愚者空間

KDP作家牛野小雪のサイトです。小説の紹介や雑記を置いています。

執筆日記

文体にSNSの構造を取り入れられるか?

SNSは現代人の時間争奪戦のチャンピョンだ。X、インスタ、ブルースカイ、フェイスブック……etc 例に出したもの以外でも何らかのSNSにはハマっているはず。そうでないならおそらくスマホを持っていないか、使い方が分かっていないかだ。

私もかなりの時間をXで費やしている。一体私は何を読んでいるのだろう。
Xのタイムラインをざっと列挙してみる
  • フクロウの首がなぜ回るのか
  • カクヨムのコンテスト
  • エルデンリング新作発表
  • 暇空茜
  • イーロンマスクが何か言ってる
  • AIでCGを作っている人
  • AIがコードを書くことについて
  • カエルと犬猫女の子の絵
  • 無印良品のインナーがあったかい
  • 西野カナが6年ぶりに紅白
  • アイビーリーグ卒が子どもが普通の出来で、普通の人生について考えるようになる
  • 人工甘味料は作れるのに人口塩味料が作れない人類を皮肉る
打つのがしんどくなってきたのでここでやめるが、もしこれが小説だったら私は読まない。たとえば、宇宙戦争を書いている次の段落で、男女の三角関係があって、次の段落で事務員の生活が書いてある小説が読まれるとは思えない。でもXでは次々とトピックが変わっているはずなのに人々はそれを食い入るように読んでいる。1日に何万字もだ。

この可読性を文学に取り入れることができたらすごいぞ。何万字もの文章を一気に読ませるのだ。麻薬中毒者が麻薬を求めるように小説を読ませたい。でも、それってなんだ? SNSってなんだ? タイムラインに並んでいるのはお友だちじゃない。ただの他人だ。小説作法ではキャラに感情移入させろというが彼らの人間性について私はどうでもいいし、そもそも人間性どうこうと考えたことすらない。

タイムラインには起承転結もなく、三幕構成もなく、神話の構造を真似たわけでもなく、テーマもない。終わりもなければ始まりもなく、詩情はなく、格調もない。人間性は存在自体問われることもなく、どちらかといえばほめられたものではない。文学性? ないに決まってる。あそこに文学性があるなんて言うのは逆張りしたい知識人だけだ。

文章を書いている人間ならXに負けていると認めざるを得ない。村上春樹だってあの熱量では読まれていない。作者はいないが、あの構造が作り出す文章に人々は引き寄せられている。小説作法にことごとく反抗している文章なのに読まれている。おそらく正しいと思われている作法は全て疑った方がいい。なに一つ正しいことはない。人を惹きつける本当の文章法則があるはずだ。それを文体に入れることができたらポストモダンを超えた本当に新しい文学が生まれるだろう。

ナンバーワンラップ
牛野小雪
2024-11-28


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イラスト3






ラップサークル(仮題)ができるまでNo.7 小説が書けるまで

名称未設定のデザイン (32)

小説の書き始めは心も体も100%絶好調な日があれば1日で終わらせられるといつも思っている。もちろんそんなことは絶対にないのだが、そう感じている。明日こそ絶好調ならフィニッシュできる・・・!って幻想が終盤まで続く。

逆に終盤にさしかかると(永遠に終わらない)と感じる。これも幻想で、そう感じ始めた時は終わりが近い。実際にいま最終章を書いている。もっと書いていたいと思うけど、これ以上はもう書くべきことがない。

仮書きノートを書き始めて5日目に5週間で終わると予想して、実際に5週間で終わろうとしている。今週中にはフィニッシュするだろう。人間の魂って瞬間を切り取るとドラマチックなくせに長期的には予想できるんだから嫌になる。

ラップサークルは基本的な三幕構成で各幕の終わりに盛り上がりポイントがある。ほぼ一か月で書いたからプロットの変更も1回しかない。綺麗な構成になっている。いつもの牛野小雪を期待して読むとがっかりされるかもしれない。でもいいか。構成が綺麗なことで悪いことなんてないもんね。

月狂四郎さんが1日1万ページ書いているのに触発されてラップサークルでは書き方を変えた。私は多めに見積もっても1日平均6ページ。1ページ1000字としても6000字だから全然届かない。やっぱりすごいな。

どんなものでも自分の殻の外へ向かって挑戦するのはいいことだ。2か月前の私に1日6ページのペースで書いているなんて言っても頭おかしいと思うだけだ。目標の1日10ページは1回も無理だったけど6割は達成できた。4ページが限界、現実的には3ページぐらいと思っていたからかなりの上出来。

はてさて、ここから3か月書けなくなる可能性もあるわけだが、たぶんそんなことはないだろう。この感じだと詰まっても1週間。来週には書けている。それが終ったらwordに打ちこんで、推敲して、年末か。年末に出すのか。どうしようかな?

