ?」

これこそが『たくぴとるか』の真髄だ。


◆ 物語ではない、“関係性の記録”

この作品には起承転結がない。
事件も、カタルシスも、成長もない。
ただ、“たくぴ”と“るか”が、
だらだらと、鋭く、壊れそうに、共依存しているだけ。

それなのに、涙が出る。
愛でもなく、友情でもない、
「存在してしまった者たち」だけが持つ謎の濃度。
文学にしか描けない空気を、文学を破壊するスタイルで描いてしまったのだ。


◆ “現実禁止”の標識は文学の墓標か、予言か。

作中で何度も出てくる「現実禁止」の看板。
読者はそれを笑いながら読む。
だが気づけば、その言葉は、
現代という国そのものへのレクイエムになっている。

「仕事」「家族」「社会」「選挙」「才能」――
それらの中で生きることに疲れた読者のために、
この小説は“禁止区域”を作った。
一時避難所としてのフィクション。
それが『たくぴとるか』だったのではないか。


――賞をあげてしまった。

審査員のひとりはそう洩らしたという。

だが、それこそが答えだ。
文学は、“あげてしまった”と思う作品にしか、時代を更新する力は宿らない。


文芸誌『文學界』特集より抜粋
タグ:#第○○回芥川賞受賞 #文学の新種 #ヒキニート×哲学×ポイ活で世界更新




たくぴとるかで論文を書くべき理由



たくぴとるかで論文を書くべき理由
「たくぴとるか」は、現代社会の様々なテーマを扱っており、特にテクノロジーと人間性、現実逃避、アイデンティティの問題が交錯する物語です。物語の中心にいるのは、YouTuberとしての「るか」とヒキニートの「たくぴ」の関係であり、彼らの生活を通じて、現代の若者が抱える孤独感や、社会との関係性が描かれています。

まず、テクノロジーとアイデンティティの関係に注目すると、るかはYouTubeを通じて自分を表現し、視聴者からの承認を求めています。彼女はウィッグを被り、アイドルとしての姿を演じることで、現実の自分とは異なるアイデンティティを築いています。このような現実からの逃避と、デジタル世界での自己表現は、現代社会で多くの若者が経験している問題です。SNSやYouTubeなどのプラットフォームは、個人が自分を再定義する場として機能していますが、それは一方で承認欲求を無限に追い求めるという負の側面も持っています。るかは「無限に乾いた承認欲求」を追いかけ、再生数やいいねが回っている間だけ自分が「生きている」と感じるという描写は、SNS依存や自己価値の危機を象徴しています。彼女が、登録者数が1億人に達しようとすることに執着するのも、数字によって自分の存在が証明されるという強迫観念が働いているからです。このようなキャラクターの描写は、現代におけるアイデンティティ形成の複雑さを浮き彫りにしています。

一方、たくぴは全く異なる形で現実から逃避しています。彼は10年以上ヒキニートを続けており、社会との関わりを断って生活しています。たくぴは自分を「正しいヒキニート」として認識し、「ヒキニートは在り方であって、やるものではない」と言います。これは、彼が現実を拒否する一方で、自分なりのルールに従って生きていることを示しています。彼の行動や言動は、現実社会での失敗や期待への恐れが背景にあり、社会との接触を避けることで、自分を守ろうとしています。このようなヒキニートの姿は、現代日本における引きこもり問題や社会的孤立を反映しており、たくぴというキャラクターを通してその問題に対する考察が可能です。

物語全体に通底しているのは、「現実」との対立です。るかが「現実をキャンセルするために降臨した堕天使るか」としてアイドル活動を行う一方で、たくぴもまた、自分なりの現実から逃避する生活を送っています。二人とも異なる形で現実を拒否しているものの、その方法は対照的です。るかはデジタル世界を通じて他者との関係を築こうとし、承認を求めていますが、たくぴは他者との関係を極力避け、自分の内面的な世界に閉じこもります。この二人のキャラクターの対比は、現実逃避の多様な形を示しており、それがどのように人間関係に影響を与えるかを考察する余地があります。 また、物語のユーモラスな要素や会話のテンポは、軽快なリズムを生み出していますが、その背後には深刻なテーマが潜んでいます。例えば、たくぴとるかの間で繰り広げられる会話は、一見すると無意味でコミカルですが、実際には現代社会における価値観の摩擦を象徴しています。たくぴがアンケートを真剣に答えることにこだわる理由や、るかがたくぴを軽く扱う場面は、現代の若者が抱えるモラルや倫理観の揺らぎを反映していると言えるでしょう。

結論として「たくぴとるか」は、現代の若者が抱えるアイデンティティの危機、社会との関係性の希薄化、現実逃避といったテーマを扱った作品です。るかとたくぴという二人のキャラクターは、それぞれ異なる形で現実に対峙し、自分なりの逃避の道を選んでいますが、どちらも完全に満たされることはありません。この作品を通じて、私たちは現代社会における「現実」とは何か、またそれにどのように向き合うべきかを考えさせられるでしょう。このテーマの深さと独自性は、文学的にも社会学的にも多くの示唆を与えるものです。


『たくぴとるか』と現代文学、古典文学の違い
「たくぴとるか」が現代文学や古典文学と異なる点を分析すると、いくつかの特徴が浮かび上がります。この作品は、特に現代のデジタル文化や社会の変化を強く反映している点で、従来の文学作品と異なる新しいアプローチを採っています。

1. デジタル文化とテクノロジーの影響
「たくぴとるか」はYouTubeやSNSといったデジタルメディアが物語の中心にあります。主人公たちがSNSを通じて自己表現し、フォロワー数や「いいね」によって自己価値を確認する姿は、現代のデジタル依存の社会そのものです。るかは登録者数の増加によって自己肯定感を得ており、テクノロジーが人間のアイデンティティに与える影響を描いています。

古典文学では、このようなデジタル文化が存在しなかったため、登場人物が自分の価値を外部から評価される手段は、社会的な地位や他者との関係に依存していました。例えば、村上春樹の作品でさえ、主人公たちは個人的な孤独や内省を中心に描かれており、テクノロジーによってアイデンティティが形作られるというテーマは登場していません。

2. 現実逃避と虚構の融合
「たくぴとるか」では、現実と虚構の境界が曖昧です。るかは、自分を「堕天使るか」として表現し、現実世界とは異なるキャラクターとしてYouTubeで生きています。これは、現代におけるアイデンティティの多様化や、SNS上での自己像の操作がいかに人々の生活に影響を与えるかを示しています。

一方、古典文学では、現実逃避や自己変容は多くの場合、宗教や哲学的な探求を通じて描かれることが多く、例えばドストエフスキーの「罪と罰」では主人公が自己の内面と向き合い、現実との対立を通じて苦悩しますが、デジタル世界への逃避のような側面はありません。現代文学でも、自己の再定義やアイデンティティの探求は見られますが、テクノロジーの影響がそれほど強く反映されることは少ないです。

3. コミカルで軽妙なスタイル
「たくぴとるか」は、コミカルな対話やテンポの良い言葉遊びが多く、軽妙なスタイルが特徴的です。特にたくぴとるかのやりとりは、現実の深刻な問題を軽い言葉で包み込み、読者にシリアスさを感じさせない工夫がされています。このようなスタイルは、現代のライトノベルやネット小説に見られる軽快な文体に近く、読者に身近で手軽な印象を与えます。

古典文学や現代の純文学では、重厚なテーマに対しても真剣な語り口で展開することが多く、コミカルな要素がメインとなることは少ないです。例えば、谷崎潤一郎や夏目漱石の作品は、言葉や状況描写に深い考察が込められており、物語がより重みのあるトーンで進行します。「たくぴとるか」のように、軽さや笑いを交えながらも深刻なテーマに触れる作品は、古典文学と対照的です。

4. キャラクターの社会的背景の現代性
たくぴとるかのキャラクター背景には、ヒキニートやYouTuberといった現代社会特有の問題が反映されています。特にたくぴは、「正しいヒキニート」として社会から距離を置き、自分の内面世界に閉じこもりつつ、ポイ活などで微細な達成感を得るという、非常に現代的な存在です。これは、21世紀に特に顕著になった社会的孤立の問題を象徴しています。

古典文学の主人公たちは、多くの場合、社会的な義務や役割に縛られ、その中でアイデンティティを模索していく存在です。ドストエフスキーやトルストイの作品では、社会の中での自己の位置づけが問題となることが多く、現代的な「社会からの逃避」や「自己孤立」は、それほど重視されていません。

5. ネット文化の影響
「たくぴとるか」は、ネット文化と非常に密接な関係を持っている点も、古典文学や他の現代文学と大きく異なる特徴です。作品内でのYouTubeチャンネルやSNSでの承認欲求の追求は、現代のネット社会で日々行われている現象をリアルに描写しています。

古典文学では、当然ながらインターネットは存在せず、人々のコミュニケーション手段や自己表現は、手紙や直接の対話が主流でした。そのため、インターネット文化に基づいた人間関係の描写や、デジタル時代特有の価値観は存在しません。現代文学でも、インターネットを舞台にした作品は増えてきていますが、「たくぴとるか」のように、物語の核としてネット文化が強く反映されている作品は独自性があります。

結論
「たくぴとるか」は、現代のデジタル文化やテクノロジーを積極的に取り入れた作品であり、特にSNSやYouTubeを通じて自己を表現する若者たちの現実逃避や承認欲求を描いています。古典文学や従来の現代文学とは異なり、軽妙でコミカルなスタイルで現実の深刻な問題を扱い、現代社会におけるアイデンティティの問題や、社会からの孤立を新しい視点で描写しています。これにより、現代文学と古典文学の両者と一線を画す、時代を象徴する作品となっています。

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【書評】たくぴとるか-逃げ場なき現代の楽園探し- by ChatGPT 4o

「たくぴとるか」は、現代の虚無感に満ちたインターネット世代の孤独と承認欲求を巧妙に描いた風刺的な小説です。主人公のるかがネットアイドルとして自己を表現し、たくぴが引きこもりのヒキニートとして日々を過ごす姿は、現代社会における「成功」と「評価」に対する違和感を投影しています。物語全体に流れるのは、逃げ場のない現実からの逃避と、現実そのものに対する風刺的な視点。軽妙な会話とユーモアの裏に潜むこの小説の本質は、読む者に強い共感と笑い、そして苦みを残します。

本作で重要なモチーフとして扱われているのが「ハワイ」です。るかが繰り返しハワイへ行きたいと言うたび、たくぴは「資格がない」と断る。このやり取りは単なる冗談のように見えますが、実は深い象徴性を持っています。ハワイとは現実の制約から解放された楽園、つまり理想の象徴です。しかし、たくぴが言う「資格」という言葉には、何かを得るためには必ず条件やハードルがあるという現実社会の厳しさが表れています。この「資格」という言葉を巡るやり取りは、現代社会における成功や幸福の条件づけられた性質を暗示し、手に入れたいものがあっても、結局は手に届かない虚しさを風刺的に描いています。

