まず、「バナナランド」の主人公ユフを見てみいや。あいつ、最初は人間工場のエリートやったのに、突然クビになってまうやんか。そこからどうなると思う?普通なら女神スレにでも書き込んで、「ワイ、人生終わった」とか言うんやろ。でもユフは違うんや。
ユフは自分で「ウーシャマ教」なんちゅう宗教を作り出すんや。これ、めっちゃ重要なポイントやで。ユフは自分の価値を他人に求めんかったんや。女神に「がんばれ」って言ってもらうんじゃなくて、自分で自分の居場所を作ったんや。
せやけど、ウーシャマ教も結局は空虚なもんやったんや。ユフも、周りの連中も、みんな嘘やって分かっとった。これ、女神スレと似とるやろ?みんな、あれが嘘やって分かっとるんや。でも、それでも書き込んでまう。なんでやろな?
ワイが思うに、それは「つながり」を求めとるからやと思うんや。ユフだってそうやった。ウーシャマ教を通じて、人とつながりたかったんや。女神スレも同じやろ。誰かとつながりたいんや。
でもな、「バナナランド」が教えてくれたんは、そんなつながりじゃダメやってことやと思うんや。ユフを見てみい。最後に本当につながれたんは、フーカっちゅう謎の女とアルっちゅう犬やったやんか。そして、人類滅亡後も、アルと二人で生き続けるんや。
これ、めっちゃ深いメッセージやと思うんや。本当のつながりっちゅうんは、嘘のつながりじゃダメなんや。女神スレみたいな、お互い顔も見えん、本当のことも言わん、そんなつながりじゃ意味ないんや。
ユフはフーカとアルとの関係を通じて、本当の自分を見つけたんや。フーカは不思議な存在やけど、ユフに本当のことを教えてくれた。アルは言葉も喋れんけど、ユフの本当の友達になった。これが本物のつながりなんや。
女神スレに書き込んどる奴らよ、考えてみいや。お前ら、本当にそこで自分を見つけられるんか?本当のつながりを得られるんか?ワイはそうは思わんのや。
「バナナランド」が教えてくれたんは、自分の価値は自分で見つけなあかんってことやと思うんや。ユフは最後、サイボーグ忍者になって、人類の遺伝子を宇宙に撒き散らす仕事を見つけたやろ?これ、めっちゃ重要やで。
ユフは誰かに「お前には価値がある」って言ってもらうんを待たんかったんや。自分で自分の価値を見つけたんや。そして、その価値を社会のために使ったんや。
女神スレに書き込んどる奴らよ、お前らにもそんな価値がきっとあるはずや。女神に「がんばれ」って言ってもらうんを待つんじゃなくて、自分で自分の価値を見つけるんや。そして、その価値を誰かのために使うんや。
ワイは思うんや。女神スレなんかより、「バナナランド」みたいな小説を読む方がよっぽど意味あるって。だって、ユフの生き方から学べることいっぱいあるやろ?
女神スレで「がんばれ」って言われても、それ一時的な気休めにしかならんやろ。でも、ユフみたいに自分で自分の価値を見つけて、それを活かす道を探したら、本当に人生変わるかもしれんのや。
女神スレに必要性なんてないんや。必要なんは、自分自身と向き合う勇気や。自分の価値を見つける努力や。そして、その価値を活かせる場所を探す行動力や。
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