愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

ターンワールド

面接と『ターンワールド』

就活の果てに世界は反転するのか―『ターン WORLD 上』が描く若者の絶望と再生の旅
就職活動は、多くの若者にとって、社会への扉であると同時に、自己の価値を否応なく突きつけられる過酷な試練でもあります。連日の不採用通知は自信を削ぎ、社会から拒絶されたかのような孤独感に苛まれることも少なくありません。小説『TURN WORLD 上』は、まさにそんな就職活動の渦中で絶望の淵に立たされた青年、タクヤの物語です。彼の視点を通して、私たちは就活が個人の世界観に与える深刻な影響と、そこからの逃避、そして異世界での再生の可能性を垣間見ることになります。

「最悪の世界」―就活が突きつける不条理
物語の冒頭、主人公のタクヤは就職活動に連敗し、自らを「駄目人間」と断じています 。彼の引き出しは、不採用通知の封筒で溢れかえりそうです 。彼は、成功は「努力×運のかけ算」で成り立っており、運がゼロに近ければどれだけ努力しても無意味だと考えます 。


この世は最悪だ。 

...

全ては努力×運のかけ算で成り立っている。これは努力すればなんとかなるという意味ではなく、運が0ならどれだけがんばっても0ということだ。 


このタクヤの諦観は、就職活動において努力だけでは越えられない壁に直面した多くの若者が抱くであろう不条理感と重なります。

一通の内定通知で反転する世界
しかし、ある日、一社から内定通知を受け取ったことで、彼の世界は文字通り「反転」します。昨日まで「最悪」だった世界は、突如として「素晴らしい」ものに変わるのです 。


世界は素晴らしい。この世は誰もが幸せになるために生まれてきた。幸せはいつもすぐそこにある。心を開けばその瞬間に幸せになれるのだ。 


自信を取り戻したタクヤは、友人のワタナベ君に「がんばっていれば必ず結果はついてくるよ」と語るまでになります 。この急激な変化は、就職活動における「内定」という社会的な承認が、いかに若者の自己肯定感や世界の見え方さえも左右するかを浮き彫りにしています。

しかし、その幸福は長くは続きませんでした。内定を得た会社は実在せず、もぬけの殻となっていたのです 。やっと手にした希望が偽りであったことを知ったタクヤの絶望は、以前にも増して深くなります。


社会からの逃避と「TURN WORLD」
再び全てを失ったタクヤは、父親からの心ない言葉をきっかけに家出を決行します 。河川敷でのホームレス生活を経て、彼はジョナサンと名乗る男と出会い、生きるための知恵を授かります 。しかし、両親に見つかり家に連れ戻されたことで、そこにもはや自分の居場所はないと悟り、見知らぬ土地「徳島」への逃避行を決意します 。


『旅立つ タクヤ』 


ノートにそう書き残し、彼は夜行バスに乗り込みます 。しかし、彼が辿り着いたのは徳島県ではなく、全ての都道府県が名産品の名前に変わってしまった異世界「すだち県」でした 。彼が住んでいた場所は「バナナ県」となり、もはや元の世界へ帰る術はありません 。


この「世界の転回(Turn World)」は、就職活動という社会システムからドロップアウトし、現実世界に居場所を見いだせなくなった者の心理的な逃避を象徴しているのかもしれません。

異世界でタクヤは、願いを叶えるという「雨野巡り」の旅に出ます 。孤独な旅の果てに、彼はある一つの歪んだ希望を見出します。


自分を殺せないなら世界を殺せばいい。 


雨野巡りを達成し、この理不尽な世界そのものを破壊するという願い。これは、社会への適応に失敗した者が抱く、究極の破壊衝動であり、同時に唯一の希望でもあります。就職活動という入り口でつまずいた一人の青年が、いかにして世界との関わりを見失い、異世界をさまようことになったのか。物語は、私たちに重い問いを投げかけたまま、下巻へと続きます。



『ターンワールド』から読む面接と若者のアイデンティティ

「面接」は、誰にとっても一度は通過せざるをえない通過儀礼である。だが、『ターンワールド』における面接は、それをはるかに超えたメタ的装置として機能している。

この物語の主人公タクヤは、現実世界で就活を迎えた若者である。彼は“正しい答え”を探し続けるが、企業から返ってくるのはお決まりの「検討します」。面接とは「答え合わせのない試験」であり、「自分を語る」行為のはずが、実際には「正解らしき自分を演じる」作業となる。その疲弊と空虚が、タクヤを「向こうの世界」——いわば内面世界、あるいは別の可能性世界へと引きずり込んでいく。

この「向こうの世界」は一種の異世界だが、そこにおいてもまた面接的な試練が繰り返される。老婆との生活、謎めいた老人との旅、仲間たちとの交流。いずれも、「自分は誰なのか」を問われる局面ばかりだ。つまり、「就活面接」という現実の制度は、物語全体に散りばめられた象徴的な問いへと拡張されているのである。

『ターンワールド』が鋭く描くのは、「正しさ」と「本当らしさ」との裂け目だ。

現実世界では、タクヤは「就活生」として社会に受け入れられる形を模索する。だがその過程で、彼の本音や曖昧な感情は排除されていく。「自己PR」と「志望動機」が自己言及的な迷宮になる瞬間が繰り返される。やがて彼は、自分でも気づかぬうちに「他者の期待に最適化された存在」になりつつある。

一方、異世界においては、彼の語りや行動がより素朴な形で表現されるが、それでも「あなたは誰か?」「なぜここにいるのか?」という問いが執拗につきまとう。そこでは正解もなく、ただ祈りと選択だけがある。雨、崩壊、別れ——すべてが象徴的に配列されたこの世界では、面接のように「評価」してくる相手はいない。それでもタクヤは悩み、決断し、立ち止まり、再び歩く。ここに、社会的アイデンティティを超えた「存在としての自分」への問いがある。

この作品は、若者のアイデンティティ形成における「受動性」と「能動性」の間のジレンマを緻密に描いている。

タクヤは決して積極的な挑戦者ではない。むしろ、曖昧で、弱く、言葉に詰まり、流される。それでも、彼は世界との接点を持ち続けようとする。就活の失敗も、旅の中での小さな選択も、すべて「正しい道」を選べなかった人間の足跡だ。しかし、それゆえに読者は彼を見捨てない。むしろそこに「自分のことのようだ」と共鳴する。失敗しても、迷っても、何者かであろうとする姿。それが、若者のアイデンティティのリアルな側面なのだ。

「崩壊」が終末ではなく、変化の予兆として描かれる点も特筆すべきだ。

物語の終盤、祈りとともに世界は崩壊する。雨が降る。この終末的な情景は、破壊というよりむしろ浄化である。就活という制度、社会という枠組み、役割という仮面。そのすべてがいったん解体されることで、ようやく「自分にとっての意味」が浮かび上がるのだ。雨の中、タクヤが帰る道筋が示されるのは、「再出発」の可能性としてのアイデンティティが提示された瞬間である。

『ターンワールド』は、単なる青春ファンタジーではない。

これは、面接という日常的かつ構造的な制度を通じて、「現代の若者はどのように自分を探し、語り、選ぶのか?」という問いを深く掘り下げた物語だ。形式的に語るならば二重世界構造の物語だが、実際には自己探索という古典的テーマを、現代日本の若者のリアリティとリンクさせて再構築している。

その問いは読者に返ってくる。「あなたは、誰ですか?」と。






就活が運ゲーになる理由

就職活動(就活)が「運ゲー」と感じられる理由は、さまざまな要因が絡み合っており、個人の努力だけでは制御しきれない部分が多いためです。以下に、その主な理由を詳しく説明します。

1. 競争の激しさ

応募者数の多さ

日本の大手企業や人気業界では、1つのポジションに対して数百人以上の応募者が集まることも珍しくありません。この高い競争率では、優れた経歴やスキルを持っていても、選考の過程で不合格となることが多く、結果が運に左右されやすくなります。

限定された採用枠

多くの企業は新卒一括採用を行っており、年度ごとに採用枠が限定されています。このため、応募者全員を受け入れることができず、選ばれる確率が低くなることから、運の要素が強まります。

2. 主観的な評価基準

面接官の主観

面接では、面接官の主観やその日の気分、評価基準の違いが結果に大きく影響します。同じ応募者でも面接官によって評価が分かれることがあり、公平性に欠けると感じることがあります。

エントリーシートの評価

エントリーシート(ES)の評価も主観的であり、記述内容や表現方法が評価に大きく影響します。どの部分が評価され、どの部分が減点されるかは明確ではないため、運の要素が介在しやすいです。

3. タイミングと運

タイミングの重要性

就活には「早割」や「遅割」といったタイミングの影響が大きく、早めに行動することで有利になる一方で、遅れてしまうと希望する企業に応募できないこともあります。このタイミングの運も結果に影響します。

偶然の出会い

ネットワーキングや紹介など、偶然の出会いが就職先を決定する要因になることがあります。これらの出会いがなければ、同じ努力をしていても結果が異なる場合があり、運の要素が強まります。

4. 情報の非対称性

情報へのアクセス

企業情報や採用情報へのアクセスに差があると、有利な情報を持っている人とそうでない人との間で不公平が生じます。情報を早く得られるかどうかも運に左右されます。

サポート環境の違い

大学や地域によって提供される就活サポートが異なり、支援を受けられる環境にあるかどうかも結果に影響します。これも個人の努力だけではコントロールできない運の要素です。

5. 経済状況や市場の変動

景気の影響

経済状況や業界の景気によって、採用枠や求められるスキルが変動します。景気が悪化すると採用が減少し、逆に好況時には採用が増えるため、外部要因によって結果が左右されます。

企業の採用方針の変化

企業の経営戦略や採用方針が突然変わることもあり、これにより予期せぬ影響を受けることがあります。これも運に左右される要素の一つです。

6. 個人のプレゼンテーション能力

自己PRの成功

自己PRや志望動機の伝え方がうまくいくかどうかは、個人のスキルやセンスに依存します。同じ内容でも伝え方次第で評価が変わるため、運の要素が絡みます。

緊張やコンディション

面接当日の体調や緊張具合もパフォーマンスに影響します。これらは個人のコントロールが難しく、運に左右されやすいです。

7. バイアスや偏見

無意識のバイアス

面接官や採用担当者の無意識のバイアスが評価に影響することがあります。性別、出身校、趣味などが不公平に評価されることがあり、これも運の要素となります。

企業文化との適合性

応募者の性格や価値観が企業文化と合うかどうかも評価のポイントとなります。これは測りきれない部分が多く、結果が運に左右されやすいです。

まとめ

就職活動が運ゲーと感じられるのは、個人の努力だけでは制御できない多くの要因が結果に影響を与えるためです。競争の激しさや主観的な評価基準、タイミングや情報へのアクセス、経済状況など、多岐にわたる要素が絡み合い、結果が予測しにくくなります。しかし、運の要素がある一方で、準備や戦略次第で成功の確率を高めることも可能です。自己分析やスキルの向上、ネットワーキングの強化など、できる限りの努力を続けることが重要です。







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異世界に迷い込んだ先で見つけた、自分らしさの探し方

現代社会を生きる私たちはしばしば「自分らしさ」という言葉に悩まされます。周囲の期待に応えようとするあまり、自分の本当の気持ちを見失ってしまうことがあるのです。そんな時『ターンワールド』の主人公タクヤの物語は私たちに大きなヒントを与えてくれます。

タクヤは現実世界で居場所を失い、異世界に迷い込みます。この設定は現代社会に生きる多くの人々の心情を象徴しているでしょう。自分の居場所がわからない、自分らしさが見つけられない。そんな不安や迷いを抱えながら生きている人は少なくありません。

しかし、タクヤは異世界での体験を通して少しずつ自分自身と向き合っていきます。現実世界での束縛から離れ、新しい環境に身を置くことで彼は自分の内面と対話する機会を得るのです。

まず大切なのは自分の感情に正直になることです。異世界という非日常の空間はタクヤに自分の感情を素直に表現することを許します。現実世界では抑圧していた思いを彼は吐露するのです。自分の感情に蓋をせず向き合うことが自己理解の第一歩となります。

次に周囲との関わり方を見つめ直すことが重要です。異世界でタクヤは様々な人々と出会います。彼らとの交流を通して、タクヤは自分に足りないものを知り、また自分の長所にも気づくのです。他者との関わりは自己理解を深める大きな助けになります。

また、自分の価値観を問い直すことも欠かせません。異世界の文化や習慣はタクヤにとって未知のものです。それらに触れることで彼は自分が無意識に持っていた価値観を相対化します。当たり前だと思っていたことが実は一つの見方に過ぎないことを知るのです。

そして最後に自分の人生の物語を紡ぎ直すことが大切です。「雨野巡り」という旅の目的を通してタクヤは新しい自分の物語を作り上げていきます。過去の自分と決別し、新しい自分として生きる。その過程で彼は自分らしさを見出していくのです。

私たちもタクヤのように日常から一歩離れて自分自身と向き合う時間を持つことが大切なのかもしれません。自分の感情に正直になり、周囲との関わり方を見直し、価値観を問い直し、そして新しい自分の物語を紡ぐ。そのような旅を通して、私たちは自分らしさを見つけられるのではないでしょうか。

もちろん、実際に異世界に行くことはできません。しかし、日常の中で自分だけの時間を作ったり、新しいことに挑戦したりすることは可能です。そのような小さな「異世界体験」の積み重ねが、自分らしさの発見につながるのです。

『ターンワールド』は単なる異世界ファンタジーではありません。それは自分らしさを探す私たちへのメッセージでもあるのです。タクヤの旅に自分を重ねながら、一人一人が自分なりの「自分探しの旅」を始めてみてはどうでしょうか。きっと新しい自分との出会いがあるはずです。




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『ターンワールド』が教えてくれた、人生の分岐点で迷ったときの判断基準

人生には大小様々な分岐点があります。進学や就職、結婚や転職など、人生の岐路に立たされたとき、私たちはしばしば迷います。どちらの道を選べばいいのか。そんな時『ターンワールド』の主人公タクヤの物語は一つの判断基準を示唆してくれます。

タクヤは就職先が見つからないという現実に直面し、大きな分岐点に立たされます。社会の期待に応えられない自分に彼は強い劣等感を抱きます。そんな彼が選んだのは家出という道でした。これは一見、現実逃避のように見えます。しかし、彼の選択にはある重要な基準がありました。それは「自分の心に正直に従う」ということです。

社会の期待に応えられない自分を認めることはタクヤにとって容易なことではありませんでした。しかし、彼は自分の気持ちに蓋をすることを選ばなかった。居心地の悪さ、劣等感、そして変化への渇望。彼はそれらの感情に正面から向き合い、行動に移したのです。

