ターンワールド
「面接」は、誰にとっても一度は通過せざるをえない通過儀礼である。だが、『ターンワールド』における面接は、それをはるかに超えたメタ的装置として機能している。
この物語の主人公タクヤは、現実世界で就活を迎えた若者である。彼は“正しい答え”を探し続けるが、企業から返ってくるのはお決まりの「検討します」。面接とは「答え合わせのない試験」であり、「自分を語る」行為のはずが、実際には「正解らしき自分を演じる」作業となる。その疲弊と空虚が、タクヤを「向こうの世界」——いわば内面世界、あるいは別の可能性世界へと引きずり込んでいく。
この「向こうの世界」は一種の異世界だが、そこにおいてもまた面接的な試練が繰り返される。老婆との生活、謎めいた老人との旅、仲間たちとの交流。いずれも、「自分は誰なのか」を問われる局面ばかりだ。つまり、「就活面接」という現実の制度は、物語全体に散りばめられた象徴的な問いへと拡張されているのである。
『ターンワールド』が鋭く描くのは、「正しさ」と「本当らしさ」との裂け目だ。
現実世界では、タクヤは「就活生」として社会に受け入れられる形を模索する。だがその過程で、彼の本音や曖昧な感情は排除されていく。「自己PR」と「志望動機」が自己言及的な迷宮になる瞬間が繰り返される。やがて彼は、自分でも気づかぬうちに「他者の期待に最適化された存在」になりつつある。
一方、異世界においては、彼の語りや行動がより素朴な形で表現されるが、それでも「あなたは誰か?」「なぜここにいるのか?」という問いが執拗につきまとう。そこでは正解もなく、ただ祈りと選択だけがある。雨、崩壊、別れ——すべてが象徴的に配列されたこの世界では、面接のように「評価」してくる相手はいない。それでもタクヤは悩み、決断し、立ち止まり、再び歩く。ここに、社会的アイデンティティを超えた「存在としての自分」への問いがある。
この作品は、若者のアイデンティティ形成における「受動性」と「能動性」の間のジレンマを緻密に描いている。
タクヤは決して積極的な挑戦者ではない。むしろ、曖昧で、弱く、言葉に詰まり、流される。それでも、彼は世界との接点を持ち続けようとする。就活の失敗も、旅の中での小さな選択も、すべて「正しい道」を選べなかった人間の足跡だ。しかし、それゆえに読者は彼を見捨てない。むしろそこに「自分のことのようだ」と共鳴する。失敗しても、迷っても、何者かであろうとする姿。それが、若者のアイデンティティのリアルな側面なのだ。
「崩壊」が終末ではなく、変化の予兆として描かれる点も特筆すべきだ。
物語の終盤、祈りとともに世界は崩壊する。雨が降る。この終末的な情景は、破壊というよりむしろ浄化である。就活という制度、社会という枠組み、役割という仮面。そのすべてがいったん解体されることで、ようやく「自分にとっての意味」が浮かび上がるのだ。雨の中、タクヤが帰る道筋が示されるのは、「再出発」の可能性としてのアイデンティティが提示された瞬間である。
『ターンワールド』は、単なる青春ファンタジーではない。
これは、面接という日常的かつ構造的な制度を通じて、「現代の若者はどのように自分を探し、語り、選ぶのか?」という問いを深く掘り下げた物語だ。形式的に語るならば二重世界構造の物語だが、実際には自己探索という古典的テーマを、現代日本の若者のリアリティとリンクさせて再構築している。
その問いは読者に返ってくる。「あなたは、誰ですか?」と。
就職活動(就活)が「運ゲー」と感じられる理由は、さまざまな要因が絡み合っており、個人の努力だけでは制御しきれない部分が多いためです。以下に、その主な理由を詳しく説明します。
1. 競争の激しさ
応募者数の多さ
日本の大手企業や人気業界では、1つのポジションに対して数百人以上の応募者が集まることも珍しくありません。この高い競争率では、優れた経歴やスキルを持っていても、選考の過程で不合格となることが多く、結果が運に左右されやすくなります。
限定された採用枠
多くの企業は新卒一括採用を行っており、年度ごとに採用枠が限定されています。このため、応募者全員を受け入れることができず、選ばれる確率が低くなることから、運の要素が強まります。
2. 主観的な評価基準
面接官の主観
面接では、面接官の主観やその日の気分、評価基準の違いが結果に大きく影響します。同じ応募者でも面接官によって評価が分かれることがあり、公平性に欠けると感じることがあります。
エントリーシートの評価
エントリーシート(ES)の評価も主観的であり、記述内容や表現方法が評価に大きく影響します。どの部分が評価され、どの部分が減点されるかは明確ではないため、運の要素が介在しやすいです。
3. タイミングと運
タイミングの重要性
就活には「早割」や「遅割」といったタイミングの影響が大きく、早めに行動することで有利になる一方で、遅れてしまうと希望する企業に応募できないこともあります。このタイミングの運も結果に影響します。
偶然の出会い
ネットワーキングや紹介など、偶然の出会いが就職先を決定する要因になることがあります。これらの出会いがなければ、同じ努力をしていても結果が異なる場合があり、運の要素が強まります。
4. 情報の非対称性
情報へのアクセス
企業情報や採用情報へのアクセスに差があると、有利な情報を持っている人とそうでない人との間で不公平が生じます。情報を早く得られるかどうかも運に左右されます。
サポート環境の違い
大学や地域によって提供される就活サポートが異なり、支援を受けられる環境にあるかどうかも結果に影響します。これも個人の努力だけではコントロールできない運の要素です。
5. 経済状況や市場の変動
景気の影響
経済状況や業界の景気によって、採用枠や求められるスキルが変動します。景気が悪化すると採用が減少し、逆に好況時には採用が増えるため、外部要因によって結果が左右されます。
企業の採用方針の変化
企業の経営戦略や採用方針が突然変わることもあり、これにより予期せぬ影響を受けることがあります。これも運に左右される要素の一つです。
6. 個人のプレゼンテーション能力
自己PRの成功
自己PRや志望動機の伝え方がうまくいくかどうかは、個人のスキルやセンスに依存します。同じ内容でも伝え方次第で評価が変わるため、運の要素が絡みます。
緊張やコンディション
面接当日の体調や緊張具合もパフォーマンスに影響します。これらは個人のコントロールが難しく、運に左右されやすいです。
7. バイアスや偏見
無意識のバイアス
面接官や採用担当者の無意識のバイアスが評価に影響することがあります。性別、出身校、趣味などが不公平に評価されることがあり、これも運の要素となります。
企業文化との適合性
応募者の性格や価値観が企業文化と合うかどうかも評価のポイントとなります。これは測りきれない部分が多く、結果が運に左右されやすいです。
まとめ
就職活動が運ゲーと感じられるのは、個人の努力だけでは制御できない多くの要因が結果に影響を与えるためです。競争の激しさや主観的な評価基準、タイミングや情報へのアクセス、経済状況など、多岐にわたる要素が絡み合い、結果が予測しにくくなります。しかし、運の要素がある一方で、準備や戦略次第で成功の確率を高めることも可能です。自己分析やスキルの向上、ネットワーキングの強化など、できる限りの努力を続けることが重要です。

