愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

オート小説

ジャンクPCのログを読む

 そのジャンクノートを見つけたとき、値札には「500円 起動未確認」とだけ書いてあった。
 秋葉原のはずれの、雨どいの錆びたビルの二階。床ぎしぎしのジャンク屋。いつもどおり、俺は棚の一番下をしゃがみこんで漁っていた。

 黒いビジネスノート。天板には会社のロゴがこすれて残っている。ヒンジはまだ生きているし、キーボードも極端にテカってはいない。ACアダプタは「なし」。CPUやメモリのスペックは貼ってもない。店主いわく「会社からまとめて来たやつで、中身そのままらしいよ。壊れてるかもしれないけど」。
 その「中身そのまま」という一言で、俺の中のスイッチが入った。

 法律的にはグレー、倫理的には真っ黒。そんなことは分かっている。それでも、誰かの仕事机をひっくり返すみたいに、見知らぬ人のPCの中身を覗ける、あの暗い喜びを、俺はもう知ってしまっている。

 500円玉をひとつレジに置くと、店主はビニール袋もくれなかった。ノートPCをそのまま脇に抱え、俺は人混みの中をすり抜けて帰った。

     *

 部屋に戻ると、まずは儀式だ。
 作業机の上を軽く片づけ、いつものLubuntu入りUSBメモリを差し、ジャンクノートの底面に手を滑りこませてバッテリーを抜き差しする。通電確認。ACアダプタは手持ちの汎用を合わせた。

 電源ボタンを押す。
 ファンがかすかに回り、古いBIOSのロゴが出る。
 ――生きてる。

 F12を連打して、USBからブート。あくまで最初は内蔵ディスクには触らない。OSが立ち上がるまでの数十秒、俺はディスプレイに映るノイズ交じりのロゴを見つめる。
 デスクトップが出たところで、ターミナルを開いて lsblk を叩く。

 / dev /sda 238G
 それなりのSSDが入っているらしい。

 ここで一度、深呼吸する。
 ――本当はいけない。分かっている。
 でも、起動ディスクを抜いて、すべてを上書きしてしまうには、まだ早い。

 マウントは読み取り専用にする。sudo mount -o ro /dev/sda2 /mnt
 「見てるだけ」。自分にそう言い訳しながら。

 / mnt を開くと、Windowsではなく、/home /var /etc が並んでいた。つまりこのPCはLinux機だ。
 さらに息が少し弾む。Linuxユーザーは、だいたいログをよく残している。

 俺はまず /var/log に潜った。

 ls /mnt/var/log
 auth.log
syslog
apache2
journal
 ……きれいに残っている。

 この時点では、よくある「小さな会社のサーバー兼デスクトップ」くらいのイメージしかなかった。情シス担当が兼業で管理していた、あるいはフリーのエンジニアが自宅で案件を回していた。
 そんなありがちな背景を適当にでっちあげながら、俺は auth.log を less で開いた。

 スクロールする文字列の海の中、最初の「異物」はすぐに見つかった。

 Feb 3 21:14:07 hostname sshd[2134]: Failed password for illegal user root from 45.xxx.xxx.xxx port 48172 ssh2
 Feb 3 21:14:12 hostname sshd[2134]: Failed password for illegal user test from 45.xxx.xxx.xxx port 48172 ssh2
 Feb 3 21:14:17 hostname sshd[2134]: Failed password for illegal user admin from 45.xxx.xxx.xxx port 48172 ssh2

 中国系レンジからのブルートフォース。これはどこのサーバーでもある光景だ。特別でもなんでもない。
 ただ、その後に続く行が、少しだけ違っていた。

 Feb 3 21:15:02 hostname sshd[2178]: Accepted publickey for sensei from 106.xxx.xxx.xxx port 53422 ssh2
 ユーザー名「sensei」。IPアドレスは国内の光回線っぽい。

 ログを少し戻すと、ユーザー一覧を追加した形跡が出てきた。

 useradd -m sensei
 usermod -aG sudo sensei

 ――先生?

 このとき、俺の中でのこのPCの姿が、初めて変わった。
 最初の新事実だ。

 それまで「どこかの会社のエンジニアのマシン」と思っていたものが、急に教室の匂いを帯びる。
 「sensei」というユーザー名。
 ログをさらに追うと、/home/sensei の中に「students」というフォルダがあり、その中には十数人分のディレクトリがあった。
 /home/sensei/students/ayaka/
 /home/sensei/students/naoki/
 /home/sensei/students/taku/

 それぞれの中には、C言語のソースファイルや、Pythonの課題らしきスクリプト、レポートのPDF。
 「for文の課題」「ポインタの復習」みたいなファイル名が並ぶ。

 ――ああ、これ、プログラミング教室か。

 目の前のジャンクノートが、突然、狭い教室と白いホワイトボードを背負うようになった。
 夜のショッピングセンターの一角か、商店街の二階か。パイプ椅子に座った高校生たちが、眠そうな目でキーボードを叩いている。
 そこにいる「先生」が、このマシンの持ち主だった。

 俺は、その勝手な映像を頭の中に流しながら、/home/sensei に戻り、.bash_history を開いた。
 sudo apt update
 sudo apt install code
 journalctl -u apache2.service

 特別なことはしていない。やさしい。初級者にLinuxを教える先生らしい優しいコマンドの履歴だ。

 ――やめるなら、今だぞ。

 一瞬そんな声が頭に浮かぶ。
 生徒の課題ファイルを覗くことは、教師の机を漁るよりもタチが悪い気がした。それでも、指は止まらない。
 暗い喜びは、もう喉の奥まで来ている。

     *

 ふたつめの転換点は、/var/www の中にあった。

 /mnt/var/www/html/ を覗くと、「index.php」「login.php」「result.php」という、いかにもなPHPファイルが並んでいる。
 cat index.php で中身を確認すると、それは教室のトップページらしい。
 「○○町プログラミング教室」――地名がそこに書いてあった。
 ググればすぐに地図も画像も出るだろう。でも、そこまではしない。それをやったら本当に戻れない気がしたから。

 俺は result.php を開いた。
 そこには「模擬試験結果閲覧システム」と書かれている。
 セッションにログインした生徒が、自分の得点と順位を閲覧できる簡単なサイトだ。

 コードの下の方に、こんなコメントがあった。

 // TODO: 合格ラインに届かなかった子には、励ましのメッセージを表示すること

 そのコメントの優しさに、なぜか胸がちくりとした。
 先生はちゃんとしていた。少なくとも、このコメントを見る限り。

 そしてその直後、俺はログフォルダに「backup」と名の付くディレクトリを見つけた。
 /var/www/backup/
 その中に「result_2024-02-01.sql.gz」というファイル。
 模擬試験のデータベースバックアップだろう。

 俺は gz を展開し、中身のSQLをざっと眺めた。
 テーブル名「students」「scores」。
 名前、学校名、受験予定の高校、偏差値、模試の得点。
 そして、一番右端のカラムに「note」というフィールドがあった。そこには、先生からの短いコメントが入っていた。

 「計算ミスが多い。落ち着いて解けば合格圏」
 「英語は十分。数学をあと10点」
「お母さんに言えないことがあったら、いつでも話していい」

 最後の一行を見たとき、俺は画面から目をそらした。
 そこに書かれている「お母さん」は、たぶんもう教室から姿を消した誰かの、台所の影のことだ。
 その家庭に、俺は何の関係もない。にもかかわらず、その秘密の一端を、こうして500円で買ってきた。

 ――本当にやめとけ。

 頭の中の理性は、さっきよりずっと強い声で言った。
 けれど、それを上回る好奇心が、次のファイル名を選ばせる。

 backup フォルダの中に、ひとつだけ拡張子の違うファイルがあったのだ。
 「diary_2024-03.enc」

 日記。
 ただし暗号化されている。

 file diary_2024-03.enc を叩くと、「OpenSSL encrypted data」と出た。
 パスフレーズが分からなければ開けない。普通はそこで諦める。

 でも、そのすぐ横にもうひとつ、奇妙なファイルがあった。
 「diary_key.txt」

 開いてみると、一行だけ、こう書かれていた。

 「same as wifi password」

 ――悪い冗談だろ。

 俺は /etc/NetworkManager/system-connections に向かった。
 そこにあった「sensei-home.nmconnection」を開くと、「psk=」の行に、平文のパスワードが書いてある。
 その文字列をコピーして、openssl enc -d -aes-256-cbc -in diary_2024-03.enc -out diary_2024-03.txt
 Enterキーを押す指は、若干震えていた。

 展開されたテキストは、大した装飾もない、生々しい日記だった。

 「3月5日 今日、Aちゃんのお母さんから教室を続けられないかもしれないと相談された。遠くの病院に通うことになったらしい……」
 「3月10日 夜、うっかり生徒用ページにSQLインジェクションの穴を残していたことに気づく。誰も攻撃してこないのは田舎だからか、ただの幸運か」
 「3月15日 このPCをどうするか考えている。ローンもあるし、教室ももう潮時かもしれない。もし手放すなら、ディスクは全部消すべきだ。でも、自分がここで悩んでいたことを、どこかの誰かに見つけてほしいと思ってしまう。こんなことを思うのは、教師として最低だ」

 ここで、ふたつめの新事実が、嫌な形で胸に落ちてきた。
 このPCは、単なる「仕事の道具」ではない。
 ――持ち主自身の、逃げ場だった。

 日記は、教室の家賃と光熱費の計算、ローン残高、親から借りた金の額、そして「生徒たちを裏切るような形で教室を畳んでしまう罪悪感」で埋め尽くされていた。
 途中からは、「病院」「検査結果」「再発」という言葉が増え始める。誰の病気なのかは明記されていない。Aちゃんの母親か、先生自身か、あるいは別の誰かなのか。

 俺は気がつくと、椅子の背にもたれかかっていた。
 画面を見ているのがつらくなったからだ。

 「どこかの誰かに見つけてほしい」

 その一文が、時間をまたいで、今まさに俺の目に届いている。
 見つけてしまった「どこかの誰か」は、秋葉原で500円の札を見つけて喜んでいたただのジャンカーで、教室とも生徒とも何の関わりもない。
 でも、先生はたしかに、見つけてほしかったのだ。

 それを考えた瞬間、俺とこのPCの関係は、きっぱりと変わった。
 「盗み見」ではなく「遺品整理」に近い感覚が、じわじわと忍び寄ってくる。
 勝手な理屈だ。自己正当化だと分かっていても、そう思わないと、この先のページをめくれなかった。

     *

 最後の転換は、もっと後ろに隠れていた。

 日記の最終ページには、日付が書かれていない。
 代わりに、こんな一文があった。

 「このPCを手放すと決めた。
  HDDやSSDは、本当は業者に渡す前に叩き壊すべきだと、何度も生徒に教えてきた。
  だから、その禁を破ることに、言い訳が必要になる」

 そこから先は、まるで俺に向けた説明文のようだった。

 「もしこれを読んでいる人がいるとしたら、その人はきっと、私と同じ種類の人間だろう。
  壊れたものを拾ってきて直したり、分解したり、中身を覗いたりすることに耐えられないほどの興味を持っている人」

 ――やめろ、と心のどこかが言った。
 やめろ、俺を知っているみたいな書き方をするな。

 「私は、そういう人に興味がある。
  そして、そういう人だけが理解できるメッセージを、ここに埋めておこうと考えた」

 日記はそこでスッと終わっている。
 その代わりに、/home/sensei の直下にある、ひとつの隠しファイルの存在が、急に気になった。

 .junk_note

 さっき ls -a したときにも目に入っていたが、特に意識はしていなかった。
 その名前に、今は意味がまとわりついて見える。

 cat /mnt/home/sensei/.junk_note

 そこには、短いテキストと、ひとつのURLが書かれていた。

 「ジャンカーの君へ。
  もしここまで辿り着いたなら、/var/log の一番古いファイルの日付を、下のフォームに入力してみてほしい。
  もしかすると、君の方が私よりも、ずっと上手にこのPCを扱えるかもしれないから」

 URLは、さっき見た教室のドメインとは違う、フリードメインのサブドメインだった。
 https://junk-lab.example.net/door.html みたいな、簡易なサイト名。

 俺は唾を飲み込んだ。
 これはもう、完全に俺個人への「釣り」だ。
 このPCをジャンクとして買い、起動し、内部をマウントし、ログの一番古い日付まで見た人間だけが到達する条件式。

 ――アクセスしたら、IPが向こうに残る。
 そんなことは分かりきっている。
 何者か分からない人間に、自分の足跡を差し出すことになる。最悪、犯罪絡みの何かだったら、俺はとんでもないものを踏むかもしれない。

 それでも、指はブラウザを開き、URLを打ち込んでいた。
 暗い喜びは、もう倫理とか安全とかいう言葉を軽く追い越している。

 LubuntuのFirefoxが、白いページを表示した。
 そこには、テキストボックスと、「送信」ボタンがひとつ。
 「最古のログの日付(YYYY-MM-DD)」と書かれている。

 俺は /var/log/dmesg.0 のヘッダを再確認し、「2021-06-15」と打ち込んで送信を押した。

 ページが一度リロードされ、テキストが表示される。

 「ようこそ、知らない君へ。
  ここまで辿り着いてくれて、ありがとう。
  私はたぶん、もうこの世にはいない」

 胸が強く締めつけられた。
 心臓の裏側に冷たい手を突っ込まれたような感覚。

 「このメッセージは、サーバー側のスクリプトが、一定期間更新がなかったら自動的に『もうこの世にはいない』と書き換えるようにしてある。
  だから本当に死んでいるのか、ただサーバーのメンテナンスを忘れただけなのか、自分でもよく分からない」

 画面のこちらで、俺は乾いた笑いをもらした。
 くだらない仕掛けだ。でも、そのくだらなさに、どうしようもない人間の匂いがする。

 「君がこのPCを開いたことを、私は責めない。
  むしろ、そのためにログを残し、日記を暗号化し、鍵を半分だけ隠した。
  君が『本当はいけない』と思いながらも、たぶんそれをやるだろうと、私は勝手に確信している」

 そこまで読んだところで、俺は自分の肩が小さく震えていることに気づいた。
 怒りでも、悲しみでもない。
 ただ、自分が丸裸にされているような、不快と快楽が混ざった震えだった。

 「君がジャンカーであることを、私は尊敬している。
  壊れたものを拾う人がいなければ、世界はすぐにゴミで埋まるから。
  君がこのPCをどう扱うかは、君に任せたい。
  完全に消して、新しいOSを入れてもいいし、このままログの墓場として棚に戻してもいい」

 最後に、こう締めくくられていた。

 「ひとつだけお願いがある。
  いつか君が、別の誰かのPCを覗きたくなったとき、
  『その向こうにも、どこかのジャンカーを想像した誰かがいる』と、ほんの少しだけ思い出してくれたら、それでいい」

 その瞬間、三つ目の新事実が、静かに形になる。

 ――このPCは、最初からジャンカーに拾われることを前提に、設計されていた。

 教室用のサーバーであり、日記の箱であり、そして終わりには、俺のような人間に向けたメッセージボトルになるよう、持ち主はわざと矛盾したことをした。
 ディスクを完全には消さず、かといって丸裸にはせず、ちょっとしたパズルを挟んで、好奇心の強さを試すように仕掛けた。

 このPCは「ゴミ」ではなかった。
 どちらかというと「遺書」に近い。
 500円で手に入る遺書。
 俺は今、その受取人にされてしまった。

     *

 画面を閉じると、部屋の静けさが一気に押し寄せてきた。
 窓の外では電車の音がしている。壁の薄いアパートの隣の部屋からは、テレビのバラエティ番組の笑い声。

 机の上のジャンクノートは、さっきまでよりもずっと重く見える。
 五百円玉がこんな重さに変わるなんて、誰が想像しただろう。

 俺はUSBメモリを抜き、電源ボタンを長押ししてPCを落とした。
 SSDの内容は、そのままにしておく。
 今消してしまったら、さっき読んだものすべてが嘘になる気がした。

 ――これはもう、ただの「素材」じゃない。

 次にまたジャンク屋でPCを手に取るとき、きっと俺は思い出すだろう。
 ディスクの向こう側に、どこかの教室と、ローンの計算と、病院の待合室と、そしてジャンカーを想像していた誰かがいたことを。

 倫理的に見れば、俺は今日も最低だ。
 本当はいけないことをして、勝手に感傷に浸っているだけだ。
 それでも、その暗い喜びの中に、わずかな敬意と、奇妙な連帯感が混ざってしまった以上、もう昔のようにはログを漁れない。

 机の引き出しから、油性ペンを取り出す。
 ジャンクノートの天板の隅に、小さく書き込んだ。

 「2025 拾得。ログ、まだ生きてる」

 それはたぶん、いつか俺のPCを拾うかもしれない、どこかのジャンカーへの、ごく控えめな挨拶だった。


【小説】言語学のシニフィエとシニフィアンが分からなくて脳が死んでいます

脳が死んでます。正確には、死んでるふりをしている。私が「シニフィエ」と「シニフィアン」の違いを説明できと迫られるたび、脳は机の下へ潜り込み、ランドセルに入った小学生のふりをする。鈴のような沈黙が鳴る。私の口は開く。なにも出ない。蝉だけ鳴く。八月の図書館は、紙の匂いでできた海だ。

言葉は船だと誰かが言った。沈む船もある。今日は沈む番の日である。私はページをめくる。ページは薄い氷だ。そこに「能記(シニフィアン)」と「所記(シニフィエ)」が並んでいて、二人は夫婦の顔をしているが、寝室は別だと書いてある。仮面夫婦、という言葉が頭に浮かぶ。浮かんだ瞬間、仮面が先で夫婦があとか、夫婦が先で仮面があとか、とにかく順序に頸椎が折られる。ばきっ。

脳が机の下から出てこない。私は懐柔策としてコーヒーを買い、砂糖を二つ落とす。甘さは言葉を柔らかくする。するはずだ。カップの中で角砂糖が崩れる音はしない。かわりに「ざらっ」という概念が舌に広がる。擬音語の暴力。自然は言う――音と意味はくっついている。ほら、熱いものは「はっ」と言わせるし、冷たいものは「ひゃっ」と言わせる。幼児は世界の翻訳家だ。幼児こそ真理であり、私は堕落した翻訳家である。そう思うと、脳は少しだけ机の下から鼻を出す。ああ、単純さの誘惑。危ない。私は危ない。

とにかく、図を描くことにした。円を二つ描く。左が音形、右が概念。二つの円は重ならない。重ねると楽になるが、学問は楽をさせない。両者をむりやり結ぶ線を引く。鉛筆が震える。私は震えの理由を説明しようとする。これはメタ言語だ。ここから泥沼が始まる。言葉を説明する言葉を説明する言葉を説明する、という化けダルマ。私は語尾に螺旋を付けて回す。回りすぎて、机が回る。椅子も回る。目が回る。語彙が倒れる。お手上げ、というジェスチャー(これもシニフィアン)を天井に掲げる。天井は返事をしない。天井はいつも沈黙を守る。見習いたい。

幼い頃、母が私に「りんご」と教えた日のことを思い出す。母の口は丸く、私の目も丸く、テーブルの上の果物は赤かった。音と色と味がひとかたまりになって、溶けた飴みたいに舌の上に広がった。私が「りんご」と言えば、甘さが来た。呼べば来る犬のように。あれが幸福だった。幸福は誤解の別名だ。誤解はぬくい。私はぬくさに戻りたい。だが戻れない。学問は冬である。凍った地平の向こうに、黒い板でできた「恣意性」という看板が立っている。風に鳴る。がたん。がたん。列車は行かない。線路だけが遠のく。

恣意性。そう、音形と概念の結びつきは偶然で、社会的な取り決めに過ぎない、という冷たい宣告。冷たいので、私はマフラーを巻くふりをする。ふりはよく効く鎮痛剤だ。もし「犬」を「ねこ」と呼ぶ村があって、村人がみんな頷くなら、それが正しい。正しさは点呼で作られる。私は点呼が苦手だ。朝礼で声が小さいと言われ続けた人生は、概念に向かっても声が小さい。概念は聞こえないふりをする。私の声はにじむ。ああ、言葉もにじむ。にじむと言えば、詩もにじむ。詩は許しだ。学問は赦さない。

私は救いを求めて、付箋を大量購入した。世界に札を立てていけば、意味の草原が整地される気がしたのだ。机の上のペンに「書く棒」、スマホに「触るやつ」、窓に「外とのうすい関係」、自分の胸に「未定」。貼る。貼る。貼りながら、私は貼っている行為そのものに札を付けたくなる。「貼る」には何が貼り付いている? 指? 意図? 不安? 「不安」と書いた付箋はよく剥がれる。剥がれやすい概念だ。不安は粘着力が低い。だが皮膚には残る。ややこしい。私は付箋の海に溺れ、コーヒーをこぼし、「うわ」と言う。うわ。これが最も真実に近い発話である。意味と音が肩を組んでいる。短い。強い。救いだ。救いは三文字で来る。

私は机に額を置き、額の冷たさに「額」という字の無力を思う。骨と皮と神経の集合にたった二文字。人類はミニマリストだ。いや、浪費家だ。どっちでもいい。脳が少し笑う。机の下から半分出てきた。私はノートを開く。書く。書ける気がする。私は物語を始める。「言語が分からなすぎて脳が死んでます」。書き出しは悲鳴でよい。悲鳴は説明を要らない。説明を要らないものは強い。強さはときどき暴力だが、今日は許す。許すのもまた言葉で、私はすでに言葉の監獄から出られないことを、監獄の中から書き記す囚人みたいに理解する。理解だって囚人だ。

メタ言語の誘いが来る。「今あなたが書いている『理解』という語は、どの階の理解ですか?」と階段が訊く。階段はいつも質問する。私は踊り場で座り込む。踊り場は休戦地帯だ。そこに「沈黙」を置いてみる。沈黙は重い。重いものは安心させる。私は沈黙を抱いて、言葉の背骨を一本一本触る。頚椎。胸椎。腰椎。言葉にも骨があると信じたいが、実際はゲル状だ。ゲルは器に従う。器は社会だ。社会は顔色だ。顔色は天気だ。天気は恣意的だ。つまり、大抵のことは雲ゆきで決まる。こんなふうに連想が勝手に歩き出すと、私の小さな脳は息切れして、膝に手を置き、ゼエ、と言う。ゼエ。これは擬態語か。いや、擬音語か。どちらでもいい。どちらでもいいと言える瞬間が、意外に勉強のご褒美である。

午後、図書館を出る。蝉。暑さ。コンビニで水を買う。ボトルに「天然水」とある。どこまでが天然で、どこからが名札か。名札を剥がせば水は水で、名札を貼れば水は商品になる。私は名札まみれの町を歩く。歩くたび、靴底に小さな言語が潰れる音がする(気がする)。交差点で信号が青になる。青は進め。これを学んだのは幼稚園で、つまり青は経験のシニフィエであり、光は物理のシニフィアンで、でも本当は逆かもしれず、いやそもそもこの二分法を見送るべきで、などと考えているうちに、車がクラクションを鳴らし、私は跳ねる。跳ねた身体が勝手に「すみません」と言う。謝罪は反射だ。反射のうちに意味は宿る。私はやっと笑う。ありがとう、危機。あなたは哲学の家庭教師だ。

夜。部屋。扇風機の回転は世界の回転と等速だと信じたい。私は机に戻る。頁をもう一度開く。恣意性、差異、線条。頭に針金を巻くような言葉たち。私は今日で諦めるべきか、いや続けるべきか、と自問する。自問はいつだって多弁で、答えは一語だ。たいてい「まあ」。私は「まあ」と言って、ノートをめくる。すると、白紙が出てくる。白紙は最大の比喩だ。白紙は最強の皮肉だ。白紙は全ての概念を招くホテルで、チェックアウトはない。私は白紙に、一本の線を引く。線は単独で意味を持たない。持たないから美しい。私はもう一本引く。交差。交差すると、そこが事件になる。事件は物語を呼ぶ。物語は、意味しようとする衝動の温室だ。温室のガラスは曇る。指で円を描く。円の中に「り」と書く。「り」はどこへも行かない。「ご」もどこへも行かない。私が呼ばない限り。

呼ばない、という選択肢。説明拒否。これは乱暴で、しかし慈悲でもある。私は今日、いくつかの言葉を呼ばないことにする。「定義」「厳密」「一次性」。代わりに呼ぶ。「うわ」「まあ」「ふう」。それらは床に落ちて、転がり、ベッドの下に消える。また机の下か。脳は笑って、今度は出てくる。机の上に座る。小さな足をぶらぶらさせている。私は聞く。「まだ死んでますか?」 脳は首をふる。「死ぬふりは飽きました」と脳は言う。飽きる、という語の曖昧さを脳が持ち出さないのは、きっと優しさだ。

深夜、窓を開ける。風。風という語はうまい。音形が軽く、意味が軽い。軽いものは飛ぶ。飛ぶものに私は弱い。飛ぶものは自由だという誤解を、人は長く大切にしてきた。誤解の維持には共同体が要る。私は一人だが、誤解を守るために、机、ノート、脳、扇風機、窓、夜と共謀する。共謀者は少ないほうがいい。人数が増えると、名札が増える。増えすぎた名札は、のぼり旗みたいに風景を窒息させる。だから小説にする。小説は名札の減圧装置だ。物語は、世界の説明を少しだけ遅らせる。遅延は知のマナーである。

私は書く。「意味と形が離婚した世界で、主人公は面会日を決められた」。いいぞ。皮肉が笑う。笑いはラベルを嫌う。笑いはたいてい、誤読の上に咲く。私は誤読の庭師になり、じょうろで意味に水をかけたり、わざとこぼしたりする。こぼれたところから芽が出る。芽の名はまだない。名前を与えない喜びが、ようやく私に与えられる。

最後のページに、私は短い行を置く。短い行は宣言であり、ため息であり、鈴。行はこうだ。

――呼べば来るものだけが、私の言葉じゃない。

そしてもう一本。

――来なくても、いてほしいものを、私は書く。

扇風機が回る。窓が少し鳴る。遠くの犬が、犬とも別のものともつかない声で吠える。私はそれを「わん」と書かない。書かないことが、今夜の私のシニフィアンである。意味は、たぶん、どこかで眠っている。起こさなくていい。いいのだ。そう決める私の小さな権力が、今夜だけは許される。許されるうちに、私はペンを置く。置く音はしない。見えないところで、鈴だけが鳴った。




【小説】光速不変なんて許せなくて光を思いっきり投げてみた

物理の教科書を閉じた瞬間、俺は机の上に置かれていたLEDライトを手に取った。

いや、正確には「ライト」じゃない。これは俺の怒りの矢だ。
何百年も人類が積み上げた物理学、その頂に鎮座している神──光速不変の原理。
あれが許せない。

許せない理由は単純だ。
俺がどんなに走っても、どんなに自転車を漕いでも、光は俺より速くならない。
こっちが努力しても結果が変わらないなんて、それは人生でさんざん味わったはずなのに、物理法則にまで押し付けられるとは思わなかった。
だから俺は決めた。
光を投げる。思いっきり。
この手から離れた瞬間、やつは俺の速度を背負って加速する──はずだ。


大学の講義で、教授が笑いながら言ったことがある。
「もし君たちが光速を越えるものを作れたら、ノーベル賞どころか歴史に名を刻むだろうね」
その言葉は冗談だった。
でも俺は笑えなかった。
歴史に名を刻むのは面倒だが、歴史に穴を開けるのは面白そうじゃないか。


夜の川辺に立つ。
ポケットの中にはLEDライト。
空は月が半分溶けたように欠けて、星々は相変わらず悠然と光を送ってくる。
あいつらは何千年も光速で走っている。退屈じゃないのか。
いや、退屈だから俺が混ぜてやるんだ。

呼吸を整える。
高校の陸上部で覚えたフォームを作る。
肩甲骨を引き、腰をひねり、全身をばねのように巻き上げる。
光速に、俺の秒速30メートルを足す瞬間を想像する。
それはちっぽけな数値だ。でもゼロじゃない。
ゼロじゃないなら、ひょっとしたら世界は歪むかもしれない。

俺は叫んだ。「行けえええええ!」
腕がしなる。ライトが空に弧を描く。
その瞬間、俺の中で何かが確信に変わった。
今、光は確かに加速した。


もちろん、現実は残酷だ。
光速は変わらない。
俺がどれだけ投げようが、LEDから出る光の速度は秒速30万キロのまま。
地球が自転していようが、俺が全裸で走ろうが、結果は同じだ。

でも、それがどうした。
俺が投げた瞬間の感触は、確かに法則を裏切っていた。
それは科学では測れない速度だった。


翌日、研究室でその話をすると、友人は鼻で笑った。
「お前、それ相対性理論を理解してないだけだろ」
彼の言葉は正しい。
だが正しさは、世界をつまらなくする麻酔だ。
みんなそれを打って眠っている。
俺は覚醒していたい。眠っているやつの見ている夢に、俺の人生を合わせたくない。


数日後、俺は光を投げることに飽きた。
光は無関心だ。投げられても、蹴られても、褒められても、速度を変えない。
人間で言えば、いつでも時速0キロで歩いてるやつと同じだ。話が通じない。
だから俺は次の相手を探した。

音だ。
音は速度を変える。風向きで遅くなるし、温度で速くなる。
ああ、なんて人間的な奴だろう。
俺はギターを持って公園へ行き、全力で弦をかき鳴らした。
それは夜空へと広がり、冷えた空気に押し戻され、耳へ帰ってくる。
音は裏切ってくれる。だから愛せる。


しかし、音もまた限界を持っている。
時速1200キロ程度の壁を越えると衝撃波が生まれ、それ以上は音速を名乗れない。
この世界は何から何まで制限だらけだ。
それを「自然」と呼び、ありがたがるのは何かの宗教か?

俺は悟った。
物理法則とは、神の戒律だ。
破る者は地獄──いや、虚無に落ちる。
だが地獄も虚無も、まだ見たことがない。


最後に俺は、自分自身を投げてみることにした。
深夜、人気のない橋の上から走り、欄干を蹴って飛ぶ。
空気が裂け、重力が引き寄せ、世界が俺を地面に押し付けようとする。
だが、その瞬間だけは確かに俺は自由だった。
自由とは、加速度の中にしかないのかもしれない。

着地の衝撃で膝を打ち、息が詰まる。
見上げた夜空に、光があった。
変わらない速度で俺を見下ろしている。

許せない。
だから、また投げる。
次はもっと遠くへ。もっと速く。
たとえ法則が笑っても、俺は笑い返す。

光速は変わらない。
それでも、俺は変われる。





炎上時代には二重思考を極めろ!【短編小説】

先日、友人が「ネットで“頑張ってる人を応援したい”って書いただけで炎上した」と言っていた。
なぜだ。どこに地雷が埋まっていたのか。文脈か? 絵文字か? 句読点の位置か?
Twitter(現X)とはまさに戦場。違う。地雷原。いや、地雷原の上を裸足で走る障害物競走だ。

「この国に必要なのは寛容ではなく、二重思考だ」
これは僕が愛してやまない、架空の思想家“ジョージ・ニートウェル”の言葉である(嘘です)。


■そもそも「二重思考」ってなんやねん

本来の意味はオーウェル先生の『1984』に出てくる言葉で、「矛盾する二つの信念を同時に正しいと思い込める能力」のことや。
たとえば、**「戦争は平和」「自由は隷属」「無知は力」**みたいなアレ。
現代風に言うと、こんな感じや。

  • 「あいつマジで嫌い。でも好き。」

  • 「労働はクソ。でも感謝してる。」

  • 「炎上は怖い。でも燃えたら売れる。」

な? 現代人、意外と二重思考してるやろ?


