私もかなりの時間をXで費やしている。一体私は何を読んでいるのだろう。
Xのタイムラインをざっと列挙してみる
- フクロウの首がなぜ回るのか
- カクヨムのコンテスト
- エルデンリング新作発表
- 暇空茜
- イーロンマスクが何か言ってる
- AIでCGを作っている人
- AIがコードを書くことについて
- カエルと犬猫女の子の絵
- 無印良品のインナーがあったかい
- 西野カナが6年ぶりに紅白
- アイビーリーグ卒が子どもが普通の出来で、普通の人生について考えるようになる
- 人工甘味料は作れるのに人口塩味料が作れない人類を皮肉る
この可読性を文学に取り入れることができたらすごいぞ。何万字もの文章を一気に読ませるのだ。麻薬中毒者が麻薬を求めるように小説を読ませたい。でも、それってなんだ? SNSってなんだ? タイムラインに並んでいるのはお友だちじゃない。ただの他人だ。小説作法ではキャラに感情移入させろというが彼らの人間性について私はどうでもいいし、そもそも人間性どうこうと考えたことすらない。
タイムラインには起承転結もなく、三幕構成もなく、神話の構造を真似たわけでもなく、テーマもない。終わりもなければ始まりもなく、詩情はなく、格調もない。人間性は存在自体問われることもなく、どちらかといえばほめられたものではない。文学性? ないに決まってる。あそこに文学性があるなんて言うのは逆張りしたい知識人だけだ。
文章を書いている人間ならXに負けていると認めざるを得ない。村上春樹だってあの熱量では読まれていない。作者はいないが、あの構造が作り出す文章に人々は引き寄せられている。小説作法にことごとく反抗している文章なのに読まれている。おそらく正しいと思われている作法は全て疑った方がいい。なに一つ正しいことはない。人を惹きつける本当の文章法則があるはずだ。それを文体に入れることができたらポストモダンを超えた本当に新しい文学が生まれるだろう。















