皆さん、元気か?今日はちょっと難しい話になるかもしれんが、付き合ってくれや。
最近、なんJでもちょくちょく見かける「反出生主義」っちゅうヤツについて、ワイなりの考えを述べていきたいと思う。
まず、「反出生主義」っちゅうのはなんやねんって話やけど、簡単に言うと「生まれてくるのは苦痛やから、子供を作るべきやない」っちゅう考え方や。一見すると「せやな」って思うかもしれんが、ワイはこれ、めっちゃアホな考えやと思うんや。
なんでかって?そりゃ、猫になれへんからや。
え?何言うとんねん?って思うやろ。でも、よく考えてみいや。
反出生主義者の主張をよく聞いてみると、こんな感じやろ:
1. 生きるのは苦しい
2. 生まれてこなければ苦しまんですむ
3. だから、子供を作るべきやない
一見、論理的に見えるかもしれん。でも、ここには致命的な欠陥があるんや。
それは、「猫になる」っちゅう選択肢が全く考慮されてへんことや。
ここでみんな「は?」ってなるやろ。でも、冷静に考えてみいや。
人間として生きるのが苦しいんやったら、猫になればええやん。猫の人生なんて最高やで?
朝は日向ぼっこ、昼寝して、夜は気まぐれに散歩。嫌なことがあったら「にゃー」って言うだけでみんなが許してくれる。ご飯は用意してもらえるし、たまに撫でてもらえるし、文句言われても「にゃー」でおしまい。
これこそ、反出生主義者が求めてる「苦しみのない人生」やないか?
でも、残念ながら、人間は猫になれへん。それどころか、一度生まれた以上、存在そのものをなかったことにもできへん。
つまり、反出生主義者の言う「生まれてこなければ良かった」なんて、所詮は絵空事なんや。現実逃避のたわごとにすぎんのや。
ここで、反出生主義者は言うかもしれん。「だからこそ、これから生まれてくる子供たちのために、子作りを控えるべきやろ」って。
でもな、それって結局、自分の価値観を押し付けてるだけやないか?
ワイらには、未来の子供たちが人生をどう感じるか分からへん。もしかしたら、その子は人生を楽しむかもしれん。もしかしたら、その子は人類を救う偉人になるかもしれん。もしかしたら、その子は...猫になる方法を発明するかもしれんのや!
未来の可能性を、大人の勝手な判断で潰してええんか?それこそ、最大の「暴力」やないか?
それに、よく考えてみいや。ワイらの先祖も、きっと人生辛かったやろ。でも、それでも子供を産み育ててきたからこそ、今のワイらがおるんや。その連鎖を、ワイらの代で勝手に断ち切っていいもんなんか?
ここで、もう一つの反論が聞こえてきそうや。「でも、世界は人口過多で環境破壊が進んどるやん。子供作らん方がええんちゃう?」ってな。
確かに、それは重要な問題や。でも、だからこそ、もっと賢い子孫を残す必要があるんやないか?環境問題を解決できる天才が、これから生まれてくるかもしれんのに、その可能性を潰していいんか?
反出生主義は「逃げ」なんや。人生の苦しみから逃げる、責任から逃げる、可能性から逃げる...要するに、猫になりたいけどなれへんから拗ねとるだけなんや。
でもな、人間やからこそできることもあるんや。
猫にはできへん、複雑な思考。猫にはできへん、未来を変える力。猫にはできへん、この宇宙の神秘を理解する能力。
そういう「人間にしかできないこと」を追求するのも、人生の醍醐味やないか?
もちろん、ワイも人生辛いって思うことあるで。でも、そんな時は思うんや。「せめて、猫の気持ちで生きたろ」って。
朝日が気持ちええな、って感じる。美味いもん食べて幸せやな、って感じる。大切な人と一緒におるのええもんやな、って感じる。
そうやって、ちょっとずつでも「生きてて良かった」って思える瞬間を積み重ねていく。それが、人間らしく生きるっちゅうことやないんかな。
反出生主義者の皆さんに言いたい。
人生辛いのは分かる。でも、だからこそ、もっと優しい世界を作ろうや。未来の子供たちが、生まれてきて良かったって思えるような世界をな。
それが無理やって?いや、だからこそチャレンジする価値があるんやないか?
ワイらには、猫になる選択肢はない。でも、猫よりも幸せな人生を送る方法はきっとあるはずや。それを見つけるのが、ワイらの「使命」なんやないかな。
結論:反出生主義は、猫になりたいけどなれへんヤツらの戯言やで。人間らしく生きよう。それが辛かったら、猫の気持ちで生きよう。でも、諦めんといてな。
ほな、また明日な!
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