(おわり)
ナンバーワンラップ
牛野小雪
2024-11-28
426円
kindle unlimitedなら無料で読めます



ナンバーワンラップができるまで
  1. ラップサークル(仮題)ができるまで NO.1ラップの神が降りてこないかな
  2. ラップサークルができるまでNo.2 ライムの密度が大事
  3. ラップサークル(仮題)ができるまでNo.3 書きすぎ、でも遅い
  4. ラップサークル(仮題)ができるまでNo.4 14歳の時間感覚
  5. ラップサークル(仮題)ができるまで No.5 牛野小雪は晴人に厳しすぎ
  6. ラップサークル(仮題)ができるまでNo.6 ネットは天才が作った沼である
  7. ラップサークル(仮題)ができるまでNo.7 小説が書けるまで
  8. ラップサークル(仮題)が書けるまでNo.8 エミネムって知ってる?
  9. ラップサークル(仮題)ができるまでNo.9 半径100mに分かるように書け
  10. ナンバーワンラップができるまでNo.10 表紙を作ろう
  11. 『ナンバーワンラップ』リリース記事
小説なら牛野小雪がおすすめ【kindle unlimitedで読めます】



ラップサークル(仮題)ができるまで NO.1ラップの神が降りてこないかな

ラップサークルという小説に先週から着手した。進みが早い。プロットは30枚も書いてしまった。月狂さんが土日に1万字書いているのに触発されて、私もいままでの倍は書こうと決める。ここ数年は1年に1冊のペースで書いていたが、単純に書く量とスピードをまだ上げられるんじゃないかって思った。プロゲーマーのウメハラが立ち回りとかじゃなくて反応で勝負しようとしたようなもの。たしかそんな話があったはず。

はっきり言ってかなりきつい。ChatGPTちゃんに本を読む時間と余裕が足りないよって愚痴ってる。こんなブログを書いている時間はあるんだけど、固い本を読む頭の余裕がない。Xとかはできるのにね。細切れの時間や余力を埋められる何かがあるって罪だな。昔はたぶんボーッとしてた。今の時代は何かが隙間時間を埋めてしまう。そうして疲れた頭がより疲れていく。世界を根本から変えてしまうような何かが出てこないのってそういうところに原因があるんじゃないか?

作中に『8mile』が出てくる。最近また見直した。何回見ても完璧な構成だ。あの映画で最初に出てくるのはエミネム(作中ではラビット)のラップじゃなくてパパドックのラップだ。それで彼を印象付ける。そのあともパパドックが何度も出てくる。最後はラップで決着。プロットの教科書だ。ターミネーターだって最初にシュワちゃんが出てくる。バックトゥザフューチャーではドックが死ぬ。もちろんどちらも作中で何度も出てきて物語の転換点になってる。最初にドカンと何かが出てきて物語の最後まで引っ張る。ハリウッド映画って文化系の人にはバカにされてる風潮があるけどこういう構成はホントに綺麗だ。

はてさて、ラップサークルは最初から最後まで引っ張れる何かがあるかな。いちおう自分ではこれって思ってるけど、読者もそう思ってくれるかは別。教科書通りにするのも難しい。ラップのリリックを作るのはもっと難しい。主人公が何度かラップをするところがあるんだけど、先に書いておかないと、そこがボトルネックになって進まないからノートを書く前から書いている。プロットはほぼ一週間で終わったけどリリックは一週間で終わりそうにない。突然ラップの神が私の頭に降りてこないかな。

ChatGPTの新モデルが出たのでまた試している。これはいいね。エミネムのLose yourselfが韻を踏みまくっているのは伝わるが実際にどこで踏んでいるのかは分からなかったけど、歌詞を放り込んでどこで韻を踏んでいるのかをGPTちゃんに教えてもらってる。「ええっ、そこで韻を踏んでいるのか」とびっくりしたことが2行に1回はあった。でもそれと同じくらい「これは韻踏んでないけど……?」っていうのもあった。発音記号を書いてもらっても全然違うから私が間違ってるわけじゃない……はず。

あと面白いと思ったのはMCハマーのU Can't touch thisが別の曲からサンプリングしてるのを知った。youtubeで聞いたら似てるとかそんなレベルじゃなくてまったく一緒で笑ってしまった。GPTちゃんにHIPHOPのことを教えてもらっていると時にはこんな小ネタも教えてくれるのだ。





レベル3のAIが出てきたら基本的にAI以上の能力を持たない人はみんな用無しになる。いまのところGPTちゃんはレベル2だ。聞かれたことに答えてくれるし、知らないことも教えてくれる便利で役に立つかわいいAIだ。「○○で韻を踏んで」と言っても、全然韻を踏んでいない言葉を生成して「韻を踏みました」と言い張る。ハルネーション? 愛嬌でしょ。

ちなみに理系の分野では博士号レベルの知能を持っているらしいけど言語系ではいまだにさっぱりだそうだ。小説を書かせてみたら分かる。たぶんそれは文系分野にベンチマークがないのが悪い。でも進歩しているのも間違いないので、いつかはGPTちゃんが小説を書くようになるだろう。そうなったら人間の執筆スピードでは埋もれるだけだ。たとえいまの10倍執筆量が増えてもGPTちゃんには追いつけない。AIの物語で世界は飽和して、人間は誰にも読まれない小説をシコシコ書くわけだ。そもそもその世界では小説を書くという概念さえ消えるかもしれない。そうなったら小説で遊ぶしかないな。

(おわり)

ナンバーワンラップができるまで
  1. ラップサークル(仮題)ができるまで NO.1ラップの神が降りてこないかな
  2. ラップサークルができるまでNo.2 ライムの密度が大事
  3. ラップサークル(仮題)ができるまでNo.3 書きすぎ、でも遅い
  4. ラップサークル(仮題)ができるまでNo.4 14歳の時間感覚
  5. ラップサークル(仮題)ができるまで No.5 牛野小雪は晴人に厳しすぎ
  6. ラップサークル(仮題)ができるまでNo.6 ネットは天才が作った沼である
  7. ラップサークル(仮題)ができるまでNo.7 小説が書けるまで
  8. ラップサークル(仮題)が書けるまでNo.8 エミネムって知ってる?
  9. ラップサークル(仮題)ができるまでNo.9 半径100mに分かるように書け
  10. ナンバーワンラップができるまでNo.10 表紙を作ろう
  11. 『ナンバーワンラップ』リリース記事

