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真論君家の猫

あなたが『真論君家の猫』を読むべき3つの理由

猫の視点から描かれる物語は数多く存在しますが、『真論君家の猫』は単なる可愛らしい日常譚にとどまりません。主人公である一匹の黒猫「ミータン」の生涯を通して、生きることの喜び、哀しみ、そして世界の謎に迫る、壮大で哲学的な冒険物語が繰り広げられます。この記事では、あなたがこの物語を手に取るべき3つの理由をご紹介します。




1. 猫の世界の奥深さに引き込まれる

この物語の魅力の一つは、人間が知らない「猫社会」のリアルで緻密な描写にあります。猫たちはただ気ままに暮らしているわけではありません。彼らは独自のコミュニティを形成し、複雑なルールの中で生きています。

物語の舞台の一つである「竹林集会」では、飼い猫である「屋根党員」と野良猫の「野良党員」という派閥が存在します。屋根党員は知識を重んじる「知識派」と自由を愛する「遊行派」に分かれ、野良党員は自ら狩りをする「狩猟派」と人間に媚びて食を得る「乞食派」に分かれています。

彼らは集会で情報交換をするだけでなく、世界の成り立ちについて真剣に議論を交わします。この世界が輪っか状のひもの上にあるとする独自の「ひも理論」や、七つの生を繰り返した猫が妖怪になるという「猫又伝説」など、彼らが紡ぎ出す哲学は、私たち人間に世界の新たな見方を提示してくれるかもしれません。

2. 主人公ミータンの成長に心揺さぶられる

物語は、主人公ミータンが「クロスケ」という名前で生を受けた場面から始まります。母猫や美しい縞模様の兄弟たちの中で、一匹だけ全身真っ黒に生まれたクロスケは、疎外感を抱えながら育ちます。やがて最初の飼い主に捨てられ、心優しい少年「真論(まろん)君」に拾われたことで、「ミータン」としての新たな猫生が始まります。

子猫から成猫へと成長する過程で、ミータンは様々な試練に直面します。体の不調から病院に連れて行かれることを極度に恐れ、家出騒動を起こしたり、粗野で腕利きの野良猫ジロスケに弟子入りして、生きるための狩りの術を学んだりします。

コンプレックスを抱えた孤独な子猫が、新しい飼い主や仲間との出会い、そして数々の困難を乗り越える中で、心身ともにたくましく成長していく姿は、読む者の胸を強く打ちます。

3. 個性豊かな登場キャラクターと手に汗握る物語

この物語を彩るのは、魅力あふれるキャラクターたちです。

ミータン(クロスケ): 思慮深く、時に臆病ですが、仲間のためには勇気を振り絞る主人公。
真論君: ミータンを心から愛する優しい飼い主。
サバトンさん: ミータンを猫社会へと導く、博識で紳士的な隣家の猫。
ジロスケ: ぶっきらぼうですが面倒見が良く、ミータンの兄貴分となる野良猫。
シラコさん: ミータンが恋い焦がれる、美しくも少し頼りない白猫。
黒犬: 猫たちを次々と惨殺し、竹林集会を恐怖に陥れる圧倒的な存在。

物語は、猫を食べる凶暴な黒犬の出現によって大きく動きます。頼りのジロスケさえも歯が立たない強敵を前に、平和な日常は崩壊。仲間を救うため、ミータンははるか遠い町に住むという伝説の猫「アラーニャン」に助けを求めるべく、たった一匹で長い旅に出ることを決意します。

一匹の猫が背負うにはあまりにも重い使命。果たしてミータンは無事に目的地にたどり着き、仲間を救うことができるのでしょうか。可愛らしい猫たちの世界で繰り広げられる、手に汗握るシリアスな展開から目が離せません。

『真論君家の猫』は、猫好きはもちろん、壮大な冒険譚や深いテーマ性を持つ物語を求めるすべての人におすすめしたい一冊です。ミータンの旅路を、ぜひその目で見届けてください。



猫はなぜかわいいのか

猫が「かわいい」と感じられる理由は、さまざまな生物学的、心理的、文化的要因が組み合わさっています。以下に、その主な理由を詳しく説明します。

1. 生物学的要因

フェイスフィーチャー(顔の特徴)

  • 大きな目: 猫の目は人間に比べて大きく、丸みを帯びています。この特徴は「キュートネス(可愛さ)」を感じさせる「ベビーフェイス」効果と似ており、幼い動物に対する保護本能を刺激します。
  • 丸い顔と小さな鼻: 猫の顔の形状も、丸みがあり、可愛らしさを強調します。小さな鼻や柔らかいラインは、親しみやすさを感じさせます。

体のプロポーション

  • 小さな体と丸いフォルム: 猫のコンパクトな体と丸みを帯びた体形は、抱きしめたくなるような愛らしさを醸し出します。
  • 柔らかい毛並み: ふわふわとした毛並みは触り心地が良く、視覚的にも触覚的にも快感を与えます。

2. 行動的要因

遊び心と好奇心

  • 遊び好きな性格: 猫は活発に遊ぶ姿が愛らしく、見ていて楽しませてくれます。追いかけっこやジャンプなどの動きは、観察する人に喜びを与えます。
  • 好奇心旺盛: 新しいものに対する興味や探求心が強く、予測不可能な行動が可愛さを引き立てます。

コミュニケーション

  • ゴロゴロ音: 猫が喉を鳴らす「ゴロゴロ」は、安心感や満足感を示すサインであり、その音自体がリラックス効果を持ちます。
  • 仕草や表情: 頭をすり寄せたり、のんびりとくつろいだ姿勢など、さまざまな仕草が愛らしさを演出します。

3. 進化心理学的要因

  • 育てたい本能の刺激: 猫の子供(子猫)の特徴は、保護本能を刺激するように進化しています。大きな目や丸い顔は、母親や人間に対して「育てたい」という感情を引き起こします。
  • 安全な距離感: 猫は犬と比べて独立心が強く、自分のペースで接近してくるため、安心して愛情を注げる距離感が保たれやすいです。

4. 文化的要因

メディアとインターネットの影響

  • 猫の人気コンテンツ: インターネット上には猫の可愛い写真や動画が多数存在し、これが猫の「かわいい」イメージを広める一因となっています。ミームやバイラル動画は猫の魅力を強調します。
  • 文化的シンボル: 多くの文化で猫は神秘的で優雅な存在として描かれ、これが人々の興味と愛着を引きます。

ペットとしての地位

  • 家庭での存在感: 猫は多くの家庭でペットとして飼われており、日常生活の中で触れ合う機会が多いことで、愛着が深まります。
  • 癒し効果: 猫と触れ合うことでストレスが軽減されるとされ、これが「かわいい」と感じる感情を強化します。

5. 嗅覚と触覚の魅力

  • 柔らかい毛触り: 猫の毛は柔らかく、触れることで快感を得られるため、触覚的にも魅力的です。
  • 独特の香り: 猫特有の優しい香りも、人々に安心感や親しみを感じさせます。

まとめ

猫が「かわいい」と感じられる理由は、多岐にわたります。生物学的な特徴や行動、進化心理学的な要因に加え、現代の文化やメディアの影響も大きく関与しています。これらの要素が組み合わさることで、猫は多くの人々に愛され、かわいいと感じられる存在となっています。