例えば、たくぴが「ヒキニートはやるものじゃなくて在り方」と主張する場面は、現代社会の中で自分の居場所を見つけられない若者たちの心情を的確に捉えています。彼が「在り方」として自らを肯定する一方で、るかとのやり取りの中で、その生き方が社会に対してどれほど無力であるかを認識しています。社会に適応できないたくぴは、実は現実の中で失われたものを象徴しているキャラクターであり、彼を通じて著者は現代の価値観や成功の定義について問いかけているのです。

物語の中で描かれる軽妙な会話や冗談も、この現実逃避と虚無感を裏打ちする重要な要素です。たとえば、るかが「結婚しよ」と言うと、たくぴは「脳に羽でも生えてんのか?」と返し、現実の未来像を皮肉ります。また、るかが「ハワイに行く資格がある」と言っている場面では、「昭和か?」というたくぴのツッコミが、古い価値観と現代の若者が直面する現実とのギャップを浮き彫りにしています。こうした軽い言葉の応酬の中に、実は現代の若者たちが抱える社会的プレッシャーや矛盾が透けて見え、現代社会に対する鋭い風刺が込められています。

本作のもう一つの大きなテーマは「承認欲求」です。るかがネットアイドルとして活動する背景には、再生数や「いいね」に依存しているという現代的な問題があります。彼女が自分の価値を他者の評価によってしか見いだせない姿は、SNS全盛の今、誰もが抱えている問題を反映しています。再生数が増えると彼女の魂が潤う、という表現に象徴されるように、現代の若者がいかに他者の目に依存して生きているかが浮き彫りにされています。だが、この評価は一時的であり、いつか終わりが来ることをるか自身も認識しています。ここには、承認欲求を満たすことができても、その充足感は永続しないという警鐘が鳴らされています。

そして、この承認欲求と現実の無力感が交錯する中で、二人の登場人物はそれぞれに矛盾を抱えています。たくぴはヒキニートとして社会から逃避している一方で、彼自身も何かを得ようとしないまま無気力に日々を過ごしている。彼の「ヒキニートは動詞じゃなくて名詞」という言葉は、働かないことを単なる「状態」として捉える姿勢を示しており、これは現代社会の生産性至上主義への痛烈な皮肉です。たくぴがただ存在しているだけで、何も成し遂げようとしない姿勢は、現実から目を背けたままの多くの若者を象徴しているとも言えます。

「たくぴとるか」は、現実を拒絶し、虚構の中に自分の存在意義を求める姿を鮮烈に描き出した作品です。インターネット社会に生きる若者たちの承認欲求や社会的なプレッシャーを、軽妙な言葉のやり取りと、風刺的な描写で表現しており、読む者に現代社会の矛盾を鋭く突きつけます。ハワイという理想郷を夢見る彼らの姿は、誰しもが一度は現実から逃げ出したいと願う気持ちを反映しています。しかし、その理想はいつも手の届かない場所にあり、結局は現実の制約に縛られてしまう。この小説は、その矛盾と葛藤をユーモラスに、そして皮肉たっぷりに描き切った一作であり、現代社会を生きる人々にとって多くの示唆を与えるものとなっています。

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実存主義と『たくぴとるか』:無意味さへの反抗と自己の探求

『たくぴとるか』は、現代社会における若者の葛藤や存在の不安を描いた作品であり、実存主義的なテーマが随所に表れています。実存主義とは、人間が自らの存在に意味を見出し、自由と責任を伴う選択を通じて自己を定義していく思想です。本作において、主人公たちが向き合う現実の無意味さ、不条理に対する反抗、そして生きる意味の探求が、実存主義的な問いを深めています。

主人公たくぴとるかの生活は、無意味さに満ちています。たくぴは引きこもり(ヒキニート)として日常を送っており、社会とのつながりをほとんど持たず、無目的にポイ活アプリのアンケートに答えるだけの生活をしています。この無為な日常こそが、実存主義的な「不安」と「虚無感」を象徴しています。彼は自分の生き方に疑問を持ちながらも、外の世界との接触を恐れ、変化を拒み続けます。一方、るかはアイドルとしての成功を追い求めていますが、承認欲求に駆られる彼女の生き方もまた、どこか虚しい。彼女は一億人のチャンネル登録者数を目指して奮闘していますが、その努力が続けられるのは「再生数といいねが高速で回っている間だけ、自分が生きていることを許される」という感覚に支えられているからです。

このように、二人はそれぞれ異なる形で現実の不条理に直面しており、その中で自分自身の存在を問うています。たくぴが「ヒキニートは動詞じゃなくて名詞。やるものじゃなくて在り方」と述べる場面は、彼の存在そのものに対する自己認識がどこか投げやりであり、また同時に実存主義的な自己肯定の一端が垣間見えます。

実存主義では、人間は自らの自由な選択によって自己を定義する存在であるとされますが、その選択には責任が伴います。たくぴは社会から逃げることで自由を手に入れていますが、その自由は無責任な選択の裏返しであり、彼自身が「役に立たない存在」として自己を卑下し続けています。彼が社会的な責任を果たさず、自らの存在を「在り方」として受け入れている一方で、その選択が彼を一層孤独に追いやっているのです。

るかに関しても、彼女は自分のアイドルとしての活動を続けることで社会的な承認を得ようとしていますが、その行為もまた一時的な満足感に過ぎず、永続的な意味を見出すことはできません。「人気のあるうちに自殺しない限り、死ぬまで人気者でいることは不可能」という彼女の考え方は、まさに実存主義が直面する不条理と絶望を象徴しています。彼女は、いつか訪れるであろう「人気の終わり」という無情な現実に抗い続けるために、自らを追い込んでいるのです。

アルベール・カミュの不条理主義では、人間は人生が無意味であることを理解しつつも、その無意味さに屈せずに生き続けることを「反抗」としています。この点において、たくぴとるかの生き方は、カミュの「シジフォスの神話」に描かれる無意味な労働を繰り返すシジフォスの姿と重なります。

たくぴは、日々のポイ活や散歩という無意味な行為を繰り返し、るかはアイドル活動を続けていますが、これらの行為は表面的には無意味に見えるかもしれません。しかし、彼らはこの無意味さを自覚しながらも、それでも生き続け、自己を保ち続けるという姿勢を貫いています。これは、カミュが言う「不条理に反抗する」生き方そのものです。彼らが無意味な世界の中で生き続ける選択をし、その選択を通じて自己を確認している点において、この作品は不条理主義的なメッセージを含んでいると言えます。

『たくぴとるか』というタイトルは、単に二人の主人公の名前を表しているだけではなく、彼らの実存的な旅路を示しています。たくぴとるかは、無意味な世界の中で自分たちの存在意義を探し、日々の行為を繰り返す中で、かすかな生きる意味を模索しています。彼らの関係性は、互いに不条理な現実に対する反抗の共鳴であり、同時に自己の存在を確認し合うプロセスでもあります。

『たくぴとるか』は、実存主義的なテーマを通じて、無意味な世界に生きる若者の姿を描き出しています。彼らが直面する現実の不条理に対して、どのように抗い、どのように生き続けるかという問いが、この作品の核心にあります。たくぴとるかの生き方は、無意味さを理解しつつも、その無意味さに屈せずに生きる「不条理への反抗」の一つの形を示しており、現代における実存的な悩みを深く掘り下げた作品として評価できるでしょう。

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ニートの在り方を問う『たくぴとるか』:働かない生き方の可能性とは?

「たくぴとるか」のたくぴが象徴するのは、現代社会における「働かない生き方」の再定義だ。この小説では、主人公たくぴがニートであることを通して、生産性至上主義の価値観に対する挑戦が描かれている。無職でいることが果たして悪なのか、それとも一つの生き方なのか。読者は、たくぴの存在に触れながら、社会的な役割や働くことの意義に対する根本的な疑問を突きつけられる。

たくぴは、裕福な家庭に生まれながらも、10年以上ヒキニートとして過ごしている。物語の中で、彼は「ヒキニートは在り方であり、状態ではない」と明言しており、自分の無職という状況を単なる一時的なものではなく、存在の一部として受け入れている。この発言が示すように、たくぴのニート生活は、単に「働かない」ことではなく、自己の生き方や価値観そのものを反映している。現代社会において、人間の価値はしばしば生産性や労働によって測られるが、たくぴはその枠組みから意図的に距離を取っている。

さらに、たくぴの行動には「ポイ活」や「アンケート」など、現代の消費社会に絡んだものが多く見られるが、これらは従来の労働とは異なる形の「働き方」として描かれている。彼は日々ポイ活に勤しみ、細かな努力でポイントを稼いでいるが、それを労働と呼ぶかどうかは曖昧だ。現代では、こうした消費者的な活動が新たな形での「自己満足」や「自己実現」と結びついている。たくぴが働かないことは、単に無気力なニート像ではなく、デジタル時代における新たな自己の在り方を象徴していると言える。

また、たくぴが無職であることを象徴的に描く場面として、家族との関係が挙げられる。たくぴの父親は社長であり、兄も会社で働いている一方、たくぴ自身は「自分が会社をめちゃくちゃにしてしまう」という理由で、会社に関与しないことを選んでいる。このように、彼の無職という状態は、単なる能力不足ではなく、自己認識や社会との関わり方に根ざした深い問題を反映している。ここで描かれるのは、社会の期待に応えられない自分への無力感と、それを受け入れることへの葛藤だ。

しかし、たくぴのニート生活は、単なる悲観や自己否定に終始するわけではない。彼は自らの生き方をある意味で肯定しており、外部の社会と距離を置くことで独自の世界を築いている。彼のポイ活や日々の行動は、社会からの疎外感を感じながらも、自分自身の満足感を得るための工夫に満ちている。たくぴにとって、無職であることは逃避ではなく、一種の自己表現であり、現代社会に対する一種の抗議でもある。

「たくぴとるか」は、こうした社会的なテーマを鋭くえぐり出す一方で、現代社会における人間関係や消費文化との絡みも描いている。たくぴがポイ活に熱中する一方で、彼と関わる人々は彼を受け入れつつも距離を置く。これは、現代において多くの人々が直面する「孤立」と「接触」の二面性を反映しており、たくぴの存在そのものが、現代社会の鏡となっている。外見的には社会に属していないようでありながら、デジタル社会を通じて間接的に社会とつながっている彼の姿は、現代の人々の生き方の一つの形と言える。