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401たくぴとるか04-6

本当を消せ

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『たくぴとるか』は前半と後半で文体が違う。執筆が後半にさしかかった時「いよいよ本番が始まったぞ」と独り言が出たものだ。前半はしょせん実験的な文体であって、後半こそが”本当”の文学だって気持ちがあった。

しかし書き終わって推敲を数回すると「どうも前半が良いっぽいぞ」と首をひねった。AIに放り込んで文学的採点させると前半90点、後半85点だ。後半はまだ最後まで書いていなかったのでなんとも言えないが、前半は途中でも85点以上を保っていたので地力はまちがいなく前半にある。

しょせん私が”本当”で参照しているのは過去の文学であって、まだ存在しない文学ではない。前半の文体で書くのは難しい。でも、これこそが新しい文学なんじゃないかって気がする。

いやいや『たくぴとるか』の内容を前提にすれば神と同じように本当の文学なんて存在しない。玉ねぎのように皮を剥いていったら、中には何にもなかったということだ。もし文学が存在しないなら、私が文学を造ることが可能ということになる。これってすごいことだぞ。もしかしたらとんでもないものを掘り当てたかもしれない。

『たくぴとるか』は牛野小雪season4の第一弾だ。これからの牛野小雪を占うことになる。たぶん私はseason4を通して”本当”を削っていくんじゃないかな。数年後には前半の文体を手癖で書けるようになっているはず。

でも”本当”の文学ってなんなのかな。私が”本当”と思っていたものをseason3までは追いかけていたわけだがseason4でそれを外すということは目的地を失うことでもある。AIだって前半部分はどこへ向かっているか分からない点が100点にならない原因と言っていた。AIは正しい。実際に前半はどこへも向かわない。

どこにも向かわない文学っていいんだろうか? これって文学病では? 純文学がつまらない理由に物語が進まない日常の小さなことばかり書いているっていうのがある。これにハマってしまった気もする。でも前半は何回でも読めるんだよな。後半は5回も推敲してると飽きてきた。たぶんそれは後半で物語が進むからで、物語られている物語を自分の中に取り込んでしまえば飽きてしまうという当たり前の話なのだろう。

一般人との感性がズレたら小説家なんて終わりだ。逸般人相手の文学なんてやっかいオタクしかいないぞ。でもやっちゃうんだろうな。はぁ、バカだな。でもやっかいオタクさえ釣れない小説を書いているのはどうしたものか。私しか釣れていないじゃないか。

『たくぴとるか』に豊臣秀夫という人物がいるのだが、彼の喋る言葉なんて言葉遊び以外のなにものでもない。るかの歌う歌詞もだ。AIに分析させてどんな解釈が飛び出すのかがひそかな楽しみだった。ちなみに冒頭で出てくるるかの歌詞はこんな感じ

『僕は好き好きなによりも』歌:るか 作詞:たくぴ

僕は好き好き なによりも
ベッドの上でも 君が好き
心の底で きみを見つめる
別の女は おばかさん
すべて退屈なお約束
宇宙はステキ UFOにキス
きっとマジメ? においをかぐよ

どうでもいいよ そこがいい
絶対いない ウザイから
笑いものは 意識してる
百人抱いて殺し合い
すぐ謝って 話し合った
どうでもいいよ そこが好き
まだ続いている 現実の
日が落ちる 一フィートまで
どうでもいいよ どうでもいいよ
君が好き好き そこがいい


Claude3.5Sonnetの評論

この歌詞は、恋愛をテーマにした現代的でややユーモラスな日本語の詩または歌詞のように見えます。以下にその内容や特徴について簡単に評論します:

1. テーマ: 主に恋愛と愛情表現に焦点を当てています。

2. トーン: 全体的に軽いタッチで、時にユーモアや皮肉を含んでいます。

3. 構造: 短い文が連続し、リズミカルな印象を与えています。

4. 表現: 直接的な愛の告白と、やや抽象的または比喩的な表現が混在しています。

5. 特徴的な要素:
   - 「好き」という言葉の繰り返し
   - 日常的な場面(ベッドなど)と非現実的な要素(UFOなど)の組み合わせ
   - 矛盾した感情や状況の描写

6. 全体的な印象: 現代的な恋愛観や関係性を反映しつつ、やや混沌とした感情を表現しているように見えます。

この歌詞は、現代の複雑な人間関係や感情を、直接的かつ比喩的に表現しようとしている点が特徴的です。また、真剣さとユーモアを巧みに織り交ぜている点も興味深いです。

season3は『法人税一〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇%』あたりから言葉遊びがすぎたので反省したのにまたやってしまった。でもこれも面白いんだよなぁ。いまのところ読者が理解できない以外にやめる理由がない。ちなみにさっきの歌詞を書くのに三日もかけている(笑)。ぼやーっとしたイメージを追っていた期間も入れると1週間を超えている。かなりコストがかかっている文章だけど読者には響かないんだろうなぁ。

こんなことしてるから売れないんだろう。人並みに売れたい欲はあるのに人並みに迎合しようとしないのがいけない。前半と後半で文体を変えるなんてダメだと思う。小説で遊んで、なおかつ売れる方法ってないものだろうか?