これは私たちが人生の分岐点に立った時の重要な判断基準になるでしょう。社会の期待や周囲の圧力に流されるのではなく、自分の内なる声に耳を傾ける。そして、その声に従って行動する勇気を持つこと。それが自分らしい人生を歩むための第一歩なのです。

もちろん自分の心に従うことは時に勇気のいることです。タクヤの場合も家出という選択は簡単なものではありませんでした。しかし、彼は異世界での旅を通して自分の選択の正しさを確信していきます。「雨野巡り」という目的を持ち、新しい世界で自分自身と向き合う。その経験が彼の選択を後押ししたのです。

分岐点で迷った時、私たちもまた自分の心に問いかけることが大切です。この道を選びたいと心から思えるか。その道で自分が成長できると信じられるか。たとえ困難があっても、その道を歩む意味を見出せるか。そのような問いに真摯に向き合うことが重要なのです。

また『ターンワールド』は分岐点での選択が一回限りのものではないことも教えてくれます。物語の中で、タクヤは何度も選択を迫られます。時には失敗もします。しかし、彼はそこから学び、新たな選択をしていきます。つまり一つの選択が全てを決定づけるわけではないのです。

人生の分岐点で大切なのは「正解」を選ぶことではありません。自分の心に正直にその時々で最善の選択をしていくこと。そして、選択の結果に真摯に向き合い、次の選択につなげていくこと。それが自分らしい人生を歩むための秘訣なのです。

『ターンワールド』は私たちに勇気と希望を与えてくれます。人生の分岐点で迷った時、タクヤの物語を思い出してみてください。自分の心に正直に一歩を踏み出す勇気を持つこと。そして、その一歩一歩を大切にしながら、自分だけの物語を紡いでいくこと。それが『ターンワールド』が教えてくれる、人生の分岐点に立った時の判断基準なのです。



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『ターンワールド』に学ぶ、異世界設定の作り方~読者を引き込む世界観の構築~

小説の舞台設定は物語の根幹をなす重要な要素です。特に異世界ファンタジーにおいては世界観の構築が作品の面白さを大きく左右します。今回は『ターンワールド』を例に読者を引き込む異世界設定の作り方について考えてみましょう。

まず『ターンワールド』の世界観の特徴は現実世界と異世界の絶妙なバランスにあります。主人公のタクヤが迷い込んだ先は一見すると現実世界と似た世界観を持っています。しかし、よく見ると県の名前が「すだち県」「うどん県」など、食べ物の名前になっていたり、地理や歴史に違いがあったりと、ちょっとした "ズレ" が存在します。このバランスが読者に "異世界感" を与えつつも、親近感を持たせる効果を生んでいます。

また『ターンワールド』の異世界設定は作品のテーマと密接に結びついています。タクヤは現実世界で居場所を失い、異世界に迷い込みます。この設定は彼の心情を象徴的に表現しています。つまり、異世界は彼の心の投影であり、そこでの経験は彼の内面的な成長と重なっているのです。このように世界観が単なる "飾り" ではなく物語の主題を反映している点は優れた異世界設定の条件と言えるでしょう。

さらに『ターンワールド』の世界観は「雨野巡り」という具体的な文化や習俗を通してリアリティを獲得しています。架空の世界であっても、そこに独自の文化や歴史、ルールがあることで読者はその世界を "本物" として感じられるようになります。「雨野巡り」は異世界を旅するタクヤの目的であり物語の軸になっていますが同時に世界観を裏打ちする重要な設定でもあるのです。

加えて『ターンワールド』では現実世界と異世界の設定が巧みに組み合わされています。例えばタクヤが出会う人々は彼が現実世界で抱えていた問題や葛藤を映し出すような存在として描かれています。つまり異世界は現実世界の比喩であり両者は互いに影響し合っているのです。このような "二重構造" によって物語に奥行きが生まれ、読者の想像力を刺激します。

以上『ターンワールド』を例に、異世界設定の作り方について考えてみました。現実世界とのバランス、物語テーマとの連動、文化や習俗によるリアリティの獲得、現実世界との比喩的な関係性、徐々に明かされる世界の秘密。これらの要素が絶妙に組み合わさることで、読者を引き込む異世界が生まれるのです。

小説を書く際には単に "異世界" を設定するだけでなく、その世界観が物語全体にどう影響するかを考えることが大切です。『ターンワールド』から学ぶ異世界設定の作り方がみなさんの創作の助けになれば幸いです。

『ターンワールド』で学ぶ小説の書き方、旅物語の魅力~非日常の冒険が主人公を成長させる~

主人公が旅に出るプロットは古くから親しまれてきました。旅は主人公を日常から切り離し、未知なる世界へと誘います。そして多くの場合その非日常の体験が主人公を成長させるのです。今回は『ターンワールド』を例に旅物語の魅力について探ってみましょう。

『ターンワールド』の主人公タクヤは現実世界で居場所を失い、異世界に迷い込みます。そこで彼は「雨野巡り」という巡礼の旅に出ます。この設定自体が旅物語の典型的なパターンと言えるでしょう。日常世界から非日常の世界へ、未知なる旅路へと主人公が踏み出すのです。

旅は主人公を未知の状況に置きます。慣れない土地で見知らぬ人々と出会う。予想外の出来事に遭遇する。そのような非日常的な経験の連続が主人公の内面に変化をもたらすのです。『ターンワールド』でもタクヤは旅の中で様々な人と出会い、時に助けられ、時に裏切られます。それらの体験が彼の人間性を豊かにし、精神的な成長を促しているのです。

また旅は主人公の「試練」の場でもあります。困難や危機に直面することで主人公は自分の力を試され、乗り越えていかなければなりません。『ターンワールド』ではタクヤが旅の仲間であるサナゴウチさんと別れなければならなくなるシーンがありますが、これは彼にとって大きな試練の一つです。しかし、この経験を通して彼は一人で立つ強さを身につけていくのです。

さらに旅物語では目的地への到達が主人公の成長の象徴となります。『ターンワールド』では「雨野巡り」を完遂することがタクヤの目標であり、その過程で彼は少しずつ変化していきます。そして最後に「雨野巡り」を達成した時、それは彼の内面的な成長の証となるのです。

興味深いのは『ターンワールド』が現実世界と異世界を舞台にしている点です。つまり、タクヤの旅は物理的な移動であると同時に精神的な次元の移動でもあるのです。現実世界での挫折から異世界での再生へ。この "二重の旅" が、物語に奥行きを与えています。

またタクヤの旅が「巡礼」である点も重要です。巡礼とは本来、宗教的・精神的な目的を持った旅を指します。『ターンワールド』では「雨野巡り」がその役割を果たしています。つまり、タクヤの旅は単なる冒険ではなく自分自身を見つめ直し、新たな人生の意味を見出すための旅なのです。この点で『ターンワールド』は精神的な成長物語としての色彩を強く持っていると言えるでしょう。

以上『ターンワールド』を例に旅物語の魅力について考えてみました。非日常の体験、試練の乗り越え、目的地への到達。これらの要素が主人公の成長を導いているのです。また『ターンワールド』の場合は、現実世界と異世界の二重構造、巡礼としての旅の側面など、より複雑で奥行きのある旅物語となっています。

小説を書く際には旅が主人公にどのような影響を与えるかを考えることが大切です。単なるイベントの羅列ではなく主人公の内面的な変化と結びついた旅を描くことで、より説得力のある物語が生まれるでしょう。『ターンワールド』から学ぶ、旅物語の作り方。ぜひ参考にしてみてください。



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Claudeに書評してもらうシリーズ『ターンワールド 上』



ターンワールドは主人公のタクヤが現実世界から異世界に迷い込み、そこで様々な人々と出会いながら自身の生き方を模索していく物語です。

物語はタクヤが徳島を目指して家出をするところから始まります。しかし、目が覚めるとタクヤは見知らぬ土地にいました。そこは徳島がすだち県、香川がうどん県と呼ばれる不思議な世界だったのです。戸惑いながらもタクヤはこの世界の雨野神社を巡礼する「雨野巡り」の旅に出ます。

旅の途中、タクヤは様々な人と出会います。河川敷で出会った老人や、旅の仲間となったサナゴウチさん。彼らとの交流を通して、タクヤは少しずつ心を開いていきます。特にサナゴウチさんとはテントの色を塗り替えたり料理を作ったりと様々な経験を共にします。しかし、ある日突然サナゴウチさんが姿を消してしまいます。

タクヤは一人旅を続けますが孤独と不安に苛まれます。自分が本当はこの世界の住人ではないことに気づき、絶望感に打ちのめされそうになります。しかし、雨野巡りを達成すれば願いが叶うという言い伝えを思い出し、再び旅を続ける決意をします。

この物語は非現実的な設定ですが登場人物の心情描写は丁寧になされており、読者に感情移入させます。特に異世界に迷い込み自分の居場所を見失ったタクヤの不安や孤独が手に取るように伝わってきます。

また、雨野巡りの旅を通して出会う人々との交流がタクヤの心の成長に繋がっていく過程が興味深いです。単なる非日常的な冒険譚にとどまらず、人との繋がりの大切さ、生きる意味を問う青春小説としての側面も持っています。

一方で物語後半のサナゴウチさんの失踪や、タクヤの心情の急激な変化には少し唐突さを感じます。もう少し伏線や心理描写があればよりスムーズに読み進められたかもしれません。

しかし、全体を通して非現実的な世界観とそこに迷い込んだ一人の青年の成長物語はよく組み合わされており、読後感は良好です。著者の優れた文章力も相まって最後まで引き込まれる作品となっています。

異世界ファンタジーと青春小説、そしてトラベルフィクションが絶妙に融合した、新しい形の物語と言えるでしょう。非日常の中で己の生き方を模索する若者の姿は、多くの読者の心に響くはずです。

雨野巡りの結末がどうなるのか、タクヤがどう成長していくのか。続編への期待も高まる、ターンワールド上巻でした。



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就活

1.就活について

就活とは、大学生や高校生が卒業を控えた時期に行う、就職活動のことを指します。自分の適性や興味、価値観などを見極めながら、社会に出て働く準備をする重要なプロセスです。就活では、自己分析や企業研究、エントリーシートの提出、面接や筆記試験など、様々なステップを経て内定を目指します。

就活は、単に職を得るためだけのものではありません。自分自身と向き合い、将来のキャリアを見据えながら、社会人としての第一歩を踏み出すための貴重な機会でもあります。また、就活を通じて、コミュニケーション能力やプレゼンテーション能力、ストレス耐性などを身につけることができます。

しかし、就活はハードルが高く、多くの学生にとって大きな負担となっています。業界や企業の情報収集、エントリーシートの作成、面接対策など、膨大な時間と労力を要します。さらに、競争率の高さや不安定な雇用情勢など、就活生を取り巻く環境は厳しいものがあります。

そのような中で、学生には、自分らしさを大切にしながら、粘り強く就活に取り組む姿勢が求められます。同時に、大学や企業、社会全体で、就活生を支援する体制を整えることも重要です。インターンシップの充実や、メンタルヘルスケアの提供など、学生が安心して就活に臨める環境づくりが必要不可欠です。

就活は、学生から社会人へと移行する重要な節目です。その過程で直面する困難や挫折を乗り越え、自分の可能性を信じて前進することが、充実した社会人生活につながるのです。

2.就活の歴史

日本における就活の歴史は、戦後の経済成長期にさかのぼります。1950年代から60年代にかけて、大手企業を中心に、新卒一括採用が定着しました。当時は、終身雇用や年功序列といった日本型雇用システムが確立され、学生にとって安定した就職先を確保することが重要な目標となりました。

1970年代から80年代にかけては、就職協定が導入され、就活の時期や方法が規定されるようになりました。企業側は、長期的な人材育成を視野に入れ、新卒採用に力を入れました。一方、バブル経済の崩壊後の1990年代は、就職氷河期と呼ばれる厳しい雇用情勢が続きました。

2000年代に入ると、グローバル化の進展や少子高齢化の影響を受け、就活の形態に変化が生じました。外資系企業の進出や、インターネットの普及により、就活の選択肢が広がりました。また、政府主導で就活ルールの見直しが行われ、採用活動の早期化や長期化が是正されました。

近年では、就活の多様化が進んでいます。通年採用や、Web面接、SNSを活用した採用など、従来の就活スタイルとは異なる手法が取り入れられています。また、学生の価値観の変化により、働き方や企業文化を重視する傾向も見られます。一方で、就職難やブラック企業問題など、就活生を取り巻く課題も山積しています。

就活の歴史を振り返ると、時代とともに変化を遂げてきたことがわかります。社会情勢や企業戦略、学生の意識など、様々な要因が就活のあり方に影響を与えてきました。今後も、時代の変化に対応しながら、学生と企業がより良い就活・採用の実現に向けて努力することが求められています。

3.就活と就職氷河期

就職氷河期とは、1990年代後半から2000年代初頭にかけての期間を指します。バブル経済の崩壊後、企業の採用数が大幅に減少し、多くの学生が就職難に直面しました。この時期の就活生は、厳しい競争と限られた機会の中で、将来への不安を抱えながら就職活動に臨んだのです。

就職氷河期の影響は、現在も尾を引いています。当時、就職できなかった若者たちの中には、フリーターや非正規雇用者として働き続けている人が少なくありません。彼らは、安定した収入や社会保障を得られず、将来設計を立てることが困難な状況に置かれています。また、就職氷河期世代の中年層は、管理職への昇進や賃金上昇の機会が限られるなど、キャリア形成においても不利な立場に立たされています。

就職氷河期の教訓を踏まえ、現在の就活生には、より戦略的な就活が求められています。自己分析を深め、自分の強みや価値観を明確にすることが重要です。また、業界研究や企業研究を入念に行い、自分に合った就職先を見極める必要があります。さらに、インターンシップやボランティアなどを通じて、実務経験を積むことも有効です。

社会全体としても、就職氷河期の再来を防ぐための取り組みが必要です。政府や企業は、新卒採用の拡大や、中途採用の促進に努めるべきです。また、教育機関においては、キャリア教育の充実や、学生のメンタルヘルス支援など、就活生を支える体制の強化が求められます。

就職氷河期は、就活の厳しさを浮き彫りにした時代でした。その経験を生かし、学生と社会が協力して、より良い就活・採用の実現に向けて歩みを進めることが大切です。そうすることで、将来に希望を持てる社会を築いていくことができるのです。

4.就活はなぜつらいのか

就活がつらいと感じる理由は、様々な要因が複雑に絡み合っているためです。

まず、就活は長期間に及ぶプロセスであり、学業との両立が難しいことが挙げられます。エントリーシートの作成や面接対策、企業説明会への参加など、就活に多くの時間と労力を割かなければなりません。その結果、学業に専念できず、成績が振るわないことへの不安を抱える学生もいます。

