名称未設定のデザイン (30)

「今日もいるな、あの女。」  

ドラムのハルがスティックを握りしめながら苦笑いを浮かべた。リハーサルが終わり、みんなでバックステージのカーテン越しに会場を覗き込むと、彼女の赤い髪は相変わらず目立っていた。まだ照明も音響もセットされていない薄暗い会場で、ひときわ異質な存在感を放っている。  

「誰か話しかけたことあるか?」ベースのヨウが訊く。彼はベースのストラップを調整しながら、わざと大げさに首を傾げてみせた。俺はギターの弦を指でなぞりながら、思わず手を止める。  

「いや、ないな。」俺は小さく息をついた。「なんか話しかけられないんだよ。あの目が、真っ直ぐすぎてさ。」  

「怖いってことか?」ハルがからかうように言った。  

「いや、違う。」俺は首を振った。「なんて言うか…重たいんだよ。視線が、妙に。」  

ヨウは少し考え込むような顔をしていたが、ふと何か思い出したように言った。「でもさ、気になるよな。ギター持ってるのに一度も弾いたことがないって。ここに来て俺らを見てるだけで。」  

「たしかに謎だよな。」ハルも思い出したように頷いた。「もし本当にどっかの天才ギタリストで、俺たちを評価しに来てたら笑うけどな。」  

笑い声がバックステージに響くが、俺の心はなんとなく晴れない。気づけば、彼女がギターを抱えて最前列に立つ光景は、俺たちのライブの一部みたいになっていた。いつもじっとこちらを見上げている彼女の目が、次第に俺の中に不安と興味を絡み合わせる。  

ライブ本番、観客の波が押し寄せてきた。

照明がパッとついて、俺たちがステージに飛び出すと、すぐに熱狂的な歓声が耳をつんざいた。ベースの低音が轟き、ドラムがビートを刻み始める。俺はギターを鳴らしながら、また彼女の姿を探してしまう。  

そこにいる。彼女は今日もギターを抱えている。ただし、何かが違った。  

最前列にいるのは、彼女だけじゃない。彼女の周りには、他にもギターを持った観客がいた。色とりどりのギターを抱えて、同じようにステージをじっと見つめている。数人かと思ったら、もっといた。数える暇もなく、ギターを持ったファンたちがずらりと並んでいたのだ。  

「…おい、見ろよ。」ヨウがステージ上から俺に囁いた。「どうなってんだ、これ。」  

「さあな。」俺は汗を拭い、心臓が嫌な鼓動を打つのを感じながら演奏を続けた。  

ギターを持った彼女たちは誰一人として弾くそぶりを見せない。ただ、その瞳は鋭く、燃えるようにこちらを見つめている。視線の圧力が重たくて、今にも押しつぶされそうだった。  

俺は無理やりギターの音に集中しようとしたが、どうしても気になる。何が目的なんだ?どうして次々に増えていくんだ?気になって気になって、音を外しそうになった瞬間、ドラムのハルが合図を出す。  

「大丈夫か?」彼はリズムを崩さないようにしながら俺に目配せした。俺は無理やり笑顔を作って頷く。だけど、どうしても気持ちが落ち着かない。  

演奏が終わり、観客の歓声が鳴り響く中、俺たちは楽器を下ろした。額に浮かぶ汗が冷たく感じられる。照明が変わり、アンコールの準備が始まると、ふとヨウがこちらに寄ってきた。  

「増えてるよな、ギター持ったやつら。」ヨウは真面目な顔で言った。普段は冗談ばかりの彼が、こんなに真剣な顔をするのは珍しい。  

「ああ。」俺は乾いた喉を潤すように水を飲んだ。「なんか…ただのファンじゃなさそうだよな。」  

「そうだな。」ハルも合流してきて、やけに真剣な顔で言う。「もしこのまま増え続けたらどうする?」  

「ライブが、別の何かになるんじゃないかって気がしてきた。」ヨウが続けた。「何か、俺たちが知らない意味を持ち始めてる気がする。」  

俺はふと考え込む。演奏するたびに増えていくギターを持った観客たち。それはまるで、俺たちの音に引き寄せられ、何かを待っているかのように。答えが見えないまま、俺たちは次の曲へと移っていった。  

だが、その瞳の圧力はいつまでも俺を離さなかった。気づけば、いつもよりも演奏が少し乱れていた気がした。視線の束縛が、音楽さえも侵食しているように感じたのだ。

(おわり)


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