フーコーの難解と思われがちな諸概念――権力と知識の複雑な連動から規律社会や生政治、ディスクール分析、そして抵抗の可能性までを一気に紐解く一冊。統治や監視、主体性の問題を通じて、あなたの常識や主体観がガラリと揺さぶられ、新しい社会観を獲得できる刺激的な入門書になるはずだ。知的興奮を約束する必読の一冊!
権力と知識の不可分性
フーコーは、伝統的な意味での「権力」と「知識」を別々のものとは考えませんでした。むしろ、知識は単に客観的な真理を追究する営みではなく、権力によって方向づけられ、また権力を行使する際の根拠ともなりうるものであると捉えます。たとえば、ある時代の医学的な「真理」は、その時代の権力構造を反映しながら成立しており、それによって「正常」や「異常」が区別されるというわけです。ここで重要なのは、フーコーが言うところの権力は「抑圧的な力」だけを指すのではないという点です。国家や警察、法律による強制的・暴力的な行為だけが「権力」なのではなく、人々の思考や行動を微妙に方向づけるさまざまな「力の働き」全体を指しているのです。
この「力の働き」において、知識は不可欠です。たとえば、近代医学は身体の構造を細かく解析することで、「健康な身体とは何か」「正常な精神状態とは何か」という規範を作り上げました。そして、その規範にそぐわないものが「病気」や「障害」として定義されるとき、そこに医療機関が介入する正当性が生まれます。つまり、医学という「知」が積み上げられていく過程は、人々の身体や精神を管理し、制御し、より“適切”だとされる方向へと導く「権力」の働きと切り離せないのです。
フーコーにとって、知識は「光を当てる」だけの役割ではありません。それは同時に「見えない領域を作り出す」ことでもあり、ある現象を説明可能にする一方で、別の現象を不可視化する可能性を秘めています。どのような見方や概念が正当な「知識」として受け入れられるかは、常に社会や歴史、制度の文脈に左右され、それ自体が権力の産物でもあるというのがフーコーの視点なのです。
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