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イラスト3


猫(ねこ)

1.ねこについて

ねこは、人間と長い歴史を共にしてきた身近な存在であり、現在では世界中で愛されているペットの一つです。ねこは、独特の魅力を持っており、その可愛らしい容姿や優雅な動き、そして時には不思議な行動が、多くの人々を魅了しています。

ねこは、基本的に単独行動を好む動物ですが、飼い主との絆を深めることができる賢い生き物でもあります。人間との コミュニケーションを楽しみ、飼い主の感情を敏感に感じ取ることができます。また、ねこは、狩猟本能を持つ動物であり、遊びを通して、その本能を発散させています。

ねこを飼育する上では、適切な食事や健康管理、そして十分な遊びや運動の機会を与えることが重要です。同時に、ねこの習性を理解し、その個性に合わせて接していくことが求められます。ねこは、人間との関係性の中で、喜びや安らぎを感じながら生活しています。

ねこは、単なるペットとしてだけでなく、人間の生活に欠かせない存在として、大きな役割を果たしています。その存在は、私たちに癒しと潤いを与え、生活に彩りを添えてくれます。ねことの暮らしを通して、人間は動物との共生について学び、思いやりの心を育むことができるのです。

2.ねこの歴史

ねこと人間との関わりは、古代エジプトの時代にまで遡ります。当時、ねこは穀物を荒らすネズミを退治する存在として重宝され、神聖な動物として崇拝されていました。エジプト人は、ねこを「マウ」と呼び、ねこの女神バステトを信仰していました。

その後、ねこは、シルクロードを通じて、中央アジアや東アジアに広がっていきました。中国では、唐の時代に皇帝がねこを溺愛したことで、ねこブームが起こったと言われています。日本では、奈良時代に中国から伝わり、平安時代には貴族の間で飼われるようになりました。

ヨーロッパでは、中世の時代に、ねこは魔女の使いとして忌み嫌われる存在となりました。しかし、18世紀になると、ねこは再び人々に愛されるようになり、ペットとして飼われ始めました。19世紀には、猫種の改良が進み、様々な品種が生み出されました。

現代では、ねこは世界中で飼われており、ペットとしての人気は非常に高くなっています。また、ねこカフェの登場など、ねこを媒介とした新しい文化も生まれています。SNSの普及により、ねこの写真や動画が大量に共有され、ねこは今やインターネット上の人気者ともなっています。

ねこと人間との関わりは、時代とともに変化してきましたが、ねこが人間に与える癒しや喜びは普遍的なものです。今後も、ねこは私たち人間と共に生き、豊かな生活を送っていくことでしょう。

3.ねことインターネット

インターネットの普及とともに、ねこの人気は爆発的に高まりました。SNSやブログ、動画共有サイトなどで、ねこの写真や動画が大量に投稿され、多くの人々に愛されています。ねこは、インターネット上で最も人気のあるコンテンツの一つとなっているのです。

「ねこ動画」と呼ばれる、ねこの可愛らしい仕草や面白い行動を捉えた動画は、世界中で大きな注目を集めています。飼い主が撮影した日常の一コマから、編集や演出を加えた本格的な作品まで、様々なねこ動画が存在します。それらの動画は、人々に癒しと笑いを提供し、ストレス解消の手段としても活用されています。

また、ねこをモチーフにしたWebサイトや専門のSNSも数多く存在します。飼い主が自慢のねこの写真を投稿したり、ねこ好きが交流したりと、ねこを介してコミュニティが形成されています。そこでは、ねこの飼育方法や健康管理、グッズの情報共有など、様々な情報交換が行われています。

さらに、人気のあるねこは「インターネットセレブ」とも呼ばれ、独自のブランド価値を持つようになりました。代表的な例は、「まる」や「ぐりこ」など、SNSを中心に大きな人気を博したねこたちです。彼らは、飼い主によって積極的に情報発信され、グッズ展開やメディア出演など、ねこを起点とした経済活動も生み出しています。

インターネットとねこの関係は、今後さらに深化していくことが予想されます。バーチャルリアリティ(VR)やAIなどの技術を活用した、新しいねこコンテンツが登場するかもしれません。また、ねこを通じた社会貢献活動など、ねこが持つ力を生かした取り組みも期待されます。インターネットとねこが織りなす世界は、私たちに無限の可能性を示しているのです。

4.ねこはなぜかわいいのか

ねこがかわいいと感じられる理由は、様々な要因が複雑に絡み合っています。

まず、ねこの容姿が人間の心を引きつけます。大きな目、小さな鼻、丸い顔、柔らかな毛並みなど、ねこの身体的特徴は、人間の幼児に似ており、母性本能をくすぐります。また、ねこの耳や尾の形状、手足の動きなども、独特の愛らしさを感じさせます。

次に、ねこの行動や仕草が、人間にとってかわいらしく映ります。好奇心旺盛で遊び好きなねこの姿は、人間の心を和ませます。箱に入る、じゃれ合う、窓辺で日向ぼっこをするなど、ねこの何気ない行動に、人は癒しを感じるのです。また、飼い主に甘える姿や、時には気まぐれな態度も、ねこの魅力の一つと言えます。

さらに、ねこの鳴き声も、人間の心に訴えかけます。「にゃー」という鳴き声は、高い周波数を含んでおり、人間の赤ちゃんの泣き声に似ています。そのため、保護欲が刺激され、愛おしく感じる人が多いのです。

加えて、ねこは、人間との コミュニケーションにおいて、絶妙な距離感を保ちます。犬のように常に人間に寄り添うのではなく、適度な独立性を持っています。そのミステリアスな一面が、人間の好奇心を刺激し、魅力的に映るのです。

このように、ねこのかわいらしさは、外見や行動、鳴き声、そして人間との関係性など、多様な要素から成り立っています。そして、それらが複合的に作用することで、多くの人々を魅了する存在となっているのです。ねこの持つ独特の魅力は、時代や文化を超えて、普遍的に愛される理由なのかもしれません。

5.ねこの肯定的な未来と否定的な未来

ねこは、人間社会と密接に関わりながら、その未来を歩んでいくことになるでしょう。そこには、肯定的な側面と否定的な側面の両方が存在します。

肯定的な未来としては、以下のようなものが考えられます。

- ペットとしてのねこの地位が向上し、飼育環境や医療体制がさらに整備される。
- ねこカフェやねこ専門のサービスが増加し、ねこを通じた癒しや楽しみが提供される。
- ねこを介した社会貢献活動や、高齢者・障がい者支援などが進展する。
- ねこの行動や心理に関する研究が深まり、人間との関係性がより良いものになる。

一方、否定的な未来としては、以下のようなものが懸念されます。

- ペットブームによる安易なねこの飼育が増加し、遺棄や虐待などの問題が深刻化する。
- ねこアレルギーや感染症など、ねこに関連する健康問題が顕在化する。
- 野生化したねこが生態系に悪影響を及ぼし、地域の生物多様性が損なわれる。
- ねこの遺伝的多様性が失われ、特定の遺伝疾患が増加する。