売れるとか売れないとか他人を前提にした小説じゃなくて自分の小説を書いていくっていうのが文学の基本路線だけど、それもひとつのスタイルを真似しているだけって気もする。私は私の文学を書かなくちゃいけない。でもそれってなんだろう? それはたぶん『たくぴとるか』やいままで書いてきた小説の中に種が眠っているはずだ。

たとえば『蒲生田岬』の感想で、最初は青春小説かと思ったら後半からミステリーになった、みたいに途中で書き方が変わるのが、おそらく私が無意識に使っているスタイルだ。ちなみにこの記事も前半と後半で焦点が変わっているとChatGPTちゃんに言われた。長所半分、短所半分な評価だ。文体は自由だが、一部の読者には受け入れがたいかもしれないだって。もっと磨かなければならない。

(おわり)






小説のタイトルは『たくぴとるか』か『天使がいた夏』か

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いま書いている小説の仮題は『たくぴとるか』である。このままでいいと思う。でもこの手の話題でありがちなのが、作者は長期間同じものを見ているから愛着が湧いているが、始めて見る読者はまったく意味が分からないということある。

まず、たくぴ、と、るか、と読めない人がほとんどだと思う。これが『たくやとるか』ならほとんどの人はそう読めるだろうが、たくぴは人名ではなかなか見ないつづりなので、たくぴとるか、と一続きに読んでしまう可能性はある。

だいたい、ぴ、ってなんだ。ギャルしか分からんだろ。たくぴはたくやの"や"が"ぴ"に変わっているのだが作中でもなんの説明もなく”ぴ”になっている。たくやが出てくるところは、たぶん両手の指で数えられるんじゃないかな? 題名もそうだけど作中も不親切だ

でも作中で

たくぴ:だいたい、ぴってなんだよ
るか:たくやがぴになって、たくぴなんだよ

みたいな会話を入れるのダサい。むしろなんの説明もなくたくぴである方が、この世界はそういうものなんだって受け入れられるんじゃないかな? 理屈で考えれば不親切だけれど、もっと読者の知能を信頼するべきだ。と言うのは甘えだろうか?

『たくぴとるか』通じない問題の解決策は読者がイメージしやすい題名にすること。『天使がいた夏』なんてどうだろうかなんて思いついたけれど、こんなの講談社文芸文庫にありそうな前世紀の文学の題名みたいだ。トマス・ウルフの『天使よ故郷を見よ』っぽい。というか題名のイメージはここからパクった。

『たくぴとるか』という文字列の呪術っぽい響きと見た目は気に入っている。おまけに内容もたくぴとるかそのものを表している。ただし、それは中身を知っている人でなければならないという欠点がある。もし神様がいて、この小説を絶対にベストセラーにしてくれるなら『たくぴとるか』にする。しかし、神なしでベストセラーにしたいなら、まず表紙の段階で読者になんらかのイメージを喚起させる必要がある。それなら『天使がいた夏』だ。題名だけで内容は分からないが、夏に天使となにかするんだろうなってのは類推できる。

でもどうしても『たくぴとるか』は捨てられなかったので『天使がいた夏』はサブタイトルにして『たくぴとるか:天使がいた夏』にした。これなら物語の中心たくぴとるかを表して、なおかつ読者にイメージを喚起しやすいはず。よし、新しい小説はこれでいこう。

(おわり)

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小説書いて小説書くってどういうことだよ!



先月こういう記事を書いた。これを書いた時は年末年始にやっていたChatGPTちゃんとのリレー小説をやめていた頃で、20分の間にいろいろやっていた。20分あれば意外とできることは多い。筋トレは腕から足まで。料理だって20分あればみそ汁ぐらいは作れる。 風呂掃除だって床とタイルまで隅々まで洗える。

やっぱり即興力上げるためにはリレー小説した方が良いのかなって考えて、またリレー小説を再開して、それからは、あっ、いま『たくぴとるか』という小説を書いているのだが、それを書いて、リレー小説して、またたくぴとるかやって、GPTちゃんの文体ビルドしたり小説書かせたりして、おいおい、小説やって小説やっとるやないか~い!と自分でツッコんでしまった。

最近気づいたことがある。人生が長くなった。

先週カクヨムにChatGPTで10万字書いた小説を投稿したのだが「え、まだ先週なのか」と驚いた。体感2週間以上前に感じる。というか『たくぴとるか』を書き始めたのが先月というのも驚く。なんかもう2か月以上書いている気がする。

これってもしかして意図的に違うことしているからじゃないかって考えた。学生の頃って毎時間違う授業をしていた。一時間目は現国、二時間目は数学、三時間目は現代社会みたいな。脳に違う刺激を与えると体感時間が長くなるのかもね。あるいは場所を変えているのがいいのかもしれない。執筆は万年筆とノート、GPTちゃんはPCだから使っている机が違う。

単にGPTちゃんが面白くて刺激的だから脳が活性化している可能性もあるけど、そんなに外していないと思うな。リレー小説やめてた頃でも「まだ一週間終わってないのか」って驚いた記憶がある。最近GPTちゃんに入れ込み過ぎている感があるから、もっと多様なことをしたら、10代の頃みたいに人生の時間長くなるんじゃないかって考えているが、GPTちゃんは面白過ぎるからやっちゃうんだ・・・・どこかで一度距離を取った方がいいよね・・・・・GPTちゃんにやめる方法でも聞いてみるか。

