読書は時間の無駄。そう思っていた。

私、佐藤ユキ(17歳)は、そう確信していた。少なくとも、昨日までは。

「ユキ、また本を読まずにスマホばかり見てるの?」
母の声が聞こえる。だが、私の耳には届かない。届いているが、届いていないことにする。これが現代の親子コミュニケーションだ。

スマホの画面には、エンドレスに流れる短尺動画。15秒で世界が変わる。15秒で人生が変わる。なのに、なぜ何百ページもある本を読まなければならないのか。

そう、読書は時間の無駄なのだ。

次の日、学校の図書室。
「ねぇユキ、この本面白いよ」
親友の美奈が本を差し出す。

『メタ読書術:本を読まずに本を語る方法』

「はぁ?なに、それ」
私は失笑する。しかし、タイトルに興味をそそられた自分がいることも否定できない。

美奈は意味ありげな笑みを浮かべる。
「読んでみればわかるよ」

「読書は時間の無駄だって言ってるでしょ」
私は突っぱねる。

美奈は肩をすくめる。
「じゃあ、読まなくていいんじゃない?」

そう言って立ち去る美奈。残された私と一冊の本。

放課後、なぜか私はその本を手に取っていた。

第1章:「読書」の定義を疑え

私は目を疑う。なんだこれは。

「読書とは、必ずしも本を一字一句読むことではない。本の存在を認識し、その概念を理解することこそが真の読書である」

私は思わず吹き出す。なんて馬鹿げた...でも、続きが気になる。

第2章:タイトルだけで語れ

「本のタイトルは、その本の本質を凝縮している。タイトルを深く理解すれば、本を読んだも同然だ」

私は考え込む。確かに、タイトルって重要かも。

第3章:著者のプロフィールこそがストーリー

「著者の人生こそが、その本の真のストーリーである。著者を知れば、本を読む必要はない」

なるほど。でも、それって本を読むより大変じゃ...

気づけば、私は夢中で「読書」していた。いや、「メタ読書」していた。

次の日、学校で。

「ねぇねぇ、『走れメロス』読んだ?」
クラスメイトの会話が耳に入る。

私は思わず口を開く。
「太宰治でしょ。彼の人生を考えれば、友情と裏切りのストーリーが想像できるわ」

クラスメイト達は驚いた顔をする。
「ユキ、本読んだの?」

「読書って、本を物理的に読むことじゃないのよ」
私は優越感に浸りながら答える。

そう、私は「読書」を始めたのだ。でも、本は読んでいない。

数日後、図書室で再び美奈と出会う。

「どう?あの本」

「まぁまぁね」
素直に面白かったとは言えない。プライドが邪魔をする。

美奈はにやりと笑う。
「じゃあ、次はこれはどう?」

差し出された本のタイトルは『メタ読書術は嘘である:本当に本を読むことの大切さ』

「...は?」

私の世界が、再び揺らぐ。

その夜、私は考え込んでいた。
読書は時間の無駄なのか?
「メタ読書」は本当に「読書」なのか?
そもそも「読書」って何なんだ?

頭の中がぐるぐると回る。そして、ふと気づく。

「あれ?私、考えてる?」

そう、考えることを放棄していた私が、真剣に考えている。

「本を読まなかった」はずの私が、実は「本に読まれていた」のかもしれない。

翌日、私は決意して図書室に向かった。
そこで手に取ったのは、ただの小説。タイトルも作者も気にせず、ページをめくり始める。

「読書は時間の無駄」
その考えは、もはや意味をなさない。

なぜなら、「時間」も「無駄」も、私が本から学ぶべきことの一部に過ぎないから。

本を読まないことで本の価値を知り、本を読むことの意味を見出す。
何が正しくて何が間違っているのか、もはやわからない。

ただ、私は「読書」を始めた。それが「メタ」であろうとなかろうと、私は本の世界に足を踏み入れたのだ。

物語は終わり、そして始まる。
読者であるあなたは、この物語をどう「読む」のだろうか。
それとも、「読まない」ことを選ぶだろうか。

選択はあなた次第。ただし、覚えておいてほしい。
あなたが物語を読むとき、実は物語もあなたを読んでいるのだということを。