ねこの未来を肯定的なものにするためには、私たち人間の意識と行動が重要となります。ねこを単なるペットとしてではなく、共に生きるパートナーとして尊重し、責任を持って接することが求められます。同時に、ねこに関する正しい知識を身につけ、適切な飼育や管理を行うことも欠かせません。

また、社会全体で、ねこの福祉や権利を守る取り組みを推進していく必要があります。動物愛護の精神を広め、ねこに関する問題に積極的に取り組む姿勢が重要です。さらに、ねこを通じた社会貢献活動などを通して、ねこと人間の絆をさらに深めていくことも大切です。

ねこの未来は、私たち人間の手によって創られていきます。ねこと共に歩む社会を目指し、一人一人が 意識を高め、行動を起こしていくことが求められているのです。

6.【詩】ねこ

ふわふわの毛並み 愛らしい瞳で
私の心を虜にする そう、君はねこ
優雅に歩く姿 時に見せる気まぐれさ
魅力的な仕草に 私は夢中になる

窓辺で日向ぼっこ 幸せそうな寝顔を見れば
思わず頬が緩む 穏やかな時間が流れる
箱に収まる姿 小さくまるまって
安心したいときは いつも君を探す

鳴き声ひとつで 私の心を掴んで離さない
君の存在は特別 かけがえのないものだから
ねこよ、いつまでも 私のそばにいてほしい
癒しと喜びをくれる 大切な家族なのだから

7.【詩】にゃんこ にゃんにゃんこ

にゃんこ にゃんにゃんこ 愛くるしい君の名は
丸い瞳に ピンクの肉球 私の心を奪う
毛づくろいする姿 しなやかな身のこなし
見ているだけで 幸せな気持ちになる

にゃんこ にゃんにゃんこ 気まぐれな性格も魅力
今日は甘えん坊 明日は独りで過ごしたい
自由気ままに生きる 君のスタイルが好き
飼い主想いな時も あるから不思議

にゃんこ にゃんにゃんこ 箱が大好きな君
どんなに小さくても 入りたがるのはなぜ?
狭い場所が落ち着くのかな 安心できるのかな
謎に包まれた行動に 私は想像を膨らませる

にゃんこ にゃんにゃんこ 君がいるから
毎日が楽しくて 心が満たされていく
一緒に過ごす時間 かけがえのないものだよ
これからもずっと 私のそばで暮らしていこう



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『真論君家の猫』を読書会で読むべき5つの理由

1.猫の視点から描かれた物語のユニークさ
本作品の最大の魅力は一貫して猫の視点から物語が語られている点です。人間社会を客観的に観察する猫ならではの鋭い洞察や、飼い主への愛情、野生の本能との葛藤など、私たち人間とは異なる猫の世界観が生き生きと描写されています。猫目線の新鮮な物語は読書会での興味深い議論を喚起するでしょう。

2.登場猫たちの個性豊かなキャラクター
ミータン、ツネクロウ、シラコ、ジロスケなど、作中には様々な個性を持った猫たちが登場します。彼らはそれぞれに哲学を持ち、時に対立し、時に助け合います。読書会では登場猫たちの関係性や性格の違いを掘り下げることで物語の奥深さを味わえるはずです。

3.人間社会への風刺と批評性
物語の随所に猫の視点から見た人間社会への鋭い風刺が散りばめられています。分数の割り算への疑問や、大人が謝らない姿勢への批判など私たちが無意識に受け入れている社会通念が猫を通して浮き彫りにされます。読書会ではこうした風刺的な場面について意見を交わすことで私たち自身の常識を問い直すきっかけになるでしょう。

4.人生の普遍的テーマの追求
本作品には生と死、愛と別れ、夢と現実など、誰もが一度は向き合う人生の普遍的なテーマが散りばめられています。ミータンの旅を通して描かれる成長や変化の物語は私たち読者に生きる意味を問いかけているようです。読書会で登場人物たちの人生観について語り合えば、参加者一人一人の価値観も深まるかもしれません。

5.文学的表現の探求
本作品の文章は詩的で比喩に富んでおり登場人物の心情や情景が巧みに表現されています。「美しいシラコさんはもういない」という一文に込められた喪失感や、旅立ちの場面での躍動感など、言葉選びのセンスが光ります。読書会で印象に残った表現を共有し合えば文学的な言語表現の魅力を堪能できるでしょう。

「真論君家の猫」は読書会で読むに値するテーマ性と文学性を兼ね備えた作品だと言えます。猫を通して人間の姿を見つめ直す本書の視点は、参加者の活発な議論を生み、読書体験をより豊かにしてくれることでしょう。

読書会が活発になる議題5つ

読書会は本を読むだけでなく、参加者同士の交流や意見交換を通じて本の理解を深める場です。しかし、時として議論が盛り上がらず、読書会が形骸化してしまうことがあります。そこで、読書会を活性化させるための5つの議題をご提案します。

1. 登場人物の中で誰が一番共感できるか、またはできないか

小説や物語の登場人物について、参加者がどのように感じたかを共有し合うことで、多様な視点から作品を捉えることができます。共感できる、あるいはできない登場人物とその理由を述べ合うことで、登場人物の性格や行動、作品のテーマについて深く掘り下げた議論が可能になります。他の参加者の意見を聞くことで、自分とは異なる解釈や新たな気づきを得ることもできるでしょう。

2. 作品の舞台となっている時代や場所について調べて報告する

作品の背景となる時代や場所について調べ、読書会で発表し合うことで、作品世界への理解が深まります。歴史的・文化的コンテクストを知ることで、登場人物の行動や価値観、作品のメッセージがより明確になります。例えば、作者が生きた時代の社会情勢や、作品の舞台となっている土地の風習などを調べることで、作品に込められた意図や問題意識を読み解く手がかりが得られるでしょう。

3. 作中で印象に残った一文を紹介し、その理由を説明する

参加者それぞれが作中で印象に残った一文を紹介し、なぜその文章が心に残ったのかを説明し合います。美しい表現、深い意味を持つフレーズ、登場人物の心情を巧みに表した文章など、様々な観点から一文を取り上げることができます。他の参加者が選んだ一文とその理由を聞くことで、自分では気づかなかった作品の魅力に出会えるかもしれません。また、一文を通して作品全体のテーマや作者のメッセージについて議論を深めることもできます。

4. 作品を別の形式(映画、演劇、漫画など)で表現するとしたらどうなるか

小説や物語を、映画、演劇、漫画などの別の表現形式で制作するとしたらどのようになるか、アイデアを出し合ってみましょう。登場人物の見た目やキャスティング、場面の構成、演出の方法など、様々な角度から作品の再解釈を試みることができます。原作とは異なる表現形式で作品を捉えることで、原作の良さや特徴がより浮き彫りになるでしょう。また、参加者の創造力を刺激し、活発なディスカッションを促す効果も期待できます。

5. 作品の結末について意見を述べ合う

作品の結末について参加者それぞれの意見を述べ合います。結末の解釈や評価、別の可能性などについて議論することで、作品全体の意味や主題についての理解を深められます。また、結末に至るまでの登場人物の成長や変化、伏線の回収なども話し合うことができるでしょう。参加者によって結末の受け止め方が異なる場合は、その違いについて掘り下げることで、多様な視点から作品を捉える機会となります。結末について議論することは、作品全体を振り返り、読書会を締めくくるのにふさわしい議題だと言えます。