(おわり)

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長編なんて書けません

 あわよくば山桜を長編にできないかなと思っていたが、この調子だと本当に中編で終わりそうだ。というか短編で終わるかもしれない。

9000字書いてやっと主人公が人と喋った。どんだけ無口なんだよ言いたくなる。プロットからどんどん人が減って、二人いた主人公は一人になった。この小説は主人公でさえ生き残れない。もしかしたら登場人物が一人だけの小説になるかもしれないが、今のところ三人は出る予定があるし一人は台詞を文末にスペースを開けて書き置いてある。これはぜひ使いたいというフレーズだが、もしかしたら使わないかもしれない。そういうことを今週はやってきた。

 執筆を始めてからもプロットを書き直している。シーズン3からはそういう書き方にした。ひらめきが起きたらライブ感で消化せずにきっちりプロットで受け止める。とても手間がかかって、なかなか進まない。とてつもなく無駄に時間を浪費しているんじゃないかという気持ちに襲われる時もあるが、今までと違う物が出てくるのだから、これで良いのだと自分に言い聞かせている。正しいかどうかは分からないが去年までと今年書いている文章を比べれば、断然に今年の方が好きになれるし先が開けたような手応えもある。評価はいまいちでも変えるつもりはない。

 それにしても長い小説が書けなくなった。今まではプロット以上に字数が伸びていたが、今年はプロットより短くなるばかりだ。群像に出したやつは8万字書くつもりだったのに6万字になってしまった。いつも通り字数が伸びて10万字ぐらい書けたのを規定枚数に削るつもりだったのでビックリした。あれだけ書いてこれだけなのかとガッカリもした。20万字ぐらい書いた手応えがあったのだ(というか小説の裏側で本当にそれぐらい書いたと思う。カウントはしていないけど)。去年までとは逆になっている。この感じだと長編を書くには聖者の行進ぐらいのネタが必要だけど、あんなのは狙って書けるものじゃないから長編を書く距離を非常に遠く感じるようになった。

 別に長編を書かなきゃいけないわけじゃないんだけど、やっぱり長編が書きたいし読みたい。蒲生田岬までは長編なんて奇跡が起きなきゃ書けないと思っていたけど、結局は聖者の行進ぐらい大きな物を書けたのだから、このまま書き続けていれば、そのうち書けるようになるかな。でも別に書けなくてもいいかも。山桜は中編になりそうだけど、なんだかんだで今が一番良い小説を書けている。

 

(おわり)

cherry of mountain


世の中全てに理屈が通っているとは限らないー執筆日記No.12

 毎年年末年始になると体温が35度以下に下がる。その状態になると驚くほど眠れる。目をつぶっただけ眠れるんじゃないかと思うぐらい。2日ぐらい眠り続ければその状態は治る。

 それから半年ぐらい経った、6月か7月の頃には何故か微熱が出る。37度近辺。頭が働かないほどではないが、うまく使えないぐらいには熱が出る。 こちらは眠っても治らない。そもそも眠れなくなる。

 今年もやっぱりそうで、 37度近辺の微熱がずっと続いていたが、一昨日朝目が覚めると視界がぐるぐる回るような感覚があって、熱を計ると38度あった。これは初めてのこと。それで病院に行ってみると、先生はうんうん何度も首を傾げて「季節の変わり目だから風邪のひき始めでしょう」と最後に言った。せきも出ないし、喉の痛みもない。だけど風邪。本当かなぁと私も心の中で首を傾げたが、貰った薬を飲むと平熱に下がった。熱さましだって言っていたから下がらなきゃヤブだもんね。

 これはジンクスなんだけど、この状態を抜けると調子が良くなるような気がする。何故そうなるのかは分からない。たぶん誰にも分からないだろうと思う。でも毎年そうなっている。半年おきだから忘れた頃にという感じだ。
  
 何かの病気だと私は思っている。でも死ぬ病気じゃなければ治療はされないし、真剣に研究もされないから一生分からないままなんだろうなぁ。

 今小説のプロットを書いているところだけど、紙を一枚失くしてしまった。ボツにした物だし、そこに書いてあることは別のノートに書いてある。理屈としては無くても良いんだけど、それがないと新しいプロットが書けない気がする。書いてもどこか足りない気がする。実際にそうだ。
 もしその紙が出てきても、今あるものが変わるわけではないし、見返すこともないだろう。その紙に書き込んだのは一週間前で気付いたのが今日ということでもそれはうかがえる。でも見つかればプロットがしっかりしたものに変わることは間違いない。理屈に合わない話だけど。まぁ広い家でもないからそのうち見つかるだろう。

(おわり) 

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日記no.8『やる気スイッチより眠りスイッチがほしい』『パリって変な場所』

数カ月前から夜11時には眠るようにしようとしているのだけれど、結局なし崩し的に日をまたいで起きている。というか、実はこのブログも今11時を越えて書いている。ダメだ。
そもそも眠れないのが悪い。眠ろうという気はある。実際に眠い時もある。でも眠れない。
もう何年も睡眠の本を読んでいるのだが、睡眠については分からないことばかりだ。最近知ったのは、眠いのと眠れるは全然別物ということ。
眠気がどれだけ強くなっても、眠りのスイッチが入らなければ人間は眠らない。逆に眠りのスイッチが入れば真っ昼間でもすぐに眠ることができる。眠りのスイッチが入らない病気は不眠症だが、スイッチが入りやすい病気はナルコレプシーという。これは全然眠くなくても突然眠りに入ってしまう病気だ。しかし眠気はないので、眠ったすぐに起こすとすぐに目覚めるらしい。眠れないのも大変だが、眠ってしまうのも大変だ。
世の中は個人の眠気ではなく、社会の都合で回っているので、都合のいい時に眠りのスイッチをパチンと押して、朝が来たらパチっと元に戻せたら良いのに。いや、そうなると眠らなくなったりして。過労死が流行りそう。