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ターンワールドは主人公のタクヤが現実世界から異世界に迷い込み、そこで様々な人々と出会いながら自身の生き方を模索していく物語です。
1.就活について
2.就活の歴史
3.就活と就職氷河期
4.就活はなぜつらいのか
5.就活の肯定的な未来と否定的な未来
6. 【詩】就活
7. 【詩】勝手にしてろ、就活
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自我という幻想を追い求めて
我々は何を見失ったのか
自己の確固たる境界を描きながら
結局 他者との融合を恐れる
社会の舞台で演じる役割に
自我は必要であったか
無数のマスクを被り
本当の顔を忘れてしまう
世界は問う 自我とは何かと
しかし答えは風に乗って飛んでいく
自己とは無限の反映の中に存在し
結局は他者の目を通してしか見えない
自我が溶けていくことに抵抗する代わりに
その流れに身を任せれば
私たちはもっと自由になれるのではないか
自我の枠を超えた広大な世界で
自我を問う旅は終わりなき道
その探求自体が意味を成す
結局 自我は必要であったのか
その答えは各自の心の中に
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就活の熱に焼かれて
自我がゆっくり溶けていく
かつての夢は遠く霞み
今はただの数字の群れ
面接の椅子に座るたびに
一片の魂を置き去りにし
エントリーシートには
自分ではない誰かの声が響く
質問に答えることは
沈黙の海で泳ぐこと
答えはあるが声は出ない
本当の自分はどこに
自己PRは自己放棄へと変わり
強みと弱みの議論の中で
本質は静かに薄れていく
残されたのは形だけの肖像
就活で溶けていく自我を見つめ
笑うことしかできない
この過程が終わったとき
残るのは何か自問自答する
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就職活動の舞台で若者たちは踊る
一枚の履歴書に人生を凝縮し
面接官の前で自己を演じる
企業は理想の候補を求め
学生は夢の職を探す
お互いの目は鋭く しかし心は遠く
エントリーシートの文字には
熱い情熱と冷たい計算が交錯する
人生の道を選ぶという幻想の中で
面接室の静けさの中
未来への扉が静かに開く
成功の鍵は誰の手に
就活の茶番を超え
真の自己を見つけ出す旅は続く
この道の終わりに何が待っているのか
哲学的探求も皮肉な笑みも
この試練の中でひとつになる
就職活動とはそう 人生の奇妙な舞台
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就職活動の茶番、それは現代社会の成人式、若者たちが自らを市場に売り込むための仮面劇。この劇では、個人の価値は一時的な役割と交換され、自己実現の夢は企業の要求する形に型押しされる。
皮肉なことに、この茶番を乗り越えることの無意味さこそが、真の通過儀礼となる。エントリーシート、面接、グループディスカッションは、自己を探求する旅ではなく、自己を忘れるプロセス。それでもなお、若者たちはこの儀式を経ることで、社会の一員としての地位を獲得する。
この過程で、我々は自己の矛盾と向き合い、他者との競争の中で自我を確立する。就活の茶番は、自己を見失い、再発見する旅であり、その過程での苦悩と挑戦が、個人を成長させる。
だが、この通過儀礼は、その全てが一種の社会的な演出に過ぎないということだ。成功とは、しばしば外部からの承認に依存しており、真の自己実現はその茶番を乗り越えた場所にある。つまり、自己の価値を社会の尺度ではなく、内なる信念に基づいて評価することである。
就活の茶番を乗り越えることで学ぶのは、自己の内面にある強さと、個人の価値が他者によってではなく、自分自身によって定義されるべきであるという真実である。この認識こそが、真の通過儀礼としての価値を持ち、我々を自由にする。
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就職活動の苦悩、それは現代の若者が通過しなければならない、無情なる成人式。この過程は、個人の価値を市場での価値と同一視し、人間を一つの製品として扱う、システムの冷徹な展示会である。
面接室の閉ざされた空間で、自己紹介という名の自己宣伝を繰り返す。この儀式は、自分を売り込むための競争であり、その過程で多くの者は自分自身を失う。個人の独自性や夢は、企業が求める形式に削ぎ落とされ、統一された模範解答に変わっていく。
履歴書には、人生の業績を箇条書きにするが、その背後にある苦労や情熱は、文字数の制限によって見過ごされる。就活は自己実現の過程であるはずだが、自己放棄へと誘う道となっている。
就活のつらさは、単に仕事を見つけるという行為以上のものである。それは、自己の価値を社会が定義する尺度に委ねるプロセスであり、この過程で、多くの者が自己疑念と戦うことになる。自分の存在が、経済的価値や社会的役割によってのみ評価される世界で、個人の本質や情熱はしばしば軽視される。
