近年、小説の新人賞において「受賞作なし」が続出している。この現象、正直なところ、もう「またか」と言いたくなる。第14回小説野性時代新人賞しかり、鮎川哲也賞しかり、横溝正史ミステリ&ホラー大賞に至っては「受賞作なし」が常連化している感すらある。これ、応募作が悪いの?それとも出版業界が腐ってるの?そんな疑問が頭をよぎる。まず言わせてもらうけど、「受賞作なし」って失礼すぎない?応募者に対して。これだけ時間をかけて書き上げた作品たちを、「該当作なし」の一言で片付ける審査員の姿勢には、どこか傲慢さを感じずにはいられない。もちろん、基準に達していない作品を無理やり受賞させてもしょうがない、という理屈もわかるけど、それならそもそも応募を募るなよ、って話だ。

そもそも新人賞って、純粋に「新しい才能」を発掘する場だったはずだ。でも最近はどうだ?ネット小説投稿サイトの普及で、作家デビューの手段は増えた。それは素晴らしいことかもしれないけど、裏を返せば、出版社が新人賞を通じて本当に作家を育てるつもりがあるのか、疑問が湧いてくる。審査員が「これを世に出して責任を取れるか」と悩む、なんて話を耳にするけど、責任を取るのが嫌なら最初から審査員なんて引き受けるなよ、と思わない?言葉は悪いけど、審査員が慎重になりすぎて、結局「無難な」選択肢に逃げてるように見えるんだよね。

出版社側にも言い分はあるだろう。「新人賞作品が売れない」とか「読者がついてこない」とか。でも、それって本当に作品のせいなの?むしろ業界のマーケティング能力が問われるべきじゃない?新人賞作品をしっかり売り込む努力をしないで、「作品が足りない」と嘆くのはお門違いだ。一方で、読者側にも責任はあるかもしれない。「ベストセラーしか読まない」風潮が強まっている中で、新人作家の作品が埋もれるのは、ある意味当然ともいえる。でも、だからこそ出版社がリードして、新しい才能を読者に届けるべきじゃないの?

このまま「該当作なし」が続くと、小説業界そのものが萎縮する未来が見えてくる。新人賞に応募する作家も減り、出版される小説もどんどん保守的になり、「安全牌」ばかりが選ばれる。そうなると、業界全体の活力が失われてしまう。誰もが分かっていることだと思うけど、目の前の売上やリスクを恐れて変化を避ける姿勢が、結局は自分たちの首を絞めることになるんじゃない?

受賞作なしが続く背景には、業界の構造的な問題と、読者や応募者の意識の問題が複雑に絡み合っている。だが、最終的には業界のリーダーシップが問われる。新人賞は、新しい才能を育て、読者に届けるための「場」であるべきだ。だからこそ、出版社はもっと挑戦的であるべきだし、審査員はもっと寛容であるべきだ。応募者にとっても、挑戦する価値のある「舞台」を提供することが大事だと思う。現状の新人賞は、「新しい才能に挑戦してもらう場」というより、「リスクを取らない言い訳」を提供する場になりつつある。これでいいのか、出版業界?ここまで言ったけど、正直、「該当作なし」が続く限り、この問題は解決しない。もっと新しい発想で、新人賞のあり方を根本から見直す必要があると思う。でないと、本当に「小説の未来」はないよ。




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