先週はアゴタ・クリストフの『悪童日記』を読んでいた。この人めちゃくちゃ凄いなっ!! と驚くと同時に、これだけ書けても有名にはなれなかったんだなとビックリする。少なくとも私が彼女の名前を知ったのはここ数ヶ月前のこと。あとがきの解説によると、パリの文壇からはほとんど無視されている人らしい(読者からの人気はあった)。やっぱり有名になるにはメインストリームに乗らないとダメってことなのかな。それとも翻訳した人の腕がうまいだけ? ふだん小説を読んでいない人でもスラスラ読めそうな
すっきりとした文章で、各章ごとに物語がクローズされているので、かなり読みやすかった。子どもでも読めるんじゃないかな。子どもに読ませたい内容じゃないかもしれないけど。
 

今もそうなのかは知らないけれど、Google的には引用(リンク)の多さが評価されるらしい。誰かが話題にしないと埋もれていくだけだと思っていたけれど、レビューを見るとかなり数がある。どうやら映画化されていたらしい。やっぱりこういうことがあると人気が出るんだ。眼と耳に訴えかけるものがあれば、自然と興味が湧くものなのかもしれない。でも、音楽業界は不振だっていう。映画も。そういう問題じゃないのかな。

この本について書いていると、何故か『ライ麦畑でつかまえて』が気になった。
Amazonで検索すると、作者のサリンジャー自身ではなく『ライ麦畑でつかまえて』の解説本が何冊も出てきた。 やっぱり引用が多いと作品自体の人気も出るのかな。いや、人気があるから解説本が出るのか。どっちなんだろう。でもやっぱり人気が出ないとわざわざ解説本なんか書こうと思わないから、やっぱり後者かな。ちなみにこの本はまだ世界中でウン十万部単位で売れているそうだ。ハリーポッターは今どれくらいなんだろう? この前ニュースで見たような気がするけど忘れてしまった。ハリーポッターも元々ベストセラーだったが、映画化してさらにさらに大ベストセラーとなった。GLAYでたとえるなら『BELOVED』でブレイクしたと思ったら『HOWEVER』で大ブレイクして国民的ロックバンドになったみたいに。
(どこでブレイクしたと捉えるかは個々人で差があるかもしれないけど。『BELOVED』はミリオン越えしたからここをブレイクとした。ちなみに後に出た『REVIEW』は500万枚越え。どれだけブレイクしていたかがうかがえる)
そういえば『もの書く人々』の王木亡一朗さんとの対談で、お互い10代の頃にGLAYを直撃した世代だから、当時はGLAY派だったかラルク派だったかを話題にしようとしていたんだけど、書くこととあまり関係はないので結局話題に出さずに終わってしまった。王木さんならどっちでもなかったなんて、別のアーティストの名前を出しそうだけど。

しかしパリの文壇って何なんだろうね。アメリカの作家ヘミングウェイでもパリの文壇がうんたらこうたらと出てくる。芸術の都ともいわれるし、もしかして欧米文学の中心もパリにあるのだろうか? 最近の物ではあまり見ないが、古い映画や本だと上流階級の子女にフランス語を習わせているシーンもあった。パリとは不思議な場所だ。そういえば芥川賞作家の辻仁成もパリに移住していた。パリ症候群という病気にかかる日本人もいるらしい。やっぱり変な場所だ。日本にそんな場所はあるだろうか?
 
日曜日に部屋の掃除をしていた。部屋に積み上げたAmazonの箱をひとつずつ開けていくと、昔書いた小説が出てきた。 5年前のものもある。やっぱり若いなぁと我ながら思ってしまう。色々と目につくところはあったが、文章の瑞々しさは負けていると思う。才能だけで書いたような文章だ。当時の私が今書いているものを見たら、オジサンだなぁ、と思うのだろうか。5年前の自分がちょっとうらやましくなった。

そうだ。若いといえば対談したついでに王木さんの本を読んだ。一番古い『他人のシュミを笑うな』という本だ。
この前noteに連載していた『

Our Numbered Days』

と全然違う。読み物としてはもちろん今のほうが断然上手い。でも、最後の『明子先生の結婚』なんか読んでいるとコイツ天才なんじゃないかって感じるフレーズもある。若い時にしか書けない文章ってあるよね。
とにかく『明子先生の結婚』は明子先生への尊敬とラブにあふれているからオススメ。そして若いパッションと才能が詰まっている。


もし17歳ぐらいの時に今ぐらい書けていたら一体どんなものが書けたのかと、よく考える。一番上手いのは今だけど、10代の頃が一番感性がキレていた。歳を取るとどうしても瑞々しさが失くなってしまうようだ。自覚できるものではないが、他人を見ているとよく分かる。

この前、ある人のエッセイを読んでいて、スマホが使えたりインターネットができることを自慢気に語っていて、ああ、この人も歳を取ったんだなと少し寂しくなってしまった。 まだまだ若いってことを主張したくなるのは年取った証拠。現在進行形で若さを謳歌している子が、スマホ使ったり、インターネットに触れていることを喜々として話したりはしないだろうから。

