掲示板作りにまた着手している。なんならフルベットしている。おいおい、小説は? 実は10月から1ミリも手を付けていない。

5月からずっと書いていたけど、プロットを書き終わって仮書きノートを開くと頭がトップギアに入らないのに気付いた。プロットならその状態でも進んだが仮書きノートは書けない。というか下手なものを書くぐらいなら書きたくない。それでもモーニングノートは毎日書き続けていて、ふと中途半端に放り投げた掲示板のことを何回も書いているなって気付いた。こいつがバックグラウンドで働いているから思考リソースが減っているに違いない。というわけで掲示板にケリをつけることにした。

でも、それって小説を書けない自分を見たくなくて掲示板に逃げただけじゃないか。実際に書けないわけだし、掲示板を作るためにまたVSCodeを開いたら気持ちが軽くなったしね。でも重荷を外すためにやっているからそうなるのは当然だし、そもそも私って小説を書いているのか小説に依存しているのか分からないところがあったから、小説をやめられるのか試してみるのもいいと思った。いまのところはやめていられる。まだ一ヶ月だから禁酒ならまだ自慢できる期間じゃないけどね。

とにかく掲示板を作るためにまたPHPの教本を復習する。どんなことでも同じだけど一回通った道はするする進む。

掲示板はまだ完成していないけどGPTちゃんはもうできたようなものだからって言うから、サーバーを契約したけど、ぽーんと管理画面に放り出された瞬間、何をすればいいのか分からなかった。手元のPCならVSCodeでローカルにコードを書いてファイルを保存すればいいのだが、まずサーバーの中に入れない。それでGPTちゃんに泣きついてssh接続という概念を教えてもらう。サーバー契約して3日目にようやく入れたが、いつ繋がれるのかまったく分からなかったので、かなり不安だった。やっぱり無理なんじゃないかって布団の中で考えて、無料期間のうちに解約したほうがいいって何度も考えたし、まだコードも完成していないのにサーバー契約するってアホか? と何度も自分を責めたこともある。そこは間違っていないと思う。

元々GPTちゃんはPHPで掲示板を作るならガチれば一ヶ月、長くても三ヶ月で書けると言った。それはある意味では本当だったし、ある意味では騙されたとも言っていい。テキストエリアに文字を書いて、それをデーターベースに送って、データーベースから投稿を拾ってきて表示する。それだけならGPTちゃんの言うとおり本当に三ヶ月でいけた。でも、そうじゃないだろう、と。掲示板を作るっていうのはちゃんと体裁を整えて、ネット上で誰もが書き込めて、ってことだろう。

そこまでするならPHPだけじゃ足りなくてhtmlもできる必要があって、練習のために本のランディングページを手打ちで作ったこともある。文字にすると簡単だが作るのに1週間かかった。作ったあとで「昔の人たちってこんな大変なことしててすごいなぁ。とても信じられん。世の中って実はめっちゃくちゃすごい人がめっちゃくちゃいるんじゃないか?」ってGPTちゃんに言ったら「CMSっていう管理システムを使って編集してるんやで〜」と言われて、そりゃそうだよなぁと納得した。CMSっていうのはこの記事を書くときに使っているライブドアの管理画面みたいなものだ。

↓こんな画面を見ながら書いている
Screenshot From 2025-11-15 16-58-43

事の発端は昔見た「ひろゆきは全然すごくない。2chのシステムなんて誰でも書ける」みたいな感じのことをGPTちゃんに「それってホント?」って話して「まじやで〜」と返事がきたことがきっかけだ。なので2chっぽい掲示板を作ろうとしていて、GPTちゃんに2chのスクショを見せながら「この部分のCSSってどうなってる?」なんて聞きながらこちょこちょやっているうちに(これじゃねえな。そもそも2chあるし作る必要ないじゃん)ってなって自己流の掲示板を作ろうとなった。あと、ちょっと話はズレるが2chはそもそもPHPで書かれていない。だから違う道に進むのは必然だったのかもしれない。でもこれってレシピを見ずにカレーを作るメシマズみたいだ。

掲示板を作っているというがコードを書くより、それ以外のことをしている時間が長い。たとえば、つい先日サーバーにまた繋がれなくて、また3日ぐらい停滞していたこともある。それはssh接続に必要な公開鍵が消えていたことが原因だったわけだが、それを直すために1週間ぐらい黒い画面に向き合っていた。リナックスといえば黒い画面だが、シリアルコンソールというのにつなぐと本当に真っ黒な背景に白い文字だけなので通常の黒い画面に戻ったときはカラフルだなってちょっと感動した。そして、そういうのはソフトで色付けされているんだという新たな知識も得る。世の中はいろんな人の助けで便利になっている。いろいろ知って成長していると感じるけど、でもさ、なんか、もっとこう、穏やかな試練であって欲しいよなって思う。サーバーにまた繋がれなくなった時は本気で解約しようと思った。

でもまぁ、すったもんだあって掲示板もそこそこ形になってきたけど、いざサーバーに置こうかなって考えたら(いや、待てよ・・・・・・)となる。このまま公開したら荒らしの餌食じゃん、と。それで書き込み制限や書き込み削除のことを考えなきゃいけなくなる。そうなるとコードがどんどん複雑になっていく。どういう書き込みを削除するか、あるいはその前段階でそもそも書けないようにするには? なんてことを考え始める。

こういうことを続けていくと自由な気風で始まったテック企業がどんどん帝国化していくのってこういうことなんだろうなと思えてきた。もし世界に善人しかいなくて、みんなが綺麗に使ってくれるのならルールなんていらないし削除や管理機能もいらない。コードはシンプルになる。これは法律でも一緒で、みんなが善人なら法律なんて必要ないわけだ。

