愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

書評

この王木亡一朗を読め3♪ 『レモン/グラス』

 優れた小説は冒頭の文章が小説全体を支配する。究極的には最初の10行で読むのをやめてもかまわない。夏休みの宿題で読書感想文を書くならなおさらだ。始めに書いておこう。『レモン/グラス』の冒頭で僕と姉は毎朝京野菜を食べていると描写されている。まずはこれを憶えておいて欲しい。

 小説なら文字、映画なら時間、漫画ならコマの制約がある。それなのにあえて食事シーンがあるとしたら、それは作者の意識的にせよ、無意識にせよ何らかの意図が含まれている。その証拠に猫が屋根からさかさまに落ちる出来事はいつでもどこでも入れることが可能なのに、実際にはほとんど見かけることはない。それは猫が何の脈絡もなくさかさまに落ちることに意味が無いからであり、意味のない出来事は削られるからだ。

 もし登場人物の二人が同じ物を食べていた時、しかもそれが男女で会った時、それは恋人同士である可能性が非常に高い。おい、待てよ。母と子、あるいは父と娘の可能性は? もしくは『レモン/グラス』のように姉と弟ということもあり得る。家族が同じ物を食べるのは当たり前じゃないか。そう思っている人がいるかもしれない。確かにそれはそうだ。しかし創作物の場合、家族が同じ物を食べているのは、反抗期の中学生が家族と同じ物を同じ時間に食べることぐらいおかしなことだ。それは崩壊の前触れか、ハッピーエンドを迎える時でしかありえない。というか前者の場合は、同じ食卓についていても違う物を食べているだろう。

 結婚式では基本的にみんな同じ物を食べる。両方の父母の好みぐらいは聞くかもしれないが、出席者の一人一人にまで意見を聞くことはまずない。何故なら出席者の重みは平等ではないから。ほとんどの人は欠席しても問題ない人達だ。何らかの国際会議の食事ではベジタリアンや宗教ごとに食べ物を選べるようになっているが、残念ながらそういう会議が世界的に大きな影響力を持つことはない。二国間交流の場合は同じ物を食べる。もし食べなかったらニュースになるだろう。少なくともカメラが入る場所では同じものを食べる。

 これらのことを踏まえればデートの時に何を食べればいいかはすぐに分かる(あるいは媚を売りたい上司と食事する時でもいい)。相手と同じ物を食べればいいのだ。もし相手が食べてくれないのなら、たとえば相手がカルボナーラを頼んで、自分もカルボナーラを頼んだ時、相手が注文を変えたらそれはとってもヤバい状況だ。

 文学にそう書いてあるから現実世界でもそうなるのか? いいや、絶対にありえない。もし世界中の小説家が、牛野小雪が宝くじに当たる描写を書いても、私が宝くじに当たる可能性は天文学的に低いままだ。数学者は数式を通して世界を記述している。小説家は小説を通して世界を書いている。世界が文学を作っているのだ。この関係が逆転することはあと10000年経っても起こりえない。

「この小説はどういう意味があるんですか?」
 この質問はこうも言い換えられる。
「この世界に意味はあるんですか?」
 もし文学に意味が無いのなら世界にも意味が無い。小説から意味を掴み取れないなら人生の意味も掴み取れないし、人生の意味を掴んでいるのなら小説からも意味を掴み取れる。嘘だと思うのなら試してみて欲しい。小説家が書く書評の印象が、いかにその人の書く小説にそっくりなことか。

 さて、上に書いたように食事に注目して読もう。冒頭で二人暮らしの姉と僕は京野菜を食べているが、姉は体に悪いほどご飯に塩をかけている。つまりあやしい関係だが、姉は意図的に自分に悪い何かを吸収しているぞ、というのが1ページ目で分かってしまうのである。

 これがどういう意味を持っているのかを考えるのは作者の王木亡一朗ではなく読者のあなただ。もしかしたら世界の意味を見つけられるかもしれない。この記事を読んで、文学を読む手掛かりを見つけたと思えたのなら、最初の10行を読んでみよう。その後は燃やしてしまってもかまわない。

(おわり)

金字塔: the apex
王木亡一朗
2021-07-20






※前にnoteで読んだのとは内容が違う気がする。

※2 このブログ記事を夏休みの読書感想文に使ってもいいよ~

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この王木亡一朗を読め2♪ 『あのころ』~だれにもいいねされない私達の退屈、そして無意味さ~

 社会が意味の無いことを許さないのはこの記事の存在自体が示している。この映画は、この本はどういう意味なんですかという問いはよくあるし、それは何の意味もないなら何の価値もないということを暗に示している時もある。価値がないなら存在してはいけないということだ。