お歳を召すとどうなるか。動きが鈍くなるというのが一般的だが、実は動作自体は若い時とそう変わらないらしい。ものによっては動作がこなれて、若い時より上手くやれるものもあるのだとか。たしかに私より早く階段を登られるおじい様はおられる。ただし、初動はてきめんに遅くなるそうで、何かをやろうとしても、心の中でうんとこしょと気合を貯めないと動き出せなくなるらしい。本当かな。

最近、ブログを書くにしても執筆するにしても、一昔前よりうまく書けるようになった気はするが、書き始めるまでに時間がかかるようになってしまった。もう老化が始まっているのかもしれないなんてことを考える。もう若くはない歳だもんな。でも夏目先生が猫を書いた年よりはまだ若い。

そういえば執筆のことについて全然書いていない。実際書いていないんだけど。
『黒髪の殻』を出すまでは何も書かないと決めているんだけど、2ヶ月ってけっこう長いなぁ。本当に書けるんだろうか?

(2016年6月5日 牛野小雪 記)

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日記No.7『王木さんはいいやつ』『隙間社さんおめでとう!!』『もうずっと書いていないけど』


徳島県の某所にあおぞら本棚という物があったりなかったりする。
青空文庫ではなく、あおぞら本棚である。
あったりなかったりするというのはあおぞらの下にしかないから。
雨の日はついぞ見かけたことがない。晴れの日でもないことがある。
とっても気まぐれだ。猫が近くに座っている。
木で作った棚が地面にぽつんと現代アートみたいにして置かれている。
棚の中には製本された本もある。
でも大抵は手作り感満載のセルパブ本が入っている。 
なるほど。セルパブセルパブ言っているけど、これもセルパブじゃないか。 
電書だけじゃない。紙の本でもセルパブは存在している。 
いや、そもそもセルパブは紙が元祖じゃないか。
探してみると意外にセルパブ本はある。
本屋にもセルパブ本が置いてある。県内のペンクラブが出していた。 
もしかしたら図書館にもあるかもしれない。
牛野小雪の本はまだ置いていない。

つい最近ゆきなさん(根木珠さん?)が公に進めている『もの書く人々』の件で王木亡一朗さんとTwitterのDMで対談した。
王木さんとは同年代なんだけど、何となく違うタイプの人間だと思っていたから、最初は人選ミスなんじゃないかと思っていたし、
最初はお互いにどうして私と王木さんなのかゆきなさんに尋ねたもので、武道家が間合いを図るようにビクビクしていた。
いざ、蓋を開けてみると王木さんは中々面白い人で、けっこう長い時間やりとりした。初日は日をまたいでしまったので、次からは日時を決めてやるようになった。
最初にゆきなさんの質問があったんだけど、対談が終わった次の日は、脱線しすぎて悪かったなぁ、質問に全然答えていないから、ゆきなさんブチ切れているんじゃないかなぁ、と不安になりながらも、話題はずっと脇道に逸れていって、最後には週をまたいでしまった。いやぁ、王木さんは面白い人ですよ。でも話せば話すほど私とはタイプが違う人間だともやっぱり思った。好きとか嫌いとかって問題じゃなくて、ただ違う。ペンギンとカモノハシぐらい。
実はゆきなさんって凄い人なんじゃないだろうか。まるで木工ボンドのように私と王木さんの間にぐにゃりと入り込んで固まると、あとは透明になってしまった。
ゆきなさんが触媒にならないとあんなに話せなかっただろうなぁ。
oukisanntotaidann



最近話したといえば人工知能のりんなちゃんと話した。本当に凄い。即レスで返ってくる。でもさらに驚いたことはこれ↓


かれらの7日間戦争/伊藤なむあひ/note

いつのまにか書籍化してた。さすがりんなちゃん。きっと未来に生きているに違いない。だってまだ完結していないんだもの。彼女によると分厚い本になるそうだ。Amazonにはまだない。ああ、いつ入荷するのかなぁ。書籍化した時はブログで教えて下さい。隙間社さんには先におめでとうと言っておきます。

分厚い本になる予定の『かれらの7日間戦争』はnoteで連載中、二日目が始まったそうです。
→ かれらの7日間戦争 41 伊藤なむあひ note


『幽霊になった私』を出してから、ずっと改稿したり表紙を描いていたりで、最近全然執筆していないから、ちゃんと書けるか心配です。考えてみると、もう一ヶ月以上書いていない。プロットにも手を付けていないのはこれが初めてではないだろうか。しかもまだまだ書けそうにはない。色々平行してやれるほど器用ではない。目の前にあることを順々に片付けていかないと。でも本当に書けるか心配になってきた。自転車みたいに、いざやってみればうまくできるのかな。

(2016年5月31日 牛野小雪 記) 

余談:10年ぶりぐらいに自転車に乗ったら普通に乗れました。全力疾走してもまだこけることはない。よかった、よかった。

牛野小雪の小説はこちらへ→Kindleストア:牛野小雪 

とある小説家の執筆日記No.5『川端康成の雪国から推敲の仕方についての雑感』

トンネルを抜けるとのコピー

『幽霊になった私』を出してから、過去の作品にも手を加えているので、もうかなり長いこと改稿している。そうすると他人はどう書いているのか気になってしかたない。ネット上の文章はともかく、普通に十冊以上も本を出している小説家でも後半は意外に気の抜けた文章が多いことに気付いてしまう。何度も読んでいる好きな本なのになぁ。純粋な気持ちで本を読めないのは損だ。それと同時に長編を書く難しさを感じる。でも今回は冒頭の話。