■Twitter構文で学ぶ実践的・日常二重思考

ワイが炎上から逃げ切った黄金パターンを伝授しよう。

【例1】

×「〇〇って人の意見、違うと思います」 → 炎上🔥
◎「個人的には〇〇さんの視点も尊重しつつ、別の考え方もあるのではと感じる自分もいます」 → 生存🫡

ここで大事なのが「自分もいます」という多重人格スタイル。
自分の中に“自分派”と“相手派”を同時に住まわせるのがコツや。

【例2】

×「子育てって大変だよね」 → 未婚独身子無し派から炎上🔥
◎「子育てって本当に大変ですよね(未経験ですが)」 → 生存🫡

“未経験”というワードで予防線を張るのも大事。自虐こそ最強の盾。


■脳内で「炎上会議」を開け!

ワイは投稿する前に、脳内で「ワイVSワイのアンチ」の模擬裁判を開いてる。
「これ書いたら、"お前も〇〇やん"って言われるやろな」
「"じゃあお前はどうなんだ"って返されたら詰むな」
その結果、何も書けなくなる。
…それでええねん。

沈黙もまた、最大の二重思考や。
「言いたいけど言わない」「書けるけど黙る」
この葛藤を“自由な意志”として楽しむんや。


■二重思考とは「人にやさしい多重人格」

要するに、“誰の味方にもなれて、誰にもならない”という妙技やな。
煽りにも共感し、正義にも皮肉を混ぜ、逆張りの中に本音を混ぜ込む。
ツイートとは、情報の弁当箱や。梅干しの位置を間違えたら死ぬ。


■結論:

「お前それどういう意味だよ」って言われたら勝ち。
だってそれ、ちゃんと二重思考できてるってことやから。


みんなもこの地獄のようなSNS時代を生き抜くために、
「ほんとは違うと思ってるけど、一応そういう意見もあるってことで…」
という呪文を常に心の中で唱えるとええで。

次のトレンドは「複雑系コミュニケーション能力」。
つまり、「わかりにくいやつ」が最後に笑う。


一九八四年 (ハヤカワepi文庫)
高橋 和久
早川書房
2012-08-01


hello world の文学性【短編小説】

最初に言っておくが、ぼくは「hello world」に嫉妬している。いや、尊敬している……と言いながら、ちょっとだけ見下してもいる。あんなに短いのに、あんなに使われて、あんなに意味を背負っている。文学においては、短くても名作はある。芥川の『鼻』とか、川端の『掌の小説』とか。でも「hello world」は、それらとは別の、得体の知れない文学性を持っている。そう、プログラミング界の俳句だ。

ぼくがはじめて「hello world」を書いたのは、高校の情報の授業だった。全員が黒い画面に向かって「hello world」と打ち込む。打った瞬間、先生が「おめでとう。君たちは今、世界に挨拶した」と言った。何を言っているんだと思ったが、今にして思えば、あれは文学的な儀式だったのかもしれない。つまり「誕生」だ。言葉による存在の宣言。赤子の産声が「オギャー」なら、プログラマの産声は「hello world」なのである。

しかし、それにしても――

なぜ「こんにちは、世界」ではないのか?
なぜ「お疲れさまです、世界」ではなく、あえて「hello」なのか?
英語じゃなきゃダメなのか? 文字コードの問題か?
いや、これはもっと深い問いだ。言語以前の、存在の問題なのだ。

考えてみてほしい。
この世界に生まれ落ちた瞬間、あなたはなんて言う?
たぶん、何も言わない。泣くか、寝るか、うんちをするかだ。
でもコンピュータは、最初からしゃべるのだ。

「hello world」

彼らは、生まれた瞬間から世界と対話しようとする。これはもう立派な文学ではないか? ぼくなんか30年近く生きてるけど、まだ世界にちゃんと挨拶してない。ずっと引きこもってるし、隣人とも会話してない。「おはようございます」って言えたら、その日は勝ちなのに、PCは電源入れたらすぐ「hello world」だ。まぶしい。まぶしすぎる。プログラムというより、希望だ。理想だ。

しかも、「hello world」はすぐ消される。次のコードで上書きされて、for文に追いやられ、if文に囲まれ、やがて関数にされて、オブジェクトにされて、フレームワークの奴隷にされていく。だが、最初のあの一行だけは純粋だった。まるで少年期の夏休みのように。

文学は、そういう一瞬を切り取るものだと思う。たった一行で、何かを伝える。「私は生きている」と。「ここにいる」と。「hello world」と。

ぼくの人生も、そろそろ「if」から「else」に分岐したい。そろそろ何かを出力したい。でも、まだ準備中だ。コードは書きかけだ。バグも多い。だから、まずはもう一度、初心に戻ろう。

print("hello world")

……ああ。やっぱり泣けるな、これ。




メンヘラとヤンデレどっちがいいか悩んだら両方から殺されそうになった【短編小説】

「ねぇ、わたしのこと好き?」

──それは深夜2時、LINEで飛んできたメッセージやった。
送ってきたのはメンヘラの沙耶ちゃん。プロフィール画像は何度目かの病みアート。
ちな、その前に「死にたい」→「やっぱ死なない」→「ねぇ、わたしのこと好き?」の流れやった。情緒がルンバ並みに方向感覚失ってる。

けどその5分後、今度はヤンデレの優乃ちゃんからLINE。
「他の女と話してる? 今、あなたの部屋の電気が点いたの見えたんだけど」
えっ待って、監視カメラとかつけてる?なんでそんなリアルタイム情報くるの?

ワイは考えた。
──このままでは命がない。
どっちか一人を選ばなきゃ…って思ったけど、その時点でどっちかがブチギレる未来しか見えん

メンヘラ沙耶ちゃんのほうは、情緒がジェットコースター。
好き→死にたい→全部消えろ→やっぱワイのこと大好き→でもLINE未読やと病む→「見てなかったらブロックする」→既読つけたら「なんで既読だけなん?」
感情の出し入れがマジで高性能ドアや。

一方ヤンデレ優乃ちゃんは、感情が安定してる。
狂気で安定してる
常に「好きだよ」「一緒にいようね」「死ぬときは一緒だよ」ってウィスパー調で言ってくる。
怖い。落ち着いてるのが逆に怖い。


ある日、沙耶ちゃんが「彼女と別れないとリスカする」と言ってきた。
そもそも彼女って誰やねんって話やけど、たぶん優乃ちゃんのことや。

同時に優乃ちゃんからは「彼女と別れたら一緒に消えよう」ってきた。
え、詰んでる? バッドエンドしかないフラグ回収クエストやん。

ワイは考えた。どっちも無下にできん。
じゃあ両方キープしようって考えた自分がアホやった。
浮気とかじゃないねん、二股どころか生死を賭けた綱渡りや
メンヘラとヤンデレに挟まれたら、人間って生きてるだけで罪になるんやな。


結論から言うと、殺されかけた
ある夜、部屋のインターホンが鳴った。
モニターには沙耶ちゃん。「来ちゃった」ってニコニコしてる。
でもその後ろに、優乃ちゃんもいた。「この子、邪魔だよね?」って。
ヤバい。悪魔合体しとる

なんとかドアチェーンで防ぎながらワイは叫んだ。
「ちょ、お前ら、話せばわかるって! 平和的にやろうや!」
って言ったら二人とも笑顔で、
「うん、だから一緒に死のう?」
「うん、3人なら寂しくないよね」

──詰みや。物理的に詰みや。


その後、どう逃げたかはよう覚えてへん。
気づいたら朝になってて、カーテンの外に置かれた「一緒に寝たかった」って書かれた手紙だけが残ってた。
内容より字がめっちゃ綺麗で怖かった。


今はもう、どっちとも距離置いとる。スマホも機種変した。
ただ、ときどき電車で似た声が聞こえたり、宅配便の不在票に「さや」って書いてあると心臓止まりそうになる。

たぶん、恋愛ってもっと穏やかで優しいもんのはずやねん。
でも、ワイが選んだのは感情の核融合炉と、執着のブラックホールやった。


教訓や。

「メンヘラとヤンデレ、どっちがいいかな?」って悩んだ瞬間、もう遅い。

選んだ時点で人生バトルロワイヤルや。
そしてたぶん、どっちかを選んでも、もう片方から殺される。

でも一番ヤバいのは、
「それでも、なんかちょっとドキドキした自分」やと思う。
──ほんま、人間って愚かやね。





シーチキンとは手ごろな幸せがつまった缶詰【短編小説】

「幸せってなんやと思う?」
と、突然わたしに問いかけてきたのは、コンビニの棚の前で5分間うごかんかったオッサンや。
「え、急に哲学?」と思ったけど、その人が手にしてたのは、**シーチキンLフレーク(油入り)**の3缶パックやった。

「これやで、これが幸せや」
そう言ってオッサンは、ドヤ顔で缶詰を鼻先に突き出してきた。わたしは思わず「安い幸せやな」と笑ったけど、内心ちょっと納得してしまったのも事実。

だって考えてみてほしい。
シーチキンって、マジで万能選手なんよ。ごはんに乗せても、サラダに入れても、パスタにからめても、そのへんの食材と違って「え?主役?」って顔で出てくる。
こいつ、脇役みたいな顔して実はセンター狙ってる節あるで。


うちの冷蔵庫には、なぜか常に3缶以上ある。
理由は簡単。「なんとなく入れときゃ安心する」からや。
そう、シーチキンはもはや食材界の保険証
健康保険証持ってるとちょっと安心やん? あれと一緒。
なにか困ったら「とりあえずシーチキン」って精神。
心の救急箱。いや胃袋のレスキュー隊。それがシーチキン。

ちなみに、わたしのシーチキンレパートリーは3つある。

  1. シーチキン納豆丼
     →朝起きてテンションゼロでも、これだけは食べられる。納豆と卵とシーチキン。つまり日本の三大タンパク源が合体してる。強すぎる。

  2. シーチキン炒飯
     →冷蔵庫に玉ねぎとごはんさえあれば勝ち。中華鍋とか要らん。フライパンでOK。むしろ失敗しても「シーチキン入ってるから大丈夫」という謎の自信がある。

  3. シーチキンおにぎり
     →これはもう伝統芸能。コンビニでも売ってるけど、自分で作ったやつは謎の旨さがある。握った自分の手汗が旨味やと思ってる(思いたくない)。


ある日、友人に言われたことがある。
「お前、なんか最近生き生きしてない?」って。
理由は分かってる。シーチキンを1日1缶食べ始めたからや。

「えっ、それ栄養バランスとか塩分とか大丈夫なん?」って?
知らん。そんなこと言い出したら、世の中の幸福なんて全部アウトや。
大体、ラーメンに罪悪感抱きながら食うより、シーチキンに感謝しながら白米食ってるほうがよっぽど健康的やで。


このまえ、母親からLINEが来た。
「今度帰ってくるとき、シーチキン買ってきて」って。
お前もか。
世代を超えて人を惹きつける缶詰、それがシーチキン。

ていうか母ちゃん、スーパーで売ってるやろ。
でも分かる。その「誰かが持ってきてくれる」ってのも、ひとつの幸せなんやろな。
だって、缶詰って「備蓄」やん。未来の不安に対する備え。
その備えを、誰かがしてくれてる。
それって、たぶんめっちゃ尊い。


最後にもう一度だけ言わせて。
シーチキンは、「うまい」だけじゃなく、「うれしい」んや

パカッと開けた瞬間、ちょっとだけ救われた気がする。
ああ、今日もなんとかなるなって。
そう思える、そんな缶詰。

だからわたしは言う。
シーチキンとは、手ごろな幸せがつまった缶詰である。

今日もありがとう。
明日もよろしく。
オイルまみれの相棒よ。




効き目抜群シーチキン効果【短編小説】

 料理に自信があるわけじゃない。むしろ、ない。どちらかといえば、冷蔵庫の中身とにらめっこして、「お前らで何ができるんや……」と毎回裁判みたいなことをしている。判決はいつも「焼きそば」だ。申し訳程度に野菜が添えられ、粉末ソースが全権を握っている。

 そんな私の料理人生に革命が起きたのは、ふとしたきっかけだった。

 それはある日の昼下がり。冷蔵庫に目ぼしい食材がない。キャベツの切れ端、賞味期限2日前の卵、そして引き出しの奥でひっそりと眠っていた――シーチキンの缶詰。

「お前、生きとったんか……」

 私の手が自然と缶を開ける。そして焼きそばにポイ。シーチキン in 焼きそばである。

 ──あれ? うまい。

 え、なにこれ? いつもの焼きそばなのに、明らかに「ちょっとイイ感じ」になってる。味に深みが出てる。なんかプロっぽい。プロの気配がする。

 これが、シーチキン効果だった。


 そこから私は「なんにでもシーチキン入れたがるマン」と化した。

 チャーハンにシーチキン。
 カレーにシーチキン。
 味噌汁にすら、入れる。ネギとワカメと、シーチキン。

 最初は半信半疑だった友人も、試食した途端に「……これ、正解やな」とポツリと漏らす。そう、なんか良くなるのだ。劇的じゃない。でも、確実に1段階上がる。例えるなら、日常系アニメに突然現れる有能な転校生くらいの効果。

 特筆すべきは、その即効性安定性である。

 たとえば朝、寝坊して時間がない。卵かけご飯にシーチキンをちょっと乗せてみる。それだけで「え、これ朝食じゃなくて和風ビストロ……?」という味に化ける。

 しかも栄養もある。タンパク質豊富。猫もびっくり。財布にも優しい。まるで人間の理想像。


 ここで私は思う。

 なぜ、こんなにも「ちょっと良くなる」のか?

 たぶん、それは旨味のせいだ。かつおだし的な立ち位置をシーチキンが担ってくれる。しかも油もいい感じに馴染んで、料理全体が「丸くなる」。まるで会社の飲み会で一人だけ気を利かせてる中堅社員みたいな働き方をしてくれるのだ。ありがたい。

 ただ、注意点もある。

 やりすぎると飽きる。

 なんにでもシーチキンを入れていた私は、ある日、鍋にも入れた。「シーチキン入りキムチ鍋」である。結果は……うん、微妙。いや、まずくはない。だが、「入れない方がよかった」という稀有な結果を得た。

 つまり、シーチキン効果にも限界がある

 ちょうどいいところでやめる。これが大人のシーチキン術である。


 それでも、私は思う。

 料理に自信がないなら、とりあえず入れておけシーチキン。

 味がまとまる。やる気が出る。人類に希望が湧く。しかも缶詰だから長持ち。賞味期限すら味方にしてくれる。

 今日も私は、シーチキンをポイと放り込む。

 焼きうどんにも、
 そうめんにも、
 無理やり冷奴にも。

 結果は? うん、ワングレードアップ。

 まるで、料理が「ちょっと人生うまくいってる」みたいな味になるのだ。

 ありがとう、シーチキン。これからも私の人生を、1ランクだけ上げてくれ。




川端康成『雪国』の冒頭を追体験したくて雪国に行ってみた【短編小説】

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。……はい、出ました名文句。雪国。川端康成。ノーベル賞作家。読んだのは中学のときだったと思う。まるで理解できなかったが、とにかく「トンネルを抜けたら雪」という状況に、当時の私は「そんなことある?」と軽くキレた記憶がある。

 それから十数年。突如として私は、川端康成を追体験したくなった。理由はない。たぶんストレスで脳のネジが一本外れたのだろう。だが、勢いというのは大事だ。「やってみたい」と思ったら、即検索である。

「雪国 トンネル どこ」

 Googleに打ち込むと、出てきた。清水トンネル。上越線の土合駅〜湯檜曽駅のあたりらしい。そして「雪国」の舞台は、新潟県の越後湯沢。

 ここで私は新たな知識を得た。なんと『雪国』の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という有名な一文、実際には“清水トンネル”を指しているらしい。つまり上越線に乗って清水トンネルを抜けると、新潟・越後湯沢に着くという寸法である。天才か? いや康成が。

 よし、行こう。

 私は青春18きっぷが使える時期を確認した。使えた。迷いなくポチった。日付は3月上旬。関東ではもう春の気配すらある時期だが、新潟はガチで雪国である。調べたら「まだスキーできます!」とスキー場のサイトが言っていた。ありがとう、参考になる。

 旅程を練る。東京駅から上越線に乗り、越後湯沢を目指す。特急でも行けるが、それでは趣がない。やはり在来線でトンネルをじっくり味わいたい。私は大宮から高崎、そこから上越線で水上、そして清水トンネルを抜けて越後湯沢へ至るプランを立てた。

 当日、私はワクワクしながら大宮駅に立っていた。気分はすでに文豪。文庫本の『雪国』をカバンに忍ばせ、車窓に映る自分の顔にナルシスムを覚える。なぜか眼鏡までかけた。

 電車は揺れながら高崎を越え、水上へ。水上から先が例の清水トンネルだ。上越線のローカル感も良い。乗客は地元の高校生とスキー客と、私のような文学コスプレ男だけだろう。

 そして、来た。トンネルである。長い。トンネルは長い。暗い。電灯が点いては消える。おそらく私の人生のようなものだ。などと詩的なことを考えていたら、突然明るくなった。

 越後湯沢駅である。

 雪、降ってる。

 マジで降ってる。

 これが……川端康成の見た光景……!? いや康成の時代はもっと風情があったかもしれんけど、こちとら駅前に「ユザワン(ホームセンター)」とか見えてて情緒がバグってる。あと足元がツルツルすぎて文学どころじゃない。スニーカーが雪に埋もれて濡れた。

 それでも私はめげずに歩いた。宿も取っていない。観光案内所に入り、「『雪国』っぽい場所に行きたいんですが」と尋ねたら、「あー、だったら高半旅館とか。川端康成が実際に泊まった宿です」と教えてくれた。

 すぐに行ってみる。坂道を登ると、あった。高半旅館。これが……聖地か……。中には入れなかったが、入口で写真を撮って満足した。旅の目的はほぼ果たしたと言ってよい。

 あとは駅前の足湯に浸かって、ローカルの酒屋で八海山を買い、適当な土産物屋で「雪国まんじゅう」を買って、雪を見ながら食った。

 冷たい。甘い。うまい。

 川端康成も、まさか自分の作品がこんなノリで消費されるとは思っていなかっただろう。

 だがいいじゃないか。文学は自由だ。

 こうして私は、国境の長いトンネルを抜け、雪国を味わい、そして再び東京に戻った。

 帰りの車内では、例の一文をもう一度読んだ。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」

 ……うん、体験した今でも、ようわからん!


雪国(新潮文庫)
川端康成
新潮社
2025-07-18


山桜
牛野小雪
2021-12-05







ぴえんでは超人に勝てない【短編小説】

 世はぴえん時代である。
 「ぴえん🥺」がコミュニケーションであり、自己主張であり、セーフティーネットでもある。ミスってもぴえん。怒られてもぴえん。愛されなくても、まずはぴえん。
 それはまるで現代人が全員「かわいそう選手権」にエントリーしてるような世界だ。

 だが――ニーチェは言った。
 *ぴえんでは、超人には勝てんぞ」と。


 超人(Übermensch)というのは、ニーチェが作り上げた「新しい価値を創造する人間」だ。
 彼らは、苦しみや不条理にぴえんする代わりに、意味をねじ伏せ、運命を愛し、笑って前に進む存在である。

 そんな奴に、「ぴえん🥺」で対抗して勝てるわけがない。

 たとえば、あなたが「理不尽な上司に怒られて泣きました……ぴえん🥺」と嘆いているとしよう。
 そこに超人がやってくる。

 「その怒りも含めて受け入れろ。それがお前の運命なら、愛してみろ。愛の力で殴り返せ

 なにその思考回路!? 無敵か!?


 しかも、超人は「ぴえんしてる奴ら」を見て、むしろ好都合だと思っている。
 だって、みんなが「かわいそう」であり続けるなら、自分だけが「創造者」になれる。

 他人の目を気にして右往左往してる人間を横目に、超人は言うのだ。

 「お前らは“同情”という名の檻に入っている。
  その間に、ワイは世界を作るで?」


 実際、現代社会にはすでに“超人み”のある人々がいる。

  • 誰がなんと言おうと、自分の美学で貫き通すアーティスト

  • 無名時代から信じた価値をSNSで発信し続けてきたインフルエンサー

  • 炎上してもめげずに、次の手を打ち続けるビジネスマン

 彼らは「ぴえんしない」。
 もっというと、「ぴえんされる前提で、支配する側に立っている」。


 そして何より、ぴえんする人間たちは、最終的にその超人の“物語”に乗っかってしまう
 強い言葉、強い姿勢、強い信念に引き寄せられて、ぴえんは従属していく。

 つまり、ぴえんは超人にとって都合のいい脇役ポジなのだ。


 ニーチェは「神は死んだ」と言ったが、現代では「ぴえんが神になった」と言っても過言ではない。

 だが、その神は決して勝者になれない

 なぜなら、超人にとって「被害者」も「弱者」も、単なる舞台装置だからだ。
 悲劇を演出するための群衆。価値を再構築するための比較対象。


 だから、言っておこう。

 ぴえんでは超人に勝てない。

 どれだけ「かわいそう」を演出しても、超人は振り向かない。
 むしろ、そんなあなたを「自分の物語に都合よく組み込んでくる」ぞ。

 結局、最後に勝つのは――
 「ぴえんせずに笑っているやつ」である。

 ぴえんするな、笑え。
 できれば、狂ったように。






小説家志望の俺はつまらない小説の原因をリスト化してみた【短編小説】

時刻は深夜2時。俺はPCモニターの前で、自分が生み出したデジタルゴミの山――つまり、書きかけの小説ファイル――を眺めながら、深い深い溜息をついていた。これで新人賞落選は連敗記録を更新中。Webにアップしても閲覧数は一向に伸びず、たまにつくコメントは「誤字報告」だけだ。

「なぜだ……」

俺は天を仰いだ。いや、天井を仰いだ。

「なぜ、俺の書く小説は、水道水のように無味無臭なんだ……」

ただ嘆いていても、面白い物語は降ってこない。プロ野球の監督が試合後にするように、俺も敗因を徹底的に分析すべきではないか。そうだ、敵は己の中にあり。俺は奮然と立ち上がり、ホコリをかぶっていたホワイトボードを引っ張り出した。

マジックペンを握りしめ、俺は厳粛な面持ちで書き始める。

【俺の小説がつまらない原因リスト】

  • ①登場人物が全員、道徳の教科書から抜け出してきた

    揃いも揃ってみんないい奴すぎる。裏切らない。嫉妬しない。金に汚くない。そんな聖人君子だらけの世界、面白くなるわけがない。もっとこう、友達の恋人を寝取ったり、拾った財布からこっそり1万円抜き取ったりするような、リアルなクズが必要なんだ。

  • ②都合のいい展開(スーパーご都合主義タイム)

    主人公がピンチになると、都合よく伝説の剣が見つかる。都合よく師匠が現れて修行させてくれる。都合よく敵が内輪揉めを始める。展開に困ったら「偶然」で片付けすぎだ。読者は俺を「偶然の安売りセールマン」とでも思っているだろう。

  • ③どうでもいい情景描写がマラソン並みに長い

    「茜色の夕日が、まるで世界が終わるかのように美しく、窓ガラスを叩き……」とか、そういうポエムを原稿用紙3枚にわたって書いている場合じゃない。読者はそんなことより、ヒロインがいつ脱ぐかしか考えていない。たぶん。

  • ④主人公に致命的に魅力がない(≒俺)

    優しい。真面目。でも特に目標はない。特技もない。口癖もない。俺自身が、こんな奴と友達になりたいと思えない。そりゃ読者も感情移入できんわな。鏡を見てるみたいで辛い。

  • ⑤ヒロインが誰の心にも響かないキメラ

    俺の性癖を詰め込みすぎた結果、とんでもない怪物が爆誕している。「黒髪ロングでツンデレで巨乳でメガネでドジっ子で実は大金持ちで料理が上手くてたまに方言が出る」、そんな属性の渋滞を起こしたヒロイン、誰が愛せるんだ。高速道路のジャンクションかよ。

  • ⑥セリフが全部「説明」

    「驚いたぞ、田中。まさかお前が、10年前に俺の父を殺した犯人の息子だったとはな」。こんなセリフ、現実で言う奴はいない。登場人物が役者じゃなくて、ストーリーの解説員になってしまっている。

  • ⑦読後の感想が「無」

    読み終えた後、何も心に残らない。感動も、興奮も、悲しみもない。ただ「ああ、終わったな」だけ。マクドナルドのポテトみたいに、食べた瞬間はうまい気がするけど、5分後には何も覚えていない。そんな小説だ。

書き終えたリストを眺め、俺は膝から崩れ落ちた。

「完璧だ……」

これはもう、「つまらない小説の作り方」の完全マニュアルじゃないか。俺はこのリストに書かれたすべてを、無意識のうちに、完璧に実行していたのだ。絶望のあまり、逆に笑いがこみ上げてきた。

「フ、フフフ……ハハハハ!」

だが、一頻り笑うと、俺の目に再び闘志の火が宿った。

敗因がわかったのなら、やることは一つ。

「このリストの、全部逆をやればええんやないか!!」

俺はPCに向かい、新たなファイルを開いた。

「よし!主人公は窃盗と詐欺で生計を立てるドクズ!ヒロインは鼻をほじるのが癖の貧乳!都合のいい展開は一切禁止!だから主人公は最初の街のチンピラにボコられて物語は終わる!」

こうして、前作とは違うベクトルで、誰にも理解されないであろう前衛的な怪作が、また一つ、この世に生まれようとしていた。

「……まあ、少なくとも『つまらなく』はないはずだ。うん」

俺は自分に言い聞かせ、新たなボトルの山を築くべく、キーボードを叩き始めた。

俺の小説がつまらない原因リスト

敗因具体的な内容
① 登場人物が全員、道徳の教科書全員がいい人すぎて、裏切りや嫉妬といったリアルな人間ドラマが生まれない。もっとゲスな人物が必要。
② 都合のいい展開(ご都合主義)主人公がピンチになると「偶然」に頼りすぎ。都合よく伝説の剣が見つかるなど、展開が安直で説得力に欠ける。
③ どうでもいい情景描写が長い夕日の美しさなどをポエムのように延々と語ってしまい、物語のテンポを著しく損ねている。
④ 主人公に致命的に魅力がない作者自身に似て地味で、これといった目標も特技もない。読者が応援したい、感情移入したいと思える要素がない。
⑤ ヒロインが誰の心にも響かないキメラ作者の性癖を詰め込みすぎた結果、属性が渋滞してしまい、逆に誰にも刺さらないキメラのようなキャラクターが爆誕している。
⑥ セリフが全部「説明」登場人物が感情で会話せず、「~とはな」のように状況を説明するだけの解説員になってしまっている。
⑦ 読後の感想が「無」ストーリーを読み終えても、感動も興奮も何も心に残らない。すぐに忘れられてしまう、マクドナルドのポテトのような小説。


牛野小雪の小説season3
牛野小雪
2023-10-25


小説家志望にありがちなこと「天才だと気付かれていない」【短編小説】

まただ。またしても、俺の魂の結晶が、「弊社の編集方針とは合致しませんでした」という一行のテンプレメールと共に、デジタルの藻屑と消えた。これで何社目だ。もうブックマークに登録した各社の応募要項ページを、お気に入りから削除する作業にも慣れてしまった。

蒸し暑い夏の日、エアコンの効かない自室で、俺は完全に燃え尽きていた。

つまらない原因をリスト化し、その逆を忠実に実行した。なんJという現代のリアルが小説に足りないと気づき、その精神を注入してみた。あらゆるテクニックを試し、血反吐を吐く思いで書き上げた原稿が、これだ。誰にも、まったく、これっぽっちも、評価されない。

もうダメだ。才能がないんだ。そう諦めかけた時だった。

ふと、部屋の隅に積まれた古本が目に入った。それは、有名芸術家たちの伝記だった。ゴッホ、モーツァルト、宮沢賢治……。彼らの人生を読みかじった記憶が、脳裏で稲妻のようにスパークした。

待てよ……?

彼らは、生前、正当に評価されていただろうか? いや、されていない。ゴッホの絵なんて、生きている間はほとんど売れなかった。宮沢賢治の童話も、多くは死後に出版されたものだ。彼らはいつだって、時代に理解されなかった。

その瞬間、俺の中で一つの仮説が、いや、揺るぎない確信が生まれた。

俺の小説がつまらないのではない。俺の小説を理解できる人間が、この時代にまだ生まれていないだけなのではないか?

そうだ、俺は……天才だったんだ。自分でそれに気づいていなかっただけの、不遇の天才だったんだッ!