 しかしながら私達の生きている時間で、どれだけ意味のある時間、価値のある時間があるだろうか。たいていは意味も価値もない時間を過ごしているはずだ。

 有効活用されるべき時間はまだまだたくさんあるぞ。というのが社会の要請だが、全ての時間が有効活用されている人生を生きていける人がどれだけいるかあやしいものだ。

 TV、ネットでは有効活用された世界であふれていて、退屈は共有されない。人生の大半を占める無意味さ、価値のなさは誰にもいいねされないどころか、積極的に排除される。それは正しいことだ。

(もう書くことはないので、ここでおわり。こんなブログを読んでも意味はないので王木亡一朗を読め♪)

金字塔: the apex
王木亡一朗
2021-07-20


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この王木亡一朗を読め1♪ 『当てつけ』~前山田君が令和のジョーカーになれるわけねえよ、夏~

現代社会は多様性の時代だと言われているが、そんなことは嘘っぱちでせいぜい数バリエーションの人しか受け入れ先はない。腕が6本あったり、目からビームが出たり、指の間からアダマンチウムの爪が出たり、体が岩でできている人間を想定されてはいない。社会の要請する人間で無いならば、特に誰かが排除しなくても、そもそも居場所がないので、彼らは社会の力学で勝手に外側へと導かれる。

 身体能力だけでもそうなのに、心や精神でだって多様性はない。変わったキャラは『変わったキャラ』という枠を越えた途端に受け入れられなくなる。社会に存在する数バリエーションのキャラを越えた人間は静かな真空によって、社会の外側へ吸い込まれていく。人間って数パターンしかいないよな、というのはある意味では正解で、数パターンのキャラしか社会は受け入れられないからだ。内心は自由でも表現は限られている。こいつら没個性だなと思っている人も、社会の中では没個性の人間としか出現せず、そこから逃れようとしても、せいぜい『個性的』という型にハマるぐらいだ。個性的な奴が出てこないと言っている人も、本当に『個性的』な枠を越えた個性的な人が目の前に現れたら、受け入れられないことはほぼ間違いないし、認識することさえできないかもしれない。『』の中に入るのは何でもいい。それは真面目だとか、天才だとか、面白い、カッコイイ、かわいい、弱者、変態、無個性でさえ入れることが可能だ。

 直接の描写はないが前山田君は何のキャラにもなれない無能である。自尊心とお金を払ってまでいじめられっ子というキャラを社会(学校)の中に見出したが、親の金を盗まなければならないほど追いつめられた時に、つまりキャラの維持費が彼個人の裁量を越えた時に、とうとうこの世から居場所がなくなり、オサラバすることになった。

 現代社会は映画の『JOKER』と違って、銃とマレー・フランクリンが存在しないゴッサムシティだ。マレー・フランクリンみたいな人がいれば笑いものにしてくれる。一緒に笑えば居場所を得られる。もしかしたら表舞台に引き上げてくれることだってあるかもしれない。銃があれば自分を笑う奴を撃ってテロリストになればいい。しかし残念ながら社会に受け入れられない人にマレー・フランクリンは現れないし、銃、あるいはそれに準ずる力さえも手に入れることはできない。『JOKER』のアーサーだって自分の力で銃を手に入れたわけじゃないしな。『JOKER』はしょせんフィクションで、舞台装置として銃を手に入れただけだ。現実は静かに死ぬか、腐りながら生きていくしかない。

 上でも書いたように社会に受け入れられない人間は認識すらされない。前山田君にいじめられっ子というキャラが付いていた時は主人公が同情してくれたのに、自殺した理由がいじめでないと分かった途端に、前山田君はいじめられっ子というキャラから逸脱して、キャラが剝ぎ取られた無キャになってしまう。半年後もすればいじめっこの前山田君は記憶に残ったとしても、仮面が外れたむき出しの前山田君は存在していたことさえ忘れられるだろう。社会的な『』にくくられない真の無キャは『当てつけ』さえ亡きものとされてしまうのだ。

(おわり)