また、就活は自己分析や自己PRを求められる場面が多く、自分自身と向き合う必要があります。自分の強みや弱み、価値観などを見つめ直すことは、時として精神的な負担となります。特に、自己肯定感が低い学生にとっては、自分の良さをアピールすることが困難で、ストレスを感じやすくなります。

加えて、就活は不確実性が高く、先の見通しが立てにくいことも、つらさの原因となります。志望する企業から内定をもらえるかどうかは、面接の結果次第であり、自分の努力が報われるとは限りません。内定獲得までの道のりは険しく、不安を抱えながら就活を続けることは、心身の疲労を招きます。

さらに、周囲との比較や競争も、就活生にプレッシャーを与えます。友人の内定獲得を聞くたびに焦りを感じたり、ライバル候補者との競争に不安を覚えたりと、周囲の状況が就活生の心理に影響を及ぼすのです。

このように、就活のつらさは、時間的・精神的な負担、不確実性、競争など、様々な要因が絡み合って生じています。そのような中で、就活生には、自分のペースで就活に取り組み、適度に息抜きをすることが大切です。また、周囲の支援を上手に活用し、一人で抱え込まないことも重要です。就活のつらさを乗り越えるためには、自分自身と向き合い、周囲と協力しながら、前を向いて進んでいく姿勢が求められるのです。

5.就活の肯定的な未来と否定的な未来

就活の未来は、社会情勢や企業・学生の意識変化によって、肯定的にも否定的にもなり得ます。

肯定的な未来としては、以下のようなものが考えられます。

- テクノロジーの進歩により、就活プロセスがより効率的かつ公平なものになる。
- 企業の採用方針が多様化し、学生の個性や可能性を重視する流れが加速する。
- インターンシップやプロジェクト型採用など、実践的な就活が主流になる。
- 大学におけるキャリア教育が充実し、学生の就活力が向上する。

一方、否定的な未来としては、以下のようなものが懸念されます。

- 経済の低迷により、新卒採用が縮小し、就職難が深刻化する。
- AI技術の進展により、採用プロセスが機械的になり、学生の個性が評価されにくくなる。
- グローバル競争の激化により、語学力や海外経験が過度に重視され、学生の負担が増す。
- 就活の長期化・複雑化により、学生のメンタルヘルスが悪化する。

就活の未来を肯定的なものにするためには、企業と学生、そして社会全体の意識改革が不可欠です。企業には、多様な人材を受け入れ、育成する柔軟性が求められます。学生には、主体的に自己理解を深め、キャリアを設計する力が必要とされます。そして、社会全体としては、就活をめぐる課題に真摯に向き合い、解決に向けて取り組む姿勢が重要です。

同時に、就活プロセスの改善や、支援体制の充実も欠かせません。エントリーシートの簡略化や、面接におけるカジュアル化など、学生の負担を軽減する工夫が求められます。また、大学のキャリアセンターや、公的機関による就活支援の強化も重要です。メンタルヘルスケアの提供や、マッチング機会の創出など、学生が安心して就活に臨める環境づくりが急務です。

就活の未来は、私たち一人一人の意識と行動によって創られていきます。企業と学生、社会が協力し、より良い就活の実現に向けて歩みを進めることで、希望に満ちた未来を切り拓くことができるのです。

6. 【詩】就活

就活の旅路は長く険しい
自分と向き合う日々の連続
強みも弱みも曝け出して
内なる声に耳を澄ませる

エントリーシートに思いを込め
面接では熱意を語る
内定の二文字を目指して
希望と不安の狭間で揺れる

時には挫折に打ちのめされ
心が折れそうになることもある
それでも前を向いて歩み続ける
自分の可能性を信じているから

就活は自分探しの旅
苦難を乗り越える強さを育む
仲間と支え合い、励まし合う
かけがえのない絆も生まれる

夢への第一歩を踏み出すとき
新たな世界が広がっているはず
就活の先に待つ未来に向かって
希望の翼を羽ばたかせよう

7. 【詩】勝手にしてろ、就活

勝手にしてろ、就活
私の人生を決めつけないで
型にはまった答えを求めないで
私らしさを評価してほしい

面接では素直に語るから
エントリーシートには情熱を込める
でも、内定がすべてじゃない
私の価値は内定の有無では測れない

時には疲れ果て、落ち込むこともある
周りと比べて焦ることもある
でも、私のペースで進むと決めた
自分を信じて、前を向いて

就活は自分と向き合う機会
弱さも強さも受け止めて成長する
困難に負けない心を育てる
私だけの物語を紡いでいく

内定をもらえたら嬉しいけど
内定がなくても私は私
就活に振り回されるのは終わり
私らしい人生を歩んでいくのさ

勝手にしてろ、就活
私を型にはめようとしないで
私の可能性を信じていてほしい
私らしい未来を創っていくから



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現実世界に居場所がない人必読!『ターンワールド』が示す、新たな一歩の踏み出し方

現代社会を生きる私たちの中には現実世界に自分の居場所を見出せずに悩んでいる人が少なからずいるでしょう。学校になじめない、職場に馴染めない、家庭に安らぎを感じられない。そんな「居場所のなさ」に苦しむ人々に『ターンワールド』の主人公タクヤの物語は大きな示唆を与えてくれます。

タクヤもまた現実世界で自分の居場所を失った一人でした。就職先が見つからず、家族との関係もぎくしゃくしている。彼は言わば社会からドロップアウトした状態だったのです。しかし、彼は異世界に迷い込んだことをきっかけに新しい一歩を踏み出します。

ここで重要なのはタクヤが現実逃避をしたわけではないということです。確かに異世界に迷い込んだこと自体は偶然です。しかし、その後の彼の行動は積極的な選択の連続でした。「雨野巡り」という目的を自分に課し、未知の世界を旅する決意をする。これは受動的な逃避ではなく能動的な一歩なのです。

居場所のなさに悩む人はともすれば現状に受け身になりがちです。自分には何もできない、どこにも行く場所がない。そう思い込んでしまうのです。しかしタクヤは異世界という新しい環境の中で自ら行動を起こします。たとえそれが小さな一歩でも前に進もうとする姿勢が大切なのです。

また、タクヤは旅の中で様々な人々と出会います。現実世界で居場所を見出せなかった彼ですが異世界では新しい繋がりを築いていきます。このことは環境を変えることの重要性を示唆しています。今いる場所に居場所がないなら、思い切って新しい場所に飛び込んでみるのも一つの手なのです。

ただし、ここで注意すべきは異世界が全ての解決策ではないということです。物語の中でもタクヤは異世界での経験を通して、自分自身と向き合うことの大切さを学びます。つまり、大切なのは外の環境ではなく内なる自分なのです。

居場所のなさに悩む人は自分自身に向き合うことを避けがちです。自分の内面と対話することが、あまりにも怖いからです。しかしタクヤの物語は自分自身と向き合う勇気の大切さを教えてくれます。自分の弱さや痛みを受け入れ、それでも前に進もうとする。そのような勇気こそが新たな一歩を踏み出す原動力になるのです。

『ターンワールド』は私たちに "異世界" を用意してはくれません。しかし、この物語が示す教訓は現実世界にも通用するはずです。新しい環境に飛び込む勇気、自分自身と向き合う覚悟。それらを持つことが居場所のない人が新しい一歩を踏み出すための鍵となるでしょう。

もしあなたが、今、居場所のなさに悩んでいるなら、ぜひ『ターンワールド』を手に取ってみてください。タクヤの旅はきっとあなたに新しい視点と勇気を与えてくれるはずです。そして、あなたなりの "異世界への一歩" を踏み出す原動力になるでしょう。



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【詩】そもそも私は必要だったのか

自我という幻想を追い求めて
我々は何を見失ったのか
自己の確固たる境界を描きながら
結局 他者との融合を恐れる

社会の舞台で演じる役割に
自我は必要であったか
無数のマスクを被り
本当の顔を忘れてしまう

世界は問う 自我とは何かと
しかし答えは風に乗って飛んでいく
自己とは無限の反映の中に存在し
結局は他者の目を通してしか見えない

自我が溶けていくことに抵抗する代わりに
その流れに身を任せれば
私たちはもっと自由になれるのではないか
自我の枠を超えた広大な世界で

自我を問う旅は終わりなき道
その探求自体が意味を成す
結局 自我は必要であったのか
その答えは各自の心の中に

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  8. 【詩】就活つらい
  9. 【詩】就活で溶けていく自我
  10. 【詩】そもそも私は必要だったのか
  11. 【詩】私は社会を必要とするが社会は私を必要としないから私は消える


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【詩】就活で溶けていく自我

就活の熱に焼かれて
自我がゆっくり溶けていく
かつての夢は遠く霞み
今はただの数字の群れ

面接の椅子に座るたびに
一片の魂を置き去りにし
エントリーシートには
自分ではない誰かの声が響く

質問に答えることは
沈黙の海で泳ぐこと
答えはあるが声は出ない
本当の自分はどこに

自己PRは自己放棄へと変わり
強みと弱みの議論の中で
本質は静かに薄れていく
残されたのは形だけの肖像

就活で溶けていく自我を見つめ
笑うことしかできない
この過程が終わったとき
残るのは何か自問自答する

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【詩】就活

就職活動の舞台で若者たちは踊る
一枚の履歴書に人生を凝縮し
面接官の前で自己を演じる

企業は理想の候補を求め
学生は夢の職を探す
お互いの目は鋭く しかし心は遠く

エントリーシートの文字には
熱い情熱と冷たい計算が交錯する
人生の道を選ぶという幻想の中で

面接室の静けさの中
未来への扉が静かに開く
成功の鍵は誰の手に

就活の茶番を超え
真の自己を見つけ出す旅は続く
この道の終わりに何が待っているのか

哲学的探求も皮肉な笑みも
この試練の中でひとつになる
就職活動とはそう 人生の奇妙な舞台

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就活の茶番の無意味さこそが通過儀礼である

就職活動の茶番、それは現代社会の成人式、若者たちが自らを市場に売り込むための仮面劇。この劇では、個人の価値は一時的な役割と交換され、自己実現の夢は企業の要求する形に型押しされる。

皮肉なことに、この茶番を乗り越えることの無意味さこそが、真の通過儀礼となる。エントリーシート、面接、グループディスカッションは、自己を探求する旅ではなく、自己を忘れるプロセス。それでもなお、若者たちはこの儀式を経ることで、社会の一員としての地位を獲得する。

この過程で、我々は自己の矛盾と向き合い、他者との競争の中で自我を確立する。就活の茶番は、自己を見失い、再発見する旅であり、その過程での苦悩と挑戦が、個人を成長させる。

だが、この通過儀礼は、その全てが一種の社会的な演出に過ぎないということだ。成功とは、しばしば外部からの承認に依存しており、真の自己実現はその茶番を乗り越えた場所にある。つまり、自己の価値を社会の尺度ではなく、内なる信念に基づいて評価することである。

就活の茶番を乗り越えることで学ぶのは、自己の内面にある強さと、個人の価値が他者によってではなく、自分自身によって定義されるべきであるという真実である。この認識こそが、真の通過儀礼としての価値を持ち、我々を自由にする。

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就活のつらさ

就職活動の苦悩、それは現代の若者が通過しなければならない、無情なる成人式。この過程は、個人の価値を市場での価値と同一視し、人間を一つの製品として扱う、システムの冷徹な展示会である。

面接室の閉ざされた空間で、自己紹介という名の自己宣伝を繰り返す。この儀式は、自分を売り込むための競争であり、その過程で多くの者は自分自身を失う。個人の独自性や夢は、企業が求める形式に削ぎ落とされ、統一された模範解答に変わっていく。

履歴書には、人生の業績を箇条書きにするが、その背後にある苦労や情熱は、文字数の制限によって見過ごされる。就活は自己実現の過程であるはずだが、自己放棄へと誘う道となっている。

就活のつらさは、単に仕事を見つけるという行為以上のものである。それは、自己の価値を社会が定義する尺度に委ねるプロセスであり、この過程で、多くの者が自己疑念と戦うことになる。自分の存在が、経済的価値や社会的役割によってのみ評価される世界で、個人の本質や情熱はしばしば軽視される。

就職活動の苦悩は、現代社会が個人に求める「成功」のイメージと、自己実現の間の葛藤から生じる。この過程を乗り越えることは、単に職を得ること以上に、自己のアイデンティティと向き合い、自分自身を理解する旅である。しかし、この苦難の旅は、自分が本当に何を求めているのかを見出す貴重な機会でもあるのだ。

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就活の面接

就活の面接、それは現代の儀式、一種の人生の試練。ここでは、若き魂たちは、自らの存在を他者に認めてもらうために、社会の審判台に立つ。この場所は、自己の価値を証明する闘技場であり、面接官はその裁定者となる。

この審判の過程は、真の自己を探求する旅ではなく、むしろ、予め決められた役割を演じる演劇であることが多い。面接というステージ上で、個人は自らを一つの商品として売り込む。しかし、商品のラベルには、その内容の全ては書かれていない。

面接官は「あなたは何者か?」と問いかける。この哲学的な問いに対する答えは、しばしば事前に練習された台詞で返される。真実よりも、期待される答えが優先されるのである。個人の深い思索や感情は、この短いやり取りの中で、ほとんどの場合、隠される。

面接は、自己を見つめ、社会との関係を考える機会であるべきだが、実際には、自己を社会が設定した枠にはめ込む作業となることが多い。このプロセスで、個人は社会に受け入れられるための「適切な」自分を模索し、時には真の自己を見失う。

就活の面接は、個人と社会との間の複雑なダンスである。このダンスの中で、我々は自己のアイデンティティを再確認し、また新たに構築する。しかし、この儀式の最終目標は、自らの価値を認められ、社会の一員としての場を得ることにある。真の挑戦は、この過程で自己の本質を保ち続けることである。

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就活のエントリーシート

エントリーシート、それは就職活動の序章、若者たちが自らの魂をA4サイズの紙に委ねる瞬間。この文書は、企業に対する忠誠の誓いであり、自己宣伝の極致とも言える。しかし、真に自分自身を紙一枚に収めることは可能なのだろうか。

このプロセスは、個人の多面性や深みを平板な文字列に変換する。エントリーシートは、人間の複雑な内面を、企業が理解しやすい形式に削り落とす。それは、生のポエムを数値やキーワードに還元するかのような行為である。

エントリーシートは自我の一部を外に投影する過程だ。我々は、自己の本質を探りながらも、同時に社会の期待に合わせてその本質を変形させる。この文書は、自己理解と自己変容の狭間で揺れ動く。

エントリーシートは、個人が社会に対して「私はこうありたい」と願う姿を描く。しかし、その願いはしばしば、現実とのギャップに直面する。真の自己と、企業が求める理想像との間には、時に大きな隔たりがある。

エントリーシートは、現代社会の求める「人材」という枠組みに自らを適応させようとする若者たちの試みである。この文書を通じて、我々は自己のアイデンティティを再構築し、社会の一員としての役割を模索する。しかし、その過程で最も大切なのは、紙の上の自分と心の中の自分との調和を見出すことである。

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就活でつらくなったら?