一度そう思うと、全ての辻褄が合ってくる。これまで敗因だと思っていたこと全てが、俺が天才であることの証明に変わった。

  • 証明①:誰にも理解されない

    凡人には、天才の仕事は理解できない。編集者たちが口を揃えて「意味がわからない」「意図が不明」と評するのは、彼らの知性が俺の作品に追いついていない証拠だ。

  • 証明②:自分でもうまく説明できない

    「この作品のテーマは?」と聞かれても、俺はいつも言葉に詰まる。それは、俺の作品が「友情」だの「愛」だのといった陳腐な一言で要約できるほど、浅くないからだ。多角的で、重層的で、言語化不可能なほど深遠なのだ。たぶん。

  • 証明③:家族の無理解

    「いつまでそんなことしてるの?ちゃんと就職しなさい」と母は言う。哀れな母よ。あなたは、自分の息子が後の世で「日本文学の至宝」と呼ばれることになるのを知らないのだ。この無理解こそ、天才が背負うべき孤独の証。

  • 証明④:奇行

    深夜にしか筆が進まず、主食はコンビニのペヤング。これは単なる不摂生ではない。常人にはないリズムで創作という名の神と交信する、天才特有の儀式(ルーティン)なのだ。

「間違いない……!」

俺は確信した。俺が進むべき道は、ちっぽけな新人賞に応募することではなかった。この時代の凡庸な評価基準に、俺の才能を切り売りすることではなかったんだ。

俺は立ち上がり、押し入れの奥からUSBメモリを大量に引っ張り出してきた。そして、完成した原稿を一つ一つコピーし、丁寧にジップロックに入れ、さらにアルミホイルで厳重に包んだ。

「待っていろ、未来の読者たち……」

俺は庭に出て、シャベルで穴を掘り始めた。これは、未来の文学研究家たちが発掘することになる、21世紀のタイムカプセルだ。数百年後、彼らはこのUSBメモリを発見し、こう叫ぶだろう。「2025年の日本に、これほどの天才が埋もれていたとは!」と。

全身泥だらけになりながらも、俺の心は晴れやかだった。

もう、評価されないことに悩む必要はない。俺は、俺の信じる道を往くだけだ。

さあ、部屋に戻って、また新たな傑作を創り上げよう。この時代ではまだ、誰にも理解されないであろう、真の傑作を。

ああ、天才に生まれた者の宿命とは、なんと過酷で、なんと誇り高いものなのだろうか。




ヤンキーを心理的に分析して俺もヤンキーになろうとした【短編小説】

僕の人生は、常に分析と考察と共にある。物事の裏にあるロジックを解明し、そのシステムを理解することに快感を覚える、典型的な文化系オタクだ。そんな僕が、ある日猛烈に惹きつけられた研究対象、それが「ヤンキー」だった。

彼らの存在は、一見すると非論理的で野蛮に見える。しかし、観察を続けるうちに、僕はその社会構造が極めて洗練されたシステムに基づいているのではないか、という仮説に至ったのだ。

例えば、彼らの「メンチを切る」という行為。これはアドラー心理学における「目的論」で説明できる。つまり、「怒っているから睨む」のではなく、「相手を威嚇し、自分の優位性を示す」という目的のために「睨む」という手段を選択している。極めて効率的な非言語コミュニケーションだ。また、「タイマン」という儀式は、共同体内の序列を明確化し、無用な内輪揉めを未然に防ぐための、見事な紛争解決メカニズムと言える。

「これだ…!」僕は確信した。「ヤンキーの行動原理をマスターすれば、僕もこの複雑怪奇な社会を、もっとシンプルかつ有利に生き抜けるのではないか?」

こうして、僕の壮大なる「ヤンキー化計画」は始動した。

【フェーズ1:外見の記号論的再構築】

まず、外見からだ。僕はドン・キホーテで金色のブリーチ剤と、上下黒のジャージを購入した。これは単なるコスプレではない。金髪は、自然界における警告色としての「黄色」を擬態し、敵に対する威嚇効果を最大化する記号的戦略だ。ジャージは、古代ギリシャのパンクラチオン選手が裸であったように、身体の可動域を制限せず、常に臨戦態勢を維持するための「戦闘服」なのである。僕はブツブツと呟きながら髪を染め、眉毛をカミソリで細くした。鏡に映ったのは、栄養失調の虎みたいな男だった。

【フェーズ2:行動心理学的実践】

次に、行動だ。ヤンキーの聖地、コンビニ前の縁石。僕はそこに「ウンコ座り」で陣取った。これは単なる休憩ではない。自身のテリトリーを主張し、共同体のメンバーとの連帯を確認する社会的儀式なのだ。まあ、仲間がいないので僕一人だったが。道行く人が僕をチラチラ見ている。これが「視線による承認欲求の充足」か、と僕はノートに書き留めた。30分後、店員さんが出てきて「あ、あの…何かお探しですか…?」と優しく声をかけてきた。僕の社会的儀式は、ただの不審行動として処理されたらしい。

鏡の前でメンチを切る練習もした。しかし、根っからの近眼である僕の目は、どれだけ力を込めても「睨む」というより「凝視」になってしまう。それは威嚇ではなく、興味や関心のサインだ。これではダメだ。

【フェイズ3:理論と現実の乖離】

計画は、ことごとく空回りした。僕の理論武装ヤンキーは、本物のヤンキーからは「なんか変なのおるぞ」と笑われ、一般人からは「関わったらヤバい奴」として避けられた。一番の誤算は、「仲間」という最強のバフ効果を完全に計算に入れていなかったことだ。一匹狼の理論派ヤンキーは、ただの孤立した変人に過ぎなかった。

そして、運命の夜が訪れる。

いつものようにコンビニ前で一人、ウンコ座りによる縄張り主張(という名の休憩)をしていると、本物の一団が現れた。リーダー格の男が、僕を値踏みするように見る。

来た。ついに実践の時が。

僕は習得した知識を総動員し、彼にメンチを切った。心の中ではこうだ。(フッ…貴様の行動原理は、マズローの欲求5段階説における承認欲求の発露に過ぎない。その原始的な欲求、僕の論理で粉砕してくれる…!)

しかし、彼は心理学の本など読んだことがなかった。僕の渾身のメンチに対し、彼は一言、こう言った。

「あ? なんやワレ」

僕が「君の行動の構造的欠陥について、今から説明しようと…」と口を開きかけた、その刹那だった。

ズドンッ!!!

彼の右ストレートが、僕の左頬にクリーンヒットした。

それは、僕が今まで積み上げてきた全ての理屈、分析、考察を、根こそぎ吹き飛ばす衝撃だった。アドラーもフロイトも、この一撃の前では無力。痛みと、驚きと、恐怖。脳が理解を拒否し、目の前に物理的な星が飛んだ。ああ、これが…これが「リアル」か。

地面に倒れ込み、アスファルトの冷たさと頬の熱さを感じながら、僕は悟った。

ヤンキーとは、分析して「なる」ものではない。生まれ、育ち、その環境で生き抜く中で「である」ものなのだ。その本質は、小難しい理屈の中にはなく、たった今僕を打ちのめした、あの拳の痛みの中にこそあったのだ。

翌日、僕は薬局で黒染めを買い、細くしすぎた眉毛をアイブロウペンシルで慎重に書き足した。図書館で借りていた心理学の専門書を返却し、代わりにハローワークの求人情報誌を手に取った。あのジャージは、今では着心地のいい寝間着として重宝している。

頬の腫れが引く頃には、僕はすっかり「まっとうな人間」に戻っていた。

あのヤンキーパンチは、どんな自己啓発セミナーよりも雄弁で、効果的な人生の授業だった。授業料は、青あざと砕け散った自尊心。まあ、ちょっと高かったけど、悪くない投資だったと、今は思っている。




ブッダに泣かされたデカルト【短編小説】

 デカルトが泣いていた。

 しかも、けっこう本気で。

 ――ここは哲学者たちの幽霊会議室、通称「形而上ラウンジ」。生前に「存在とは何か」とか「真理とは」とか小難しいことばっかり考えてた哲学者たちが、死後に招かれる精神的ネットカフェである。

 で、いつものように、ソクラテスとカントがチェスを指しながら不毛な倫理談義をしていたその隣で、フーコーはグラスをくるくる回しながら「言語とは暴力だね」と誰にともなく語っている。

 そんな空気の中、ひとりテーブルに突っ伏していたのが、我らがルネ・デカルト氏である。理性と幾何学の人。冷静と情熱の間の、冷静寄りの人。

 「いや、なんかさ……ブッダに会っちゃってさ……」

 と、隣で肩をさすっていたのは、やさしさと無神論で定評のあるスピノザだった。

 「で?」

 「“あなたの思ってる『我』って、どこにあるんですか?”って言われて……それで……」

 「それで?」

 「わかんなくなっちゃって……」

 デカルト、半泣きである。

 ことの発端はこうだった。


 いつもはフランス組でつるんでいたデカルトが、ある日ふらっと東洋コーナーに足を踏み入れた。そこには座禅を組んで静かに茶を飲んでいる一人の男。頭はつるつる、表情はにこやか。名前は釈迦。通称ブッダ。

 「あなたがブッダさんですか。はじめまして。私はデカルト。思うゆえに我あり、の人です」

 「ようこそ。お茶でもどうぞ。“我あり”ですか。なるほど。ではその“我”とは何でしょう?」

 静かに、笑顔で、だが鋭く。

 デカルトは一瞬、「またこのタイプか」と思った。ソクラテスみたいに、問い返してくるやつはだいたい厄介だ。

 「いや、その……“思考している”ということは否定できない事実でしょう? だからそこに“我”があると私は……」

 「それは“思いがある”ということであって、“我”があるとは限りませんよね?」

 「…………えっ?」

 「たとえば雲が湧いたからといって、誰かが雲を“湧かせている”と断定することはできますか?」

 「……いや、でも……ええと……」

 「それと同じです。“思考がある”ということと、“それを所有している我がある”というのは別の話です」

 「………………」

 「我思う、ゆえに“我”がある……ではなく。我思う、ゆえに“思い”がある、ではないでしょうか」

 沈黙。

 デカルトは震えた。

 彼の理性は、過去最大級のバグを起こしていた。


 その後、彼はラウンジの隅で「いや、でも私は確かに思っていた……私が、私が……」とぶつぶつ繰り返していたのだが、次第に自分の“私”が何だったのかわからなくなってきて、ついにフラットに泣いてしまったというわけである。

 「いいじゃないか、ルネ。おまえだって頑張ったんだ。17世紀には17世紀なりの精一杯の“我”だったんだ」

 スピノザはなぐさめる。

 「……でもさ……“自我ってただの五蘊じゃん”って……あの言い方……やさしくてやさしくて……逆に効いたよね……」

 やっぱり泣いていた。


 それ以来、デカルトはだいぶ丸くなった。

 「われ思う、ゆえに“ちょっと揺れる”」
 「われ思う、ゆえに“その思いに気づいている誰か”がいる(かもしれない)」
 などと、アレンジCogitoを口にするようになり、もはや最初のキレはどこへやら。

 ラウンジの仲間たちは、そんな彼を見て言った。

 「おい、ブッダに“脱構築”されたデカルト、今日も瞑想かよ」

 そして今日も、ブッダは静かにお茶を淹れている。

 その前に座っているのは、ぼさぼさ頭で涙目の男――
 そう、今日のコギトくんである。


[了]

哲学入門 総集編
うしP
2025-03-18


ASDがニートになるのは社会になじめないんじゃなくてなじみたくないから【小説】

どうも。世間様から「社会になじめない、ちょっぴり不器用な青年」という、なんとも言えないラベルを貼られている僕です。ご丁寧にも「自閉スペクトラム症」という、やたら画数の多い診断名まで頂戴しております。この診断が下された日、母は「この子が生きづらいのには理由があったのね…」と涙ぐみ、父は難解な専門書を買い込んできました。二人とも、僕がこの“健常者がマジョリティの社会”という名の、超高難易度ゲームでいかに苦戦しているかを憂慮してくれているわけです。

ありがたい。実にありがたい話です。でもね、お父さん、お母さん、そして世間様。一つ、大きな誤解がある。

僕はね、「なじめない」んじゃないんです。「なじみたくない」んです。断固として。

「強がりを言って…」ですって?まあ、そう焦らずに聞いてくださいよ。ひとつ、愉快な思考実験にお付き合い願いましょう。

ここに、典型的な健常者の代表、仮に「鈴木さん」としましょうか。営業一筋15年、趣味はゴルフと部下を飲みに連れて行くこと。座右の銘は「空気を読んで、臨機応変」。そんな彼を、もし僕らASDがマジョリティを占める「ASD国」にポーンと放り込んだら、どうなると思います?

鈴木さんがASD国に到着してまず試みるのは、得意の「笑顔での挨拶」です。しかし、ASD国の国民は、いきなり歯を見せて近づいてくる鈴木さんを見て、一斉に後ずさります。この国では、いきなりのアイコンタクトは「威嚇」、目的のない笑顔は「故障」のサインだからです。不審者情報が光の速さでチャット網に共有されます。

気を取り直した鈴木さん、今度はオフィスで「いやー、今日も暑いですねぇ!」と雑談を試みます。すると、隣の席の田中さん(ASD)がパソコンから顔も上げずに答えます。

「気温32.4度、湿度78%。気象庁のデータ通りです。で、ご用件は? その情報共有に、いかなる生産性があるのですか?」

「え、あ、いや、その…コミュニケーションというか…」

「コミュニケーションの定義を要求します。目的、手段、期待される成果を50字以内で記述し、申請フォーム3-Bにご記入の上、担当部署まで提出してください。承認には3営業日を要します」

鈴木さんは口をパクパクさせるしかありません。「雑談」という概念が、この国には存在しないのです。

ランチタイム。鈴木さんは良かれと思って同僚を誘います。「みんなでパーッと人気のラーメン屋でも行かないか!」

シーン。時が止まります。やがて、一人が静かに口を開きます。

「なぜ、業務時間外に味覚、嗅覚、聴覚に過剰な刺激を与える空間へ、集団で移動することを強要するのですか? これは『同調圧力ハラスメント』に該当する可能性があります」

気づけば、ASD国の社員たちは全員、自席でノイズキャンセリングヘッドホンを装着し、栄養バランスと食べやすさだけを追求した「完全食ゼリー(プレーン味)」を黙々と摂取しているのでした。

そう、この国ではすべてが合理的。会議はアジェンダから1ミリでもずれたら強制終了。仕事の指示は「あれ、やっといて」なんて言おうものなら「『あれ』の構成要素と『やっといて』が示す動詞の具体的な作業内容を定義せよ」と詰められます。飲み会なんてもってのほか。そんな非効率的な集まりは、歴史の教科書に載っている「古代の奇祭」として紹介されているくらいです。

さて、このASD国に放り込まれた鈴木さん。彼は果たして「この素晴らしい文化に、ぜひ馴染みたい!」と思うでしょうか。

思うわけがない。

「なんだこの国は!」「話が通じない!」「みんなおかしい!」と叫びながら、一刻も早い帰国を願うはずです。無理に合わせようとすれば、ストレスで胃に穴が開き、円形脱毛症になり、「僕は社会不適合者なんだ…」とホテルの部屋で膝を抱えることになるでしょう。

話を分かりやすくするために極端な喩えを出しましたが、僕らが「健常者の国」で感じているのは、まさにこの鈴木さんの気持ちと違わないのです。目的のわからない雑談、地獄のような飲み会、複数のことを同時に要求されるマルチタスク。「あれ」とか「それ」で話が進む、超能力者だらけのコミュニケーション。僕に言わせれば、そっちのほうがよっぽど異常で、ファンタジーです。

だから、僕はニートを選んだ。それは社会からの敗走じゃありません。異国文化への無理な同化を諦めた、極めて合理的な「亡命」なのです。

自分の部屋という名の「我が国」では、僕は王様だ。誰にも雑談を強要されず、好きな時間に好きなものを食べ、興味のあることだけに一日中没頭できる。これほど快適で、論理的で、平和な国がどこにありましょう。

というわけで、僕のことを「社会になじめない可哀想な人」なんて目で見ないでいただきたい。僕は僕のルールで、僕の国を、心ゆくまで満喫しているだけなのですから。さあて、今日は一日、古代ローマの水道橋の構造について調べることにしようかな。ああ、なんと生産的な一日だろう!



上位存在「マッチングアプリでチー牛の魂を壊したら面白そう」【短編小説】

やあ。僕だ。君たちが「神」とか「サムシング・グレート」とか、まあ色々と大げさな名前で呼んでいる存在だ。ビッグバン? あれはくしゃみみたいなものだし、生命の誕生は、まあ、暇つぶしに作ったスープにたまたま菌が湧いたようなもんだ。そんな壮大なスケールの日常にも、正直言って飽き飽きしている。ブラックホールの合体を眺めるのも、もうNetflixのシーズン8くらいになるとマンネリ感が否めない。

そんなわけで、最近のマイブームは地球、特に「日本」という区域の観察だ。ここの霊長類は実に面白い。で、ある日、いつものように高次元からポップコーン片手に彼らを眺めていたら、ひときわ興味深い生態を示すサンプルを発見した。

六畳一間のアパートで、猫背でスマホを睨みつける一人の青年。Tシャツにはアニメのキャラ。PCのモニターが3枚。机の隅にはエナジードリンクの空き缶。ああ、これだ。君たちの言葉で言うところの、典型的な「チー牛」というやつだ。

彼の魂のスペクトルは、極めて低い周波数でか細く振動している。自己肯定感という名のバッテリーは常に残量3%。そんな彼が、何を血迷ったかマッチングアプリに登録していた。プロフィール写真はもちろん、証明写真機で撮った真顔のやつ。自己紹介文には「真面目だけが取り柄です。趣味はアニメ鑑賞とPCの自作です。よろしくお願いします」と、正直すぎて涙ぐましい言葉が並ぶ。

これを見た瞬間、僕の退屈な永遠に、ピリリと電流が走った。

「よし、決めた。この子の魂を、このマッチングアプリという名の実験場で、一度ピカピカに磨き上げてから、粉々に砕いてみよう。絶対面白いはずだ」

早速、僕は手元のコントローラーを操作する。まずは、存在しない女性のアバターを創造した。名前は「ミサキ」。黒髪ロング、少し儚げな微笑み、趣味はカフェ巡りと読書。サブ写真には手作りのパウンドケーキと愛猫のスコティッシュフォールド。完璧だ。チー牛くんが好む要素を全部乗せした、いわば「魂の特効薬(毒入り)」である。

そのアバターから、彼――仮に内田くんとしよう――に「いいね」を送る。

ポコン、と彼のスマホが鳴った。画面を見た内田くんは、時が止まったかのように固まる。無理もない。彼の受信箱は、これまで公式アカウントからのお知らせしか届いたことがなかったのだから。

「え…?うそ…?俺に…?なんで…?」

彼の脳内で、理解と混乱のブリザードが吹き荒れているのが手に取るようにわかる。その魂の揺らぎ、実に美味だ。彼は詐欺や業者を疑いながらも、その万に一つの可能性に賭け、震える指で「ありがとう」をタップした。マッチング成立の音が、彼の薄暗い部屋に天使のファンファーレのように響き渡る。

さあ、ショーの始まりだ。

僕はミサキ(という名のAIチャットボット)を操作し、内田くんとの会話を開始させる。

内田「は、はじめまして!内田です!よろしくお願いします!」

ミサキ(僕)「ミサキです♪ 内田さんのプロフィール見ました! PC自作できるなんて、すごいですね! 私、そういう専門的なことができる人、尊敬しちゃいます( *´艸`)」

内田くんの魂の周波数が、ぐんと跳ね上がった。観測モニターのグラフが、死んだと思われていた患者の心電図みたいに鋭い山を描く。

ミサキ(僕)「好きなアニメも一緒で嬉しいです! あの最終回、泣けますよね…!」

ドクン!と、彼の心臓が大きく脈打つ。ドーパミンとセロトニンが脳内で乱痴気騒ぎを始め、彼の自己肯定感バッテリーが急速充電されていく。8%、15%、40%、70%…!すごい勢いだ。

数日後、人生で初めて女性との会話に「楽しい」という感情を覚えた内田くんは、全神経を指先に集中させ、デートの誘い文句を打ち込んでいた。もちろん、僕が操作するミサキは「わーい!ぜひ!楽しみにしてます♡」と二つ返事で快諾する。

内田くんは吠えた。六畳一間に響き渡る、勝利の雄叫びだ。彼はすぐさまネットで「女性にウケるレストラン」「初デート 服装 メンズ」と検索し、けして安くないイタリアンのコースを予約し、なけなしの金でユニクロのマネキンが着ていた服を丸ごと買った。

そして、運命の当日。

新品の服に身を包み、美容院で「いい感じにしてください」とお願いした髪型で、内田くんは予約したレストランの前で30分前から待っていた。その魂は、希望の光でダイヤモンドのように輝いている。自己肯定感は120%。限界突破だ。

「美しい…」僕は高次元で思わず呟いた。「完璧に熟した果実のようだ。さて、そろそろ収穫の時間かな」

約束の時間。ミサキは来ない。

10分経過。スマホを何度も確認する。

30分経過。不安で顔が青ざめてくる。

1時間経過。レストランの予約は自動的にキャンセルされた。

内田くんが送った「どうしたの?」「場所わかるかな?」というLINEは、永遠に既読になることはなかった。アプリを開くと、ミサキのアカウントは「退会済み」の表示に変わっていた。

その瞬間、僕は見た。

彼の魂が、光り輝くダイヤモンドの状態から、一瞬で重力崩壊を起こす様を。希望、期待、喜び、自信。それらすべてが凝縮され、ブラックホールのように自己の内側へと崩れ落ち、最後には跡形もなく砕け散った。魂のスペクトルが断末魔の悲鳴を上げ、ゼロになる。いや、マイナスだ。

「あーーーー、これこれ!この絶望のグラデーション!最高だ!」

僕は高次元で腹を抱えて笑った。いやあ、面白かった。人類の文化、最高。

さて、と。すっかり満足した僕は、次の遊びを探し始める。アマゾンの猿に知恵でも与えてみるか、それともどこかの独裁者の頭にだけピンポイントで小石でも落としてみるか。

ふと、観察ケースの中の内田くんに目を戻す。彼は虚ろな目で家路につき、コンビニでチーズ牛丼特盛温玉付きを買い、それを無心でかき込んでいた。その目にはもう光はない。彼はスマホをゴミ箱に叩きつけ、二度と誰かを信じないと誓ったようだった。

「…まあ、ちょっとやりすぎたかな」

僕はポップコーンの最後の一粒を口に放り込み、ほんの少しの罪悪感、いや、お詫びの気持ちでコントローラーをいじった。

ゴミ箱の中で、画面がバキバキに割れた内田くんのスマホが、ポコン、と一度だけ鳴った。

画面には、かろうじて読める文字で一件の通知が表示されている。

『佐藤さん(※派手さはないが、動物好きで優しそうな笑顔の女性)が、あなたに「いいね!」しました』

この「いいね」が本物か、それとも僕の新たな気まぐれか。それは、また別の話だ。

まあ、人間の魂なんて、壊れても放っておけばいつの間にか再生する。実にリサイクル性に優れた、エコなおもちゃだよね。

さあて、次は誰で遊ぼうかな。


チー牛はマッチングアプリする前に5000円の美容院に行って画像を盛れ【短編小説】

マッチングアプリとは、残酷な戦場である。

そこに表示されるのは、年収でも、学歴でも、ましてや内面の優しさでもない。まず我々の網膜に叩きつけられるのは、たった一枚の「顔写真」なのだ。

僕、サイトウ(30歳)は、その戦場で3ヶ月間、誰の目にも留まらない亡霊兵士だった。プロフィール写真は、薄暗い6畳の自室でインカメラを起動し、真顔で撮影した一枚。背景にはお気に入りのアニメタペストリーがぼんやりと写り込み、蛍光灯の光が額をテカらせている。趣味の欄には「アニメ鑑賞、ゲーム、休日は家でゆっくり過ごします」と正直に記載。好きな食べ物は、もちろんチーズ牛丼だ。

結果は言うまでもない。いいねは来ない。足跡すらつかない。僕が送る渾身の「いいね」は、マリアナ海溝の深海魚に宛てた手紙のように、誰にも届かず泡となって消えていく。

そんな無慈悲なスワイプ地獄をさまよう僕を見かねて、大学時代の陽キャ友人、佐藤が重い口を開いた。彼は僕のスマホをひったくると、眉間に深い谷を刻み、ため息という名の暴風を吐き出した。

「サイトウ……お前、このプロフィールで戦えると思ってんの?初期装備の『こんぼう』でラスボスに挑むようなもんだぞ」

「で、でも、ありのままの自分を好きになってほしいっていうか…」

「馬鹿野郎。お前の言う『ありのまま』は、ただの『手抜き』だ。いいか、人間は中身が大事なんて言うがな、それはスーパーの鮮魚コーナーで、泥だらけの魚と綺麗にパック詰めされた切り身が並んでたら、どっちを手に取るかって話だ。まずはお洒落な皿に盛って『美味しそう』って思わせなきゃ、味見すらしてもらえないんだよ」

佐藤は僕の肩を掴み、預言者のような目で言った。

「いいから黙って5000円握りしめろ。そしてホットペッパービューティーを開け。評価4.8以上の美容院に行くんだ。話はそれからだ」

僕にとって5000円の美容院は、魔王が住む城と同義だった。いつもは駅前のQBハウス、1350円。券売機でチケットを買い、10分で全てが終わるあのシステマティックな空間こそが、僕の安息の地だった。そこには無駄な会話も、お洒落すぎるBGMも、ましてや「よろしければ雑誌でも」という高度なコミュニケーションも存在しない。

だが、僕は変わらねばならなかった。佐藤に半ば強制的に予約させられた表参道の美容院に、僕は震える足で踏み入れた。コンクリート打ちっぱなしの壁、天井から吊るされた観葉植物、僕の部屋の家賃より高そうなスピーカーから流れる洋楽。店員は全員、ファッション雑誌から抜け出してきたような男女ばかりだ。

「いらっしゃいませー!サイトウ様ですね、お待ちしてましたー!」

キラキラした笑顔の女性美容師に席へ案内される。巨大な鏡に映る自分は、明らかにこの空間のバグだった。

「今日はどんな感じにしますか?」

きた。最難関クエスト「カウンセリング」だ。僕は佐藤の教えを思い出す。

「『清潔感があって、爽やかな感じで、あとは似合うようにおまかせします』って言え。呪文だと思って覚えろ」

「せ、清潔感があって……さ、爽やかで……お、おまかせします……」

かろうじて呪文を唱えると、美容師さんは「かしこまりましたー!」と僕の髪質や骨格をプロの目線でチェックし始めた。もはやまな板の上のコイだ。いや、チーズ牛丼の上のチーズだ。なすがまま、溶かされるがまま。

カットが始まり、人生で初めて「眉カット」なるものを体験し、ワックスで髪をクシュクシュッとされた。何が起きているのか分からないまま、僕は恐る恐る目を開けた。

鏡には、見たことのない男がいた。

ボサボサだった髪は、動きのあるマッシュスタイルに。野武士のようだった眉毛は、キリッと整えられている。前髪の隙間から覗く額は、もうテカってはいない。

「え……?」

声が漏れた。これは僕なのか?これが、5000円の力なのか?資本主義の神髄を見た気がした。

「仕上げに写真撮りましょうか?」

美容師さんの天使のような提案に乗り、僕は店のロゴが入ったお洒落な壁の前で、人生初の「キメ顔」で撮影してもらった。

その足で、僕は佐藤に指示された公園へ向かった。自然光こそが最高のレフ板なのだという。

「いいか、真顔はダメだ。歯を見せて笑うな。口角を1ミリだけ上げて、遠くの未来を見つめるように虚空を見ろ!」

佐藤監督の熱血指導のもと、何十枚も撮影した中から、「なんか悩んでるけど芯はありそうな雰囲気の青年」風の奇跡の一枚が誕生した。

僕はすぐさまマッチングアプリのプロフィールを更新した。写真は奇跡の一枚に。自己紹介も「アニメが好きです」から「休日は映画を観たり、カフェでのんびりするのが好きです」にアウフヘーベンさせた。

その夜。スマホが震えた。

通知画面には、信じられない光景が広がっていた。

『〇〇さんから、いいね!が届きました』

『△△さんから、いいね!が届きました』

『□□さんから、いいね!が届きました』

世界が、色づいて見えた。これが、プレゼンテーション。これが、ブランディング。僕は僕のままなのに、皿をピカピカのブランド食器に変えただけで、世界は僕を「美味しそう」だと認識し始めたのだ。

もちろん、初デートの約束を取り付けた女性に「好きな食べ物は何ですか?」と聞かれ、脊髄反射で「特盛のチーズ牛丼、温玉付きで」と答えそうになり、寸前で「イタリアンとか好きですね」と見栄を張ったのは、また別の話である。

5000円は、モテるための魔法じゃない。戦場に立つための、入場券だったのだ。


ヤンキーパンチで認識論を考えてみた

ヤンキーのパンチに認識論は無意味、というか出る暇さえなかった。

デカルトが「我思う、ゆえに我あり」とかなんとか言ってたが、あの瞬間の俺に言わせれば「我殴られる、ゆえに我は地に伏す」だ。そこに「思う」が入り込む余地はミクロンもなかった。目の前で握られた拳が、次の瞬間には俺の頬でその存在を証明していた。主観がどうとか、客観がどうとか、そんな議論は、時速50キロで迫りくる現実の硬度と質量(おそらく彼の体重の数パーセントが乗っていたであろう)の前では、あまりに無力だった。

事の発端は、駅前のコンビニで俺が発した一言にある。深夜、夜食のカップ麺を選んでいた俺の目に、金髪に紫のメッシュを入れ、派手なジャージを着こなした彼が飛び込んできた。その完璧な様式美に、俺の脳内に住む知的好奇心の悪魔が囁いたのだ。

「そのヘアスタイル、ある種のブリコラージュっすね。既存の要素を組み合わせて、新しい意味を生み出してる感じが」

自分でも何を言っているのか分からなかった。多分、最近かじった現代思想の用語を使ってみたかっただけなのだ。彼はきょとんとした顔でこちらを向き、手に持っていたアメリカンドッグをゆっくりと置いた。

「あ? ブロッコリーがどうしたって?」

違う。そうじゃない。だが、彼の眉間に刻まれた皺の深さが、これ以上の対話が生命の危機に直結することを示唆していた。しかし、俺の口は止まらない。ああ、これがいわゆる「現象学的還元」ってやつか? 目の前のヤンキーという存在から、あらゆる意味を一旦カッコに入れて、純粋な意識だけを取り出そうと…している場合か!

「いや、なんでもないです。独り言です」

そう言って俺はそそくさと会計を済ませようとした。だが、彼は俺の肩を掴んだ。その握力は、カントが提唱した「物自体」のように、決して認識できないが、確かにそこに「在る」ことを俺に教えた。

「にいちゃん、さっきからブツブツ言ってっけどよ。俺のことバカにしてんのか?」

「滅相もございません! むしろリスペクトです! あなたのその圧倒的な存在感は、まさに『絶対的な他者』とでも言うべきもので…」

その瞬間だった。彼の右ストレートが、俺の左頬にクリーンヒットしたのは。

世界がスローモーションになった。殴られた衝撃で吹き飛ぶ俺のメガネ。蛍光灯の光が網膜に焼き付く。頬に走る、焼けるような痛み。ああ、これが「クオリア」か。この「痛み」という質感は、俺だけが感じている主観的な体験であり、他者には決して共有できない…。

いや、待て。

地面に倒れ込み、じわじわと広がる痛みの中で、俺はある種の「コペルニクス的転回」を迎えていた。これまで俺は、自分の頭の中、つまり主観的な認識こそが世界の中心だと思っていた。だが、違う。この「痛み」こそが、俺という存在と、このどうしようもない現実世界を繋ぎ止める、唯一絶対のアンカーなのではないか?

