真夜中のブルーライトが、佐藤の顔を青白く照らしていた。彼は無表情でスマートフォンの画面を見つめ、親指で無意識にスワイプを繰り返していた。左、左、左。時折、右にスワイプすることもあったが、それはもはや習慣でしかなかった。

マッチングアプリを始めて3年。佐藤はもう30歳を過ぎていた。最初は期待に胸を膨らませていたものの、今では虚しさだけが残っていた。数え切れないほどのマッチング、退屈な会話、そして空虚なデート。すべてが同じように思えた。

彼は画面を見つめながら、自問した。「これは本当に恋愛なのか?」

答えは簡単だった。違う。これは恋愛ではない。これは消費だ。人々は商品のように並べられ、気に入らなければすぐに捨てられる。佐藤自身も、そんな消費社会の歯車の一つでしかなかった。

ため息をつきながら、佐藤はアプリを閉じた。しかし、数分後には再び開いていた。まるで中毒のように。

翌日、会社でも佐藤の様子はさえなかった。デスクに向かいながら、昨夜のことを考えていた。隣の席の同僚が話しかけてきた。

「佐藤さん、最近デートとかしてるの?」

佐藤は苦笑いを浮かべた。「いや、全然ダメだよ。マッチングアプリ使ってるけど、全然うまくいかなくてさ」

同僚は首をかしげた。「え?佐藤さんみたいなイケメンがダメなの?それはおかしいよ。プロフィールとか、もしかして魅力的に書いてないとか?」

その言葉が、佐藤の中で何かを引き起こした。そうだ、プロフィールだ。人々はプロフィールで判断している。現実の自分ではなく、画面の中の自分で。

その夜、佐藤は決意した。プロフィールを変えよう。しかし、今度は違う。今度は、嘘をつこう。

指が震えながら、佐藤は自分の年収を入力した。実際の倍以上の金額だ。職業も、大手企業の管理職に変更した。趣味は海外旅行と美術館巡り。すべてが嘘だった。

変更を保存する瞬間、佐藤の心臓が高鳴った。これは詐欺なのか?それとも、ただのゲームなのか?もはや、その区別すらつかなくなっていた。

翌日から、佐藤のスマートフォンは鳴り止まなくなった。マッチの通知が次々と届く。以前とは明らかに違う反応だった。

最初のデートは、高級レストランだった。佐藤は借金してスーツを新調し、ウソの経歴を完璧に暗記した。相手の女性は、キラキラとした目で佐藤を見つめていた。

「素敵な人生ですね」と彼女は言った。

佐藤は微笑んだ。「ありがとう」と言いながら、心の中で叫んでいた。「これは嘘だ!全部嘘なんだ!」

しかし、その叫びは誰にも届かなかった。

デートを重ねるごとに、佐藤は自分の作り上げたキャラクターに没頭していった。高収入エリートの佐藤は、本物の佐藤よりも魅力的で、自信に満ちていた。

ある日、佐藤は鏡の前に立った。そこに映っていたのは、疲れ切った中年男性の姿だった。しかし、スマートフォンの中の佐藤は、輝いていた。どちらが本当の自分なのか、もはやわからなくなっていた。

借金は膨らんでいった。高級レストラン、ブランド品、海外旅行。すべてが嘘を維持するためだった。しかし、佐藤はもう後戻りできなかった。この虚構の世界が、彼の現実となっていた。

ある夜、佐藤は酔っ払って帰宅した。スマートフォンを手に取り、マッチングアプリを開く。そして、ふと思い立って、自分のプロフィールを開いた。

そこには、知らない男が写っていた。高収入、エリート、自信に満ちた表情。しかし、それは佐藤ではなかった。

佐藤は画面を見つめ、涙を流した。彼は気づいていた。マッチングアプリに疲れていたのは、彼自身だったのだと。そして今、彼は自分自身との関係にも疲れ果てていた。

指が震えながら、佐藤はアプリを削除した。画面が暗くなる。部屋に静寂が戻る。

佐藤は窓を開け、夜空を見上げた。星々が、遠く冷たく輝いていた。彼は深呼吸をした。

明日から、本当の自分を生きよう。たとえそれが、誰にも好かれなくても。