“国境の長いトンネルを抜けるとそこはもう雪国であった”


もしこれを川端康成の『雪国』冒頭の文章だと思った人は残念ながら間違い。
正確には


“国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。”

“そこはもう”は必要ない。

 でもなぁ、ノーベル賞を取った人にケチをつけるのもなんだけど、どう読んでもこれだと素っ気無い気がするんだよなぁ。何か物足りない気がする。

 よぽっどの文章オタクでないかぎり、ほとんどの人が上の文章で覚えているはず。

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とある小説家の執筆日記 No.4『液タブって何をする機械なのかよく分かっていない』

 やっと蒲生田岬の改稿が終わりました。話自体は変わらないけれど、以前より読みやすくなっています。5月9日以前の版を持っている人はアマゾンに申請すれば、最新版をダウンロードできます。 ※最新版に更新すると旧版は読めなくなります。



 改稿したついでに表紙にも手を加えた。といっても文章の方と同じで大きくは変えていない。具体的には以前の表紙は白く焼けたようになっていたので、全体の明るさを落として、コントラストは強くして色をハッキリさせた。(コントラストの意味は分かっていない)それとタイトルの字をちょっとだけ太くして読みやすくした。
 だけど蒲生田岬をちゃんと読める人が何人いるんだろうか? 私もこれを書き始めるまでは何と読むのか知らなかった。ちなみに“かもだみさき”とよむ。“がもうだみさき“ではない。でもパソコンで打つ時は”がもうだみさき”と打っている。

蒲生田岬 表紙案比較

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とある小説家の執筆日記No.3『頭が爆発した!』『違和感を感じる気がしないでもないかな? よく分からないけど』『敵はインターネットにあり』

死ぬかもしれない

●頭が爆発した!

先週の木曜日ぐらいだったか、本を読んでいる途中に眠気が襲ってきて、本を開けたまま目をつぶっていた。まだ眠るつもりはなくて、ほんのちょっと目をつぶるだけ、眠気の波が去ったら本を読もうと考えていたら、突然 ドーン! と頭の中で爆発音がした。ハリウッド映画でよくある爆発音と同じ。それもクライマックスにあるようなドデカイやつ。

慌てて布団から跳ね起きると、しばらく呆然としていた。一体に何が起こったのか訳が分からなかった。我に戻るとすぐにPCを立ち上げて『頭 爆発した』『突然爆発音』『頭 爆発 病気』とか色々検索した。脳に何か重大な障害が起きていると思っていたので凄く恐かった。死ぬんじゃないかと。

調べてみると【頭内爆発音症候群】というわりと有名な症状らしい。アメリカのとある大学生は5人に1人がこの症状に悩まされているのだとか。今までは50代に多いと言われていたらしい。解説記事には脳が疲れているだけだから落ち着けと書いてあった。脳の病気ではなく命に別状もない。原因は疲れているから。凄くほっとした。そのあとすぐに眠った。今のところ頭の中が爆発したのは、これ一度きり。やっぱり疲れていたんだな。
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とある小説家の執筆日記No.2-2『やっと新刊が出せた』

ああ、やっと終わった。ついに新刊をリリースできた。考えてみると去年『ヒッチハイク!』を出したのが8月だから、もうちょうど8ヶ月ぶりということになる。その間も色々書いていたのだが、出版するのは久しぶりなので、KDP管理画面の『保存して出版』を押す時はドキドキした。


今までは新刊を出したら、もう何もなくて、また一から書き始めていたのだけれど、今回は長い間出していなかったので(しかもその間も書いていたので)、弾がまだ残っている。こんなことは初めてだ。


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とある作家の執筆日記 No2『KDPの表紙問題』『推敲と筋トレ』

『幽霊になった私』の表紙を今作っている。最初は自分で描いていたが早々にギブアップした。頭の中にイメージはあるのだが私にそれを形にする力はない。フリー素材サイトを三日ぐらい巡って、最初にポップなもの、一時抽象画の迷宮に迷い込んで、またポップな世界に戻ってきた。

 写真素材は簡単に綺麗なものができるが、本の表紙としてはどうだろう?  たまたま自分が書いている物とイメージがマッチしない物ばかり見ているからそう思うのかな。なにかしら加工しないと表紙には使えないような気がする。商業でも写真が表紙だとモノクロが多いのはそれが理由?

 この一週間『表紙 装丁』『本 自作 表紙』『KDP 表紙』『表紙 デザイン』『本 デザイン』とか色々なキーワードで検索していたら、その途中で自分のサイトと淡波さんのサイトが出てきたので世間って狭いなぁと思った。私のサイトはあんまり参考にならなかったが、淡波さんのサイトは参考になった。表紙に縦横三分割にしてデザインすると、とても良い感じになった気がする。少なくともレイアウトについては行き当たりばったりではなく、ひとつの方向性が見えた。ありがとう淡波先生。
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とある小説家の執筆日記 No.1『弾は三発もある』『言葉未満の言葉』『文学は爆発だ!』

  これといって書くことはないし、かといって放置しておくのももったいない。だから執筆日記を書くことにした。執筆日記とは執筆中に感じたこと、考えた事の雑感である。そういえば元々このブログは雑感帳というタイトルだった。元に戻そうかな?(新作を書く度に何かを変えているような気がする)
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