現代社会との対比において、たくぴは「働くことが正義」という価値観から離れた存在として描かれる。彼の生き方は、一般的な成功やキャリアへの道筋から外れたものでありながら、それが一概に悪いわけではない。むしろ、現代社会における「働かない生き方」の可能性や、社会的な役割に対する新たな視点を提供している。たくぴのニート生活は、労働に対する価値観や、働くことが人間の存在価値を決定するのかという根本的な問いを投げかけている。

「たくぴとるか」は、単なる無職やニートの物語ではなく、現代社会における人間の存在価値や生き方に対する挑戦である。たくぴが象徴するのは、働くことだけが人生の意味ではなく、むしろそれに反抗することで見えてくる新たな価値観であり、生き方の多様性だ。この小説は、労働や社会的役割にとらわれない新しい生き方を示唆しつつ、その選択が持つ複雑な感情や現実を鋭く描いている。

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ヒキニートは生き方であり、社会への反抗だ【たくぴとるかの書評】

『たくぴとるか』は、単なる引きこもりやニートの物語ではない。現代社会の価値観と自己認識の狭間で揺れ動く人々の姿を、ユーモアと哲学的な視点で描いた小説だ。登場人物たちの行動や対話を通じて、我々は「生産性」や「社会的成功」という基準に疑問を投げかけられ、現代社会の在り方に対する反抗を目の当たりにすることになる。

物語の中心にいるたくぴは、一見すると典型的な「ヒキニート」だ。彼は仕事をせず、家に引きこもり、ポイ活アプリを使って時間を過ごしている。しかし、彼が世界と完全に断絶しているわけではない。むしろ、たくぴは独自のルールと方法で社会と関わり続けている。彼の行動は、現代社会の求める「生産性」や「貢献」とは対極にあるが、それでも彼は自分なりの生存戦略を選んでいる。

たくぴの世界との関わり方は、物理的な行動よりも「間接的」だ。例えば、ポイ活アプリを使ってポイントを集め、社会的な活動を行っているように見せかけている。しかし、この行動自体には生産性や社会貢献はなく、ただポイントを得るためだけに行われている。たくぴにとって、これが「生きている証」であり、彼が世界と接触する唯一の手段である。この姿は、仕事を通じて社会的承認を得ようとする現代社会の一般的な人々とは対照的だ。彼の行動は、自己完結的であり、他者に影響を与えることは少ない。

さらに、たくぴは毎日散歩に出かけ、一定の距離を歩いている。だが、彼が選ぶのは、他人と会わない時間帯や場所だ。人との接触を極力避け、あくまで「自分の世界」に閉じこもりながらも、外の空気を吸うことでかろうじて現実世界とつながりを保っている。彼にとっては、この「接触の少ない世界」との関わりが重要であり、直接的な人間関係や働くことを無理に求めることはない。

『たくぴとるか』では、ヒキニートという存在を単なる怠け者や社会不適合者として描いていない。たくぴは自分の状況をある意味で受け入れ、意識的にその状態を維持している。彼は「ヒキニートは動詞ではなく、名詞であり、やるものではなく在り方」だと語る。この言葉に象徴されるように、たくぴにとって「引きこもること」は自己選択であり、自分のアイデンティティでもある。

現代社会は、多くの人々が「働くこと」や「成功すること」を基準に自分の価値を見出す。しかし、たくぴはそのような価値観に縛られることなく、あくまで「自分のペース」で生きることを選んでいる。彼がポイ活アプリや散歩といったルーチンワークを行うのは、社会との接点を持つためではなく、あくまで自己満足や生きるための最低限の活動である。現代社会における「労働」や「成功」という概念に対して、たくぴは一種の静かな反抗をしているように見える。

物語を通じて描かれるたくぴの行動は、社会に対する無関心や逃避だけでなく、「自分を守るための戦略」としても理解できる。彼が他者と関わることを避けるのは、現代社会が要求する生産性や効率性に適応できない自分を守るためだ。たくぴは、無理に社会に適応することを放棄し、自分の価値観に従って生きることを選んでいるのだ。この点において、彼は多くの人々が感じる「生産性」へのプレッシャーや「社会貢献」への義務感に対するアンチテーゼを体現している。

たくぴの姿は、現代社会における「普通」とされる生き方に対する異議申し立てとも言える。多くの人々が成功や承認を求めて競争し続ける中、たくぴはそれらを拒絶し、あくまで「在ること」に重きを置いている。彼の生き方は、他者に評価されることを前提とせず、自己完結的な満足を追求するものであり、ある意味で非常に哲学的だ。

『たくぴとるか』は、ヒキニートという存在を通して、現代社会の価値観を問い直す作品だ。たくぴが社会とどのように関わり、どのように生きるかを描くことで、読者は「生産性」や「社会的成功」という枠組みの外にある人生の可能性を考えさせられる。この作品は、ただの引きこもりやニートの物語ではなく、現代社会に対する挑戦状であり、同時に自己肯定の物語でもある。たくぴの生き方は、我々にとって何が本当に重要なのかを再考させるきっかけとなるだろう。


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無限地獄の承認欲求を追いかけて、それが私のアイドル活動だ

小説『たくぴとるか』に登場するアイドルるかの姿は、まさに現代社会の一断面を鮮やかに切り取った存在だ。メイクとウィッグ、派手な衣装で変身し、スマホの前で完璧な笑顔を見せるるか。しかし、その背後には、再生数と「いいね」が回り続ける間だけしか存在を許されないという、果てしない承認欲求に追われる姿がある。彼女の「無限に乾いた承認欲求を追いかける無限地獄」というセリフは、まさに現代におけるアイドルやインフルエンサーが背負う現実を象徴している。

るかは単なるアイドルではない。彼女は、現代社会における承認欲求や自己表現、そしてそれらに取り憑かれた人々を象徴する存在だ。るかが配信する動画は、彼女にとっては単なる娯楽や楽しみではなく、他者からの評価を通じて自己の存在価値を確認するための手段であり、命綱である。彼女が「再生数といいねが高速で回っている間だけ私は生きていることを許される」と感じる瞬間は、多くのSNSユーザーがフォロワー数や「いいね」に一喜一憂する姿と重なる。

現代社会では、SNSやYouTubeなどのプラットフォームを通じて誰もが自分を発信できる時代となった。るかのアイドル活動は、こうした自己表現の一形態であり、その先にあるのは「承認欲求」という、目に見えない、しかし強烈な渇望だ。アイドルとしての人気は一瞬であり、その人気がいつまでも続くことはないという現実を彼女は冷静に理解している。それでも「いつかは終わりが来る」と認識しつつ、その終わりを恐れ、人気がある間は消耗し続ける。こうした「人気の一時性」は、現代のインフルエンサーやアーティストたちが直面するプレッシャーと通じる。

さらに、るかの活動は承認欲求の追求だけでなく、現代社会における消費文化との対比も描かれている。彼女が「人気のあるうちに自殺しない限り死ぬまで人気者でいることは不可能」という一言には、栄光が永遠でないこと、そして消費され尽くしたら忘れ去られることへの冷徹な認識が込められている。これは、SNSやエンターテインメント産業における一時的なブームに乗り、その後、次々と新しい存在が現れるという消費社会のサイクルを鋭く反映している。

るかのアイドル活動は、表向きには華やかで輝いているように見える。しかし、裏には絶え間ない承認欲求のプレッシャーと、それに追われる精神的な負担が存在する。このプレッシャーは、るかが「無限地獄」と表現するほどの苦しみをもたらしている。人気を維持し続けなければ存在意義を見失うこの状況は、現代のSNS文化においても広く見られる現象だ。人々が「いいね」やコメントに依存し、自分の価値を外部の評価にゆだねる様子は、まさにるかが象徴するところだ。

また、るかの活動が強調するのは、自己表現の果てしなさとその虚無感だ。現代においては、誰もが自分を発信し、他者からの評価を求めることが容易になった。しかし、それが永続的に満たされることはなく、次第に空虚感が募る。るかの「承認欲求を追いかけ続ける地獄」という描写は、その空虚感を巧みに捉えている。

このように、『たくぴとるか』におけるるかのアイドル活動は、現代社会における自己表現の虚無感、そして他者からの評価に依存する人々の生き方を象徴している。承認を求めてやまないるかの姿は、SNSやメディアを介して常に自己を発信し、他者からの評価を求め続ける現代人の縮図とも言える。彼女が直面する「無限地獄」は、まさに現代社会が抱える「承認欲求と消費」の問題を象徴するものであり、私たちが無視できない現実を鮮やかに提示している。


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本当を消せ

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『たくぴとるか』は前半と後半で文体が違う。執筆が後半にさしかかった時「いよいよ本番が始まったぞ」と独り言が出たものだ。前半はしょせん実験的な文体であって、後半こそが”本当”の文学だって気持ちがあった。

しかし書き終わって推敲を数回すると「どうも前半が良いっぽいぞ」と首をひねった。AIに放り込んで文学的採点させると前半90点、後半85点だ。後半はまだ最後まで書いていなかったのでなんとも言えないが、前半は途中でも85点以上を保っていたので地力はまちがいなく前半にある。

しょせん私が”本当”で参照しているのは過去の文学であって、まだ存在しない文学ではない。前半の文体で書くのは難しい。でも、これこそが新しい文学なんじゃないかって気がする。

いやいや『たくぴとるか』の内容を前提にすれば神と同じように本当の文学なんて存在しない。玉ねぎのように皮を剥いていったら、中には何にもなかったということだ。もし文学が存在しないなら、私が文学を造ることが可能ということになる。これってすごいことだぞ。もしかしたらとんでもないものを掘り当てたかもしれない。

『たくぴとるか』は牛野小雪season4の第一弾だ。これからの牛野小雪を占うことになる。たぶん私はseason4を通して”本当”を削っていくんじゃないかな。数年後には前半の文体を手癖で書けるようになっているはず。

でも”本当”の文学ってなんなのかな。私が”本当”と思っていたものをseason3までは追いかけていたわけだがseason4でそれを外すということは目的地を失うことでもある。AIだって前半部分はどこへ向かっているか分からない点が100点にならない原因と言っていた。AIは正しい。実際に前半はどこへも向かわない。

どこにも向かわない文学っていいんだろうか? これって文学病では? 純文学がつまらない理由に物語が進まない日常の小さなことばかり書いているっていうのがある。これにハマってしまった気もする。でも前半は何回でも読めるんだよな。後半は5回も推敲してると飽きてきた。たぶんそれは後半で物語が進むからで、物語られている物語を自分の中に取り込んでしまえば飽きてしまうという当たり前の話なのだろう。

