タマコとマサモリはスキー場に来ていた。マサモリは何度か滑った事があるが、タマコは初めてで、初日は彼に付きっきりで滑り方を見てもらった。最初は滑ろうと思えば止まり、止まろうと思えば滑る有様だったが、一度ロッジに戻ってカレーを食べると、何故か滑る事ができるようになった。
“最初でそれだけ滑られるのなら才能があるよ”とマサモリは言った。
ここへは三日の予定で部屋を取っている。
次の日は難しいコースに誘われたが、何でもないように滑る事ができた。むしろ雪面が荒れていなかったので簡単だったような気もする。
“一番難しいところへ行こうよ”
リフトで頂上へ向かう途中でマサモリに言ってみた。
“行こう、行こう”
彼はすぐに乗ってきた。
一番難関だというコースにはまだ一本の線しか入っていない。
“滑った人がいるんだ”
タマコは残念だった。まだ未踏のコースを滑ってみたかったのだ。
“明日は早起きしてこようね”
タマコの提案にマサモリは笑みを返してコースへ滑り出す。
難関だというだけあって、斜面は急でコーナーも急だった。それでもタマコは滑る感覚を自由に扱う快感を感じていた。
コースの中程までくると、先に言っていたマサモリが待っていて、ゴーグル越しにタマコと目が合うと歯を見せて笑った。
タマコはちょっと意地悪をして彼を通り過ぎていく。
“おい!”とトゲの無い叫びを出してマサモリが追ってくるのをタマコは感じた。
絶対に追いつかれないようにスピードを緩めないように滑ったのに、マサモリはすぐに追いついてきた。
“ひどいなぁ”と余裕の声で話しかけてくる・
タマコはスピードを落とすと、彼も同じスピードに落として並ぶように滑った。まるで手を繫いで歩いているみたいで、実際にマサモリがタマコのストックに引っ掛けてきた。タマコもストックを彼の側に寄せると二人の間でバッテンに交わった。
後ろから凄い音が迫ってきた。雪を蹴立てながらもうスピードで滑ってくる人達がいる。
マサモリがさりげなくコースの端へタマコを引っ張った。
彼らは二人を追い越すと、コースの内壁に向かってスピードも緩めずに突っ込んでいく。
“危ない!”
マサモリが声を出したが、彼らはコースの内壁をジャンプ台にして次々と向こう側へ飛んでいった。
“凄いね”タマコは驚いていたが“危ないよ、コースの向こう側に人がいたらどうするんだ”とマサモリは少し不機嫌な声を出した。
二人は残り少ないコースをゆっくり滑ったが、その途中で何度も高く飛び上がる人影を見た。もう一度同じコースを滑ったが、ほとんどのコーナーにジャンプしたと思われる滑り痕があった。
難関コースだけあって二度滑っただけでタマコはへとへとに疲れた。夕方になる前に二人はロッジに戻った。
夕飯はまたカレーだ。
“あの人たち凄かったね”タマコが彼に声を向けると
“どの人たち?”とトゲのある言葉が返ってきた。
あからさまに不機嫌な声にタマコは続きを言わなかった。
賑やかな声が食堂に近付いてくる。スノーウェアでジャンプしていた男達だと分かった。営業時間ギリギリまで滑っていたのか、雪がまばらにくっ付いている。
彼らは一様にカレーを頼むと二人近くに座った。とにかく賑やかだ。
タマコは何も喋らず、息も漏らさないようにカレーを食べていた。何故かマサモリが不機嫌なのだ。彼はもう食べ終わって、焦れたような態度を見せていた。
早く食べてしまおうとタマコがカレーを口に入れると、近くに座った集団の中から一人の男が話しかけてきた。
“今日、同じコースで滑っていましたよね?”
“ええ”とタマコは答える
“ここには何度も?”
“初めてです”
“へえ、あそこは難しいから滑る人はあまりいないんですよ。雪がそのままだからコースがあると気付かない人もいるぐらいで。スキーの経験はどれくらい?”