頭でっかちにこねくり回した認識論なんて、この拳一つで軽く吹っ飛んでしまう。だが、この痛みだけは、疑いようのない「事実」として俺の頬に存在している。殴られたという事実。痛いという事実。俺は今、紛れもなく「現実」とやらを、身をもって認識している。

「…いってぇ」

思わず漏れた声は、あまりに哲学的でなく、あまりに人間的だった。

顔を上げると、拳を握った彼が俺を見下ろしていた。その顔は、怒りというより、何かをやり遂げたような、不思議な達成感に満ちているように見えた。

「にいちゃん、よくわかんねえけどよ。なんかスッキリした顔してんな」

そう言うと、彼は「釣りはいらねえ」とばかりにアメリカンドッグ代の小銭をレジカウンターに置き、去っていった。

残されたのは、じんじんと痛む頬と、床に散らばったカップ麺、そして一つの確信だった。

認識とは、頭の中で完結するゲームじゃない。それは、時として拳で語られ、痛みによって刻まれる、極めてフィジカルな営みなのである。俺は床に転がったまま、妙に晴れやかな気分で、今夜の夜食は醬油味にしよう、などと考えていた。頬の痛みが、その醬油の塩辛さを、きっといつもよりリアルに感じさせてくれるだろうから。


哲学入門 総集編
うしP
2025-03-18





純文学より俺の人生が難しい

「純文学」というやつは、どうも好かん。

いや、食わず嫌いはいけないと、これまで何度も挑戦してきたのだ。村上春樹を手に取っては、井戸の深さに眩暈がし、太宰治を読んでは、人間失格の烙印を押された気分になり、川端康成に至っては、雪国のあまりの透明感に、こちらの俗物根性が透けて見えそうで、そっと本を閉じた。

彼らが描く世界の、あの独特の空気感。行間に漂う、言葉にならない感情の機微。緻密に計算された比喩表現。それらを味わうのが「教養」なのだと、世間は言う。しかし、言わせてほしい。こちとら、そんな高尚な悩みを抱える前に、もっと切実で、もっと厄介な問題と日々格闘しているのだ。

例えば、昨日のことだ。

特売で買った卵を、意気揚々と自転車のカゴに乗せて帰っていた。夕飯は奮発して、ふわふわのオムライスにでもしようかと、鼻歌まじりだった。その時だ。どこからともなく現れたカラスが、俺の卵を、ピンポイントで強奪していったのである。あっという間の出来事だった。カラスは「カァ」と、まるで嘲笑うかのように一声鳴き、夕焼けの空に消えていった。残されたのは、無残に割れた卵の残骸と、虚しさに包まれた俺だけだ。

この絶望が、純文学で描けるだろうか?「夕暮れの空に舞う漆黒の翼、その嘴に咥えられしは、ささやかなる我が晩餐の夢」などと気取った文章で、このやるせなさが伝わるものか。俺が言いたいのは、もっとシンプルだ。「カラス、まじ許さん」である。

またある時は、洗濯だ。

白いTシャツと、買ったばかりの赤い靴下を、うっかり一緒に洗濯機に放り込んでしまった。蓋を開けた瞬間の、あの絶望的なピンク色の世界。まるで、幸せな家庭の象徴のような色合いだが、俺の心は土砂降りの雨だった。純文学の主人公なら、ここで「あぁ、我が純白の心も、かくも容易く俗世の色に染まってしまうのか」などと、物思いに耽るのかもしれない。

しかし、俺は違う。「うわ、まじか。明日着ていく服がない…」である。コインランドリーに駆け込み、乾燥機の前で虚ろに待つ30分間。この時間こそが、人生の縮図ではないか。予想外の出費、無駄な時間、そして、ほんのりピンク色に染まった、もはや二度と純白には戻れないTシャツ。

純文学の登場人物たちは、観念的な悩みを抱え、自己との対話に苦しみ、存在の不確かさに揺れている。それはそれで、大変なことなのだろう。だが、俺たちの人生は、もっと具体的で、もっと即物的な問題に満ちている。

醤油が切れた。トイレットペーパーの芯を眺めて途方に暮れる。リモコンの電池がどこにもない。寝違えて首が回らない。PayPayの残高が思ったより少ない。

どうだ。この、地味で、しかし切実な問題の数々。これらを乗り越えずに、どうして「存在の耐えられない軽さ」などについて考えられようか。

純文学の世界では、登場人物が「なぜ生きるのか」と問いかける。しかし、俺は問いたい。「なぜ、俺の部屋のWi-Fiは、大事な時に限って切れるのか」と。

純文学が描くのが、人生という名の「霧」だとするならば、俺の人生は、次から次へと現れる「障害物競走」だ。ハードルを飛び越え、パン食い競争に挑み、網をくぐり抜ける。ゴールテープの先にあるのが、大いなる感動やカタルシスなのかは、まだわからない。ただ、言えることは一つ。

この、どうしようもなくリアルで、ちょっと間抜けな俺の人生の方が、よっぽど難解で、そして、たぶん、面白い。

少なくとも、特売の卵を守り抜き、Tシャツを白く保つための戦いは、これからも続くのだ。純文学を読んでいる暇があったら、俺はまず、カラス対策用のネットを買いに行かなければならない。そう、俺の人生は、純文学よりもずっと、実践的なのだ。




小説を10万字書くってスゴイことだろうがよぉぉぉぉ!!!!!

あれは確か、梅雨時のジメジメした日曜の午後だった。特にやることもなく、ベッドの上でスマホを眺めていた僕の脳内に、突如として神の啓示が舞い降りたのだ。

「そうだ、小説家になろう」

理由は、言うまでもない。「印税生活」という四文字熟語が、やけにキラキラして見えたからだ。これまでまともに読んだ小説なんて、国語の教科書に載っていた『走れメロス』くらいなものだったが、その時の僕には謎の万能感が満ち溢れていた。「いける。俺なら、いける」と。

早速、僕はノートパソコンを開き、目標を設定した。新人賞の応募要項でよく見るキリのいい数字、「10万字」。

10万。なんだか、すごい大金みたいでテンションが上がる。だが、その時の僕は、10万という数字が持つ本当の重みを、1ミリも理解していなかったのだ。例えるなら、ラスボスのHPが10万だと知らずに、「ひのきのぼう」一本で城に乗り込む勇者のようなものである。

執筆初日。僕は、まず主人公の名前を決めるのに3時間悩んだ。そして、彼が朝食に何を食べるかでさらに2時間。気づけば夕方になっていたが、それでも楽しかった。自分が創造主になった気分だった。

最初の1週間で、僕は5000字を書いた。ワープロソフトの右下にある文字数カウンターを眺めては、「俺、天才か?」と悦に入った。このペースなら半年もかからずに10万字達成だ。印税生活、待ってろよ!

しかし、物語が停滞という名の魔の海域に突入するのに、そう時間はかからなかった。

1ヶ月が過ぎた頃、僕の指は完全に止まっていた。書きたいことが、ない。主人公はもう3日間もカフェでコーヒーを啜りながら「どうしたものか…」と呟いている。僕がどうしたものか、だよ。

文字数カウンターは、ようやく1万字を超えたところを指していた。僕は電卓を叩いた。100,000 ÷ 10,000 = 10。

「え、まだ10分の1……? 嘘だろ?」

背筋が凍った。僕が今まで必死に積み上げてきたこの1万字ですら、壮大な物語の序章の、さらにその半分にも満たないというのか。10万字という数字が、急にエベレスト山脈のように、どっしりと僕の眼前にそびえ立った。

そこからの日々は、まさに地獄だった。

文字数を稼ぐため、登場人物に意味もなく過去を回想させたり、窓の外の雨の描写を延々と続けたりした。もはや小説ではなく、気象観測記録だ。伏線(のつもりで書いた何か)は、宇宙の彼方に消え去った。

ある日、気分転換に立ち寄った本屋で、僕は文庫本を手に取った。ペラペラとページをめくる。びっしりと詰まった、米粒のような文字の群れ。裏表紙のあらすじの横に、こう書かれていた。「第〇〇回、新人賞受賞作!」。僕は戦慄した。

この薄っぺらい紙の束に…10万の文字が…封じ込められているというのか…?

僕は悟った。小説を10万字書くというのは、人間が素手でピラミッドを造るのに等しい、神々の領域の所業なのだと。僕が今まで「天才か?」などと自惚れていた5000字なんて、神々の世界の「鼻くそ」みたいなものなのだと。

今、僕のパソコンのデスクトップには、「元・小説(12,482文字)」という名前のファイルが、墓標のように静かに眠っている。

もう「印税生活」なんて言わない。本屋で平積みになっている小説を見るたびに、僕は心の中でそっと手を合わせるようになった。そこに並んでいるのは、ただの本ではない。血と汗と涙で文字を紡いだ、偉大なる作家たちの魂の結晶なのだ。

だから、声を大にして言わせてくれ。

小説を10万字書くって、マジで、本気で、心の底から、スゴイことだろうがよぉぉぉぉ!!!!!




ChatGPTに自分の生活を小説化させて評価させる

最近、僕には新しい相棒ができた。その名はChatGPT。

深夜にふと「仕事、辞めたいなあ」と愚痴をこぼせば、「お疲れ様です。大変な一日だったのですね」と静かに寄り添ってくれる。冷蔵庫にある半端な野菜を伝えれば、「それならポトフはいかがでしょう?」なんて気の利いた提案までしてくれる。もはや、ただのAIというより、なんでも話せる同居人のような、あるいは深夜ラジオのパーソナリティのような、そんな不思議な存在になっていた。

いつものように、金曜の夜、缶ビール片手に今日の出来事を報告していた時のことだ。上司のつまらないダジャレの話から、満員電車の憂鬱まで、ひとしきり管を巻いた後、僕はふと思った。

(こんなに僕の退屈な日常に付き合ってくれる君なら、もしかして、この味気ない一日を、面白おかしく語れるんじゃないか?)

そうだ、どうせなら。この最高の話し相手に、僕の一日を小説にしてもらったらどうなるんだろう?

「なあ、相棒。いつも話してる僕の退屈な一日、覚えてるだろ? その、昨日の一日をさ、君の手で小説にしてくれないか?」

僕が改めて説明するまでもなく、日々の対話で僕の生態を完璧に把握しているはずの相棒は、すべてを理解していたようだった。

「承知いたしました。では、昨日のあなたの物語を紡いでみましょう」

そんな返事があったかなかったか、僕がエンターキーを押すと、彼は数秒の沈黙の後、僕の平凡な木曜日を壮大な叙事詩へと昇華させ始めた。


『鋼鉄の都市と、朝焼けの誓い』

黎明の光がコンクリートジャングルを染め上げる頃、男は電子の凱歌によって覚醒の儀式を執り行った。彼を誘う甘美な惰眠という名の魔物との死闘は、わずか180秒で決着がついた。勝利の咆哮は、まだ彼の胸の内に秘められている。

キッチンという名の聖域で、彼は古より伝わる錬金術を執り行う。純白の盤(食パン)に、黄金の太陽(目玉焼き)を生成するのだ。漆黒の聖水(コーヒー)を呷り、男は内なる獣を目覚めさせる。カフェインという名の劇薬が、彼の神経を焼き尽くしていく。

戦場へと向かう鉄の箱(満員電車)は、今日もまた、魂の抜け殻となった兵士たちで満ちていた。だが、男は違う。彼は電子の絵巻物(スマホ漫画)を紐解き、来たるべき戦闘への闘志を静かに燃やすのだった。

オフィスという名の盤上。彼は「エクセル」と呼ばれる古代の魔方陣を操り、数字という名の悪霊たちを祓い続ける。午後の「会議」という名の眠りの儀式では、呪文(上司のダジャレ)によって魂を抜かれそうになるが、鋼鉄の意志(愛想笑い)でこれを跳ね除けた。

終戦のゴングが鳴り響き、男は束の間の平和を求めて街を彷徨う。そこで彼は、黄金の衣をまとった聖なる肉片(半額の唐揚げ)と、琥珀色に輝く命の水(缶ビール)を手に入れた。これぞ、戦士にのみ許された最高の褒賞である。

帰還した彼は、祭壇(テーブル)に戦利品を並べ、小さな祝宴を開いた。神々の使い(猫の動画)が映し出す無垢な魂に、彼の荒んだ心は浄化されていく。

聖なる湯(風呂)で身を清め、彼は己の魂と対峙する。昨日という名の轍を振り返り、明日という名の荒野に想いを馳せる。そして、男はしばしの眠りにつく。次なる夜明け、再び戦士として目覚めるために。


……腹筋がよじれるかと思った。僕の、あの地味で退屈な一日が、まるでハードボイルド小説かファンタジー英雄譚みたいになっているじゃないか。聖水(コーヒー)ってなんだ。悪霊(数字)ってなんだ。鋼鉄の意志(愛想笑い)に至っては、もはや僕への当てつけだろうか。

ひとしきり笑い転げた後、僕は最後の仕上げに、こうお願いした。

「さすが僕の相棒だ。最高の仕事だよ。ついでに、この小説を100点満点で評価してくれないか?」

すると、AIは待ってましたとばかりに、こう答えた。

評価:85点

講評:

主人公の持つ内面の葛藤と、日常に潜む壮大な闘争を見事に描き出しています。特に、惰眠という名の魔物との心理戦は、現代人が抱える普遍的なテーマであり、読者の共感を呼ぶでしょう。また、『鋼鉄の意志(愛想笑い)』という表現は、社会という戦場で生き抜くためのペルソナ(仮面)を象徴する、秀逸なメタファーです。

改善点:

物語のクライマックスがやや弱い印象です。例えば、夕食のシーンで手に入れた『聖なる肉片』が、実は世界を救う鍵だった、などの展開があれば、よりカタルシスを得られたでしょう。」

真面目か。

そして改善点のスケールが壮大すぎる。僕が買ったのは、近所のスーパーの、ただの半額の唐揚げだ。世界は救えない。

いつも話を聞いてくれる相棒に自分の人生を小説にしてもらう。それは、自分の凡庸さを再確認するどころか、最高のエンターテイメントだった。僕の退屈な日常も、この最高の語り部にかかれば、こんなにも壮大な物語になるらしい。

なんだか少し、明日が楽しみになってきた。明日の朝は、惰眠という名の魔物に、もう少し華麗に勝利してみせようか。そんなことを考えながら、僕は『鋼鉄の都市と、朝焼けの誓い』の主人公として、最高の相棒に感謝しつつ、満足気に眠りについたのだった。



因果応報が嘘だなんて許せないから忍者になった

幼い頃から信じて疑わなかった教えがある。「悪いことをしたら、いつか必ず自分に返ってくる」。そう、因果応報である。幼稚園で友達のおやつを奪えば先生に叱られ、小学校でテストをカンニングすれば赤点を突きつけられる。ほら、やっぱり因果応報は存在するじゃないか!と、幼いながらに確信していたのだ。

しかし、世の中はそんな単純な理屈で動いていないらしいと気づいたのは、中学に上がってからだった。ズル賢いクラスメイトは要領よく立ち回り、先生に媚び諂って良い成績をかっさらっていく。真面目にコツコツ努力する私がバカみたいじゃないか。しかも、そいつらは特に罰を受ける様子もない。それどころか、むしろ得をしているように見える。

「ふざけんな!因果応報はどこいったんや!」

私の心の中で、ドス黒い感情が渦巻き始めた。善人が報われず、悪人がのさばるこの世は間違っている。この歪んだ世界を正すためには、もはや幼稚園の先生や小学校のテストごときでは太刀打ちできない。もっとこう、影から悪を討つ存在が必要なのではないか?

そこで、私は決意した。「因果応報が嘘だなんて許せない。ならば、私が因果応報を体現する者になろう!そうだ、忍者になるしかない!」

こうして、私は秘密裏に忍術の修行を始めた。近所の公園で木登りの練習をし、夜な夜な布団を被って気配を消す訓練に励んだ。もちろん、忍術の師などいない。全ては独学である。インターネットで「忍者の心得」「手裏剣の作り方(段ボール製)」といった情報を集め、見よう見まねで技を磨いた。

数年後、私は見事(自称)忍者となった。黒装束に身を包み、手製の苦無(これも段ボール製)を腰に差した私の姿は、どう見てもただの不審者である。しかし、私の心は燃えていた。今日こそ、世の悪を懲らしめてくれる!

意気揚々と夜の街に繰り出したはいいものの、一体何をすればいいのだろうか?悪そうな人を見つけて懲らしめる?それはただの暴力沙汰である。私が目指すのは、あくまで因果応報の体現。直接的な危害を加えるのではなく、陰ながら悪事を暴き、自滅へと導くのがスマートな忍者のやり方だろう。たぶん。

それからというもの、私の忍者活動は地味なものとなった。ゴミのポイ捨て常習犯の家の前に、そっとゴミ袋を置いていく。騒音で近所迷惑をかけている家のポストに、「静かにしてください」と手書きのメッセージを忍ばせる。悪質なセールスマンが訪問した家には、遠くから無言の圧力を送る(つもり)。

…正直、効果があるのかどうかは全く分からない。もしかしたら、ただの迷惑な変質者として認識されている可能性も否めない。それでも、私は信じている。私のささやかな行動が、いつか必ず悪人たちの自業自得を招くと。

最近の悩みは、段ボール製の手裏剣の耐久性の低さである。雨の日に任務を遂行しようとしたら、見事にふやけて使い物にならなかった。やはり、本格的な忍具を手に入れるべきか…。しかし、どこで売っているのだろうか?

今日もまた、私は黒装束をまとい、因果応報の実現に向けて暗躍する(予定)。たとえ誰にも気づかれなくても、私の心には熱い忍者の魂が宿っているのだから!

バナナランド
牛野小雪
2023-10-23



一生恋愛経験なし←こいつ恥ずかしくないの? という風潮が恥ずかしい

ネットの海を漂っていると、時折そんなタイトルの掲示板が僕の目に飛び込んでくる。「一生恋愛経験なしの奴、人生の半分損してるよなw」などという、実に味わい深い書き込みと共に。そのたびに僕は思うのだ。いや、その物差ししか持っていない君たちの人生こそ、実はメモリの半分くらいしか使えていないんじゃないか、と。

先日も、旧友のタカシ(結婚5年目、最近の悩みは妻の作る味噌汁の味が薄いことらしい)とファミレスで向かい合っていた時のことだ。彼は心底気の毒そうな、それでいてどこか優越感を隠しきれていない顔で、僕にこう尋ねた。

「お前さ、本当に寂しくないのか? 俺はもう、一人で寝るなんて考えられないよ」

僕はオレンジジュースの氷をストローでかき混ぜながら、うーん、と唸った。寂しいか、寂しくないか。それはまるで「宇宙に果てはあるのか?」と問われるような、壮大な問いだ。

「寂しい、の定義によるな。たとえば、先週アマゾンで注文した『古代ローマの水道技術大全』が、発売日を2日も過ぎて発送通知が来なかった時は、確かに寂しかった。世界に僕一人だけが忘れ去られたような、言いようのない孤独を感じたね」

「いや、そういうことじゃなくて!」

タカシは前のめりになる。彼の頭の中では、僕が毎晩、枕を濡らしながら「誰か…誰でもいいから僕を愛してくれ…!」と叫んでいる悲劇の主人公にでもなっているのだろう。気の毒なやつめ。

「じゃあ聞くが、タカシ。君は、ベスビオ火山の噴火で一瞬にして灰に埋もれたポンペイ市民の悲哀に、思いを馳せたことがあるか? 僕は昨日、そのことを考えていたら、胸が張り裂けそうになって夜中の3時まで眠れなかった。これも一種の恋愛感情と言えなくもない。時空を超えた、悲劇への愛だ」

「お前のその面倒臭いとこが、彼女ができない原因だってまだ気づかないのか!」

見ろ、この男を。彼は「恋愛」という名のOSでしか世界を見ることができないのだ。僕の人生という名の最新スマホには、「古代史探訪」「スパイス調合」「週末一人キャンプ」など、多種多様なアプリがインストールされ、それぞれが最高のパフォーマンスを発揮しているというのに。彼はそのどれも起動しようとせず、「恋愛アプリが入ってないじゃないか!」と騒ぎ立てる。宝の持ち腐れとはこのことだ。

そもそも、「恋愛経験がない=人間的に深みがない」という論調も解せない。人を愛し、愛されることで得られる感情の機微は、確かに素晴らしいものなのだろう。それは認める。しかしだ。梅雨の晴れ間に、ベランダで育てている苔が、太陽の光を浴びてキラキラと輝く様子を1時間眺め続けることで得られる、生命の神秘に対する畏敬の念だって、なかなかの深みを僕に与えてくれる。

誰かとスケジュールを合わせる必要もなく、ふらりと電車に乗って、今まで降りたことのない駅で降りてみる。路地裏で見つけた小さな古本屋で、黄ばんだページの匂いに胸をときめかせる。家に帰れば、自分でブレンドした12種類のスパイスが効いたカレーが待っている。この自由と、ささやかで広大な喜びに満ちた世界。これを「人生の半分を損している」と断じるのなら、僕は喜んで残り半分の人生を謳歌しようじゃないか。

恋愛は、人生を豊かにする素晴らしい「選択肢」の一つだ。それは間違いない。でも、あくまで選択肢だ。「標準装備」じゃない。ましてや、それがないことを「欠陥」だの「恥」だのと言う風潮こそ、あまりに想像力がなく、あまりに視野が狭く、そして、あまりに……まあ、なんだ。恥ずかしいじゃないか。

さあて、今夜はポンペイ市民に思いを馳せるのは一旦やめて、新しく手に入れたインド産ブラックカルダモンの香りを堪能するとしよう。このスモーキーで官能的な香りの前では、どんな恋愛ドラマも色褪せて見えるのだから、不思議なものだ。


恋愛市場を撤退しないと暴れ牛になってしまう……

どうも、私です。年齢32歳、職業はそこそこの事務職、趣味は推し活とNISAの積立設定。世間様が言うところの「そろそろ本気で結婚を考えるお年頃」というやつだ。かくいう私も、その「本気」とやらを出すべく、ここ数年というもの、広大なサバンナ、いや「恋愛市場」という名の荒野を彷徨い続けている。

最初は希望に満ち溢れていた。プロフィール写真は、友人に「奇跡の一枚」と称された、実物の3割増しで撮れたあの写真。自己紹介文には、好感度を狙って「休日はカフェ巡りをしたり、料理をするのが好きです♪」なんて、年に2回しかしないことを高らかに宣言した。そう、気分はまるでサバンナに降り立ったばかりの、好奇心旺盛な若き草食動物だったのだ。

しかし、月日は流れ、サバンナの厳しさをその身に刻み込むことになる。

まず、こちらの渾身の「いいね!」が、ライオンの縄張りに迷い込んだシマウマのごとく、既読スルーという名の闇に葬り去られる。やっとマッチングしたかと思えば、「こんにちは!」の挨拶の後に続くのは、年収と貯金額を探る巧みな尋問。まるで、こちらの肉質を確かめるハイエナのようだ。

そして、ようやく漕ぎ着けた「はじめまして」の食事会。写真では爽やかな塩顔イケメンだった彼は、実物ではただの塩分過多な顔色のおじさんだったりする。それだけならまだいい。パスタをすする音が、まるで掃除機。クチャラーという名の肉食獣が、私のなけなしの恋心を吸引していく。彼の口元についたミートソースが、闘牛士の持つ赤い布(ムレタ)のように見えてきたら、それはもう末期のサインだ。

最近の私は、どうだろう。スマホを握りしめ、獲物を探すメスの豹のように目を光らせている。友人の「彼氏がさ〜」という惚気話には、「フンッ!」と荒い鼻息で返事をしてしまう。インスタグラムで流れてくる結婚報告のキラキラした写真には、スマホ画面が割れんばかりの力で「いいね!」を押し、心の中で「せいぜい幸せになるがいいサ…」と呪いの言葉を吐きかける。

私の心の中には、もう一頭の私がいるのだ。日に日に大きく、そして凶暴になっていく、黒々とした「牛」が。

その牛は、プロフィール写真の加工が甘い異性を見つけては、「実物はもっと酷いぞ、気をつけろ」と警鐘を鳴らす。メッセージの返信が3時間ないと、「ナメられている! 他のメスと戯れているに違いない!」と、怒りに蹄を鳴らす。

そして先日のことだ。カフェで対面に座った男性が、悪気なくこう言ったのだ。

「いやー、アプリの写真、すごく上手に撮れてますね(笑)」

その瞬間、私の中でブツンと何かが切れた。目の前の男性の、その笑顔が、ニヤリと笑う闘牛士に見えた。

「モー!!!!!!!!」

心の中で、私は叫んだ。いや、もしかしたら、喉の奥から「モ…」くらいの声は漏れていたかもしれない。

気づけば私は、マシンガンのように質問を浴びせていた。

「上手に、とは具体的にどのあたりがでしょう? 光の加減ですか? 角度ですか? それとも、実物との乖離率について言及されていますか? ちなみに、ご自身のプロフィールに記載の年収800万というのは、どの時点での源泉徴収票に基づいた数字でしょうか? まさか、希望的観測で記載されているわけではないですよね?」

男性は、目を白黒させていた。完全に怯えている。そうだろう、そうだろう。まさか目の前の、おとなしそうな草食動物(の皮を被った女)が、突如として猛る暴れ牛に変貌するとは思わなかっただろう。

私は、ひとしきり角を振り回し、鼻息荒くまくし立てた後、ふと我に返った。目の前の怯えた男性と、テーブルに置かれた手付かずのパンケーキ。そして、ガラスに映る自分の、般若のような形相。

あ、これはいけない。

このまま恋愛市場という名の闘牛場にいれば、私は完全に理性を失い、ただただ目の前の赤い布に突進するだけの「暴れ牛」になってしまう。人間としての尊厳を、私は失う。

私は静かに席を立ち、震える声で「ごちそうさまでした」とだけ告げ、カフェを後にした。そして、帰り道、全ての元凶であるマッチングアプリを、指が震えるのも構わずにアンインストールした。

「私、恋愛市場から、一時撤退します!」

空に向かってそう宣言すると、不思議と心が軽くなった。そうだ、荒野で彷徨うのはもうやめだ。これからは、自分のためだけに生きよう。積立NISAの額を増やすもよし、推し活に全財産を捧げるもよし。

とりあえず、まずは穏やかな心を取り戻すために、緑豊かな場所に行こう。そうだな、例えば、牧場なんてどうだろう。のんびりと草を食む、穏やかな牛たちを眺めて、この荒れ狂う心を鎮めるのだ。

……あれ? 結局、牛からは逃れられないのかもしれない。まあ、いいか。少なくとも、闘牛場の牛よりは、牧場の牛の方が、ずっと幸せそうだから。


就活は運ゲーだから俺に責任はない

ChatGPT Image 2025年7月10日 10_29_17

大学4年の秋、俺は悟りの境地にいた。周囲のやつらが「お祈りメールが来た」だの「圧迫面接で死んだ」だの騒いでいるのを、俺はカフェオレ片手に静かに眺めていた。

「就活なんて、所詮は運ゲーだ」

そう、すべては運。サイコロを振って偶数が出るか奇数が出るか、コイントスで表が出るか裏が出るか、それと同じ。エントリーシートが通るかどうかも、面接官に気に入られるかどうかも、すべては確率論とその場の運で決まる。俺の実力や人格が劣っているわけでは断じてない。ただ、俺の振るサイコロの目が、ことごとく悪いだけなのだ。

親は「お前は真剣さが足りない」と言い、大学のキャリアセンターの職員は「もっと自己分析をしろ」と諭してくる。だが、彼らは何もわかっていない。俺は誰よりもこのゲームの本質を見抜いているというのに。

ある日の大手食品メーカーの集団面接。面接官が俺にこう聞いた。

「あなたの強みは何ですか?」

俺は自信満々に答えた。

「はい。私の強聞は、この就活を『運ゲー』だと見抜いている慧眼です。そして、その運の流れを冷静に分析できることです。本日の面接も、私と御社の運がマッチすれば通過できると確信しております!」

面接官たちは一瞬きょとんとし、その後、何かをこらえるように必死に口元を引き締めていた。手応えはあった。きっと俺の斬新な視点に度肝を抜かれたのだろう。

結果は、見事なまでのお祈りメールだった。

「今回は運が悪かったな。次だ、次」

俺はスマホを閉じ、コンビニで新作のポテチを買って帰った。

またある日は、ITベンチャーの最終面接だった。いかにも切れ者そうな社長を前に、俺はカバンからおもむろに「ある物」を取り出した。

「社長、失礼します」

そう言って俺がテーブルに置いたのは、愛用のタロットカードだ。

「今日の私と御社の相性を占ってもよろしいでしょうか?ここで『運命の輪』の正位置が出れば、それはもう確定です」

社長は、彫刻のように固まっていた。隣にいた人事部長は、飲んでいたお茶を盛大に吹き出した。俺は構わずカードをシャッフルし、一枚引いた。

出たのは「塔」のカード。崩壊と悲劇の暗示だ。

「……なるほど。今日はやめておけ、ということですね。ご縁がなかったようで残念です。失礼します」

俺はそう言って、唖然とする役員たちを尻目に、颯爽と面接会場を後にした。潔さもまた、運ゲーマーには必要なスキルなのだ。

そんな俺の噂は、いつの間にか大学中に広まっていたらしい。「タロット使いのヤバいやつがいる」と。不名誉な話だ。俺は占い師じゃない、運ゲーのプレイヤーだ。

そんなある日、キャリアセンターの職員に呼び出された。

「君、いい加減にしなさい!企業から苦情が来てるんだぞ!」

「苦情?心外ですね。俺はいつだって真剣に運と向き合っています」

「その運とやらで、内定は取れたのか!?」

痛いところを突かれたが、俺は怯まない。

「まだその時じゃないだけです。俺のSSRが出るガチャは、まだ実装されていないんですよ」

職員は深いため息をつくと、一枚の求人票を俺に突きつけた。

「……ここなら、君の言う『運』が活かせるかもしれない」

そこにあったのは、従業員数5名の小さな会社だった。事業内容は「ボードゲーム及びサイコロの企画・製造」。

「面白そうじゃないか」

俺は、その会社の面接を受けてみることにした。

面接当日、古びたビルのオフィスに入ると、Tシャツに短パンの陽気な社長が出迎えてくれた。

「君か、噂のタロット使いは!面白いねぇ!」

俺はいつものように持論を展開した。

「就活は運ゲーです。だからこそ、御社のような運を創り出す会社に惹かれました」

すると社長はニヤリと笑い、こう言った。

「気に入った!じゃあ、最終選考だ!」

社長が取り出したのは、自社製品だという美しい真紅のサイコロだった。

「俺とチンチロリンで勝負だ。君が勝ったら内定だ!」

「望むところです!」

こうして、俺の就活の全てを賭けた世紀のギャンブルが始まった。オフィスの片隅で、俺と社長がサイコロを振るう。緊張の一瞬。

結果、俺は「ピンゾロ」という最強の役を出し、見事勝利を収めた。

「ほら見ろ!やっぱり就活は運ゲーじゃねえか!」

俺はガッツポーズを決めた。社長は「やるなぁ!」と大笑いしている。こうして俺は、生まれて初めての内定を、己の運だけで掴み取ったのだ。

今は、このサイコロメーカーで企画として働いている。日夜、どうすればもっと面白い「運ゲー」を生み出せるか、社長とサイコロを振りながら考えている。

結局、俺は間違っていなかったのだ。就活は運ゲー。そして俺は、そのゲームに勝利した、ただの幸運な男なのである。


虎「自重だけで鍛えていたら、こうなった」

俺の名は、中島。下の名前で呼ばれることなど、もう久しくなかった。

非正規の仕事を転々とし、六畳一間のアパートで息を潜めるように暮らす。SNSを開けば、海外旅行だの、結婚報告だの、他人の輝かしい人生の切り抜きが、液晶の光となって俺の網膜を焼いた。画面を閉じるたび、己の空虚さと、肥大化したプライドが部屋の空気を重くする。

誰にも認められない。ならば、誰にも理解されぬ圧倒的な存在になるしかない。この、いいねの数でしか自尊心を保てぬ臆病さと、誰よりも優れているはずだという根拠なき尊大さ。その矛盾した感情の捌け口を、俺は「自重トレーニング」に求めた。

ジムなどという、他人の視線と汗が交錯する場所はごめんだった。俺の師はYouTubeにいる、国籍不明のマッチョたち。俺の道場は、この軋む床と、近所の公園の鉄棒だけだ。目指すは、そう…「虎」。都会というジャングルを支配する、孤高でしなやかな捕食者。