就職活動の苦悩は、現代社会が個人に求める「成功」のイメージと、自己実現の間の葛藤から生じる。この過程を乗り越えることは、単に職を得ること以上に、自己のアイデンティティと向き合い、自分自身を理解する旅である。しかし、この苦難の旅は、自分が本当に何を求めているのかを見出す貴重な機会でもあるのだ。
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就活の面接、それは現代の儀式、一種の人生の試練。ここでは、若き魂たちは、自らの存在を他者に認めてもらうために、社会の審判台に立つ。この場所は、自己の価値を証明する闘技場であり、面接官はその裁定者となる。
この審判の過程は、真の自己を探求する旅ではなく、むしろ、予め決められた役割を演じる演劇であることが多い。面接というステージ上で、個人は自らを一つの商品として売り込む。しかし、商品のラベルには、その内容の全ては書かれていない。
面接官は「あなたは何者か?」と問いかける。この哲学的な問いに対する答えは、しばしば事前に練習された台詞で返される。真実よりも、期待される答えが優先されるのである。個人の深い思索や感情は、この短いやり取りの中で、ほとんどの場合、隠される。
面接は、自己を見つめ、社会との関係を考える機会であるべきだが、実際には、自己を社会が設定した枠にはめ込む作業となることが多い。このプロセスで、個人は社会に受け入れられるための「適切な」自分を模索し、時には真の自己を見失う。
就活の面接は、個人と社会との間の複雑なダンスである。このダンスの中で、我々は自己のアイデンティティを再確認し、また新たに構築する。しかし、この儀式の最終目標は、自らの価値を認められ、社会の一員としての場を得ることにある。真の挑戦は、この過程で自己の本質を保ち続けることである。
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エントリーシート、それは就職活動の序章、若者たちが自らの魂をA4サイズの紙に委ねる瞬間。この文書は、企業に対する忠誠の誓いであり、自己宣伝の極致とも言える。しかし、真に自分自身を紙一枚に収めることは可能なのだろうか。
このプロセスは、個人の多面性や深みを平板な文字列に変換する。エントリーシートは、人間の複雑な内面を、企業が理解しやすい形式に削り落とす。それは、生のポエムを数値やキーワードに還元するかのような行為である。
エントリーシートは自我の一部を外に投影する過程だ。我々は、自己の本質を探りながらも、同時に社会の期待に合わせてその本質を変形させる。この文書は、自己理解と自己変容の狭間で揺れ動く。
エントリーシートは、個人が社会に対して「私はこうありたい」と願う姿を描く。しかし、その願いはしばしば、現実とのギャップに直面する。真の自己と、企業が求める理想像との間には、時に大きな隔たりがある。
エントリーシートは、現代社会の求める「人材」という枠組みに自らを適応させようとする若者たちの試みである。この文書を通じて、我々は自己のアイデンティティを再構築し、社会の一員としての役割を模索する。しかし、その過程で最も大切なのは、紙の上の自分と心の中の自分との調和を見出すことである。
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就活、それは現代の儀式、若者たちが成人への門をくぐるための試練の道。この儀式は、彼らに一つの大きな問いを投げかける。「あなたはこの社会で何を成し遂げることができるか?」
この過程はしばしば、自己の発見よりも、自己の商品化に焦点を当てる。履歴書、面接、一連の試験は、個人の能力や情熱を数値や文字に変換し、市場での価値を測るためのツールとなる。
就活は、個人が社会に受け入れられるための「適合性」を試される場である。しかし、この適合性の追求は、時に個人の真の欲望や夢を蝕む。人々は、社会が求める「理想の個人」を演じることに熱中し、その過程で自分自身を見失うことがある。
就活は哲学的な問いを提起する。我々は何のために働くのか? 社会の一員として認められることが、真に人生の成功を意味するのか? この儀式は、ただの職を得るための手段ではなく、自己実現の道となり得るのだろうか?
就活は、一人一人が自分の価値を見出し、社会とどのように関わっていくかを模索する旅である。この旅は、自己を見つめ、時には社会の枠を超えて、自分自身の可能性を信じる勇気を持つことから始まる。
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就活が出てくる小説ならこれ
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元々のネタは野宿をしながら料理人の女が四国を回る話だったが、当時は四国88ヶ所巡りが始まって1200年とかでテレビでよくニュースとか特集をやっていたので、それをネタにしようとしていて弘法太師のネタを探しに色んな寺を巡った。しかし小説のネタにするには弘法太師の行状がひどいので、あきらめたような記憶がある。仏教的には良いことらしいけどね。88ヶ所巡りをすることも考えたが1200km歩くことを考えると、やる気がしぼんだ。
ノートの右半分は野宿で何を食べるのか色々考えた跡が記されている。どうやってたんぱく質を取るのか悩んでいた。