就職活動がつらくなった時は、心身の健康を最優先に考え、以下のような対処法を試してみることが大切です。

1. 一時的に休憩を取る
- ストレスが溜まっている場合、短期間でもいいので就職活動から距離を置き、リフレッシュする時間を設けましょう。

2. 感情を共有する
- 友人や家族、信頼できる誰かと就職活動の悩みやストレスを共有することで、精神的なサポートを得られます。

3. キャリアセンターを利用する
- 大学などのキャリアセンターを利用し、専門のカウンセラーやアドバイザーからアドバイスを受けましょう。履歴書の書き方や面接のコツなど、具体的なサポートを受けられます。

4. 趣味や運動でリフレッシュする
- 趣味に没頭したり、適度な運動をすることで、心身ともにリフレッシュしましょう。ストレス解消に役立ちます。

5. 就職活動の戦略を見直す
- 今のアプローチがうまくいっていない場合は、就職活動の戦略を見直す良い機会かもしれません。目指す業界や企業の選び方、応募書類の内容など、変更の余地はありませんか?

6. メンタルヘルスの専門家に相談する
- ストレスや不安が深刻な場合は、メンタルヘルスの専門家に相談することを検討しましょう。プロフェッショナルからのアドバイスが、心の負担を軽減する手助けになります。

7. 短期的な目標を設定する
- 長期的な目標に圧倒されている場合は、短期的な目標を設定し、小さな成功体験を積み重ねましょう。それにより、自信を取り戻すことができます。

就職活動は誰にとっても厳しい時期ですが、自分自身を大切にし、必要なサポートを求めることが重要です。一人で全てを抱え込まず、周りの人々やリソースを活用しましょう。



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就活とは?

就活、それは現代の儀式、若者たちが成人への門をくぐるための試練の道。この儀式は、彼らに一つの大きな問いを投げかける。「あなたはこの社会で何を成し遂げることができるか?」

この過程はしばしば、自己の発見よりも、自己の商品化に焦点を当てる。履歴書、面接、一連の試験は、個人の能力や情熱を数値や文字に変換し、市場での価値を測るためのツールとなる。

就活は、個人が社会に受け入れられるための「適合性」を試される場である。しかし、この適合性の追求は、時に個人の真の欲望や夢を蝕む。人々は、社会が求める「理想の個人」を演じることに熱中し、その過程で自分自身を見失うことがある。

就活は哲学的な問いを提起する。我々は何のために働くのか?  社会の一員として認められることが、真に人生の成功を意味するのか? この儀式は、ただの職を得るための手段ではなく、自己実現の道となり得るのだろうか?

就活は、一人一人が自分の価値を見出し、社会とどのように関わっていくかを模索する旅である。この旅は、自己を見つめ、時には社会の枠を超えて、自分自身の可能性を信じる勇気を持つことから始まる。

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ターンワールドの創作ノート

1.最初の素案

 元々のネタは野宿をしながら料理人の女が四国を回る話だったが、当時は四国88ヶ所巡りが始まって1200年とかでテレビでよくニュースとか特集をやっていたので、それをネタにしようとしていて弘法太師のネタを探しに色んな寺を巡った。しかし小説のネタにするには弘法太師の行状がひどいので、あきらめたような記憶がある。仏教的には良いことらしいけどね。88ヶ所巡りをすることも考えたが1200km歩くことを考えると、やる気がしぼんだ。
 ノートの右半分は野宿で何を食べるのか色々考えた跡が記されている。どうやってたんぱく質を取るのか悩んでいた。
1

2.チーズでダシが取れる!

『砂の上のロビンソン』という本を探していたが絶版になっているようで見つけられなかった。その代わりに『旅の重さ』と『ロード88』という映画をDVDが借りて見た。『旅の重さ』の方は何となくまだ見た感じが残っている。でも今の時代は放映できない感じだと思う。採算的な意味で。
 右ページに大きく『驚き! チーズでダシを取れる!』と書いてあるのは、チーズでダシを取った豆のスープを作って食べると、とても美味しかったことの驚きを表している。本当に美味しかった。野外用の小さなコンロと小さな鍋で作って、鍋から直接食べた。その後、残った汁で雑炊を作った。これも美味かった。
 そのあと水を沸かしてコーヒーをブラックで飲んだ。その日の夜は目が冴えて眠れなかった。

 この時タビーという茶トラの猫の短い話の流れが書き込まれている。これは後のジンジャーに繋がる。その下にある別れた女房に執着している男はタクヤが天野巡りを始めるきっかけになる男の前世。
2

3.異世界創造

 徳島県がすだち県になっている世界のあれこれ。お札の人物が変わっている案もこの頃に出している。もちろん歴史も違うものになっているのだが、ここまで入れると長すぎるのでカットした。一応架空の歴史を語ると、大庭義昭が仁科為吉を不破の関で打ち破って征夷大将軍になり大阪幕府が開かれているという設定になっている。
 最後にちょろっと旅人がふらっとやれるような仕事を探していて、それの報酬を調べていた。でもいちいち仕事の描写を書くのも面倒なのでボツとした。タクヤはホームレスからお金を得ることになる。

3

4.ターンワールドのパイロット版

 最後までプロットを通す。この時はまだ通しただけでプロットは完成していない。88ヶ所巡りをどうやってさせるか悩んでいた。異世界に行くので、異人(猫人間や魚人間)がいることを思いついたが、面白くないのですぐにボツとなった。
 この時にターンワールドのパイロット版とでもいう短編を二つ書いた。この辺りでターンワールドのイメージを捉えたような気がする。
 ○成人月歩
 ○I'm walking
4

6.最後までプロットを引く

 最初から最後までプロットを引く。すっきりとしたプロットで12万字で終わる予定だった。
 表紙の案もできていて、推敲が終わる頃に書いたが、別の表紙を書いた。
 主人公の名前はまだ決まっていなかった。というより誰の名前もまだ決まっていなくて、ミワも女とだけ記されている。
5

7.各章のプロット

 全体から各章のプロットへ。この時はまだ章のタイトルが決まっていなかった。たぶんターンワールドという本の名前もまだ出ていなかっただろう。『GO! AWALAND!』という奇妙なタイトルが左上に書かれている。最後の章はreturn worldなので、この辺でturn worldが出てきたのかもしれない。
 この段階では主人公が死のうとしているところで女と出会って助かることになっている。
6
 猫の章はスカスカ。あとで最後の章のシトラスクィーンとミックスさせるのだが、もしかするとプロット通りで良かったかもしれない。
7

9.雨乞いの巫女

 天野巡り信仰の要である雨乞いの巫女アマノウズメの名前が決まる。日本神話に出てくる女神と同じ名前で、この時には既に読んでいるはずだが、だいぶ後になるまで気付かなかった。でも彼女が主人公を異世界から元の世界へ戻す役割を担っているのでアマノウズメで良かったと思う。
 この時は最後にアマノウズメに会わせる予定だったらしい。

 右ページは作中作の『拙者、猫に候』のプロット。この時は本気で書くつもりでいたが力不足により設定だけの登場。
8

10.突然始まる刑事物

 プロットの段階で私にターンワールドを書くのは無理とあきらめて、別の話を書こうとしていた。T島県に巣食う麻薬組織をある刑事が追う話。このプロットはまったく日の目を見ることはなかったが『エバーホワイト』『聖者の行進』で似たような事情の話がちょろっと出てくる。
9

11.気を取り直して
 
 猫の章を書く自信がなかったのでプロットを練り直した。猫とシトラスクィーンの章がミックスされている。登場も女より早くなったが、女の代わりに猫が死ぬことになった。何故死ぬのか? それは作者にも分からない。シトラスクィーンがイルカの群れに飲まれて死ぬという案もあった。ターンワールドではあの時点で誰かが死ななければならなかったのだろう。小説の不思議だ。

10

12.仮書き

 プロットができたのでノートにざっと仮書き。
 最初のBAD WORLDはかなり短いが、原稿ではかなり長く書いた。次の章はもっと長く書いた。
 この時点ではまたミワと先に出会うことになっている
11
ミワと出会って、ジンジャーと出会い、シトラスクィーンと出会い、そしてジンジャーが死ぬところまで
12
 最後の章。最初に出会った老人の教えがここで生きてくるというのを考えていた。アマノウズメと出会わないというラストにしたのはこの辺りのようだ。
 右ページでは、仮書きの後にまたプロットを引きなおしている。
13


13.プロットの引きなおし
 仮書きを踏まえてプロットの引き直し。2枚目の写真ではミワの章で色々と悩んでいる様が窺える。
14
15

17
 余白に書く感じでturn worldの章の最後の部分が書かれているが結局書かなかった。パイロット版のI'm walkingみたいな話を2万字と考えていたが、作者の限界がきていたので物語を支えられなかった。すぐに最後の天野神社へ行くことになった。

 こうやって振り返ると力不足によりプロットを変えたところが多い。今ならこれ書けるぞ、というプロットがある。でもどんな小説と出会うか作家は選べない。その時に出会ったものを、その時の実力で書くしかないのだ。それでも『ターンワールド』は牛野小雪の中でひとつの金字塔となった。とても大きな小説で、まさか『真論君家の猫』に続けて、こんな物を書くとは思わなかった。

(おわり)

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ターンワールド 推敲、改稿、やってみよう NO.8-5 やっと終わり

 本当は先週で終わりでも良かったのだけれど、調子が良いとまだまだ踏み込めるので、今週もずっと『ターンワールド』の改稿をやっていた。何だかんだで『聖者の行進』と同じくらい時間をかけてしまった。絵が上手くなると上手い絵を描くようになるので、結局絵を描くのにかかる時間は初心者もベテランも変わらないという話を思い出した。

 全体的な感じとしてはseason 2最初の小説だけあって、season 2最後の『聖者の行進』の種があちこちにあるなという印象。でもこれを書いている時は全然『聖者の行進』みたいな物を書くとは思っていなかった。まだ構想もできていない『John to the world(仮題)』が完成形と思っていたから意外だ。っていうか、いつになったら私はJohn を書くんだ?

 もしかすると変にいじって改悪しているんじゃないかって思う瞬間があった。でもたぶんこれはこれで正解じゃないのかな。まだベストではないけれど、三歩ぐらいは近付けた気がする。でも今はここがオールアウトの地点だ。



 せっかく改稿したのだから読み直して欲しいという気持ちもあるのですが、例によって改稿版の再配布はありません。
 しかし『ターンワールド』上下刊と上下統合刊の2バージョンある。というわけで上下刊も上下統合刊も無料キャンペーンすることにしました。
 一度読んだ本を読み直すというのもなかなか良いものですよ。
(おわり 2018年3月24日 牛野小雪 記)


ターンワールド 推敲、改稿、やってみよう No.8-4

 休養期間中は何もしていないと罪悪感を感じたので宇宙について考えていた。何日かスティーブン・ホーキング博士と話しているところを妄想していたら、博士が死んだというニュースが飛んできたので驚いた。次は誰と話しているところを妄想すればいいのだろう。

 今週は休養期間なので昨日と今日しか改稿していない。とはいえ昨日は7万字も改稿してしまった。これは飛ばしすぎじゃないかなと思っていたら、昨夜はギンギンに頭が冴えて全然眠れなかった。やっぱり無理は良くない。今日は調子が悪くてあんまり改稿できなかった。何事もリズムが大切だ。

 それにしても改稿が終わらない。これまた休養期間中だが『聖者の行進』をちょっと読んでみると、ここもあそこも、と改稿できる場所が見つかって、読んだ章を改稿してしまった。『火星へ行こう君の夢がそこにある』も同じ理由で改稿した。こんなことばっかりしていたら改稿だけで人生終わってしまうんじゃないかと恐くなった。

 5年分の改稿をするのだから生半可なことでは済まないとは分かっていたが、実際にやってみるとかなり骨が折れる。でも良いことも二つある。一つは過去の作品を手応えある形で改稿できていることだし、二つ目は改稿するたびに自分の中で何かが成長していることを感じられることだ。

 自分で言うのも変だけどseason3は凄い物が出てくるに違いない。

(2018年3月17日土曜日 牛野小雪 記)



ターンワールド 推敲、改稿、やってみよう No.8-3

30-5


 30-5日体制にしてから、かなり改稿が進むようになった。1月は一日3~4万字改稿するのがやっとだったが、2月は一日4~5万字改稿できた。調子の良い日は6万字を超えたのでとんでもないことである。

 とはいえターンワールドは終わらず、今日から5日の休養期間に入る。何もしないでいると気持ちが焦れるけれど、じっと我慢する。

 でもこんなことを考える。毎日書いていても不意に書けなくなる時がくるわけで、5日の休養期間を取るのと、不規則に書けなくなるのは結果的に同じなのでは? それなら毎日何かしら手を付けた方が不安にならずに済むかもしれない。

 でも、でも、パソコンの前に現れる改稿した物を読んでいると、やっぱり小説から離れる期間を作った方が良いというのも感じる。何だか分からなくなった。

 ターンワールドの改稿はちょうど二周目で終わった。一周目の改稿が終わった時、空がぱあっ明るくなったような気がした。これを執筆していた時の追体験だ。そういえばターンワールドの初稿が書き終わったのもちょうど3月だ。実は改稿しても何にも変わっていないんじゃないかという気がしてきたけれど、まぁ、自分の手応えを信じてみよう。でも今日から5日間は何にもしない。パソコンの電源にも触れないぞ。

(2018年3月11日 牛野小雪 記)

ターンワールド 推敲、改稿、やってみよう No.8

 18日から改稿を始めて一週間で上巻の終わりに手が届いた。来週には上巻の改稿が終わっているかもしれない。ペースはちょっと落ちたけれど、先月と比べればまだまだ高い方、今月は9日から改稿作業を始めたから、来週は20日-30日の期間に入る。ここからペースアップするとは考えられないのだけれど、はてさてどうなることやら。

 ターンワールド自体はタクヤが徳島に行くまでの物語なわけだけど、旅立つまでにもすったもんだあって、それで上巻の半分近くを使っている。でもこの部分だけで小説を書けない物だろうかと今は考えている。旅立つ話ではなく、旅立たない話だ。今はイメージだけしかないけれど、いつか形にできそうな気はしている。

