「オタクに優しいギャル」なんてフレーズは、ネット上で肥大化した妄想的偶像に過ぎないんじゃねえかって俺は思うわ。わざわざそんな存在を求めてやまない奴らは、つまるところ自分が受け身で、相手からの無条件の優しさを貪りたいだけなんだろ? 「ギャルがオタクを無条件で受け入れてくれる」なんて都合のいい話、どこのラノベから拾い上げたんだよ。現実はそんなに甘くねえ。もちろん、中にはギャルっぽい見た目でオタク趣味に寛容な子も存在するかもしれない。が、それはあくまで「ごく一部」であって、大衆受けするようなステレオタイプじゃない。そんなレアケースを全体論にすり替えて、「ギャルはオタクに優しい」なんて神話を語るなよ。

 お前らがその妄想にしがみつく理由は、結局のところ自分を甘やかしたいだけなんだ。現実で女に相手にされない、それは別にいいよ、生きてりゃそんなこともあるさ。でもその苦い現実を直視せず、「優しいギャル」という幻想を盾に「自分は無理しなくても受け入れられる」なんて錯覚に浸ろうとしてるだけだろ? お前らは他人に理解されるために努力したのか? オタク趣味を共有する女の子が欲しいって言うけど、その前にお前は相手に対して何を与えた? ひたすら受け身のまま、相手が天使のように降臨するのを待つだけか? お前が期待してる「ギャル」はお前が働きかけない限り存在しねえよ。

 第一、ギャルだろうが誰であろうが、他者が優しくしてくれる状況を当然のように期待するなって話だ。自分がどんな趣味や性格を持っていようと、相手に理解や好感を抱かせたいなら、それ相応の態度と努力が必要だ。礼儀正しく、自分からオープンな姿勢を見せ、相手の話に耳を傾ける。外見的ハードルや価値観の違いがあるなら、それを埋めるために自分から動けよ。コミュニケーションというのは、双方の歩み寄りから生まれるもんだろ。お前はただ待ってるだけで「オタク差別ガー」とか喚いてる暇があるなら、自分が誰かに優しくなって、相手を気遣える人間になるべきだろ。

 「オタクに優しいギャル」は、リアルにおいては都市伝説レベルの存在かもしれない。だからこそ、お前がまず他者に優しくなれよ。優しさを欲しければ、まず自分が優しさの発信源になれ。お前が変われば、お前を取り巻く人間関係も微妙に変わってくるはずだ。わざわざ「ギャルがオタクを優しく受け入れる」なんて童話を夢見るより前に、お前が現実世界で優しさを配っていけば、もしかしたらそういう存在に巡り会えるかもしれない。人ってのは案外、「あ、この人はちょっと面白いな」と思えば垣根を下げるもんだ。だが、それはお前の態度次第だ。

 結局、「オタクに優しいギャルがいるか?」なんて問いはくだらねえんだよ。そんなことより、お前が誰かに優しくなれ。お前が求めてる理想像を他人任せにするな。優しさが足りないなら、自分が優しさを投げかければいい。現実は厳しいかもしれないが、行動次第で変わる部分だってある。ギャルがどうのこうの以前に、まずお前自身が変わってみろ。オタクが理解されにくい時代は終わりつつある。でもそれは、オタクが他者を理解しようとする努力とセットで進行する話だ。お前が変われないくせに、他者が「優しいギャル」であることを望むなんて都合が良すぎる。甘ったれんな、自分で動け。そうすりゃ、もしかするとお前が思い描いていた「オタクに優しい存在」に近づけるかもしれねえだろ。




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