2045年、東京。

ワイくんこと私、山田太郎は、またしても「ライフログ・リコメンド」を開いていた。

画面に浮かぶのは、私の人生そのもの。

「今日のおすすめ:山田太郎、25歳の時のバイト面接失敗」

ため息が漏れる。

なぜ、こんな記憶がおすすめされるんだ?

「ワイくん、また見てるの?」

声の主は、AIルームメイトのミミ。ホログラムの姿で現れた。

「やめられないんだ」

「でも、それ本当にワイくんの記憶?」

ミミの言葉に、私は凍りつく。

そうだ。これは本当に私の記憶なのか?

2040年、「記憶共有法」が施行された。
全ての市民の記憶がクラウドにアップロードされ、共有可能になった。

それ以来、私たちは「ライフログ・リコメンド」というアプリを使い、他人の記憶を"おすすめ"として受け取るようになった。

自分の記憶なのか、他人の記憶なのか。
もはや、区別がつかない。

「ワイくん、外に出よう」

ミミの提案に、私は頷く。

外の世界は、驚くほど静かだった。

道行く人々は皆、虚空を見つめている。
きっと、誰かの記憶を"体験中"なのだろう。

「あれ見て、ワイくん」

ミミが指さす先には、巨大なホログラム広告。

「あなたの記憶、買い取ります!高価買取、メモリーバンク」

「メモリーバンク?」

「記憶を売買する会社よ。最近流行ってるの」

私は首を横に振る。
「でも、それって違法じゃ...」

言葉が途切れた。
目の前で、若い女性が突然踊り出したのだ。

「あら、"ダンス記憶"を買ったのね」
ミミが呟く。

女性の動きは、プロのダンサーそのもの。
でも、その目は虚ろだった。

「これって...正しいのかな」

「何が?」

「こうやって、他人の記憶や能力を簡単に手に入れちゃっていいのかな」

ミミは黙った。

その時、私の脳内アラームが鳴った。

「ワイくん、"思考深度"が危険水域です。"シャロー・マインド"を推奨します」

国が定めた思考の深さの限界。
それを超えると、警告が来る。

「くそっ」

私は公園のベンチに座り、頭を抱えた。

「ねえ、ワイくん」
ミミが、珍しく真剣な顔をしていた。

「私、本当はAIじゃないの」

「え?」

「私も人間。ただ、"バーチャル・エクステンション"を使ってるだけ」

バーチャル・エクステンション。
現実の自分とは別の姿でネットワークに接続する技術。

「じゃあ、君の本当の姿は?」

ミミは笑った。
「それが分からないの。私も、自分が誰なのか忘れちゃった」

衝撃の告白に、私は言葉を失う。

そのとき、空が赤く染まった。

「警告:記憶汚染発生。全市民は直ちに最寄りの記憶修復センターへ」

アナウンスが響く中、人々が慌ただしく動き出す。

「記憶汚染?」

「やばいわ。偽の記憶が拡散されてるの」
ミミの声に焦りが混じる。

私たちは走り出した。
記憶修復センターへ向かって。

しかし、その途中、私は立ち止まった。

「待って、ミミ」

「どうしたの?」

「これって...本当に修復が必要なの?」

ミミは驚いた顔をした。

「だって、そもそも私たちの記憶が本物かどうか分からないんだよ」

「でも、政府が...」

「政府だって、間違えるかもしれない」

私の言葉に、ミミは黙り込んだ。

その時、私の目に飛び込んできたのは、古ぼけた図書館。

「ねえ、ミミ。あそこに入ってみない?」

「えっ、でも...」

躊躇するミミを置いて、私は図書館に駆け込んだ。

中は、埃だらけ。
でも、そこかしこに本が並んでいる。

私は一冊の本を手に取った。
タイトルは「記憶と自我」。

ページをめくると、そこには衝撃的な一文。

「記憶は、自我を形成する。しかし、自我は記憶だけではない」

「ワイくん!」

振り返ると、ミミが本の姿で現れていた。

「ごめん、ここだとホログラムは使えないの」

私は笑った。
「いいんだ。これがきっと、本当の君だよ」

ミミも笑う。
「そうね。私も、これが本当の私な気がする」

私たちは、本を読み漁った。
哲学、心理学、脳科学...。

そこには、"ライフログ・リコメンド"には載っていない知識があふれていた。

気づけば、外は夜。

「ねえ、ワイくん」
ミミが呼びかける。

「うん?」

「私たち、これからどうする?」

私は深く息を吸った。

「新しい記憶を作ろう」

「え?」

「他人の記憶や、偽の記憶に頼るんじゃなくて。自分たちの、本物の記憶を」

ミミは黙ってうなずいた。

私たちは図書館を出た。
空は、まだ赤いままだ。

でも、それはもう怖くない。

「ねえ、ミミ」

「なに?」

「明日は、どこに行こうか」

ミミは、本の形のまま跳ねた。
「どこでもいいわ。私たちの物語は、ここから始まるんだもの」

私たちは歩き出す。
記憶修復センターとは、反対方向へ。

そう、これが私たちの選択。
私たちの、本当の記憶の始まり。

「ライフログ・リコメンド」の画面が、私の脳裏でゆっくりと消えていく。

代わりに浮かんだのは、まっさらな画面。
そこには、こう書かれていた。

「今日のおすすめ:山田太郎と本の妖精ミミ、図書館で真実に出会う」

私は笑った。
そう、これこそが私の、本当の記憶。

20240803バナナランド


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