 それにしても改稿ばっかりしていて良いんだろうかという気持ちになる。もう3ヶ月、いや、聖者の行進の推敲を入れれば半年近く小説を書いていない。でも改稿するのが面白くって仕方がない。旧作の改稿に手を付ける度に、クロノトリガーの強くてニューゲームを初めてやった時の気分に襲われている。それに改稿すればするほど新しいアイデアが浮かんでくるし、何かしら経験値を積んでいる感じがある。全ての改稿が終わればどこかに辿り着くだろうか。

(2018年2月25日 牛野小雪 記)

牛野小雪の小説はこちらから↓
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『ターンワールド上下巻』をリリース

 ついに来ました。『ターンワールド上下』をリリース。
 4/24日~28日まで上巻を無料キャンペーンするので、どうぞよろしくお願いします。
 以下Amazon の内容紹介です。


 

内容紹介

『この世はバラの絨毯が敷き詰められた最悪の世界 
彼はこの世から姿を消すために徳島へ行くことにした』 

この世が最悪の世界と見抜いたタクヤは、 
家を出て河川敷で寝起きするようになる。 
一度は両親に連れ戻されるタクヤであったが、 
今度は両親も知り合いもいない徳島へ姿を消すことにした。 
タクヤは深夜に家を飛び出し夜行バスに乗り、 
一度大阪で乗り継いで徳島を目指したのだが、 
彼の乗ったバスは徳島へ到着しなかった。


内容紹介

『どこもかしこも別世界。入り込める余地は何処にもない 
孤独な彼は世界の外側を歩きながら、世界の終わりを願う』 

徳島県へは到着できず、家に帰ろうにもそこはバナナ県。 
家も目標も失ったタクヤはある老人と共に雨野巡りを始める。 

老人と別れたあと、今度はサナゴウチさんと一緒に旅をするが、 
彼とも突然別れることになった。一人となったタクヤだが、 
そんな彼にまた新たな旅の道連れが現れようとしていた。 

神社に捨てられていた茶トラの猫。 
偶然拾ったその猫は捨てられない猫だった。 
猫を持って歩くタクヤに、さらに旅の道連れが加わる。 
それは異国の異性のケイトさんで、タクヤは猫よりも扱いに困ってしまう。 

『ターンワールド』のリリース記事


[内容紹介]

就職活動に失敗し続け、社会に自分の居場所を見出せないタクヤ。彼は、努力しても報われない現実に苦しみ、自らを「駄目人間」と認めながらも、どこかでその認識を誰かに肯定してほしいと願っていた。現代社会の冷酷さや、運の力が支配する世界に生きる彼が見つめるのは、果たして希望か、絶望か──。

努力すれば必ず報われるという幻想を痛烈に否定し、社会に対する鋭い批判を投げかける哲学的な物語。タクヤの内面に広がる無力感、そして自分自身との葛藤を描いた本作は、現代に生きる私たちに「本当の成功とは何か」を問いかける。

現実の不条理を突きつけ、心を揺さぶる異色の作品。

ターンワールドができるまで

スマホでKindle Unlimitedを楽しむ方法

タクヤと登場人物の関係について

1. ジンジャー(猫)
タクヤの旅の最も象徴的な同行者が猫のジンジャーである。ジンジャーとの出会いは偶然だが、次第にタクヤにとって不可欠な存在となる。当初、ジンジャーはタクヤにとって「負担」であり、旅の障害の一つとして描かれる。彼はジンジャーを捨てようと考えるが、その度に思い直し、結局は面倒を見ることを選ぶ。このプロセスを通じて、タクヤの内面には次第に「責任感」や「他者への愛情」といった感情が芽生える。ジンジャーがいることで、タクヤは自分が完全に孤独ではないこと、誰かのために存在することの意味を理解していく。

2. ケイト・クライン
アメリカから来た女性旅行者・ケイトは、タクヤの旅における重要な人物である。元「シトラスクィーン」という栄光を持ちながらも、人生に満足できずに日本を旅するケイトと、社会に適応できずに彷徨うタクヤは、表面的には異なる背景を持つが、根底では「居場所を探す者同士」という共通点を持っている。二人は言葉や文化の壁を超えて互いに心を開き、時には微妙な緊張感を伴う関係として描かれる。タクヤはケイトの過去を知ることで、彼女もまた「完璧な存在」ではないことを理解し、互いの弱さを認め合う関係へと発展していく。ケイトはタクヤに「他者とつながることの意味」を教え、タクヤはケイトに「誰かに頼ることの重要性」を気付かせる存在となる。

3. サナゴウチさん
タクヤが旅の途中で出会うギターを弾く男・サナゴウチさんは、タクヤにとって「自由人」の象徴である。彼はタクヤに対して軽妙な会話を投げかけ、自分の価値観に縛られない生き方を見せる。借金を抱えながらも楽天的に生きる彼の姿は、タクヤにとって一種の衝撃であり、同時に羨望の対象でもある。サナゴウチさんはタクヤにとって「社会の外でも生きられる」という可能性を示す存在であり、タクヤは彼との交流を通じて「失敗」や「挫折」も人生の一部であることを学ぶ。しかし、彼の無責任さや刹那的な生き方には限界があることもタクヤは気付き、最終的には自分自身のバランスを見つけるための一つの対比としてサナゴウチさんの存在が位置付けられる。

4. まさやん
漁師のまさやんは、タクヤの旅におけるもう一人の重要な人物である。彼は豪放磊落な性格で、気前が良く、タクヤとケイトを助けることも多い。まさやんはタクヤにとって「現実的な強さ」を象徴する存在であり、彼の明るさや包容力はタクヤに安心感を与える。しかし、まさやんの存在はタクヤにとって微妙な感情も呼び起こす。特にケイトとまさやんの関係が親密になっていく過程で、タクヤは「嫉妬」や「孤独感」といった感情に直面することになる。まさやんはタクヤにとって「理想の大人」の一面を持ちながらも、自分にはなれない存在であることを痛感させる存在でもある。

タクヤが求めているもの

タクヤが求めているものは、『TURN WORLD』全体を通じて多層的に描かれており、彼の内面の葛藤と成長が物語の核となっている。彼の求めるものは一言で表すのが難しいが「自己の存在意義の確認」「社会からの逃避と再定義」「他者との関わりの模索」の3つに集約できる。

1. 自己の存在意義の確認
タクヤは社会に適応できない自分を「駄目な人間」と認識している。しかし、その自己認識は単なる自己否定に留まらず、「自分がなぜこうなったのか」「この世界に自分の居場所はあるのか」という問いに繋がっている。彼は社会の中での役割や成功を求めているわけではなく、むしろ「何も役割を持たなくてもいい世界」を夢見ている。これは、自己の存在そのものを肯定してくれる何かを無意識のうちに求めていることを意味している。

ジンジャー(猫)との関係は、この「存在意義の確認」の一つの象徴である。ジンジャーの世話をすることで、タクヤは自分が「誰かの役に立つ存在」であることを実感し、少しずつ自己の存在を肯定していくようになる。ジンジャーは彼にとって単なるペットではなく、タクヤ自身が生きる意味を見つけるための媒介であり、彼の成長の象徴でもある。

2. 社会からの逃避と再定義
タクヤの旅は、社会からの逃避であり、同時に自分自身を再定義するための旅でもある。彼は「この世界を終わらせたい」と願いながらも、その一方で新しい価値観や生き方を探している。社会の規範や期待に縛られることなく、自分自身の価値基準で生きることを模索しているのだ。

旅の途中で出会う様々な人々—例えば、ケイトやサナゴウチさん、まさやん—は、タクヤに異なる生き方の可能性を示してくれる。ケイトは過去の栄光に縛られながらも新たな人生を求めており、サナゴウチさんは社会の枠外で自由に生きる姿を見せる。これらの出会いを通じて、タクヤは自分なりの生き方を見つけるヒントを得るが、それは必ずしも簡単な道ではない。彼は常に「逃げること」と「向き合うこと」の狭間で葛藤している。

3. 他者との関わりの模索
タクヤは基本的に孤独を好む人物だが、完全な孤立を望んでいるわけではない。彼は他者との関わりにおいて「自分を受け入れてくれる存在」を求めている。ケイトとの関係はその典型で、異国の女性である彼女と心を通わせることで、タクヤは「他者との理解」が可能であることを学ぶ。ケイトとの旅は、タクヤにとって「自分が他者とどう関わるべきか」を探る機会となっている。

一方で、タクヤは他者との関係においてしばしば「依存」と「自立」のバランスに悩む。ミワとの関係では、この問題が顕著に表れる。ミワとの依存的な関係が崩壊することで、タクヤは「他者に依存し過ぎること」の危険性を理解し、同時に「孤立しすぎること」の空虚さも痛感する。この二重の学びを通じて、タクヤは「適度な距離感」を持った人間関係の重要性に気付いていく。

最終的にタクヤが求めているのは、「自分自身を受け入れること」と「他者と関わりながらも自立した存在であること」の両立である。彼の旅は、社会の外で自己を見つける試みであり、同時に他者との関係を通じて自分を再発見するプロセスでもある。タクヤの葛藤と成長は現代社会における「生きづらさ」や「孤独」といったテーマを深く掘り下げるものであり、多くの読者が共感を覚える部分でもあるだろう。

『TURN WORLD』のモチーフについて

 本作『TURN WORLD』は、現代社会に対する強烈な批評性を持ちながら、人生の迷いや人間の本質を探求する物語である。そのモチーフを紐解くことで、本作が持つ深いテーマや背景を理解することができる。

 まず、本作の主なモチーフの一つに「社会の不適合者」というテーマがある。主人公・タクヤは、社会に適応できず、働くことにも生きることにも意味を見出せない青年として描かれる。彼は自分を「駄目な人間」と認識しながらも、その境遇に完全に甘んじるわけではなく、世の中の理不尽さや欺瞞を冷徹に見つめている。この姿勢は、ショーペンハウアーやニーチェの哲学にも通じる「世界の不条理」との対峙の構図を彷彿とさせる。タクヤが旅をすることは、現実世界に対する彼なりの反抗であり、逃避であり、また新たな価値を見出そうとする試みでもある。

 また、「社会からの逸脱と新たな共同体の形成」も本作の重要なモチーフの一つだ。タクヤは旅の途中で様々な人々と出会う。例えば、野宿をしている人々や、社会の枠組みから外れた生活を送る者たち。彼らはそれぞれが社会から排除されながらも、独自の価値観を持ち、助け合いながら生きている。これらの出会いは、社会の基準では「敗者」とされる人々が、別の価値観のもとで生きる可能性を示唆している。これは、既存の社会制度や資本主義の枠組みを批判する視点とも結びつき、現代の「生きづらさ」を浮き彫りにしている。

 本作の最も根幹にあるモチーフは「世界の終焉」と「再生」だ。タクヤは旅の途中で「この世界を終わらせる」という願いを抱く。しかし、それは単なる破壊衝動ではなく、今の世界に対する深い失望と、新たな世界への希求である。本作では、社会のルールや価値観に縛られた世界が否定される一方で、旅を通じて出会う人々や、タクヤの内面に生じる変化が、新たな世界の可能性を示唆している。この「終わりと始まり」という循環構造こそが、『TURN WORLD』というタイトルの意味にも繋がっているのかもしれない。


他の小説と何が違うか
 主人公タクヤの視点を通じて、現代社会における無力感や疎外感をリアルに描いています。この物語は、タクヤが感じる社会の不条理や理不尽さを深く掘り下げ、個々人の努力や才能が必ずしも報われないという現実を強く描写しています。多くの物語では、努力や信念が最終的には報われる展開が期待されがちですが、この小説では、努力だけではどうにもならない「運」の要素を重視しており、努力至上主義に対する鋭い批判が込められています。

 さらに、物語の舞台設定が、非常に具体的かつ日常的なものです。タクヤの日常は、就職活動の失敗や家庭内の微妙な緊張感、社会からの疎外感に満ちていますが、これらは多くの人々が共感できる現実的な悩みであり、物語全体が極めて現実的であると同時に、心理的な重みを持っています。特に、河川敷や電車といった身近な場所が物語の中心となり、幻想的な逃避がほとんど存在しないため、読者に対して「これは自分の話かもしれない」という錯覚を与えます。

 また、この物語はタクヤの内面の葛藤を中心に描かれている点でも特徴的です。多くの作品では、外部の敵や問題が主人公に挑戦を与える形が主流ですが、ここでは、タクヤ自身が最も大きな敵であり、彼が自分自身と向き合い、自己嫌悪や無力感と戦う様子が描かれています。この内面的な戦いは、読み手に深い感情的な共感を呼び起こすだけでなく、現代社会における自己認識や承認欲求、社会的な役割に対する考察を促します。

 さらに、物語の哲学的な要素も大きな違いです。例えば、物語中に登場する「この世の平等思想には根本的な間違いがある」という言葉は、単なるフィクションの枠を超えて、社会に対する批評や疑問を提起しています。読者に「平等とは何か」「努力とは何か」「成功とは何か」という問いを投げかけ、答えを見つけるよう促します。

 他の物語と比較して、エンターテインメント性よりも、現代社会に対する鋭い洞察と、内面的な苦悩を描くことに重きを置いた作品である点が「ターンワールド」の独自性を際立たせています。



試し読み

1 BAD WORLD


1 最悪の世界


 この世は最悪だ。

 証拠品A、B、C、D・・・・・。

 そこにまたひとつ証拠が積みあがる。

 朝から嫌な物を見た。タクヤは不採用通知を机の引き出しにしまった。同じような封筒は引き出しからあふれそうになっている。

 自分が駄目人間ということは分かっている。だからといってそれを誰とも共有したくはないし、話したくもない。しかし駄目な人間だと認めて欲しいという気持ちもまたある。

 最近タクヤが考えることは誰もが認める権威のある人からこう言い渡されることだ。

『君は人間的には悪くない人間だ。でも社会的には駄目だね。おっと、何もかもが駄目ってわけじゃない。ただ社会的有用性という意味においては劣等だ。悪いのは君じゃない。君だって駄目人間になりたかったわけじゃない。でもこればっかりは巡り合わせだからしょうがない。世間では誰にでも無限の可能性があって、努力すれば何にでもなれるなんて嘘を吐くけれど、それを言う本人がどれだけ努力しても100メートルを9秒で走ることはできないし、永久機関を作って人類のエネルギー問題を解決することもできない。もって生まれた才能が誰にでもあるのさ。だけど連中は才能というものを認めても、努力すればそれなりにできるようになるなんて苦しい言い訳を続ける。だけど高い才能があるなら低い才能もあるわけで、人は才能以上の事はできない。世の中には100メートルを100秒で走る才能もあれば、エネルギーを無限に消費するだけの才能もある。君には社会を駄目にする才能があるようだ。だから社会へ出るのは止めてくれ。これはもう社会貢献だよ』