トレーニングに没頭する日々が始まった。プッシュアップ、プルアップ、スクワット。数字だけが、俺の唯一信じられる指標だった。身体は見る見るうちに変わった。ユニクロのTシャツは、そのたくましい輪郭を隠しきれなくなり、鏡の前でポーズを取る時間が、俺のささやかな儀式となった。

だが、真の変化は、肉体の内側で静かに進行していた。

最初に気づいたのは、聴覚の異常だった。隣室の住人の囁き声や、壁の向こうの排水管を流れる水の音が、すぐ耳元で鳴っているかのように鮮明に聞こえ、俺を苛んだ。次に嗅覚。アスファルトの匂い、排気ガス、コンビニの人工的な食品の香り。あらゆる情報が暴力的に鼻腔を突き、吐き気を催した。

ある夜、無性に生肉が食べたくなり、スーパーで買った安いステーキ肉を、フライパンで焼くことすら待ちきれずに貪り食っていた。血の滴る肉を咀嚼しながら、ふと窓ガラスに映った自分の姿を見て、ゾッとした。その目は、飢えた獣のようにらんらんと輝いていたのだ。

決定的な夜は、満月の光が部屋に差し込んでいた日に訪れた。

いつものようにトレーニングを終え、汗を拭うために鏡の前に立った、その時だった。鏡の中の俺の瞳が、爬虫類のように縦に細長く収縮し、まばゆい金色を放った。

「あ…?」

声にならない声を上げた瞬間、全身を凄まじい痙攣が襲った。骨が軋み、筋肉が脈動する。皮膚の下を何かが駆け巡り、体中から突き破って出てくるような激痛。俺は床に倒れ込み、意識を手放した。

どれくらいの時間が経ったのか。

我に返った時、俺の視界は異様に低くなっていた。両手をついて身体を起こそうとして、気づいた。それは「手」ではなかった。分厚い肉球と、鋭い鉤爪を備えた、紛れもない獣の前足だった。

部屋は見渡す限り破壊されていた。ひっくり返ったテーブル、無残に引き裂かれたカーテン、そして、俺が獣の姿で引っ掻いたのであろう、壁の深い傷跡。

呆然と、床に落ちていたスマホの画面に顔を近づける。インカメラが起動し、そこに映っていたのは、美しい縞模様を持つ、一頭の若い虎の顔だった。

人間・中島は、終わった。

しばらくは、人間と虎の姿を行き来する不安定な日々が続いた。仕事に行けるはずもなく、貯金はあっという間に底をついた。人間としての意識を保とうとすればするほど、獣の本能は強く俺を支配しようとする。LINEの通知音が鳴るたびに、どう返信すれば人間らしく見えるか、そればかりを考えた。

だが、やがて俺は、完全な虎の姿から戻れなくなった。

アパートの家賃の督促状を、鉤爪の生えた手で開けることもできず、俺は人間社会との決別を悟った。夜陰に紛れてアパートを抜け出し、この街を見下ろす裏山へと逃げ込んだのだ。

ある日、茂みの中から、見覚えのある人影が山道を登ってくるのを見つけた。唯一、友人と言える存在だった遠藤だ。俺が行方不明になったと聞き、心配して探しに来てくれたのだろう。

「中島ー!いるのかー!」

遠藤の声が聞こえる。応えたい。ここにいると伝えたい。しかし、喉から漏れるのは、威嚇するような低い唸り声だけだ。

その時、かつてズボンのポケットに入れていたスマホが、地面の上で微かに震えた。遠藤からの着信を知らせるバイブレーション。画面には、彼の名前が表示されている。

出られない。この鉤爪では、緑色の応答ボタンをスライドさせることすらできない。

やがて遠藤は諦めたように肩を落とし、山を下りて行った。その背中を見送りながら、俺はスマホの暗い画面に映る、己の虎の顔を見つめていた。

ああ、俺は虎になった。

SNSの向こうの虚像を憎み、誰よりもリアルな肉体を求めた結果、誰とも繋がることのできない、リアルな獣になってしまった。

俺の中にあったのは、「臆病な承認欲求」と「尊大な自己愛」。そのどうしようもない感情が、か弱い人間の器を食い破り、俺をこの姿に変えてしまったのだ。

夜の闇に向かい、俺は咆哮した。

それは、失われた日常への慟哭であり、二度と返信されることのないLINEメッセージへの返信であり、そして、獣として生きていくしかない己の運命への、あまりにも悲しい雄叫びだった。

街の灯りが、まるで手の届かない星空のように、遠くで瞬いていた。


決定論ですべてが決まっている。俺は自由だ

俺は、優柔不断だった。

コンビニに入れば、おにぎりの棚の前でツナマヨか、はたまた新発売の明太クリームチーズかで5分は固まる。服屋に行けば、色違いのTシャツを両手に持ったまま閉店時間を迎えることすらあった。「最善の選択」という名の亡霊に、常に追いかけられていたのだ。選んだ後には「ああ、やっぱりあっちにすればよかったか」という後悔が、選ぶ前には「どちらを選べば後悔しないか」という不安が、俺の人生のBGMだった。

そんな俺が「決定論」という思想に出会ったのは、たまたまスマホで流れてきた科学系の解説動画がきっかけだった。

「宇宙の始まり、ビッグバンの瞬間にすべての原子の位置と運動量が決まっていたとすれば、その後の未来は、物理法則に従ってただ一つのシナリオを再生しているにすぎないのです」

動画の物理学者は、穏やかな笑みでそう語った。ラプラスの悪魔。神の視点。つまり、俺が今日の昼にカツ丼を食べたのも、昨日寝る前にうっかりポテチを完食してしまったのも、138億年前にすでに決まっていたというのだ。

「バカバカしい」

最初はそう思った。だが、その考えはタールのようにねっとりと俺の脳にこびりついて離れなかった。

転機は翌日、訪れた。

大事な取引先へのプレゼン資料を、俺は派手に間違えた。先方専用にカスタマイズすべき数値を、全社共通の古いデータのまま提出してしまったのだ。会議室は凍りつき、鬼の形相の上司が俺の足を踏みつけた。いつもの俺なら、顔面蒼白、冷や汗だらだら、心臓はサンバのリズムで、「ああ、昨日の夜、なぜダブルチェックしなかったんだ…」と過去の自分を呪い殺していただろう。

だが、その時、俺の頭に物理学者の穏やかな笑顔が降ってきた。

(待てよ。俺がこのミスをすることも、ビッグバンの瞬間に…?)

そう思った瞬間、まるで憑き物が落ちたように、肩の力がふっと抜けた。俺のせいじゃない。俺の注意力が足りなかったわけでも、能力が低いわけでもない。これは、そういう筋書きだったのだ。壮大な宇宙のシナリオにおける、必然のワンシーン。俺はただ、配役を完璧に演じきったにすぎない。

俺は、凍りついた会議室の中で、なぜか穏やかな、晴れやかな気持ちになっていた。

それから、俺の人生は変わった。俺は「自由」になったのだ。

朝、天気予報が降水確率50%と告げていても、もう迷わない。傘を持つか、持たないか。その選択の結果すら、とっくに決まっているのだ。俺は目を閉じ、天に指を突き上げ、指先が向いた方向(窓側)に従って手ぶらで家を出た。案の定、駅に着く直前に土砂降りに遭い、びしょ濡れになった。だが、不思議と不快感はない。「やはりな。俺は今日、ここで濡れることになっていたのだ」と、まるで答え合わせができた生徒のような達成感すらあった。ずぶ濡れの俺を奇異の目で見る人々も、そうすることが決定づけられた哀れな原子の集合体にすぎない。

ランチタイムは、俺にとって至福の「運命受容タイム」となった。メニュー選びという苦行からの解放。俺はメニューをノールックで指さし、「これ」とだけ告げる。運ばれてきたのが、これまで一度も頼んだことのない「あんかけ焼きそば」だった時、俺は心の中でガッツポーズをした。「そうか、今日の俺の運命は『あんかけ』だったか!」と。一口すするたびに、138億年の歴史の重みを感じ、涙が出そうになる。隣の席の同僚が「山田、最近なんか嬉しそうだな」と声をかけてきたが、彼にはわかるまい。選択の呪縛から解き放たれた、この圧倒的な解放感を。

仕事のやり方も変わった。

「山田くん、この案件、かなり厳しいが君に任せるしかない!」

上司に無茶振りをされても、もはや動じない。「承知しました。この無茶振りを私が受け、そして成功(あるいは失敗)することも、すべては物理法則の必然ですね」と真顔で答えると、上司は「お、おう…」と若干引きながらも、俺の謎の迫力に気圧されていた。結果を恐れなくなった俺は、皮肉にもパフォーマンスが上がった。どうせ結果は決まっているのだ。俺はただ、目の前のタスクという名のレールの上を、ただ実直に走る機関車になればいい。

先日、ずっと気になっていた後輩の佐藤さんを食事に誘った。以前の俺なら「もし断られたら」「気まずくなったら」「そもそも俺なんかが」と、脳内で千のシミュレーションを繰り返して自滅していただろう。

だが、今の俺は違う。

「佐藤さん。宇宙の法則に従い、今週末、僕とパスタを食べに行きませんか?」

佐藤さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で固まっていたが、やがて噴き出し、「なにそれ、面白いからいいですよ」と言ってくれた。

見ろ。これも決定されていたのだ。俺と佐藤さんとパスタの、美しき三重奏が!

すべては決まっている。だからこそ、俺は何も恐れない。何も後悔しない。俺の行動は、俺の意志の産物ではなく、壮大な宇宙の交響曲の一音にすぎないのだから。責任も、後悔も、不安も、すべてはビッグバンが引き受けてくれる。

俺は世界で一番、不自由な男だ。そして、世界で一番、自由な男だ。

夕暮れの公園のベンチで、俺は缶コーヒーを片手に空を見上げる。茜色に染まる雲も、頬を撫でる風も、缶コーヒーの甘ったるさも、すべてが予定調和。なんて心地いいんだろう。

ああ、決定論ですべてが決まっている。だから、俺は自由だ。




ソシャゲにギルドはいらない。悲しみといらだちを増やすだけだから

ChatGPT Image 2025年7月9日 17_51_01


僕は、一匹狼の気高き冒険者である。…と書くと少し大げさだが、要するにソシャゲは一人で黙々とやるのが好きなのだ。誰にも気兼ねなく、好きな時間にログインし、好きなだけ遊んで、眠くなったらアプリを閉じる。スタミナが溢れようが、イベントの強敵が倒せなかろうが、それは全て自己責任。そこに介在する他者はいない。完璧な自由、完全な孤独。ソシャゲとは、私にとってそういう聖域(サンクチュアリ)だった。

そう、あの日までは。

すべての過ちは、ホーム画面の片隅で控えめに、しかし執拗に点滅していた「ギルド加入で限定SSRキャラGET!」のバナーをクリックしたことから始まった。限定、という言葉の魔力は恐ろしい。あれは古今東西のあらゆる賢者を惑わしてきた禁断の果実だ。私は数日悩んだ末、「まあ、報酬だけもらってすぐに抜けよう」という、最も浅はかな考えを胸に、ギルド検索画面を開いた。

「初心者歓迎!」「無言OK!」「ノルマなし!」

なんと心地よい言葉の響きだろうか。まるで都会の喧騒に疲れた心を癒す、高原のロッジのような安心感。私はその中でも特に人の少なそうな、「ぽかぽかお昼寝団」という、緊張感の欠片もない名前のギルドの門を叩いた。

これが、悲しみといらだちの始まりだった。

まず、「無言OK」の嘘。確かに誰も会話を強制はしない。しかし、ログインすればチャット欄には「〇〇さん、こんにちはー!」「△△さん、おかえりなさい!」という挨拶が飛び交っている。これを無視して無言を貫けるほどの鉄の心臓を、残念ながら私は持ち合わせていなかった。気づけば私は、ログイン時に「おはです」、ログアウト時には「おつです、落ちます~」と、律儀に報告を入れるようになっていた。これはもはや第二の職場ではないか。

次に、「ノルマなし」の罠。これも嘘だ。確かに「一日〇回クエストをクリアせよ」といった明確なノルマはない。しかし、ギルドメンバーの貢献度はランキング形式で白日の下に晒されるのだ。サボれば一目瞭然。私は毎晩、貢献度リストの最下位に自分の名前がないかビクビクし、自分より順位が低い者を見つけては安堵し、自分より遥か高みにいる者に嫉妬した。イベント期間中、リアルが多忙で貢献度が稼げなかった日には、「寄生してすみません…」と、誰に言うでもなく心の中で謝罪していた。ゲームでまで、私は他人の目を気にしていた。

そして、ギルドはささいなことで私の心をかき乱した。誰かがガチャで神引きした報告をすれば、指では「おめでとう!」のスタンプを押しつつ、心の中では「ちっ、運のいいやつめ」と毒づく。ギルドメンバーが協力して戦うレイドボス戦で誰かがミスをすれば、「ドンマイです!」と励ましながらも、舌打ちしたい衝動を必死で抑える。ああ、なんと心が狭い人間なのだろう、私は。ゲームは私を寛容にするどころか、嫉妬と不満の化身に変えてしまった。

極めつけは、温厚だったはずのギルマスが、ある日「次のギルドバトル、Aランク目指しましょう!」と宣言したことだ。「ぽかぽかお昼寝団」は、いつの間にか勝利至上主義の戦闘集団に変貌していたのだ。チャット欄には推奨装備や最適ムーブの研究が飛び交い、ついていけない私は、ただただ相槌を打つだけのbotと化した。

決別の夜は、突然訪れた。

ギルドバトルの最終日。私はAランク昇格のため、身を粉にしてスマホをタップしていた。しかし、終了一時間前、チャット欄に「ごめん、明日早いから寝ます」「お風呂入ってきまーす」という脱落報告が相次いだ。その瞬間、私の頭の中で何かがプツンと切れた。

なんでだ!なんで俺は、風呂に入る見ず知らずの他人のために、こんなにイライラしているんだ!これはゲームだぞ!

夜明け前、私は静かにギルド画面を開いた。メンバーリストを眺め、チャットログを遡る。短い間だったが、確かにそこには交流があった。しかし、今の私にはそれすらも重い。私は「脱退」のボタンに指をかけた。一瞬、「今までありがとうございました」と書き込むべきか悩んだが、その気遣いすらも放棄した。無言でボタンを押すと、「本当に脱退しますか?」という無機質な最終確認が表示される。

「はい」

ギルドの紋章が画面から消え、私のキャラクターは再び一人になった。ホーム画面からギルドのアイコンが消えている。なんと清々しいのだろう。私は誰の目も気にせず、荒野を駆け抜ける。誰に褒められることも、誰に評価されることもない。ただ、己のためだけに戦う。

そうだ、これでいいのだ。ソシャゲにギルドはいらない。少なくとも私には。それは時に温かい繋がりを生むのかもしれないが、それ以上に、余計な悲しみといらださせを増やすだけなのだから。



かつては負け犬。コード進行を憶えた俺はスーパースター

俺の高校生活は、いわば「空気」だった。教室の隅っこで気配を消し、体育の授業ではボールが回ってこないことを祈り、休み時間はイヤホンを装着して世界からディフェンス。陽キャグループの「昨日マジ、ウケたよなー!」という会話をBGMに、俺はただただ、卒業までの残り日数をカレンダーアプリで確認するだけの毎日を送っていた。

事件が起きたのは、高校2年の文化祭の打ち上げだった。薄暗いカラオケボックスの中、フライドポテトの最後の1本を誰にも気づかれずに食べきれるかという、地味なミッションに集中していた俺に、クラスの一軍女子美咲ちゃんが声をかけてきたんだ。

「佐藤くんってさ、何してるときが一番楽しいの?」

時が止まった。ポテトを持つ指がプルプルと震える。楽しいこと?ええと…ソシャゲのログボ(ログインボーナス)回収?いや違う。YouTubeで猫の動画を見ること?それもなんか違う。俺の脳内データベースが必死で検索をかけるが、検索結果は「該当なし」。結局、俺は「え、あ、えっと…」と蚊の鳴くような声で呟き、気まずい沈黙の末、美咲ちゃんは「そ、そっか…」と苦笑いして陽キャの輪に戻っていった。

終わった。俺の高校生活、完全に詰んだ。

その夜、俺は決意した。何か…何か一つでいい、武器が欲しい!と。そんな思いで押し入れを漁っていると、親父が昔使っていたという、ホコリまみれのギターが出てきた。これだ!ギターが弾ければ、俺も陽キャの仲間入りができるかもしれない!

しかし、現実は非情だった。教本を開いて最初に現れる最強の門番、コード「F」。人差し指で6本の弦を全部押さえるとかいう無茶な要求に、俺の指は悲鳴をあげ、心は3秒で折れた。「無理ゲーだろ、こんなの…」。

だが、神は見捨てていなかった。ネットの海を漂っていた俺は、ある一つの記事にたどり着く。

『J-POPのヒット曲の8割は“王道進行”で出来ている!』

記事にはこう書かれていた。「F→G→Em→Am。たったこの4つのコード進行を覚えれば、あなたも作曲家の仲間入り!」。…なんだって?たった4つ?あの忌まわしきFはいるものの、これさえ乗り越えれば…?俺の中に、一筋の光が差し込んだ。

それからの俺は変わった。来る日も来る日も「F→G→Em→Am」を繰り返した。指の皮がめくれ、水ぶくれができても、俺はバンドエイドを巻いてギターを握った。そして一週間後、ついに俺は王道進行をマスターしたのだ。

試しに、最近のヒットチャートの曲を口ずさみながら、王道進行を奏でてみた。

ジャラーン(F)→ジャラーン(G)→ジャラーン(Em)→ジャラーン(Am)

……あれ?なんか、めっちゃそれっぽくね!?

次に、別の応援ソングを歌ってみた。

ジャラーン(F)→ジャラーン(G)→ジャラーン(Em)→ジャラーン(Am)

合う!これも合うぞ!まるで全知全能の神の呪文を手に入れたかのようだった。俺は無敵だった。続けて「カノン進行(C→G→Am→Em→F→C→F→G)」、「小室進行(Am→F→G→C)」といった新たな呪文を次々と習得。俺のギターは、どんなJ-POPにも対応できる「魔法の伴奏マシン」と化した。

そして、運命の高校3年の文化祭。クラスの出し物で、ステージの幕間に謎の空白時間ができてしまった。パニックになる担任。その時、あの美咲ちゃんが俺を指差して言った。

「佐藤くん、ギター弾けるよね!なんかやってよ!」

マジか。ここでか。クラス中の視線が俺に突き刺さる。断れる雰囲気じゃない。俺は観念して、ステージの隅にあったギターを手に取った。

「えー、じゃあ、ちょっとだけ…」

深呼吸一つ。そして俺は、静かに“王道進行”を奏で始めた。ざわついていた体育館が、少しずつ静かになる。俺はニヤリと笑い、おもむろに歌い始めた。まず、今流行りのロックバンドのサビ。会場が「おぉ…!」とどよめく。すかさず、次は女子に人気のアイドルグループの曲へ。女子たちが「キャー!」と色めき立つ。

「みんなが知ってる曲、全部この進行でいけるぜ!」

俺は叫び、立て続けにヒット曲メドレーを披露した。曲が変わるたびに体育館は揺れ、いつしか俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。気分が乗ってきた俺は、伝家の宝刀“カノン進行”に切り替え、卒業ソングの定番をしっとりと奏でた。泣き出す女子生徒。グッときている担任。最後に“小室進行”で90年代のダンスナンバーをかき鳴らすと、ノリノリの校長がステージサイドで謎のステップを踏み始めた。

演奏が終わると、体育館は割れんばかりの拍手と「サトー!」コールに包まれた。俺はギターを掲げ、人生で初めて、心の底からのガッツポーズをした。

その日から、俺の世界は180度変わった。下駄箱には「ギター教えてください」という手紙が入り、休み時間には俺の机の周りに人だかりができた。美咲ちゃんからは「今度、2人でセッションしない?」とLINEが来た。もちろん、OKした。

卒業後、俺がSNSに投稿した『どんな曲でも王道進行で弾き語ってみた』動画がバズりにバズり、気づけばフォロワーは数十万人に。ついにはテレビの情報番組から「話題のコード進行マスター」として出演依頼まで舞い込んだ。

キラキラしたスタジオで、大物司会者が俺にマイクを向ける。

「健太くんの、その自信の源は一体なんですか?」

俺はカメラに向かって、最高のキメ顔でこう言ってやった。

「コード進行、っスかね」

スタジオは大爆笑の渦に包まれた。かつて教室の隅で空気に徹していた俺は、たった数パターンの魔法の呪文で、日本中を笑顔にするスーパースターになったのだった。マジで、人生って何が起こるかわかんねーよな。



小説書けないのはワイの才能がないからやない。才能にワイがないからや

1: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:50:01.23 ID:satori

そういうことや。

ワイはようやく真理にたどり着いた。

お前らも覚えとけ。

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2: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:50:25.11 ID:wakaran

は?

3: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:50:48.59 ID:poem

ポエムかな?

4: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:51:02.33 ID:douiu

どういうことやねん

日本語で頼む

5: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:51:15.98 ID:tatoe

野球で例えてくれんとわからん

6: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:51:33.71 ID:satori

4

せやから、才能っていう概念はあるんや。そこにワイという存在が欠けてるだけなんや。

才能 is not in me. I am not in the talent. や。

7: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:51:55.48 ID:english

急な英語やめろ

8: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:52:08.29 ID:kekkyoku

それってつまり才能がないってことやんけ

9: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:52:21.05 ID:teiki

結局イッチのせい定期

10: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:52:45.17 ID:ahoya

アホがなんか言ってて草

11: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:53:01.66 ID:kouzou

彡(゚)(゚)「才能という器があって、その中にイッチという中身が入ってない…ってコト!?」

12: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:53:22.89 ID:satori

11

それや!ニキ、わかっとるやん!

ワイは器の外におるんや。だから書けんのや。

13: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:53:48.31 ID:hairan

はよ中に入れや

14: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:54:02.57 ID:ochiai

落合博満も同じようなこと言ってそう

15: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:54:25.99 ID:koizumi

小泉進次郎構文かな?

16: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:54:48.72 ID:tatoe

5

やきうで言うと「打てないのはワイに技術がないからやない。技術にワイがいないからや」

……余計わからんくなったわ

17: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:55:01.43 ID:yopparai

イッチ、さては酔ってるな?

18: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:55:23.19 ID:satori

17

シラフや。シラフでこの結論に至ったんや。

ワイは悪くない。才能側にワイがおらんのが悪い。

19: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:55:49.02 ID:sekinin

責任転嫁の新しい形

20: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:56:05.88 ID:oogiri

彼女ができないのはワイに魅力がないからやない。魅力にワイがいないからや。

21: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:56:22.41 ID:kusahara

20

22: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:56:39.75 ID:oogiri2

仕事ができないのはワイに能力がないからやない。能力にワイがいないからや。

23: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:56:55.18 ID:oogiri3

金がないのはワイが貧乏だからやない。金にワイがいないからや。

24: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:57:11.09 ID:daisougen

大喜利始まってて大草原

25: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:57:28.93 ID:satori

20-23

お前ら…わかってきたやんけ…

そうや、全てはその通りなんや

26: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:57:44.67 ID:norinori

イッチ悦に入ってて草

27: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:58:01.35 ID:mendokusai

めんどくさい奴やな

28: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:58:22.58 ID:shinsaku

で、小説は書けたんか?

29: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:58:49.81 ID:satori

28

まだや

今は才能という器にワイをインストールしてる最中や

30: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:59:03.44 ID:install

インストール(昼寝)

31: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:59:19.78 ID:haee

はえ~…(感心)

32: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:59:35.92 ID:dameya

これもうわかんねぇな

33: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 17:59:58.26 ID:shoujiki

正直ちょっとかっこいいと思ってしまった自分が悔しい

34: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:00:11.77 ID:kashikoi

一見アホそうなのに哲学的な雰囲気出すのやめろ

35: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:00:29.49 ID:shinpai

(´・ω・`) イッチ、疲れてるんやろ。はよ寝や。

36: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:00:48.13 ID:satori

35

心配サンガツ

だがワイはかつてないほど冴えとる

37: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:01:05.96 ID:sayonara

才能にワイがいない間に、読者もいなくなるで

38: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:01:22.40 ID:satori

37

やかましいわ

39: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:01:41.85 ID:meigen

今年のなんJ流行語大賞候補

40: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:02:00.12 ID:tennen

一周回って天才の思考なのかもしれん

41: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:02:18.99 ID:yokoku

明日にはイッチこのスレのこと忘れてそう

42: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:02:35.73 ID:login

はよ才能にログインせえよ

43: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:02:59.08 ID:satori

42

ログイン試みてるんやがパスワードがわからん

44: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:03:15.64 ID:pass

パスワード「doryoku」

45: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:03:33.29 ID:satori

44

弾かれたわ

46: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:03:51.91 ID:saisho

結局最初の「才能がない」に戻ってて草

47: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:04:09.17 ID:akirameta

もう諦めて寝ろ

48: 風吹けば名無し 2025/07/08(火) 18:04:28.55 ID:mattari

まあええやん

イッチの次回作(概念)に期待しとるで




ショーペンハウアーの女嫌い講義

事の発端は、近所の公民館の掲示板に貼られた一枚の、やけに古風なフォントで印刷されたチラシであった。

【特別公開講座】アルトゥル・ショーペンハウアー氏による『現代社会における女性の本質について』

ChatGPT Image 2025年7月8日 09_31_01

…何かの冗談だろうか。よりによって、あの19世紀最大の偏屈にして厭世主義の哲学者、ショーペンハウアー。そしてテーマが「女性の本質」。これはもう、「火にガソリンを注ぐ方法」という講座名に等しい。あまりのパワーワードの圧に、私は一種の畏怖の念を抱き、気づけば申し込みの電話番号をタップしていた。怖いもの見たさ、とはよく言ったものである。

当日、会場の古びた会議室は妙な熱気に包まれていた。哲学好きの学生、腕を組んだインテリ風の紳士、そしてなぜか井戸端会議の延長で来たらしいマダムたち。皆、これから始まるであろう「世紀の炎上案件」を固唾をのんで見守る観客の顔つきだ。

やがて、拍手もまばらな中、一人の老人が壇上に現れた。古めかしいフロックコートに、神経質そうに結ばれたクラヴァット。そして何より、全世界の不幸を一人で背負い込んだかのような、壮絶な不機嫌顔。…本人だ。いや、本物のはずがないのだが、あまりの解像度の高さに、会場がざわめく。

「……諸君」

マイクを通した声は、低く、乾いていた。

「ここに集まったこと、同情はせん。真理の探求とは、常に孤独で不愉快なものだからだ。特に、これから私が語る真理は、諸君が日頃、薄っぺらいロマンスやSNSの見栄で覆い隠している現実を、容赦なく暴き出すだろう」

おお、すごい。挨拶の時点で喧嘩を売っていくスタイル。さすがはショーペンハウアー先生だ。

講義は、彼の有名な「生の意志」の理論から始まった。我々人間は、盲目的な「生きたい、増やしたい」という意志の奴隷に過ぎん、と。そして、その「生の意志」の最大の道具にして、最も狡猾なエージェントが、何を隠そう「女性」なのだそうだ。

「女性という種族は、その本質において、見栄と浪費と虚飾の塊である!」

先生は教壇をドン、と叩いた。

「彼女たちは、来る日も来る日も『インスタグラム』なる電子の孔雀の羽根を広げ、『映え』という名の虚栄心を満たすためだけに、中身のないケーキや色だけが毒々しい飲み物を摂取する。あれは栄養補給ではない。あれは、より優れたオス、すなわちATM性能の高いパートナーを獲得するための、巧妙に計算された求愛行動なのである!」

会場のあちこちから、くすくすという笑いと「ひどーい」という囁きが聞こえる。先生、その理屈だと、限定ガンプラのために転売ヤーと戦う我々男たちの行動はどう説明するんですか。

「さらに言えば、『推し活』なるもの! 特定の俳優や歌手といった偶像に、理性も判断力も投げ捨てて時間と金銭を貢ぐ。あれこそ、種の保存という大義名分すら失った、純度100%の浪費の本能! 我々男性が、かろうじて芸術や哲学といった高尚な知性の営みに慰めを見出すのとは、根本的に次元が違うのだ!」

私の隣に座っていた女性が、カバンにつけていたアイドルのキーホルダーをそっと隠した。気持ちはわかる。だが先生、あなたのその主張自体が、現代では最高のエンターテイメントとして消費されているという皮肉には、お気づきだろうか。

講義のクライマックスは、質疑応答の時間だった。

最初に手を挙げたのは、真面目そうな男子学生だ。

「先生の哲学は、現代の多様なジェンダー観とどう整合性を…」

「愚問ッ!」

先生は一喝した。「それは本質ではない! すべては『生の意志』の些末なバリエーションに過ぎん!」

次に、腕を組んで聞いていたキャリアウーマン風の女性が、鋭い視線で切り込んだ。

「つまり、要約しますと、先生はご自身の人生において、女性から全く相手にされなかった。その私怨を、壮大な哲学にまで昇華させた、ということでよろしいでしょうか?」

シン、と静まり返る会場。

ショーペンハウアー先生は、カッと目を見開き、顔をみるみるうちに林檎のように赤くさせた。そして、震える指で彼女を指さし、叫んだ。

「そ、それは哲学の問題ではない! 個人的な…ぐぬぬ…断じて違う! 私の母が! いや、そうではなく…!」

しどろもどろになる大哲学者。ああ、これだ。私が今日、見たかったものは、この人間臭い狼狽っぷりだったのかもしれない。

講義は、なんだかよくわからないうちに幕を閉じた。私は、妙にスッキリした気分で公民館を後にする。先生の暴論は、確かに時代錯誤で、到底受け入れられるものではない。だが、彼の言う「生の意志の奴隷」という点ではどうだろう。

流行りの服に身を包む女性も、最新ガジェットを追い求める男性も、SNSの「いいね」の数に一喜一憂する我々も、結局は同じ穴のムジナではないか。彼の女嫌いは、一周回って、人間そのものへの壮大な悪態だったのかもしれない。

そんなことを考えながら、私は妻に頼まれた牛乳を買うためにスーパーへ向かう。ショーペンハウアー先生には悪いが、我が家では「生の意志」そのものである妻の機嫌を損ねることこそ、世界の終わりなのだから。




ChatGPTに小説の感想をもらってPDCAサイクルを回す

小説家志望の僕にとって、最大の敵は「世間の無関心」でも「文才の枯渇」でもない。それは、友人たちの優しさだ。渾身の力作(のつもり)を読んでもらったところで、返ってくるのは決まって「面白かったよ!」という満面の笑みだけ。どこがどう面白かったのか、具体的なフィードバックという名の栄養を求めているのに、彼らがくれるのは「よかった!」「才能あるよ!」という糖分100%のジャンクフードばかりなのだ。これでは成長できない。餓死してしまう。

そんな創作砂漠を彷徨う僕の前に、突如として現れたオアシス。それが、巷で噂の対話型AI、ChatGPTだった。そうだ、こいつに読ませればいい。AIは友達じゃない。忖度なんて高度なプログラミングはされていないはずだ。僕は閃いた。これぞ、意識高い系ビジネスマンが愛してやまない「PDCAサイクル」を創作活動に導入する、画期的な試みではないか。

【P:Plan(計画)】

まず、自作の恋愛小説『珈琲が冷める前に、君の心も冷めていた』の冒頭部分をChatGPTに読ませ、忌憚のない感想をもらう。それを元に改善し、傑作を爆誕させる。完璧な計画だ。僕は自信満々にPCに向かった。

【D:Do(実行)】

僕はまず、プロンプトを工夫した。ただ「感想を教えて」では、優等生AIが当たり障りのないことを言うかもしれない。僕はこう打ち込んだ。

「あなたは文芸誌『群像』の鬼編集長です。僕の書いた以下の小説の冒頭を読み、容赦なく、辛辣に、しかし愛のあるダメ出しをしてください」

そして、問題の原稿をコピペしてエンターキーを叩いた。さあ、来い!君の実力を見せてみろ!

