真夜中の東京。ネオンの光が雨に濡れた道路に映り、無数の星々のように瞬いている。その光の中を、一人の男が歩いていた。

彼の名は高橋。32歳、独身。IT企業に勤める平凡なサラリーマンだ。しかし今夜、彼の人生は大きく変わろうとしていた。

高橋の手には、古びたスマートフォンが握られている。画面には、ある掲示板が表示されていた。「女神スレ」と呼ばれる伝説の投稿だ。

噂によれば、この女神スレに願い事を書き込むと、必ず叶うという。しかし、それには代償がある。願いが叶う代わりに、書き込んだ者は二度と女神スレにアクセスできなくなるのだ。

高橋は立ち止まり、雨に濡れた額を拭った。彼の指は震えている。今まで何度も女神スレを訪れたが、書き込む勇気は出なかった。しかし今夜は違う。もう後には引けない。

彼は深呼吸し、おもむろに入力を始めた。

「愛する人が欲しい」

たった一行。しかしその一行に、高橋の全ての願いが込められていた。孤独な夜。誰もいないアパート。会社での孤立。全てを変えたかった。

送信ボタンに指をかける。しかし、そこで彼は躊躇した。本当にこれでいいのか。こんな安易な方法で幸せは手に入るのか。

雨の音が強くなる。高橋は顔を上げ、空を見上げた。漆黒の闇の中に、かすかな月明かりが見える。まるで女神が微笑んでいるかのようだ。

その瞬間、高橋の心に決意が固まった。彼は目を閉じ、送信ボタンを押した。

画面が明滅し、「書き込みが完了しました」というメッセージが表示される。そして次の瞬間、エラーメッセージが現れた。

「このページにはアクセスできません」

高橋は息を呑んだ。伝説は本当だったのだ。彼は二度と女神スレにアクセスできない。しかし、それは同時に彼の願いが叶うということでもある。

高鳴る鼓動を感じながら、高橋は歩き出した。雨はいつの間にか止んでいた。街路樹の葉が、夜風にそよいでいる。

その時だった。彼の前を一人の女性が通り過ぎた。花の香りのような甘い匂いが、高橋の鼻をくすぐる。

思わず振り返る高橋。女性も同時に振り返った。

二人の目が合う。

時が止まったかのような一瞬。

高橋は、自分の人生が大きく変わろうとしていることを悟った。

しかし、それは本当に幸せなのだろうか。

女神スレという、ある意味で魔法のような存在を失ったことで得た幸せ。それは本物と呼べるのだろうか。

高橋の心に、小さな後悔の影が差した。

だが、もう後戻りはできない。

彼は微笑みかけてくる女性に向かって歩み寄った。

その瞬間、高橋の脳裏に、かつて女神スレで見た言葉が蘇る。

「本当の幸せは、自分の手で掴み取るもの」

高橋は深く息を吐いた。そうだ、これが正解なのだ。魔法や奇跡に頼るのではなく、自分の力で幸せを掴み取る。それこそが、人生の真髄なのだ。

彼は決意に満ちた表情で、女性に挨拶をした。

「はじめまして」

女性も柔らかな笑みを返す。

「はじめまして」

二人の会話が始まる。それは新しい人生の始まりを告げる鐘の音のようだった。

高橋は心の中でつぶやいた。

「さようなら、女神スレ。そして、ありがとう」

彼はもう、魔法に頼る必要はない。これからは自分の力で、自分の人生を切り開いていく。それこそが、女神スレが教えてくれた最後の、そして最大の贈り物だったのだ。

雨上がりの東京の夜。ネオンの光が二人を優しく包み込む。
新しい物語の幕が、今まさに上がろうとしていた。


303山桜2

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