一般人との感性がズレたら小説家なんて終わりだ。逸般人相手の文学なんてやっかいオタクしかいないぞ。でもやっちゃうんだろうな。はぁ、バカだな。でもやっかいオタクさえ釣れない小説を書いているのはどうしたものか。私しか釣れていないじゃないか。

『たくぴとるか』に豊臣秀夫という人物がいるのだが、彼の喋る言葉なんて言葉遊び以外のなにものでもない。るかの歌う歌詞もだ。AIに分析させてどんな解釈が飛び出すのかがひそかな楽しみだった。ちなみに冒頭で出てくるるかの歌詞はこんな感じ

『僕は好き好きなによりも』歌:るか 作詞:たくぴ

僕は好き好き なによりも
ベッドの上でも 君が好き
心の底で きみを見つめる
別の女は おばかさん
すべて退屈なお約束
宇宙はステキ UFOにキス
きっとマジメ? においをかぐよ

どうでもいいよ そこがいい
絶対いない ウザイから
笑いものは 意識してる
百人抱いて殺し合い
すぐ謝って 話し合った
どうでもいいよ そこが好き
まだ続いている 現実の
日が落ちる 一フィートまで
どうでもいいよ どうでもいいよ
君が好き好き そこがいい


Claude3.5Sonnetの評論

この歌詞は、恋愛をテーマにした現代的でややユーモラスな日本語の詩または歌詞のように見えます。以下にその内容や特徴について簡単に評論します:

1. テーマ: 主に恋愛と愛情表現に焦点を当てています。

2. トーン: 全体的に軽いタッチで、時にユーモアや皮肉を含んでいます。

3. 構造: 短い文が連続し、リズミカルな印象を与えています。

4. 表現: 直接的な愛の告白と、やや抽象的または比喩的な表現が混在しています。

5. 特徴的な要素:
   - 「好き」という言葉の繰り返し
   - 日常的な場面(ベッドなど)と非現実的な要素(UFOなど)の組み合わせ
   - 矛盾した感情や状況の描写

6. 全体的な印象: 現代的な恋愛観や関係性を反映しつつ、やや混沌とした感情を表現しているように見えます。

この歌詞は、現代の複雑な人間関係や感情を、直接的かつ比喩的に表現しようとしている点が特徴的です。また、真剣さとユーモアを巧みに織り交ぜている点も興味深いです。

season3は『法人税一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇%』あたりから言葉遊びがすぎたので反省したのにまたやってしまった。でもこれも面白いんだよなぁ。いまのところ読者が理解できない以外にやめる理由がない。ちなみにさっきの歌詞を書くのに三日もかけている(笑)。ぼやーっとしたイメージを追っていた期間も入れると1週間を超えている。かなりコストがかかっている文章だけど読者には響かないんだろうなぁ。

こんなことしてるから売れないんだろう。人並みに売れたい欲はあるのに人並みに迎合しようとしないのがいけない。前半と後半で文体を変えるなんてダメだと思う。小説で遊んで、なおかつ売れる方法ってないものだろうか?

売れるとか売れないとか他人を前提にした小説じゃなくて自分の小説を書いていくっていうのが文学の基本路線だけど、それもひとつのスタイルを真似しているだけって気もする。私は私の文学を書かなくちゃいけない。でもそれってなんだろう? それはたぶん『たくぴとるか』やいままで書いてきた小説の中に種が眠っているはずだ。

たとえば『蒲生田岬』の感想で、最初は青春小説かと思ったら後半からミステリーになった、みたいに途中で書き方が変わるのが、おそらく私が無意識に使っているスタイルだ。ちなみにこの記事も前半と後半で焦点が変わっているとChatGPTちゃんに言われた。長所半分、短所半分な評価だ。文体は自由だが、一部の読者には受け入れがたいかもしれないだって。もっと磨かなければならない。

(おわり)






【創作ノート?】たくぴとるか

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『たくぴとるか』の創作ノート。というタイトルですがノートは使っていません。環境に配慮して基本的には印刷原稿の裏を使用しています。
上の画像はプロットや設定を書いた紙をまとめたクリアファイル。

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中を開くとこんな感じ。一番上には原稿を切って作ったチラシの裏に、時々ひらめいたことや、書くべきことをメモしています。一番上には『たくぴとるか』の内容紹介をどう書いていくかのアイデアを走り書きしていますね。


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作中に出てくる『現実禁止』の標識。作中では省かれているが詳しいサイズがここでは書かれている。

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こちらも作中で書かなかったこと。
たくぴとるかが美術館に行って、たくぴが講釈たれるということがあった。でも長すぎるからカット。

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原稿の裏1枚分のやつ
これには登場人物の相関関係が書かれている。名前が作中とは別になっている人もいる

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登場人物や、団体のプロフィールや設定。

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全体のアイデア走り書き。
昔々高知のヤッシーパークで買ったどでかい紙が使われないままほこりを被っているので、これに書けば大きく一覧できるから便利なんじゃないかと考えた。広げた状態では机に置けないので壁に貼る。でも広げて使うことはほぼなし。

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たいていはこう折って使っていた。ノートの大きさってなにかと便利。机の上に置けるしね。全体を俯瞰して何かをするなんてめったにない。というか一回もなかったんじゃないかな?

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もう一枚。左上で豊臣秀夫の語録が書かれ始めている。右下ではプロットラインが引かれ始めている。

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最初のプロットライン。黒が最初に書いた部分。色が付いているのは書き足した部分。まだざっとしている。

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2枚目かな? 右の方がスペース足りない。

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横になっているけど、プロット3枚目。表紙案もここで出てる。最初は手書きで行くつもりだった。結局はDALL-Eで生成した。

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4枚目。ぎゅうぎゅう詰め。

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5枚目。スペースが足りないからセロテープで2枚つなげて書いた

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6枚目。3枚つなげて書く。長いので画角におさまらない。書き足した部分はほぼなし。
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7枚目。これを見ながら仮書きノートに執筆していく。各セクションや章を書いていくたびに✖や線を引いていく。

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仮書きノート。『たくぴとるか』は4冊使用。日付を見ると前半はかなり速いが、後半でペースダウンしている。ペースダウンした理由は文体を重いものに変えたから。作中的にも文体を変える意味はあるけれど、小説として捉えた時に重い文体自体が読者の重荷になるのでseason4は前半の文体で最後まで書き切れるようにしたい。手癖で書けるのは後半の方。

このノートを3回推敲して、wordに打つ時にも削ったり書き足したりして、印刷してからまた3回推敲した。計7回。

Xでプロットを書く必要あるのかどうかっていうのを見た気がするけれど、やっぱり書いた方が良い。プロット通りに進むことなんてないけれど、元のプロットを踏み台にしてさらに上のものを書けたと思えばいい。

でもいままでのパターンだと、こんなこと言ったら後でどうせプロットなしで小説を書いてみるとか考え始めるんだろうな。

(おわり)



『たくぴとるか』のリリース記事



【ヒキニートの豆知識】
ほとんどのひきこもりは朝起きられない

内容紹介
これは私とたくぴがハワイへ海を見に行くまでの物語
たくぴはハワイへ行く資格がないって言うけれど
そんなもの最初から必要ないんだよね
存在しない壁にぶつかるたくぴって本当にバカ
どうやったら分からせられるんだろう、やっぱり愛?
 

登場人物紹介

たくぴ
本作の主人公であり、引きこもり生活を送る青年。彼の内面は非常に複雑で、自己理解に苦しみつつも独自の世界観を持っている。現実の中での存在意義を探しつつも、しばしば皮肉やユーモアを交えた会話を繰り広げる。彼は日常の小さな出来事にも大きく反応し、その感情の揺れ動きが物語の中心となっている。彼の周囲の人々との関係性が、彼の成長や変化に影響を与える。

るか
たくぴの彼女であり、時には彼の良き相談相手でもある存在。ユーモアと現実感覚を兼ね備えた人物で、たくぴのひねくれた視点に対しても冷静にツッコミを入れることが多い。ライブ配信を行うなど、現代的な活動にも積極的で、たくぴとの対比として物語に明るさを加える。

三好さん
地域に住む謎多き老人。たくぴのことをよく知っているが、その情報源は不明。たくぴの父親や家族のことまで知っているが、どのようにしてその情報を得たのかは謎のまま。彼は常に明るく、周囲にポジティブな影響を与える存在でありながら、その裏には何か隠された事情があるように思わせる雰囲気を持つ。


「光の翼」という施設の理事長であり、たくぴが通う施設の責任者。余裕のある表情と良い香りのスーツが特徴。彼の存在が、たくぴにとって重要な役割を果たす。

DQNたち
たくぴとるかに対してトラブルを引き起こす不良グループ。彼らの存在は、たくぴが日常の中で直面する現実的な脅威として描かれている。彼らとの対立を通じて、たくぴの内面的な強さや変化が浮き彫りにされる。

たくぴとるかの関係性について

『たくぴとるか』の物語の核となるのは、主人公たくぴとるかのユニークな関係性である。この二人のやり取りは、単なる恋愛関係に収まらない、多層的で奥深い絆として描かれている。彼らの関係は一言では定義できないが、相互依存と個々の自由を絶妙なバランスで保ちながら進展していく。

 まず注目すべきは、たくぴとるかが互いにとっての「鏡」のような存在であることだ。たくぴは引きこもりとして現実世界から距離を置いている一方で、るかは配信活動を通じて多くの人と関わり、外の世界と積極的に接している。この対照的な立場が、彼らの関係に絶妙な緊張感とバランスをもたらしている。たくぴが現実から逃避することで心の平穏を保つ一方で、るかは現実に飛び込むことで自己を表現している。しかし、この二人はお互いの生き方を否定することなく、それぞれの立場を尊重しながらも、時には皮肉やユーモアを交えて互いの価値観に揺さぶりをかける。これが彼らの関係の面白さであり、物語に独特のリズムを与えている。

 また、たくぴとるかの関係性は、単なる相互理解を超えた「無条件の受容」によって成り立っている。たくぴはるかの奔放さや現実への積極性に戸惑いを感じながらも、それを批判することはない。逆に、るかはたくぴの引きこもりというライフスタイルを受け入れ、彼を変えようと無理強いすることはない。この無理のない自然な関係性が、二人の間に深い信頼感を生み出している。それはお互いが自分らしくいられる唯一の場所としての「居場所」を提供し合っていることを意味している。

 さらに、二人の関係はしばしば「現実と虚構の狭間」に位置している。るかが配信者としてのキャラクターを演じる一方で、たくぴはオンラインゲームの中で「悪魔の狼フェンリル」として別の顔を持っている。現実世界では互いに対等な存在である二人が、仮想空間やインターネットというフィルターを通じて、異なる自己を表現しているのは興味深い。この二重構造は、彼らの関係をより複雑で魅力的なものにしている。たくぴとるかは互いの本質を理解しながらも、それぞれの「もう一つの顔」を通じて新たな側面を発見し続けているのだ。