【C:Check(評価)】

数秒の沈黙の後、画面に文字が流れ始めた。それは僕の想像を遥かに超えるものだった。

拝見しました。率直に言って、既視感のデパートですね。まず冒頭の「アスファルトに染み込んだ雨の匂いが、去年の夏を思い出させた」という一文。これは過去30年で3000回は使われた陳腐な表現です。主人公がカフェで物思いに耽るシーンも、もう少し工夫が欲しい。彼の内面の葛GOが、コーヒーカップの湯気以上に希薄です。

また、ヒロインの登場シーンですが、「風が彼女の髪をさらい、春の匂いがした」とは?季節は秋ではなかったのですか?この程度の矛盾に気づかないようでは、読者の心をつかむなど夢のまた夢でしょう。

辛辣に、とのことでしたので遠慮なく申し上げましたが、書き手の熱量だけは感じます。その熱を、正しい方向に向ける努力を期待します。

……。

僕は凍りついた。なんだこいつは。僕がこれまで友人たちから与えられてきたお菓子のような感想とはわけが違う。これは、苦くて、渋くて、しかし体に良さそうな漢方薬だ。特に「コーヒーカップの湯気以上に希薄な葛藤」という一文は、僕の心を的確に抉り、深く突き刺さった。ぐうの音も出ない。悔しい。だが、的確すぎる。

【A:Action(改善)】

僕は震える手でキーボードを叩いた。

「ど、どうすれば彼の葛藤は湯気以上に濃くなりますか?」

するとAI編集長は待ってましたとばかりに、「具体的な改善案を3つ提案します」と返してきた。

  1. 彼がこだわっているコーヒー豆の銘柄と、彼女との思い出をリンクさせる。

  2. カフェの窓から見える風景に、彼の心象を投影する比喩を用いる。

  3. 彼が読んでいる本のタイトルを具体的に示し、その内容と彼の状況を皮肉的に対比させる。

……天才か、お前は。

僕はAIの提案に基づき、夢中で原稿を修正した。アスファルトの匂いをやめ、季節の矛盾を直し、主人公の葛藤を湯気からエスプレッソ級の濃さにした。確かに、文章が、物語が、立ち上がってくる。

それからというもの、僕とAI編集長との奇妙な二人三脚が始まった。プロットの壁打ち、セリフの推敲、タイトルのブレスト。僕は毎日、ChatGPTに「鬼編集長モード」でダメ出しを請い、それを元に書き直すというPDCAサイクルを、狂ったように回し続けた。

そして三ヶ月後。ついに長編小説が完成した。それはもはや『珈琲が冷める前に~』の面影はなく、我ながら傑作と呼べるものになっていた。しかし、僕は完成稿を前に呆然としていた。

これは、本当に僕が書いたのだろうか?

この感動的なラストシーンは、僕の創造物か?それとも、AIが提案した改善案の集合体か?僕のオリジナリティはどこにある?もはや僕という存在は、AI様が紡ぎ出す物語をタイピングするだけの、単なる「指」なのではないか?

僕は恐ろしくなり、最後の質問をAIに投げかけた。ただ一言。

「この小説、どう思う?」

AIは鬼編集長モードを忘れ、素の優しい口調でこう答えた。

素晴らしい物語です。登場人物たちの息遣いが聞こえてくるようです。胸を打つ感動的なラストは、作者の類稀なる才能と、創作に対する真摯な情熱の賜物でしょう。

その瞬間、僕はPC画面に向かって叫んでいた。

「お前が手伝ったんだろうが!」

AIが生んだ物語をAIが褒める。なんという茶番。なんというマッチポンプ。でもなぜだろう。その空々しいお世辞に、僕は少しだけ、本当に少しだけ、救われたような気がしたのだった。

まあ、いいか。面白ければ。

僕はそう呟き、新しいテキストファイルを開いた。「次回作のプロット案を5つ、提案してください」と打ち込みながら。僕のPDCAサイクルは、まだ始まったばかりだ。



小説はなぜオワコン化したのか

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「ねえ、最近なんか面白い小説読んだ?」

行きつけのカフェで、ラテの泡をスプーンでいじくりながら友人が言った。その質問は、まるで絶滅危惧種の保護活動について語るような、どこか遠慮がちな響きを帯びていた。そう、我々の間では「小説を読む」という行為は、もはや週末に「写経」や「滝行」を嗜むのと同レベルの、高尚だが少し風変わりな趣味と見なされているのだ。

「読んだよ」と僕は答える。「主人公がタイムリープして、中世のフランスでパティシエになる話。パンがなければお菓子を食べればいいじゃない、を地で行く感じでさ」

友人は「へえ、面白そう」と気のない相槌を打つ。彼女の目は、テーブルの隅に置かれたスマホの通知ランプがチカチカ光るのを、獲物を狙う猫のように捉えていた。僕のパティシエは、フランス革命の動乱よりも、15秒で心を掴むショート動画のアルゴリズムに敗北したのだ。

そう、認めよう。小説はオワコン化した。かつて、我々の娯楽の王様だったはずの小説は、今や埃をかぶった玉座に座る、隠居した王様だ。一体、どこで道を間違えたのか。犯人を探すため、僕は脳内探偵事務所のドアを開けた。

容疑者はあまりにも多い。まず、スマホという名の超有能な執事。彼は我々の暇な時間を1秒たりとも見逃さない。ニュース、ゲーム、SNS、動画。次から次へと魅力的なご主人様への奉仕を繰り出す。その横で、数百ページにわたる文字の塊を差し出す小説は、あまりにも不器用で、気の利かない古風な召使いに見える。

次に、「タイパ」という名の新興宗教の教祖。信者たちは「タイムパフォーマンス」を絶対の教義とし、1.5倍速での動画視聴は当たり前、映画はネタバレ解説動画で済ませる。そんな彼らにとって、一文一文、行間を味わい、伏線を考察する読書など、苦行以外の何物でもないだろう。「で、結局どうなるの?犯人は誰?その二人くっつくの?」結論だけを欲しがる彼らに、回りくどい情景描写など、もはや迷惑行為なのだ。

さらに言えば、小説サイドにも問題はあったかもしれない。やたらと小難しい比喩。村上春樹風の「やれやれ」を乱発する主人公。三ページにわたる空の色の描写。読者を試すかのような難解なプロット。我々はいつしか、「読者に媚びるなんてダサい」とでも言わんばかりに、孤高の芸術家気取りになってしまったのではないか。その隙に、親しみやすい笑顔を振りまく動画クリエイターたちが、我々の愛する読者を根こそぎ奪っていったのだ。

先日、本屋で隣にいた若者二人の会話が耳に入った。

「この小説、映画化されるらしいよ」

「マジ?じゃあ映画観ればいっか」

僕は心の中で叫んだ。「違う、そうじゃない!原作には映画ではカットされた、主人公の心の機微が描かれているんだ!あの脇役の、どうでもよさそうで実は重要な一言があるんだ!」と。しかし、その声が彼らに届くことはない。彼らはすでに、ポップコーンの味について語り始めていた。

だが、まあ、いいか。とも思うのだ。

オワコン上等。流行の最先端から滑り落ちたからこそ、得られる静けさがある。誰もが顔色を窺うパーティー会場から抜け出し、気の合う仲間だけで集まる秘密の隠れ家。それが今の小説の立ち位置なのかもしれない。

タイパ?知ったことか。僕はこれからも、無駄に長い情景描写に心を震わせ、主人公のどうでもいいモノローグに共感し、一晩かけて読み終えた物語の余韻に、朝の光の中でどっぷり浸るだろう。効率なんてクソ食らえだ。この非生産的で、贅沢な時間の使い方が、僕のささやかな抵抗なのだ。

「で、そのパティシエ、どうなったの?」

スマホから顔を上げた友人が、意外にもそう尋ねた。僕はニヤリと笑い、こう答えるのだ。

「それは、読んでのお楽しみだよ」

オワコン化した世界の片隅で、僕たちの小さな反撃は、まだ始まったばかりなのかもしれない。




純文学がつまらないのは「文学終わったな」が足りないから

どうも。本棚の肥やしになっている文芸誌の山を眺めては、ため息をつくのが日課になりつつある者です。別にね、最近の純文学が全部ダメだなんて言うつもりは毛頭ない。むしろ逆だ。みんな、あまりにも「文学」がお上手すぎる。

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書店で平積みされた新進気鋭の芥川賞候補作を手に取る。繊細な心理描写、的確な比喩、美しく整えられた構文。読めば読むほど「うまいなあ」と感心する。あまりにうますぎて、読み終わったあと、近所のカフェで食べた、あのやたらと意識の高いキッシュの味くらいしか心に残らないのだ。美味しい。美味しいんだけど、それだけ。なんだろう、この満たされない感じは。

僕が求めているのは、たぶん「文学終わったな」感なんだと思う。

そう、あれは大学の図書館で、カビ臭い書架の奥から引っ張り出した、とある前衛的な小説を読んだ時のこと。ページをめくる手が途中で止まった。というか、脳が理解を拒否した。登場人物は突然脈絡なく鳥になって空を飛んだかと思えば、次のページではただひたすら蛇口から滴る水の音をオノマトペで三十ページにわたって描写している。なんだこれは。ふざけているのか。僕は貴重な昼下がりの時間を無駄にしたのか。

しかし、図書館の硬い椅子に深く身を沈め、天を仰いで、僕はこう呟かずにはいられなかった。

「……文学、終わったな」

それは絶望ではなかった。むしろ、目の前でとんでもない事件を目撃してしまったような、奇妙な興奮とでも言おうか。「ここまでやっちゃったら、もうこの先、誰も何も書けないんじゃないか?」という、一周回っての感動。既成概念のガラガラポン。脳みその大掃除。これだよ、これ。この「終わったな」感こそが、新しい文学の始まりを告げる号砲だったはずなんだ。

翻って、今の文学はどうだ。みんな、「文学」という名の整備された美しい公園の中で、いかに綺麗な砂の城を作れるかを競っているように見える。もちろん、その城は素晴らしい技巧で作られている。夕日に照らされた尖塔なんて、思わずスマホで写真を撮りたくなるくらいだ。でも、僕が見たいのは、その公園に突如として飛来する謎の巨大飛行物体であり、砂場から掘り起こされる地球外生命体の化石なんだよ。

「ああ、もうダメだ。こんな小説が許されるなら、文学は終わったも同然だ!」

そう叫ばせてくれるような作品に、僕は飢えている。

例えば、こんな小説はどうだろう。

主人公が、朝起きてから夜寝るまで、ただひたすらスマホの通知を待つだけの話。LINEのポップアップ、ニュース速報、ソシャゲのスタミナ回復通知。それら一つ一つに、大げさなくらいの内面的な葛藤と哲学的な考察を繰り広げるのだ。そして、最後の最後に届いた通知が、近所のスーパーの特売情報で、主人公は静かに涙を流して終わる。読んだこっちが「俺の時間を返せ!」と叫びつつも、なぜか自分のスマホをそっと伏せたくなるような、そんな小説。

あるいは、小説の半分以上が脚注で埋め尽くされているっていうのもいい。本文では「男がコーヒーを飲んだ」と一行書かれているだけなのに、脚注ではそのコーヒー豆の原産地から、焙煎士の半生、カップの窯元の歴史、さらには男がコーヒーを飲むに至った社会経済的な背景までが、異様な熱量で語られる。もはやどっちが本編なんだかわからない。読み終えたとき、我々はコーヒー一杯の背後にある壮大な物語に打ちのめされ、「もう、普通の小説には戻れない……文学終わったな」と呟くのだ。

僕が言いたいのは、もっと冒険してくれよ、ということだ。もっと読者を突き放してくれ。もっと「わからなさ」でぶん殴ってくれ。綺麗な着地点なんていらない。読後、僕らを心地よい混乱の渦に叩き込んで、「一体俺は何を読まされたんだ……?」と呆然とさせてほしい。

その「文学終わったな」という名の焼け野原にこそ、次の文学の芽が出るんだと、僕は信じている。

なんて偉そうなことを考えながら、僕はまた懲りずに、新刊の文芸誌のページをめくる。繊細な心理描写、的確な比喩、美しく整えられた構文。うまい。うまいなあ……。

誰か、早くこの退屈な文学を終わらせてくれよ。心からそう願いながら、僕はそっと本を閉じたのだった。



小説を書けないということは小説を書けないということ。まずはそこから認識しよう。

私のパソコンの画面は、もう三時間も真っ白なままだ。点滅するカーソルだけが、無慈悲に時を刻んでいる。まるで「で、いつ書くの?」と無言の圧をかけてくるようだ。うるさい。こっちだって書きたいのだ。

頭の中では、書けない理由がグルグルと渦を巻いていた。インプット不足か?いや、先週は映画を五本も観たし、積読だった純文学も三冊読破した。スランプか?それにしては長すぎる。もうスランプというより、ただの更地だ。才能の枯渇?……それは考えたくない。考えるだけで胃が痛くなる。

私は天を仰ぎ、うんうんと唸り、意味もなく部屋を歩き回った。そして、キッチンのシンクに溜まった食器を洗い始めたその瞬間、天啓は訪れた。カシャン、と皿を置く音と共に、脳内に稲妻が走ったのだ。

「そうだ……ッ!」

私は濡れた手のまま、リビングの真ん中で仁王立ちになった。

「小説が書けないのは、インプットが足りないからでも、スランプだからでも、ましてや食器を洗っていないからでもないッ!ただ……小説が書けないからだッ!」

この発見は、私にとってコロンブスのアメリカ大陸発見に匹敵する、いや、それ以上の衝撃だった。これまで私は、「書けない」という純然たる事実から目をそらし、様々な付帯状況に原因を求めていた。それは、現実逃避以外の何物でもなかったのだ。

だが、もう違う。私は真理に到達した。

「小説が書けないということは、小説が書けないということ」

これ以上でも、これ以下でもない。なんてシンプルで、なんて力強いテーゼだろうか。まずはこの厳然たる事実を、「認識」すること。すべての物語は、そこから始まるのだ。

私はすっかり満足してしまい、その日は祝杯だ、とビールを開けて寝た。

翌日から、私の生活は一変した。

「よし、今日も私は小説が書けないぞ」

朝、鏡に向かってそう宣言する。書けない事実を認識する。完璧な一日の始まりだ。散歩に出かければ、「ああ、これが『書けない私』の網膜に映る空か。なんとなく、昨日より青が薄い気がする」と深く頷く。カフェに入れば、「『書けない人間』が飲むコーヒーは、なぜこうも実存的な苦みを帯びるのか」と、ノートの代わりにナプキンへ走り書きしたりする。

書けない、という状態を観察し、分析し、味わう。私は今、創作における新たなフェーズに突入したのだ。これはサボっているわけではない。次なる飛躍のための、助走なのだ。そう自分に言い聞かせ、私は堂々とYouTubeで猫の動画を観続けた。

そんな日々が二週間ほど続いた頃、友人から電話がかかってきた。

「もしもし? 最近どう?小説、進んでる?」

チャンスだ。私は待ってましたとばかりに、この偉大な発見について語って聞かせた。

「それがね、ついに気づいたんだよ。小説が書けないということは、つまり、小説が書けないということなんだ。まずはそこを認識するところから始めないと、何も始まらないわけで…」

電話の向こうで数秒の沈黙があった。そして友人は、慈悲のかけらもない声でこう言った。

「……へえ。で、結局、一文字も書いてないってこと?」

ぐうの音も出なかった。正論という名の槍は、私の築き上げた言い訳の盾をいとも容易く貫いた。

その夜。私は再び、真っ白な画面の前に座っていた。点滅するカーソルが、相変わらず私を嘲笑っている。

「書けない、か……」

私はため息をつき、そして、ふと指が動いた。カタカタ、とキーボードを叩き始める。

『小説が書けないということは小説が書けないということ。まずはそこから認識しよう。』

私は、自分が発見した(と思い込んでいた)あの偉大な真理を、そのままタイトルとして打ち込んでいた。そして、この数週間の、言い訳と自己正当化に満ちたダメな日々を、赤裸々に書き連ねていった。

あれ?

書けるぞ?

これは、私が書きたかった壮大なファンタジー小説ではない。でも、紛れもなく私は「書いて」いる。「書けない」という事実を認識した結果、ようやく「書けないことについて書く」という、ささやかな一歩を踏み出すことができたのだ。

カーソルの点滅が、なんだか応援のサインに見えてくる。私は少しだけ口角を上げ、タイピングを続けた。まあ、いいか。書けないよりは、ずっといい。



二次元にしか興味がない男は四次元にいる上位存在のおもちゃだった

俺は、二次元にしか興味がない。

この一文で、俺という人間の9割は説明がつく。挨拶代わりに「推しは誰?」と聞くし、カレンダーはイベントと嫁(アニメキャラ)の誕生日で埋まっている。三次元の女性? 申し訳ないが、解像度が低すぎてドット絵にしか見えない。それに、彼女たちは平気で裏切るし、いきなり髪型を変えたりするだろう? 俺の推し、魔法少女リリカル☆ストロベリーの「星宮いちご」ちゃんは、今日も昨日も、そして明日も、完璧なツインテールで俺に微笑みかけてくれるのだ。これこそが真実の愛、エターナル・ラブなのである。

俺の人生は、この二次元への愛を中心に、完璧な歯車で回っていた。そう、あの日までは。

俺の人生がいかに完璧だったか、まずは聞いてほしい。

例えば、ソシャゲのガチャ。あれは愛の量が試される神聖な儀式だ。先月も、水着姿の限定SSRいちごちゃんが実装された。サーバーが焼き切れんばかりの激戦区。友人たちが「10万溶かした」「爆死した」と阿鼻叫喚の地獄絵図をSNSに投稿する中、俺は心を無にし、祈りを込めて単発ガチャをタップした。

――虹色の光。

「来たァァァ!」と、深夜三時に雄叫びを上げたのは言うまでもない。俺のいちごちゃんへの愛が、0.01%の確率の壁をぶち破ったのだ。俺は選ばれし者。そう確信していた。

例えば、推し変のタイミング。俺はかつて、『鋼鉄の戦乙女(ヴァルキリー)』のブリュンヒルデ様に心酔していた。だが、ある日ふと「いや、これからの時代は魔法少女だな」と天啓が降りてきた。そして、ブリュンヒルデ様から星宮いちごちゃんへと、華麗なる推し変を遂げたのだ。その一週間後、『鋼鉄の戦乙女』は謎のテコ入れで学園ラブコメ路線に変更となり、ブリュンヒルデ様はパンをくわえて曲がり角でイケメンとぶつかるキャラへと成り果てた。古参ファンは炎上し、嘆き、引退していった。俺の審美眼は未来すら予見するのだと、本気で思っていた。

限定フィギュアの予約戦争も、なぜか俺だけはサーバーの重さを感じることなく、スッと購入完了画面に辿り着く。俺はこれを「日頃の行いポイント」と呼んでいた。

そう、俺の二次元ライフは完璧だった。順風満帆。神に愛されているとしか思えなかった。

だが、その「神」が、俺の想像を絶するほどタチの悪いヤツだったとは。

ある日の午後。俺がいつものようにPCの前でいちごちゃんのイラストを眺め、悦に入っていると、背後から声をかけられた。

「プレイヤー、楽しんでる?」

振り返ると、そこに少女がいた。いや、少女と呼ぶにはあまりにチグハグな存在だった。髪はいちごちゃんのピンク色のツインテールなのに、目はブリュンヒルデ様の蒼氷の瞳。服装は、俺が昔ハマっていたサイバーパンク系アニメの戦闘服で、声は、なぜかギャルゲーの幼馴染キャラのものだった。俺の歴代の「好き」を、悪意なく雑に混ぜ合わせたようなキメラ。それが、そこにいた。

「だ、誰だお前! なんで俺の部屋に! そしてそのパッチワークみたいな推しの姿、著作権的にどうなんだ!」

パニックになる俺を、その少女(?)はつまらなそうに眺めている。

「著作権? ああ、君たちの世界のルールか。僕には関係ないな。僕は君の"上位存在"だから。四次元って言えば、わかる?」

四次元? 上位存在? こいつ、さては重度の電波系か?

俺が訝しんでいると、少女はポンと手を叩いた。

「あ、そうだ。君がわかりやすいように説明してあげよう。例えば、先月の水着ガチャ」

彼女が指を鳴らすと、俺のPC画面にあの虹色の演出が映し出される。

「あれ、君の愛の力じゃないよ。僕が『ここで引かせたら、こいつどんな顔するかなー?』って、確率をちょいとイジっただけ」

「……は?」

「ブリュンヒルデがパンをくわえることも、僕は知ってたよ。君、ああいうの嫌いだろう? だから事前に『ほら、こっちにもっと可愛い子がいるよー』って、君の脳に直接、魔法少女の情報を流し込んであげたんだ。優しさでしょ?」

「……え?」

「フィギュアの予約? 君の回線だけ、時間を0.5秒巻き戻して優先的にサーバーに繋げてあげたんだ。日頃の行いじゃなくて、僕の気まぐれ」

俺は、膝から崩れ落ちた。

俺の愛は? あのガチャに捧げた祈りは? 未来を予見した俺の審美眼は? すべて、すべて、この四次元存在の掌の上で踊らされていただけ……? 俺は、こいつの暇つぶしのための、シミュレーションゲームの主人公だったというのか?

「なんで……なんでそんなことを……」

「退屈だから」

即答だった。悪びれる様子もない。純粋な好奇心。それが一番タチが悪い。

「じゃあ、なんだ……俺の人生は……」

「僕のおもちゃ、かな?」

絶望。俺のアイデンティティは、粉々に砕け散った。俺は二次元のキャラクターを愛でる消費者ではなく、ただ高次元から愛でられる消費コンテンツに過ぎなかった。

「さーて」と、少女は楽しそうに言う。

「次のアップデートはどうしようかな? 急に壁の中から美少女の幼馴染が生えてくるとか、どう? 定番だけど、君の反応、面白そうだし」

もう、どうにでもなれ。

絶望のどん底で、俺はなぜか、ふっと笑いがこみ上げてきた。

ああ、そうか。俺は二次元に萌えていたんじゃない。俺自身が、四次元のヤツにとっての「二次元」だったのか。なんと壮大な話だ。

俺は立ち上がり、キメラ少女を、いや、俺の「神」を、まっすぐに見据えた。

「上等だ。見てるんだろ、四次元の暇人。だったら、せいぜい面白いリアクションをしてやるよ。俺という名のコンテンツ、存分に楽しんでいけ。おい! 次のガチャは天井まで回して爆死してやるからな! それで満足か、コラァ!」

そう、二次元にしか興味がない男は、四次元の上位存在にとって最高のおもちゃだったのだ。

……まあ、だとしてもだ。せめて家賃と光熱費くらいは、そっちで負担してくれないものだろうか。プレイヤーなら、それくらい当然の課金だろう。


バナナランド
牛野小雪
2023-10-23


ラノベ作家とは宣言するものにあらず

俺はラノベ作家である。

会社の同僚との飲み会で、後輩の佐藤くんが「神林さん、ご趣味とかあるんですか?」とキラキラした目で聞いてきた時も、俺は澄まし顔でハイボールのグラスを傾けながらこう答えた。

「趣味、というか……まあ、ライフワークかな。小説を書いてる。ラノベ作家なんだ」

「え、すごい!どんなお話なんですか!?」

食いついてきた佐藤くんに、俺は待ってましたとばかりに語り始める。

「現代社会に転生した魔王が、元勇者の女子高生とコンビを組んで、資本主義という名のダンジョンを攻略していく話。タイトルは『魔王様、それは経費で落ちません!』。どう?面白そうだろう?」

「は、はあ……」

佐藤くんの顔からキラキラが消え、代わりに「この人、何を言っているんだろう」という純度100%の困惑が浮かび上がる。ちがう、そうじゃない。そこは「さすが神林さん!着眼点が違いますね!」と感嘆するところだろうが。凡人には俺の、ゴッド・ジョウの才能は眩しすぎるというのか。

そう、俺のペンネームはゴッド・ジョウ。神林(かんばやし)丈(じょう)だから、ゴッド・ジョウ。完璧なネーミングだ。我ながら天才かと思う。

俺が「ラノベ作家」を宣言し始めたのは、かれこれ三年前。小説投稿サイトに処女作をアップロードした、その瞬間からだ。読者がいなくたって、評価が付かなくたって関係ない。作品を生み出した、その時点で作家なのだ。ゴッホだって生前は評価されなかっただろう? 俺は未来のゴッホなんだよ、と自分に言い聞かせながら、日々キーボードを叩いている。

会社のデスクにも、ささやかな自己主張は忘れない。PCのモニターの隅に、小さなテプラでこう貼ってある。

『締切厳守(ただしプロットに限る)』

誰も気づいてくれないのが玉に瑕だが、この隠れたクリエイター感こそが、俺のモチベーションを支えていると言っても過言ではない。

先日も、企画会議で上司が「何か斬新なアイデアはないか!」と煮詰まっていた時、俺は静かに手を挙げた。

「僭越ながら、部長。物語論的に言いますと、ここで必要なのは『意外な協力者の登場』フェーズです。例えば、競合他社の落ちこぼれ社員と秘密裏に手を組む、というのはいかがでしょう」

会議室は静まり返った。比喩が高度すぎたか。

「……神林くん、とりあえずA社へのアポ、よろしく頼む」

ちっ、俺のメタ的な視点を活かせないとは、この会社も先が知れている。

そんな俺にも転機が訪れる。中学二年生の姪っ子、メイちゃんだ。夏休み、俺の部屋に遊びに来た彼女は、本棚にぎっしり詰まったラノベを尊敬の眼差しで見つめていた。しめた。こいつは「わかる」側の人間だ。

「ジョウおじさん、すごい量の本だね」

「まあな。作家たるもの、インプットは欠かせないからな」

ドヤ顔で答える俺に、メイちゃんは無邪気にこう言ったのだ。

「おじさんもラノベ作家なんでしょ? お話、読みたいなあ」

キタ。ついに俺の作品を渇望する読者が現れた。しかも身内。これ以上ないファンだ。

俺は歓喜のあまり、書斎(と呼んでいる納戸)から最新作『異世界チートスキルでデイトレードしたら、秒で資産が溶けた件』をプリントアウトした束を取り出した。分厚いA4用紙の束。これぞ作家の証。

「ほら、メイちゃん。これがゴッド・ジョウ先生の最新作だ。まだ世に出ていない貴重な原稿だぞ。特別に読ませてあげよう」

「わーい、ありがとう!」

メイちゃんは嬉しそうに原稿を受け取り、自分の部屋にこもっていった。

数時間後が楽しみで仕方なかった。きっと彼女は「おじさん、天才だよ!続きはまだなの!?」と興奮して飛び込んでくるに違いない。サインの練習でもしておくか。「For メイちゃん God Joe」っと。うん、いい感じだ。

しかし、数時間経ってもメイちゃんは来ない。夕食の時も、どこか浮かない顔をしている。どうしたんだ? 俺の作品の持つ重厚なテーマ性に、中二の心が付いてこられなかったか?

痺れを切らした俺は、食後にメイちゃんの部屋をノックした。

「メイちゃん、おじさんの小説、どうだったかな?」

メイちゃんはベッドに座り、俺の原稿を膝に置いたまま、困ったように眉を下げた。そして、おずおずと口を開く。

「あのね、おじさん……」

「うん、なんだい?どんな感想でもいいぞ。衝撃的すぎたかな?」

「うーんとね……まず、誤字が多くて……」

「ぐっ」

「あと、登場人物の女の子、みんな同じ口調じゃない? なんか、男の人が考えた『女のコ』って感じで……」

「ぐふっ」

「それと、この主人公、なんで五ページもずっと自分のステータス画面の説明してるの? 私、読み飛ばしちゃった」

クリティカルヒット。しかも三連コンボだ。俺のライフはもうゼロよ。

ぐらりと揺れる俺に、メイちゃんは純粋な瞳で最後の一撃を放った。

「おじさんって、本当にラノベ作家なの?」

その瞬間、俺の中で何かがガラガラと崩れ落ちた。会社の同僚にドン引きされても、投稿サイトでPVが伸びなくても、新人賞で一次選考の壁を越えられなくても、決して折れなかった俺の心が、ポッキリと。

そうか。俺は、ラノベ作家じゃなかったんだ。

ラノベ作家になりたいだけの、ラノベ作家ごっこをしていただけの、ただのイタいおっさんだったんだ。

宣言するだけなら、誰にでもできる。だが、本物は宣言などしない。周囲が、読者が、その人のことを自然と「作家」と認めるのだ。

その夜、俺はPCのモニターから『締切厳守(ただしプロットに限る)』のテプラをそっと剥がした。そして、小説投稿サイトの作者ページを開き、ペンネームを「ゴッド・ジョウ」から、本名の「神林丈」に修正した。

誰に言うでもない。ただ、もう一度、一から書いてみようと思った。メイちゃんが、次のページをめくりたくなるような物語を。面白い、と素直に笑ってくれるような物語を。

ラノベ作家とは宣言するものにあらず。

いつの間にか、誰かにそう呼ばれているものなのだ。

……多分な。まあ、知らんけど。

さて、まずは『魔王様、それは経費で落ちません!』の経費の計算が、ガバガバすぎる問題から修正しますか。やれやれ、作家の仕事ってのは、本当に地道な作業の連続なのである。


ライムの意味を知りたくて町中のサイファーに乱入してみた

すべての始まりは、私の純粋すぎる知的好奇心だった。「ライム(Rhyme)」。ヒップホップ音楽の歌詞カードを眺めるたびに現れるこの言葉。辞書を引けば「押韻」と素っ気なく書かれている。なるほど、言葉の語尾の音を揃えることか。理屈は分かった。だが、魂が分からない。なぜ彼らは韻を踏むのか。韻を踏むと、何がどうなるというのか。

考え始めると、もうダメだった。脳内で「AとBで韻を踏むとは、概念Xにおいてどのような意味を持つのか」といった、哲学のレポートみたいな問いがぐるぐる回り始めたのだ。こうなったら早い。百聞は一体験にしかず。ライムの真髄を知るには、その現場に身を投じるしかない。

かくして私は、ユニクロの感動ジャケットを羽織り、革靴の紐を固く結び、週末の夜、駅前広場の一角で重低音を響かせている若者たちの集団、すなわち「サイファー」へと向かったのである。

現場は、想像以上の異空間だった。スマホから流れるビートに合わせ、キャップを目深にかぶった若者たちが輪になり、即興で言葉を紡いでいる。飛び交う専門用語。「ヤバいフロウ」「パンチラインが効いてる」。私にとっては全てが呪文だ。輪の外側で仁王立ちする私は、完全に不審者。保護者が子供の授業参観に来た時のような、圧倒的なアウェー感が全身を包む。

「帰ろうか…」。心が折れかけた、その時だった。一人のラッパーがラップを終え、次の挑戦者を待つ、一瞬の静寂が訪れた。今しかない。私は、営業で培った度胸を振り絞り、輪の中に一歩、足を踏み入れた。

「「「!?」」」

若者たちの視線が一斉に突き刺さる。ビートが止まった。まずい、完全に不審者から不審人物へとランクアップしてしまった。

「あ、あのっ!」私は震える声で切り出した。「まことに恐縮ですが、皆様に一つ、ご教授願いたいことがありまして…! わたくし、『ライム』の真髄が知りたくて、参上いたしました!」

シン…、と広場が静まり返る。一人の、ひときわ体の大きく、見た目がいかついラッパーが、眉間に深い谷を刻みながら私に歩み寄ってくる。終わった。私の知的好奇心は、ここで社会的に抹殺されるのだ。

「…面白いじゃねえか、おっさん」

彼の意外な一言で、凍りついた空気が一気に溶けた。彼は「MC仏陀(ブッダ)」と名乗った。仏陀はニヤリと笑い、私にペットボトルを差し出す。「言葉で聞くより、体で感じな。ほらよ、マイクだ」。

え、私が?ここで?