 世界が自分の事を駄目な人間だと認めてくれて、何の役割も持たないでいることが許されている世界。むしろそんな世界でならタクヤは100メートルを9秒で走り、人類史上誰も成し遂げられなかった大発明もできるような気がした。

 しかしこの世は誰でも努力すれば人並みの人間になれるとされているので普通になれないのは努力していない、さぼっていることの証明にされてしまう。こんなに苦しいことはない。翼もないのに崖から飛べと背中を押されたり、エラがないのに海に潜れと急かされている。誰がそうしているのか。それは姿を持っていない。しかし、幽霊よりも確かな存在感でタクヤを急き立てる。

2 身近な別世界


 講義が終わるとタクヤは誰とも言葉を交わさずに大学を出た。

 駅に着くとちょうど電車が来た。昼間の電車は人が少なく、がらんとしている。タクヤが席に座ると電車が走り始めた。

 カタンコトンと体を揺られていると河川敷が見えてきた。大きい川なので河川敷も広い。河川敷には丈の高い草に埋もれるように木の板やブルーシートでできた屋根がいくつもある。この河川敷が自分の行き着く場所になるだろうとタクヤは予感していた。

 電車はすぐに川を越えて、窓から見えるのは店や家の裏側ばかりになった。

 実はさっき見た河川敷ではなく、もう少し上流にある大きな古い橋へ行こうとタクヤは考えていた。その橋の下なら、電車が近くを通ることもなく、雨や太陽をしのぐことができる。それに人通りも少なく、知り合いに見られることもないだろう。

 タクヤは家に帰るとベッドに倒れこんだ。そうして何もしないうちに時間が経った。何かしなくてはならないと気持ちが焦ったが、そのまま夜になり、何もしないまま夜が過ぎた。

3 暴かれたこの世の真実


 朝起きて下に降りると父がいて、朝ごはんと弁当を作っていた。珍しく早起きしたタクヤを見て「お」と声を出す。

 タクヤは父の脇でパンをトースターに入れた。二人とも何も話さなかった。息の詰まる雰囲気が続いた。

 結局、父が家を出るまで何も話さなかった。

「父さん、もう仕事に行った?」

 父が家を出ると母が起きてきてタクヤに訊いた。

「行ったよ」

 タクヤが答えると母の関心はすぐにタクヤに移った。

「大学は?」

「休み」

「休んでばかりね」

「講義なんてもうほとんどないよ」

「卒業してもそんなんじゃ嫌だからね」

 タクヤは逃げるように部屋のベッドに倒れこんだ。あっという間に昼になった。

 見果てぬ冷たい砂漠にただ一人、何も持たされずに立たされている気分がする。棒を立てれば倒れてしまい、種を蒔けばその場で凍ってしまう不毛の大地。水のない乾いた場所。それでいて水の中にいるような息苦しさがある。

 若さには無限の可能性があるなんて真っ赤な嘘で、その人が持つ資質、才能、環境で可能性は限られている。努力が足りないなんて言葉は努力している人を侮辱している。いや、この世の誰もが自分の資質、才能、環境で努力している。社会はその結果しか見ない。成功すれば努力のおかげ、失敗すれば努力が足りなかったとされる。

 この考え方には根本的な間違いがある。誰もが平等だということだ。

 生まれた時点で体重の差があり、病院の差があり、健康の差がある。赤ちゃんは裸で生まれてこない。見えない産着に包まれて生まれてくる。生まれてからも親の差があり、環境の差があり、運というものまで絡んでくる。

 この世の平等思想は出発点で誰もが同じスタートラインで始まることを根拠にしていて、なおかつ同じコースを走ることが想定されている。でも実際はリムジンの厚いシートに座りながら真っ平らな道を走り抜ける人もいれば、両足を切り落とされた上に鉛を背負わせられて坂道を這わなければならない人もいる。

 一番腹が立つのは歩く歩道を走っている人だ。リムジンに乗っている人はかえって自分の恵まれた環境を自覚しているが、こういう人は『俺は努力したからここまで走ることができた』という自尊心を持っている。それだけならまだ良いが、こういう人は他の人にも自分と同じだけの距離を走らせようとする。できないのは全力を出していないからだと非難する。

 彼が努力したのは真実だろう。しかしそれは片手落ちの真実で、足元が歩く歩道だったからこそ彼はそこまで走ることができたのだ。

 努力したから成功したというのは傲慢でしかない。それよりは努力では手に入らない運や才能を認めることによってこそ、成功の価値が出てくる。

 タクヤはどれだけ鍛錬しても100メートルを9秒で走れない。だからこそ100メートル9秒で走ることは素晴らしい。これが100メートル100秒なら話にもならない。

 この世で起きる出来事は運と才能に左右される。いや、才能も自分で選べないから究極的には運の一点に集約される。

 正直なところ、他の誰かがタクヤと同じ人生を送っていれば、ここまで生きてこられなかっただろう。タクヤは他人の五倍はがんばっている。もしこの世の努力が全て報われるなら、今頃タクヤは世界総理大臣になっていなければおかしい。

 全ては努力×運のかけ算で成り立っている。これは努力すればなんとかなるという意味ではなく、運が0ならどれだけがんばっても0ということだ。

 運の数値1を人並みとするなら、運の数値が0・5なら人の二倍努力してやっと人並み。しかし体は一人に一つ、人の倍努力することなど不可能だ。

 タクヤは自分の運が0だとは思わないが、0・000……と0がいくつか続いた後にやっと6がつくぐらいの運しかないだろう。人並みになるには生身で空を飛ぶぐらいの努力をしなければならない。つまり不可能ということだ。

 これ以上考えは広がらないので、ここがゴール。この世の真実だ。

4 幸運の誤謬


 父が帰ってくると一緒に夕飯を食べた。できれば一緒に食べたくないが、外で食べる金もなければ気力もない。早く食べて部屋に戻ろうと考えていた。

 タクヤは飲み込むように夕飯を食べて、まだ熱いお茶を吹いて冷ましていた。両親はまだ食べている最中だったが突然食卓に張り詰めたような静けさが広がった。

 ほどなく父が口を開いた。

「就職は決まったか?」

「ううん、まだ」とタクヤは答えた。

「この時期に決まらないなんてこともあるんだな。選り好みしていたら入れるところも入れないぞ」

「うん」

「真剣にやっているのか?」

「やってる」

「不況だなんだといっても全員が駄目ってわけじゃない。ほとんどの人は職を見つけて卒業するんだから、お前だってどこかに入れるはずだ」

 まだ熱いお茶を一気に飲むとのどが焼けた。タクヤは席を立った。

 タクヤは部屋に戻ると運が良い人の特徴をネットで調べた。

 いつも笑顔の人、積極的な人。どのサイトも同じようなことが書いてあった。

 馬鹿かとタクヤは心の中で叫んだ。金持ちが大きな家に住んでいるから、大きな家に住めば金持ちになるということぐらいおかしな話だ。普通の人が同じことをすれば破産するだけだし、そもそも大きな家を建てることすらできない。金持ちが大きな家に住んでいるのは金を持っているからで、運の良い人がいつも笑顔で積極的なのも運がいいからだ。やることなすことうまくいけば誰だってそうなる。

 玄関の郵便受けがカタンと鳴った。タクヤが玄関へ行くと茶封筒が一つ郵便受けに挟まっていた。封筒はタクヤ宛てだ。差出人の会社をタクヤは憶えていた。

 駅裏にある小さなビルの四階。従業員は七人。面接に行った時は三人しか姿が見えなかった。面接を受けたのはタクヤ一人だけで社長が直々に出てきた。仕切りを立てただけの応接間で低いテーブル越しに対面した。社長は目が鋭くて、顔には巻き毛のヒゲがびっしりと生えていた。面接が終わるとお互い冷めたお茶を一気に飲み干し、社長が「ぬるいな」と言って笑った。

 タクヤは部屋に戻ると封筒を手で破り中の紙を広げた。

「誰から?」

 部屋の外で母の声がした。

「受かったみたい」とタクヤは言った。

「何?」

「よく分からないけれど受かったみたい」

「どういうこと?」

 母が部屋のドアを開けて入ってきた。タクヤは持っていた紙を母に渡した。母は一度下まで目を通してからまた上に目を戻した。

「ふ~ん、良かったね」と母は採用通知を返した。

 タクヤはそれを封筒に戻すと机の引き出しに入れたが、やっぱりまた机から出して机の上に広げた。

5 ああ、素晴らしき世界


 まぶたが意志を持って開いているようだった。息を吸うと清らかな水が手足に満ちていくようで自然と体を動かしたくなった。

 下へ降りると父が朝ごはんと自分の弁当を作っていた。

「おはよう」とタクヤは父に声をかけると、パンをトースターに入れた。それから父とは何も話さなかったが、そこにいるだけでみずみずしい幸せを感じた。

 世界は素晴らしい。この世は誰もが幸せになるために生まれてきた。幸せはいつもすぐそこにある。心を開けばその瞬間に幸せになれるのだ。

 父は朝食も着替えも済ませると、家を出るまでニュースを見ていた。二人は何も話さなかったが、父は出際に「学生は気安いな」と言った。

 タクヤは部屋に戻ると服に着替えた。それだけで体の底から幸せを感じた。何故この世はこんなにも素晴らしいのか、今この瞬間を切り取って永遠に時を止めてしまいたかった。

 世界は変わった。空の限りない青さを感じ、太陽から降り注ぐ光線がはっきりと見えた。それら全てが相互に影響し合って世界を幸せにしている。この素晴らしい世界は今までどこに隠れていたのか。いや、世界はずっとここにあった。タクヤは自分から目と耳を閉じていただけだ。

 大学へ行くとワタナベ君が前を歩いていた。彼とは仲が良かったが、最近はタクヤから彼を避けていたし、彼もタクヤを避けていたので、ほとんど話すことはなかった。

 タクヤは足早に近付き、彼の丸くなった背中を叩いた。

「よっ、おはよう」

 予想外に大きな声が出てタクヤは驚いた。ワタナベ君も目を丸くしていた。

「あ、あぁ。おはよう。ビックリした」

 ワタナベ君の声は小さく、タクヤに届けるのがやっとという感じだった。昨日までのタクヤもこうだったのだろう。

「最近どう?」とタクヤは言った。

「まあまあだよ」

「就職活動とかどうしてる?」

「まあ、やってる」

「僕は内定が出た」

 ワタナベ君が眉を上げた。

「へえ、どこ?」

 タクヤは昨日内定が出た会社の名前を言った。

「やったね。就職活動はまだ続ける?」

「もっといい場所が見つかるかもしれないからね」

「やった方がいいよ。選択肢はたくさんあった方がいいから。それにしても良かった。おめでとう」

「うん。がんばっていれば必ず結果はついてくるよ」

 ワタナベ君はまだ内定を取っていない。彼の様子を見れば聞かなくても分かった。タクヤはどうすれば彼を幸せにできるか考えたが、答えは出せなかった。

 家に帰ったタクヤはベッドに横たわると、あの会社で働く自分の姿を想像した。タクヤは慌しい事務所で電話を片手に何かの書類を見ている。初めは頼りなくぎこちないが仕事を覚えていくうちに有能な働き手となり会社を引っ張っていく。それで大きな自社ビルを建てて、その頃には社長のヒゲも白くなっていて、壁に貼られた値札に『時価』と書いてある寿司屋で社長と酒でも飲みながら『この会社がここまで大きくなれたのは君のおかげだ』なんて言われる。そんなことを考えていたのにタクヤは別の会社に電話をかけていた。一度落ちた会社だがまだ募集していないか訊いた。すると話を聞いてもいいということになり、いきなり面接の日取りが決まった。

 二日後に面接だった。日常業務の合間に面接の時間を作ったという感じで慌しかったが反応は悪くなかった。その結果が出る前にまた別の会社の面接を受けた。

 この世は門を叩けば開かれる。世界は正面からぶつかっていけば受け止めてくれるのだ。世界にはバラ色の絨毯が敷かれている。
 
(↓続きはこちらから)

ターンワールドができるまで

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ターンワールドができるまで

ターンワールド 進捗状況vol.1
2014/12/23

 今回はかなり遅筆。なかなか進まない。『ターンワールド』というものを書いている。今回も長編でやっと物語の滑り出しまできた。前作のペースなら今頃初稿ができているはずだが、まだ半分も書けていない。創作ノートで全体像を見直した。これは火星の話と一緒だ。世界観は違うけれど、やることは同じようなこと。筋運びも同じだから、結末もやはり同じようなエンドだ。

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準備万端で勝負できる時はない。いつだって手持ちのカードで戦うしかないのさ、ひゃっほう!

表紙って難しい。/Category of Happiness 幸せのカテゴリー
 
 ↑の記事で鈴木成一という装丁家がいることを知りました。というよりも装丁家という言葉自体を初めて知った。
 考えてみれば、本というのは文字だけでできているのではなく、文字を印刷する紙から、表紙から、帯に至るまで(思い付くのはここまで!専門的な本を読もうとしたが、あまりにも細かすぎて速攻ギブしてしまった。)、誰かが考えて作っているわけで、鈴木成一さんとはまさにその人のことである。
 
 改稿しながら表紙も考えている私にはタイムリーなお話。早速図書館で彼の本を借りたのだが、凄ぇ、凄ぇと読んでいるうちに最後のページまで読んでしまった。
 言っていることは頭に入ってきたが、真似できそうな物はなにひとつない。きっとスキルが地面すれすれの低空飛行しているせいだろう。
 フォトショップを使って画像を加工をしているんだけれど、ああ、あれどうやるんだろう。たぶんどうにかしたらできるんだろうなと思うことがいくつかあった。

 本文よりも彼自身の本の装丁から学ぶものが多くあった。
 表紙の縁取りはパクれとても参考になる。絵がきゅっと引き締まった。



現代美術品最高額8690万ドルで落札 マーク・ロスコとは?  

 本格的な絵画は難しいけれど、抽象画なら素人でも描ける。いや、本当にそう思っていました。抽象画家の皆さん本当に申し訳ない。なめていました。
 ↑の記事にある抽象画。これなら私でも描ける! と思って描き始めたのですが全然ダメですね。本当にひどい物しかかけない。
 正直、上記のマーク・ロスコさんの絵は何が良いのかさっぱり分からないのですが、自分の書いたものと比べると明らかに彼の方が良いと分かるのだから凄いです。なんでやねんとツッコミたくなります。Amazonで彼の絵のポスターが売っていました。←?

