ファッ!? ワイ、今日も目覚めてもうた。マジで残念や。目覚ましなんて設定してへんのに、なんでや。ああ、そうか。ニートの体内時計は社会の歯車とは無縁やったな。

さて、ワイのニートとしての一日が始まるわけやが、これがまた意味不明の連続や。サルトルが言うたような「実存は本質に先立つ」なんてもんやない。ニートの実存なんて、本質どころか意味すらないんやで。

まず朝。いや、朝言うても昼の2時やけどな。ベッドから這い出て、部屋の空気を吸い込む。ああ、ニートの空気や。無為と絶望が混ざった、なんとも言えん香りがする。

腹減ったわ。冷蔵庫開けると、賞味期限切れの牛乳とコンビニおにぎりがチラホラ。ニーチェなら「お前の食生活は悲惨だ」って言うやろうが、ワイに言わせりゃ「これこそ超人の食事や」ちゅーことや。だって、賞味期限なんて人間が勝手に決めた概念やろ? ワイはそんなもん超越しとるんや。

昼飯食い終わって、さてどうするか。普通の人間なら「仕事しなきゃ」とか「勉強せな」とか考えるんやろうが、ニートのワイにはそんな概念がない。「意味」から解放された者の特権や。

ほな、ゲームでもするか。RPGを起動して、バーチャルな世界に没頭する。ワイ、ふと思う。「このゲームの主人公、なんでこんな必死こいて世界を救おうとしてんねや」って。ワイなんて、現実世界ですら何も救えへんのに。でも、それでええんや。だって、「救う」ちゅー概念自体が意味なんてもんに縛られた思考やからな。

ゲームに飽きたら、ネットサーフィン。掲示板見てると、みんな必死こいて議論しとる。政治がどうのこうのとか、経済がアカンとか。ワイ「はぁ...」ため息出るわ。奴ら、まだ「意味」にしがみついとんのか。可哀想やで。ニートのワイからしたら、政治も経済も、所詮は人間が勝手に作り上げた幻想に過ぎんのや。

夜になって、また腹減った。さっきのおにぎりの残りを食う。「もったいない」なんて概念、ワイには無縁や。だって、「もったいない」って思うこと自体、何かに価値を見出しとるってことやろ? ニートのワイには、そんな価値観なんてないんや。

飯食いながらテレビ見る。芸能人が「夢は諦めんな!」とか熱く語っとる。ワイ、思わず笑ってまう。夢? 諦める? そんなもん、最初から持ってへんわ。ニートの境地に達したワイには、夢を持つことすら意味を感じひんのや。

深夜、またネットサーフィン。今度は哲学サイトを徘徊する。デカルト「我思う、ゆえに我あり」...ファッ!? ワイ「我、思考を放棄した。ゆえに、存在すら怪しい」。ハイデガー「現存在は死に向かう存在である」...はぁ? ワイ「ニートは生にも死にも向かわへん。ただそこにあるだけや」。

明け方近くなって、また眠くなってきた。ベッドに潜り込みながら、ワイ考える。「今日一日、何をしたんやろ」って。でも、すぐに気づくわ。そんなこと考えること自体、まだ「意味」に囚われとるってことやって。

ニートの一日に意味なんてない。だからこそ、すべてから解放されとるんや。仕事のストレスも、人間関係の煩わしさも、社会の重圧も、全部ない。ワイらニートは、ある意味一番自由な存在なんかもしれん。

でもな、その「自由」がまた重荷になることもある。だって、すべてが意味から解放されとるってことは、ワイら自身も「意味」を持たへんってことやからな。

ニートの一日ちゅーんは、意味を求めんことの意味、存在せんことの存在意義みたいなもんかもしれん。ウィトゲンシュタインばりに言えば「語りえぬものについては沈黙せねばならない」んやろうが、ワイらニートは「生きることすべてについて沈黙している」ようなもんや。

ほんで、また新しい一日が始まる。意味から解放された、無限の可能性を秘めた一日。...でも、結局何もせーへんのやろうけどな。

ほな、おやすみ...いや、おはよう...いや、どっちでもええわ。時間の概念すら意味ないんやから。


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