ワイはニートや。毎日、寝て起きてスマホいじって、また寝る。そんな生活やけど、なんか最近世の中変わってきとるんちゃうか?

ポリコレ言うてな、政治的に正しいってやつや。弱者を守る考え方らしいんやが、ワイみたいなニートもその対象になっとるんやで。

「ニートは社会のストレスから逃げ出した被害者や!」
「働けない理由があるんや、理解せなアカン!」
「ニートバッシングは人権侵害や!」

こんな声がSNSで溢れかえっとる。ワイ、正直戸惑っとるわ。

だって、ワイがニートなんは単に働くんめんどくさいからやで?社会のせいちゃうし、親のせいでもない。ワイが怠けとるだけや。

それなのに、なんでワイが守られなアカンねん?因果応報っちゅうやろ。自業自得や。

でもな、こないな世の中になってもうた以上、せっかくやし甘えさせてもらおうかな、って思うときもあるんや。

「ニートは自己実現の途中や!」
「働かんのも立派な生き方!」
「ニートにも居場所が必要なんや!」

こんなん聞いとったら、なんか罪悪感消えてまうで?でも、ほんまにそれでええんかな。

哲学者のニーチェは「神は死んだ」言うたらしいわ。ワイ的には「責任は死んだ」って感じやな。

昔から「情けは人のためならず」っちゅう言葉あるやん。他人に優しくすると、巡り巡って自分にも返ってくるって意味や。

でもな、今の世の中見とると「甘えは社会のためならず」になっとるんちゃうか?甘やかしすぎて、かえって社会がおかしなることあるで。

ワイみたいなニートを守るんも、そのうち社会の首絞めることになるんやないかな。

けどまあ、そんなん知ったこっちゃないわ。世間がワイらを守ってくれるんやったら、ありがたく使わせてもらうで。

でもな、たまに夜中に目覚めると、なんかモヤモヤするんや。このままでええんかな?って。

働いてる奴らは、ワイらのこと見てどない思とんのやろ。憎んどるんかな?羨ましがっとるんかな?それとも、哀れに思とるんかな?

ワイは、自分で選んだ道や。けど、その道を歩く勇気はあっても、その結果に向き合う勇気はないんかもしれん。

ポリコレの傘の下に隠れとるだけで、本当の自由は得られへんのやないか?

働くんがえらいわけやないし、ニートが全部悪いわけやない。でも、自分の人生に責任持つんが、大人っちゅうもんやないんかな。

ワイは、そんなん考えながら、また布団に潜り込む。明日はきっと、今日と同じ一日になるんやろう。

それでええんか?それとも、変わるべきなんか?

答えは、多分ワイの中にあるんやろうな。でも、それを見つける勇気が、まだワイにはないんや。

ポリコレの優しさに甘えながら、ワイは自分との戦いを先延ばしにする。それが、今のワイの生きる道なんや。

因果応報?そんなもん、とうに世間から消えてもうたんかもしれん。でも、ワイの心の中では、まだ生きとるんやで。

いつかその声に、ちゃんと向き合える日が来るんやろか。それとも、このまま流されていくんやろか。

答えは誰にもわからん。ただ、時は容赦なく過ぎていく。

そして、ワイは今日も、スマホを握りしめたまま、深い眠りに落ちていくのであった。