 精緻な線、配色、デザインは無理。抽象画も無理。かといって性能の良いカメラも、それを扱う技術もなし。フォトショの加工技術も素人。
 でも、手持ちのカードで勝負するしかないのさ。達人になるまで待っていたら何もできない。
 と、思って表紙作成に励んでいたらどんどん違う方向へ行った。ほぼ完成間近と思っていたのに。
 マーク・ロスコさんの絵をパクろう見てから、アイデアがどんどん湧いてきた。書く度に新しいアイデアを思い付いて、書いては消しての繰り返しだった。恐るべしマーク・ロスコ。

 人に見せられるぐらいになってきたのではないか思うし、アイデアも出てこなくなった。細かい変更はあっても恐らくこれが完成に近い物だろう。こんな物になって自分でもびっくりした。ちょっと嬉しい。

blog cover 上 5-3
blog cover 下 3-6
blog cover 上下 3-8

以下、以前の物

blog cover 上 1
blog cover 下
blog cover 上下2




『成人月歩/牛野小雪』


  フミヒト(文人)はバックパックの中を確かめた。ここ数日何度もやってきたことだ。今まで荷物を足したり減らしたりしていたが、今ではそれも無くなった。三日前からバックパックを背負って一日中近所を歩いた。それを見た近所の人や知らない人からがんばれよと声をかけてくれた。一言だけならこちらも頭を軽く下げるだけだが、散歩中のじいさんが彼を呼び止めて話を始めた時には参った。
 
 初めは月の歩き方を教えてくれるのかと思っていたが、そんな話は最初だけで彼自身の人生哲学とそれを活かしてどれだけ自分が立派に生きてきたかの自慢話が始まった。歩くだけでもよぼよぼだったのに、話をしている最中はほとんど息継ぎもせず一時間近く立ちっ放しで喋り続けた。自慢話が終わると今度は今の若い奴がいかにだらしないかの話に変わって、フミヒトが知らない人を口汚く罵っていた。一人の話が終わると『なあ、あんただって、そう思うだろう? そりゃそうだ。誰だってそう思う。俺は寛容なぐらいだ』と同意を求める言葉を挟んだ。しかし、フミヒトがそうだとも違うとも答える前に話は次の人に移るのだった。

 結局、その人は二時間近く話をしてフミヒトから離れた。足取りはよぼよぼだったが、どことなく溌剌とした勢いがあった。それとは逆にフミヒトは二時間立ちっ放しだったので、膝の軟骨がぺしゃんこに潰れてしまったように感じた。バックパックを背負っていたのでなおさらだ。歩くより体の負担が大きいと思った。老人よりもよぼよぼとした歩みで近くのベンチに腰を降ろすと、一時間近く足を休めた。

 二日目からは多分バックパックを背負って一日中歩けるだろうと分かってきた。三日試したのは念のためだ。

 もう一度バックパックの中身を確認する。荷物の量は個人に任されている。多くの荷物を持てばそれだけ重くなり、歩みは遅く日数もかかる。荷物を少なくすれば反対に歩みは速く短い日数で事が終わる。

 これから三日後に彼はムーンシティを出て、アルテミス山に一人で登らなければならない。15歳になれば誰もがすることだ。いつから始まったのかも分からない成人の儀式で、父も祖父も、そのまた曽祖父もみんな15歳になるとアルテミス山に登った。先祖に例を辿らなくても、同級生のレツヒト君は誕生日が早かったので、学年の初めにやはり登った。彼は自信があったので少ない荷物を担いで、短い日数で帰ってきた。また親友のマサヒト君は大きな荷物を担いで、長い日数をかけて戻ってきた。あまりに長い時間戻ってこないので彼は死んでしまったのではないかとフミヒトは恐くなったものだ。彼の両親もまた心配していたようで、シティのゲートでマサヒト君を待っていると、毎日彼の両親の姿を見つけた。

 成人の儀式で死んだ子もいるらしい。毎年そんな話を聞く。ただ、本当に死んだ子の話をフミヒトは聞いた事がなかった。同級生の誰も知らなかったし、父も知らなかった。ただ祖父の同級生が一人運悪く隕石にぶつかって死んだということがあるらしい。データベースを検索してみたが、本当のことか分からなかった。

 隕石に限らず成人の儀式で死んだ噂はいくつある。テントの生地が破れて死んだ。空気の残量が足りなくてドームを見ながら死んでいった。アルテミス山の頂上は重力が弱く、そこから宇宙へ飛んでいってしまい月に戻れなくなった。中には宇宙の闇からやってきた大きな化け物に襲われて死んだという怪しげな噂もあった。もしくはUFOに攫われたとか。どれも本当のことか分からないということだけが共通している。

 アルテミス山は見ようと思えばいつでも見る事ができる。ムーンシティの端へ行けば、月の砂漠のその向こうにそびえたつギザギザの山。それがアルテミス山だ。そびえたつというと大げさだが、実際はドームの頂上より少し高いくらいらしい。らしいというのは実際に登った事がないからで、教科書やデータベースに載っているデータを元にフミヒトが想像したことだ。でも、他の人に聞いた話を考えると、そう間違ってはいないと予想はしていた。

 担いでいく荷物を確認する。多分使わないであろうと思える物がいくつかある。でももしかしたらと頭がよぎる。だれかに相談することはできない。荷物を決めるのも儀式の一つだからだ。2週間前、うかつに父に訊いてしまったことがあるが、父はそれを優しく諌めただけだ。ただ答えられるなら答えたいという複雑な顔はしていた。

 母は直接言葉にはしないが、とにかく荷物を持たせたがった。フミヒトも初めはそうしたが、そうすると荷物が重たくなりすぎるので、途中からは減らし始めた。それでも減らしきれない物がいくつも残った。時にはバックパックから減らしたこともあるが、日が変わるより先にそれは元に戻った。減らしきれない無駄な荷物は自分の不安なのだと分かってきた。分かったからといって減らす事はできない。結局は担いでいくことにした。

 それから出発の日までは体を休めることにした。するのは荷物とアルテミス山までの道程を確認すること。成人の儀式があるからといって学校が休みになることはなく、いつも通りに出席した。ただし、宿題はしなくても特に怒られる事はない。制度として決まっているわけではないが、慣習として大目に見られていた。噂ではテストで悪い点を取っても成績には響かないらしい。こんな時に宿題をする馬鹿はいない。先例に倣ってフミヒトも学校へ行くだけで宿題は一切しなかった。学校から帰るとベッドで横になり頭の中で月の砂漠を歩いたり、アルテミス山に登ったりを繰り返していた。

 やがてフミヒト15歳の日になった。今日はまだ太陽が出ない時間からベッドを出て服に着替えた。両親も静かに起き出して部屋を出たり入ったりした。特に何かを放したわけではない。朝食を食べて、朝のニュースを少し見て、普段は読まない新聞の見出しを端から端まで読むと、フミヒトが決めた出発の時間になった。ザックを背負って玄関へ行く。フミヒトは言った。「それじゃあ、ちょっと行ってくる」

 父は居間で新聞を読みながら座っていた。母は玄関の外まで出てフミヒトを見送った。ここはまだドームの中だが、すでに儀式は始まっているのだとフミヒトは思った。

 一時間ほど歩くとムーンシティのゲートまで来た。マサヒト君がそこにはいた。彼は軽く手を上げただけで何も言わなかった。フミヒトも手を返して口には笑みを浮かべた。

 すぐに彼を通り過ぎて、ゲートの中に入った。そこにいる警備員に生徒手帳とドーム外活動許可証を提示した。彼は軽く目を通しただけですぐにゲートの先に促した。そこにはもう一人成人の儀式を受ける子がいてフミヒトより大荷物だった。彼は既に宇宙服を着込んでいて、何か話しかけられる状態ではなかったが、フミヒトは彼に笑みを投げかけた。彼の方でもヘルメット越しに笑みを返してきたが、固い笑みだった。もしかすると自分もそんな顔をしているのかもしれない。

 シティドームと外の間にある気圧調整室の中でフミヒトは宇宙服を半分だけ着た。ゲートが開くまでは時間がまだまだあるのだ。それでいえばもう一人は少し気が早すぎると思った。

 それでも時間はあっという間に過ぎて、すぐにゲートが開く時間になった。その頃にはフミヒトも宇宙服を着終えていた。

 ゲートが開いた。そこには黒い空に灰色の砂漠が広がっていた。さらにその先でアルテミス山が黒い空をギザギザに切り取っている。

 フミヒトから灰色の砂漠に一歩を踏み出す。砂埃が膝の下まで舞った。すぐにもう一人も砂漠へ出てきた。少し歩くと後ろの方で振動を感じて、二人とも振り向くと、ちょうどゲートが閉まったところだった。

  もう一人の方が顔を戻したが泣きそうな目をしていた。フミヒトもあと一つ何かあれば泣いてしまうかもしれないぐらい胸の動揺を感じていた。すぐに顔を前に戻して歩き始める。

 初めはもう一人の子と一緒に歩いていたが、すぐに引き離してしまった。歩く速さが違いすぎるのだ。体格ではそれほど変わらないが、荷物の差がここで出てきた。先を歩いているからといって、心に余裕が出たわけではない。むしろその逆で、もしかすると自分は荷物を軽くするために何か大事な物を忘れているのではないかと常に不安になった。

 白い太陽に照らされながら灰色の砂漠を歩き続けた。目の前のアルテミス山はいつ見ても同じ大きさに見えた。不安になり後ろを振り向くと、小さくなったムーンシティが見えたので、確かに前に進んでいると感じる事ができた。小さく揺れ動く点はもう一人の子だろう。

 太陽が真上を通り越して山に近付いた頃、フミヒトはザックを降ろして圧縮テントを地面に置いた。ボタンを押すと中の装置が働いてテントが膨らんできた。その間、フミヒトは歩いてきた砂漠を振り返り、すでに設営されたオレンジ色のテントを見た。自分は遅いのかもしれないとまた不安になった。フミヒトのテントは蛍光色のグリーンだ。そのテントが出来上がったので彼は中に入った。気圧調整室で一時間ほど過ごし居住スペースに入る。ザックを降ろし、宇宙服を脱ぐと、やっと気分が落ち着いてきた。

 携帯宇宙食を出して食べた。不味くはないが美味くもない。それでも腹がふくれるまで食べていた。こんなものを腹一杯に食べるなんて昨日までは想像も出来なかったが、実際に来てみるとその通りだった。もう一人の子も今頃は腹一杯に携帯宇宙食を食べているんだろうかと考えていた。

 新品の宇宙テントは化学繊維の冷たいにおいがする。そこに寝袋を敷いて中に潜ったがなかなか眠れなかった。出発するまで宿題をわざとしなかったこと。新聞を読んでいた父の頭、玄関まで見送りに出た母の手、ゲートで待っていたマサヒト君などが頭に短く浮かんではすぐに消えた。それが何度も続いた。

 夜の間、それがずっと続いて疲れが取れないまま朝になった。携帯宇宙食を食べると宇宙服を着て外に出た。テントのボタンを押すと、中の空気が圧縮されて40センチ四方の大きさまで縮んだ。それをザックの下にストラップで縛り付けた。荷物の中ではこれが一番重い。背負う前と後ではっきりと重さが分かった。

 また歩き続けた。後ろの子はしばらく目をこらさなければ見つけられないほど離してしまった。ムーンシティも気を抜いていると風景に紛れるほど小さくなった。アルテミス山はやはり同じ大きさに見える。

 太陽が沈む前にテントを張った。今日は後ろの子は見えなかった。体には二日分の疲れが溜まっていた。

 テントの中で宇宙食を食べて寝袋の中に潜り込む。相変わらず眠れなかった。頭に浮かぶのは過去の事ばかりで、不思議と将来のことは浮かんでこないと気付いた。公園の噴水に頭から落ちたこと、父のライターを勝手に持ち出してマサヒト君と一緒に新聞紙を燃やしたこと、自転車でムーンシティの端から端まで行こうとして半日でやめたことを思い出す。

 また眠れない夜を過ごして朝になった。昨日よりは体の疲れが抜けた気がする。それでも一昨日の分の疲れはそのままだし、昨日の疲れも半分は残っていると感じた。まだ山にも着いていないのに大丈夫だろうかと不安になった。

 三日目にようやくアルテミス山の麓に着いた。足元が詰まって壁にぶつかったようだった。それでふと上を見上げると山の麓だった。突然現れたように感じた。少し登って平らな部分があったのでそこにテントを張った。

 テントの中でザックの中身を広げると、やはり必要なかったと思える物がある。次の日の朝はそれをその場に置いて先に進むことにした。どの道帰りは同じ道を歩くつもりだ。荷物を置いた分だけ歩みは速くなった。山を登り始めて三日目にまた荷物を減らした。

 四日目にはテントを置いて出発した。頂上は見える位置に来ていたし、GPS上でも半日かからずに着く場所だ。

 宇宙服と僅かな荷物だけで山を登った。今までで一番足取りが軽かった。予想より早く頂上に着いた。 頂上にはアルテミスの神殿があって、そこにある端末にフミヒトの情報が入ったカードを差し込む。端末の画面が変わって『登頂完了』の4文字が出た。

 フミヒトは息を吐いた。これであとは帰るだけだ。

 彼は下山する前に神殿の階段に腰を降ろした。神殿は頂上にあるので遠い場所にある丸いムーンシティの光がはっきりと見えた。それと灰色の月の砂漠。ゲートから見た砂漠はとてつもなく広く見えたが、今は歩き通せないこともないと思えた。実際に歩いてきたのだから。

 目を上に向けると白い地球が見えた。フミヒトは地球へ行った事がないが、そこでは月と違って、石英の白い砂漠がどこまでも広がっているらしい。赤道上に点々とある黒い点は太陽光発電のパネルで、そこで発電した電力を目には見えないレーザーに変換して月へ届けるんだそうだ。

 マサヒト君のお父さんは保守点検の仕事をしていて、二年に一度、地球で半年過ごしてくる。彼はいつも体を鍛えていて、筋肉隆々の凄い体をしているが、地球から帰ってくると、もっと凄い体になって帰ってくる。そんな彼でも地球では自分の体が重く感じられるそうだ。地球へ行く前に体を鍛えておかないと地球の重力で体が潰れて何もできないとも聞いた。その代わり宇宙服無しで外を歩けるそうだし、水もおいしいそうだ。

 自分が生きている間に地球へ旅行できる日が来るかななんて考えながらフミヒトは腰を上げた。あとになって太陽光パネルの保守点検員になろうとは考えなかったなとも思った。将来は月の田舎から火星へ行って、ユートピアタウンでスーパースターになり、マリネラス渓谷辺りにピンク色のデカイ家を建てるんだとずっと考えていた。