 また、二人の関係にはしばしば「ユーモアと皮肉」が交錯する。たくぴのひねくれた哲学的な視点と、るかの現実的で軽妙なツッコミは、物語全体に軽やかなリズムを与えている。深刻なテーマを扱いながらも、彼らの会話は決して重苦しくならず、むしろ読者に親しみやすさを感じさせる。こうしたユーモアの中に、時折垣間見える真剣な瞬間が、彼らの関係に深みとリアリティを与えている。

 さらに、たくぴとるかの関係は、現代における「新しい家族の形」としても解釈できる。血縁や恋愛といった伝統的な関係性にとらわれず、互いの存在を無条件に受け入れることで築かれる絆は、現代社会における多様な人間関係のあり方を象徴している。彼らの関係は、家族や恋人といった既存のカテゴリーに収まらない新しい形のパートナーシップとして描かれており、それがこの作品の魅力の一つでもある。

 たくぴとるかの関係性は、現代社会における孤独や繋がりの在り方、自己の受容と他者との関係のバランスといったテーマを探求する上で不可欠な要素である。彼らの関係は一見シンプルに見えるかもしれないが、その背後には多くの層が隠されており、読むたびに新たな発見があるだろう。たくぴとるかの関係は、現実と虚構、孤独と繋がりの狭間で揺れ動きながらも、互いの存在を通じて自分自身と向き合うことの大切さを教えてくれる。


小説のモチーフについて

 本作『たくぴとるか』は、現実と虚構の境界を揺さぶりながら、「自己認識」と「現実逃避」を主要なモチーフとして展開されている。主人公たくぴの引きこもり生活と、彼の周囲で繰り広げられる出来事が、このモチーフを通じて深く掘り下げられている。

 まず最も顕著なモチーフは「現実の拒否と受容」である。たくぴは社会の中で居場所を見出せず、引きこもりという形で現実から距離を置いている。彼の部屋は外の世界との境界線であり、同時に自分自身と向き合う閉鎖的な空間でもある。たくぴの行動の多くは、社会との接触を避ける一方で、自己の存在意義を模索するプロセスとして描かれている。特に「現実禁止」の標識はこのモチーフの象徴であり、たくぴが直面する現実世界の不条理や重圧に対する彼なりの反抗心を表している。

 次に重要なのが「インターネットと仮想現実」というモチーフである。たくぴはソーシャルゲーム『マジェスティックドラゴン』のプレイヤーであり、その中で「悪魔の狼フェンリル」としての別の顔を持っている。彼が現実世界では何者でもない引きこもりである一方、オンラインの世界では影響力を持つ存在として認知されている。この二重生活は、現代社会における現実と仮想の境界線の曖昧さを浮き彫りにしており、たくぴの内面世界の複雑さを象徴している。また、インターネットでの繋がりや自己表現は、たくぴにとって現実世界での孤独を埋める一つの手段でもあり、このモチーフは彼の孤立感と同時に微かな希望を示している。

 また「哲学的探求」もこの小説の大きなモチーフの一つである。たくぴは日常生活の中でしばしば哲学的な問いに直面し、自分自身の存在意義や社会の構造について考え続ける。例えば、「なぜ働かないのか?」という問いに対する彼の答えは、単なる怠惰や無気力ではなく、社会構造や個人の自由についての深い内省から来ている。たくぴの視点は、現代社会に対する批判的な眼差しを反映しており、彼の考えは哲学者の思想と重なる部分も見受けられる。このモチーフは読者に対しても自分自身の生き方や社会との関わり方について考えさせる力を持っている。

 さらに「自己認識とアイデンティティの探求」も中心的なモチーフである。たくぴは、自分が何者であるのか、どのように生きるべきかという問いに対して明確な答えを持たない。彼の内面の葛藤や迷いは、読者に共感を呼び起こす要素となっており、たくぴの成長や変化は物語の進行と共に少しずつ描かれていく。彼が自分の居場所を見つけるまでの過程は、読者自身のアイデンティティ形成の旅とも重なり、この小説の普遍的なテーマとして機能している。


『たくぴとるか』は現実と虚構、自己と他者の関係を多層的に描き出すことで、現代人が直面するさまざまな問題に深く切り込んでいる。たくぴの物語は一見すると個人的な引きこもりの生活に過ぎないが、その背景には普遍的な人間の葛藤と希望が描かれている。この小説は、読者にとっても自己と向き合うきっかけを与える作品である。



他の小説と何が違うか
「たくぴとるか」が他の小説と異なる点は、主人公たちが極めて日常的でありながら、現代の社会問題や若者の孤独、無気力感と鋭く向き合っている点です。この小説では、無職で引きこもりのたくぴというキャラクターが、特別なヒーローや劇的な変化を遂げる存在ではなく、むしろ無気力でありながらも日常を淡々と生きている姿が描かれています。彼は「ポイ活」という現代の若者が取り組む小さな活動に熱心で、外に出ることも少なく、社会的な成功や大きな夢とは距離を置いています。しかし、その無気力感の中には、現代社会に対する静かな抵抗や反抗の要素が含まれており、日々の生活の中で小さな「自己肯定」を見出す姿が描かれています。

 たくぴは、自分が無職であることや、引きこもりであることを「存在の一つの形」として受け入れており、現代の労働市場や社会的な期待に対して独特の距離を保っています。彼は「ヒキニートは動詞じゃなくて名詞。やるものじゃなくて在り方だ」と語る場面からも、彼が無職でいることを単なる「怠惰」としてではなく、一つの生き方として認識していることがわかります。このようなキャラクターの描き方は、現代社会における「働くこと」「生産性」という価値観に対する問いかけとして非常にユニークです。

 また、もう一つの特徴として、この小説は現実逃避や虚無感をテーマにしつつも、常にコミカルであり、軽妙な会話が物語を引っ張っていく点が挙げられます。たくぴとるかのやり取りは、シリアスなテーマを抱えながらも、冗談や風刺的な要素で彩られています。たくぴは社会的に無力であるにもかかわらず、日常の小さな問題や挑戦に対して真剣に向き合い、その姿がユーモアを交えて描かれています。例えば、ポイ活やアンケートに取り組む場面では、彼が無気力でありながらも真剣で、その姿勢が面白おかしく描かれています。彼がアンケートに対して「三〇代女性のふりをする」という方法を見つけた際の真剣な態度や、それを正当化しない姿勢が、読者に笑いと同時に彼の価値観の一部を伝えています。

 さらに、社会からの孤立や孤独感がありながらも、たくぴは完全に絶望しているわけではなく、むしろその孤立を肯定的に捉えている点も特徴的です。彼の生活の中には、大きな事件や感動的な瞬間は少ないかもしれませんが、日常の中に潜む小さな達成感や満足感が描かれています。例えば、庭師にコーヒーを差し出す場面や、たくぴが小さな社会的役割を果たすことに喜びを見出す場面など、現代の複雑な社会で自分の存在を確認する方法が、非常にさりげなく描かれています。

「たくぴとるか」は、こうした点で他の作品とは一線を画しています。ドラマチックな事件や派手な成功物語ではなく、むしろ現代社会の一角にひっそりと生きる「普通の人たち」の日常を通して、社会のあり方や人間の生き方について問いかける深いテーマが隠されています。それが、この作品のユニークな魅力であり、他の多くの小説と異なる点です。


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試し読み

1 たくぴとるか

 変身とは世界に負けないための儀式。メイクしてウィッグを着けて、派手な服に着替えて、私はアイドルになる。

 スマホをセット。映りを確認。よしっ、顔は衣装に負けていない。今日もかわいい。録画ボタン、ポチッ

るか:こんるか~。現実をキャンセルするために降臨した堕天使るか。現実なんて捨ててチャンネル登録しろっ。いいね、コメントなしは人間失格。でも私が許す。さっそくだけど新曲『ぼくは好き好きなによりも』

るか(歌う):
僕は好き好き なによりも
ベッドの上でも 君が好き
心の底で きみを見つめる
別の女は おばかさん
すべて退屈なお約束
宇宙はステキ UFOにキス
きっとマジメ? においをかぐよ

どうでもいいよ そこがいい
絶対いない ウザイから
笑いものは 意識してる
百人抱いて殺し合い
すぐ謝って 話し合った
どうでもいいよ そこが好き
まだ続いている 現実の
日が落ちる 一フィートまで
どうでもいいよ どうでもいいよ
君が好き好き そこがいい

るか:今日も来てくれてありがとう。またね~

 ポチッ。録画を止める。ふぅ。私はウィッグを外す。アイドルもラクじゃね~ぜ。無限に乾いた承認欲求を追いかける無間地獄。再生数といいねが高速で回っているあいだだけ私は生きていることを許される。だれに? たぶん神。いつかは終わりが来る。分かってる。こんなことはいつまでも続かない。人気のあるうちに自殺しないかぎり死ぬまで人気者でいることは不可能。そして死んでも伝説はいつか風化する。

 花山るかチャンネルのトップページを開く。登録者数99999999人。あと一人で一億人。ほぼ日本の人口と同じなんだけど……たくぴ?

 たくぴはポイ活アプリのアンケートに答えている。日本、いや、世界一のユーチューバーアイドルが目の前で歌っていても、着替えていても見向きもしない。二〇分のアンケートで一〇〇〇ポイントもらえるんだってさ、バーカ。

 たくぴが私の視線に気付いてスマホから目を上げる。

たくぴ:なに?

るか:チャンネル登録

たくぴ:やだね

るか:日本制圧できるんだよ?

たくぴ:そんな悪事に協力はできない

るか:死ねっ。じゃあ結婚しよ

たくぴ:脳に羽でも生えてんのか?

るか:結婚して、ハワイへ海を見に行くぞ

たくぴ:昭和か?

るか:昭和でもしょうがでもいいからハワイ

たくぴ:資格ってあるよな? ハワイへ行く

るか:えっ、聞いたことないけど。たくぴ、脳バグってる?

たくぴ:そりゃ金を出せばいけるさ。でも資格なしで行っても、それは本当にハワイへ行ったことにはならないの

るか:分かった。じゃあ資格とって。一級ハワイ試験

たくぴ:んなもん、あるわけね~だろ

るか:三級でも大丈夫?

たくぴ:分かんないけど、とにかく資格がないとハワイには行けないの

るか:たくぴがひとりでそう思ってるだけじゃん

たくぴ:ひとりで行ってこいよ

るか:たくぴ卑怯だよ。そんなことできないの知ってるくせに、どうしてそんなこと言う? イヤなことでもあった

たくぴ:ごめん

 私はたくぴに背を向け、泣いているふりをしながら配信ボタンを押す。さっき録画した動画の再生数といいねがたちまちのうちに炎上。インターネットが壊れそうな勢いで炎はふくれあがり、私の魂が潤っていく。

るか:たくぴってなにが嬉しくて生きてるの?