※前山田君が令和のジョーカーになれるわけねえよってタイトルに書いたけど、そもそもこの小説、平成に書かれた物だったので、やっぱり二重の意味でねえよ。

金字塔: the apex
王木亡一朗
2021-07-20



ジョーカー(字幕版)
ザジー・ビーツ
2019-12-06



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『天国崩壊/伊藤なむあひ』

 この小説には徹底されたものが二つある。登場人物の匿名性と、くどいほどのコマーシャル的な形容詞だ。

 登場人物は少年や母親、彼女、店長と、代名詞や血縁関係、社会的地位で表される。ミカとかYPという名前も出てくるが偽名である。

 形容詞はコマーシャル的でいかに価値があるか(あるいは無いか)をくどいぐらいに説明している。たとえばこんな具合に

汁漏れを心配する人が商品を入れるレジ袋
多目的トイレ
A5ランクの和牛焼き肉
センサーでライトがつく
100円均一の造花

✳作中では太字ではない

 これが意図的なのはYP の実況描写で明らかだ。

 まったくこの小説は資本主義的である。資本主義における人や物は画一的かつ匿名的で、いかに価値があるかラベル付けされている。牛肉にはハナコとかベーコという名前はなく、どこそこ産だとか、何とか公認だとか、作中でもあるようにA5ランクのラベルが付与されている。肉屋のおやじは誰だか知らないし、コンビニのレジが誰かも知らないし、バスの運転手だって誰かも知らない。そしてみんな交換可能な存在だ。総理大臣ぐらいなら名前を知っているが、それだって一年毎に変わる時もあった。社会にとって、かけがいのないものなど存在しないのだ。

 しかしそこで生きる人にとって自分の肉体だけはかけがえのない例外的な存在だ。作中に出てくる賢い彼女はピンサロである男と性行為すると、『接客』の手順から離れ、ミカではなくなり、「あ」という声を戸惑って出してしまう。

 さて、この小説は『天国崩壊』というだけあって、天使が出てくる。しかし天使は『アイス』という薬物か何かよく分からない物の材料にされているだけだし、天使病なんて病気は死んでしまうというのだから恐ろしい。彼らは本当に天使なのだろうか。どちらにせよ一つだけ言えることは決して天使は良いものではない。というより最後の人間達の反応を見ていれば悪いもののように思える。

 考えてみれば天使とは天国に住んでいる存在で、この世ではついぞ見たことがない。私も見たことがないし、誰かが見たという噂も聞いたことがない。天国も天使もあくまであの世のことであって、この世では存在が許されていないようだ。天使病であの世に行くというのは言い得て妙だ。しかしその天使によると、天国は崩壊してしまって、もう存在しないようだ。天使も次々と死んで最後には一人もいなくなってしまう。

 コマーシャリズムと匿名性によって神も天使も死に絶えた世界だけど、

地獄がまだ残っているぞ!

 地獄の存在は天使によって示唆されている。

 地上に残された人間達が悪魔病にかかっているのか、それとも人間病にかかっているのかのかは分からないが、健康そうに見えないのは確かだ。人間崩壊も近いように思える。人間が壊れたら、次に出てくるのは悪魔だろうか。その悪魔は人間にとって良いもの?

 一つだけ言えるのは神は死んだし、天使も死んだ。でも世界は変わっていない。人間が大いなる正午を迎えることができるかどうかはカウントダウンに委ねられた。でも個人的な意見を言わせてもらうなら、彼らはあたらしい国へ行くのではなく、待つ人達であるから行く末は暗いように思える。天使の導きもなければ、何かを志向する意志もないので、どこへも行けないだろう。もっと悪ければ地獄行き。その意味では、やっぱり『天国崩壊』という題名は良い命名だと思う。

(おわり)

天国崩壊 (隙間社電書)
伊藤なむあひ
隙間社
2019-12-14


読後に見よう









参考文献
ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)
フリードリヒ・W. ニーチェ
河出書房新社
2015-08-05



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『東京死体ランド/伊藤なむあひ』

『東京死体ランド』の世界には生者と、死体が存在する。現実の世界も同じだが、この世界の死体は生きている人間と同じように喋ったり、歩いたり、タイヤを売っていたりする。生きている人間と変わらないようだが、死体はやっぱり死体で両者には壁がある。そして死んだ人間は生き返らない。

 この物語の中では生者は珍しい存在のようだ。人だけではなく町も動物も死んでいっている。町田市は死体のリス達によって町田リス園になろうとしていて、新宿では「あんたらまだ生きているのかい」と言われるほどだ。この世界では生者が異物のような感がある。

 東京死体ランドは死体の世界の一アミューズメント施設にすぎない。それを壊しに行ったところで何になるのだろう。東京死体ランドは死体しか入れないのに、彼らはどうやって中に入るのだろう。しかし、僕たちふたりは東京死体ランドに入って、ぶっ壊しにかかり、物語の最後に主人公の僕は愉快な体験をして、将来の幸せに思いを馳せる。

 この物語はハッピーエンドなのだろうか。ハッピーかどうかで言えばハッピーだろう。でもそこはかとない儚さもある。きっとリス園のリーダーなら前歯を剥き出しにして戦いを始めるだろう。リーダーが簡単に捕まってしまうぐらいだから、リス園のリスたちはきっと無力なのだろうけれど、彼らの存在はこの世界の慰めになるだろう。

東京死体ランド (隙間社電書)
伊藤なむあひ
隙間社
2018-09-03





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