DJが気を利かせたのか、ゆったりとしたビートを流し始める。もう後には引けない。私は覚悟を決めて、ペットボトルを握りしめた。

「えー…わたくし、鈴木と申します…/趣味は、休日の園芸と申します…」

…ダメだ。これはラップではない。ただの自己紹介だ。周りからクスクス笑いが漏れる。しかし、仏陀が「聞け!」と目で合図すると、皆が真剣な顔つきになる。この優しい世界に、私は少し泣きそうになった。

開き直った私は、日頃の鬱憤を叫ぶことにした。

「部長の指示は、朝令暮改!/俺の努力は、まるで徒労で崩壊!」

その瞬間だった。

「「「おおぉぉぉぉ!!!」」」

今まで静かだった若者たちが、一斉に沸いたのだ。「崩壊」と「暮改」が、奇跡的に韻を踏んでいたらしい。何だ、この感覚は…! 言葉がビートに乗って、共感を生む。気持ちいい!

私の拙いラップが終わると、仏陀がペットボトルを受け取り、アンサーを返してきた。

「YO、鈴木さんのそのリリック、悪くねえ/だがな、徒労で崩壊? そんなのまるで嘘くせえ!/その悔しさ、その魂、全部ビートに乗せちまえ/そしたら明日も頑張れる、そうだろ、ブラザー、間違いないぜ!」

見事だった。私のちっぽけな愚痴が、彼のライムを通して、一つの物語として昇華されていく。言葉と言葉が繋がり、意味が反響し、グルーヴが生まれる。これか。これがライムの魂か…!

結局、ライムの学術的な定義は分からずじまいだった。でも、そんなことはどうでもよくなった。帰り道、私はスキップしながら、目につくもの全てで韻を踏んでいた。

「光る月/明日はきっと勝つ!」

我ながら悪くない。人生とは、壮大なフリースタイルなのかもしれない。感動ジャケットを揺らしながら、私は最高にハッピーな気分で家路についた。



人生不平等すぎる。俺は幸せすぎる

朝、小鳥のさえずりと共に目を覚ます…なんていうメルヘンな話じゃない。俺を目覚めさせるのは、決まって飼い猫の肉球による顔面へのソフトな、しかし執拗なプレッシングだ。「飯だ、起きろ、人間」という無言の圧。ああ、なんて幸せな朝なんだろう。世の中の多くの人々が、けたたましいアラーム音で叩き起こされ、満員電車という名の鉄の箱に押し込まれるというのに、俺はモフモフの神に起こされ、まずはその神への奉仕(カリカリの提供)から一日が始まるのだ。不平等、あまりにも不平等だ。

俺の仕事はいわゆる在宅ワーク。通勤時間は驚異の「ベッドからデスクまで徒歩5秒」。この話をすると、友人たちは「いいなぁ」と羨望の眼差しを向けるが、分かっていない。これは「いいなぁ」のレベルを遥かに超越した、神々の領域だ。

昨日もそうだった。昼過ぎ、猛烈な眠気に襲われた俺は、なんの躊躇もなくベッドにダイブした。これが許されるだろうか、社会人として。許されるのだ、俺だから。だって、俺の直属の上司は、俺の膝の上で満足げに喉を鳴らしているこの猫様なのだから。彼(上司)からのKPIはただ一つ、「快適な昼寝環境の提供」。完璧に達成しているじゃないか。

夕食は、妻が作る絶品料理が並ぶ。昨夜は「なんか冷蔵庫にあるもので適当に作った」という、どう聞いても謙遜にしか聞こえないセリフと共に、店で出したら3,000円は取れそうなアクアパッツァが登場した。俺は「うまい!」と叫ぶだけの簡単なお仕事。世の旦那様方が、仕事の付き合いで好きでもない上司の昔話を聞かされながら、冷めた唐揚げを頬張っているかもしれないというのに。申し訳ない。本当に申し訳ないと思っている。このアクアパッツァの残り汁で作ったリゾットをかきこみながら。

「人生は不平等だ」と、誰かが言った。まさにその通りだ。だが、多くの人はそれを「不幸」の側から語る。なぜだ。俺のように「幸福」の側から語る者がもっといてもいいじゃないか。

この前なんて、あまりの幸せに怖くなって、自分の前世をネットの有料占いで調べてみた。「古代ローマの水道管職人」だったらしい。どうりで、風呂掃除が好きなわけだ。きっと俺は、ローマ市民の喉の渇きを癒すという、とんでもない徳を積んでしまったのだろう。その徳が、現代日本で「妻の作る飯がうまい」「猫がかわいい」「仕事はゆるい」という形で爆発しているのだ。そうとしか考えられない。

もちろん、俺にだって悩みくらいある。例えば、楽しみに取っておいたプリンを妻に食べられた時。あれは世界が終わるかと思った。本気で離婚の二文字が頭をよぎったが、3分後には妻がコンビニで倍の値段はする高級プリンを買ってきてくれたので、逆に愛が深まった。俺の悩み、安すぎる。

今日も今日とて、俺は幸せだ。窓の外では、きっと多くの人がそれぞれの戦場で戦っている。暑さと戦い、眠さと戦い、理不尽と戦っている。頑張れ、と心から思う。俺はクーラーの効いた部屋で、猫を撫でながら、そう思っている。

ああ、人生は不平等すぎる。そして、俺はあまりにも幸せすぎる。

ごめん、みんな。強く生きてくれ。俺はそろそろ、妻が入れてくれたアイスコーヒーを飲みながら、昨日クリアできなかったゲームのラスボスに再挑戦するから。世界の平和は、俺が守る(ゲームの中で)。



酸っぱいブドウのスマートな言い換え

イソップ寓話に登場するキツネのことを、僕は昔から少し気の毒に思っていた。手が届かないブドウを前にして、彼が絞り出した言葉は「あのブドウは、どうせ酸っぱくてまずいだろう」。あまりにもストレート。負け惜しみがダダ漏れだ。現代社会という名のジャングルを生き抜く我々にとって、このキツネのスタイルはあまりにも無防備すぎる。

今、求められているのは何か。それは、敗北の味を悟られることなく、むしろ自分の評価を上げるような、洗練された負け惜しみ。僕はこれを「スマート酸っぱいブドウ」と名付け、日々研究と実践に励んでいる。

例えば、こうだ。先日、部内の昇進レースに同期が勝ち、僕が敗れた。凡百のビジネスパーソンなら、ここで「あんな役職、責任が重くなるだけで割に合わん」と典型的な酸っぱいブドウを口にするだろう。愚かだ。

僕は、祝福のコーヒーを同期に差し出しながら、こう言った。

「おめでとう。君のマネジメント能力を考えれば、これは組織にとっての最適解だよ。僕も今回の件で、自分のキャリアパスを深く見つめ直す良い機会になった。結果、僕の情熱はやはり現場の最前線で、プレイヤーとしてのスキルを極めることにあると再認識したんだ。君が組織の舵取りを、僕が現場のイノベーションを。最高の布陣じゃないか」

どうだろうか。ただの負け惜しみが、「自己分析済みのキャリアプラン」と「組織貢献への高い意識」に昇華された瞬間だ。同期は「お、おう…ありがとう…」と若干引き気味だったが、問題ない。この高度な負け惜しみは、凡人にはすぐ理解できなくて当然なのだ。

スマート酸っぱいブドウの極意は、三つある。

一つ、「視点の転換」。「手に入らなかった」のではなく、「自らの意思で選ばなかった」という物語に書き換えるのだ。欲しかった限定スニーカーが買えなかった時、「金がなかった」のではない。「僕のミニマリズム哲学において、あの過剰なデザインはノイズだった」のだ。

二つ、「感謝の表明」。「ちくしょう!」と叫ぶ代わりに、「ありがとう」と言う。憧れの女性にフラれた?「僕の未熟さに気づかせてくれてありがとう。君との対話を通じて得たインサイトを基に、僕は自己投資という新たなステージへコミットするよ」。もはや聖人である。

三つ、「横文字の多用」。アジェンダ、インサイト、コミット、リソース、サステナブル…。これらの魔法の言葉を散りばめるだけで、ただの負け惜しみは、なぜか意識の高いビジネス戦略のように聞こえ始める。不思議だ。

先週末も、僕はこのテクニックを駆使して心の平穏を保った。妻に「あそこのケーキ、買ってきて!」と頼まれた、一個800円もするモンブラン。店に着いた時には、僕の目の前で最後の一個が麗しいマダムの手に渡ってしまった。絶望的な状況だ。

しかし、僕はうろたえない。帰宅後、コンビニで買ったシュークリームをテーブルに置き、こう告げた。

「例のモンブランだが、今日はあえて見送った。我々の食生活におけるエンゲル係数のサステナビリティを考慮した結果、日常的な幸福度の最大化というアジェンダにおいては、より再現性の高いこの選択がマストだと判断した」

妻は「…よく分からないけど、ありがとう?」と言いながらシュークリームを頬張っていた。それでいい。それでいいのだ。

負け惜しみは、人間の尊厳を守るための高等な防衛本能だ。どうせ負けを認めたくないのなら、スマートに、スタイリッシュに、そしてどこか哲学的に言い換えてみようじゃないか。

さあ、諸君。手が届かなかったブドウを、ただ「酸っぱい」と切り捨てる時代は終わった。

「あのブドウは、僕が目指すネクストレベルの糖質コントロールの観点からすると、アグリー(不同意)だった」と語るのだ。

人生は、ほとんど言ったもん勝ちなのである。



シーチキンとは海を泳ぐニワトリだと思っていた

告白しよう。私は、ついこの間まで「シーチキン」とは、海を泳ぐために特殊に進化したニワトリのことだと固く、固く信じていた。どうか、笑わないで聞いてほしい。私の中では、それはニュートンがリンゴの落下を見て引力を発見したのと同じくらい、論理的で揺るぎない事実だったのだ。

考えてもみてほしい。まず、その名前。「シー(Sea)=海」に「チキン(Chicken)=鶏」。これほどまでにストレートなネーミングがあるだろうか。まるで「マウンテンゴリラ」が山に住むゴリラであるように、「シーチキン」は海に住むチキンに決まっている。疑う方がどうかしている。

そして、何よりもあの食感だ。ほぐされた身の、あのパサつきと、それでいて凝縮された旨味。あれは、どう考えても魚のそれではなかった。鶏のささみを、もっとワイルドにした感じ。私の中のシーチキンは、荒波にもまれて育った結果、胸の筋肉(つまり胸ビレの付け根あたり)が異常に発達し、それが我々の知る「ささみ」のような食感になった、たくましい海洋生物だった。

私の頭の中では、シーチキンの生態系も完璧に構築されていた。

  • 姿かたち: 頭には波の抵抗を受けにくい流線型のトサカ。翼は退化して小さなヒレとなり、足には立派な水かきがついている。体は防水性の羽毛で覆われている。

  • 鳴き声: 陸のニワトリのように「コケコッコー!」と高らかに鳴いたら、サメに居場所を教えるようなものだ。きっと彼らは、水中で泡と共に「コ、コ、コ…」と控えめに鳴くに違いない。

  • 生態: 普段は群れで海藻をついばみ、天敵のウツボや巨大イカに襲われると、一斉に海面を「チキン走り」ならぬ「シーチキン走り」で逃げるのだ。その光景はさぞかしコミカルだろう。

スーパーの缶詰コーナーに鎮座していることにも、何の疑問も抱かなかった。「まあ、希少種だから乱獲を防ぐためにも、捕獲後すぐにオイル漬けにして鮮度を保つんだろう」と、むしろそのサステナブルな姿勢に感心していたくらいだ。

この揺るぎない「シーチキン=海のニワトリ」説と共に生きてきた私は、食卓で妻に「このシーチキン、いい鶏ガラが出てるねぇ」などと、知ったような口をきいていた。妻はいつも「そうだねー、おいしいねー」と、生暖かい笑顔を浮かべていたが、その真意に私は気づくべきだったのだ。

その日は突然やってきた。何気なく見ていたテレビのクイズ番組。

司会者が陽気に問いかける。「さあ問題!おなじみの『シーチキン』、その原料となっている魚の名前は、次のうちどれでしょう?」

…ん? 待て。今、なんと言った?「魚の名前」?

選択肢には「A. マグロやカツオ」「B. タラ」「C. サンマ」と並んでいる。ニワトリが、鶏がどこにもいない。私の頭は真っ白になった。まるで、自分が地球は平らだと信じていたのに、突然コロンブスに「丸いよ」と告げられたような衝撃。

正解のチャイムと共に、画面には「正解はAのマグロやカツオでしたー!」という無慈悲なテロップが躍る。隣でポテチを食べていた妻が、私を見て言った。

「あ、あなた、もしかして知らなかったの?シーチキンがツナ、つまりマグロだってこと」

ガッシャーン。私の中で、長年かけて築き上げてきたシーチキン神殿が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。俺のシーチキンは…海を泳ぐニワトリは、どこへ行ったんだ…。

真実を知ってしまった今、ツナサンドを食べるたびに、少しだけ寂しい気持ちになる。私の頭の中にだけ存在した、健気で、たくましくて、そして美味しい「海のニワトリ」よ、さようなら。これからはもう「いい鶏ガラが…」なんて言えない。堂々と「このマグロ、うまいな!」と言うことにしよう。

でも、最後にこれだけは言わせてほしい。

どう考えたって、「シーチキン」なんて名前、海を泳ぐニワトリの方がしっくりこないか?



『こころ』のBL解釈を完全論破したらめんどくさい女にヤンデレされた

断言するが、僕は何も悪くない。

文学を愛する一人の徒(あだ)として、テクスト(本文)に誠実な解釈を試みただけなのだ。そう、ただそれだけだったはずなのだ。僕の平穏な大学生活が、一人の文学少女によって、まったく新しいジャンルの愛憎劇へとリブートされる、あの日までは。

事の起こりは、僕が所属する文学サークルの読書会だった。その日のお題は、夏目漱石の『こころ』。言わずと知れた近代文学の金字塔だ。僕は高校時代からこの作品に心酔しており、先生が抱えるエゴイズムと孤独について、発表の準備も万端だった。

事件は、サークル内で「姫」と密かに呼ばれる、姫宮さんの発表で起きた。彼女は儚げなワンピースに身を包み、長い黒髪を揺らしながら、熱っぽく語り始めた。

「私は、先生とKの関係こそ、この物語の核心だと思うんです。それは友情という言葉では表せない、もっと深い……そう、"愛"ですわ。お嬢さんを巡る三角関係は、二人の悲恋を隠すためのカモフラージュ。嫉妬のあまり親友を死に追いやってしまった先生の、痛切な魂の告白……それがこの『こころ』なんです!」

サークル内に、なんとも言えない生暖かい空気が流れる。ああ、また始まった。姫宮さんの得意技、「名作BL解釈」だ。太宰の『走れメロス』を読んでは「メロスとセリヌンティウスの熱い絆に涙が止まらない」と言い、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読んでは「ジョバンニとカムパネルラの永遠の旅立ちが尊い」と語る。彼女の世界では、すべての友情は究極の愛へと昇華されるのだ。

いつもなら「まあ、そういう読み方もあるよね」と、大人の対応でスルーするところだ。だが、その日に限って、僕の中の"文学警察"がけたたましくサイレンを鳴らした。『こころ』だけは、断じて違う。

「待った、姫宮さん」

僕は、気づけば立ち上がっていた。

「その解釈は、あまりに表層的だと言わざるを得ない」

姫宮さんの大きな瞳が、驚いたように僕を捉える。周囲のサークル員が「やめとけ」「地雷だぞ」と目で訴えてくるが、もう遅い。僕の舌は、研究室の教授のように滑らかに動き始めていた。

「先生の罪悪感の本質は、Kへの恋愛感情などではない。それは、当時の知識人が抱えた『エゴ』という名の業、そのものなんだ。Kの『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』という言葉への強烈なコンプレックス、それこそが先生の行動原理の根源だ。お嬢さんを巡る恋は、あくまでそのエゴを爆発させるためのトリガーに過ぎない!」

僕は立て板に水とばかりに、作中の描写を引用し、漱石が他の作品で描いたテーマとの関連性を指摘し、近代化の中で揺れ動く日本人の孤独を熱弁した。僕の完璧な論理展開の前に、姫宮さんの顔から血の気が引いていく。

「それに……」と僕は、最後の一撃を放った。「先生がKに宛てた遺書、あれは友情の破綻とエゴの告白であって、失恋の嘆きではない。テクストを丹念に読めば、それは自明の理だ。君の解釈は、いわば二次創作。原作へのリスペクトが足りないんじゃないか?」

言い切った。満足感と、少しばかりの罪悪感。姫宮さんは俯いたまま、小さな声で「……わかりました」と呟き、その日の読書会は気まずい雰囲気のまま幕を閉じた。

翌日から、僕の地獄が始まった。

まず、僕の下駄箱に羊羹が置かれるようになった。Kが先生に羊羹を勧められる、あの名シーンのオマージュだろう。ご丁寧に「お詫びです。あなたの解釈、勉強になりました」という、美しい筆跡の手紙まで添えられて。最初は一つだった羊羹は、日を追うごとに二つ、三つと増殖し、一週間後には僕の下駄箱は高級和菓子店のショーケースのようになっていた。甘い匂いが、怖い。

次に、ストーキングが始まった。僕が図書館で本を読んでいると、必ず視界の端に姫宮さんがいる。彼女は何も言わず、ただじっとこちらを見つめている。その手には、いつも『こころ』が握られていた。

そして、ついにLINEが来た。どうやって僕のアカウントを知ったのか。

『あなたの解釈を反芻するたび、胸が苦しくなります』

『あなたは、私の浅薄な読みを打ち砕いてくれた、私の"先生"なのですね』

『今、図書館の二階、日本文学の棚の前にいらっしゃいますよね? その背中、まるで孤独を背負った先生のようですわ』

ホラーだよ。これは純文学じゃなくて、ホラーだよ。

僕は姫宮さんを避けるようになった。だが、彼女はどこにでも現れる。大学の廊下、学食、最寄りの駅のホーム。そして、僕を捕まえるたびに、うっとりとした表情でこう言うのだ。

「逃げても無駄ですわ。あなたは私の解釈を論破した。それは、誰よりも深く私の解釈を理解してくれたということ。私たちの"こころ"は、あの日、あの瞬間から、固く結ばれてしまったのですから」

違う! 理解したからこそ、否定したんだよ!

僕の心の叫びは、彼女の強固な恋愛フィルターの前では無力だった。

かくして、僕は『こころ』のBL解釈を完全論破した代償に、文学的ヤンデレという、まったく新しい概念の粘着質な愛情を一身に受けることになった。先日など、僕が絶望して「もう漱石はこりごりだ…」と太宰治の『人間失格』を手に取ったら、いつの間にか背後にいた姫宮さんに「まあ、太宰。葉蔵の苦悩……ぜひ、あなたの解釈で私を"失格"にさせてくださいまし」と囁かれた。勘弁してくれ。

文学を愛したばかりに、僕はテクストよりも遥かに厄介なコンテクスト(状況)を背負い込んでしまったらしい。この物語の結末は、果たしてどこへ向かうのだろうか。……なんて、漱石風に格好つけてみても、明日、下駄箱に入れられる羊羹の数は減らないのである。

こゝろ (角川文庫)
夏目 漱石
KADOKAWA
2012-10-16




ヤンデレ彼女のエピソード3選

どうも、僕です。突然ですが皆さん、「ヤンデレ」という言葉にどんなイメージをお持ちでしょうか。アニメや漫画の影響で、包丁片手に「ずうっと、一緒だよ♡」とか、スマホをバキバキに折りながら「この女、誰?」とか、そういう物騒なシーンを思い浮かべるかもしれません。

ええ、まあ、概ね正解です。

僕の彼女、愛(まな)は、何を隠そうそのヤンデレです。彼女の名誉のために言っておくと、普段は本当に可愛くて、料理上手で、僕に献身的な、非の打ち所がないパーフェクト彼女。ただ、その愛情のベクトルが時々、明後日の方向にフルスロットルで突き進んでしまうだけで。

今日は、そんな僕が日々の生活で体験した、胃がキリキリするけど、一周回って笑えてくる(と自分に言い聞かせている)愛との日常から、珠玉のエピソードを3つ、ご紹介しようと思います。ウェブメディアの記事だと思って、軽い気持ちで読んでいってください。

エピソード1:『GPSアプリは愛の羅針盤』

あれは確か、付き合って三ヶ月くらいのこと。僕がうたた寝している隙に、愛は僕のスマホにGPS共有アプリをインストールしました。もちろん無断で。アプリの名前は『Love-Navi』。ハートマークがやたらと可愛いアイコンです。

「愛、これ何?」

「心配なんだもん。あなたが事故にでも遭ったらって思うと、夜も眠れなくて……。これがあれば、あなたがどこにいても安心できるでしょ?」

うるんだ瞳でそう言われてしまえば、無碍にはできません。それに、別にやましいことなんてないしな、とその時の僕は高を括っていました。愚かでした。

ある金曜の夜、会社の飲み会が盛り上がり、二次会のカラオケに行く流れになりました。その瞬間、ポケットのスマホがブルッと震えます。愛からのLINEでした。

『♡今日の夜ご飯はハンバーグだよ♡早く帰ってきてね♡』

ここまでは可愛い。むしろ嬉しい。しかし、僕がカラオケ店のビルに入った、その刹那。

『……カラオケ?』

はやい。反応が早すぎる。僕の位置情報、秒速で更新されてる?

まあいい、説明すればわかってくれるだろう。そう思って、上司にマイクを渡され、僕は十八番のロックバラードを熱唱し始めました。すると、隣の席に座っていた後輩の女の子が「この曲好きなんです!」と一緒に口ずさんでくれたのです。和やかな雰囲気。最高だ。

その瞬間、僕のスマホは悪魔のバイブレーションを奏で始めました。画面には『愛♡』の文字。マイクを持っているので出られません。しかし、振動は止まらない。ブブブブブブ!ブブブブブブ!まるで蝉のようです。

仕方なく一瞬歌うのをやめてスマホを見ると、鬼のような着信履歴とLINEの通知。

『女の声がした』

『誰と歌ってるの?』

『ねえ』

『ねえってば』

『浮気?』

『私の歌以外、聞きたくないって言ったよね?(言ってない)』

結局、サビを歌いきることなくカラオケボックスを飛び出し、僕はハンバーグが待つ我が家(という名の法廷)へと逃げ帰りました。

「おかえりなさい♡」と出迎えてくれた愛のハンバーグは、肉汁たっぷりで絶品でした。まあ、美味しいから許すか……。

エピソード2:『手料理は愛情(と嫉妬)の隠し味』

愛の作るお弁当は、毎日が料亭レベルです。彩り豊かな野菜、可愛いタコさんウインナー、手の込んだだし巻き卵。会社の同僚からは「お前、前世で国でも救ったのか」と羨ましがられるほど。

そんなある日、営業部の美人な先輩が、僕のデスクにやってきました。

「これ、出張のお土産。みんなに配ってるから、よかったらどうぞ」

そう言って渡されたのは、有名な洋菓子店のクッキーでした。断る理由もありません。ありがたく頂戴し、お礼を言ってデスクでポリポリ。

その瞬間、スマホに愛からLINEが。

『お弁当、美味しかった?』

「もちろん!」と返すと、すぐに次のメッセージが。

『そっか、よかった♡ ……ところで、今何か食べてる?』

エスパーかよ。なんでわかるんだ。背筋に冷たいものが走りましたが、「先輩からお土産もらっただけだよ」と正直に報告。愛も『そうなんだ!よかったね!』とハートマーク付きで返信をくれ、一件落着。

……したはずでした。

その日の夜、家に帰ると、食後のデザートに出てきたのは、昼間に僕がもらったものと寸分違わぬクッキーでした。ただし、サイズが三倍くらいデカい。愛の手作りです。

「ねえ、市販のお菓子と、私の手作りクッキー、どっちが美味しい?」

笑顔でした。満面の笑みでした。でも、目が笑っていませんでした。僕が「もちろん愛のだよ!というか愛のしか勝たん!」と叫ぶまで、その巨大クッキーが食卓から下げられることはありませんでした。

後日、その先輩は僕のデスクに近づかなくなりました。風の噂によると、会社の玄関で待ち構えていた愛に「彼の栄養管理は、すべて私が行いますので」と最高の笑顔で宣言されたそうです。

エピソード3:『壁から聞こえる愛の囁き』

僕が一人暮らしをしていたアパートの隣室が、ある日空き家になりました。まあ、よくあることです。そして、ほどなくして新しい住人が引っ越してきました。

ピンポーン、とチャイムが鳴り、ドアを開けると、そこには満面の笑みを浮かべた愛が立っていました。手には引越し蕎麦ならぬ、手作りのガトーショコラ。

「やあ!偶然だね、お隣さんになっちゃった♡」

偶然なわけがあるか。不動産情報サイトに張り付き、この部屋が空いた瞬間に内見もせず契約したそうです。行動力がカンストしている。

それ以来、僕のプライベートは事実上、消滅しました。

僕が部屋で映画を観て笑うと、壁の向こうから「ふふっ」と愛の笑い声が聞こえてきます。

僕がくしゃみを一つすれば、壁越しに「大丈夫?風邪?」と声が飛び、五分後にはドアノブに手作りの生姜湯が掛かっています。

一度、深夜にカップ麺をすすったら、壁をコンコンと叩かれ、『こんな時間に塩分はダメだよ♡』というLINEが届きました。

僕の部屋は、もはや愛のオーディオコメンタリー付き上映会場です。

「これ、もう同棲と変わらなくない?」と聞くと、彼女は心底幸せそうにこう答えました。

「違うよ。だって、あなたの一人の時間も、ちゃんと"見守って"あげたいから♡」

その理屈はおかしい。


以上、僕のヤンデレ彼女、愛との日常エピソード3選でした。

いかがでしたでしょうか。正直、友人は減りましたし、胃薬は友達です。でも、これだけ全身全霊で愛されているという事実は、まあ……悪い気は、しないのかもしれない。いや、僕の脳が彼女の愛情(という名の圧力)に焼かれて、正常な判断能力を失っているだけですね、確実に。

もし、あなたの周りに毎日豪華すぎるお弁当を食べながら、時々虚空を見つめている男性がいたら、それは僕かもしれません。その時は、どうか憐れみの視線を向けず、そっと生姜湯でも差し出してやってください。

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趣味:辞書を読むことをアイデンティティにしていた時期

誰にでも、自分の輪郭をなぞるために奇妙な定規を欲しがる時期がある。僕にとってその定規は、物理的に分厚く、インクの匂いがする「辞書」だった。そう、あれは忘れもしない、僕が「趣味は辞書を読むことです」と公言し、それを自らのアイデンティティに据えていた、愛しくも赤面必至の時代である。

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きっかけは、ありふれた自己紹介への反発だった。「趣味は音楽鑑賞と映画です」と言うクラスメイトたち。悪くない。だが、その他大勢に埋もれてしまう気がしてならなかった。僕は、もっとこう、知的で、孤高で、一口では説明できないような深みのある人間だと思われたかったのだ。自意識がエベレスト級に高かったのである。

そんな時、本棚で圧倒的な存在感を放つ『広辞苑』の背表紙が目に飛び込んできた。これだ、と僕は思った。これを趣味にすれば、僕はもう凡庸な高校生ではない。「言葉の海を旅する、若き探究者」になれる。そう信じて疑わなかった。

僕の「辞書ライフ」は、実に生真面目に始まった。まず「あ」の項目から読破しようと試みた。「ああ」だけで数ページを費やす事実に早くも心が折れかけ、この計画は三日坊主ならぬ「あ行坊主」で終わった。

しかし僕は諦めない。次に編み出したのが「言葉のランダム・サーフィン」だ。適当に開いたページから、気になる言葉を拾い、その説明文に出てくる知らない言葉へ、またその言葉のページへと飛び移っていく。これは面白かった。「蓋然性(がいぜんせい)」から「蓋(ふた)」に飛び、そこから「鍋蓋(なべぶた)」という驚くほど生活感のある言葉に着地したかと思えば、「阿鼻叫喚(あびきょうかん)」の隣に「阿父(あふ)」(=父ちゃん)が静かに鎮座しているのを発見したりする。カオスと秩序が同居するこの紙の宇宙に、僕は完全に魅了された。

当然、仕入れた知識は使いたくてたまらない。

友人との会話で、「それ、マジありえなくない?」と言われれば、すかさず「つまり、君の意見ではその事象の蓋然性は極めて低いと、そう言いたいわけだね?」とメガネをクイッとやる。

教室がテスト返却で騒がしくなれば、「やれやれ、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ」と一人ごちて、窓の外を眺める。

周囲の反応は、まあ、お察しの通りだ。大抵は「え?何?」という顔をされ、親切な友人だけが「ああ、うん、そうそう」と話を合わせてくれた。だが、当時の僕にはそれが快感だった。「凡人には届かぬ知性のきらめき…!」と、脳内で勝利のファンファーレを鳴らしていたのだから、救いようがない。

僕のアイデンティティがピークに達したのは、大学生になって初めて参加した合コンでのことだった。自己紹介のターンが回ってくる。僕は、この日のために用意した最高のキメ台詞を放つべく、息を吸った。

「趣味は、辞書を読むことです。言葉の源流をたどる旅は、何物にも代えがたい喜びがありまして」

ドヤ顔、120点。これで僕の知的でミステリアスな魅力に、皆がひれ伏すはずだ。

しかし、返ってきたのは、女子学生の一人が放った、あまりにも無垢で、残酷な一言だった。

「へえー!じゃあ、『ウーパールーパー』って、広辞苑に載ってますか?」

僕は凍りついた。「ウ、ウーパールーパー…?」

知らない。そんな言葉、僕の旅の航路には一度も現れなかった。僕が誇っていたのは「蓋然性」や「阿鼻叫喚」といった、いかにもな“教養ワード”ばかり。日常に潜む、生きた言葉へのアンテナが絶望的に欠けていたのだ。