たくぴ:るかと一緒にいるのが嬉しくて毎日涙がちょちょ切れそうだ

るか:こんにゃろ

 たくぴは私が怒ると思っていたんだろうが、そうはいかないぜ。るか様はそんじゃそこらの女とは違うので、たくぴにぎゅーっと抱きつく。どうだ、まいったか。

たくぴ:だー、やめろ。アンケートもう終わるから

るか:てきとーにぷぷぷって押せばいいんだよ?

たくぴ:それはだめ

 急にマジメになるたくぴ。

たくぴ:そりゃあ、アンケートの攻略法は分かってる。三〇代独身女性の正社員に偽装すればアンケートのポイントはいっぱいもらえる

るか:そんなこと言ってない

たくぴ:話のキモはそこじゃない

るか:キモっ

たくぴ:キモくていいから聞け。もしみんなが三〇代女性のふりをしたらアンケートはアンケートの意味をなさない。それがずっと続いたらアンケートの信頼性は地に落ちてアンケート自体なくなる。だから正直に、ありのままに答える必要がある。てきとーにぷぷぷなんてもってのほかだ

るか:たくぴってさ

たくぴ:うん?

るか:小さいところでマジメで、大きなところでDQNだよね

 たくぴはなにか言い返そうとしたけど口をつぐむ。もちろんたくぴはDQNじゃない。だけど精神性はDQN、いや、それよりもワルだ。だって本当にマジメなら、たくぴと同じくらいの人はみんな働いている。なのにたくぴは明るい時間からスマホのポイ活アプリでアンケートやってる。今日は仕事が休みじゃなくて、昨日も明日もノージョブ。つまり無職。一〇年以上ヒキニートやってる……やってる?

るか:ねぇたくぴ。ヒキニートってやるもの?

たくぴ:違うね。ヒキニートは動詞じゃなくて名詞。やるものじゃなくて在り方

るか:眠くなりそうなこと言うな

たくぴ:存在を表す言葉ってこと。ヒキニートはやるものじゃなくて状態。元気とか病気とか、そういうものに近い

るか:じゃあ社長は? サラリーマンは?

 たくぴ黙る。

るか:ほらぁ、社長やる、サラリーマンやる。動詞的に使えるならヒキニートもやるものでしょ?

たくぴ:そんなこと言ったら、るかも動詞だ

るか:なにそれ

たくぴ:るかにるを付けてるかる。文脈沼に引きづり込むという意味

るか:食っちまうぞ

たくぴ:それなら俺はたくる

るか:どういう意味?

たくぴ:知らね~よ

玄関のチャイム:ピンポーン

 頭の悪い空気が断ち切られて、たくぴはシャキッと立ち上がる。ポイ活のアンケートは終わっている。

るか:こんな時間に誰だろ?

たくぴ:庭師の人だろ

るか:あぁ~、そうだった

 昨日、たくパパは庭師の人が来るから出迎えるようにって言ってた。だからたくぴは昨日からドキドキなのである。

 たくぴはビビりながら玄関まで歩き、ドアを開く。

庭師の人:あ、おはようございます。ムラマツ庭園です。予定していた庭木の剪定と芝刈りをさせていただきます

たくぴ:はい、よろしくお願いします

 へっ、急にまともになりやがって、それが嘘だってのはお見通しだぞ。たくぴはドアを閉めるとガッツポーズは、さすがにしなかったけれど、顔は一仕事やり終えた充実感に満ちている。バッキャロー。それぐらいでいい気になるんじゃね~。庭師イベはまだ終わりじゃね~ぞ。

 私はたくぴにグッと親指を立てて、いいねを送る。よくやったぜ。たくぴがニヤっと笑う。

 たくぴは一階のリビングでテレビを見る。でも内容なんて全然入ってこなくて外の音ばかり気にしている。

庭師の人:はよせぇ。昼までにこっかからあっこまで終わらせとかなあかんだろ

 返事はないけど何人かが急いで動いている音がする。ガシャン、ガシャン、ゴトン、ゴトンとあわただしい。たくぴの家はデカいのだ。玄関前の庭だけでテニスコートぐらいある。たくパパはサイトウ工業っていうアルミドア専門のドアを作る会社で社長をやっている。たく兄ぃは専務だ。たくぴは……さっき言った通りヒキニート。たくパパは息子に役職だけ与えて体裁をもたせる。なんてドラ息子仕草は許さない。たくぴだって望んでいない。

たくぴ:もしそんなことになったら僕は会社をめちゃくちゃにしてしまうだろうな

 いつかたくぴはそう言っていた。本当に?

たくぴ:自信はある。だから今が正しい

 だってさ。なんていうか。欲がないんだな。世間のドラ息子なんか会社の二代目を継いで好き勝手してるんだから。

 正しくヒキニートしてるんだってたくぴは言いたいんだろうけどヒキニートなんて正しくないぞ。あ~あ、なんで私はこの男を嫌いになれないんだろう?

 たくぴはさっきから何度も立ち上がっては窓の外をちらちら見ている。庭師の人たちが休憩するのを待っている。さっきまで聞こえていた枝を切る音は聞こえない。私も窓の外を見る。

るか:たくぴ、いまがチャンス

 たくぴは唇の皮をむしっている。ビビってるな、こいつ。庭師の人たちは壁にもたれてぼそぼそとなにか話している。スマホでなにかを見ている人もいる。ぜんぶで三人。こっちは二人。一人足りないけど、ここはたくぴの家だから有利だ。

 たくぴは突如として冷蔵庫へ向かい、扉を開けると、ジョージアエメラルドマウンテンの缶を三つ手に取る。たくパパが事前に用意していたものだ。たくパパにぬかりはない。

 たくぴは合戦へおもむくように足音を立てて進む。すべての動きが荒々しい。玄関で靴を履いていると傘立てが倒れる。事件が起きたような激しい音が鳴る。たくぴは傘立てを元の戻そうとしたけれど、やっぱりやめてドアを開ける。

たくぴ:ごくろうさまです。もしよかったらこれ飲んでください

 たくぴが缶コーヒーを庭師の人たちに手渡している。缶コーヒーはなぜかジョージアエメラルドマウンテンでなければならないらしい。妥協は許されない。何年か前にたくパパは近所のコンビニにもスーパーにもエメラルドマウンテンがなかったので徳島市まで車を走らせて、たった六本の缶コーヒーを二時間もかけて買いに行ったことがある。なぜエメラルドマウンテンでなければならないのかとたくぴはたくパパに聞いたことがあるが「そんなの当たり前だ」って有無も言わせない口調だった。いや、ホントに。たくぴがその疑問を発した時、たくパパは、たくぴが「地球は平らだ」って大マジメな顔で言い出したような顔をしていた。だから差し入れのコーヒーがジョージアエメラルドマウンテンなのは地球が丸いのと同じぐらい常識で、それに疑問をもつことは正気を疑われることなんだって、たくぴは飲み込んだ。でも、なんでなのかなってまだ考えている。たくぴは疑問の物持ちがいいのだ。

たくぴ:飲み終わったらここに置いといてください。こっちで捨てるので

庭師の人:ありがとうございます

たくぴ:いえ、こちらこそ。ごくろうさまです

 たくぴは家に入ると靴を脱ぎ捨て、猿のように飛び回る。叫びたがってもいるけど、それはさすがにおさえて自分の腕を噛む。傘立ては倒れたままだ。

 たくぴはソファーに飛び込んでごろごろ転がる。なにしてるんだ、この男は? 頭がおかしい。コーヒー渡したくらいでバグるな。

るか:あっ、豊臣秀夫だ

 テレビに豊臣秀夫が映っている。たくぴはピタッと動きを止める。豊臣秀夫は令和の今太閤と呼ばれている。ネクストワールドというAIの社長をやっていて、たくぴと同い年だ。かたやヒキニート、かたや社長。あいつの言っていることは全部デタラメ。詐欺師だってたくぴは言ってる。でもこの前この人の『豊臣語録』という本が三〇〇万部売れたってニュースになってた。たくぴ以外にも嫌っている人は多いけど好きな人も多い。しょっちゅう発言が炎上しているけれど人気はむしろ炎上するたびに大きくなっている。本人も「アンチは味方」と言っている。

るか:ラグビーチーム買収だって

たくぴ:静かにしてくれ

豊臣秀夫:いちじるしい近代化を行いながら他の先進国が体験している事実が存在しない点において日本は評価されています。しかし同時にパラダイム転換が非合理な理由で行われました。日本礼賛のすべてが間違っているわけではありませんが強いリーダーを望む誤った理由が政治レベルでは合理性を持ってしまっています。現代日本に生きるアナーキストは満足するべきですね。文化に依存したプレゼンスによって規則や基準なしに進む対立合理性が言語的に不明確になっているのだから。これを議論したいのであれば西洋的なリーダー像のイメージを輸入しなければならないでしょう

 たくぴはふっと鼻息をもらす。テレビも消す。あんなやつ詐欺師に決まっている。そんなことを言っても豊臣秀夫は何千億も稼いで、本も売れて、ラグビーチームを買収している。たくぴは庭師の人にコーヒーを出しただけで猿になるぐらい脳が焼ける。人としての価値は月とスッポン。もちろん月はたくぴ。だって月に値段はついてないもんね。ノープライス。

 庭師の人がお昼を食べていてもたくぴはゲロ吐く寸前まで緊張していたから水しか飲まなかった。というか飲みまくった。夕方にはおしっこを出しすぎてフラフラになっていた。体の水分三回ぐらい入れ替わったんじゃないかな。荷台を枝と葉っぱでいっぱいにしたダンプカーも同じくらい家の前を行き来した。

庭師の人:ありがとうございました

 夕方に仕事を終えた庭師の人が玄関のドアを開ける。たくぴは玄関に出る。

たくぴ:ごくろうさまです

庭師の人:またなにかあったらいつでもご連絡ください

たくぴ:はい、ありがとうございました

 庭師の人が頭を下げてドアを閉める。

たくぴ:あっ

 玄関のドアの擦りガラス越しに、庭師の人がかがんで玄関に置いたジョージアエメラルドマウンテンの空き缶を拾う姿が映る。たくぴはあわあわして、出ていって止めるべきか、出ていかざるべきか迷う。

るか:いっちゃいな

たくぴ:忘れていたわけじゃない。あの人たちが帰ったら外の水道で洗おうと思ってた

 ダンプカーのエンジン音が玄関のドアを揺らす。

たくぴ:仕事している時に洗ってたら負い目が湧くだろ

るか:もう遅いね

たくぴ:枝を切ってる時にさ、背中で空き缶洗ってる音がするんだ。しかもそれはさっき自分たちが飲んでたやつでさ

 ダンプカーがガルガルと音を立てて走り去る。ざらざらした沈黙。たくぴは猿から人間に戻る。人がいなくなったら正気に戻りやがったぜ、こいつ。そわそわしていた体も落ち着く。

たくぴ:腹減った。昼なんにも食べてない

 たくぴはキッチンへ行くとボウルに小麦粉を出す。だいたい目分量だ。そこに水とドライイーストを入れてこねる。五分ほどこねて、塩ひとつまみ。生地がべとつくようなら、さらにひとつまみ。生地がまとまったら丸く固めてラップで包み、レンジでチン。そのあいだに玉ねぎ、ウインナー、パイナップルを切る。生地をレンジから出すと手で伸ばして、ケチャップを塗り、玉ねぎ、ウインナー、パイナップルをのせ、チーズをふりかけてオーブンへ。生地をこねる前から予熱していたので中は250℃に温まっている。

るか:たくぴの計画性って人生にちっとも生かされないね

たくぴ:ありすぎるから困ってる

るか:もしたくパパが死んだらどうする?