 山を下って、テントの場所まで戻るとそのままそこで一夜を過ごした。

 朝になるとテントをザックに入れて山を下っていく。そういえば夜は何も考えずに眠りについている事に気付いた。

 自分が置いていった荷物を回収してさらに下っていく。荷物は増えていくが歩みは速い。

 下山開始から三日目にもう一人の子とすれ違った。ヘルメット越しに笑みを交し合う。彼は良い顔をしていた。どこかで見た事がある顔だとも思ったが、そのまま通り過ぎた。

 最初に荷物を置き去りにした場所まで来た。フミヒトの物とは別の荷物がそばに置いてある。きっとあの子の物だろう。自分の物だけをザックに入れて先へ進んだ。これで出発した時と同じ重さになったが、今は軽く感じられた。

 山を下りきってからテントを張り、夜を過ごすことにした。久しぶりに色んなことが短く頭を巡り、なかなか眠れなかった。

 ふとある顔が浮かんだ。幼稚園の頃に転校したケイタ君で彼は僕と同じ誕生日だった。家も近くで一緒にお互いの誕生日ケーキを食べ合う仲だった。その顔と山ですれ違った顔が重なる。なんだ、あれはケイタ君だったのか。確かめたわけではないが、フミヒトは確信していた。あれはケイタ君だと。翌朝アルテミス山に目を向けたが、そこを登るケイタ君は見えなかった。

 それから月の砂漠を二日歩いてムーンシティに帰ってきた。気圧調整室からドーム内に入ると警備員の人が言った。

「おかえり」
 久しぶりに聞いた人の声だった。何でもない言葉に胸が揺れて泣きそうになったが、そこは耐えてフミヒトも「ただいま」と言葉を返した。

 家に帰ると今度は両親から「おかえり」の声を聞いた。なんだか恥かしくて、フミヒトはすぐに自分の部屋に入った。ベッドでほんの少し眠るつもりが一日中眠っていた。

 成人の儀式は終わって一週間が経った。だからといって何かが変わったわけではない。両親からは相変わらず子供扱いされるし、夜遅くに外でいると警官に補導されそうになる。宿題はしなくちゃならないし、輝ける大スターへの道はまだ見えてこない。ケイタ君とはあれっきりだし、同じクラスのエミちゃんとは話せないままだ。それでも彼の成人の儀式は終わった。


(終わり)

この世が最悪の世界だと見抜いたタクヤは、
夜行バスに乗り徳島へ家出したが
彼の乗ったバスは徳島へ到着しなかった。


『I’m Walking/牛野小雪』


 山を一つ越えると一軒の家が見えた。屋根と壁は崩れ落ち、柱が剥き出しのままになっている。念のため外から家の中を覗いてみたが、人の気配はもちろん、使えそうな物もなかった。
その家を後にして、そのまま歩き続けると建物がまた見えてきた。今度は何軒もある。町に出たようだ。どの家も窓ガラスは割れていたり、外壁が剥がれ落ちていたり、屋根の瓦が無かったりした。割れた窓からは部屋をかき回された跡が隠しようも無く残っていた。まともな家は一軒もない。どれも見慣れた光景だ。
 中にはドアを強引にこじ開けられた形跡のある家もある。その家は窓に板を打ち付けていて、外からは中の様子が見えなかった。開いたままのドアからもやはり見えない。光は玄関までしか届かなかった。かつての住人の悲惨な結末を想像すると、中に入ろうとは少しも思わなかった。さらに歩を進める。
 道路はどこもひび割れていて、そこから雑草が膝より高く伸びていた。
 そのさまを見るとレツヒト(烈人)は大きく息を吸って、背中のザックを小さく持ち上げた。そして吸った息を吐く。
 まともではない家をいくつも通り過ぎると、ようやくまともな家を見つけた。瓦が一枚落ちているが、外壁はどれも真っ直ぐ貼り付いていたし、窓ガラスは割れていない。レツヒトは窓付きの家を見つけたのはいつの事だったかと思いを巡らした。それは一ヶ月前のことだったと思い出す。もう一年も前に感じられた。
 世界が変われば、時間も変わる。一ヶ月前が一年前で、三年前が昨日のように感じる。
 レツヒトはドアの前に立ちノックした。チャイムも押してみたが音は鳴らない。
 もう一度ノックをしてからドアを開けた。鍵はかかっていない。
 ほこりがかぶっているとはいえ、家の中はきれいに整っていた。荒らされた形跡もない。一ヶ月前の家よりはるかにまともだった。かつてまともだった世界がここにはあったので、自然と玄関で靴を脱ごうという気にもなった。
 靴からスリッパに履き替え、ザックを玄関に降ろすと中に入った。
 玄関脇の部屋を覗くと、革張りの黒いソファーに箱型のステレオ。本棚にテレビ。大きなクリスタルの灰皿があった。昔風の趣味だが、ここにはまだ人が住んでいるのかもしれない。
 レツヒトは大きく咳払いをして、壁を手のひらで何度か叩いた。
 続けて声を出そうとしたが、もうずいぶん長いこと言葉という意味で声を出していないので、自分でも言葉が浮かんでこなくてとまどった。それでもう一度壁を手のひらで叩き大きな音を出した。
 しばらく待っても声は聞こえなかったし、何かが動く気配もなかった。
 レツヒトは鼻から短く息を吐いて、さらに家の奥へと進んだ。和室が一つあって、そこにはこたつと皿に盛られたミカンがあった。ミカンは干からびている。胸の中にかすかな違和感が湧いた。今までいくつも干からびた野菜や果物を見てきたが、こんな場所で見るのは初めてだった。
 さらに進んで廊下の突き当たりまで来た。二つの部屋はドアが開いたままだったが、ここだけはドアが閉まっていた。念のためにドアをノックする。
「誰かいるか?」
 久しぶりに出した声は意外にも大きく滑らかに出たので自分で驚いた。もう一度ノックをする。返事も無く、物音も無かった。
レツヒトはドアをゆっくり開けると、部屋にある物を見た瞬間ドアを閉めた。
 体中の血が勢い良く巡る音がした。それに合わせて顔が熱くなる。部屋の中には首を吊った死体があったのだ。
 記憶の中でもう一度部屋の中を見ると、死体はやはり干からびていて、目玉の無い黒い目でレツヒトを見下ろしていた。
もう一度部屋の中を見ようとドアをゆっくり開けたが、その途中で濃厚な死臭を嗅いだので、レツヒトはえずきながらドアを閉めた。
 壁に手をつきながらソファーのある部屋に戻って、ソファーに体を投げた。ほこりが高く舞ってまた咳き込む。
 それも落ち着いてくると、両手を頭の後ろに回して目をつぶった。こんな世界でもソファーは柔らかい。久しぶりの柔らかい感触だった。
 よし、今日は良いねぐらを見つけた。ここを拠点にしてこの町を探索しよう。今までの経験からこういう場所では食べ物が見つかる。歩きづめの野宿生活は疲れたから、まだ日は高いけれど、ここで眠ってしまおう。
 そんなことを考えながら眠りに入ろうとしたが、さっきの首吊り死体が見下ろしているような気がして何度も目を開けた。
 長い野宿生活で墓地に寝たこともある。レツヒトは幽霊をすっかり信じなくなったが、それでも気になるものは気になる。墓地で寝たのも暗くて気付かなかったからだ。もし気付いていたならさらに歩いて、違う場所で寝ただろう。
 しばらく何の考えも頭に浮かばない静かな時間があって、レツヒトは突然立ち上がると本棚から本を一冊抜き出して部屋を出た。
 ザックに本を放り込むと、すぐさまこの家を出ることにした。
 レツヒトはドアノブに手をかけると、ドアの内側に張り紙があることに気付いた。そこにはこう書かれている。
『侵入者に災いあれ 永遠の呪いを受けろ』
 白い半紙に墨と筆で書かれていた。
恐怖に駆られてその張り紙を剥がそうとしたが、その寸前でやっぱり止めた。
 すぐさまその家から出て、逃げるようにそこから離れた。何度も後ろを振り返り、その家が見えなくなると、やっと胸の中が落ち着いてきた。
 日陰があったので、そこにザックと腰を降ろして一息着いた。
 
 体を休めて再び歩きだすと、すぐに大きな四角い建物が見えた。スーパーだ。看板には『セブン』と書いてあった。 
 玄関のドアは破られていて、店の棚には干からびた果物さえ無かった。それでも何か使えそうな物はないか入ってみることにした。無ければ無いで、ここを今夜のねぐらにするつもりだ。
 店内を一通り巡ると食品棚は掃除したみたいに何も無かった。缶詰の棚も同じだ。併設の小さな薬局に風邪薬の箱が三つ残っていたのでその内の一つを手に取った。包帯の箱はあったが、蓋は開いていて小指より小さくなった包帯が一巻きある。誰かがここを拠点にしていたようだ。
 一度店から出て倉庫に入った。ここもやはり人が入った跡があって、ざっと見たところ目ぼしい物がなかった。倉庫の隅に綺麗に積みあがった発泡スチロールの箱があったので、不思議に思って中を見ると、すっかり干からびた秋刀魚が詰まっていた。干物ではなく、無加工の丸太状態だ。どうりで誰も手を付けていないはずだ。
 ひっくり返ったダンボールを1つずづ調べていった。略奪する時は誰もが急いでいるので意外と残っているものだ。その証拠に3つ目のダンボールを持ち上げると、スナック菓子の袋が1つ落ちてきた。
 空のダンボールは畳んで隅に積んでいく。日が暮れるまでそれを繰り返して缶詰が10個とスナック菓子を3つ見つけた。
 その日の夜はスナック菓子を食べてから、倉庫の隅に積んだダンボールのベッドに潜りこんで眠る。ダンボールも積み上げればそこそこ柔らかく、侮れない寝心地の良さが味わえる。久しぶりにぐっすりと眠り、朝日が登るとスーパーを出た。
 コンビニに立ち寄り、新聞があったので立ち読みをしてみると3年前の日付だった。それに以前読んだ記事だと気付いた。それでもレツヒトはその新聞をザックの中に入れた。新聞紙は軽くて役に立つことが多い。
 昼になった。日陰を探して昨日のスナック菓子を二つ食べた。それと服も一枚脱いだ。夏は過ぎて冬になろうとしているが、歩いていると体が熱くなってくる。冬でも太陽の下なら半袖で過ごす事ができるほどだ。世界が変わる前は想像もしたことがなかったことだ。
 それからまた歩き続けて、夕方になる前に建物が途切れ始めた。今度は町を抜けて野原をあるくことになりそうだ。
 町と野原の境目に頂上が開けた小さな山を見つけたのでレツヒトはそこに登った。通る人がいないので草が膝より伸びていて、ジーンズの表面をずっと撫でた。
 夕方になる前に焚き木にできそうな枝を集めた。それから山の頂上に立っていた銅像のそばで枝を組む。そこは玉砂利が敷かれていたので、寝るにはちょうどいい場所だった。焚き木を組んでから気付いたが、銅像は源義経だった。銅版に謂れが書かれてある。ここから四国に上陸して屋島に向かったらしい。
 太陽が半分以上沈んだがレツヒトは火を付けなかった。それどころか焚き木から離れて町をずっと見ていた。太陽が沈んでから完全に闇に包まれるまでそれを続けた。
 暗い闇を見渡し、どこからも明かりが出てこない事を確認すると、レツヒトはやっと焚き木に火を着けた。今夜は月の無い晩で辺りは完全なる闇だが今まで何度も繰り返してきた事なので、目をつぶっていてもできることだ。
 焚き付けから小枝へ、小枝から太い枝へ火が移ると辺りが明るくなった。それでも星が見える程度には暗い。レツヒトはもう一度立って山から辺りを見渡したが、空の端で山の形に星空が切り取られているのが解るぐらいだった。炎の色も蛍光灯の色も見えない。
 彼は鼻から落すように息を吐くと焚き木に戻った。
それからザックから小鍋を出すと、昨日スーパーで見つけたガルバンゾーの缶詰を開けて汁ごと鍋に入れた。鍋を火のそばに置く。そこは石を三つ置いてコンロのように使える。火が通ってくると次にトマトの缶詰を入れて、さらにオイルサーディンの缶詰も入れて一度混ぜた。鍋の側面からふつふつと泡が立ち始めると、最後にプロセスチーズを一つ、ちぎりながら鍋に放り込んだ。チーズからは良いダシが出るのだ。
チーズが完全に溶けたのを見ると火から鍋を離した。
 大きなスプーンで鍋の中身をカップへ移していく。チーズのダシが利いていて、スープが美味かった。
 豆とトマトのスープをカップ三杯食べるとお腹が膨れたので鍋の蓋を閉めた。残りは朝に食べる。
 レツヒトはザックから寝袋を出して横になった。上を見ると星空の真ん中に天の川が見える。世界が変わる前は写真でしか見た事がない光景だ。どの星も目に飛び込んでくるような明るさだった。ふと小学生の頃に理科の宿題で探したオリオン座を探してみた。当時はそれほど苦労した覚えはないのだが、その時はこれほど星が多く見えなかったからだろう。今は空を埋め尽くすほど星が見えているので、かえって探しづらかった。
 焚き木の燃える音を聞きながら星を見ていたのだが、結局オリオン座は見つからず、レツヒトはいつの間にか眠っていた。
肌寒さで目を覚ますと焚き木はすっかり消えていた。久しぶりの熟睡だった。
 まだ暖かい豆とトマトのスープを腹に入れると、レツヒトは山を降りてまた歩き始めた。山から見た限りではこの先誰も耕すことがなくなった田んぼの野原が広がっている。
 今日は風のない日でレツヒトの歩く音だけが静かに聞こえた。

(おわり) 
 
この世が最悪の世界だと見抜いたタクヤは、
夜行バスに乗り徳島へ家出したが
彼の乗ったバスは徳島へ到着しなかった。


イカを投げる?

とある事情で今書いている話の主人公がイカを投げているのですが"イカを放り投げた"またイカを投げた"イカを投げた"と書いているうちに、あれっイカを投げるって何かの慣用句じゃないんだろうかと気になって広辞苑を引きました。
しかし、"投げる"でも"イカ"でもそんな慣用句はない。Googleで調べてもやっぱり無い。throwing やtentacle、squid でもそれっぽいのは出てこない。ずっと調べていたがかすりもしない。結局私は匙を投げました。
でもイカを投げるって慣用句っぽくないですか?
イカを投げる状況からして、他に選択肢のない一時しのぎという意味になると思うのですが・・・ 
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