「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
婚活パーティー会場に響き渡る、低く渋い声。それは、この物語の主人公である佐藤平太(さとうへいた)のものだった。
平太、28歳。IT企業でSEとして働く彼の悩みは、モテないこと。そして、その理由が「地味すぎる」ことだと悟った彼は、ある奇抜な作戦を思いつく。
「そうだ!平家物語を音読して、歴史オタクのイケメン風を装おう!」
こうして平太の「平家物語音読婚活作戦」が始まった。毎晩、YouTubeで平家物語の朗読動画を聴き、一日一節を暗記。そして、婚活パーティーの度に、さも自然な流れで平家物語を音読するのだ。
最初のうちは、周りから奇異の目で見られていた平太。しかし、彼の低音ボイスと真摯な表情は、次第に参加者の心を掴んでいった。
「へぇ~、平家物語って意外と面白いんですね」
「佐藤さんの声で聞くと、なんだかグッと心に響きますね」
そんな声が聞こえ始めた頃、平太は「平家ボーイ」というあだ名で呼ばれるようになっていた。
平家ボーイとして名を馳せ始めた平太だったが、肝心の恋愛には全く進展がない。むしろ、「歴史オタクのイケメン」というキャラ設定が災いし、本性を出せずにいた。
そんなある日、婚活パーティーに風変わりな女性が現れた。
「あなたが噂の平家ボーイ?私、源氏物語が好きなの。勝負しましょう!」
彼女の名は、源野むらさき。28歳、小学校の国語教師だった。
むらさきの挑戦的な態度に、平太は思わず本性を露呈してしまう。
「え、ちょ、ちょっと待ってください!僕、実は平家物語なんて全然...」
しかし、むらさきは意に介する様子もなく、
「いいから、勝負よ!私が源氏物語の一節を読んだら、あなたは平家物語で返して。負けた方が、勝った方の言うことを一つ聞く。どう?」
平太は渋々承諾。しかし、この勝負が彼の人生を大きく変えることになるとは、この時は夢にも思わなかった。
勝負は、予想外の展開を見せる。むらさきの流暢な源氏物語の朗読に対し、平太は必死に記憶を辿って平家物語を読み上げる。その姿に、むらさきは次第に惹かれていく。
「あなた、本当は平家物語詳しくないでしょ?でも、一生懸命な姿が素敵よ」
平太は観念して、すべてを白状した。婚活パーティーでモテるために平家物語を音読していたこと、実は歴史オタクでも何でもないことを。
むらさきは大笑いした後、
「あなた、面白い人ね。今度、一緒に古典文学の朗読会に行かない?」
こうして、平太とむらさきの奇妙な恋が始まった。
それから半年後、平太とむらさきは順調に交際を続けていた。むらさきの影響で、平太は本当に古典文学に興味を持ち始めていた。
ある日、むらさきが平太に切り出した。
「ねえ、平太くん。私、あなたのこと本当に好きになったわ。でも、私の理想の結婚式って、新郎が平家物語の冒頭を完璧に暗唱できる人なの。それが叶わないなら、ごめんなさい」
平太は愕然とした。彼はまだ、平家物語の冒頭すら完璧に覚えていなかったのだ。
しかし、むらさきへの想いは本物だった。平太は決意する。
「よし、やるぞ!今度こそ、本気で平家物語をマスターしてみせる!」
それから平太の猛特訓が始まった。仕事の合間を縫って平家物語を読み、通勤中も音声で聴き、寝る前にも音読。そんな生活を3ヶ月続けた。
ついに、決戦の日がやってきた。平太はむらさきを婚活パーティーが行われていたホテルのロビーに呼び出した。
「むらさきさん、聞いてください」
平太は深呼吸をし、目を閉じて音読を始めた。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ...」
5分間、一切淀むことなく平家物語の冒頭を暗唱する平太。むらさきは、感動で目を潤ませていた。
暗唱を終えると、平太はポケットからリングを取り出した。
「むらさきさん、僕と結婚してください。これからも一緒に古典の世界を旅しませんか?」
むらさきは満面の笑みで頷いた。
「はい!源氏と平家、力を合わせて新しい物語を紡いでいきましょう!」
こうして、婚活パーティーで平家物語を毎日音読したことから始まった奇妙な恋は、幸せな結婚へと実を結んだのだった。
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