以上、読書会が活発になる5つの議題を提案しました。参加者それぞれの感想や意見を引き出し、作品についての理解を深め合うことができるような議題設定が、読書会を実りあるものにするポイントだと考えます。読書会が形骸化せず、参加者にとって有意義な時間となることを願っています。




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『真論君家の猫』の最新版

 かねてからの予定通り『真論君家の猫』に少し手を加えていた。初期のKDPはwordファイルをアップすると色々不具合が出たものだが、最近はほぼそのままの形で変換されているように感じる。ルビなんかは時々表示がおかしくなるが体感95%ぐらいで変換できている。もう実用的と言って良いのではないだろうか。

 最近は罫線も使えることを発見したので、ミータンが新聞の切り抜き記事を読んでいるところは記事ごとに罫線で囲んだ。まだ少しうまく変換できていないような気もするが、まぁ良しとしよう。
もう少し贅沢を言えばルビを挿入した字の前後に空く隙間をなんとかして欲しいな。それとは逆に罫線は文字との隙間を少しだけ開けて欲しい

 Amazonの修正版更新申請はちょっと変だったりする。
修正版更新申請とは既にKindle本を買った読者が最新版に更新できるようにすることである
 誤字脱字、表記ミスは速攻で申請が通るのに、描写や言い回しの変更だとまず受理されない。加筆もたぶん駄目だろう。Amazonにとって修正とは、皿のふちについたソースを拭うことであって、味付けや、盛りつけ方を変えることではないのだ。ヘルプにもそう書いてある。


 
1.「Kindle コンテンツの品質ガイド」に含まれない変更の場合
    例:
    • 誤植を修正する目的ではない文や章の追加・削除
    • 言い回しの変更
    • 内容の変更 (ストーリーや登場人物等)
    : 本の内容の大幅な変更、タイトル、号、版の変更が発生する場合は、別の本として新たに出版してください。



 よっぽど酷い誤植でないかぎり(登場人物の名前を間違える作家がいるらしい)、私はそれほど重要なこととは思えない。むしろ話の筋、描写、言い回しの方が重要な気がするがAmazon的にはそうではないようだ。私には何だかそれが不思議なことに思える。
 向こうも商売があるのだから、作家の版変更にいちいち対応していたら手間もかかるし、お金もかかる。明らかな瑕疵でなければ版の更新なんてしたくないのかもしれない。

 この前来たKDPのアンケートにもっと修正版が気軽に更新できるようにしてくださいと書いておけば良かった。

(2016/12/09 牛野小雪 記)

本音:というわけで『真論君家の猫』を既に購入している人は最新版に更新できないよ、という言い訳。あえてAmazonに更新申請すればできないこともないんだけど、そこまでする人はいないよなぁ。とはいえ統合版と分冊版、両方買っている人はいないだろうから、unlimitedなら最新版が読めますよ。どちらも中身は一緒。もちろん買ってもOK。でもunlimitedの方が容量取らないし、再読する時は最新版で読めるので、こっちの方が良いと思う。

疑惑:『真論君家の猫』の読みが分からない人は意外に多い?

発見?:プレビューファイルをmobiファイルのままKindle端末に移すと、なかなかホーム画面に表示されないが、空の新しいフォルダを作って、その中にmobiファイルを入れて移すとすぐにホーム画面で表示されるような気がする。

体験談:『幽霊になった私』の初版では看護が看護となっているのだが、それを看護に修正した時はすぐに修正版更新申請が通った。

 牛野小雪の小説はこちらへ→Kindleストア:牛野小雪

近所のチャトランについて


 10歳の頃にシベリアンハスキーの野良犬が近所を徘徊する事件があってから野良犬の姿をとんと見なくなった。そのハスキーは本当に巨大な犬で、私が砂を掘っていたらいつの間にか後ろにいてかなり恐かった思い出がある。ホラー映画ばりの叫び声が出てきて、犬もびっくりしていた。その隙に隣の家の塀を飛越えてなんとか事無きを得た。

その犬は本当に大きくて、中学生が塀の上に取り残されていても大人は家の中から出てこなかった。ちなみにその騒動の元になったシベリアンハスキーは近所の家に飼われている。もうけっこうな年のはずだがいまだに飼い主を引っ張っている姿を見る。実は二代目だろうか?

 野良犬はいなくなったのだが、それに入れ替わって野良猫が現れるようになった。たぶんそれまでは犬に食われていたんだろう。

 最初の野良はアメリカンショートヘアーでキャロルと名付けた。夕方四時になるとどこからともなく現れて、一緒に遊んでいた記憶がある。たいていは屋根から松の木へ飛び移り、するすると下まで降りてくる。そのキャロルは五時になると突然何かの用事を思い出したようにどこかへと去っていった。

 よっぽど懐いていたので家で飼いたいなと思っていたらキャロルは突然姿を見せなくなった。それで方々探し回っているとある家の敷地で、キャロルがたくさんの猫と一緒に座っているのを見つけた。それでやつの名前を呼んでいると、不意に窓が開いて「猫、いじめんといてな」見知らぬばあさんに怒られる。猫達はばあさんの元に駆け寄っていき、キャロルもその中の一匹に混じっていた。この裏切り者めと思って、それ以来ばあさんの家には行かなかったし、キャロルの姿も見なくなった。

 次に来たのは黒猫で毎晩松の木の下に寝そべって、尻尾を体に巻きつけていた。私を見るとさっと逃げたので何だかよく分からない。基本的に野良はよく逃げる。ちなみにこの黒、斜め隣で飼われていたコーギー犬のエサを横取りしていたせいか飼い猫みたいに毛並みがツヤツヤしていた。だけど、その黒猫が姿を消すと何故かコーギーも後を追うように死んだのは不思議だ。ケンカするほど仲が良かったのかもしれない。

 そのあと松の木の下はサバトラ、黒、シャム、サバトラ、黒、と入れ替わって、今年の夏は茶トラが出没するようになった。この辺で茶トラは珍しいのでちょっと気になっていた。

 この茶トラ。オス猫なのだが太ましい体つきをしていて、最初から只者ではない風貌をしていた。近所にいる先住の黒とキジが難癖をつけようとしても、足を止めずに片手であしらうほどだった。

三匹同時に囲まれても何のそので、オーン、オーーンの大合唱の中、退屈そうに大きなあくびをしていた。これは敵わんと悟ったのか最初に小さい方のキジトラが逃げて、次に黒が離れて、最後まで粘っていたキジトラは突然何かの用事を思い出したように立ち上がると、何度も後ろを振り返りながら忍び足で退散していった。

 しかしこの茶トラ、オス猫界では強いのかもしれないが世間の波を泳ぐのは下手だったようだ。例えば小さいキジトラは、しょっちゅう誰かれに近付いては撫でてもらっている。たぶんエサも貰っているのだろう。(と、思っていたら首輪付きになっていた 2015/9/2追記)黒だって、たまには私の足元に毛を擦りつけてくる。大きい方のキジトラにしても、冬を越して生きているぐらいだから何かしら人の手を借りているに違いない。ただし、この茶トラだけは人間を見るやいなや、さっと逃げてしまう。かなり警戒心が強い。そのくせ私が夜散歩に出る時は玄関の松の木の下で体と尻尾を巻いている。懐こうとしているのかと思って近付いたらやっぱり逃げた。

