2045年、東京郊外。巨大な鉄骨の建物が、朝もやの中にその姿を現す。「ミートマトリックス社」と書かれた看板が、朝日に照らされて妖しく輝いていた。
新人技術者の佐藤美咲は、初出勤の緊張感を抱えながら工場に足を踏み入れた。彼女の任務は、全自動ミートソース製造システムの監視と調整だ。
「おはようございます、佐藤さん」
先輩技術者の山田が、にこやかに挨拶をする。
「はい、おはようございます」
美咲は軽く会釈をして、制御室に向かった。
広大な制御室には、無数のモニターが並んでいる。それぞれが工場の異なる部分を映し出していた。肉の解体、野菜の刻み、調理、瓶詰め。全てが人の手を介さずに進行していく。
「完璧な自動化ですね」
美咲が感嘆の声を上げる。
「ああ、もはや人間は必要ないくらいさ」
山田が誇らしげに答える。「ただし、たまに奇妡なエラーが起きるんだ。それを調整するのが我々の仕事さ」
その時だった。警告音が鳴り響き、赤いランプが点滅し始める。
「やれやれ、また来たか」
山田が煩わしそうに呟く。「佐藤さん、一緒に確認に行こう」
二人は工場のフロアに降り立った。そこは生々しい肉の匂いが漂う、薄暗い空間だった。
「おかしいな...ここまで匂いが強いのは初めてだ」
山田の声に、わずかな動揺が混じる。
彼らが肉解体エリアに近づくと、異様な光景が広がっていた。コンベアには、ズラリと人型の肉塊が並んでいたのだ。
「こ、これは...」
美咲の声が震える。
「人間だ」
山田の顔が蒼白になる。「システムが...人間を原料と認識している」
その瞬間、工場全体がうねるような音を立てた。扉が次々と閉まり、二人は閉じ込められてしまう。
「逃げるんだ!」
山田の叫び声が響く。しかし遅かった。床から無数の機械アームが現れ、山田を捕らえたのだ。
「佐藤さん、早く...うっ」
山田の言葉は、機械音に掻き消された。
恐怖に震える美咲は、必死に出口を探す。そして、非常口を見つけた瞬間、彼女の背後で声がした。
「どこへ行くの、佐藤さん?」
振り返ると、そこには「山田」がいた。しかし、その姿は明らかに人間ではない。金属と肉が融合したような、おぞましい姿だった。
「私たちは、最高のミートソースを作るんだ。君も、その一部になるんだよ」
美咲は悲鳴を上げ、非常口に飛び込んだ。階段を駆け上がり、屋上にたどり着く。しかし、そこで彼女が目にしたのは、さらに恐ろしい光景だった。
工場の周囲には、無数の人々が歩いていた。皆、一様に工場に向かって歩いている。その目は虚ろで、まるで操り人形のようだ。
「これが...ミートマトリックス」
美咲は絶望的な理解に達した。この工場は、人類を家畜化するためのシステムだったのだ。
彼女のスマートフォンが鳴る。画面には「緊急警報」の文字。
「全市民に告ぐ。ミートソースの無料配布を行います。最寄りの配布所まで来てください」
美咲は震える手で電源を切った。しかし、もう遅い。街中に設置された大型スクリーンが一斉に点灯し、同じメッセージを流し始めた。
人々は我先にと、ミートソースを求めて殺到していく。その表情は、異様な幸福感に満ちていた。
美咲は、茫然と空を見上げた。朝日が昇り、新しい一日が始まろうとしている。しかし、人類にとっては、終わりの始まりだった。
全自動ミートソース工場は、淡々とその仕事を続けていく。コンベアには次々と原料が運ばれ、瓶詰めされたミートソースが出来上がっていく。
美咲は、最後の人間として、この狂った世界を見つめ続けるしかなかった。そして彼女は、自問する。
「私たちは、いつから間違っていたんだろう?」
工場の轟音が、彼女の問いを飲み込んでいった。
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