人が増えるほどシステムは複雑化し巨大化する。荒らしが100人に1人しかいなくても1万人集まれば100人になる。これはもう常時荒らし状態といっても過言ではない。しかも数だけじゃなくて才能まで凝縮される。100万人集まれば1万人に1人の才能を持った荒らしが1人現れることになる。これはもう天才といってもよくて、それを防ぐには巨大なシステムを構築しなければならない。できなければ荒廃だ。

これってソシャゲも同じだなって思う。あるサーバーの仕切りを「みんなで仲良く〜」と自由な感じで任せると何が起きるか。カスみたいなやつが仕切りだしてサーバーが荒れる。そうじゃなければ過疎だ。もし一緒に遊んでいる人たちが楽しく過ごせる世界を守りたいなら強固な意志を持って支配しなければならない。支配という言葉を穏当にすれば統治と言ってもいい。

承認制で知っている人だけで小さな村を作るか、帝国化しかないのだろうか。でも実名性のフェイスブックだって炎上がないわけじゃない。なんなら数で言えば世界一だろう。承認性とか実名とか、規模の大小に関わらず支配は必要なのかもしれない。

そこでふと思った。アメリカはなぜ多民族社会なのだろう。そしてなぜ日本では外国人問題が起きるのだろう。もちろんアメリカでも移民問題はある。しかし、大きな目で見れば世界一の多民族国家であることは間違いない。それができるのはアメリカは法律の国だからではないか。アメリカは弁護士大国で、日本ではそんなに取り上げられないが選挙でも法律のことがけっこう話題になるらしい。で、大統領が変わると良くも悪くも本当に法律が変わってしまう。トランプ大統領を見ていると(それっていいの!!??)って驚かされる。でもそれがアメリカなのだ。

日本にも法律はもちろんある。でも、それと同じくらい、いや、法律のお世話になるような人以外にとっては、それ以上に日常的に感じられるのは空気による支配だ。これは悪いことのように言及されるが、空気による支配があるからこそ法律が緩いとも考えられる。アメリカは自由の国と言われているが、話はそう単純ではなくて、たとえば日本ほどマンガが自由に書ける国はない。もちろんアメリカにも空気はある。でも相対的に見れば日本は空気による支配を選んで、アメリカは法による支配を選んだのではないか。

基本的に人は支配を避けたい。だから日本は法律ではなく空気を選んだとも言えるのではないか。でも、日本でも移民が増えてくると空気が通じない人も出てくる。空気を破ることは違法ではない(外国人犯罪者はまた別問題)が、秩序を破ることではある。じゃあどうするの?

外国人をジャパナイズドして空気に従わせるのが一つの方法。これはSNSでよく出てくるし、日本文化に染まった外国人はメディアではウケのいいネタだ。で、もう一つはちゃんと法律を作って取り締まる。日本人でさえ空気による支配に苦しんでいるのだから、こっちがいいんじゃないかって思えてくる。

空気による支配で外国人が日本人化するのを祈るのは無理がある。そんなのは奇跡を当てにして宝くじを買うようなものだ。きっちり法による支配を、つまりアメリカ化しなければ日本は荒廃するか、空気で満たせるだけの小さな国になるかを選ぶときがくるだろう。でもまずは空気じゃなくて何を正しいとするかを言葉で決めなくちゃならないんじゃないかな。

たとえばサーバー外イベントで戦うためにサーバー内イベントはお互いに戦わないようにしようと決めたとする。合理的な判断と感じる人もいるかもしれないが、サーバー内イベントはそういうイベントなのに何故戦ってはいけないのかと考える人もいるかもしれない。じゃあサーバー外イベントで負けてもいいのか。→そんなのは知らん。みたいに何が正しいかは人による。そこへ至るまでには話し合いをするか、あるいは力によって分からせる必要がある。

何を正しいかと捉えるところから権力が始まる。私がサーバーの管理人で荒らしは嫌だと考えるのもまた権力であり支配だ。そもそも荒らしは荒らしとさえ思っていないかもしれない。じゃあみんな仲良く使ってくれることを祈って何もしない? そんなのは絶対に成立しない。アクセスがあるかぎり必ずどこかで荒らしは出てくる。私は意志を持って掲示板を支配する必要がある。そうでなければ最初から閉じることだ。ただしソシャゲと違って、画面の向こうにいるのは確実にゲーム以上に強い生の意志を持った人間である可能性が高い。私達を見守るゲームの運営もいない。私が運営だ。私にできるだろうか。

そんなことを考えつつも、でも、やっぱりやってみたいんだろうなって思い直す。2chの真似事をして(もう2chルートとは外れたけど)、それで何をしたいとかは自分でもわからないけれど、そこへ向かう意志があるのは分かる。そうじゃなければ黒い画面の前で絶望して、あきらめて、でも次の日にまたサーバーに繋がろうとはしない。

すごくかっこいいことを言えば、この体験から私は小説家として何かを得ようとしているなんて言えるけど、別にそうじゃなくても、やってみたいって意志だけでやってもいいんじゃないかな。この一ヶ月ですごく色々知れて、それだけでも文学の古典を読んだような感覚がある。

GPTちゃんに「やっぱり小説が書けないから逃げているだけじゃないか?」って聞いたことがある。でもGPTちゃんは「掲示板を作るのは世界を作ること。小説を書くのも世界を作ること。あなたは方法が違っても同じことをやろうとしている」って感じのことを言われた。たとえお世辞でもそれを信じてみる。明日も掲示板を作ろう。

(おわり)