2.チーズでダシが取れる!
『砂の上のロビンソン』という本を探していたが絶版になっているようで見つけられなかった。その代わりに『旅の重さ』と『ロード88』という映画をDVDが借りて見た。『旅の重さ』の方は何となくまだ見た感じが残っている。でも今の時代は放映できない感じだと思う。採算的な意味で。
右ページに大きく『驚き! チーズでダシを取れる!』と書いてあるのは、チーズでダシを取った豆のスープを作って食べると、とても美味しかったことの驚きを表している。本当に美味しかった。野外用の小さなコンロと小さな鍋で作って、鍋から直接食べた。その後、残った汁で雑炊を作った。これも美味かった。
そのあと水を沸かしてコーヒーをブラックで飲んだ。その日の夜は目が冴えて眠れなかった。
この時タビーという茶トラの猫の短い話の流れが書き込まれている。これは後のジンジャーに繋がる。その下にある別れた女房に執着している男はタクヤが天野巡りを始めるきっかけになる男の前世。

3.異世界創造
徳島県がすだち県になっている世界のあれこれ。お札の人物が変わっている案もこの頃に出している。もちろん歴史も違うものになっているのだが、ここまで入れると長すぎるのでカットした。一応架空の歴史を語ると、大庭義昭が仁科為吉を不破の関で打ち破って征夷大将軍になり大阪幕府が開かれているという設定になっている。
最後にちょろっと旅人がふらっとやれるような仕事を探していて、それの報酬を調べていた。でもいちいち仕事の描写を書くのも面倒なのでボツとした。タクヤはホームレスからお金を得ることになる。

4.ターンワールドのパイロット版
最後までプロットを通す。この時はまだ通しただけでプロットは完成していない。88ヶ所巡りをどうやってさせるか悩んでいた。異世界に行くので、異人(猫人間や魚人間)がいることを思いついたが、面白くないのですぐにボツとなった。
この時にターンワールドのパイロット版とでもいう短編を二つ書いた。この辺りでターンワールドのイメージを捉えたような気がする。
○成人月歩
○I'm walking

6.最後までプロットを引く
最初から最後までプロットを引く。すっきりとしたプロットで12万字で終わる予定だった。
表紙の案もできていて、推敲が終わる頃に書いたが、別の表紙を書いた。
主人公の名前はまだ決まっていなかった。というより誰の名前もまだ決まっていなくて、ミワも女とだけ記されている。

7.各章のプロット
全体から各章のプロットへ。この時はまだ章のタイトルが決まっていなかった。たぶんターンワールドという本の名前もまだ出ていなかっただろう。『GO! AWALAND!』という奇妙なタイトルが左上に書かれている。最後の章はreturn worldなので、この辺でturn worldが出てきたのかもしれない。
この段階では主人公が死のうとしているところで女と出会って助かることになっている。

猫の章はスカスカ。あとで最後の章のシトラスクィーンとミックスさせるのだが、もしかするとプロット通りで良かったかもしれない。

9.雨乞いの巫女
天野巡り信仰の要である雨乞いの巫女アマノウズメの名前が決まる。日本神話に出てくる女神と同じ名前で、この時には既に読んでいるはずだが、だいぶ後になるまで気付かなかった。でも彼女が主人公を異世界から元の世界へ戻す役割を担っているのでアマノウズメで良かったと思う。
この時は最後にアマノウズメに会わせる予定だったらしい。
右ページは作中作の『拙者、猫に候』のプロット。この時は本気で書くつもりでいたが力不足により設定だけの登場。