 都会ではないとはいえ、しょせんここは牛より車が多い場所だ。道端に猫が食う物もそれほど落ちていない。茶トラは日を追う毎に痩せていき、しまいには皮が余ってみすぼらしくなった。それでもやっぱり人間を見ると逃げた。

 それでこの前の台風が去った後に黒が後ろ足を曳きながら歩いているのを見て、あの茶トラはどうなったのだろうかと心配していた。黒が足を曳いているぐらいだから死んだのかもしれないと思っていたが、つい先日また太ましい体つきをしているのを見た。松の木の下で尻尾と体を巻いていた。そして私を見るとすぐさま逃げていく。最近は振り返りもしない。どうやって台風と飢えをしのいだのかは謎である。

 

(2015年9月1日 牛野小雪 記)

 

(おわり)

 

追記:一昔前にあれだけ流行ったゴールデンレトリバーやラブラドールはどうなったんでしょうか。前は石を投げれば当たるぐらいいたのに。最近は小型犬ばかり見る。中型犬でも珍しい。最近はツイッターで柴犬を見るぐらいだ。

 

追記2:野良の黒はちょうど真論君家の猫を書いた後に出没するようになったので大変驚かされた。しかも金目の黒猫。肉球まで黒い。ただし真論君家の猫とは違って体はあまり大きくない。子猫の様にも見えないので、これから先も大きくはならないだろう。

『真論君家の猫』のリリース記事

クロスケは金目の黒猫。母上や兄弟達と違って頭から爪先まで黒い。
ある日突然主さんに捨てられたが、偶然そこを通りかかった真論君に拾われる。
名前はミータンに変わり、首には赤い首輪が付いた。エサは毎日くれるがカツオブシはケチり気味のようだ。
しばらく真論君家の猫として暮らしていたが、それにも飽きて家を抜け出したある日、ミータンは隣の家で飼われているサバ猫のサバトンさんに導かれて家の裏山で開かれている猫の集会へ行き、そこで新たな猫達と出会う。


他の小説と何が違うか
『真論君家の猫』が他の小説と異なる点は、その独特な視点とテーマにあります。主に以下の三つの要素が際立っています。

1. 猫視点の深い描写
物語は猫の視点で描かれています。主人公である「ミータン」が、自分の世界をどのように感じ、考え、成長していくかが、非常に詳細かつ感情的に描かれています。特に、猫が抱える小さな疑問や不安、他者との関わり方が、リアルに反映されています。猫の独特な視点が人間社会や日常を新鮮に描き出しており、読者にとって新しい視点から世界を再発見する機会を提供しています。

2. 擬人化しすぎないリアリズム
擬人化された猫が主人公ではありますが、この小説はあくまで「猫」としてのリアリティを強調しています。たとえば、猫特有の行動や思考が、擬人化しすぎず、自然な形で物語に組み込まれています。これにより、ファンタジー的な要素がありながらも、現実感を失わないバランスが取られています。

3. 感情的で哲学的なテーマ
猫たちの生活を通じて、人生や社会に対する洞察が描かれています。特に「存在の価値」や「居場所」というテーマが強く表現されており、猫の視点を借りて、人間社会や人間関係に対する深い洞察がなされています。主人公ミータンが、新しい環境での適応や、過去の猫との対比を通じて、自身の存在意義を見つけていく過程は、哲学的でありながら感情的な共鳴を生み出します。

これらの要素により、『真論君家の猫』は、ただの動物物語ではなく、より深い意味合いを持つ作品となっています。

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レビュー

試し読み


1 吾輩とはどんな猫?


 どんなものにも抜け道はある。法律、税金、就職活動。

 ぼくは家の外に出る抜け道を見つけた。猫でなければ通れないような小さな穴だ。もちろんどこにあるのかは秘密である。ぼくはその穴を通って家の外に出た。

 真論君家のすぐ後ろには山があった。それとは逆に家の前には道路があって、一段低い場所に畑が広がっていた。そこで真論君の父上と母上が腰を屈めている。そのさらに遠くには家が立並んだ場所があり、どうも一日では回りきれない広さだった。

 その日は家の周りを歩いているだけで一日が潰れた。真論君が学校から帰ってきたので、ぼくは家の中に戻った。

「ミータン」と真論君が呼んだので、彼の足元に駆け寄った。真論君はぼくを抱き上げてアゴの下を指先で撫でてくれた。頭の中が溶けていく。ノドがゴロゴロと鳴る。

 一通り撫で終わると、真論君はチカチカ光る板3を一心不乱に見つめ始めた。相手をしてくれないので「みゃあ、みゃあ」鳴いてみたが何の反応もない。どうやらあの光る板を見ていると耳が聞こえなくなるようだ。それならと彼の膝におでこや胴体を擦りつけてみると「いまちょっと忙しいから」とぼくを脇にどけた。

 母上は「もうやめなさい。馬鹿になるわよ」と言ったが全くその通りだ。口を半開きにして画面を見つめる彼の顔を見れば一目瞭然だ。彼の将来のために良くないことは明白で、このままでは目と耳をあの板に奪われてしまうだろう。頭の中まで駄目になる前に、今すぐ打ち壊してしまうのが正解だ。

「違うよ。本を読んでいるんだよ」

 真論君はそう言ったが、母上は「嘘おっしゃい。本なんか開いていないじゃない」と言った。

「母さん、古いよ。今じゃこれで本が読める時代なんだ。紙の本は教科書だけさ。あ~あ、教科書も電子化されたら良いのに」

「古くても何でも良いから、もうやめなさい。宿題はしたの? お父さんに言うわよ」

「はいはい」

 真論君はそう言って自分の部屋に戻ると宿題に取りかかった。さっきとはうって変わって向こうから遊ぼうとしてくるし、頼んでもいないのに撫でてくる。宿題という物が何かは分からなかったが、何も進んでいないことは分かった。そうして何もしないまま夕飯の時間になった。

 食事の席で父親は言った。

「宿題は終わったのか」

「やろうとはしたんだけどミータンが邪魔するから全然進まなくて」

 ミータンとはぼくのことだ。とんだとばっちりだと思った。

「飼うのは良いが宿題はしないと駄目だぞ。ミータンはここに置いていきなさい」

「うん」

 猫が人語を話せないのを良いことに勝手な罪を擦りつけられた。「それは違う」と抗議してみたが、猫語は全く通じなかった。

 夕飯が終わると真論君は部屋に戻り、ぼくは父上の膝に置かれた。ぼくはこの家の真の権力者が父上だと見抜いていたので、うっかり粗相をしないように身を静かに保ちながら、一緒にテレビを見ていると「なんだ、この猫。やけに大人しいじゃないか。まるで借りてきた猫だな」と父上が背中を撫でてきた。