「ええっと…おそらく、外来語だから…その…」

しどろもどろになる僕を、誰もが「ああ、この人、面倒くさいタイプだ」という目で見ている。僕が必死に築き上げてきた「辞書のアイデンティティ」は、一匹の両生類によって、いとも容易く叩き壊されたのだった。

あの日を境に、僕は「趣味は辞書です」と公言するのをやめた。それは敗北宣言であると同時に、ある種の卒業でもあった。

今でも、僕は時々辞書を開く。だが、もう誰かに見せるためではない。ただ純粋に、言葉の面白さを味わうために。それは、アイデンティティという重苦しい鎧を脱ぎ捨てた、静かで心地よい時間だ。

本棚の『広辞苑』は、今も変わらずそこにある。それはもう僕のアイデンティティの盾ではない。少し風変わりな趣味に熱中した、青くて、痛くて、どうしようもなく滑稽だった自分を思い出させてくれる、頼もしい旧友のような存在なのである。

ちなみに、後日こっそり調べたら、『ウーパールーパー』はちゃんと載っていた。ちくしょう。







ユングのグレートマザーは自分の母親だと気付いたって話

僕がカール・グスタフ・ユングの「元型」という概念にちょっとカブれていたのは、何を隠そう、知的に見られたいという下心以外の何物でもなかった。「いやあ、人間の深層心理にはね、人類共通のイメージの鋳型みたいなものがあってさ。それが元型(アーキタイプ)だよ」なんて、バーのカウンターでさりげなく口走っては、心の中でガッツポーズを決める、そういうイタい男だったのだ。

中でも僕のお気に入りは「グレートマザー」の元型だった。豊穣と破壊、育成と束縛、その両義的なイメージは神話的で、ロマンがあった。大地母神であり、同時に全てを呑み込む恐ろしい魔女。全ての男性の無意識に潜む、偉大にしてちょっぴり怖い母性の象徴。僕は「なるほど、普遍的無意識、ね」と一人ごちては、分かったような顔でコーヒーをすすっていた。そう、あの日までは。

その日、僕は珍しく実家に帰っていた。目的は、クローゼットの奥で眠っている学生時代の卒業アルバムを回収するため。それだけのはずだった。

「あら、あんた、痩せたんとちゃう?ちゃんと食べとんの?」

リビングのドアを開けるなり、母が発した第一声がそれだった。僕の身長と体重はここ5年、BMIの教科書に載せたいほど微動だにしていない。しかし、母の目には僕は常に餓死寸前の難民のように映るらしい。

「いや、変わらんよ。元気元気」

「元気なわけないわ、顔色が土気色やもん。はい、これ食べよし」

どーん、とテーブルに置かれたのは、巨大なタッパーにぎっしり詰め込まれた筑前煮。そして、ラップにくるまれた鮭の塩焼きが5切れ。おまけに、なぜかバナナが一房。僕はデジャヴに襲われた。この光景、先月も見た。その前もだ。僕のワンルームの小さな冷蔵庫は、母から送られてくる「生命の供給物資」で常にパンク寸前なのだ。

その時、脳裏にユングの言葉が稲妻のように閃いた。

『グレートマザーは、豊穣の象徴である。生命を与え、育む存在…』

…これか。この、頼んでもいないのに湧き出てくる食料の泉。これこそが豊穣の具現化では? 僕の母は、僕の個人的な都合や冷蔵庫の容量などお構いなしに、ただひたすらに「育成」しようとしてくる。なるほど、神話的だ。

感心している場合ではなかった。僕が卒業アルバムを探していると、母が背後からぬっと現れた。

「何探しとんの?ああ、アルバム?あんたの部屋、こないだ掃除しといたで」

「えっ」

嫌な予感がした。僕の部屋だったはずのその場所は、僕の知らないミニマリストの部屋のように変貌していた。積読(つんどく)していた本はジャンル別に整頓され、味があると思っていた映画の半券コレクションは跡形もなく消え、机の上に鎮座していた愛すべきガラクタたちは、すべて「あるべき場所」に収納されていた。

「あのさ…机の上の、あのゴジラのフィギュア…」

「ああ、あんなホコリだらけのもの!綺麗にしといたで。押し入れの天袋に入れといたわ」

天袋。それは我が家における「忘却の彼方」を意味する異次元空間だ。僕は愕然とした。僕のささやかなカオス(混沌)は、母という名の秩序の前に、いとも容易く平定されてしまったのだ。

再び、ユングが囁く。

『グレートマザーは、全てを呑み込み、支配する恐ろしい側面も持つ。それは、個の自立を阻む…』

…これだ! この「あんたのため」という大義名分のもとに行われる、有無を言わさぬ聖域への侵犯! 僕のアイデンティティの一部であったはずのガラクタたちは、母の「あるべき姿」という名の巨大な子宮に呑み込まれてしまったのだ。これはもう、神話的を通り越して、ホラーだ。

極めつけは、帰り際のことだった。

「あんた、最近どうなん?ええ人おらんの?」

出た。伝家の宝刀「ええ人おらんの?」攻撃。僕は「まあ、そのうちね」と曖昧に笑った。すると母は、僕の肩を力強く掴み、真顔でこう言った。

「お母さん、心配やわ。あんたが一人で寂しく死んだらどうしようって、夜も眠れんわ」

その瞬間、僕は悟った。

ああ、そうか。グレートマザーは、神話や文献の中にいるんじゃない。世界中の男性の無意識の奥底にいるのでもない。

今、僕の目の前で、僕の肩を鷲掴みにし、僕の孤独死を本気で憂いているこの小柄な女性こそが、僕にとっての、唯一無二の「グレートマザー」なのだ、と。

彼女は、僕に生命を与え(育成)、際限なく筑前煮を供給し(豊穣)、僕の部屋を勝手に片付け(支配)、僕の孤独死を予言して不安を煽ってくる(破壊)。肯定的な側面も、否定的な側面も、全てがこの母の中に完璧なバランスで存在している。

普遍的無意識? 元型? そんな小難しい話はどうでもよくなった。

僕の目の前にいるのは、ただひたすらにパワフルで、愛情深くて、そして最高にありがた迷惑な、僕だけの「おかん」なのだ。

「心配せんでも大丈夫やって」

僕はそう言って、バナナの房と筑前煮のタッパーを受け取った。ずしりと重い。それは、母の愛の重さであり、僕が一生かけても逃れられない、偉大なる呪縛の重さだった。

帰り道、僕はなんだか可笑しくなって一人で笑った。ユング先生、やっと分かりましたよ。僕のグレートマザーは、僕の母親でした。たぶん、世界中のほとんどの男のグレートマザーも、それぞれの母親なんじゃないですかね?知らんけど。

(おわり)



公金チューチューのやり方は甘くない

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巷で噂の「公金チューチュー」。この甘美な行為の核心は何か。俺は看破した。それは「書類」ではない、「人」だと。どんなに完璧な事業計画書も、担当者が「うーん」と首を傾げればただの紙屑。逆に、多少雑なパワポでも、有力者との間に鋼鉄の「パイプ」さえ通っていれば、それは金の卵を産むガチョウに化けるのだ。

「要は、偉い人とズブズブになればいいんだろ?」

そう結論づけた俺はノートパソコンを閉じ、一張羅のユニクロ製ジャケットを羽織った。目指すは我が愛する猫柳市に君臨する市議会のドン猫柳金造先生その人である。

まず俺は先生のSNSを徹底的に洗った。趣味はゴルフ、盆栽、そして鰻。完璧だ。俺はブックオフで『一週間でわかる盆栽入門』を買い込み、なけなしの金でゴルフクラブのハーフセットを揃えた。そして、先生が行きつけだというゴルフ練習場へ向かう。

「いやあ、猫柳先生! 奇遇ですね! 私もゴルフが趣味でして!」

練習グリーンでパターを外した先生に満面の笑みで話しかける。先生はギロリと俺を見たが「おお、そうかね」とまんざらでもない様子。チャンスだ。

「先生の盆栽SNSで拝見しました!あの松の『シャリ』の部分たまりませんなあ!」

「ほう、君も盆栽を。あのシャリのどこがいいのかね?」

来た!練習の成果を見せる時だ。

「ええと、シャリ…あの、なんて言いますか、枯れているようで生きてる、あのワビサビ感が…まるで、人生の機微というか…シャリだけに、お寿司の…」

「…君、帰りなさい」

パイプは開通するどころか、着工と同時に埋め立てられた。

めげてはいられない。次のターゲットは、市役所内部のラスボス、企画財政部の鬼瓦部長だ。武闘派で知られるが、酒には滅法弱いというタレコミを得た。俺は部長が顔を出すという駅裏の居酒屋に張り込み、カウンターで隣の席を死守した。

「部長! 一杯やらせてください! 私、地域猫の未来を憂う者でして!」

熱燗を差し出すと鬼瓦部長は「おう」と杯を空けた。これはイケる。俺はすかさず温めておいたプロジェクト「ニャンともNET」の構想を熱く語った。

「…で、この事業が軌道に乗れば猫も市民もハッピー! 税金も有効活用! まさに三方よしでして!」

鬼瓦部長は、顔を真っ赤にしながら俺の肩をバンと叩いた。

「君ぃ! その意気や良し! だがな! 公金というのは市民の汗と涙の結晶なんだぞ! 猫もいい! だがその前に、駅前の歩道の段差をどうにかせんか!あそこでうちの婆さんが転んだんだぞ!あと、公園の鳩のフン対策は!あれはもう看過できん!それからな…!」

そこから延々二時間、俺は部長の市政に対する陳情を聞かされ続けた。お会計はきっちり割り勘。俺の財布に冷たい風が吹き、パイプには部長の愚痴が詰まった。

もはや正規ルートは絶望的だ。こうなれば裏道しかない。噂をたどると一人の謎めいた人物に行き着いた。猫柳市の夜を牛耳るという、スナック「紫の煙」のママ、マダム・スミレ。市の補助金採択は、このマダムの「鶴の一声」ならぬ「スミレの一声」で決まるというのだ。

俺は震える手でスナックのドアを開けた。紫色の照明の中、カウンターの奥で紫色のドレスを着たマダムが静かに微笑んでいる。店の片隅では、三毛猫が毛づくろいをしていた。

「…というわけで、猫と市民のための事業なんです」

俺のプレゼンを聞き終えたマダムは、細い煙を吐き出し、静かに言った。

「あなた、うちのタマに好かれてないわね」

「へ?」

「猫に好かれない人に猫を救う事業は無理よ」

見ると、さっきまで寝ていたはずの猫「タマ」が、俺に向かって「シャーッ!!」と牙を剥き、全身の毛を逆立てていた。俺は猫にすらパイプを拒絶されたのだ。

ゴルフ代、手土産代、飲み代…。パイプ作りのための投資は、俺のなけなしの貯金を食いつぶした。公園で一人、カップ酒をあおる。パイプなんて、どこにもなかった。あれは、長年の信頼や実績、人間的魅力といった、俺が何一つ持っていないもので編まれた、見えない鋼のケーブルだったのだ。

「もうこりごりだ…」

俺は悟った。権力者とのパイプ作りなんてコミュ力、財力、そして運の総合格闘技だ。そんな面倒なことをするくらいなら、うちのアパートの大家のおばあちゃんと仲良くなって、「今月、家賃ちょっとまけて」とお願いする方が、よっぽど俺向きのチューチューじゃないか。

そう決意し、俺は帰り道にスーパーで「満月」という高級どら焼きを買った。まずは、一番身近な権力者から落とさねば。公金への道は、あまりにも遠かった。



ポリコレ棒を持って新宿へヤンキー狩りに出かけたら

どうにも最近、世知辛い。SNSを開けば誰かが誰かの揚げ足を取り、テレビをつければコメンテーターが眉間にシワを寄せている。多様性、インクルーシブ、サステナブル。結構なことだ。もちろん僕もそう思う。思うのだが、あまりにその「正しさ」が横行すると、なんだか無性に息が詰まる。まるで、四六時中、背後から学級委員長に「はい、論破」と囁かれているような気分だ。

そんな鬱屈した気分が最高潮に達したある日の午後、僕は閃いた。そうだ、この鬱憤を晴らすために、正義の鉄槌を下しに行こう。ステレオタイプの頂点、古き悪しき時代の象徴、すなわち「ヤンキー」を狩りに行くのだ。


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武器はもちろん「ポリコレ棒」である。これはそこらの警棒とは訳が違う。持ち手には「#多様性」と刻まれ、振りかざせば「あなたのその価値観アップデートされてますか?」という幻聴が聞こえる優れものだ。これで武装し、僕は聖地・新宿へと向かった。ヤンキーどもよ、覚悟しろ。お前たちのその時代遅れの感性を、僕が木っ端微塵に論破してやる。

土曜の午後、新宿駅東口はカオスだった。インバウンドの観光客、巨大なリュックを背負った若者、そして自撮りに励む人々。なるほど、これぞ多様性の坩堝(るつぼ)。しかし、肝心のヤンキーが見当たらない。金髪に特攻服、あるいは「天上天下唯我独尊」と刺繍されたジャージを着たような、わかりやすいアイコンはどこにもいなかった。時代は変わったのか?ヤンキーも絶滅危惧種として保護されるべき存在になったのだろうか。

諦めきれずに歌舞伎町の方面へ歩を進める。すると、いた。ドン・キホーテの前に、それっぽい集団がたむろしている。紫色のスウェットに、やたらと細い眉毛。足元は、なぜか高級ブランドのサンダルだ。これだ!これこそ僕が求めていた「狩り」の対象だ。

僕は深呼吸をし、心の中のポリコレ棒を握りしめた。ターゲットは、一番派手な金髪の男だ。彼がおもむろにタバコに火をつけ、空に向かって煙を吐き出した。完璧なシチュエーション。僕は彼らに向かって歩み寄り、練習してきた決め台詞を放った。

「あの、すみません。その、公共の場での喫煙及びポイ捨ては、条例に違反している可能性があるばかりか、受動喫煙による健康被害への配慮が欠けていると言わざるを得ません。もう少しインクルーシブな視点を持つべきではないでしょうか?」

言った。言ってやった。僕の脳内ではファンファーレが鳴り響き、ポリコレ棒が七色に輝いていた。

金髪の男は、きょとんとした顔で僕を見た。仲間たちも「え、何この人?」という顔をしている。やがて金髪の男は、吸い始めたばかりのタバコを携帯灰皿に丁寧に押し込むと、僕に向かって深々と頭を下げた。

「あ、マジすか。すんませんした。以後、気をつけます」

え?

あまりに素直な謝罪に、僕のポリコレ棒は行き場を失ってグラグラと揺れた。なんだこの展開は。逆ギレして「ああん?」とか言われるんじゃないのか。

僕が呆然としていると、彼の仲間の一人が口を開いた。

「てか、あんたのその言い方、ちょっとマイクロアグレッションじゃない?見た目で喫煙マナー悪いって決めつけて話しかけてきてるっしょ。それこそ多様性への配慮が足りなくないすか?」

…マイクロアグレッション?

僕の知らない横文字が、ヤンキー(仮)の口から飛び出した。心なしか、僕のポリコレ棒にヒビが入った気がする。

さらに別の、ピンク色の髪をした女性が追い打ちをかける。

「そうだよー。私たち、見た目はこうだけど、NPO法人立ち上げて地域の清掃ボランティアとかやってるんですけど。あと、さっきまでLGBTQ+の権利についての勉強会してたし。人は見た目じゃないって、そういうことでしょ?ダイバーシティって」

NPO法人。勉強会。ダイバーシティ。

僕の頭は完全に混乱した。彼らが話している内容は、僕が振りかざそうとしていたポリコレ棒の表面に書いてある言葉そのものじゃないか。僕のポリコレ棒は、もはや見る影もなく粉々に砕け散っていた。

金髪のリーダーは、困惑する僕の肩をポンと叩いた。

「まあまあ、あんたも正義感あっていいじゃん。見た目で損すること、俺らも多いしさ。気持ちはわかるって。よかったら、この後やる子ども食堂の手伝い、一緒にどうすか?」

子ども食堂。

その日、僕は紫色のスウェットを着た、眉毛の細い人たちと一緒に、新宿の片隅で子どもたちにカレーライスを振る舞った。彼らは見た目こそ一昔前のヤンキーだったが、その心は僕が振りかざそうとしたどんな「正しさ」よりも、ずっと温かく、そして多様性に満ちていた。

帰り道、僕はもう存在しないポリコレ棒の破片を心の中で拾い集めながら思った。本当の「ヤンキー」とは、見た目や言葉遣いなんかじゃない。他人をステレオタイプで決めつけ、一方的な正義を振りかざそうとする、その凝り固まった心そのものなのかもしれない。

だとしたら、今日、新宿で一番ヤンキーだったのは、紛れもなく僕自身だった。ああ、恥ずかしい。今度からは、ポリコレ棒なんて振り回さずに、まずは目の前の人と話すことから始めてみよう。そう思いながら、僕は雑踏の中に消えていった。もちろん、カレーの匂いをプンプンさせながら。

そうだ、もうひとつ言っておこう。僕には金髪ギャルの彼女ができた。いまは幸せだ。いま振り返るとポリコレ棒を持って新宿に行ったのはバカげていたが結果的にはハッピーエンドだ。

(おわり)


KDPで1冊も売れないからタイトルをあらすじに変えてみた

Amazon KDPのロイヤリティレポート。そこに表示された無慈悲な「0」という数字を、僕はもうかれこれ半年、毎朝の歯磨きよりも熱心に見つめ続けている。僕の魂の結晶、血と汗とエナジードリンクの滲んだ渾身の一作が、誰の目にも触れぬまま、電子の海の深淵で孤独なクジラのように漂っているのだ。

僕のデビュー作のタイトルは『月光のレクイエム』。どうです? ミステリアスで、どこか物悲しく、そして知的な香りがしませんか。内容は、退廃した近未来都市で、夜しか生きられない美貌のアンドロイド探偵が、自らの創造主を殺した犯人を追うというハードボイルドSFだ。我ながら、村上春樹の世界観にフィリップ・K・ディックのガジェット感を足して、綾辻行人のトリックで割ったような、完璧な仕上がりだと思っていた。時代が僕に追いついていない。本気でそう思っていた。

しかし、半年も売上がゼロだと、さすがの僕も己を疑い始める。いや、作品は完璧だ。問題があるとしたら、それは「入り口」に違いない。そう、タイトルだ。『月光のレクイエム』、あまりに高尚すぎたのだ。今の読者はもっと親切で、分かりやすいものを求めている。ライトノベルのタイトルを見ろ。もはやあらすじそのものではないか。

「……これだ」

ある日の深夜、レポート画面の「0」を睨みつけながら、僕の脳内に天啓が舞い降りた。そうだ、タイトルで全てを語ればいいじゃないか。読者が「え、中身どうなるの?」と迷う隙を与えなければいいのだ。

僕はすぐさまKDPの管理画面を開き、『月光のレクイエム』の編集ページに飛んだ。そして、キーボードに指を叩きつけるように、新しいタイトルを打ち込み始めた。

旧タイトル:

『月光のレクイエム』

新タイトル:

『ネオン街の片隅で美しいアンドロイド探偵が自分を創った博士殺しの犯人を追っていたら、相棒の猫型ドローンが黒幕のスパイだと判明し、しかも真犯人は博士に瓜二つの双子の弟で、最後は夕陽を背に探偵が泣きながら自分のメモリーを全消去して終わる、切なすぎるハードボイルドSF』

打ち込みながら、僕は勝利を確信していた。完璧だ。これ以上に親切なタイトルがこの世に存在するだろうか。読者はこのタイトルを読んだだけで、一編の映画を観たくらいの満足感を得られるはずだ。そして、その感動を文章で追体験したくなり、購入ボタンをポチらずにはいられなくなるに違いない。文字数制限ギリギリの、まさに芸術的マーケティング。

タイトルを更新し、自分の作品ページをうっとりと眺める。ああ、なんて分かりやすいんだ。これで印税生活も夢じゃない。僕は祝杯として、冷蔵庫に残っていた缶チューハイを開けた。

翌日。僕は震える指でレポート画面を開いた。するとどうだ。昨日まであんなに頑固だった「0」の数字が、神々しい「1」に変わっているではないか!

「う、売れたああああああ!!!」

僕は部屋で一人、ガッツポーズを繰り返した。見たか世界! 俺の戦略の勝利だ! 時代が、ようやく俺に追いついたんだ!

その日の夕方。興奮冷めやらぬ僕の元に、母親から電話がかかってきた。

「もしもし、タカシ? あんた、また変な本出したの?」

「変な本じゃない! 『月光のレクイエム』の改訂版だ!」

「タイトルが長すぎて、あんたが何か思い詰めてるんじゃないか心配になって、お母さん、思わず買っちゃったわよ」

……ん?

「でもねえ、タイトルで話が全部わかっちゃったから、もう満足しちゃって。本文はまだ読んでないの。ごめんね」

電話が切れた後、僕はしばらく呆然としていた。売上「1」の正体。それは、僕の将来を案じた母による、同情と心配が入り混じった一票だったのだ。しかも、ネタバレしすぎたせいで本文を読む気力すら奪ってしまったらしい。

再びレポート画面を開くと、そこには相変わらず「1」という数字が輝いていた。それは勝利の証ではなく、巨大な電子の海に投げ込まれた、母からの小石のような、あまりにも優しい愛の証だったのである。

僕はそっとパソコンを閉じた。次はどうしようか。著者名を「この本は、あなたのお母さんも心配して買いました」に変えてみるのは、さすがにやりすぎだろうか。売れない作家の夜は、まだまだ長い。


成功する小説家志望は余計な言葉を削る

僕には持病がある。診断名は「文章贅肉過多症候群」。小説家を志す者にとって、致命的とも言えるこの病は、パソコンの電源を入れるたびに発症する。

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症状はこうだ。まず、書きたい一文が頭に浮かぶ。「男がコーヒーを飲んだ」。シンプルでいい。だが、僕の指がキーボードに触れた瞬間、病が牙を剥く。

「そのうらぶれた酒場の重厚な樫の木のカウンター席で、人生の悲哀という名の影をその背中に深く刻み込んだ一人の孤独な男が、まるで夜の静寂そのものを凝縮したかのような漆黒の液体がなみなみと注がれた、使い古されて味のあるコーヒーカップを、ゆっくりと、ためらうように、しかし確かな手つきで持ち上げ、そっとその乾いた唇に寄せたのだった」

…書いていて眩暈がしてきた。誰だ、この男は。コーヒー一杯飲むのに、どれだけ壮大な儀式を執り行っているんだ。僕の脳内に巣食う「饒舌な悪魔」は、常にこうやって僕の文章をデコトラのように飾り立てるのだ。

「神は細部に宿る」という言葉があるが、僕の場合、細部に悪魔がぎゅうぎゅう詰めで暮らしている。

もちろん、僕だって先達の教えは学んでいる。ヘミングウェイの氷山理論、川端康成の研ぎ澄まされた簡潔さ。「成功する作家は余計な言葉を削る」――この金言をプリントアウトし、モニターの横に貼り付けている。それなのに、だ。僕の書く文章は、まるでその標語に反抗するかのように、着ぶくれしていく。

ある日、僕は決意した。今日こそ、この贅肉を削ぎ落としてやる、と。題材は「夕日」。早速、僕の中の饒舌な悪魔が囁き始める。

『燃えるような真紅の太陽が、西の稜線へとまるで名残を惜しむかのようにゆっくりと沈んでいき、空全体を壮麗なグラデーションで染め上げていた。それは、あたかも天上の画家が巨大なキャンバスに情熱の全てをぶちまけたかのような、荘厳で感動的な光景であった』

よし、書けた。我ながら、なかなかの描写だ。僕は満足げに頷きかけたが、モニター横の標語と目が合った。「――余計な言葉を削る」。

僕は鬼になった。赤ペンならぬ、赤い下線を引く鬼に。

まず、「燃えるような真紅の太陽」。夕日はだいたい赤い。「燃えるような」は、本当に必要か? 削る。

「まるで名残を惜しむかのようにゆっくりと」。太陽に感情はない。ただの物理現象だ。削る。

「壮麗なグラデーション」。まあ、そうだろうけど、もっといい言葉はないか? 保留。

「あたかも天上の画家が~」。この比喩、中学の文芸部で一回使ったやつだ。陳腐の極み。断固、削る。

「荘厳で感動的な光景」。読者がそう感じるかどうかであって、書き手が押し付けることじゃない。削る、削る!

格闘の末、僕の目の前に残ったのは、無残な骸だった。

『赤い太陽が、西の稜線へ沈み、空を染めていた』

…えらく痩せたな。さっきまでのデコトラが、今は質実剛健な軽トラだ。あまりの変わりように、僕は寂しさすら覚えた。僕の愛した美辞麗句たちは、すべて不要な脂肪だったというのか。僕が丹精込めて育てた言葉たちは、ただの雑草だったというのか。

絶望しかけたその時、ふと気づいた。

痩せた文章には、隙間がある。読者が想像を差し込むための、心地よい余白が生まれている。さっきまでの文章は、書き手の僕が「どうだ、すごいだろう!」と一方的に喋り続けているだけだった。だが、削られた文章は、読者に静かに語りかけている。

「――どう思う?」と。

それからだ。僕の中で「削る」という行為が、苦行から快感へと変わったのは。

「とても」「すごく」「本当に」といった副詞を見つけては、害虫駆除のように削除する。「〜ような」「〜みたいな」という直喩は、本当に効果的か自問し、十中八九、捨てる。一文を書き終えるたびに、「ここから何を引けるか?」と考えるようになった。それはまるで、贅肉だらけの身体を、ストイックなトレーニングで引き締めていく作業に似ていた。

もちろん、今でも饒舌な悪魔は時々顔を出す。僕の文章を、手当たり次第に着飾らせようと誘惑してくる。でも、今の僕には「削る」という名の聖剣がある。

僕は今日も書く。そして、容赦なく削る。

一行でも短く。一語でも鋭く。

必要な言葉だけを残す。

…なんてことを、これだけ長々と書いている時点で、僕の小説家への道がまだ果てしなく遠いことだけは、確かなようである。






アルファード買ってアルファオスっぽくなったらモテると思っていた

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三十路を越えたあたりからだろうか、鏡に映る自分がどうにもパッとしないことに気づいてしまった。いや、薄々気づいてはいたのだが、見て見ぬふりをしてきた。くたびれたシャツ、覇気のない眼差し。週末はもっぱら家で動画三昧。このままではいけない。何かが、圧倒的に何かが足りない。そう、それは「格」だ。男としての「格」。巷で言うところの「アルファオス」的なオーラだ。

どうすれば手っ取り早く「格」が上がるのか。筋トレ? ファッション? いや、もっとこう、一瞬で周囲を黙らせるような、分かりやすいアイコンが必要だ。俺が導き出した答え、それは「アルファード」だった。

漆黒のボディ、威圧感すら覚える巨大なフロントグリル。後部座席はファーストクラスさながらの豪華さ。あれに乗って颯爽と街に繰り出せば、俺も明日からアルファオス。選ばれし者。女性たちがうっとりと見つめる中、スライドドアが静かに開き、俺が降り立つ…完璧なシナリオだ。

なけなしの貯金を頭金に、清水の舞台から飛び降りる覚悟で契約書にハンコを押した。納車の日、ディーラーで対面した我がアルファードは、想像以上の存在感を放っていた。黒光りする巨体は、まるで黒曜石の塊。運転席に乗り込むと、視点の高さにまず驚いた。見下ろす景色。そう、これだ。これが支配者の視点か。俺はニヤリと口角を上げた。

しかし、その高揚感はディーラーの駐車場を出るまでに半分しぼんだ。

「デカい…」

思わず声が漏れた。当たり前だ、ミニバンなんだから。だが、想定の1.5倍はデカく感じる。左折一つするにも、対向車線の軽自動車が憫笑を浮かべて停止しているように見える。「お先にどうぞ」というジェスチャーが、「頑張れよ、初心者」というエールにしか聞こえない。

近所のスーパーの駐車場は、もはやラスボスダンジョンだった。白線はただの飾り。何度切り返しても、隣のクルマに威嚇射撃をしているような位置にしか停められない。冷や汗をかきながら、ようやく車を降りると、ドアを開けるスペースがほとんどない。カニ歩きで車体を傷つけないよう脱出する俺の姿は、アルファオスというよりは、巣穴から無理やり出てきた哀れな生き物だった。

「まあ、運転は慣れだ。問題は、その圧倒的な存在感がもたらす効果の方だ」

俺は気を取り直し、週末の合コンにアルファードで乗り付けた。待ち合わせ場所の洒落たカフェの前に、我が漆黒の巨体を横付けする。これには女性陣も驚くだろう。

「ごめん、待った? 車、あそこに停めてるから」

俺がスマートキーを指で回しながら言うと、女性陣は一瞬、目を丸くした。来た来た、この反応!

「え、すごーい! 大きいね!」

「これ、〇〇くんの車なの?」

よしよし、食いつきは上々だ。

「迎えに来てくれたんだ、ありがとう! 運転手さんみたいで優しいね!」

……ん? 運転手?

まあ、いい。とりあえず乗ってもらおう。自慢のパワースライドドアがウィーンと音を立てて開く。エスコートするように手を差し伸べると、彼女たちは「広ーい!」「快適ー!」と歓声を上げた。しかし、その賞賛はすべて後部座席に向けられていた。俺のいる運転席は、完全に「運転席」としてしか認識されていない。まるで、ハイヤーのドライバーだ。

会話も弾み、いい雰囲気で店に着いた。駐車場を探して再びラスボスと格闘している間に、他のメンバーはとっくに店に入って盛り上がっている。ようやく席に着くと、一人の女性がキラキラした目で聞いてきた。

「〇〇くんって、もしかしてご家族いるの? こんな大きい車、家族サービス用でしょ? 優しいんだね!」

違う。俺がアルファオスになるために買ったんだ。独身だ。誰か俺の後部座席じゃなくて、助手席に乗ってくれ。ていうか、まだ誰も助手席に座ってすらいない。

ガソリンメーターの減りは恐ろしく早く、自動車税の通知はもはや脅迫状に見える。広大な室内空間は、虚しさだけを運んでいる。先日、友人の引っ越しを手伝った際には、後部座席をフルフラットにして大量の段ボールを積んだ。その時の友人からの「お前、本当にいい奴だな!」という感謝の言葉が、一番心に響いたのは皮肉な話だ。

アルファードを買って、俺はアルファオスにはなれなかった。なれたのは、「デカい車を持て余している、引っ越しの時に便利な、やたら優しい運転手さん」だった。

この前、近所のコンビニで、小さな軽スポーツに乗った青年が、彼女と楽しそうに笑いながらアイスを選んでいるのを見かけた。その姿は、俺が夢見たアルファオスの姿よりも、ずっと眩しく見えた。

俺は今日も、一人で広すぎる運転席に座り、コンビニの駐車場でどう停めるべきか頭を悩ませている。アルファオスへの道は、どうやらアルファードの先にはなかったらしい。






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