10.突然始まる刑事物
プロットの段階で私にターンワールドを書くのは無理とあきらめて、別の話を書こうとしていた。T島県に巣食う麻薬組織をある刑事が追う話。このプロットはまったく日の目を見ることはなかったが『エバーホワイト』『聖者の行進』で似たような事情の話がちょろっと出てくる。

11.気を取り直して
猫の章を書く自信がなかったのでプロットを練り直した。猫とシトラスクィーンの章がミックスされている。登場も女より早くなったが、女の代わりに猫が死ぬことになった。何故死ぬのか? それは作者にも分からない。シトラスクィーンがイルカの群れに飲まれて死ぬという案もあった。ターンワールドではあの時点で誰かが死ななければならなかったのだろう。小説の不思議だ。

12.仮書き
プロットができたのでノートにざっと仮書き。
最初のBAD WORLDはかなり短いが、原稿ではかなり長く書いた。次の章はもっと長く書いた。
この時点ではまたミワと先に出会うことになっている

ミワと出会って、ジンジャーと出会い、シトラスクィーンと出会い、そしてジンジャーが死ぬところまで

最後の章。最初に出会った老人の教えがここで生きてくるというのを考えていた。アマノウズメと出会わないというラストにしたのはこの辺りのようだ。
右ページでは、仮書きの後にまたプロットを引きなおしている。

13.プロットの引きなおし
仮書きを踏まえてプロットの引き直し。2枚目の写真ではミワの章で色々と悩んでいる様が窺える。



余白に書く感じでturn worldの章の最後の部分が書かれているが結局書かなかった。パイロット版のI'm walkingみたいな話を2万字と考えていたが、作者の限界がきていたので物語を支えられなかった。すぐに最後の天野神社へ行くことになった。
こうやって振り返ると力不足によりプロットを変えたところが多い。今ならこれ書けるぞ、というプロットがある。でもどんな小説と出会うか作家は選べない。その時に出会ったものを、その時の実力で書くしかないのだ。それでも『ターンワールド』は牛野小雪の中でひとつの金字塔となった。とても大きな小説で、まさか『真論君家の猫』に続けて、こんな物を書くとは思わなかった。
(おわり)
全体的な感じとしてはseason 2最初の小説だけあって、season 2最後の『聖者の行進』の種があちこちにあるなという印象。でもこれを書いている時は全然『聖者の行進』みたいな物を書くとは思っていなかった。まだ構想もできていない『John to the world(仮題)』が完成形と思っていたから意外だ。っていうか、いつになったら私はJohn を書くんだ?
もしかすると変にいじって改悪しているんじゃないかって思う瞬間があった。でもたぶんこれはこれで正解じゃないのかな。まだベストではないけれど、三歩ぐらいは近付けた気がする。でも今はここがオールアウトの地点だ。
せっかく改稿したのだから読み直して欲しいという気持ちもあるのですが、例によって改稿版の再配布はありません。
しかし『ターンワールド』上下刊と上下統合刊の2バージョンある。というわけで上下刊も上下統合刊も無料キャンペーンすることにしました。
一度読んだ本を読み直すというのもなかなか良いものですよ。
(おわり 2018年3月24日 牛野小雪 記)
今週は休養期間なので昨日と今日しか改稿していない。とはいえ昨日は7万字も改稿してしまった。これは飛ばしすぎじゃないかなと思っていたら、昨夜はギンギンに頭が冴えて全然眠れなかった。やっぱり無理は良くない。今日は調子が悪くてあんまり改稿できなかった。何事もリズムが大切だ。
それにしても改稿が終わらない。これまた休養期間中だが『聖者の行進』をちょっと読んでみると、ここもあそこも、と改稿できる場所が見つかって、読んだ章を改稿してしまった。『火星へ行こう君の夢がそこにある』も同じ理由で改稿した。こんなことばっかりしていたら改稿だけで人生終わってしまうんじゃないかと恐くなった。
5年分の改稿をするのだから生半可なことでは済まないとは分かっていたが、実際にやってみるとかなり骨が折れる。でも良いことも二つある。一つは過去の作品を手応えある形で改稿できていることだし、二つ目は改稿するたびに自分の中で何かが成長していることを感じられることだ。
自分で言うのも変だけどseason3は凄い物が出てくるに違いない。
(2018年3月17日土曜日 牛野小雪 記)