 ずいぶん乱暴な撫で方で「みゃあ」と抗議すると、何を勘違いしたのか、父親はぼくが喜んでいるものだと勘違いして「そんなに良いか」と撫で続けてきたのにはまいった。

 酒に酔っぱらった父上の顔は真っ赤に染まっていて、笑うたびに口から臭い息が漏れている。力任せに撫でるので体が回る。頭も回る。生きた心地がしない。上も下も分からないほど揉みくちゃにされていると部屋のドアが開いた。においで真論君だと分かったので、これ幸いと父上から脱出して真論君の膝に座を改めた。

「宿題は終わったのか」と父上が訊くと「うん」とそっけなく真論君は答えた。手にはまたあの光る板を持っていた。

「おい、ゲームもネットも九時以降は禁止だぞ」と父親は言った。

「違うよ。本を読んでいるんだ」

「親は騙(だま)せないぞ。ちょっと見せてみろ」

「だって本当だから」

「エロ本でも読んでるのか?」

「違う!」

 真論君は父上に光る板を渡した。

「あぁ『吾輩は猫である』か。夏目漱石。へえ、こんな物で本が読めるなんて時代も変わったなあ」

「そんな言い方、年寄りみたいだよ」

 そう言って真論君は父上から光る板を取り返した。

「ところで吾輩はどんな猫か知っているか」

「さあ」

「読んでいるのに知らない?」

「青と白の縞模様じゃないかな?」

「お~い、『吾輩は猫である』の吾輩はどんな猫か知っているか?」

 父上は少し離れた場所にいる母上に訊いた。

「さあ、茶色の縞模様じゃない?」

「いきなり意見が分かれたか。実を言うと俺はずっと黒猫だと思っていた。他の人に聞くと、白猫と言う人もいれば、茶トラ、キジトラ、三毛にヒョウ柄、聞く人によって違う猫が出てきた。それで実際に読んでみると正解した人は誰もいなかった。黒でも白でも縞模様でもない」

「結局、どんな猫だったの?」

「それは忘れてしまったが、よく分からない色だったことは覚えている。小説なんていい加減な物だ。どんな猫かは書かれているのに、皆が勝手に自分の吾輩を想像しているんだ。それでも読む事ができるのだから、猫の毛なんてどうでも良いんだ。猫だけじゃない。人間でも同じで、読み手は自分だけの登場人物を想像しながら読むから、小説の人物描写なんて読み飛ばしても問題ないんだ」

「真に受けちゃ駄目よ」と母上が言う。

「とんでもない。昔々、大学で論文の課題が出た時に思い切ってそれを書いてみたんだ。すると教授から『君の書く論文は良いね。一番面白いよ』とお褒めの言葉を貰った。つまりこれは大学の先生も認めた立派な考えなんだな」

「それじゃあ、どうしてもっと立派な人にならなかったの?」

「というのも先の論文に味をしめて、同じ調子で書き飛ばしていたら、別の教授達からお叱りの言葉を貰ってね。お情けで卒業はできたものの成績はギリギリだったから、箸にも棒にもかからずこんなT島県の片田舎で埋れることになったのさ。今思えばあの教授の褒め言葉で人生が狂ってしまった。あの時真面目に頭をひねり続けていれば、総理大臣は無理でも博士ぐらいにはなれたはずだ」

「無理無理、だって分数の割り算ができないもの」

「できないんじゃない。詐欺だということを見抜いているだけだ。あれはこの世の道理に合わないことだ。なぜ割る時に分母と分子を入れ替えなければならない。昔、学校の先生に訊いてみると、これはこういう物だからこうなんだという強引な答えが返ってきた。道理も分からない物を子供に教えるとはどういうことかと怪しんで、俺は授業中考えに考え抜き、ついにはこれが国家的な詐欺だということを見抜いた。いや、正確には騙している側でも怪しいと思いながら、これはこうでこういうものだと昔から教えられたという理屈で、空虚な教えを子供に語り継いでいるんだ」

「考えすぎじゃない?」

「考えてもみろ。3分の1とは何だ。1は3で割り切れないのだから、そんな物は存在しないはずで、存在しない物をさもあるかのように扱うのはおかしい話だ。3分の1を3分の1で割れば1になるのはさらにおかしい。嘘に嘘を重ねれば本当になると言っているようなものだ。だがこんなことは世間によくある話で、存在しない物をさもあるかのように騒ぎ、存在する物を存在しないように扱うことがごまんとある。それと同じように分数の割り算も存在するように見えるが本当は存在しない詐欺のようなものだ」

「あなた疲れているのよ。お酒の飲みすぎだわ。お風呂に入ってきたら」

「分数は存在しない。どれだけ理屈を並べ立られても俺は騙されにゃい」

 最後には口がもつれていた。足も同じようにふらふらしていて、父親は風呂場へ行く間にドスンドスンと何度も壁にぶつかっていた。
 ぼくは鏡で自分の体を見た。人間にとって猫の毛など、どうでもいい話かもしれないが、猫の身としては一生の一大事である。

 ぼくの毛色は爪先から頭の天辺まで全て黒一色で、ヒゲや肉球でさえ黒い色をしている。黒でないのは舌と爪と目の色ぐらいだ。母上は白い毛並みに青と灰色の縞模様を頭から被った美猫で、兄弟達もまた同じような毛色だったのに、一匹だけ黒一色に生まれたのは全くの不思議である。

創作ノート 真論君家の猫 チラシのウラ編

前記事ー創作ノート 真論君家の猫

 以下、これを見ながら執筆したチラシの裏篇(ルーズリーフだが)
 創作ノートを見ながら時に書き足し、あるいは削り、そして変更する。

1クロスケが真論君に拾われるまで
 一章ミータンが真論君と出会うまで、2000字で終わらせたかったのだけれど丸々一章使ってしまった。クロスケという名前は後に再利用される。この章を書き終えたときにはもう最後の形はイメージできていた。
mc t1

2ミータンが成猫になるまで
 ミータンがマートンの遺影を見たときに戒名があるのを見るというのがあったが長くなるのでやめた。真論君は禿げないが(小六だし)、ミータンの体毛は禿げてしまう。
mc t2
3ミータンが平成町を旅立つまで
 本来は3章だけ。ミータンが平成町を旅立ってすぐに、大化町の猫又アラーニャンと出会う。でもほんの短い数行にミータンの長旅を書き表せることができなかったので、話を追加した。
 この時はまだ大化町の猫達がアラーニャ、マーニャ、カラマーニャとなっている。
mc t3
4ミータンが猫又のアラーニャンに会い、平成町に帰るまで
 明治町から始まって大化町までの長い旅。ターンワールドに通ずるものがある。というかこれが意外に良かったので、書こうと思った。
 
mc t4
5シラコさんの七変化
 シラコさんの七変化(たぶん七つは無いけど)、各章で最後に語られる不定の世界というわけだ。
mc t5
6最期のミータン+3匹目ムートン
 3匹目ムートンの種が播かれ始める。ミータンの物語は猫又のアラーニャンと出会い、平成町に帰ってきたところで実質終わりだと思うのだが、読んだ人はどう思っただろうか。少なくともミータンという花は枯れ落ちる方向に向かっている。ミータンが死んだ後は、ムートンの芽が出てくる。そこで真論君家の猫は終わり。
mc t6