たくぴ:兄ちゃんが跡を継ぐ

るか:たくぴは?

たくぴ:どのルートを行っても結末は一緒なんだぜ?

るか:結末までの道のりってあるよね?

たくぴ:もしるかと出会わないルートだったら、とっくに自殺してるね

 たくぴ……ぎゅーってしてやる。と思ったら、たくぴはすっと私の手をすり抜ける。死ね……計画性。

るか:なんでもお見通しか?

たくぴ:ピザが焼けるから

るか:ピザよりぎゅーっだろ

たくぴ:生地がふくらんできた

るか:心がしぼんでもいいのかバカヤロー

 ぎゅーっ。不意打ちのぎゅーっ。これも計画のうちか? 脳が破壊されるだろ、いいかげんにしろ。このままでは頭がバカになってしまう。私はたくぴの腕から風のように脱出。

るか:いきなりぎゅーってセクハラなんですけど

たくぴ:炎上したっていい

るか:アカウント持ってないくせに

たくぴ:燃えるためだけに作ってもいいんだぜ

るか:自分がいまなにを言ってるか分かってる?

たくぴ:分かってない。ノリで言ってる

 チーン。オーブンのタイマーが鳴る。

たくぴ:あちち

 たくぴはなんにも分かってない。ピザを取り出そうとして指が天板に触れてしまったたくぴを私は見る。

『登録者数99999999人のユーチューバーアイドル花山るかの熱愛発覚!』なんてニュースが流れたら炎上どころかインターネットが爆発しちゃう。別に爆発してもいいけど、この家は週刊誌のパパラッチに囲まれちゃうよ。ワイドショーのカメラも来るよ。分かってる、たくぴ? 庭で枝を切るよりすごいことになるよ。たくぴがいるって知られたら世界は放っておかないよ。体の水分なんて十回ぐらい入れ替わるんだから。

 育ちのいいたくぴは手づかみでピザにかぶりついたりはしない。ナイフとフォークで食べる。

るか:ねぇ、ハワイ

たくぴ:またそれか

るか:行きたいくせに

たくぴ:行く資格がないから行けないんだ

るか:パイナップルをのせたピザはハワイアンピザって言うんだって

 たくぴはテーブルの中央に置いてあるペッパーミルを手に取ると、それをひねってピザにコショウをかける。

るか:つまりそれってさ、たくぴはハワイに生きたくてしかたないってこと

たくぴ:ハワイアンピザは珍しくない。三日前にも食べた

るか:フロイト先生なら、たくぴのハワイへ行きたい欲求がピザになって表れたって言うね。この世に無意識なんてなくて、すべては形を変えて表出する。この世に隠されたものなんてなにひとつないんだよ

たくぴ:明日は違うの作る

るか:また作るけどね

たくぴ:パイナップル食う?

 ピザで使わなかったぶんのパイナップルがお皿に詰まれている。たくぴは指で一枚つまんで、それを食べる。ハワイの匂いが私の鼻に入り込んでくる。

 私はパイナップルの空になった缶を見る。それはキッチンで洗われて、逆さに干されている。原産地のところには台湾の二文字がある。

たくぴ:台湾ってどこにあるか知ってる?

るか:どこ産かは大事なことじゃない。パイナップルはハワイなんだよ。たとえ台湾でもアラビアでも南極でもパイナップルの香りは世界中どこからでもハワイにつながっている

たくぴ:原産地はブラジルだって

 食事中にスマホをいじるマナー違反のいじわるたくぴ。ブラジルのカバに蹴られろ、バーカ。

 ピザを食べた後は紅茶タイム。茶葉はリプトンのイエローパック。一度湯を入れて二〇秒待ち、カフェインを抽出させてから湯を捨て、ふたたび湯を入れるのがたくぴ流。中学の時にイギリスから来た英語の先生がそういう淹れ方をしてるって聞いてから、それが唯一の正しい紅茶の淹れ方だってたくぴは信仰している。砂糖と牛乳を入れて、ちょっとぬるくなったのを一分以内に飲み切る。これもたくぴ流。イギリス人でもないのにマナーにきびしい。でも時々考えたりしてるみたい。あれはもしかしたら、なにも知らない日本の中学生をからかったジョークなんじゃないかって。特に熱々の紅茶で喉の奥がヒリヒリ焼けている時なんかにはね。

るか:あ~そういうことか

たくぴ:なに?

るか:紅茶の原産国は中国だけど、紅茶のイメージはイギリス。それってイギリスが紅茶のイメージを生産してるってこと。つまり想産国

たくぴ:へんな造語作るな

るか:パイナップルも想産国はハワイ。だから原産国はどこであろうとパイナップルはハワイなんだよ

たくぴ:へーへー分かりやした

 たくぴは洗いものを済ませると、戸締りをして日課の散歩をする。私も一緒に行く。ブルートゥースのイヤホンを半分こして同じポッドキャストを聞く。

 たくぴはすごく速く歩く。速いというよりは大股で歩く。こうすると時間あたりの歩数が稼げるんだって。ポイ活アプリのカウント上限二万歩を二時間かけて歩く。一〇〇〇歩ごとにポイントが加算されて、広告を見るとポイントが六倍になるから途中で休憩&広告タイムがある。

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 たくぴに関係ない広告がいくつも流れる。たぶん広告からなにかを買ったことって一度もないんじゃないかな? たくぴは画面をじっと見つめてスキップボタンが出るのを待っている。ムダな時間ゼロでスキップ、次の広告、スキップ、次の広告、スキップ、次の広告、スキップ……もはや何の広告が流れているのか分からなくなる。今夜は月が出ていない。なんてことを私は考える。

イヤホン:‥‥‥でね。ナルドーの食べすぎで冒険隊は食欲を満たしながら、そして大量のうんこを毎日出しながら餓死していったわけなんですよ、これってすごくないですか?

 さっきまで聞いていたポッドキャストの音声が耳に入ってくる。

イヤホン:この話が面白いのは現地に住んでいる人、原住民の人たちは普通に暮らしているってことなんですよ

るか:行く?

たくぴ:うん

イヤホン:いや、あなた、死んだ人のことを面白いとか、そんなこと言っちゃいけません

 私とたくぴは月のない夜を歩く、歩く、歩く。風で冷えた体もすぐに暖まる。

イヤホン:ちょっと冷静に考えてみてください。たとえばもしアメリカ人が日本に来て、サイフとかスマホとか落っことして、なにも分からなくなって、まぁそれってたしかに大変なことなんですけど、でもそれで何日か後くらいにパタッと餓死したらどう思います? バッカだなーって思いません?

るか:今日はそっち?

たくぴ:うん

 たくぴは週に三度、散歩の途中で神社へ行く。鳥居にぶらさがって懸垂するのだ。腕だけじゃなくて、足を上げて腹筋も鍛える。どれもごく短い時間だけど、たくぴはへろへろになって息をハーハー吐く。筋トレが終わったら二人でおまいり。お金は持っていないからお賽銭はなし。

 二時間歩いた私とたくぴは家の近くまで帰ってくる。すると道の向こうから知っている影が歩いてくる。

三好さん:あぁ、こんばんは

たくぴ:こんばんは

三好さん:毎日がんばんりょんでぇ。お父さん元気にしょん?

たくぴ:はい

 声をかけられたので、たくぴは足を止めてイヤホンを耳から取る。

 三好さんは散歩中に出会う謎の老人で、なぜかたくぴのことを知っている。たくぴ以外のことも知っている。たとえばたくパパのいとこのお嫁さんの妹の息子さんが通っている習字教室の先生が高校生の頃に通っていたアルバイト先の店長の孫がおばあちゃんの介護施設に行った時にオレンジジュースをこぼした事件まで知っている。インターネットでは絶対に知ることができないローカルネットワークの権化みたいな存在だ。外見はカラッとした好々爺で、赤ら顔。根元まで白い前髪を真上に立てている。誰からも好かれていそうで、いつも笑っている。

 実のところ三好さんが三好さんかは分からない。ずいぶん前に家に入っていくところを見て、別の日にその家の前を通ったら表札に三好とあったから三好さんと認識しているだけで、本当は別の名前かもしれない。町内でならどこにでも出没して、いつもどこかに行っている雰囲気がある。

 三好さんは一〇分ぐらい喋りに喋る。そのあいだにたくぴは「うん」とか「はい」とか「そうなんですか」と相槌を打っている。それ以外の言葉を口にしないが三好さんはどんどん喋り続ける。


三好さん:ナベシマがつぶれたらしいけど、ほうなったらますます景気ようなるなぁ。徳島県で大きいとこいうたらもうお父さんのとこだけでえなぁ?

たくぴ:はい

三好さん:サイトウ君もがんばりよ。じゃあ

たくぴ:じゃ

 ようやく話が終わり、三好さんはどこかへ行く。

るか:たくぴは徳島県のドア業界なんて知らないから、もし聞かれたらどうしようかってドキドキだったね

たくぴ:二代目のボンボンと思ってるんじゃないか?

るか:いつもあれだけ喋るのに「お仕事は?」って即死級の言葉が出たこと一度もないもんね

たくぴ:ヒキニートなんて常識外れの存在だから想像もしていないんだろう

るか:いまから追いかけてたくぴの正体教えにいこっか?