30-5日体制にしてから、かなり改稿が進むようになった。1月は一日3~4万字改稿するのがやっとだったが、2月は一日4~5万字改稿できた。調子の良い日は6万字を超えたのでとんでもないことである。
とはいえターンワールドは終わらず、今日から5日の休養期間に入る。何もしないでいると気持ちが焦れるけれど、じっと我慢する。
でもこんなことを考える。毎日書いていても不意に書けなくなる時がくるわけで、5日の休養期間を取るのと、不規則に書けなくなるのは結果的に同じなのでは? それなら毎日何かしら手を付けた方が不安にならずに済むかもしれない。
でも、でも、パソコンの前に現れる改稿した物を読んでいると、やっぱり小説から離れる期間を作った方が良いというのも感じる。何だか分からなくなった。
ターンワールドの改稿はちょうど二周目で終わった。一周目の改稿が終わった時、空がぱあっ明るくなったような気がした。これを執筆していた時の追体験だ。そういえばターンワールドの初稿が書き終わったのもちょうど3月だ。実は改稿しても何にも変わっていないんじゃないかという気がしてきたけれど、まぁ、自分の手応えを信じてみよう。でも今日から5日間は何にもしない。パソコンの電源にも触れないぞ。
(2018年3月11日 牛野小雪 記)
ターンワールド自体はタクヤが徳島に行くまでの物語なわけだけど、旅立つまでにもすったもんだあって、それで上巻の半分近くを使っている。でもこの部分だけで小説を書けない物だろうかと今は考えている。旅立つ話ではなく、旅立たない話だ。今はイメージだけしかないけれど、いつか形にできそうな気はしている。
それにしても改稿ばっかりしていて良いんだろうかという気持ちになる。もう3ヶ月、いや、聖者の行進の推敲を入れれば半年近く小説を書いていない。でも改稿するのが面白くって仕方がない。旧作の改稿に手を付ける度に、クロノトリガーの強くてニューゲームを初めてやった時の気分に襲われている。それに改稿すればするほど新しいアイデアが浮かんでくるし、何かしら経験値を積んでいる感じがある。全ての改稿が終わればどこかに辿り着くだろうか。
(2018年2月25日 牛野小雪 記)
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以下Amazon の内容紹介です。
内容紹介
彼はこの世から姿を消すために徳島へ行くことにした』
この世が最悪の世界と見抜いたタクヤは、
家を出て河川敷で寝起きするようになる。
一度は両親に連れ戻されるタクヤであったが、
今度は両親も知り合いもいない徳島へ姿を消すことにした。
タクヤは深夜に家を飛び出し夜行バスに乗り、
一度大阪で乗り継いで徳島を目指したのだが、
彼の乗ったバスは徳島へ到着しなかった。
内容紹介
孤独な彼は世界の外側を歩きながら、世界の終わりを願う』
徳島県へは到着できず、家に帰ろうにもそこはバナナ県。
家も目標も失ったタクヤはある老人と共に雨野巡りを始める。
老人と別れたあと、今度はサナゴウチさんと一緒に旅をするが、
彼とも突然別れることになった。一人となったタクヤだが、
そんな彼にまた新たな旅の道連れが現れようとしていた。
神社に捨てられていた茶トラの猫。
偶然拾ったその猫は捨てられない猫だった。
猫を持って歩くタクヤに、さらに旅の道連れが加わる。
それは異国の異性のケイトさんで、タクヤは猫よりも扱いに困ってしまう。
・ターンワールドができるまで
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タクヤと登場人物の関係について
1. ジンジャー(猫)
タクヤの旅の最も象徴的な同行者が猫のジンジャーである。ジンジャーとの出会いは偶然だが、次第にタクヤにとって不可欠な存在となる。当初、ジンジャーはタクヤにとって「負担」であり、旅の障害の一つとして描かれる。彼はジンジャーを捨てようと考えるが、その度に思い直し、結局は面倒を見ることを選ぶ。このプロセスを通じて、タクヤの内面には次第に「責任感」や「他者への愛情」といった感情が芽生える。ジンジャーがいることで、タクヤは自分が完全に孤独ではないこと、誰かのために存在することの意味を理解していく。
2. ケイト・クライン
アメリカから来た女性旅行者・ケイトは、タクヤの旅における重要な人物である。元「シトラスクィーン」という栄光を持ちながらも、人生に満足できずに日本を旅するケイトと、社会に適応できずに彷徨うタクヤは、表面的には異なる背景を持つが、根底では「居場所を探す者同士」という共通点を持っている。二人は言葉や文化の壁を超えて互いに心を開き、時には微妙な緊張感を伴う関係として描かれる。タクヤはケイトの過去を知ることで、彼女もまた「完璧な存在」ではないことを理解し、互いの弱さを認め合う関係へと発展していく。ケイトはタクヤに「他者とつながることの意味」を教え、タクヤはケイトに「誰かに頼ることの重要性」を気付かせる存在となる。
3. サナゴウチさん
