お前さ、「死んだら何も残らない、完全な無だ」ってしれっと言ってるけど、その発想自体、脳みそが思考停止してる証拠じゃねえのか?現代において、死後の世界とか魂とか、そういう話をすると「オカルト」扱いして馬鹿にする輩が多いけどさ、本当はそっちのほうがよっぽど滑稽だろ。俺から言わせりゃ、死後に何かがあるかないかなんて真実は分からん。しかし、だからといって「無だ!」と断定する根拠がどこにあんだよ。見てもいないくせに何で断定できるんだ?説明しろよ。

想像力を完全に放棄して、ただ「死んだら意識ゼロ、はい終わり!」みたいな短絡的思考してる奴らって、実は自分が生きてる間も、ろくな想像もせず、ただ日々を消費してるゴミなんじゃねえの?文明の歴史を振り返ってみろよ、死後の世界や輪廻転生、魂の移行を語る文化や哲学は世界中に存在する。人間の脳ってのは、ただの物質活動じゃ説明のつかない深みがあるはずだろ?なのに、死ぬと同時にスイッチオフで真っ暗って、どんだけ単純なんだよ。まるで幼稚園児が「電気消したら何もない」って騒いでるようなレベル。脳が死んでんのはお前らだよ。

科学信仰が強い連中は「脳が止まれば意識も感情も消える。それが証明だ」とか言うだろうけどな、そもそも意識って何だ?脳ミソの中で電気信号がパチパチしてるだけで「はいこれが意識」なんて、どれだけ貧困な世界観なんだか。人間の思考や存在は、もっとデカいネットワークの一部かもしれねえだろ。何かしらの次元で、俺たちの精神的エネルギーがどっかにストックされる可能性だってあるんじゃねえの?お前らが見たことないからって否定できんの?そもそも見たことないものは全部無扱いとか、思考放棄以外の何物でもない。死んだら無になると言い切るお前らは、未知を認める知性を持たないってことだ。だから「脳が死んでる」って表現になるわけ。

お前らは死をどう捉えてるんだ?生きてる間、脳味噌フル回転させて、いろんな物事に疑問を持つのが知性の証だろうが。なのに死後については「何もない」で思考停止。笑える。なぜそこまでビビってんだよ?死後に何かあるかもって考えたら怖いのか?それとも面倒くさいから「無」ってことにして話終わらせたいのか?それこそ臆病者の発想だろ。思考を放棄してる。死んだ後の可能性についての議論は、人類がずっと続けてきた知的探究なんだぜ?「俺は無としか思えない」とドヤ顔で言う奴は、歴史上の哲学者たちよりも貧弱な発想でしか世界を見てないってことだ。

まあ、「死後の世界なんてファンタジーでしょ」って鼻で笑う奴もいるだろうが、ファンタジーを一蹴できるほどお前らは全知全能なのか?自分自身が、ただの生物的ロボットだと決めつけて楽しいのか?逆に言えば、お前らは生きてる間だって、結局は脳内物質がどうこうしてるだけの無意味な存在なんじゃねえの?自分をそんなに矮小なものに閉じ込めて何が楽しい?死後が無なら、今生きてる自分も大した意味はないわけで、なら好き勝手やればいいじゃねえか。どうせ死んで終わりなら、何を考え、何を成し遂げたって同じだろ?その理論で突き詰めたニヒリスティックな世界観のくせに、なぜか死後についてだけふんぞり返ってる。その矛盾に気付けよ。

死後の世界があるかどうか、俺だって知る由はねえ。けど確実に言えるのは、「無」と断言する奴は、自分の無知を誇示してるだけってことだ。無知を開き直ってんじゃねえよ。世の中には未解明なことが山ほどあって、その中には人間の想像を超えた原理が隠れてるかもしれない。死後の世界だって、その一角にあるかもわからん。お前らが目で見えない、計測できないからといって存在しないと決めつけるのは、科学的態度とは言えねえよ。真の科学者なら、証拠不十分な結論には保留をつける。だが、お前らは保留もせず「無です」って嘯く。それはもう科学でも何でもない、ただの脳死状態だ。

結局のところ、「死んだら永遠に無」と言い切る奴は、知性に蓋をしてるだけだ。新しい発想や可能性を認めず、ただ世界を狭く解釈してる。そんな奴がどんなに偉そうにしても、俺から見りゃ脳が死んだモブキャラに過ぎない。より大きな視点、広い視野、深い洞察、それを放棄した結果がそのショボい断定だ。それこそが思考の死だよ。死後に何があるかはわからんが、少なくとも「無」と決めつける奴は、すでに頭の中で死んでるようなもんだ。

いいか、無知を振りかざして断定するな。考えることを止め、未知を否定する態度は知性の崩壊だ。死後の世界が「無」かどうかなんて、誰にも証明できない。だからこそ、浅はかな結論を吐く奴は、その時点で終わってる。脳が死んだ奴は、死後なんて考えられるはずもなく、今この瞬間だって、思考停止のゾンビ状態に等しいってことだな。




他の小説を見る



イラスト3