“昨日が初めてで”
“ええ、それは凄い!”
“教えた人が上手かったのかも”
タマコはさりげなくマサモリに目を向けたが、彼は何故か我関せず態度を見せている。とても怒っているのだけはタマコにも分かった。
男はマサモリがいないかのようにタマコへ話しかけてくる。
マサモリは咳払いすると一人で席を立ってしまった。タマコも残ったカレーを持ち、慌てて席を立つ。
“怒ってる?”
“なにも”
部屋に戻って喋ったのはそれっきりで、二人は薄い緊張感を抱えたまま夜を過ごした。

翌朝になると彼の機嫌は少し良くなっていた。頂上まで来て、昨日の男達に出会うと途端に機嫌が悪くなった。
“一緒に滑りませんか?”
昨日の男がタマコに声をかけてくると、マサモリは先にコースへ滑り出した。一番簡単な初心者コースだ。
“ごめんなさい”と断りを入れて彼を追いかける。
彼はことさらゆっくりと滑っていたのですぐに追いつく事ができた。
“ねえ、やきもち焼いてるの?”と話しかけると“いや、全然”と彼は不自然なくらい大きな笑顔になった。やっぱり怒っているのだ。
“別になんでもないんだから”
タマコがストックを彼の方に向けると、彼も向けてきて空中でバッテンを作った。二人の間にあったわだかまりが緩むのをタマコは感じた。二人はゆっくりと麓まで滑っていく。
“私、もう帰ってもいいよ。充分滑ったから”
リフトへ向かおうとする彼にタマコは言った。
“いや、あと一回だけ滑ろう”と彼は笑顔で答えた。今度は本当の笑顔だ。
“それじゃあ、あと一回だけね”
二人はリフトに乗って頂上まで行った。
“最後だからこっちへ行こう。昨日も滑ったから大丈夫だろう?”
彼が誘ったのは昨日滑った最難関のコースだ。タマコは答える代わりに笑みを見せて先に滑り出していく。
“待ってよ”
マサモリは先を焦るように滑っていた。そのせいかタマコはついていくのがやっとで、時々ヒヤリとする場面もあった。
“待って!”
彼と大きく距離が離れるとタマコは大きく声を出した。彼は体をひねって歯を見せた笑顔を見せると、クッと体を落として加速した。
“待ってっていったのに”
聞こえるはずのない一人言を言ったあと、タマコはまた声を出しそうになった。マサモリが加速したスピードのままコーナーへ突っ込んでいく。
彼の体が宙高くに舞った。それからコーナーの向こうに見えなくなる。
タマコが不安な気持ちのままコーナーを抜けると、その先にマサモリがゴーグルを外して立っていたので、ほっと胸を撫で下ろした。
“昨日は危ないって言ってた”
タマコは彼を叱った。
“いや、全然そんな事はなかったよ。ちょっと滑れるやつなら誰だってできることさ”
彼はそう言って自慢するように笑っていた。
“絶対もうこんなことしないでね”
“一回だけだ。一回だけで良かったんだよ”
“絶対だよ”
それから二人はタマコのペースでゲレンデを降りていった。マサモリはここへ来てから一番機嫌が良さそうだった。こういう彼の姿を見るのがタマコは好きだった。楽しい時間は早く過ぎるもので、遅く滑ったのにあっという間に麓が見えてきた。
“最後に一回だけ”
マサモリが体を落として加速する。
“バカ!うそつき!”
タマコは彼の背中に声を投げた。
マサモリがコーナーの内壁をジャンプ台にして宙へ飛んだ。そして彼は体を半回転させて、雪の向こう側へ頭から落ちた。
嫌な予感がした。そんなはずがない。コーナーを曲がればきっと彼が笑って待っている。 彼女の予想は半分だけ当たった。 マサモリは雪の上に倒れながら首を背中へぴったりと折り曲げていた。
その顔は一点の曇りもない幸福に満ちていた。
(おわり)
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