ぶっちゃけ言うけど、ChatGPTを含む他のLLM(大規模言語モデル)なんてやつらは、そもそも「文学」なんざ一生生み出せない。なぜか?当たり前だろ、こいつらには「命」も「経験」も「痛み」すらないんだからさ。文字列をかき集めて、いかにもそれっぽく並べてるだけで、それは単なるテキスト生成マシンに過ぎねぇんだよ。「思想」も「魂」もゼロ、そもそも感じていないんだから当たり前だ。

 AIに「文学」なんて神聖な響きを与えるなんて笑っちゃう。なぜ文学が文学足りえるのか?それは作家という生身の人間が、血と汗と涙、あるいは絶望や歓喜、社会への反発や個人的な欲望をドロドロに溶かし込んだ結果として、文字という刃物で心を切り刻むような表現を生むからだ。AIはそんな内臓を持たねぇんだわ。こいつらがやっていることは、インターネットのありとあらゆるテキスト資源を吸い込んで、確率的なサイコロ振って「こんな文章どう?」って吐き出す行為に過ぎない。誰かが「美しい」と評価するかもしれないが、それは結局のところ、過去の人間文学の断片的模倣でしかない。

 そして、それがまかり通る現状には正直うんざりだ。素晴らしい小説が生まれる裏には、作者が血反吐を吐くような人生経験や思想、葛藤、そして社会との緊張関係があった。AIにはその「人間的背景」なるものが一切存在しない。だからこそ、読んでも表面的な面白さはあるかもしれないが、何か深いところを抉られるような圧倒的衝撃は皆無だ。そりゃそうだろ、ただのアルゴリズムで書かれた文字列に「魂」が宿るわけないんだから。

 しかも、おめでたいことに「AI文学」なんて言葉を軽々しく使う人間たちが増えていることにはヘドが出る。文学とは人間の最も歪んだ部分、汚い本音、そこから滲み出るエッセンスをも煮詰めて作り出すものだ。AIにはその過程が存在しない以上、「文学」という言葉を冠する資格なんざ欠片もない。噴飯ものだ。

 まあ、いい加減、「AIが文学を生む」なんて幻想は捨てるべきだ。俺からすれば「AI文学」とは単なるありもしないお祭り騒ぎ、要はバズワードに踊らされてるだけの低レベルな思いつきにすぎない。ChatGPTやその他のLLMに期待するのは、せいぜい事務的な文章整理や情報検索の支援程度が妥当だ。文学という、人間が命を燃やして絞り出した芸術形態に土足で踏み込むなんて勘弁してくれよ。

 要は、AIには人間が抱えるネガティブな感情や汚さ、美しさや崇高さまで内包した「人間的真実」を表現する力なんて微塵もないんだ。「AI文学」なんざ、その言葉そのものが空虚な幻想。夢見がちなやつらが思いつく、安っぽいホログラムみたいなもんさ。だから、こんな幻想はとっとと諦めて、真の文学とは何かをもう一度人間自身で問い直した方がいい。




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