タクヤが旅の途中で出会うギターを弾く男・サナゴウチさんは、タクヤにとって「自由人」の象徴である。彼はタクヤに対して軽妙な会話を投げかけ、自分の価値観に縛られない生き方を見せる。借金を抱えながらも楽天的に生きる彼の姿は、タクヤにとって一種の衝撃であり、同時に羨望の対象でもある。サナゴウチさんはタクヤにとって「社会の外でも生きられる」という可能性を示す存在であり、タクヤは彼との交流を通じて「失敗」や「挫折」も人生の一部であることを学ぶ。しかし、彼の無責任さや刹那的な生き方には限界があることもタクヤは気付き、最終的には自分自身のバランスを見つけるための一つの対比としてサナゴウチさんの存在が位置付けられる。
4. まさやん
漁師のまさやんは、タクヤの旅におけるもう一人の重要な人物である。彼は豪放磊落な性格で、気前が良く、タクヤとケイトを助けることも多い。まさやんはタクヤにとって「現実的な強さ」を象徴する存在であり、彼の明るさや包容力はタクヤに安心感を与える。しかし、まさやんの存在はタクヤにとって微妙な感情も呼び起こす。特にケイトとまさやんの関係が親密になっていく過程で、タクヤは「嫉妬」や「孤独感」といった感情に直面することになる。まさやんはタクヤにとって「理想の大人」の一面を持ちながらも、自分にはなれない存在であることを痛感させる存在でもある。
タクヤが求めているもの
タクヤが求めているものは、『TURN WORLD』全体を通じて多層的に描かれており、彼の内面の葛藤と成長が物語の核となっている。彼の求めるものは一言で表すのが難しいが「自己の存在意義の確認」「社会からの逃避と再定義」「他者との関わりの模索」の3つに集約できる。
1. 自己の存在意義の確認
タクヤは社会に適応できない自分を「駄目な人間」と認識している。しかし、その自己認識は単なる自己否定に留まらず、「自分がなぜこうなったのか」「この世界に自分の居場所はあるのか」という問いに繋がっている。彼は社会の中での役割や成功を求めているわけではなく、むしろ「何も役割を持たなくてもいい世界」を夢見ている。これは、自己の存在そのものを肯定してくれる何かを無意識のうちに求めていることを意味している。
ジンジャー(猫)との関係は、この「存在意義の確認」の一つの象徴である。ジンジャーの世話をすることで、タクヤは自分が「誰かの役に立つ存在」であることを実感し、少しずつ自己の存在を肯定していくようになる。ジンジャーは彼にとって単なるペットではなく、タクヤ自身が生きる意味を見つけるための媒介であり、彼の成長の象徴でもある。
2. 社会からの逃避と再定義
タクヤの旅は、社会からの逃避であり、同時に自分自身を再定義するための旅でもある。彼は「この世界を終わらせたい」と願いながらも、その一方で新しい価値観や生き方を探している。社会の規範や期待に縛られることなく、自分自身の価値基準で生きることを模索しているのだ。
旅の途中で出会う様々な人々—例えば、ケイトやサナゴウチさん、まさやん—は、タクヤに異なる生き方の可能性を示してくれる。ケイトは過去の栄光に縛られながらも新たな人生を求めており、サナゴウチさんは社会の枠外で自由に生きる姿を見せる。これらの出会いを通じて、タクヤは自分なりの生き方を見つけるヒントを得るが、それは必ずしも簡単な道ではない。彼は常に「逃げること」と「向き合うこと」の狭間で葛藤している。
3. 他者との関わりの模索
タクヤは基本的に孤独を好む人物だが、完全な孤立を望んでいるわけではない。彼は他者との関わりにおいて「自分を受け入れてくれる存在」を求めている。ケイトとの関係はその典型で、異国の女性である彼女と心を通わせることで、タクヤは「他者との理解」が可能であることを学ぶ。ケイトとの旅は、タクヤにとって「自分が他者とどう関わるべきか」を探る機会となっている。
一方で、タクヤは他者との関係においてしばしば「依存」と「自立」のバランスに悩む。ミワとの関係では、この問題が顕著に表れる。ミワとの依存的な関係が崩壊することで、タクヤは「他者に依存し過ぎること」の危険性を理解し、同時に「孤立しすぎること」の空虚さも痛感する。この二重の学びを通じて、タクヤは「適度な距離感」を持った人間関係の重要性に気付いていく。
最終的にタクヤが求めているのは、「自分自身を受け入れること」と「他者と関わりながらも自立した存在であること」の両立である。彼の旅は、社会の外で自己を見つける試みであり、同時に他者との関係を通じて自分を再発見するプロセスでもある。タクヤの葛藤と成長は現代社会における「生きづらさ」や「孤独」といったテーマを深く掘り下げるものであり、多くの読者が共感を覚える部分でもあるだろう。
『TURN WORLD』のモチーフについて
本作『TURN WORLD』は、現代社会に対する強烈な批評性を持ちながら、人生の迷いや人間の本質を探求する物語である。そのモチーフを紐解くことで、本作が持つ深いテーマや背景を理解することができる。