真論君家の猫の創作ノート

 ターンワールドは本当に余裕がなかったので、『真論君家の猫』の創作ノートを公開できなかった。
 やっとやっとの休息なのでここに公開する。
 画像加工の腕が多少上がったので、写真には書き込みがある。
 その前に撮影の腕を上げろと言われそうだけど。


mc 1

1真論君家の猫の原案
 ルーズリーフ11枚分。間違いなくこれで書けるという確信を持つ。
 元々の話は真論君と虚頓君(まだこのときは名無し)が真論君の部屋でああだこうだと屁理屈をこねるだけの話。
 最期は真論君が虚頓君の妹を妊娠させてしまって、責任を取って結婚する。
 子供が生まれてミータン(この時名無し)が赤ん坊を覗き込み、人間とは生まれたときから猫より大きくて態度がでかいと考える所で話が終わる。


mc 2
2没案にした話
 直接は関係ないのだが、影響はしている。
 5章のシラコさんが死ぬ話は立場が逆転しているが、同じ様な話がある。
 鳥はなじみがないから、猫になったのかもしれない。
 ノートに3枚ぐらいは書いた。ちっとも物にならないのでやめた。


mc3
3真論君家の猫の一生
 真論君と虚頓君のふざけた話がずっと続く。それを猫が見ている。そんな話だった。
 つまりは物語の主人公は実質真論君だったわけだ。
 あの時はこうだった。あれはどうなったと
 部屋でする会話の中で物語が進んでいく。

mc4
4プロットの作り直し
 実を言うと、真論君家の猫を書き始めるまで猫の一生は3、4年と思っていた。
 ネットで調べると野良猫の一生はだいたい3、4年だが、飼い猫は普通に10年単位で生きると知って驚く。
 私の記憶では飼い猫でも3、4年だった気がするが、よくよく考えてみると、昔は(今でもそういう家があるが)飼い猫をその辺に歩かせていたのでエサは家で食べていても、実質は野良と変わらないわけだ。
 高校の頃、友達の猫が5年以上生きていて、まだ生きているのかと内心思っていたけれど、ずっと室内で飼っているならそれぐらいは余裕で生きるのかもしれない。ことによるとまだ息をしている可能性がある。
 さて、原案では3、4年の想定で考えていたので早速予定が狂った。猫の月齢表を見ながら案を考える。


mc5
5.10年スパンで話を考える
 ミータンの寿命を10年にして、一年一万字で話を練り直す。
 真論君が頭髪の薄さを気にして、虚頓君から熱したこんにゃくを頭に載せればハゲが治るという話を真に受け(試したわけじゃないが、たぶん治らないと思う)、両親が不在の間にこんにゃくを鍋で煮て頭に載せるという話があった。猫がそれを食器棚の上から見ている。
 当然こんにゃくは熱過ぎて、真論君は頭からこんにゃくを落とす。落ちたこんにゃくは弾力があるものだから床を跳ねる。それが足に当たった真論君は驚いて足を上げる。まるで踊っているようだった。という落ちだ。ちなみにそのこんにゃくは両親が帰ってくる前に、からしとしょうゆで真論君が食べてしまう。
 この話は形を変えて、ミータン自身が禿げる事になる。こんにゃくは出てこないけれど。

mc6
6特にまだ形はできていない
 まだ全体像はできていない。とにかく色んな案を書いていた。

mc7

7サバトンさんが宇宙の話をする
 ミータンがサバトンさんにこの世界の事について尋ねるのだが、その時に無限の宇宙を語らせようとした。しかしそれは有限の存在である牛野小雪には扱えないものだった。頭がふわふわして気が狂いそうになる。論理ガバガバのドーナツ理論でお茶を濁した。


mc8
8大体の形ができてくる
 今まで書いてきた案をまとめて整えて形になってくる。
 主客転倒して真論君の物語から猫の物語へ。


mc9
9真論君家の周辺地図
 作中では明言されていないが、ミータンが歩いていた場所はほとんどが真論君家の敷地。
 彼は真論君家に根を生やしているわけだ。



mc10

10.3章と4章が合わさったところ
 屋根党員には知識派と遊行派がいるが、作中では知識派しか出てこない。
 では遊行派はどこに? きっとその辺で遊んでいるのだろう。
 この時点では3章でミータンが平成町を出てから、次の章ではすぐにアラーニャンと出会っている。


mc11
11 5章6章
 白紙のときは無限の可能性があるが、書くごとにその幅は狭まってくる。
 可能性が狭まってくると書くことはおのずと決まってくる。

 物語は終わろうとしているのに新しい猫ばかり出てくる。 



mc12
12最期のミータン
 結局ここまできて、蒲生田岬の頃から半年以上書き溜めてきた原案は一つも使われなかった。
 あるとすれば真論君の部屋で4人が語り合うという状況だけ。
 でも、元々似た様なことを考えていただけに、この部分だけはあっという間に書けた。あそこは結構長いが一日の執筆で書きあがっている。その意味では無駄ではなかったのかな。

続くー創作ノート 真論君家の猫 チラシの裏篇


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神主から聞いた猫の話

 一回目の改稿はいつも長くかかるのだが、今回は一週間経っても半分も終わらない。最低三回は回すので今日までのペースが続くならあと三、四週間後? まあ、二回目、三回目と修正する部分が減ってくるので一概には言えないけれど、リリースはまだまだ先の話になりそうです。
 リリースはまだですが、目処は付いてきたので神社にお参り&籤引きをしてきました。籤引きの方はちょっといわくがあるので来週の進捗状況に結果を書こうと思います。

 その神社は猫を奉っている神社のせいか行くと必ず猫がうろうろしているのですが、人馴れしているので呼べばたいてい寄ってきます。絶好の猫ポイントだ。私が白に黒のぶち猫の猫(子供に一番人気だそうだ:神主談)を撫でていたら、神主の人が猫を集めてい少し話をした。
 
 何でも昔は2、30匹ぐらい猫を放し飼いにしていたのだが、ある時から夜な夜な猫を襲う輩が出てきて、手足や尻尾を切られたり、殺されたりするので今は2、3匹しか飼っていないのだとか(ちなみにそう話す神主の側には猫が4匹いた。遠くにも猫の姿が見えるので計算が合わないが黙っておいた。それとも私が見ていたのは猫の幽霊か!?)。
 
 話を補足すると、元々神社のある辺りは捨て猫の多い場所で、その捨て猫を神社が飼うという形だったのだろう。じゃあその神社の庇護を受けられない猫はどうなるのかというと、今は裏山で群れを作っているそうだ。全部で60匹もいるらしく、その猫達が神社の猫をいじめるらしい。

 なるほど、ときどき見る愛想のないやさぐれ猫はそういう意味だったのかと納得する。

『真論君家の猫』では屋根党員と野良党員は別段仲は悪くないという設定で、ミータンがジロスケから狩りを教わるという話があったが、現実ではそうでもないようだ。

 猫、人、両方に襲われるので暗くなる前に神社の猫は社殿に匿うらしい。日向で体を伸ばしているような猫も見えないところでは苦労しているのだというお話でした。


ちなみにこの話に出てくる猫のモデルはこの神社猫である。大傑作を書けないのは猫を誘拐していないせいだろうか?
カウフィールドは牛野小雪の別人格。
読み切り短編 猫との密約/T・S・カウフィールド

