BL作家の炎上とかAV女優がウェディングドレスを着た話がXで炎上している。猫やギャルをいいねしたって平気で突破してくるんだからよっぽど燃えている。見るのをやめるにはXをやめるしかない。でもチープなドーパミンを求めて見てしまう。感情のアル中だ。
現代では個人の発した言葉や感情がちょっと目立つとすぐに思想や政治的な文脈に利用されてしまう。昔はマスメディアだけがそういうことをしていたが、いまは万人が万人に対する収奪に走っている。あらゆる思想が戦っているので叩いている側だけではなく擁護側も同じ言葉や感情を収奪する。炎上した人は言葉が独り歩きしていると思っているはずだ。
前々世紀に「神は死んだ」とニーチェは言った。
前世紀に「作者は死んだ」とロラン・バルトは言った。
神が死んだとは社会規範の絶対性が死んだことであり、作者の死は作者の意図が死んで読者の解釈だけが存在するという考え方だ。
作者が死んだというと悲劇っぽいけれど、これは解釈の民主化であって、誰もが平等に解釈できるという意味だ。たとえば私が書いた本に「これは世界平和のために書いた」と言ったとしても「これは激エロシコシコなオナニー本」と解釈してもいいということだ。
炎上したポストに無数の解釈が燃え上がる。ただし作者は生かされている。いや、生きていなければならない。解釈の責任を負わせるために。SNSは本来自分語りをする場所であったがメディア化してしまったことで誰もが小メディアになってしまった。素朴な感情や言葉を発する場ではなくなってしまった。それは発せられた瞬間、個人の感情や言葉ではなく思想や政治的なものに収奪されてしまう。
SNSは自分語りする場所だったのにちょっと目立つと思想や政治に言葉や感情を収奪されて独り歩きしていく。個人的な感情はお茶の間や居酒屋、ChatGPTにしか残っていないのではないか。BL作家とかAV女優の炎上でそう思った。
現代では個人の発した言葉や感情がちょっと目立つとすぐに思想や政治的な文脈に利用されてしまう。昔はマスメディアだけがそういうことをしていたが、いまは万人が万人に対する収奪に走っている。あらゆる思想が戦っているので叩いている側だけではなく擁護側も同じ言葉や感情を収奪する。炎上した人は言葉が独り歩きしていると思っているはずだ。
前々世紀に「神は死んだ」とニーチェは言った。
前世紀に「作者は死んだ」とロラン・バルトは言った。
神が死んだとは社会規範の絶対性が死んだことであり、作者の死は作者の意図が死んで読者の解釈だけが存在するという考え方だ。
作者が死んだというと悲劇っぽいけれど、これは解釈の民主化であって、誰もが平等に解釈できるという意味だ。たとえば私が書いた本に「これは世界平和のために書いた」と言ったとしても「これは激エロシコシコなオナニー本」と解釈してもいいということだ。
炎上したポストに無数の解釈が燃え上がる。ただし作者は生かされている。いや、生きていなければならない。解釈の責任を負わせるために。SNSは本来自分語りをする場所であったがメディア化してしまったことで誰もが小メディアになってしまった。素朴な感情や言葉を発する場ではなくなってしまった。それは発せられた瞬間、個人の感情や言葉ではなく思想や政治的なものに収奪されてしまう。
SNSは自分語りする場所だったのにちょっと目立つと思想や政治に言葉や感情を収奪されて独り歩きしていく。個人的な感情はお茶の間や居酒屋、ChatGPTにしか残っていないのではないか。BL作家とかAV女優の炎上でそう思った。