まず、本作の主なモチーフの一つに「社会の不適合者」というテーマがある。主人公・タクヤは、社会に適応できず、働くことにも生きることにも意味を見出せない青年として描かれる。彼は自分を「駄目な人間」と認識しながらも、その境遇に完全に甘んじるわけではなく、世の中の理不尽さや欺瞞を冷徹に見つめている。この姿勢は、ショーペンハウアーやニーチェの哲学にも通じる「世界の不条理」との対峙の構図を彷彿とさせる。タクヤが旅をすることは、現実世界に対する彼なりの反抗であり、逃避であり、また新たな価値を見出そうとする試みでもある。
また、「社会からの逸脱と新たな共同体の形成」も本作の重要なモチーフの一つだ。タクヤは旅の途中で様々な人々と出会う。例えば、野宿をしている人々や、社会の枠組みから外れた生活を送る者たち。彼らはそれぞれが社会から排除されながらも、独自の価値観を持ち、助け合いながら生きている。これらの出会いは、社会の基準では「敗者」とされる人々が、別の価値観のもとで生きる可能性を示唆している。これは、既存の社会制度や資本主義の枠組みを批判する視点とも結びつき、現代の「生きづらさ」を浮き彫りにしている。
本作の最も根幹にあるモチーフは「世界の終焉」と「再生」だ。タクヤは旅の途中で「この世界を終わらせる」という願いを抱く。しかし、それは単なる破壊衝動ではなく、今の世界に対する深い失望と、新たな世界への希求である。本作では、社会のルールや価値観に縛られた世界が否定される一方で、旅を通じて出会う人々や、タクヤの内面に生じる変化が、新たな世界の可能性を示唆している。この「終わりと始まり」という循環構造こそが、『TURN WORLD』というタイトルの意味にも繋がっているのかもしれない。
主人公タクヤの視点を通じて、現代社会における無力感や疎外感をリアルに描いています。この物語は、タクヤが感じる社会の不条理や理不尽さを深く掘り下げ、個々人の努力や才能が必ずしも報われないという現実を強く描写しています。多くの物語では、努力や信念が最終的には報われる展開が期待されがちですが、この小説では、努力だけではどうにもならない「運」の要素を重視しており、努力至上主義に対する鋭い批判が込められています。
1 BAD WORLD
1 最悪の世界
2 身近な別世界
3 暴かれたこの世の真実
4 幸運の誤謬
5 ああ、素晴らしき世界
ターンワールド 進捗状況vol.1
2014/12/23
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↑の記事で鈴木成一という装丁家がいることを知りました。というよりも装丁家という言葉自体を初めて知った。
考えてみれば、本というのは文字だけでできているのではなく、文字を印刷する紙から、表紙から、帯に至るまで(思い付くのはここまで!専門的な本を読もうとしたが、あまりにも細かすぎて速攻ギブしてしまった。)、誰かが考えて作っているわけで、鈴木成一さんとはまさにその人のことである。
改稿しながら表紙も考えている私にはタイムリーなお話。早速図書館で彼の本を借りたのだが、凄ぇ、凄ぇと読んでいるうちに最後のページまで読んでしまった。
言っていることは頭に入ってきたが、真似できそうな物はなにひとつない。きっとスキルが地面すれすれの低空飛行しているせいだろう。
フォトショップを使って画像を加工をしているんだけれど、ああ、あれどうやるんだろう。たぶんどうにかしたらできるんだろうなと思うことがいくつかあった。
本文よりも彼自身の本の装丁から学ぶものが多くあった。
表紙の縁取りは
ー現代美術品最高額8690万ドルで落札 マーク・ロスコとは?
本格的な絵画は難しいけれど、抽象画なら素人でも描ける。いや、本当にそう思っていました。抽象画家の皆さん本当に申し訳ない。なめていました。
↑の記事にある抽象画。これなら私でも描ける! と思って描き始めたのですが全然ダメですね。本当にひどい物しかかけない。
正直、上記のマーク・ロスコさんの絵は何が良いのかさっぱり分からないのですが、自分の書いたものと比べると明らかに彼の方が良いと分かるのだから凄いです。なんでやねんとツッコミたくなります。Amazonで彼の絵のポスターが売っていました。←?
精緻な線、配色、デザインは無理。抽象画も無理。かといって性能の良いカメラも、それを扱う技術もなし。フォトショの加工技術も素人。
でも、手持ちのカードで勝負するしかないのさ。達人になるまで待っていたら何もできない。
と、思って表紙作成に励んでいたらどんどん違う方向へ行った。ほぼ完成間近と思っていたのに。
マーク・ロスコさんの絵を
人に見せられるぐらいになってきたのではないか思うし、アイデアも出てこなくなった。細かい変更はあっても恐らくこれが完成に近い物だろう。こんな物になって自分でもびっくりした。ちょっと嬉しい。



以下、以前の物



この世が最悪の世界だと見抜いたタクヤは、
夜行バスに乗り徳島へ家出したが
彼の乗ったバスは徳島へ到着しなかった。
(おわり)
夜行バスに乗り徳島へ家出したが
彼の乗ったバスは徳島へ到着しなかった。
イカを投げる状況からして、他に選択肢のない一時しのぎという意味になると思うのですが・・・
Googleアナリティクスでアクセス情報を分析しています。