真論君家の猫もよろしく。


 

続報『真論君家の猫』はまだまだ推敲します5

『真論君家の猫』を三回まわしました。
三回目ともなると徐々に憎しみを覚えてきます。
直したところは多数、段落ごと消したところもあります。

さて、いつもは三回回せばリリースするのですが、今回はまだ納得がいきません。
出しても良いとは思うのですが、ここはあえてもう一回だけ回してみようかと。
自分の腕が拙く気になるところもあるのですが、やれるところまでやりましょう。 
四回目ですから、かなり時間がかかりそうです。

多分、次は『真論君家の猫』より凄いのは出せない気がします。
前作が自分史上最高の力み作なら、カツオとコンブの合わせダシみたいなものです。
私なんかはもうダシの抜けたカツオ節状態です。二番ダシも出ません。
 

『真論君家の猫』各章のあらすじ

発売前にここで各章のあらすじを紹介しておきます。
これを読めば実際読まなくてもいいかも。
読むときの道しるべになれば幸いです。

○二匹目 ミータン
ミータンは金目の黒猫。ヒゲや肉球まで黒い。普通の猫より手足や尻尾が長く、
首には赤い首輪を巻いている。以前はクロスケと言う名前だった。
ある日突然捨てられたところを真論君に拾われて彼の猫となる。
(1 ぼくはミータン)

真論君家(芋と野菜を育てる家)の猫となったミータンが不定の世界を歩き始める。
隣の猫のサバトンさんに裏山で開かれる竹林集会に導かれて様々な猫と出会う。
知識派の猫達と交流して知識を深めるミータンだが、最古老チャトランさんの死を
きっかけに自分の死について考え始める。そんなミータンに死の影が迫る。
(2 子猫から成猫へ)

死の淵を脱したミータンは知識派から離れて野良の真似事を始める。
狩猟派のジロスケに教えを乞い、畑のスズメを狩れるようになる。
やがて、ジロスケとも肩を並べられると称されるようになるが、
竹林集会に猫を食う凶暴な黒犬が現れる。その犬はミータンとジロスケでも敵わなかった。
ミータンは黒犬を退治するためにアラーニャンを訪ねる旅に出る。
(3 屋根から野良へ)

旅の途中で黒猫と白猫の争いに巻き込まれたミータン。
白猫達は5年前に風鈴公園から猫達を追い出した暴虐な猫達だった。
ヨリサブロウとツネクロウは河川敷に猫達を集結させて戦機をうかがっていた。
そんな中、白猫を束ねていたキヨカズが謎の死を遂げる。
これを機にヨリサブロウは河川敷の猫達に風鈴公園を攻める号令を下す。
保元町で黒猫と白猫の運命が決まろうとしていた。
(4 野良から屋根へ)

ミータンは平成町に帰りふたたび真論君家の猫になる。
黒犬の脅威が無くなった竹林集会で旅を完遂させたミータンはその名を上げる。
思いを寄せるシラコさんとも仲良くなった。
チャコさんに誘われてシラコさんとバーガー屋へ行くと、
帰り際にミータンはシラコさんと三日後に二匹だけで逢うことを約束した。
(5 恋心が恐怖心へ)

物語はいきなり数年後に飛ぶ。
ミータンも老猫となり、竹林集会の猫も年下ばかりになった。
ある日、変わらない風景を探しに散歩中へ出かけたミータンは
名前も主さんも自在に変える雌猫に出会う。
猫の集会から足が遠退いたミータンは人間の集会を観察することにした。
(6 最期のミータン)

○三匹目 ムートン
ムートンは全身灰色の雄猫。生まれたときから名前はムートンだ。
ピアノの音に包まれた優雅な生活をしていたが、ある日突然真論君家の猫にされてしまう。
一杯食わされてアジの唐揚げを食えないようにされ、缶入りのエサも食わせてくれない。
ないない尽くしの困った家だがこれも何かの縁なので、この家で暮らすことにしたムートンであった。
(1 真論君家の猫)

『真論君家の猫』の初稿が完成

やっとやっとで初稿を書き上げた。
今回はかなり難しい話を書いた。それでいて読むのは簡単。分かる人だけ分かれば良いというかなりわがままな話。

今作を書くにあたって考えたのは、人に媚びたものというのは面白くないんじゃないかということだ。
前に『竹藪の柩』と『ぼくとリカルド』の短編2つをほぼ同時に出して、どっちが売れるかを試してみた。
事前の予想では『ぼくとリカルド』が売れまくると予想。それというのもこっちは読者に媚び媚びの気持ちで書いたからだ。『竹藪の柩』なんてお情けで1冊ぐらい売れるかなという勝手な気持ちで書いた。
しかし、フタを開けてみれば後者の方が20倍以上売れた。
たぶん冊数でいえば今までで一番売れたと思う。

両者の結果が鮮明になった頃には冒頭を少し書き始めていたのだが、よしそれじゃあ今回は思いっきり振り抜いて、思いっきりわがままに書いてやろうと決めた。自棄みたいな物だ。
そのせいか、当初考えていた物とは全然違う物に仕上がった。

今回は『真論君家の猫』という話なのだが、明らかに『吾輩は猫である』を意識して書きはじめた。
ネタは今作のために去年の10月からちびちびと貯めてきたものを満を持して出す感じだった。 
本格的に取りかかったのは5月からだが、本腰を入れていない期間をはめるとほぼ1年構想の話だ。 
原案では真論君家の猫が見た真論君というのが話の流れだったのだが、主客転倒して猫が中心の話になった。それだけにボツになった話や設定も多い。今でもガッカリしているが、どうやっても話に組み込めない。
 
話の筋を変える前から今の自分では絶対に最後まで書けないだろうと不安だったが、未来の自分なら書けるだろうと信頼してずっと書いていたら、意外と書き通せた。
今日は3割ほど推敲を進めたのだが、今のところ100%に近い。ラストで未熟さが出るかもしれないが、たぶん高崎望より良い。これより凄いのは、たぶんしばらく書けない・・・・ってのは高崎望の時にも書いたっけ。
まあ超自分勝手に書いたのだから、そうじゃなきゃ困る。

来月には出せると思います。
それまでは乞うご期待。

牛野小雪より

あと一押しが踏み出せない

もうじき初稿が完成する。最後の最後、どん詰まりのところまできた。
ここまでためてきたのを消化していくだけだから、書くことはほぼ決まっている。あとは気力の問題。今書いている章の最後1行はすでに頭の中にある。
正直な話、その1行が頭に閃いたときは声を出して泣いた。
小説はそこで終わりではないのだが、ほぼ終わったような物だ。 
たぶん労力的には軽い場所なんだけど、それを書くには断固たる精神力が必要だと感じている。
いよいよあと4千字でそこへ行くとなったとき、はたと手が止まった。
絶対に書けることは微塵も疑っていないのだが、どうしても気力というか覇気というか、こう書いてやろうって気にならない。
一時間机に座って書きあぐねたので、今日はひとまずパソコンの電源を切った。
もし明日気力が戻ったら、とっても楽だが気の重い文章を書かなくてはならない。
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