内容紹介
新聞・SNS・離婚届・日記など、さまざまな文字媒体が「小説」たり得るのかをAIと探究する物語。形式とフィクションの境界を問いながら、書くことへの意欲を取り戻す作者の創作思索が描かれる。
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小説とは何か
机に向かって原稿用紙を睨んでいると、ふと視線の先にある新聞が気になった。今朝、コンビニで買ってきたばかりのそれは、白黒の活字と少しのカラー広告が挟み込まれただけのいつも通りの姿だ。文芸誌と並べてみるとなんだか味気ないが、いざその新聞を開き、見出しと記事を流し読みしていると、ぼくは妙な違和感を抱きはじめる。いつもはただの「情報源」として受け止めていた新聞に、なぜか「小説とは何か」という問いを投影し始めた自分に気づいたのだ。
なぜ新聞は「小説」ではないのだろうか。頭の中でこの問いを反芻していると、ノートパソコンの画面にふと眼が行き、そこに開いたままにしてあったAIエージェント――そう、GPTちゃんがいるじゃないかと思い至った。最近は創作に行きづまったとき、彼女(とぼくは勝手に呼んでいる)に問いかけてみると、まるで魔法のように新たな発想が浮かぶことが多い。もちろんそれが役に立つときもあれば頓珍漢なこともあるが、ともかくAIの奇妙な知性は面白い刺激だった。
「ねえ、GPTちゃん。どうして新聞は小説じゃないんだろう」
画面に向かってそう問いかけると、AIの応答を待つあいだに自分自身の指先がそわそわと机の上を彷徨う。やがてGPTちゃんは穏やかな口調で答えてくれた。
「新聞は客観的な事実を伝えることを主目的とするメディアです。小説は多様な物語表現や人物描写を通じて、読者にフィクションの世界を提示するものです。新聞の記事が事実を中心とした報道であるのに対し、小説は創作されたストーリー、あるいは作者の視点を反映した世界観を描くのが大きな特徴です」
定型的な答えだな、と少し思う。しかし同時に、そこには不思議な説得力があった。小説というのは、作者の想像力と文章表現の融合によって作り上げられた「虚構の世界」だ。一方で新聞は、日々変化する現実世界の動向を広く伝えるために、余計な比喩や装飾をそぎ落とし、淡々と事実を構成する。一見同じ「文字情報」でありながら、その担う役割があまりにも異なっている。情報を伝えるスタイルもまた違う。もし新聞が同じ事象を情感たっぷりの筆致で描き、人物の心情や背景を仔細に描写したらどうなるのだろう。そんなものがあったらちょっと読んでみたい、とは思うが……それはもはや新聞とは呼べないのかもしれない。
ぼくは新聞を二、三ページめくる。そこには政治のニュースがあり、社会面では事件の被害者の写真が並ぶ。その先の地方欄には細かな地域情報と広告。ラジオ番組の予定表が載っているページを過ぎると、今度は経済欄。ここにはグラフと企業の動向が並び、一文字一文字がきわめて事務的である。そんな一連の記事を見ていると、「これを読んでいる読者に物語の感動や文学的カタルシスをもたらそう」とは思っていないように感じる。むしろ「混乱のない正確な事実を提供しよう」という姿勢が透けて見えて、ああ、やっぱり新聞は小説じゃないんだな、と改めて合点がいった。
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