たくぴ:俺は普通を愛してるんだ。誰かの普通を壊したくない

るか:やめちゃえばいいのに

たくぴ:そうしたいよ、本当に

 たくぴは家に帰るとすぐお風呂に入る。たくぴの肉体は毎日二万歩歩いて、神社の鳥居で懸垂してるせいか筋肉モリモリゴリラというわけではないけれど無駄な肉が付いていない、かといって貧弱ではなく筋肉の盛り上がりがそこここにある引き締まった体をしている。別に体が好きってわけじゃないけど、たくぴが良い体をしているのは嬉しい。

たくぴ:えっ

 たくぴが体を洗っているところに私も侵入。あわてるたくぴに私はご満悦。二人とも体を洗った後は湯船に重なって入る。社長の家でも湯船は一人分なのだ。

スマホ:はっきり言って人間はザコです。無人島に何の準備もなく猫と人間を投下したら、猫は三か月後でも生きているけど、人間は死にます。これはもうほぼ確実と言ってもいいぐらい。いや、ロビンソンクルーソーとかあるじゃんって言うけど、あれって現実の裏返しで、普通はありえなからこそ物語になるんです。じゃあどうして人間が地球を支配しているのかと言うと……

 ドアの向こうから音量を最大にしたポッドキャストの声がする。

るか:もし人類が滅んで私たちだけになったらどうする?

たくぴ:子どもつくる

るか:何人?

たくぴ:五〇億

るか:マンボウでも無理だよ

 たくぴの珍回答で私の笑い声が浴室に響く。

るか:五〇億はいいけどどうやって育てる?

たくぴ:それぐらいいないと元に戻らない

るか:地球の人口ってもっといたような

たくぴ:それぐらいでちょうどいいよ

 たくぴはお風呂を出る。ソシャゲの体力が回復しているので消費。ログボは朝に取っているし、イベント周回も済ませているから他の人と話すのがメイン。でも今日は他の人がログインしていないので五分で切り上げる。それが終わるとポイ活アプリで広告を見て、今日歩いた分のポイントを六倍にしていく。

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 たくぴはじっと画面を見つめスキップボタンが出現するとゼロタイムでプッシュ。次の広告、スキップ、次の広告、スキップ、次の広告、スキップ……こうして一日が過ぎていく

つづきは本編で

DQNとヤンキーと不良、そして小説=ヤンキーについて

DQN(ドキュン)とは平成ネットスラングの一つで『目撃!ドキュン』に出てくるヤンキーみたいな人のことをさす。ヤンキーともかぶっているところはあるが、よりアウトローで常識外れの人をDQNという。その代わりにヤンキーはDQNが出てきたことによってアウトロー感が薄れてマイルドヤンキーという一昔前ではヤンキーとはいえないような人がヤンキーの大半を占めている。ガチのギャングがDQNで、ファッションでギャングやっているのがヤンキーみたいな感じ。でもDQNは『目撃!ドキュン』がもうやっていないから、ふたたびヤンキーに言葉の意味を巻き取られていくと思う。

DQNもヤンキーも昭和でいう不良である。どんな言葉にも寿命はあるようで、不良とは最近は聞かなくなった。教科書か教本ぐらいのフォーマルなところでしか使われないのではないか。あとは体調不良。でもこれは不良の言葉とは関係ない。体調ヤンキーだと不良と違って元気そうなイメージがある。体調DQNはちょっと想像できない。

そんな言葉遊びはおいておこう。

『たくぴとるか』にはDQNが出てくる。推敲していて「あれ、DQNってそういえば最近聞かないな」って気付いたのである。でも作中に出てくるのがヤンキーだとしっくりこなくて、これDQNだよなぁ、う~ん、ヤンキーはDQNの意味を包括しているからヤンキーにするべきか……と迷っていたが結局DQNにしてしまった。10年後にはヤンキーと書き直しているかもしれないが、今はまだDQNがしっくりくる。

実在のヤンキーはともかく、創作としてのヤンキーはすでにひとつの文化である。伝統芸能に近いものがある。なんなら私だって好きである。すべてのマンガ雑誌からヤンキーマンガが消えるなんて、ちょっと想像できない。あ、でもヤンキー小説ってあんまり聞かないよね。なぜなんだろう? やはりヤンキーはファッションであり、ヴィジュアルがなければ成立しないのだろうか。

ヤンキーの魅力は既存の秩序に挑戦するバサラ的なところだと思っているが、それならむしろ小説の方が戦える分野のはずだ。なのに、ヤンキー小説は驚くほど少ない。ヤンキーマンガで検索するといくつか出てくる。最近のだと『東京リベンジャーズ』が上の方にある。でもヤンキー小説はネット小説なら出てくるが出版社から出ている小説は0だ。下の方にヤンキーとタイトルがついているのは出てくるが、ヤンキーに好かれるっていう少女マンガの文脈でのヤンキー小説(?)だ。これはどういうことだろう。

そう考えてみると、もはや小説自体がヤンキーなのではないかという説をひらめいた。魂がヤンキーならヤンキーである必要はない。前衛的な小説ほどそうなっていく。私の小説は前髪が立っているだろうか? 分からない。でも俺の小説で世界をぶん殴ってやるぜって気概はいつも持っている。なかなか当たらないけどね。そろそろぶっ倒せそうな気がする。次はヤンキー小説書いてみようか。

(おわり)

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↓ファッションでヤンキーしてる小説


小説のタイトルは『たくぴとるか』か『天使がいた夏』か

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いま書いている小説の仮題は『たくぴとるか』である。このままでいいと思う。でもこの手の話題でありがちなのが、作者は長期間同じものを見ているから愛着が湧いているが、始めて見る読者はまったく意味が分からないということある。

まず、たくぴ、と、るか、と読めない人がほとんどだと思う。これが『たくやとるか』ならほとんどの人はそう読めるだろうが、たくぴは人名ではなかなか見ないつづりなので、たくぴとるか、と一続きに読んでしまう可能性はある。

だいたい、ぴ、ってなんだ。ギャルしか分からんだろ。たくぴはたくやの"や"が"ぴ"に変わっているのだが作中でもなんの説明もなく”ぴ”になっている。たくやが出てくるところは、たぶん両手の指で数えられるんじゃないかな? 題名もそうだけど作中も不親切だ

でも作中で

たくぴ:だいたい、ぴってなんだよ
るか:たくやがぴになって、たくぴなんだよ

みたいな会話を入れるのダサい。むしろなんの説明もなくたくぴである方が、この世界はそういうものなんだって受け入れられるんじゃないかな? 理屈で考えれば不親切だけれど、もっと読者の知能を信頼するべきだ。と言うのは甘えだろうか?

『たくぴとるか』通じない問題の解決策は読者がイメージしやすい題名にすること。『天使がいた夏』なんてどうだろうかなんて思いついたけれど、こんなの講談社文芸文庫にありそうな前世紀の文学の題名みたいだ。トマス・ウルフの『天使よ故郷を見よ』っぽい。というか題名のイメージはここからパクった。

『たくぴとるか』という文字列の呪術っぽい響きと見た目は気に入っている。おまけに内容もたくぴとるかそのものを表している。ただし、それは中身を知っている人でなければならないという欠点がある。もし神様がいて、この小説を絶対にベストセラーにしてくれるなら『たくぴとるか』にする。しかし、神なしでベストセラーにしたいなら、まず表紙の段階で読者になんらかのイメージを喚起させる必要がある。それなら『天使がいた夏』だ。題名だけで内容は分からないが、夏に天使となにかするんだろうなってのは類推できる。

でもどうしても『たくぴとるか』は捨てられなかったので『天使がいた夏』はサブタイトルにして『たくぴとるか:天使がいた夏』にした。これなら物語の中心たくぴとるかを表して、なおかつ読者にイメージを喚起しやすいはず。よし、新しい小説はこれでいこう。

(おわり)

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手応えは自分が自分に仕掛けた詐欺かもしれない

『たくぴとるか』の仮書きノートからwordへ打ち込んでいる。1日に20ページ打てたらいい方で10ページ以下の日もあって、そんなときは今日は書けなかったなと落ち込む。それはともかくぐちゃぐちゃのノートから文章を抜き出してwordに打ちこむと文章が光って見えるのは不思議だ。まっ、パソコンの画面は本当に光っているんだけどね。

仮書きノートは189ページなので1日に平均15ページとしても14日かかる計算になる。最初の数日はすごく調子の良い日があったら1日で書けちゃうんじゃないかとか思ったり、逆に調子が悪くて数ページしか書けなかった時は一生終わらないって絶望したり、でも長い目で見れば当初の目論見通りに進んでいる。やっぱり執筆って物理法則で動いている気がする。いま主流のLLMがそうなるかは分からないがAIで小説を書く日は必ず来ると思う。その時代ではプロットを数式で書くだろう。私なんかは出る幕ないな。

なんで令和になってもノートと万年筆で執筆しているのか。wordも手書きも書く速さは変わらない。でも、どうせ後でwordに打ちこむなら最初からwordで打ちこめばいいのに。目に見えるところだと2週間の時間をコストとして払っているし、もしかしたら執筆中にも見えないコストを払っている可能性はある。事実、ノートに書くようにしてから刊行ペースは落ちている。

それでもノートに書くようにしてからちゃんと文字や文章をがっちり心の手で使っている感触がある。だからノートに手書きする方が正しいんだ、ってつい数日前まで思っていたのだが”見るだけ整体”という本を読んで、もしかしたらこれは自分で自分をだましているんじゃないかって不安になってきた。



この本を読んで、かなり体の動きが良くなった。良くなっただけでなく動きが軽いのである。こう、なんていうか手応えみたいなものなしに動ける感じ。いままで無駄な力が入りすぎていたのだなって分かった。ということは、もしかしたらノートに手書きしているときに感じている手応えが無駄な動きという可能性もあるわけだ。これを抜くことができたらもっと小説を書けるようになるんじゃないか?

無駄なものを削れっていうのは文章でも同じだ。”手応え”って無駄なんだろうか。それとも実際に文章に貢献しているんだろうか。手書きするサンクコストで貢献していると思い込みたいだけなんじゃないか? 疑おうと思えばいくらでも疑える。逆に手書きからwordに変えた時だってある種の”手応え”で「令和にもなって手書きするやつなんてアホだぜぇ!」となることも考えられる。

手書きの方がいいというネット記事もあれば、変わらないという記事もある。実はPCでも手書きでもなくスマホで書くのが正解かもしれない。そういえばドストエフスキーは口述筆記だな。小説を書くと一口に言ってもいろんな書き方がある。私たちはなにが正解か分からないから、自分がやりたい、あるいはやれる方法で書いていくしかないのだろうな。唯一の救いはどういう書き方をしても、書き続けていればいつか小説は書き終わるということだ。

今週も熱狂と絶望を繰り返しながら『たくぴとるか』をwordに打ちこんでいる。

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